冬ともなれば朝は寒いものだ。夜の間に冷え込み、その冷気が朝にも残っている。地域によっては、日が昇っていようと関係ない。
幸いにも冬木市は豪雪地帯ではない。雪かきの必要もない。とはいえ冬は寒い季節だ。寒さが苦手な大和も、週末となれば布団から出るのも億劫に感じる。モルガンが来てからは改善されているが、それでも布団から出るのに気合を入れていた。
「起きましたかヤマト」
「もるがんはいつもはやおきだな」
「眠そうですね」
「なんか、あたまがぼんやりする。かいみんだったんだけどな」
なんでだろうなと、眠たげに首を傾げる大和にモルガンは「そういう日もあるでしょう」と返す。心当たりが大いにあるのだが、原因が自分だと分かっていても、後遺症が残る類ではないとも分かっているから有耶無耶にした。モルガン自身は無自覚だが、それを言うことに躊躇いがあるようだ。
「ちょっとまってな」
「はい」
「ん~~! よしっと!」
グッと体を伸ばすのと同時に、自分の魔術回路に魔力を走らせた。魔術回路は魔術師にとって神経も同然。そこに魔力を走らせると、電気が走る感覚に似ている。それで大和は、強引に眠気を飛ばして意識をはっきりとさせた。
「ヤマト。貴方は私の
「そうだな。どうした急に」
「逆に言えば、私は貴方の妻です」
「説明は抜きなのか」
「私たちの子どもができました」
「…………………ん?」
だらだらと冷や汗を流しながら大和は記憶を掘り返し始める。モルガンとの夫婦関係は便宜上のはずだ。彼女がマスターのことを夫と呼ぶから、そういう関係と言うことに納得している。
だが断じて手を出していない。彼女で卒業した覚えはないし、彼女の操をもらった覚えもない。それは分かりきっていること。それなのに汗が止まらないのは、衛宮家でのクリスマスパーティー以降の記憶がないから。しかも今日は妙に頭が重い。
(…………え? いやいやいやいや……まじで?)
覚えていない。どうやって帰宅したのかも。いつ寝たのかも。このダルさの理由も分からない。
「ヤマト?」
「ひゃい!」
「……どうされたのですか? それだけ汗も流して。風邪ですか?」
「風邪……ではないぞ。うん。……え、確認させてほしいモルガン」
「? はい」
頭の中はまだぐちゃぐちゃ。何も整理できない。けれどいくら考えたって真相は不明。これは彼女に聞くしかない。なにせサーヴァントは体調を崩さない。毒とかは話が別だが、風邪はひかない。食事も睡眠も、極論無くていい。それがサーヴァントだ。
ならば、モルガンは絶対に覚えているはずだ。昨晩のことを。
「昨日の夜さ。先輩の家から帰ってから、何かした?」
何個か言葉が抜けている気もしなくはないが、支離滅裂なことは言っていない。文章として成り立っている。
モルガンはその内容に目をぱちくりさせ、
「……っ」
口元を隠して頬を染めながら視線を逸した。
(……まじ、なのか……?)
大和はベッドに背中から倒れて、天井を見つめた。何1つ覚えていないし、身に覚えがないことだ。何もなかったと信じたい。
それなのにモルガンの反応はどうだ。大和と違って昨晩のことを覚えているはずの彼女が、これまで1ミリも見せたことのない反応をしている。普段の凛々しい様子からは想像もできない反応で、大変かわいらしい姿なのだが、そう思えるほど大和は落ち着いていなかった。混乱の渦に揉まれている。
「あの、ヤマト……」
「ごめんモルガン!」
「へ!?」
大和なら、この胸の内にある「何か」が分かるだろうか。それを聞こうと思ったモルガンを、しかし大和が勢い良く起き上がって抱き締めた。急な展開にモルガンも困惑し、すっぽりと彼の腕の中にいる。身じろぎできず、視線はあちこちに飛ぶ。
思ってたより力が強いんだなとか、ほどほどに硬さのある体なんだなとか、彼の匂いがするなとか、これ結構好きかもとか。いろんなことが同時に頭の中で踊り狂っている。
「やっちゃったのに全く覚えてないとか無責任なクズでごめん」
「い、いえヤマトは、そんなことないです」
「おれ、頼りない奴だと思うけど。できること少ないけど、でも必ず君を幸せにしてみせるから」
「ぇ……」
「約束させてほしい」
背中に回された腕が、さらにぎゅっと力を込められた。苦しくない力加減なのに、胸が苦しい。何か言おうとしても、何もうまく発せられない。胸がいっぱいなのだ。
それでも、何か返したい。それに答えたい。
言葉にできないのなら、何か行動で──
「お母様私の着替えは~?」
──その声にモルガンと大和は体をビクッと跳ね上げて、反発する磁石の如く離れた。
モルガンは
「あ? 何見てんだよ」
「ヤマト。この子が私たちの娘の……ヤマト?」
バスタオル1枚で体を隠した少女が、娘なのだという。ピンクに近い赤い髪。恵まれた容姿。そして口の悪さ。
「そうはならんやろ……」
「何がだよ」
一晩のうちに娘がここまで成長していました。という信じ難い現実に大和の頭はキャパオーバー。脳は処理を諦めてシャットダウンするのだった。
意識を取り戻した大和は、ぼんやりと今の状態を把握する。寝ている状態だ。体が横になっている。首は少し高い位置だ。枕にしているものはとても柔らかい。こんな枕は知らないし、そんなクッションもなかったはず。
「意識が戻りましたかヤマト」
「何してるんですかねモルガンさん」
「ヤマトの意識を失わせた責任を取っています」
「ベッドでもよかったのでは?」
「? 並んで横になっている方がよかったですか?」
「そういうことではなく! 膝枕の必要はないよなってこと!」
「どこか問題が?」
「恥ずかしい」
正直に言って、大和は横に転がってモルガンの膝から離脱。ちょっと名残惜しいなとか思ったりしたが、頭を振ってその邪心を追い払った。
「そういえば、娘の幻覚を見た気がしたんだけど」
「誰が幻覚だ」
「ん? ……あれ?」
「お母様はなんでこんな奴を?」
「ヤマトが
自分の物言いに、胸中で靄が広がる。
「……お母様が認めてるなら。でも私はお前をお父様なんて呼ばないから!」
「なんだろうこの、再婚相手に子供がいたみたいな状況」
「仮にお母様に相手がいたとして、別れるなんてことがあったらそいつの目が腐ってるだけだからな」
「わかる。おれだったら手放さない」
「あは。案外分かってんじゃん」
モルガンを最大限に評価している2人は、通じるものがあったらしい。もっとも、まだ互いにその一面しか知らないだけだから、とも言えるが。
その話題に少し照れたモルガンは、咳払いをして誤魔化し、話の主導権を握った。自身の娘の説明がまだろくに行われていないからだ。
「この子には、妖精騎士トリスタンの名をギフトしています」
「じゃあトリスタンって呼べばいいのか?」
「いえ、その名は少々……」
「だよな。なんて呼べばいい?」
「スピネル。隠す必要があるなら、こっちの名前」
「なるほど。なんでうちにいるのかは分からんけど、よろしくなスピネル」
大和が手を差し出し、少女はその手とモルガンの顔を往復した。モルガンがこくりと頷いたため、少女は渋々といった様子で大和の手を握った。
(こいつ、なんも疑わねぇのな)
モルガンがいるから。彼女の娘だと言うのなら、初対面だろうと信用できると思っているのだろう。警戒なんて一切しないし、何も仕掛ける様子がない。それをバカだとは思うけれど、悪い印象は抱かなった。
「(この子の真名はバーヴァン・シーですが、少なくとも外でその名は呼ばないようにお願いします。ギフトを剥がさせるわけにはいかないので)」
「(わかった。おれはそのままスピネルって呼び続ける。それでいいだろ?)」
「(はい)」
「お母様の
「おれもこの年齢で父親とは呼ばれたくないしな」
「え……」
「お母様?」
戸惑いの声を上げたモルガンにスピネルは首を傾げた。どこか問題があっただろうかと。それは大和も同様で、2人の視線がモルガンに集まる。
当の本人は絶賛大いに迷っている最中である。葛藤中である。なにせ相手が愛する娘なのだ。その娘相手に、大和のことを名前で呼ぶなとは言いづらい。その理由を聞かれたとしても、答えづらいものだ。
けれども、たとえ愛娘が相手だとしても、呼んでほしくないという思いがあるのも事実。いったいどうすればいいのか、モルガンは表情を無にして脳内会議を繰り広げている。
(ファミリーネームで呼ばせれば……。ですがそれだと2人の間に距離を感じる。でも名前で呼ばせるのは……かと言ってマスターと呼ばせるのも……)
脳内会議は白熱し、議論に議論を重ね、その末に1つの結論にたどり着いた。この間僅かに2秒。
「いや、なんでもない。好きにするといい」
「じゃあヤマトって呼ぶわね」
ぴくりと頬が動く。自身の手を強く握った。
そうなる自分にも、どこか嫌気が差していた。娘相手に、そう思ってしまう自分に。
「そういやその服モルガンのだよな?」
「そうなの! お母様が着させてくれて。どう?」
「綺麗だけど、……ちょっと違う気もするな」
「は?」
「スピネルは綺麗だぞ」
ストレートな物言いに、少女は髪を指先でくるくる回す。大和がお世辞で言ったわけでもないから、照れくさいのだ。
「でも服はモルガンのやつだから、スピネルにはスピネルに合う服があると思うんだ」
「ふん。それがあればの話だけど」
「だから探しに行こうぜ。3人で」
「お母様と!?」
「今おれ弾いたな?」
大和のツッコミは無視して、スピネルはモルガンの様子を窺った。本当に一緒に行けるのだろうかと。期待と不安を混ぜ合わせた目で見つめた。
モルガンの答えは決まっている。返答はすぐだった。
「構わん。それぐらい付き合える程度に、こちらでは争うことがない」
「やった!! お母様いつ行く? 今からとかどう?」
「そう急くなスピネル。ヤマトの朝食が終わってからだ」
「早く食え!」
「わかりやすい関係だな」
この2人の関係は良好だ。スピネルはモルガンのことが大好きだし、モルガンもスピネルのことが大好き。実にわかりやすい。
それなのに、大和には引っかかるものがあった。それはモルガンの口調だ。大和と話す時と、スピネルと話す時で全く異なる。スピネルが相手の方が、固い口調なのだ。
「(なんでスピネルにはその口調なの?)」
それを大和はモルガンに単刀直入に聞いた。聞かれるとは思っていたのか、モルガンは驚くことなく大和に視線を向けた。
「(どう接したらいいのかわからなくて……)」
「(不器用か)」
けれどもそれは仕方のないことだ。異聞帯でのモルガンの苦悩と、その末に生まれた妖精騎士トリスタン。その経緯と関係、そして周囲の環境。それらを考えれば、モルガンの口調が固いものになるのは必然だ。
許す気も救う気もなく、信用ならない妖精たちが周囲にいたのだから。そしてそれは、バーヴァン・シーを護るための措置でもあった。
「(肩の力を抜けばいいよ。こっちに妖精たちはいないんだし、おれもフォローするから)」
「(……はい)」
わかりやすく良好で、わかりにくく不器用な親子関係。それが大和から見たこの親子の関係なのだった。