何が残るのだろうか。
緑色の道を走り抜けることで。
最後に何がのこるのであろうか。
皮膚が弛み、内臓が疲弊していく。
肺の容量は枯れていく。
常にたくさんの時間をそれにささげてきたウマ娘だろうが、あらがうことはできない。
重たいものが持てなくなっていく。
新しくものを覚えることが苦痛になっていく。
──────歩くことが。走ることが、出来なくなっていく。
何が遺るのだろうか。きっと最後は全盛期など思い起こせもしない、ただの骸となって消えていくのではないか。
それならいっそのこと、走る、競う、戦うなどと、そのような辛く険しい道を歩まず、享楽と平和の道を歩んでもいいのではないか。ああ、きっとそこでもウマ娘は成功する。強靭な体は、遊ぶにしても全く支障を知ることがない。
ああそうだ、きっと只人よりも無茶が効く。
ああ、そうだ。戦う意味など……ないのかもしれない。今のこの世界では。
あわれだ!あまりにも堕落した思想に過ぎない!
残る!断言しよう、私が!
残るとも!
我々こそが「残滓」なのだ!異世界の伝説!語られるに足る「名誉ある」何者かたちが!それらこそが!
もし仮にでも、彼らが堕落の、享楽の道を歩んでいればどうであろうか。ああきっと、きっと。
我々、そしてウマ娘は生まれてくることすらなかっただろう。
誰が幸せと平和だけの英雄譚を望む!?いったい誰が、敗者の居ない戦いに命を、夢をかける!?
いったい誰が、いったい誰が。
仮にそれが実現したとして、全員家でのんびり眺めることすらしないだろう!
そうだ!何も残らないとは、何も残せない人間の欺瞞に過ぎない。残せるのだ。残るのだ。
緑の猛き道の果て、紅く細い路の果てに。
────────────名誉が。
この世界の本質とは、流れ着く先、吹き溜まりといったものが近かった。
それとは別に、ここは輝かしくもあった。
何処にも行けない、行く先がない。そういったマイナスの理由ではなく、彼らは死ぬには惜しすぎたのだ。
つまり、きれいさっぱり消えることが出来なかったのだ。
それはウマ娘という種族が、生まれ変わりと定義されていることから察せられる。
彼女らは生きている。が、それは死んでいたという事実を裏付けるものでもある。
超自然的で、そして科学にも追いつけない理屈。
転生、と表現するのが最も近いのか。しかしこれも何処か違う気がする。
おそらくはその魂というものは、事実それらの持ち主がそのままやってきたわけではないのだろう。
そうだとするのならば、今やこの世は一度は死んだ者だけで構成されていることになる。それは比喩や生命の循環などの意味ではなく、記憶の中での話で、だ。
そこで、ある種の人間はこう結論付けた。
「伝説が生まれ変わっているのだ」と。
本人の魂は何処に行ったのか、あるいは魂などが本当にあるのかどうか。それは今どうだっていい。
つまり実績が、その軌跡が「形となって」動いているのだ。彼女らの足跡そのものではある。だが、彼女らではない。
果たしてそれが何を意味するのか。
この世界に「遺っている」のは、本当にウマ娘だけなのだろうか?
甚だ疑問だった。少なくとも、彼女、ラムヌーシアはそう思っていた。
ウマ娘の元になった何者かを知っている人間がいる。ウマ娘の元になった動物を駆っていた記憶を持つものが居る。
ラムヌーシアはその一人であった。
自分の中にどうしようもない「あり方の規範」のようなものがこびりついていることを、ずっと感じていた。
おそらくは、自分は遺物なのだろう。彼女の中にある漠然とした遺志は、実に力に満ちていた。そして闘争心に溺れても居た。
つまり簡単に言えばこういうことだ。
「この世界は、どこか別の世界の伝説が流れ着いて英雄を再生する」。
そしてどうしたことか、それはかなり節操がない。時代も、場所も無視している、と。
では、彼女が求めうる伝説の種別とはなんだ。
これも単純明快な結論が出ている。肉食動物の視界のようにコントラストのかかった価値観では、「もっとも強さに飢えていた」伝説こそが最も魅力的に思えるようだ。
そしてそれは、ある程度強さに直結する。
ところで、目の前で今まで起きていたことを思い返してみよう。
レースがあって、そしてたった一人の優勝者が生まれた。他のあらゆる存在を蹴落とした、圧倒的な捕食者の誕生日。
ならばやることは一つ。観客席から一つの影が悠々と歩きだす。
スカウトもレースも大して変わらない。目指すべき地点を目指すだけ。
だけとは言うが、単純になればなるほど求められる能力というのは青天井に跳ね上がる。
レースの場合は、人間離れした身体能力。
そしてスカウト場合は……自分こそが勝利への道しるべだということを主張するにたる実績と気迫だろうか。
彼女は重ね重ね言うが新人だ。
その身になにか実績を抱えているわけではない。
ただ……迫力があった。どこか非現実的な。
ターフ。ウマ娘たちはクールダウンのため、しばらくローペースで歩いている。
先ほどまでの激戦の証が地表に刻み付けられているのを見れば、大抵のトレーナーが今回の選抜レースのレベルの高さを再認識する。
根本から蹴り上げられ、掘り起こされた土と芝。
別に「こうするために」彼女らは走ったのではない。
ただ圧倒的であるがために、こういった状況になっているのだ。ただ力強過ぎるからというだけで、人知を超えた力を発揮している。
閑話休題。そろそろウマ娘たちが一周して帰ってくる。
ローペースとは名ばかりの───いや事実彼女らにとってはローペースなのだろうが───
クールダウンが終わるとすぐに、トレーナーたちが我先にと殺到する。
……ラムヌーシアは、そう焦ることは無いとばかりに悠々と歩いてきた。先ほど歩き出した時と同じ。
ある種の確信。グラスワンダーというウマ娘は、ラムヌーシアにとってはなんとなく「自分と同じ」妙な人格をしていると感じ取れていた。
気性難というやつだ。
そら、見てみろ。そういわんばかりに、次々トレーナーがグラスワンダーに振られていく。
見る限り随分と高名なトレーナーも混じっているようだが、まるでそれらすべてが眼中にないと言わんばかりに、即決していく。
だからなんだ、とラムヌーシアはふてぶてしいままだ。
「申し訳ありません。私には既に……待ってくれている方がいらっしゃいますので」
ただ。その断り方に、彼女は気を引かれた。
なるほど、堕落しきっていたかと思いきや随分な慧眼の持ち主がいるものだと。
大木のように、あるいは大型の猛獣のように構えていた歩く姿が、少し揺れた気がした。
それは心地の良い春風に吹かれたのか、あるいは追っていた羊がその隠した本性を現した姿に畏怖を抱きつつも歓喜したのか。
(私には狼か羊か、あるいはそれ以外か。見てみなければわからない。
ただ、もっと聡い人間が居たとして。そいつよりはたくさんのものを手に入れて見せる)
順番を待つつもりは毛頭なかった。最も、もう彼女以外は心折れた羊しか残っていないようだが。