「魔法使いの嫁」単行本9巻第45篇の話です。カルタフィルス編が終わり、ステラに誕生日を祝われた後、もらったドレスをエリアスに見せるまでの話を書きました。

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ドレスお披露目前夜

 なんか、落ち着かない。ステラに着せられたドレスが悪い。こんな肌触りのいい服を着たのも初めてだし、アンジェリカさんにもらった物にあまりにも合いすぎているからかもしれない。思わず意識させられる。スカートの端を思わず握る。エリアスが見たらどんな反応をするんだろうか。ステラと二人きりの部屋なのにエリアスのことばかり思い出してしまい少し申し訳ない気持ちが込み上げる。見せたいような見せたくないような。ステラはドレスを着た私の周りをじっくり見ながら歩いていた。それから満足気に頷くと

「思っていた通りぴったりね」

 と言った。そのまま一回転して自分のベッドに腰掛ける。ふわっとシーツが波打つ。私はそわそわして立ったままだった。そんな私をステラがタルトを食べながらニヤニヤして見ている。

「それにしても顔が耳まで真っ赤ね」

 手を何気なく頬に当ててみると、思った以上の熱に驚く。言葉にならない声が出る。喉の揺れがチョーカー越しに伝わってくる。それを自覚すると背中を熱い何かが上ってくるようでいたたまれなくなる。

「――脱ぐ」

 と言って、首のチョーカーに手をかける。出来心で着てみたはいいものの似合わないことをしているのが自分でも分かる。と、首にかけた手をステラが取った。

「まぁまぁ、いいじゃない。せっかく着たんだから」

 その手に引かれるままベッドに座らされると、タルトを渡される。ステラも隣に座って私に渡したのと同じタルトを食べた。真似して口に運ぶ。美味しい。こうなるとステラのペースには敵わない。それからは取り留めのない話をした。話し始めると、だんだん着ている服のことは気にならなくなってきた。学院(カレッジ)に行くことになったこと、ロンドンの美味しいお菓子の店について、イーサンの寝言の話、いろいろなことについて話した。ステラの話は面白く笑い声が口をついて出てきた。久しぶりにこんな何のてらいもなく笑った。頬の辺りが笑いすぎて引きつってくるのを感じる。心地よい疲れだった。

 気が付くと、夜も更けてきた。今日はもう寝ることにしようと欠伸しながらステラが提案してきた。シャワー浴びてくるとステラが部屋から出て行ってしまうと一人残された。ステラが立ったところのベッドが元の形を戻そうとして私の座ってくるところをも圧迫してくる。それを邪魔しないように私もベッドから立った。それから壁沿いにステラの部屋にある小物を見て回った。机の上には学校の友達と思しき人と仲良く写る写真、本棚には学校の教科書、ベッドにはかわいいクマのぬいぐるみが置かれていた。私の部屋とは全然違って微笑ましくなる。ふと、鏡に映る自分が目に入った。初めて着る綺麗なドレスに身を包み、黒くなった呪われた腕も恥ずかし気なくさらして、楽しそうに屈託なく笑っていて――。なんだか普通の女の子みたいだ。これならどこのパーティーにいてもおかしくない気がする。ふふっと笑いがこぼれる。さっきまでステラと楽しく喋っていたことも頭も過ぎった。いじめられていた日本の頃とも、エリアスに出会ってからのイギリスで魔法使いの修行をしている時とも違う。私がただ道路を挟んで眺めているだけだった普通の女の子だった。首につけたチョーカーはいつの間にか気にならなくなっていた。エリアスが見たらどんな反応をするんだろうか。ちょっとは驚いたりするんだろうか。スカートの端を持っていつかテレビで見た挨拶を鏡の前でしてみる。くすぐったい。顔を上げると浮かんでいる私と目が合った。私はいつからこんな風に視線を上げられるようになったんだろうか。と、急に頭上からベールが降ってきた。パサっと音がして頭に着地すると、それから鳥が翼を畳むように肩を覆った。振り返るとルツがいた。アンジェリカさんから貰った袋が開いていた。

「うん、そうだね」

 私は目を細めて頷いた。

 

 シャワーから戻ったステラはベールを纏った私を見て驚いていた。パジャマを着たステラはかわいらしかった。私が口を開いて何かを言おうとするより早く

「エリアス?」

 とステラが言った。私は深く考えずに頷いて、ハッとした。心配になって顔を勢いよく顔を見るとステラは何故か得意気だった。

「ママたちには言っておくから、やりたいことをして。ほらほら、終電がもう来ちゃうわよ」

 

 あれよあれよという間に、私は気が付くと家へ向かう列車に乗っていた。ドレスのままだった。ステラの家を出る時に元の服に戻ろうとしたが、ステラに止められた。

『あなた、このドレス自分じゃ着ないでしょ』

 とのこと。まさしくその通りだと思って何も言い返せなかった。なんとか間に合った終電はあまり人がおらず、ドレスを着ていても注目されずに助かった。ロンドンの灯りが窓の外を通り過ぎ、少しずつ家に近付くにつれ妖精の光が多くなっていった。エリアスに見せたいような見せたくないようなそんな気持ちになる。家に近付くにつれ胸が変に高鳴る。

 

 最寄り駅を出ると、突風が吹きつけた。遮るものがないからロンドンよりも風が強い。肌寒さに羽織ったベールを身体に強く巻きつける。涼しさが私の火照りも冷ましてくれればいいのに。道には妖精の通った線やピクシーかスプラウトかの羽根を持つ妖精が飛んでいるのが光って溢れて、ロンドンとはまた違う不思議な明るさがある。ゆっくりと歩いて家へ向かう。そういえば、ここら辺は夜に真っ暗になるから怖いみたいな話をステラにされたことがあった。見えるからそんなことは思ったことはないと言ったら、羨ましいと返された。私には今は光が眩しい。むしろ真っ暗なら、ドレスを意識させられることも少なかっただろうに。エリアスのいい反応を期待する自分がいる一方で、反対にそんな熱い思い上がりを持って行ったらいけないような気もする。なんか落ち着かない。うだうだとルツと一緒に家の玄関まで行ってもノブを回すのを躊躇う。それに、エリアスにはステラの家に泊まってくるって言ってあるし。怖い、のだろうか。恥ずかしい、のだろうか。チョーカーを急に意識して息苦しさを覚える。いや、これはドラゴンの呪いのせいでうまく腕を動かせないから――。

「…」

 ルツが鼻を鳴らす。その時私は自分が歯を食いしばっていたことに気付いた。エリアスや銀の君に気付かれないかびくっとしたが、ルツはそんなことにお構いなく私の纏ったベールの端を咥えて森の方へ引っ張っていた。

 

 ルツに案内された先は森が少し開けてその真ん中にごつごつとした大きな岩の塊があるのところだった。ルツは慣れた様子で岩の天辺まで登った。それから頭を低く下げて私を見た。早く来い、と言っている気がした。私は纏っていたベールを邪魔にならないように腰に巻きつけた。夜の冷気が剥き出しの肩を撫でる。

 ドラゴンの呪いのおかげでバランスにさえ気を付ければ頂上まで登ってしまうのは簡単だった。ルツの隣に腰を下ろす。少し動いたから息が乱れていた。登ってみて初めて気付いたが、この森は少し斜面になっていて岩の上から森の全景と地平線までが見渡せた。妖精の通り道が空間に五線譜のように散らばっていて、その上を羽根のある妖精が音符のように飛び交っていた。灯り一つない森の中でもランタンを灯す必要すらない。思えばこの目のおかげで、一人だとは思ったことがあっても孤独だと思ったことはなかった。妖精たちはいつも付きまとってきていたし、落ち着ける時間も少なかったと思う。私は変わったのかな。夜の愛し仔(スレイ・ベガ)と分かって、エリアスと出会って、アンジェリカさんに魔力を抑える方法をもらって。以前ならこんな風に森の中にいることすら難しかっただろう。

 登った時についた汗が冷えて少し寒くなってきた。鼻がむずむずしてくしゃみが出る。腰に巻きつけたままだったベールを解き、肩から覆った。ルツも身を寄せてくれた。ありがとう、と呟く。ルツの寡黙さが心地いい。結んだのがルツで良かったとしみじみ思う。こう考えると皆にもらってばかりだ。身がすくむ。私は昔から変わらない問題を運ぶ存在なのに、周りの優しさに甘えてばかりで何か対価を支払えているんだろうか。頭上の空雲を仰ぐ。吐く息が白い。星明かりが雲に隠されては現れる。見えなくなってもそこにある。

 そういえば、この森にこんな時間に入ったのももう三度目なのか。最初は風の精(エアリアル)に誘われて、何も分からないまま連れてこられたっけ。あの頃はいろんな隣人に話しかけられたな。最近はエリアルの弟子なことが広まってかそういうことが多くはなくなってきた。あの時はエリアスが止めに来てくれて助かった。そうじゃないと今頃どうなっていたんだろう。二回目はそう、人狼の皮をかけられた時だった。声に導かれて、森の奥まで来たっけ。ルツは付いてきてくれるって言ったけど、エリアスが止めてくれた。二人とも優しいな。今回はルツに案内されてここまで来た。夜の森はいつも誰かの招きに応じて入っている。横でくつろいでいるルツの頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細める。一回目の好奇心とも二回目の衝動とも違う気持ちでここにいる。少し落ち着いてきた。相変わらず自分から家に入ろうという気は起きないが、またエリアスが見つけてくれる予感がする。

 だんだんと夜が深まっていき、それに伴いうつらうつらと船を漕ぐことも多くなった。ゆっくりと動く星が子守唄のようだった。膝を抱えてベールに包まれていると、ベールが毛布のように思えてくる。ルツが寝てもいいと言ってくれたけど、なんとなく寝たくなかった。起きたら自分のベッドとか嫌だ。エリアスに言わなくちゃいけないこともあるし、エリアスの反応も見たい。身体の中心がほのかに熱を持つ。瞼の重さに首の重さに何度も抗いながら、ぼやけた視界で見る真っ暗な森は妖精の光で星空の中にいるようで、あぁそういえばステラってラテン語で星って意味だっけとか益体もないことを考えていた。姿勢が崩れそうになるとルツが支えてくれているのが分かった。目を薄く閉じても気配が分かる。時折、妖精がいたずらで目の前を通って明るくなったりしたが、構う気力もない。そんな中俄かに空気が色付き始めた。目を顔を優しく照らす光に次第に頭がはっきりしてくる。朝焼けだった。わぁと思わず声が出た。一瞬にして景色に色彩を与えられる。力強さと包容力を思い知らされる。闇夜を照らしていた妖精の光は、今や朝日の光線の一部になり、あるいは光のふりかけのように辺りをより一層煌めかせていた。新しい一日が始まる。

 と、後ろの方でザッザッと誰かが歩いてくる音がした。

「……あっ。来ちゃったんですか…」

 

 


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