「えっ」
「あっ」
レフィーヤさんの顔がどんどん赤くなってゆく。つられて僕の顔にも熱が込み上げてくる。恐らくリンゴのように真っ赤な顔になっているだろう。
「そうかいまさかレフィーヤから承諾を貰えるとは思わなかったよ。じゃあこの住所に2人とも荷物をまとめて行って欲しい。もちろん明日までに。2人ともまた1ヶ月後に会おう」
フィンさんは僕たちに撤回の言葉を言わせないようまくし立て、早々と部屋から去る。流石、ここぞとばかりに話を進めた。断らせる気無かったなこの人。
少し後、ガタリとレフィーヤさんが立ち上がった。その顔は何かを決意した風格があり、僕は彼女の固い意志に呑まれて反論する事は出来なかった。
「私、荷物をまとめてきます」
「えっ」
呆然とする僕に、フィンさんが机の上に置いたメモを突き出してくる。
見上げたその顔は眉間にしわがよっていて、目元に影が落ちている。腕は震え、頬はほのかに赤らんでいて、歯をギシギシと鳴らしている。
「ここ、先行っといて下さい」
「でも……」
「早くっ!」
「はいぃっ!!」
少し怯えつつ、僕はしっかりとメモを受け取る。受け取ったのを確認するや否や、レフィーヤさんは踵を返して部屋から去っていった。
手の中にあるメモは何年も前のものなのだろう。経年劣化が始まっていて黄ばんでいる。恐ろしく脆い紙をペリペリと破かぬよう慎重に剥がしつつ、中を見てみる。
「えっ。ここって……」
※※※
僕はバベルから離れ、オラリオからも離れた場所である開港都市のメレンに来ていた。
「なんでフィンさんが家の事知ってるんだよ……」
僕は愚痴をとある一軒家の前で吐き捨てる。その一軒家はごく最近に建てられたのだろう。建材の状態はかなり良いが、人が住んでいない家特有の崩れかかった雰囲気が満ちている。
それもそのはず、この家は僕が建てたのだ。正確には相当の金額を払って建ててもらった。人目につかない訳でもないが、他の家と比較してもそこまで大きくなりすぎていない感じの家。しかし、結局この家を使ったのは勝手に買ったことがバレてファミリアでパーティーを半ば強引にやらされた1度のみ。
「意外に綺麗だな」
玄関を開けた瞬間、僕は驚いて声を出した。年数にして2年ほど空けていたのに、掃除が行き届いていてかなり清潔感がある。
「誰だか知らないけど、ありがとう」
一応礼を言うが、もちろん返事は無い。僕は虚空に飲まれたお礼をかき消す様に腕を振るって歩を進める。
小綺麗にしてはあるが、やはり多少の汚れは気になる。食器なども揃えている訳では無いので買いに行かなければならない。
「なんでこんなことに……」
1人でいたいのに。構わなくてもいいのに。そんな想いを抱えつつ僕は掃除道具に手を伸ばした。
※※※
「こんなものか」
あらかた掃除をし終えた僕は、財布片手に商店街へ向かう。買うべきものは食器等の家具、食料。
商店街へ繰り出すと、奇異の目が僕の周りを取り囲む。
この視線だ。この視線が嫌なんだよ。だから僕はローブを手放せない。いつも以上に深く被り、家具屋へ足を運んだ。
「いらっしゃい!……って、カタストロフ!?どうしてここへ??」
もう誰も、ラビットフットやリトルルーキーとは呼んでくれないのか……と、僕の心に言葉の針が突き刺さる。
僕は店員をげんなりとした目で一瞥し、棚にある家具を選ぼうと手を伸ばす。
店員の対応とは違って家具の方はかなり品質が良いようだ。それでいて値段も高すぎないし、この店はかなり良い商売をしているようだった。
「まあ適当でいいか」
僕は高すぎず安すぎずの値段のティーカップや匙を適当にカゴへと入れる。ここに2人組みの商品が多くて助かった。選ぶ手間が少なくて済むし、多少の値引きがあるらしい。まあ、今の僕にとって金は酒代と武器のメンテ代(ヴェルフは要らないと言うが、適当な額を押し付けている)くらいなもので、溜まりに溜まった金の何割かでここにある家具を買い占めるなんて分けないのだが……
デザインも特に気にせず適当にカゴに入れて会計へと進むと、唖然とした表情の店員がいた。その顔に恐怖の色は無く、ただ驚いている様子。どちらにせよ失礼だな、と僕は早く済ませるようカゴで小突くと、そそくさと会計をし始める。その間も好奇の視線が上から浴びせられたため、僕は痺れを切らして声を荒らげた。
「なんだよ、言いたいことあんなら言えよっ!」
握り締めた拳に力が入り、振り上げるも何とか制止する。店員は「ひっ!」っと声を上げて後ずさり、後ろの壁にぶつかってからズルズルとその場にへたり込む。
「ッチ!!」
露骨に聞こえるよう舌打ちをした後、適当に金をぶん投げて店の戸に手をかける。
「あ、あの。おつりは……」
「取っとけ」
返事も聞かずに店から出ていく。幸先の悪い店巡りだ。こんなのがまだ続くなんて……と考えると軽く目眩がしてくる。
家具を一旦家に置いて、食料を買いに出かける。ここ何年か、まともな食事をした覚えがない。レフィーヤさんに無理矢理食わされたくらいだ。何を買えばいいのか分からないので、とりあえず八百屋へ行く。
「いらっしゃい!って、あんたは」
「うるさい。それ以上言うと落とすのは金じゃなくお前の首になる」
「ひぃっ!」
「とりあえず、この金で買える物を適当に詰めてくれ」
「分かりやしたっ!」
これは効果的だ。先に脅しておけば余計な煩わしさは無い。
「こ、これで……」
とんでもない震え方をしている腕で袋に詰めた野菜を差し出してくる。僕は礼を言ってすぐさまその場を立ち去る。
似た様に脅しを掛けながら買い物を続けていると、聞き覚えのある神の声がした。
「やあ、ベルじゃないか!」
「ニョルズさん……ご無沙汰してます」
スラリとした高身長に男前な顔。明るめの茶髪は後ろで乱雑に束ねられている。常に上裸であるが、美しいと形容できるほどに洗練された筋肉はまさしく、【海の男】と呼ぶにふさわしい、そう言った風貌だ。
「どうしてまたこんな所に?家を建てたのに帰っても来ないし、何かあったのか?」
「知らない方が良いですよ。僕に関わると災いが降ってくるので」
「はあ?ってお、おい。ちょっと待てよ!」
こんなに素晴らしい善神を、その子供たちを下手に傷つける訳には行かない。成り行きと強引な押しでこんなことになってしまったものの、極力僕は家に帰らないつもりだ。でないと、メレンに災いがもたらされかねない。
僕の災いを封じ込められるのは、皮肉なことに災いそのものであるバベルしか無い。
僕は踵を返し、ニョルズ様の制止する声に耳も貸さず家路を歩いた。
※※※
「行ってしまった……」
あれは重症だな、とニョルズは頭を抱える。
ロキファミリアからの依頼。以前、テルスキュラから受けた襲撃を救ってくれたこと、内部腐敗を止めてくれた事などの礼をしたいと思っていたので二つ返事で了承した。その依頼の内容は、【ベル・クラネルのサポート】だった。
どうして他派閥が?とも思ったが、深く詮索することはしなかった。確か、ベル・クラネルはヘスティアのとこの小柄な白髪の子だったはずだし、そんなに難しくないだろうと思ってたからってのもある。以前、新築祝いのパーティで知り合い、そこそこ話した仲なので無下にはされないとも考えていたのだが……
「完全に目が死んでいたな。全く……だいぶ店にも当たってたようだし、とりあえず誤解を解いておくか」
俺はベルが寄ってった店の店主に声をかけて回り、ベルにあげる予定だった魚を彼の家の前に置いてその日を終えた。
心労が一つ増えた海の神であった。
※※※
「これで良かったのかな」
未だに分からない。親指の疼きも止まらない。自分でもリスクの高い行動だったと思う。最近思考も不明瞭になりがちで、本格的に引退も視野に入れているところに舞い込んできた大きな決断。自分の決定に自信をここまで持てていないのは久しぶりだ。
しかし、オラリオの紛うことなき最大戦力の一角を担う彼を腐らせておくことは間違いなくオラリオの損失。そうやって自分を納得させようとするも、最大派閥の団長としては他ファミリアに、しかも今やそこそこの中堅派閥の団長である彼に関与することへの抵抗は大きい。
だが、同じファミリアの幹部の1人が深く関わり始めてしまった。それが、何を隠そうレフィーヤ・ウィリディスだ。彼がファミリアのホームを出たと風の噂で聞いてからずっと、彼女は彼を気にかけている。それに……
「あんなにも頼まれたら、何とかしないとって思うよね」
ただでさえ重要戦力の一角が戦力になり得ない状態なのになあ、と自嘲する彼の顔はどこか寂しげで、それでもその目は確かに笑っていた。
※※※
必要と思われるものを全て買い終え、家に帰ってきた。その時に僕の背丈の半分ほどもある大きな魚が家の前に置いてあったのには度肝を抜かれた。多分ニョルズ様だろう。今度またお礼を言わなければ。イラついていたのもあり、無碍に扱ってしまったので謝罪もしなければいけない。
「はあ……きっつ」
そのままソファにダイブする。と、ここであることに気づく。
「レフィーヤさんって、ここ知らないよな」
メモを押し付けてきた彼女は、よくよく考えればここを知らない。もう既に周囲は闇夜に満ちかけている。早く行かないと探すことも難しくなってしまうだろう。
「………行くか」
どうして僕は迎えに行ったのだろうか。あれほど1人を望んでいた僕らしからぬ行動。結局、その意味は分かっていない。
※※※
やってしまいました。
よく考えたら、目の敵にしていたベル・クラネルとひとつ屋根の下ってことじゃないですか!勢いと感情に流されてしまってはいけませんね……じゃなくて!
私は今、絶賛迷子です。というか、目的地を知らないからどこにも行けず。この大きなリュックサックが嫌に目立って、余計恥ずかしいです。
「そこっ!聞こえてますからねっ!」
なーにが感情爆発暴走家出妖精ですか!コソコソと噂されるのはムカムカしてきますね、一発ぶち込んどいてやりましょうか……
変にイライラしたり恥ずかしがったりしていたら、もう日が落ち始めました。ベル・クラネルめ、いつも私に飲んだくれた後の介抱させといて、私が困った時には放置ですか!!!
たまにはこう、私が困っている時に颯爽と現れたりしてくれないものですかね。
「レフィーヤさん、探しましたよ」
そうそうこんなふうに……え?
「なんて顔してるんですか。行くならとっとと行きましょう。あなたが言い出しっぺなんですから」
距離が縮まったり離れたりしながら、結局他人行儀な敬語で収まっている私達の関係を表したような喋り方。
それに反する優しい声色と、曇り濁ったルベライトの瞳。私とさほど変わらない背丈のくせに、その背中は大きくも脆くも見える、そんないつも通りの彼が目の前にいました。
「ほら早くって、えっ。なんで……」
「なんで泣いてるんですか?」
その声でようやく自分が泣いていることに気づく。拭っても拭っても、歪む顔から溢れ出てくる涙。なんで、どうして。自分が全く分からなくなる。
止まれ、止まれ。止まってよ。泣くことなんて何も無いのに。
必死に涙を止めようとしてる私に、ハラリと何かが落ちてくる。それは黒くくたびれている、彼がいつも纏っているローブ。
私はこれと彼を交互に見た。何も言ってくれない。彼はそのまま私の荷物を持つ。
「行こう、レフィーヤさん」
手を差し伸べることすらしなくなった。誰彼構わず助けていたあの頃とは違う。
でも、確かに残っている不器用な優しさは、この言葉に詰まっているって感じました。
私は涙を見せないようにローブを深く被り、彼の香りに包まれる。安心感が私をふわりと包み込んでくれた。
「ベル、これからよろしくお願いしますね」
「………なるべく関わらないようにします」
「そんなこと言わないで下さいよ。悲しくなります」
「ほっといていいのに…」
「そういう訳には行かないんです。ささ、急ぎましょう」
2人のいた場所に、夜の冷たい風が吹き抜ける。
傍らにいる白兎は何を思ったのか、飛び跳ねて風の方向へ走り出した。
To be continued