夢のような時間だと、本気でそう思った。だって、お母様と一緒に買い物ができるのだから。
ずっと職務をしていて、ずっとあの玉座にいて、ずっとつまらないあの妖精たちを支配していたお母様。私を娘として引き取ってくれて、お母様しか使えなかった魔術を私に教えてくれた。妖精騎士トリスタンを
そのお母様を、どうやったら喜ばせることができるのか分からない。私にとっての『楽しいこと』は、お母様に褒めてもらえること。認めてもらえること。その手段は、残虐と言われるような行い。ここの倫理観ってやつで言えば『悪いこと』。
それをしたら、お母様は褒めてくれた。それをうまくできなかったら、お母様を落胆させてた。
だからきっと、それ以外のことに楽しみを見出すのは、お母様を困らせること。認めてもらえないこと。そう思ってたから、どっちの手段も取ることにした。
残虐なことも、私の楽しみも。
靴の研究のために、クソ妖精どもの足を切り飛ばしたりしてた。部屋に持って帰って、並べて、一流の靴ってやつを追い求める。それが私のもう1つの『楽しいこと』。目標。……夢ってやつ。私だけの、理想の一足。
『こちらでは無闇に人を傷つけることを禁じる』
ヤマトが私を見て意識をふっ飛ばしてる間──大変失礼なことだったけどお母様が膝枕するから何もできなかった──そんなことを言われた。訳がわからなかった。だって、お母様はこれまで「そうしろ」と言ってきたのに。
でも時間が経てばそれを理解できた。ヤマトが戦闘が起きることを避けてるって、ヤマトと話してて分かったから。それなら仕方ない。お母様の決定でもあるし、従う。
残された私の『楽しいこと』は、靴のことだけになった。勉強して、研究して、理想の一足を作る。そのための努力だけが、『楽しいこと』。
それを、その時間をお母様と共有できる。その事に、何とも言い表せない気持ちが浮き上がってた。
『靴って本当にいろんなのあるわね。ドレス用じゃないのにヒールがあるやつもある』
『同じ形でもデザインが異なる。細かな需要に合わせているのか』
『あ、お母様その靴はね──』
与えられている現代の知識に、靴のことなんてない。そんな細かなところまでは補完されないし、してほしいとも思わない。だって、それは私の努力じゃない。私の力じゃない。
これだけは譲れない。譲らない。私は、私の夢のために自分で進んでいくんだ。
だから、自分が持っている知識。それを使っての解釈、分析。そして考察。それらで、お母様に靴のことを教えてあげる。間違ってたら嫌だけど、間違えない自信がある。
『お母様もヒールのある靴なんてどうかしら?』
『それも悪くない。が、服の系統に合わせたい』
『それもそうね』
手に持っていた見ていた靴を棚に戻して、お母様と移動。そうやって少しずつ店を回っていたら、お母様が興味を示す靴があった。
それは私にとって意外なことで、お母様がその靴を手に取るのを静かに見てた。何か聞かれたら、頑張って答えよう。お母様のために私ができることを、頑張ろう。
『この靴なら──』
『っ!!』
息を呑んだ。見えているものが、どんどん遠くなっていく感覚に陥った。
ねぇ、なんで。
なんでなのお母様。
どうしてお母様は──!!
□□□
モルガンからの連絡を受けた大和は、やることをすぐさま済ませて館内を走っていた。途中でここのパンフレットを取るのも忘れずに、人の間を縫うように、可能な限り急いで走った。
走ることは向いていない。運動が苦手なわけではないが、体育会系というわけでもない。だから人とぶつかりかけるのも何度かあった。それでも足を止めず、緩めずにひた走り、店に着いた時には肩で息をしていた。
「ヤマト……!」
大きく肩を上下している大和にモルガンが駆け寄る。眉間に眉を寄せていて、これまで見たことがないほどに弱々しく感じられる。彼女の弱点は、やはりスピネルなのだ。そうなるほどに、氷のようだと思わせる彼女が愛する娘が、あの妖精だ。
「私としたことが……。こちらでは合わせ鏡をまだ渡していません。これでは呼び戻すこともできませんし、どうすれば……!」
「落ち着こうトネリコ。状況をおれにも掴ませてくれ」
「……そう、ですね。見苦しいところをお見せしました」
「全然。それだけスピネルのことが大切なんだろ?」
「はい」
深呼吸して焦る気持ちを抑え込んだモルガンが、大和に経緯を説明する。一緒に靴を見ていたのだが、目を離した途端にいなくなったのだと。
「子どもじゃないんだから……」
「私たちの娘ですよ」
「そういう意味ではなく。……トネリコがそうなるくらいに、気になる靴があったのか?」
「それは……はい。そうです」
彼女が唯一手に取って靴を見ていたのは、スピネルがいなくなる直前。たった一足を見ていただけで、その一瞬で、スピネルはトネリコに気づかれることなく姿を消したようだ。
「一瞬どころか、結構それを見てたわよ彼女」
「へ? うわぉ、キャスターさん。なんでここに? ストーカーですか?」
「違うわよ失礼ね! 宗一郎様と来てたのよ」
「その葛木先生はどこに?」
「呼んだか京坂」
「うわ!? 急に後ろから話しかけないでくださいよ! まったく気づけなかったし!」
「済まない。癖でな」
「癖で気配殺さないでくれます?」
そんなことができる時点で、まったくもって一般人ではないのだが。常人からかけ離れているのだが、残念ながらこの葛木宗一郎のカテゴリーは一般人である。そして高校の先生である。
葛木は表情が微動だにしない。喜怒哀楽が消えてるのではと生徒間で言われるし、欲をすべて切り捨てた超人だとか言われたりしている。新入生から怖がられるのは、毎年の恒例行事でもある。とはいえ誠実な人間として、上級生からは慕われている。あるいは、慣れた生徒がそうなるのか。
「その者と共にいた少女なら、あちら側に走っていったぞ」
わざわざ店の外にまで出た葛木が方向を指差す。どうやらどっちに行ったのかを見てくれていたらしい。追いかけなかったのは、見知らぬ人間に追いかけられるという状況を作り出さないためだ。常識もしっかりと持ち合わせている。
「もしまた見かけることがあれば、その時に連絡しよう」
「ありがとうございます葛木先生! 行こうトネリコ」
モルガンの手を取って駆け出す。館内は走るなと背後から葛木に釘を刺され、大和は走るのをやめて競歩へ。少しでも早く移動しようとし、モルガンは競歩に慣れていないかと思い至ってペースをさらに落とす。
「方向はわかっても場所まではな……。せめてこの館内にいてくれたらいいんだけど」
「……おそらくは中にいると思います。あの子は日の光が苦手ですから」
「まじで? うーん、連れ出したのはまずかったか」
「避けるほどではありませんから、そこまで気にしないでください。それに、人間の活動は日中が大半なのですから」
「そうなんだよなー。その辺も、あとで本人に聞いてみるかな」
手を引きながら歩く大和の背をぼんやり眺める。出会って間もないスピネルのために、こうやって率先して行動できる彼の背を。
「なぜ」
「ん?」
「なぜヤマトはそう動けるのですか? スピネルとは会ってまだ数時間ですよ」
「それ関係ある?」
「え……?」
どうしてそんなことを言うのだろうと、不思議そうにする大和にモルガンは面食らった。
「時間なんて関係ない。一緒にいた奴がいなくなったから探すんだ。それに、おれたちの娘だからな」
「……ヤマト……」
そこに損得なんてない。利害だって関係ない。そっちのほうが良さそうなんて考えもない。
そうしようと決めたからそうしている。大和は今、それだけの理由で動いていた。
それはモルガンだってそうするだろう。いや、モルガンの方が強い気持ちでそうする。スピネルが相手なら、娘が相手なら、結果がマイナスに作用するのだとしても、絶対に見捨てない。
「スピネルってどんな子なんだ? 当たり前だけどおれは全然知らないからさ。トネリコの口から、それを教えてほしい」
歩くことはやめず、スピネルの捜索を続けながら、大和はそれを今聞くことにした。本人と話して、本人の人柄を知ることも大切だろう。それでも、他者からの視点だって重要だ。
何よりも、スピネルが最も好意的であるモルガンの視点。彼女から視えるスピネルという存在。その見え方は知らないといけない。家主としても。目的のためにも。
「(……真名は言いましたね。バーヴァン・シーだと)」
念話だ。異聞帯出身の少女の話をするのだから、それは必要な措置だ。
「(うん。名前だけじゃまったく分からんが)」
「(汎人類史のバーヴァン・シーは知らなくても構いません。ノイズとなるかもしれませんから)」
異聞帯は当然ながら別の世界だ。そっちのことを純粋に飲み込みたいのなら、それに類似するこっちの情報を持っていないほうがいいかもしれない。
「(精霊は人間と違って繁殖しません。性行為など無用です)」
「(じゃあ数が少ないのか?)」
「(そういうわけでもありませんが、その辺りの説明は省きます)」
長くなるし、スピネルの捜索に関係しないから。
「(妖精は死しても、次代へと生まれ変わります)」
「(……はぁ?)」
「(そういうものだと受け入れてください)」
「(了解)」
メカニズムを抜きに、とりあえずその概要をそのまま受け入れる。
「(生まれ変わると言っても、限度はあるのです。魂がすり減れば、その代での死が正真正銘の死です。消えます)」
そこでようやく、人と同じラインの死らしい。
「(スピネル……バーヴァン・シーは、ずっと他の妖精たちの慰み者でした)」
「(慰み者?)」
「(他の妖精が笑えば嬉しいと感じる。
そこに怒気が込められているのは明白だった。モルガンにとって、許せないことだった。相手がスピネルもとい、バーヴァン・シーだから。
「(何をされてもです。焼かれようと手足を斬られようと騙されようと、道具として扱われ、壊れたからと言ってごみ同然に捨てられても。それでも妖精が笑うのなら嬉しいことだと。そう考えてしまう子なのです)」
騙されやすいどころではない。チョロいとは大和も感じていたが、これほどとは思わなかった。モルガンが取り乱すのも頷ける。
「(だから私は、あの子にギフトを贈ったのです。トリスタンの名を付け、『反転』させた。そうしないと、あの子を他の妖精に容赦をしない性格にしないと守れないから)」
「(それで今の性格か)」
「(はい。バーヴァン・シーに次はありません。最後なのです。けれど私はあの子に生きてほしい。最後の一度でいいから、あの子が幸福に生きる姿を見ていたい)」
そのために、残忍な性格にさせた。非道にさせた。そうしないとバーヴァン・シーが生きられないから。
それを間違いだとは思わない。それ以外ないと確信して選んだ。妖精たちを許す気などないから。バーヴァン・シーのためなら、他がどうなろうと構わないと思った。
大和と繋いでいる手を強く掴む。取りこぼしてしまったものを追いかけるように。
その手の力を感じながら、大和は思った。良い悪いで語れるものではないなと。妖精は気まぐれで残忍だと聞いている。ならば、バーヴァン・シーにそうする妖精たちも、そうだったのだろう。仕方のないことだとは言いたくない。けれど、そういうものだったと言うしかない。
その上で、大和は1つのことを確信した。
モルガンの手を握り返し、彼女に微笑む。
「そうなるように、おれも頑張るよ。スピネルを見つけて、連れて帰って、3人で笑っていられるように。スピネルの幸せが、トネリコの幸せでもあるみたいだしな」
だからさ、と繋げる。モルガンが話す前に。
「もっと正直になれよ。スピネルに打ち明ければいいんだ。どれだけ好きなのかを。どれだけ愛してるのかって。こっちに妖精なんていない。警戒する相手なんていない。なら、話せるだろ?」
「それは…………そう、なのですが……。恥ずかしい」
「かわいいかよ」
反射的に出てしまった言葉に大和が気づくのは、モルガンが頬を赤くしてそっぽを向くのと同時だった。
変に気まずい空気が流れ、それを打破する話題を大和は探す。何かないかと右へ左へ視線を泳がせ、視界に映ったもので浮かんだ話題を使うことに。
「そ、そうだトネリコ。結局どんな靴が気になったんだ? キャスターさんとトネリコの話の食い違い的に、だいぶ夢中だったみたいだけど」
横目にちらりと様子を見ながら言うと、靴の話題でモルガンがビクリと肩を震わせた。何かまずかっただろうかと大和は首を傾げる。
口を開こうとしては閉じて、やがてモルガンは口元を手で隠してまたそっぽを向いた。今度は耳まで赤くなった彼女から、か細い声が発せられる。
「……言えるわけないじゃないですか。ヤマトのばか」
異聞帯のモルガンにとっての幸せは、バーヴァン・シーの幸せも含まれている。それが私の解釈です。