怪物と迷宮   作:迷宮の怪物1

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12話

 

 どこかおかしい。やっぱり変だ。

 

 軽井沢恵は(のど)をさすりながら、ある方向をにらみつけていた。視線の先にあるのは窓だ。換気のために開けられていた。そして、外から聞こえてくるのは(せみ)の鳴き声だった。その声を耳にして、すぐに蝉の姿を思い浮かべる人はどれだけいるだろうか。多くの人は単にうるさいだとか、夏の季節感を実感するにとどまるだろう。

 しかし、軽井沢にとっては違った。すぐさま蝉の鮮明な姿、形が浮かびあがる。それどころか、生理的嫌悪を呼び起こす濁った羽音とともに、甲高い笑い声も聞こえてくるようだった。

 ある時を境に、暑い季節が来るといつもそうだった。生まれてこなければ良かったと卑屈さに苦しめられる。

 軽井沢は震える手で喉を少しかきむしった。

 

 そんな彼女も、地元から遠く離れた高度育成高等学校に入学してからは苦しみに(さいな)まれることは徐々になくなっていた。悲壮な決意とともに自らが作り上げた”強い軽井沢恵”という仮初の鎧を身にまとったおかげでもあるが、なにより、自分を守ってくれると約束してくれた彼氏の存在が大きい。

 過去を思えば、考えられなかったほどの恵まれた生活を送り、彼女にとっては穏やかな日々が訪れることになる。夏を迎えても気になるようなことは何もなかった。

 

 ──()()()()()

 

 ぶり返しの原因は彼氏である平田洋介。彼は須藤を救うためにCクラスの条件を受け入れるべきだと、連日クラスのみんなに呼び掛けていた。にもかかわらず、昨日は何もせずに教室を出ていった。応じないクラスメイトに呆れてしまったのか、怒ってしまったのだろうか。慌てて追いかけていった軽井沢は平田に追いつくと、

 

「平田くん、どうしたの? 何かあった?」

 

 そう尋ねた。彼はどこか困ったような笑みで、「何もないよ」と首を振る。

 

 ──嘘だ。

 

 内心で思った軽井沢だったが、それ以上問いつめることはしなかった。一緒に追いかけてきた友人たちが近くにいたからだ。もしも二人きりであったなら、しつこく追及していた。たとえ彼自身のプライバシーに関わることで、恋人と言えど、それに干渉する権利がなかったとしても。

 

 平田は最後に「じゃあ、僕は部活に行くから。みんな、また明日」と言って、去っていった。周りの友人は普段と違う様子の平田に戸惑いつつも、彼の人間性を信用し、大丈夫だと結論づける。

 

 ──全然大丈夫じゃない。

 

 軽井沢が本当に心配していたのは”彼”ではない。自分と彼との間で結ばれた”約束”がしっかりと果たされるのかどうか、ただそれだけ。その約束が現在の彼女を支えている。平田がおかしな様子だと、軽井沢も精神的に不安定になってしまう。

 その日の夜、平田に連絡をいれた軽井沢は昼間の続きで問いただすが、「何もないから心配はいらないよ」という一点張り。自分との約束を持ち出しても、平田は必ず守ると言うだけで、軽井沢の心が晴れることはなかった。

 

 まただ。重なり合うような、うごめくような、うねるような蝉の鳴き声が耳に入ってくる。

 彼女はお腹に力を入れて、思いきり叫びだしたくなった。”お願いだから、もうやめてくれ”と。

 

「──さん、──井沢さん、軽井沢さんっ!」

 

 はッと顔を上げる軽井沢。

 目の前には同じDクラスの友人である篠原さつきが心配そうな顔をしていた。そばには同じくDクラス所属の松下千秋や佐藤麻耶もいる。

 

「軽井沢さん、もしかしてこういう話は苦手だった?」

 

「……ごめん、聞いてなかった。こういう話って?」

 

「今朝にあった警察の話。なんでも人が死んじゃったらしいよ。現場に行った友達がそう言ってたんだよね」

 

 篠原は好奇心に満ちた、噂話を好む目になっていた。

 報道番組でよく目にする死亡関連の事件や事故。ありふれていると言っても過言ではないが、身近で滅多に出くわすことはないだろう。経験のない事態に心が浮ついているようだった。

 今朝にあった警察についての話題はもちろん軽井沢の耳にも入っていたが、そこまで関心はなかった。関係のない、どこの誰かが死んでしまっても彼女には何の影響も与えない。目下のところ、気になっているのは平田のことだけだ。

 

「そうなんだ。別に苦手なわけじゃないけど、ちょっと朝から調子悪くてさ。先に教室に行ってるね」

 

 断りをいれた軽井沢はそそくさと手洗い場から出て行ってしまった。

 

「……軽井沢さん、やっぱり昨日のこと気にしてるのかな」

 

「昨日の平田くん、なんか様子が変だったもんね。彼氏を支える彼女としては気になるのかも」

 

 出入り口を見ながら、佐藤と篠原が言った。

 

「平田くんが変な原因って、須藤くんのことでしょ。Cクラスの条件を受け入れるかどうか決まってないわけだし。でも、それも今日で終わるしねー」

 

 言いながら松下は洗面台に歩み寄り、小物が入ったポーチを鞄から取り出すと、鏡に向き合って髪と顔を整え始める。彼女の話を聞いていた篠原は嫌なことを思い出したように溜息をはき、軽く首を振った。

 

「ほんと、須藤くんって迷惑。何もなかったら、プラべ1万くらいもらえてたのに」

 

 本来ならDクラスは今月のクラスポイント87を得て、プライベートポイント8700を手にすることができた。しかし、須藤が発端であるCクラスとの争いによって受け取れるポイントは良くて5000ポイントにまで減額。

 

「結局、どうなるのかな」

 

「いや、さすがに条件受け入れるしかないでしょ。これ以上ポイントなしの生活は耐えらんないし」

 

「でも、堀北さんとか他にも反対してた人いたよ」

 

「あー、堀北さんね。あの人ってなんか好きになれないんだよねぇ。”私はあなたたちと違う”って感じで見下してるっていうか。同じDクラスなのに、ホント笑える」

 

 佐藤に返答した篠原の表情には疎ましさが見え隠れしていた。

 整え終わったのか、ポーチを鞄にしまった松下は二人のほうへ顔を向ける。

 

「まぁ、はっきりと反対してる人のほうが少ないし、多数決的に受け入れで決まりじゃない? ていうか、待たせてゴメン。終わったから教室行こ」

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫……なはず。うん、きっと大丈夫」

 

 手洗い場から出てきた軽井沢は自分を安心させるために、下を向きながら、うわ言のように何度も言い聞かせていた。精神的に不安定だからか、足取りもまっすぐではない。注意散漫な状態だった。

 廊下の向かい側から人が来る。しかし、彼女は気づかない。すれ違いざまに身体がひっかかった軽井沢はバランスを崩し、床に転倒した。何が起こったのかわからない彼女は声を出すこともなく、気が抜けたようにぼんやりと床に座り込む。

 

「大丈夫か?」

 

 上から声が降る。見上げると手を差し出す男子生徒がいた。同じDクラスの綾小路清隆だ。印象は薄いが、クラス内でも孤立していることがよくある彼に、平田が積極的に声をかけていたから覚えていた。

 差し出された手をつかもうと彼女は無意識に手を伸ばす──が、その動きは途中で止まった。手をひっこめた軽井沢はすばやく立ち上がると、目の前の相手をにらみつける。

 

「どこ見て歩いてんのよ! ホント信じらんない」

 

 そう言い捨てた彼女は綾小路の返答を待たずに行ってしまった。

 手を差し出したままで固まる綾小路。

 

 ──理不尽だ

 

 そんな思いが彼の胸の中で自然と湧きだす。

 そもそも、衝突の原因は軽井沢にある。向かい側からやってくる彼女の姿を認識していた綾小路はぶつからないように進行方向をずらしていた。しかし、その動きを追尾するかのように軽井沢が歩いてきたので、ひっかかってしまったのだ。まさに当たり屋と言っていいだろう。

 とりあえず、他人の目もあるので、手を差し出したままの無様な格好をやめた綾小路は普段と違う様子の軽井沢について考えはじめる。差し出した手をつかもうとするまでの彼女は明らかに弱々しく、世界が自分を中心に回っているといった傲慢な振る舞いは鳴りを潜めていた。何かあったのだろうか。

 

「よっ! 見てたぜ、綾小路」

 

 考え事をしていた綾小路に声がかかる。目をやると、いかにも満足そうにニヤニヤとしている池寛二と山内春樹がいた。いつもはDクラスの三馬鹿と言われるくらいにセットでいるはずの須藤の姿は見えない。

 

「神風アタック、ご愁傷様」

 

「お前のその無謀な勇気だけは認めてやるぜ」

 

 何を勘違いしているのか、見当はずれの言葉を二人は口にした。たしかに、ぶつかりはしたが、アタックの意味が違うだろう。弁明するために綾小路が口を開くと、「言い訳は情けない」だの「男らしくない」だのと言いがかりに終始していた。どうやら、フラれたということを既成事実化させたいようだ。

 

「それにしてもよくやるよなぁ。彼氏持ちだぜ? 俺ならありえないな。中古はゴメンだ」

 

 山内が腕を組み、やれやれと首を振りながら言った。それを聞いていた池は悪戯っぽい視線を山内に送ると、質問を投げかける。

 

「とか言ってお前ぇ、迫られたらどうすんだよ。断んのか?」

 

「……そりゃあ、お前、男として断るわけにはいかんだろ。据え膳食わぬは男の恥ってな」

 

「だよな!」

 

 肩を組みながら、「ウェーイ」と拳を合わせる山内と池。大きな声で楽しそうにしている二人だったが、そこに冷ややかな声が入ってくる。

 

「キッモ。ありえないっつーの」

 

「あーあ、なんでうちのクラスってバカばっかりなんだろ」

 

 通り過ぎざまに、汚物を見るような視線を向けてきたのは篠原と松下だった。池と山内の顔が青ざめる。ただでさえ、女子からの好感度が低いのにこれ以上はヤバい。

 

「池くんと山内くんさぁ、そういう話をしたい年頃なのはわかるけど、場所もっと考えた方がいいよ」

 

 佐藤はそれだけを言い残すと、二人の後を追っていった。

 池たちが大きな声で話をしていた場所は女子トイレから5mほどしか離れていない。トイレから出てきたらすぐに聞こえる。迂闊なことを言うべきではなかっただろう。

 

 ──終わった

 

 池と山内、二人は同時にがっくりうなだれる。しばらく放心していた彼らだが、ふと違和感に気づく。綾小路もいたのに、なぜ二人の名前しか呼ばれなかったのか。

 池と山内は同時に辺りをキョロキョロと見回す。隣にいたはずの綾小路の姿が見えない。おそらく、彼は女子トイレの近くであることに気づいていたのだろう。そして、小賢しい知恵を働かせ、池と山内が展開する話を予測し、静かに、この場を離脱したのだ。

 

「この裏切り者ォ!」

 

 池と山内の魂の叫びが廊下にこだました。

 

 

 

 

 

 

 男子トイレで用を足した綾小路は洗面台で手を洗っていた。池と山内については頭からすっかりと抜けており、もっぱら彼が意識を向けていたのは今朝の警察沙汰についてだ。彼が寮から学校に来るまでに耳によく入ってきたそれは用を足している間も、隣で他の男子生徒たちが話をしているほどだった。

 自分と無関係なことについて積極的に関心を抱かない堀北鈴音のような生徒はあまり興味ないだろうが、多くの生徒は自分の知らない情報に触れようとしている。知の空白を埋めたいという好奇心は人間に備わっている生来的な欲求なのだから、無理もない。しかし、綾小路はそれをする必要がなかった。

 

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 洗い終えた綾小路が蛇口から手を離すと、水は自動的に止まった。ポケットから出したハンカチで手をふく。

 だが、そんな彼にも疑問があった。警察が介入する事態は想定していたものの、実際にそうなる確率は高くないと踏んでいたからだ。なぜ、ヤツはそこまでやったのか。自分の首を絞める行為だと理解できないほど、杜撰(ずさん)な考えをするような人物ではないはず。CクラスがDクラスに仕掛けた罠を実行に移せるほどには判断力がある。

 リスクが高いと分かっていながらも、そうせざるを得なかったのか。それとも、警察でさえ彼にとっては問題がなかったのか。後者についてはあまり現実的とは言えないだろう。

 最先端技術によって現場に残された微細な証拠を分析し、真実を追究する警察の科学捜査は高精度であり、逃げ切るのは困難を極める。まして、この学校の環境を考えれば尚更だ。

 

 ハンカチをポケットに仕舞いこんだ綾小路はとりあえず警察の捜査が終わってから続きを考えることにした。今回の件を引き起こした張本人とはいえ、一部始終を知っているわけではない。予測はしているが、最終的にどんな結末になるのかは断定できない。ただ、警察が介入したことにより、佐倉愛理にとっては辛い現実に直面する可能性があった。

 洗面台の大きな鏡に綾小路の姿が映り込む。虚像の世界に浮かぶ彼の瞳にはかけらの罪悪感すら浮かんではいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がやがやとした声が聞こえる。午後からの授業へ出席するために教室へ続々と集まる生徒たちのものだ。騒々しいというよりは賑々しいといった表現が妥当なほど、交差する声には愉快さが感じられる。

 

「朝に起きた話、聞いたか?」

「なんか事件らしいぜ」

「マジで!? 殺人とか? ヤバいな」

「いや、殺人だったら授業なんてしてる場合じゃないだろ」

「どうなるんだ、この学校」

 

 もうすぐ始業する時刻だというのに、好き勝手な憶測がCクラスの教室で飛び交う様子は止みそうにない。生徒たちの関心は今朝の件でもちきりだった。

 雑多な噂話があふれている中、まるで自分は関係ないというように、伊吹はぼんやりと喧噪を眺める。実際に現場へおもむき、Aクラスの橋本から話を聞いた彼女としてはすでに関心は薄らいでいた。伊吹とともに行動していた椎名や石崎、アルベルトも似たような感じだ。

 

 伊吹は騒がしさからチラリと視線を移す。対象は日当たりのいい窓の縁に片腕をひっかけ、もう片方の手で本を開いている龍園翔だ。いつもはホームルームが開始される10分くらい前にしか登校してこないが、今日は伊吹が教室に到着した時点ですでに着席していた。

 龍園も今朝のことについて関心を持っているから、早めに来て噂話に耳を傾けていたのだろうか。それとも、今日の放課後に行われるDクラスとの審議に多少の緊張でもしているのか。いや、最後のはない。緊張なんてするたまじゃない。

 考えるのをやめた伊吹は教室の時計を確認する。もうすぐ開始時刻だった。残り時間は1分もない。そろそろ担任の教師が来るはず。

 クラスの席は1つを除いて埋まっていた。まだ来ていないのは箕輪だ。普段から時間ギリギリだったが、今日はもうその時間も残されていない。

 

 ──何やってんの、アイツ

 

 伊吹の視線は部屋の入り口へと注がれる。どちらが早いか、はたして間に合うのか。

 

 教室の戸が引かれた。現れたのは担任の坂上だった。時間通り几帳面に服装の乱れもなく、教室に入ってくる。普段よりも騒がしい様子であるにもかかわらず、坂上は一瞥をくれることなく、まっすぐに教卓に向かった。彼が到着すると、我慢できないといった風の生徒がひとり質問を投げかける。

 

「先生、今朝の警察の騒ぎ、あれは──」

 

「それを今から説明します。と言っても、そこまで話すことはありませんが」

 

 坂上は生徒の話を途中でピシャリと遮った。片手で眼鏡を軽く押し上げ、無関心としか言えそうにない顔で、淡々と説明を始める。

 

「もうすでに皆さんはご存知でしょうが、今朝の警察沙汰についてです。敷地内の施設で働く従業員の方がひとり亡くなられました」

 

 生徒たちに新たなざわめきが走る。学校からの通達によって、一人の人間の死が確定した。

 

「警察の話によると、現段階で事件性は低いとのことですが、一応は何名かの警察官が敷地内の巡回を調査期間内にわたって行うようです。幸いにも、事故現場は社員寮の近くということで学校運営に支障はありません。授業は明日から通常どおりなので間違わないように。今朝の件については以上です。それでは、亡くなられた方の冥福を祈るために1分間の黙祷を捧げます。黙祷」

 

 厳粛な声がかかり、教室内を小さな沈黙が訪れた。ほとんどの者が瞳を閉じ、なかには手を合わせている人もいる。

 龍園はというと、背もたれに身体をあずけ、窓の外を見ていた。そんな彼の姿を多くの人は非常識だと思うかもしれない。しかし、黙祷では目を閉じる必要も、手を合わせる必要もなく、ただ黙って祈れば良いのだ。そして、祈りとは心で行われるもの。龍園が胸中で何を思っているのかなど余人が知るはずもなく、彼の姿だけで非難することはできない。もっとも、龍園が名前も顔も知らない故人について、思いをはせている様子など想像もできそうにないが。

 

「黙祷を終えてください」

 

 声を合図に祈りの時間は終わった。しかし、生徒たちが黙祷前の騒がしさを取り戻すことはなく、鳴りを潜めたままだった。

 続いて坂上は電子タブレットを取り出し、出欠確認を行う。個別に生徒の名前を呼ぶわけではなく、教室を見渡すだけだ。視線を配ると、1つだけ席が空いていた。席の主は箕輪勢一。よく龍園とつるんでいる生徒だった。

 

 坂上は彼について含むところはなかった。高校生離れした容姿に、何を考えているのかよく分からない笑みを絶えず浮かべている様子は教師から見ても不気味だが、遅刻することもなく、テストの成績も悪くはない。学校のデータでも不穏な点はなく、突出した身体能力の評価はCクラスに大きな貢献をもたらすことを予感させるものだった。ただ、今日の連絡がないところを見ると、問題がないとは言えないのかもしれない。

 とはいえ、坂上としては自分がAクラスの担任となるために役立つ生徒であるなら、多少の問題は黙認するつもりだった。公平中立な教師という立場をできるだけ逸脱しない範囲で。

 

「箕輪くんが欠席しているようですね。私に欠席の連絡は来ていませんが、彼から理由を聞いている人はいますか?」

 

 生徒の顔を見回すと、坂上はそう尋ねた。

 

「お前知ってるか?」

「知るわけないだろ」

「てか、本当に休みなのか」

「あの箕輪が?」

「……ずっと休んでればいいのに」

 

 ふたたび教室に雑然とした騒がしさが戻っていた。お互いに顔を見合わせ、口々に言葉を交わす生徒たちにはかなりの困惑と動揺が見られる。

 それは当然のことだった。箕輪は抗うことのできない理不尽な暴力を彼らに披露し、簡単には振り払えない恐怖と狂気を脳裏に刻みつけたのだから。

 

 周囲と同様に伊吹も内心では驚きを隠せない。坂上が話を始めてから数分遅れて姿を現すだろうと踏んでいたが、まだ来てない。アレが体調不良なんてありえないだろう。一体どういうつもりなのか。

 このCクラスの中でもっとも箕輪の事情に通じているであろう龍園に彼女はすぐさま目を向ける。同じことを考えていたのか、伊吹の視界の端に顔を後ろへ向ける石崎の姿が映っていた。それを皮切りにして、他の生徒たちの視線もいっせいに龍園に注がれる。室内がきゅうに静かになった。

 

 大勢の人間の目が集中すると圧迫感が生まれる。いくら鈍感な人間でも気づくそれに、龍園が気づかないわけがない。しかし、彼は頬杖をつきながら、机の上に置いた携帯端末を操作しているだけだった。しばらくしても、顔を上げる気配は見られない。

 彼の姿に周りは違和感とじれったさを感じていたが、それを表明することはできなかった。クラスの支配者である龍園に意見などすれば、どうなるか分かったものではないからだ。

 

 黙って見守っていた坂上はこのまま状況が変化することはないと判断し、欠席理由については後日、本人に直接確認をとろうかと考える。すると、突然、龍園が白い歯を出して笑った。

 

「どいつもこいつも物乞いみたいな視線を寄こしやがって。そんなに知りたきゃ、アイツの連絡先教えてやるぜ」

 

 見下すような笑みを浮かべ、顔を上げた龍園から視線を逸らすように生徒たちは顔をそむけた。坂上は彼の言葉から、欠席の事情を知らないと悟り、荷物をまとめる。

 

「では、ホームルームを終了します」

 

 そう告げると、足早に教室から出て行った。担任の坂上の姿が消えるやいなや、伊吹は龍園の席まで詰め寄る。

 

「龍園、あんた本当に──」

 

 言いかけた彼女の言葉が止まる。視界に龍園の携帯端末が入った。画面にはチャットが映っており、相手は箕輪だった。今日の欠席についてメッセージを送っていたが、返信はない。つまり、龍園も箕輪が休むことを本当に把握していなかったことになる。

 しかしながら、欠席理由がなんであれ、連絡の一つも寄こさないのは伊吹にとって不自然に思えた。疑問が彼女の中で膨らんでいく。それと同時に携帯端末を見ていた伊吹の頭の中であることが思い浮かんだ。

 

 位置情報サービスのことだ。

 

 連絡先を登録した相手の許可があれば、正確な位置情報がマーカーで表示される。箕輪が龍園に許可していたとして、連絡すらできないほど体調不良であるなら、マーカーは学生寮で表示されることになる。

 だが、寮で表示されたからといって、体調不良であることが確定するものではない。聞いてみる価値があるかは微妙なところだが、興味本位で伊吹はたずねる。

 

「あんた、箕輪の──」

 

「伊吹、さっさと席に戻れ」

 

 龍園の発した声にはクラスの支配者として命令することが当然といった、有無を言わさない貫禄があった。思わず動きが止まってしまった伊吹は自分自身に対し、じりじりとした怒りがこみ上げるが、それをおさえつける。

 だいたい、自分が思いついたことを龍園が考えていないはずがない。位置情報が許可されていたとすれば、おそらくは確認済みだろう。そう考えた伊吹は中断された言葉の続きを口にすることはなかった。しかし、素直に命令に従うことも癪なので、軽く舌打ちをする。彼女なりの抵抗感を示し、龍園の席から離れた。

 

 自分の席に戻った伊吹の表情は優れない。何か言い知れぬ不安を感じていた。Dクラスとの審議当日に警察沙汰、そして、原因不明の箕輪の欠席。これは偶然なのだろうか。何か関係があるのかと疑っても、関連性を見出すことはできそうもない。

 伊吹は軽く溜息をつき、眉間のあたりを指で触る。慣れない思考に注力するのを諦めた彼女はおとなしく授業の準備にとりかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──結局、力になれなかったなぁ

 

 なかば上の空で教科書を眺めながら一之瀬はDクラスについて考えていた。正確に言えば、Dクラスに所属する綾小路のことだ。

 同じBクラスである白波千尋から告白された件で、一之瀬は彼に借りがあった。綾小路自身はおそらく貸しだと思っていないだろうが、それでは彼女の気が済まない。だからこそ、Dクラスが困っている現在の状況で、問題解決の一助になればと──もちろん、Bクラスにもメリットがあるため──積極的に協力していたが、求めていたような成果を得ることはできなかった。Cクラスが仕掛けた罠は成功した時点で勝敗が決しているような巧妙なものであり、覆すには至らなかったのだ。

 無法な暴力と心理につけこむ狡猾な手段を平気で弄する、そんなクラスがBクラスのすぐ後ろにいることも一之瀬を憂鬱な気分にさせていた。学校生活はまだ序盤の段階であり、これから2年と半年以上もある。クラスの仲間を守りきれるだろうか。

 教科書に目を落としていた彼女は、ふぅ、と静かにため息を吐く。

 

「一之瀬、授業はすでに終わってるぞ」

 

 かたわらから声が投げられた。一之瀬が顔を上げると、そばには神崎が立っていた。彼はいくらか憂慮しているような表情を向けている。

 神崎から視線を外した一之瀬は周囲を見渡してみる。教壇には教師の姿は見えず、自分の席を離れて談笑する生徒たちもいた。いつの間にか授業と授業の間にある休み時間になっていたようだ。

 

「あはは、ちょっとだけ気が抜けてたみたい。でも、平気平気」

 

 椅子に座りながら腰に手を当て、背筋を伸ばし、胸を張る一之瀬。それでも、彼女を見ている神崎の目つきから心配している色はなくならなかった。

 

「……Dクラスのことか?」

 

 核心をつく彼の言葉に一之瀬は一瞬驚くものの、神崎の能力の高さは彼女だけでなくBクラスにおいても定評があり、Dクラスの事情についても詳しく知っているため、すぐに納得した。

 観念した一之瀬が口を開く。

 

「やっぱり、神崎くんにはわかっちゃうかぁ」

 

「たしかに、今回の件でDクラスに協力した立場として一定の無力を感じるのは当然だと思う。Dクラスとの契約でCクラスがアドバンテージを得るのもBクラスとしてはおもしろくない。だが、あくまでも他クラスのことだ。そこまで自責を感じる必要はないように思う」

 

 神崎の言葉は一之瀬の心情と少しだけズレていたが、白波の件を知らない彼には無理もないことだった。神崎が話を続ける。

 

「Cクラスが卑劣ということもあるが、そもそも罠にかかった原因はDクラスの団結力の無さにある。ひとりひとりがクラスの一員としての自覚を持てなかった結果、その綻びをCクラスによって狙い撃たれた」

 

 冷たい指摘だったが、おおむね正しいと言えるだろう。以前にBクラスもCクラスから、ちょっとした難癖をつけられていた。おそらく、Bクラスがどういう反応をするのか品定めしていたはず。場合によっては、Bクラスが標的になっていたかもしれない。

 

「だがな、一之瀬、それはDクラスだから通用したんだ」

 

 神崎は自信に満ちた表情をしていた。

 

「俺たちBクラスは違う。どのクラスよりも団結力がある。いくらCクラスが姑息な手段をとろうと揺らぐことはないはずだ。それに──」

 

 言葉を切った神崎はさりげなく視線を周囲へ配る。一之瀬も彼にならって見てみると、多くの生徒たちが話をしながらもチラチラとこちらの様子をうかがっていることに気づいた。どうやら、一之瀬が普段と違う様子であることを気にかけていたようだ。クラス一の人気者であり、中心人物である彼女を放っておけないのは道理だろう。

 

「みんなも心配している。油断は禁物だが、まだ戦いは始まったばかりだ。必要以上に相手を大きく見てしまうと勝てるものも勝てなくなる。適度に肩の力を抜くことも必要だ」

 

「……うん、そうだよね。ちょっと弱気になってたかも。ありがとう、神崎くん」

 

 神崎の言葉をひとつひとつ反芻するように何度か頷いていた一之瀬は自分の頬を両手でピシャリと叩く。そして、次の瞬間には快活な笑顔を見せていた。全身に生気がよみがえる。いつも通りの一之瀬帆波の姿がそこにはあった。

 唐突な彼女の行動に、自然体をよそおいながら観察していた周囲の生徒たちは少し驚く。が、元気を取り戻した様子の一之瀬に、どうやら神崎がうまくやったみたいだと一安心した。そして、各々が競うように席を立つと、一之瀬の席へ殺到し、笑みを浮かべながら口々に言葉を投げかける。

 一度に複数の人が話し出したので、一之瀬は対応できず、慌ててたしなめるものの、みんなの気持ちを嬉しく思っていた。

 

「みんな、心配かけてごめんね」

 

 一之瀬は改めて自覚する。Bクラス独自で学級委員を決めたときに、自分が委員長として支持されたという事実がどういうことなのか。安易に弱さをさらけ出してはいけないリーダーとしての役割を。

 この学校は普通ではない。おそらく、これから長く厳しい戦いが始まるだろう。それは、一之瀬が生徒会絡みの仕事で上級生の教室に顔を出したとき、クラスの人数が少なかったことからも明らかであった。

 

 けど──

 

 談笑しながら、一之瀬は周りを見回す。そこにはBクラスの頼もしい仲間たちの顔ぶれが揃っていた。能力で言えば、Aクラスにだって引けを取らない。そこへ他クラスにない団結力が加わるのだから、やれないはずがない。たった今、一之瀬はそう確信していた。

 しかしながら、彼女は気づかない。盛り上がる集団の外から、人だかりで姿が隠れている一之瀬をまるで見えているように捉えて離さない視線に。絡みつくようなドロリとした仄暗い視線に。

 

「大丈夫だよ、帆波ちゃん。わたしが助けてあげるからね」

 

 誰にも拾われることのない言葉は人知れず虚空に溶け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういや、今日だったっけ? 警察の騒ぎで完璧に忘れてたぜ」

 

 はぁ、とため息をつきながら、諦めたように机に突っ伏す山内。

 最後の授業も終わり、あとはホームルームを残すところとなったDクラスに解放感はない。なにしろ今から頭の痛い問題がやってくるのだから。

 山内のひとり言を最後に、沈黙に(とざ)されたまま誰も口を開こうとはしない。クラス中がお互いを意識しながら、息を殺している。その様子はまるで音を出せば、人食いの怪物にさらわれてしまうのではと思えるほどに緊張感があった。

 しばらくその状態が続き、痺れを切らした池は無造作に頭を掻くと机に手をついて立ち上がり、

 

「なぁ、どうすんだよ? このまま黙ってても(らち)があかないだろ。早いとこ、どうするか決めようぜ」

 

 みんなに呼びかけた。

 普段は三馬鹿と揶揄(やゆ)されているが、こういうときに口火を切ってくれる彼にDクラスの生徒たちは少なからずありがたみを感じていた。しかし、戸惑ったまま誰も話すことはない。池の次に発言するということは、賛成であろうが、反対であろうが、何かしらの意見を表明することになる。つまり、どちらかの立場で矢面に立つ可能性が高い。クラスのほとんどがそんな面倒を被るのはごめんだという気持ちだった。

 

「俺はCクラスの条件受け入れに反対だ。メリットがなさすぎる」

 

 停滞していた空気を破ったのは幸村輝彦(ゆきむら てるひこ)だ。眼鏡をかけた彼はDクラスの中にあっても、文句のつけようがないほどに高い学力を有している。

 幸村は話を続ける。

 

「条件を受け入れれば、卒業するまで毎月得られるポイントの40%をCクラスに取られるだけだ。この先、クラス間での競争において、それは大きなハンデにしかならない。今回はクラスポイントを諦めて、次に備えるのが当然だろ。幸いと言っていいのか、Dクラスが得られるポイントは少ないからな。今後で挽回すればいい」

 

 強い口調で言い切った幸村の言葉尻には賛成派を馬鹿にするような調子があった。

 言外に馬鹿扱いされていることに気づいた賛成派筆頭の篠原は聞き流すことができなかったようで、幸村のほうへ顔を向ける。

 

「幸村くんはさぁ、須藤くんがかわいそうだとは思わないわけ?」

 

「かわいそう? 理解不能だ。今回の件はそもそも須藤の自業自得だろ。それに──」

 

 幸村は嘲笑するようにふんと鼻をならす。

 

「本当にそう思ってるなら、須藤に声の一つや二つかけてやるもんじゃないのか? 俺が見た限りでは平田に櫛田、堀北だけだったぞ。他のヤツは腫れ物として遠ざけてただけだ」

 

「あー、そっかぁ。幸村くんは勉強ばっかりしてるからわからないんだ。人にはそっとしてもらいたい時があるんだよ。声をかけることだけが優しさじゃないから。ひとつ学べてよかったね、幸村くん」

 

 篠原の挑発的な物言いに嫌悪を覚える幸村。不愉快さをたたえた彼はゆっくりと席を立った。

 

「もし、本当にそう思ってたとしても、感情論であることに変わりはない。条件を受け入れた結果、Dクラスが負ってしまうハンデの大きさを理解してるのか? いや、理解できる頭があれば、そもそも感情論で話さないか 」

 

 幸村は対抗するように煽り返した。篠原も席を立つ。

 

「ちょっと勉強できるからって何様なわけ? 自分が特別だとでも勘違いしてるの? おあいにくさま、同じDクラスだから。現実見ようよ」

 

「……これだからポンコツは困る。すぐに議論から脱線しようとするからな」

 

「学力だけで人を判断するような幸村くんにポンコツって言われたくないなぁ」

 

「そういうセリフは勉強をしてから言わないと言い訳にしか聞こえないぞ」

 

「うわぁ、マジでドン引き。友達が一人もできない理由がわかったっていうか。かわいそ」

 

「何だと?」

 

「何よ?」

 

 二人の間で行われる話し合いは過熱していき、言い合い合戦の様相を呈していた。誰も止めなければ、このままずっと続くのではないかと思わせるほどに譲り合う気配は微塵もない。彼らには仲裁が必要だった。そして、その役回りは池にあった。二人の争いを眺めていた彼は気が重たいながらも、話に割って入る。

 

「まぁまぁ、二人とも、いったん落ち着こうぜ」

 

 席を立った池はどうどうと(なだ)めるような仕草をした。その身振りにカチンときた篠原は矛先を池へと変える。

 

「ぶっちぎりの性犯罪者予備軍のくせに常識人ぶるのやめてくんない? すっごいムカつくから」

 

 篠原の言葉に池の表情が固まる。そして、次の瞬間──

 

「誰が性犯罪者予備軍だっ。お前みたいなブスに興味ねぇよ! 」

 

 池も参戦。

 そして、ブスという彼の暴言に反応した女子たちが篠原を援護するために次々と口を開き、容赦のない言葉を浴びせ、ついには平田をのぞく男子全体を否定し始めた。黙っていられなくなった男子たちも応戦する。

 もはや、賛成派、反対派に分かれての議論ではなく、男女にわかれて日頃の不満をぶつけ合う場へと変わっていた。

 

 目の前の騒がしさによって、読書に集中できなくなった堀北は本を閉じると隣に目を向ける。

 

「あなたは参加しないのかしら、綾小路くん?」

 

 時間を空費するようにぼんやりと前を向いていた綾小路はそのままの姿勢で返答する。

 

「雑兵がひとり増えたところで戦況に変化はないだろ。流れ弾に当たりたくないしな」

 

「相変わらずあなたらしい卑小な考え方ね。ところで」

 

 話を切った堀北は平田を見る。ここまでクラスが荒れていても介入する素振りが彼から見られない。堀北は不自然に思っていた。

 

「あなたは平田くんの様子をどう思ってるの? 彼、昨日から様子が──」

 

「堀北」

 

 綾小路が話を遮った。途中で口を挟まれた堀北はむッと眉をひそめたが、「なにかしら?」と問い返す。

 

「確認するが、お前はAクラスを目指すんだよな?」

 

「ええ、そのつもりよ」

 

「なら、この統率のとれていないDクラスをお前がまとめないといけないのは理解してるのか?」

 

「最大限の努力はする。でも、限度があるわ。須藤くんのように中間テストで改心したと思えば、またすぐに問題を起こす生徒がいるもの。そんな努力は不毛でしょ? 最悪、私ひとりでどうにかするわ」

 

 何の根拠もなく息まいている堀北を見る綾小路。彼の瞳には路上で行われている芸事に気まぐれな視線を向けるのと同じくらいの冷たさがあった。

 

「すごい自信だな。Cクラスの罠に対応できなかったとは思えないほどだ」

 

「ッ、それは……」

 

 反論するために口を開く堀北だったが、言葉が続かない。綾小路が指摘していることは正しかった。自分の能力を過信しているのか、彼女はやる気だけが先行している。

 

「いいか、堀北。お前はまず自分の立ち位置を把握したほうがいい。はっきり言ってDクラスの中でお前に良い印象を持っているヤツは須藤くらいだ。もっとも、その須藤も今はどう思ってるかわからない。Dクラスのリーダーとして機能する最低限の人望すらない状態だ」

 

 立て続けに辛辣(しんらつ)な言葉を放つ綾小路に、いよいよ堀北は我慢できなくなった。

 

「……さっきから、随分と偉そうに言ってくれるわね。そういうあなたはどうなのかしら? 人を諭すほどのものがあるの?」

 

「俺は別にAクラスを目指すつもりはない。ただの一時的な協力者だ。そもそも、お前とは立場が違う。それに、ただ事実を言ってるだけだろ? 間違っていると思うなら、指摘してくれ」

 

 綾小路の言葉に、またもや口を閉ざす堀北。感情的に怒鳴り散らさないだけ、事実を受け入れる度量はあるようだった。

 綾小路が話を続ける。

 

「まぁ、俺が言いたいのは、お前がAクラスを目指すなら、Dクラスの生徒から信用を勝ち取る機会を無駄にせず、上手くやれってことだ。臨機応変にな」

 

 その言葉を最後に綾小路は再びぼんやりと前を向いた。話をする気配はない。

 結局、何がしたかったのかいまいち理解できない堀北は不審そうに綾小路を見つめるが、彼が反応を示すことはなかった。

 

 ──ガラガラッ

 

 大きな音を立てて教室の扉が引かれる。同時にDクラスで巻き起こっていた喧噪もピタリと止まった。

 部屋に踏み入った担任の茶柱は呆れた表情を隠すこともなく、生徒たちに向けていた。

 

「随分と大きな声で騒いでいたようだな。防音性があるはずの教室から騒がしさが外にまで届いていたぞ」

 

 教壇に上がりながら、茶柱が話す。立ち上がっていた生徒たちは罰が悪そうに静々と着席していた。教卓に着いた茶柱は生徒たちの顔を見回す。

 

「まったく。最近は見違えるほど頑張っているかと思えば、このありさまなのだから、ほとほと評価しづらいクラスだ。まぁ、言い換えれば面白いとも言えるのか」

 

 若干ではあるが、いつもよりも機嫌が良さそうに見える茶柱。これからDクラスに少なくない損失を与えるCクラスとの審議が控えているというのにどういうことなのか。生徒たちは不思議そうな顔をしていた。

 

「お前たちに朗報だ。さきほど、訴えていたCクラスの生徒たちから今回の件が取り下げられた。つまり、滞りなくクラスポイントが加算される」

 

 ──え? 

 

 誰とも知らない間の抜けた声が上がる。茶柱の言葉に理解が追いつかないDクラス。ぽかんと口を開けたまま呆けている姿が数人に見られた。

 笑みを深めた茶柱は話を続ける。

 

「何をしたのかは知らんが、お前たちの反応を見るに一部の人間が行動を起こしたようだな」

 

 茶柱の視線が綾小路をとらえる。が、それは一瞬だけで、すぐに正面を向いた。

 

「いずれにしても、お前たちにとっては望ましい結果でなによりだ。今日のホームルームは以上で終了とする。あまり騒がしくするなよ」

 

 そう忠告して締めくくった茶柱はゆうゆうと教室を出て行った。脱力したような沈黙がDクラスを支配する。

 

「俺たち勝ったってことだよな?」

 

 切り込み隊長の池がポツリとつぶやく。それを契機に生徒たちはお互いに顔を見合わせながら声をあげる

 

「卒業までプライベートポイントがとられることはなくなったってことか」

「ゼロポイント生活ともおさらばになる」

「なんか知らねーけど、やったぜ!」

「これで欲しかったもの買えるね!」

「よっしゃー!」

「ざまぁみろ、Cクラス」

「これが俺たちの底力だ」

 

 Dクラスに再び騒がしさが舞い戻る。しかし、さきほどとは違って喜びの様子を見せていた。不思議がったり、感心したりと忙しそうに表情を変えている。

 

「……どういうこと?」

 

 すでに審議のことを考えていた堀北は突然の知らせに戸惑いを隠せない。いったい、何が起こったのか。疑問をくすぶらせる彼女は素直に喜べない。眉をひそめて考え込んでいた。しかし、事態はそんな彼女に追いうちをかけるように動く。

 

 今まで動きを見せていなかった平田が立ち上がった。歩き出した彼は教卓に到着すると、すぐさま話を切り出す。

 

「みんな、話を聞いてもらってもいいかな? 大事なことなんだ」

 

 相手にお願いするような形で平田は呼びかけるが、その声は力強く、自然とクラス中が話を聞く態勢になっていた。

 

「詳しいことはあとで説明するけど、まずはじめに、僕はCクラスが訴えを取り下げることを事前に知っていた。そのことについて、みんなに謝罪したい」

 

 平田はクラス全員に対して頭を下げた。状況を理解できないクラス一同は言葉を失っている。しばらくして顔を上げた平田はふたたび口を開いた。

 

「そして、今回、Cクラスの脅威を退けてくれたのは──堀北さんだ

 

 平田の言葉にどよめきが走った。クラス中の視線が堀北へ一斉に集まる。その視線には驚きや疑問、感動といった感情が入り乱れていた。

 身に覚えがない話と不躾な視線にさらされ、今までに経験したことのないような不快感に襲われる堀北。訴えが取り下げられた理由も見当がついていないのに、現在の状況が駄目押しのように頭の中をぐちゃぐちゃにしていく。彼女は必死に頭を回転させるが、散らかった情報が収拾することはなさそうだ。

 表面上は冷静さを保っているものの、気を抜くと焦りが表情にでてしまいそうな堀北は何を思ったのか、ふと隣に目をやる。そこには観察するような瞳をすえる綾小路がいた。

 

 その瞬間、堀北の脳裏にさきほどの綾小路との会話が思い出される。

 

 そして、理解した。この状況を作り出したのは何食わぬ顔をしているこの男であると。臨機応変にこの事態に対応して、クラスの信用をつかみとれ、そう言っていたのだと。

 しかし、言うほど簡単な状況ではない。少しでも解決方法について追及されれば、事情を知らない堀北ではすぐにボロが出てしまう。かと言って、単純にだんまりを決め込めば、みんなは納得しないうえに、心象は良くない。

 

 ──いったい、あなたは何をやったの。綾小路くん

 

 声にできない叫びが堀北の胸中を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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