人間の体と言うのは、とても良く出来ている。
それもその筈だ、気の遠くなるような時をかけて、不要な物は自然に削ぎ落とされてしまったからだ。
あらゆる生命に、それは存在する。
進化、変異、成長。そして、脱落。
つまりは、人間は人間であることが最も「それらしい」のだ。当たり前の事実であり、サイバネティックス等の実現が難しい所以である。
ということは、ウマ娘はどうなるのだろうか?
あれだけ足が速い生物が、「足が速いだけ」で済む筈がない。
心臓は?
もちろん、強固だ。
ありとあらゆる動作には、エネルギーを要する。どれだけ筋肉を持とうが、循環器が「壊れた」体をなんというか知っているか?
死体だ。もしウマ娘が、ただの人と同じ心臓で動いていたのならば、それはもうすぐにでも肉塊に帰すだろう。
骨は?まさか、足の部分だけ局所的に強固であるというわけではないだろう。DNAはそこまで器用ではなく、平坦である。
筋肉は?神経は?
無限に続くこの問いは、たった一つの答えで塞き止めることが出来る。
「ウマ娘の身体性は、あらゆる点で非ウマ娘の当該項目を凌駕する」、と。
それは紛れもない事実で、あれだけ横柄だった暴君が守りに入っている現実が、それらを証明する。
......が、果たしてそれだけが真理なのだろうか?
"軽い"突き。
グラスワンダーの腕には、そこまで力んだ様子はない。
事実、その突きには「硬さ」がない。全力であるというわけではなく、それが意味するところは小手調べだとか、牽制だとか。
相対するラムヌーシアは、鬼を見ていた。
そう、これを例えるならば鬼に他ならないと、彼女は感じた。
普通ならば金棒を持つべきだ。経験はそう叫んでいるが、しかし。
実態として目の前から突き出ているのは模造薙刀。
それらを、それらだとしてあり得ない力で突き出すのだから恐ろしい。
当たれば負けなのだから、敗北を知らない者は当然、防ぐ。
ガァ......ンと、重い音が響き渡る。誰がどう見ても木造の、偽物の武器同士がぶつかっただけだというのに、それでいて空気の揺れは真に迫っている。ビリビリとしているのは空気だけに非ず、受け手の精神、そして腕そのものを揺さぶっていた。
ただ......届かない。
その圧倒的な、山脈のような体幹から放たれる波濤の如き突き、それがどうにもたった一人の人間に「受け流されている」。
ラムヌーシアは知っている。
災害は、戦争は、強者は。
それらは人を簡単に破壊するが、しかし人は死にきらないということを。
死にきれないということを。
圧倒的強者を前にして、戦わずに去ることがなんと愚かで「意味の無い」ことであるかというのを。
危機回避という言葉は、弱者の欺瞞でしかないことを、あの世界の強者は皆知っている。
何か、誰かの気紛れで、ともすればそれすら存在しない「何か」で全てが台無しになることを遺伝子に刻まれているからだ。歴史に爪痕が刻まれているからだ。
以前の全てが、見えなくなるほど深いそれが。
やはり死ぬのであれば、それは人の「業」で死にたいと言うもの。杜撰な力では満足できない、洗練された殺意によって。
最も、彼女自身は死をもたらす側だと確信しているが。
対してグラスワンダー。わからなかった。
ハナからこの世界の構造とは、「ウマ娘に人間が勝てる筈がない」というものだった。何故この勝てない戦いに、「どれだけマシに負けるか」ではなく、「どうやって勝ってやろうか」と考える目の前の女の気持ち等、触れたことがなかったのだ。
そう、ネズミが猫には勝てないように。
けれどそれすらも。天敵......というのも烏滸がましい。というよりは、ただ単純に強すぎる。同じ種族だというのに、たかだか耳と尻尾程度しか見た目が違わないというのに、両者の間にはあまりにも大きい力の溝が横たわっていたのだ。
......それで諦められる世界だから、ここは良く、そして堕落しているのだ。そう狼は考える。
今は、良い。いや、彼女の性質はそれを断固として「否」とするだろうが、しかし事実としては「今は良い」。
そして、次が来る。
薙刀が引けば、次は?
甘えてられない。次も「攻撃」だ。
RPGにおいて、弱者に攻撃のチャンスが与えられるシステムというのは一種の慈悲である。
現実において「それ」はない。あるのは強者が自らのリソースを好き好きに使い殴りつけてくる苦しい守勢と、そして漸く、ありったけをぶつける......ことすら許してくれない、鉄壁。
ラムヌーシアは弱者か否か?
......ハッキリ言えば、目の前に居る怪物と比べて、見劣りすると言えよう。
その体は......3000mをそこまで速くは走れない。
車を軽く持ち上げることも出来ない。
毒を盛られれば苦しむし、ウマ娘に殴られればそれだけで六文銭のお世話になりかねない。
ラムヌーシアは、弱者か否か?
ここまで並べた上で、敢えて言おう。
"否"である。
ウマ娘は攻撃の位置を変えた。
直前になって、真逆の方向に贋の刃を突き出した。
それでいて、またもや体には余裕がある。つまり、「弱い攻撃」だ。
ラムヌーシアは......未だに体勢を崩していた。左側の攻撃を外側、つまり更に左に逃したために、当たり前の様に右に押し出されたためだ。
これは自明の理であり、そして攻撃側もそれを知っているから「逆の」、右側を無慈悲に狙っている。
――――自然界において。弱さとは、結果でしか判断されない。
仮定の話だが、どれだけ小さかろうが、ひょろひょろであろうと、最終的に立っているか、あるいは腹に収まっているか。死体になっているか、いないか。
勝つか負けるかでしかない。
戦う前にわかる情報は要因の一つであって、絶対の条件ではないのだ。
また、音が鳴った。
ガァン、と。
先の物より、鋭い。
グラスワンダーは手応えを感じた。
勝った感触。何かが棒の先にまともにあたり、そして突き刺さる感覚。
ラムヌーシアは、手応えを感じた。
勝った感触。
何度も、何度もした。相手の虚を突き持っていった時の。
違和感は遅めに棒を伝う。
そのめり込みは必要以上に。
何故?人間の膂力程度では、そう簡単にウマ娘の体幹を崩すことはできない。
少女の腕に力がこもる。
その違和感に腕を持っていかれないように。
まだ間に合う筈だと、焦りに満ちた中冷静に、だがすがるように。
伸びる、伸びる。力が、腕が。
どうしてだ、と。
簡単な話だった。
「利用、した......?私の、力を――――」
「ウマ娘よ。私はお前達の同族を知っている。戦争に山ほど使ったことがある。今回も......」
「使わせてもらうぞ」
(嗚呼。トレーナーと同じ手で負けるのは、少し悔しいな。後から来たのに、見ていたのに)
そう負けず嫌いは思った。
負けず嫌いしかいないこの場であるが、しかし負けず嫌いであることですら負けたくない彼女。
「そうだ。存分に使わせてもらった。だから私を使え、グラスワンダー!」
小気味良い叫び。聞きなれた人の声であるが、その大きな耳がここまで強く叫ぶ彼女の、蛇の声を捉えたのは初めてであった。
ラムヌーシアは......良く聞いた。戦争において、足の速い彼女はいつでも何処でも、横槍を入れてくる。どうやら鈍っていたのは蛇だけではなかったらしい。
「!」
その飛び込みの速度は、大蛇だけの特権。
あれだけの得物を持ちながら、飛び上がり、体を捻り、逃げることなど叶わず、そして受け止めることも困難極まる一撃。
それはあまりにも美しく、狼の頚を狩る。
勝負はついた。
「私にも言い分がないわけではない。が......お前に勝ったとはまだ言ってなかったし、そもそも最後に勝った方が強いというのは最も同意するところでもある。だから、今私から言えるのはたった一つだけ。よくやった、とな」
心底満足した、と言わんばかりの笑みを浮かべて体育館に座り込むラムヌーシア。辟易としている蛇、そして......
「ところで、まだ私とは決着が」
まだ戦い足りない、というか、勝っていないと主張しているグラスワンダー。
「おお?再戦の約束か?いいだろう、何時が良い?しかし何をかけようか、何が良い?」
先程の気迫は何処へやら、ご機嫌な様子で口を回している。彼女は戦いを愛しすぎているので、こういう視線と要求にとても弱い。
「なんでも良いですよ。次は負けませんからね」
「おい......二人して何を言ってるんだ!」
「ハハハ!勝ったのならばもっと嬉しそうにすれば良かろう、蛇!」
「ほざけ!!!!」
ざわめき。戦いではなく勝利の喜び。敗北したとして、次なる戦いへの期待が起こすそれらは、怒号ではない。
今はここに居ないが、ヴァイキングが居たのであれば。皆で酒を呷っていただろう。