週が明ければ当然平日。平日とは、ほぼすべての人間が出勤だったり通学したりする日だ。当然ながら、大和も例外ではない。今年の春から高校生になった少年は、制服の袖に腕を通して着替えを済ませた。彼の通う学校は学ランタイプ。冬服には、黒ではなく茶色の制服が採用されている。
「ヤマトの正装ですか」
「正装というか制服だけど……、制服も一応正装になるんだっけ。あれ? どうだっけ?」
冠婚葬祭儀式等。制服での参列が可能なことを考えると、正装の1つではある。
「どちらへ?」
「学校。……話してなかったな」
「学校ですか。知識としては与えられています。同年代の者たちを箱庭に集め、つまらぬものを詰め込む場でしたね」
「聖杯ってもしかして学校嫌いなのか?」
「アレに好き嫌いなどないでしょう」
「それもそうか。え、じゃあ偏見で語った?」
「分析した結果ですよ。詰め込むだけで賢くなったと錯覚する。無駄に時間を浪費しているに過ぎません」
「授業の受け方次第で改善されたりは?」
「無駄から非効率的にランクアップします」
「そっかー」
暗記するだけして、それを社会で使うのかと言われたら首を傾げるものばかり。人生にとっての通過点に向けてのピンポイントの勉強。なるほど、たしかにそれはモルガンに酷評もされよう。為政者の1人として、その辺りの考え方があるから。
「とりあえず、生徒である以上学校には行くよ。入学してから半年だし、3年通ってちゃんと卒業したいし」
「何時に帰ってきますか?」
「部活はやってないから、授業終わってなんやかんやで……16時くらい?」
「駄目です」
「なにが!?」
「私の昼食をどうするつもりですか!」
「たしかに!」
料理初心者のモルガンに、自分で昼食を作れなど不可能な要求だ。無理難題だ。たとえインスタントだろうと、機械が相手というだけでポンコツさを見せるモルガンには、難しいことのはずだ。……魔術さえ絡めば、機械だろうと解析できると豪語しているが、大和はその話をそこまで信じてない。
昼食を抜くのは大問題だ。通販で買った服も届いていない以上、モルガンは外出もできない。今日も一日この家で過ごすことになる。テレビのリモコンも昨日壊した。
退屈という地獄の耐久。それをするなら、昼食という気分転換の価値は大きい。
「今から準備したら学校に遅刻するし……、出前か? いやでも服装問題がな」
「ヤマトの服では胸が苦しいですからね」
「うん。……え? 試したことないよな?」
「あなたが眠っている間に。現代ではカレシャツという文化があるのでしょう?」
「ん゛っ!! ああ、あるけども……!」
「なぜ動揺しているのですか?」
「なんでもないです!」
おそらくモルガンは意味を分かっていない。思春期少年にそれを説明する気力もなく、熱くなった顔をパタパタと手で扇いだ。
「ふぅーー。で、その服どうしたの?」
「今あなたが着てます」
「ふにゃっ!?」
まさかの制服のシャツでのチャレンジだった。たしかにボタンがあることを考えれば、こちらの方が試しやすいだろう。なぜかボタンが外れている箇所があったのも、これで原因判明である。
しかし今はそれどころではない。再度動揺した大和に、モルガンが詰め寄っているから。
「ヤマト今の良かったのでもう一回」
「何言ってるの!?」
「私にもくるものがありましたから。もう一度お願いしたいのです」
「理由を聞いてるんじゃなくて!」
おもちゃを見つけた子供のように、純粋な目でお願いしてくるモルガンを、大和は遅刻しちゃうからという理由の一点張りで強引に突破。逃げるように家を飛び出すのだった。
「……霊体化すればついていけますね」
閃いてしまった。
京坂大和が住まうのは、日本の地方都市の1つである冬木市。10年前には原因不明の大規模火災が発生し、数百人の死者を出した土地だ。今ではそれが冬木大災害と呼ばれ、その復興を遂げて今では活気づいている。
大和が通う学校は、その冬木市にある穂群原学園。そこの1年生である。なお家から学校までの所要時間は徒歩5分である。
「ギリギリセーフ! っと、おはよう間桐」
「おはよう京坂くん。廊下と教室は走っちゃだめだよ」
「歩いてたら遅刻したよ」
「早めに来ないから。でも珍しいね。いつもは余裕を持って登校してくるのに」
「朝からドタバタしてたもので」
話しながら鞄の中にある荷物を引き出しの中へ。そうこうしていると、朝のHRの時間を告げるチャイムが鳴った。担任の先生はまだ来ない。毎週月曜日は数分遅れて来るのだ。
それを踏まえると、教室まで歩いてきてもよかったのかもしれない。京坂は一時的に上着を脱ぎ、下敷きを団扇代わりに使う。
「ほぇー。窓開けてもいいかな?」
「クラスのみんなは寒いと思うよ?」
「だよな」
今は冬である。教室に暖房があるわけでもない。室温自体も少し低めだ。これなら上がっている体温も、1限目までには戻ることだろう。
横から新たに感じる風。左は窓で、そちらは閉めている。風は右からで、そちらは人工的なもの。生み出しているのはその席に座っている生徒。先程から会話している間桐桜が、こちらも下敷きを使って扇いでくれている。
「先生が来るまでね」
「いや助かるよ。ありがとう」
何人かから羨ましそうな視線と哀れみの視線が送られてくるが、それらはすべて無視である。
間桐桜は、この学園の中でも指折りの人気を誇る少女だ。顔がよく穏やかな性格。これだけでも男子から人気が出るというのに、制服の上からでも分かる豊かな胸。夏服の期間にどれだけの男子から視線を集めたことか。
学年単位では「間桐桜と同じクラス」という点で羨ましがられ、クラス単位では「間桐桜の近くの席」という点で羨ましがられる。今月の席替えで大和は彼女の隣になったので、男子からブーイングが送られた。
ではでは、「人気がある=モテる」なのかというとそうでもない。なにせ、1つ上の学年にいる「穂群原のブラウニー」先輩が、間桐とほぼ毎朝登校しているからだ。さらには、彼女が通い妻らしき行動をしていることも判明している。
「これもう付き合ってんだろ」と周囲が判断するのは当然のことだ。つまり、哀れみの視線を送る者は、ブラウニー先輩と間桐桜が付き合っている派。羨望の視線を送る者は、まだ付き合っていないと信じている派なのだ。
(まだ付き合ってないとしたら、外堀から埋めてんだよな間桐)
あのお人好しが服を着て歩いているような先輩のことだ。ここからの詰め方次第ではくっつくだろう。
「(最後列の窓際。これが主人公ポジというものですか)」
「!?」
脳内に直接響く声に大和は戦慄した。滝のように冷や汗が流れ始め、「扇ぐのが弱かったかな」と勘違いした間桐が必死に下敷きを扇ぎだした。そこまでされると寒いと言うか悩むと、担任教諭が登場。間桐も扇ぐのを止めて、前方へと向き直る。大和も上着たる学ランを着た。
「(もしかしてすぐ側にいる?)」
「(はい。霊体化しているので誰にも気づかれませんよ)」
「(安心したけどそうじゃない……!)」
この場で現界でもされようものなら、大騒ぎになる。同行されていると思うと、大和の心中は穏やかではないが。主に緊張で。
「(家の戸締まりはしてる?)」
「(鍵は開いてますが、結界は張ってあります。賊が忍び込もうものなら炎上しますよ)」
「(アパートまで焼けるよな!?)」
自身の部屋は結界で守られても、他の部屋がそうじゃない。大和はそのセキュリティを取り下げてもらい、もっと穏やかなものへと変えてもらう。
あとは、こちらでの心配ぐらいか。
「(現界はしないでくれよ)」
「(仕方ありませんね。……人目がないところなら)」
そのチャンスがあるとすれば昼休みだろうか。だが今日は弁当を用意していない。ひとり暮らしが突然ふたり暮らしになったのだから、冷蔵庫の中身がほぼなくなっているのだ。お昼を学食で済ませて、帰りに買い出しに行くつもりである。
(持ち帰り形式にして屋上に行けばいいか)
あそこは人の立ち入りが禁止されている。鍵も職員室で保管されていて、その使用許可が下りることは滅多にない。卒業写真を撮るときに許されるくらいだ。
だが魔術を使ってピッキングしてしまえばどうということもない。屋上に入れるし、帰るときも閉め忘れなければ無問題。あとは行きと帰りの人目を注意するだけ。
(あぁあとは、放課後に先輩に相談に行っとかないとな)
担任の話を聞き流しながら、チラリと横を見る。姿勢正しく、真面目に聞いている姿は優等生のそれ。
彼女に相談ができれば最適だったのだろうが、生憎とそれをするわけにもいかない。モルガンの説明をいったいどうしたらいいのか分からないし、変な奴だと思われるのも面白くないから。
「待たせちまって悪いな。一成に今朝頼まれてたやつだから先に修理しときたくて」
「いえいえ、急にお願いしたのはこちらなので」
「それで、俺にどんな相談なんだ?」
そんなこんなで放課後。
大和は生徒会室へと足を運び、「穂群原のブラウニー」こと衛宮士郎に会っていた。彼は頼まれれば断らないお人好し。家事やら家電の修理やら、便利なスキルも多い人物だ。元は弓道部に所属していたが、とある事情とその流れから退部している。
「ブラウニー先輩って間桐と仲良しじゃないですか」
「俺の名前のどこにブラウニーがあるのさ……」
「衛宮・ブラウニー・士郎でしょ?」
「ミドルネームを持ったことはないぞ」
「京坂。人の名前で遊ぶのは感心せんな」
「ああいや。別に本気で嫌ってわけじゃないんだ一成。いつもこんな感じだから」
「衛宮がそう言うのであればいいが……」
衛宮士郎がこの部屋にいる時、基本的にセットでいるのがこの学園の生徒会長、柳洞一成である。衛宮の料理によって胃袋を掴まれた人物であり、嘘か本当か「衛宮の味噌汁なら毎日飲みたい」と言ったという噂がある。一部の女子の手により薄い本が作られた。
「話が逸れちまったな。俺と桜はまぁ、たしかに仲良くさせてもらってるな。妹がいたらこんな感じかなって時々思うよ」
「間桐も大変だな」
「桜がどうしたって?」
「ああいえ。……衛宮先輩って間桐と買い物とか行きます?」
「食材の買い出しなら手伝ってもらうことが多いな」
「服とかは?」
「服? いや、それはないけど。女性の服がどうした」
「はっ! まさか京坂はそちらの道に!?」
「そこに行くのは柳洞先輩じゃないですかね」
「スカートはたしかに脚周りがスースーするな。冬は寒そうだ」
眼鏡をクイッと上げながら言い放った。
「「え……?」」
「冗談だ」
衛宮と大和が席を立って後ずさる。
「冗談だと言ったろう。待て距離を取るな私が悪かった!」
軽い絶望に落とされたかのような顔をされては、衛宮もそれ以上下がれない。冗談が分かりにくいぞと文句を言いながら、彼は椅子に座り直した。柳洞からさらに1席開けて。
「京坂も座れよ。何かあれば俺が時間稼いでやるから」
「待て衛宮。さてはまだ疑っているな?」
「ははは。何を言ってるんだ一成」
「柳洞先輩はインテリな見た目しといて運動神経悪くないですからね。すぐ逃げられるようにしときます」
「(その時は私が彼を眠らせます)」
大和は静かに椅子に座り直した。柳洞から可能な限り離れた位置の椅子に。モルガンの「眠らせる」が怖いから。
「そもそも服って、男性用と女性用で違うじゃないですか。おもにフロント部分」
「ま、まぁそうな」
「その手の話を生徒会長の前でするかね……」
「真剣な悩みなので見逃してください」
「真、剣……?」
事情を知らない者にとっては、ふざけているようにしか思えない。だが大和の目は真剣そのものだった。
「女性の胸って個人差あるじゃないですか」
「桜の前振りはこれか……」
「そうです。胸でかい人ってやっぱそれ用のサイズを探さないとだめですよね? 男だとほぼ服のサイズだけでいいですけど、女性って身長が同じでも……ってパターンあるし」
「そうなんじゃないか? 俺も知ってるわけじゃないけど」
「間桐と服を買いに行ったことはないんですか?」
「まぁな」
「えー。衛宮先輩なら1回くらいあると思ってたのに」
「そう見えるか?」
「見えますよ。ね? 柳洞先輩」
柳洞に話を振ってみるも、彼は念仏を唱えて集中していた。あまりダイレクトな話にはしていないのに、それを話題に出すだけで防衛手段に入るようだ。
「衛宮×間桐は生徒間じゃ鉄板ですよ」
「否定するのも桜に悪いし……行動を改めるか?」
「それやると間桐が傷つく気がするのでこれまで通りで」
「そうだよな。固まっちまったイメージは、そういうもんとして受け止めとくしかないか」
うまいこと距離を取るとかできなさそうな人物だ。間桐自身も聡い子である。昨日の今日で変化が起きてしまうと、確実に後日詰め寄られることになる。大和はそれを回避した。
「それにしても急にどうしたんだ京坂。お前さんひとり暮らしだろ?」
「そうだったんですけどね。なんか急に住人が増えたもので。しかも持参した服の数が乏しいと来た。言語のこともありますし、中継役をやるつもりですけど、事前に把握できることはしときたいじゃないですか」
「殊勝な心掛けだな」
デジャヴを感じたけど、衛宮はそれを胸の内に留めた。
「協力できることならしてやりたいが、その問題は俺も手伝えないからな……」
「衛宮先輩から間桐に聞いてくださいよ。胸でかい人はどこで服を買うのかって」
「あのな」
受け答えをしながら、衛宮は他の手がないか考える。困っているのは伝わっているから、可能な限り助力をしたいのだ。
ずっと話していると口も渇く。淹れておいたお茶を衛宮は啜った。
「もしくはこっちでもいいですよ」
「こっちって?」
「何カップなのか」
「ブハッ!」
啜ったお茶を吹き出した。柳洞は黙ってポケットからハンカチを取り出し、お茶がかかった場所を拭いた。
「わ、悪い一成……」
「構わん。京坂が悪い」
「あのな京坂。いくら仲がいいからって、全部を知ってるわけじゃないんだ。ましてやプライバシーなんて」
「藤村先生なら知ってそう」
「そっちも知らな……待てまさか!」
「衛宮先輩ありがとうございました! 相談を聞いてもらえただけでも良かったです! あとは何とかします!」
「待て京坂!」
生徒会室を出て颯爽と職員室に向かう大和を、衛宮が焦った顔で追いかける。衛宮士郎と京坂大和は知り合ってまだ半年。あくまでこの学園の先輩と後輩。だが、ひとり暮らしをしている者同士話が合った。苦労話から何まで話ができるし、どちらも互いの家に遊びに行ったこともある。
だからこそよく知っている。京坂大和が藤村大河に話を振るときのやり口を。
「藤村先生いますか!」
「待てって!」
息を上がらせた状態で生徒2人が職員室へ。扉を開けるのに勢いをつけ過ぎたせいで、派手な音も出てしまった。何事かと職員たちはそちらに目を向け、呼ばれた藤村はため息をつきながら立ち上がった。
「2人とも廊下を走ってきたでしょ。しかもこんなに大きな音出してー」
「先生に聞きたいことがありまして。衛宮先輩が知らないなら藤村先生に聞くしかないかなって」
「しろ……衛宮くんが知らなくて私の知ってること?」
「大したことじゃないんだ藤ねえ」
「んー?」
顔を引きつらせながら後輩を退出させようとする先輩。それに抗って職員室に留まろうとする後輩。この構図と話の内容がどうにも噛み合わない気がして、藤村は謎掛けをされている気分になる。
「大したことじゃないなら今言っちゃいなさい。わかんなかったらわかんないって言うから」
「藤ねえ!」
「藤村先生ならそう言ってくれると思ってました!」
生徒思いだなぁと付け足しておいて、藤村の機嫌を良くしておく。これで衛宮の制止は利かない。あとはアクセルを踏むだけ。
「間桐って何カップですか」
『……』
面白がって耳を傾けていた教員たちが一斉に仕事に戻った。音楽プレイヤーを持っている人たちはイヤホンやヘッドホンを装着。中には職員室から退出する人も。
「葛木先生」
「なんだ藤村先生」
「私の机の一番上の引き出しにあるものを取ってください」
一部の生徒からは鉄仮面と呼ばれる葛木宗一郎は、藤村に言われたとおり中に入っていたものを取ってそれを手渡す。
藤村はそれを手に打ち付けて鳴らしながら、にこにこと笑顔を浮かべて京坂と衛宮に向き直った。目は一切笑っていないが。
「教師の私が生徒のプライバシーを流すわけないじゃな~い。しかもデリカシーが皆無だし」
「衛宮先輩が知らなかったもので。藤村先生なら知ってるかと。てか知ってるんですね」
「ふふっ。ふふふふふ。あなた達、ちょーっと廊下に出ましょうね~」
「え、俺まで!? なんでさ!」
「当然よ士郎。桜ちゃんを守れないで正義の味方は名乗れないでしょ」
「うぐっ……」
とぼとぼと衛宮が廊下に出て、京坂は藤村にずるずると引きずられて外へ。職員室の扉がピシャリと閉まり、その数秒後。藤村特性ハリセンが綺麗な音を鳴らすのだった。
「これはオフレコなんだけど、桜ちゃんってEカップなんだって~」
「「おい教師」」
その夜。モルガンにカップとは何かと聞かれた京坂は衛宮に説明を投げつけた。