今回ちょっと短いです。
よく晴れた初夏の日。
ロンドンから車で数時間。イギリス北西部の湖水地帯に、慎也とモルガンの姿はあった。
彼らの目の前には、木造建築の一戸建ての平屋。彼らの新居である。
慎也はポケットから鍵を取り出して、
「さて、心の準備はいいかな?」
「私はいつでも。あなたこそ、緊張しているように見えますが?」
「ちょっとね。自分の家を持つって言うのは初めてだから」
照れ笑いを浮かべながら、慎也はやけに慎重な手つきでカギを差し入れ、回す。
そして二人は、ようやく新しい我が家へと足を踏み入れた。
玄関に立って、軽く息を吸う。他人の家に入った時特有の、何とも言えない匂いがする。
きっとこれも、住んでいる内に慣れ親しんだものに変わるのだろう。
まず玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
イギリスでは家の中では土足が基本だが、日本人として生きてきた感性が強い慎也としてはやはり違和感があったので、我が家ではスリッパにしたのだ。
そもそもあまりそういう習慣に拘泥しないモルガンは、文句を言うこともなく受け入れてくれた。
これから人を招くこともあるかもしれないが、その時はその時だ。
下見には何度か訪れていたので、内装を見ても特に驚くことはないが、やはり自分たちの家だと思うと感慨が湧く。
例のデートで購入した家具の類もすでに運び込まれて、指定した場所に配置されている。業者はしっかりと仕事をしてくれていたようだ。
二人は連れ立って家の中を見て回る。
リビング、キッチン、ベッドルーム、バスルーム。一通り見て回った二人はリビングへと再びやってきて、湖を一望できるベランダに立った。
思っていたよりも時間が過ぎていたらしく、すでに空は赤く染まっている。
夕焼けの色を映し出す湖面は、まるで燃え盛る炎のよう。
手すりにもたれかかって、吹き抜ける心地よい風に目を細める。
同じように風を感じるモルガンを振り返って、
「どうだい? 僕らの家は」
「そうですね、城とするには些か物足りませんが……あなたと二人で生活を共にする場所、と考えれば、満足のいく家です」
「それはよかった」
柔らかい笑みを浮かべるモルガンに、慎也も笑顔を返した。
「キッチンの設備も申し分ありません。以前も言いましたが、許可なく外食などしないように。約束ですよ」
「……それは、お弁当とか期待してもいいってこと?」
「……あなたが望むなら」
「楽しみだなぁ」
朗らかに笑う慎也に、モルガンは少し視線を逸らした。
もう少し精進が必要かもしれない。
そもそも妖精は魔力で何でもできてしまうために、元来『自分の手で新しい概念を生み出す』ということが苦手なのだ。創造性と想像力に乏しいのである。
今は人間として転生を果たしたが、元々妖精であったモルガンが料理の習得に励んでいるのは、ひとえに夫である慎也のためだ。
男をオトすなら胃袋から。慎也の故郷に伝わるという言葉を胸に、今日も新妻モルガンは全力を尽くすのである。
「……いいでしょう。まずは今日の夕飯からです」
「え?」
「必ずや、あなたの度肝を抜いて見せましょう」
ふんす、と意気軒高なモルガン。
彼女はそのままキッチンへ向かった。確かにそろそろ夕飯にするにはいい時間だ。
「あなたはそこで待っていてください」
そう言い残して、モルガンはどこから取り出したのか黒いエプロンをつけてキッチンに入った。
長い髪を払う色っぽい仕草に見惚れながらも、慎也はリビングのソファーへと座った。
手持無沙汰なので、一応購入しておいたテレビの電源をつける。
どうやら何かのバラエティ番組のようだ。白い帽子に白いジャケットの男性が、芝居がかった動きで何かを紹介している。
『ジャーンマリオ! スピネッラの! ゾンビクッキング! 今日もジャンマリオと一緒にゾンビ丸焦げの調理を楽しみましょう!』
その口上を聞いて、慎也はふと首を傾げた。
はて、どこかで聞いたことがあるような……そうだ、カウレスが言っていた、テレビに出演する珍しい魔術師。
せっかくだし見てみるか、と画面に集中する。
……思ったより面白い。テレビ番組としての編集技術などはそうでもないのだが、本物の魔術師だけあってゾンビの再現度は本物に迫るようで、ジャンマリオの動きは見ていて飽きさせない。
とは言え、元々慎也はそれほどテレビなどのメディアに長く触れる性質でもない。
10分ほどで飽きが来て、テレビを消してしまった。
何気なく視線を泳がせて、漂ってくるいい匂いにつられて、ついに慎也は料理をするモルガンへ目を向けた。
ちょうど何かを煮込んでいるところだったようで、鍋のスープを小皿にすくって味見をしている。瞼を閉じて集中し、満足のいくものではなかったようで、眉間に僅かな皺が寄っている。
そのまま、料理をするモルガンをじっと見つめる。
さっきのテレビと違って、何故だかずっと見ていられる気がする。
やがて視線が気になったのか、モルガンが、
「どうしました? 空腹に耐え切れなくなりましたか?」
「いやぁ、何か……いいなぁ、って」
「?」
「こういう風に、楽しそうに料理をする君を眺める、って……何だか、凄く夫婦って感じがする」
「……そうですか」
ふいっと顔を背けられてしまったが、同じことを思ってくれていたのか、その頬は確かに緩んでいた。
慎也としては彼女の様子をいつまでも見ていたかったのだが、流石に恥ずかしかったようで、魔術でカットした肉の塊を口の中に突っ込まれてしまった。
生焼けだったり顎が外れるような大きさだったりしたわけではないが、仕方がないので再びテレビをつけてそちらを見ることにする。
しかしふとした拍子にチラチラと視線を送ってしまい、その度にちょっとした応酬を繰り広げることになってしまうのだった。
ちなみに料理の結果としては……今日一日で、慎也の胃袋はがっちりと掴れてしまうことになったのだった。
§
その日の夜。
シャワーを終え、ラフな格好をした慎也は一人、リビングのソファーに佇んでいた。
何かを考えこむように、握られたカップを見つめている。
やがて何かを決心したのか、カップに注がれていた水を一気にあおると、おもむろに立ち上がった。
どこか弾んだ足取りで向かうのは、寝室。
二人で並んで寝られるだけの大きさの、夫婦の褥である。
ウキウキと弾む足取りは、シャワーを浴びる前にモルガンに囁かれた言葉のせい。
『私は先に寝室へ向かいますので。……準備をしてきてくださいね』
何の準備かなど、言うまでもない。
それを囁いてきたときの艶やかな表情と雰囲気を思い出すとそれだけで体が熱くなる。
寝室の扉の前に立ち、深呼吸。若干震える手で、ドアをノックする。
どうぞ、という明らかに熱を持った声に胸を高鳴らせながら、意を決して扉を開け放った。
「――――」
目の前に広がる光景に、慎也は思わず呼吸を止めた。
そこには、魔女がいた。
そこには、妖婦がいた。
そこには、女王がいた。
広いベッドに足を崩して腰掛ける、女が一人。
女は、人間だった。
かつては妖精たちを武力で以て支配する女王であったとしても、そこにいる女は確かに、ただの人間でしかなかった。
しかし、ただその女がそこにいるだけで、寝室という空間はまるで異界に切り取られたかのような空気があった。
その女の放つ妖艶な色香が、空間を染め抜いているかのよう。
女が身に着けているのは、薄布一枚のみ。
少し動けば見えてしまいそうな、純白のベビードール。
淫蕩極まる装いと、清楚を象徴するような白のアンビバレンスに、脳が痺れる感覚がする。
誘蛾灯に向かう虫のような。罠だとわかっていても飛び込んでしまうような気持で、慎也は一歩を踏み出した。
脳髄を侵すような甘い匂いに、思考が薄れていく。
そんな中、ふと気付く。
女が抱える、大きな枕の存在に。
慎也がそれに気づいたことを察したのか、女は枕を搔き抱き、口元を隠すようにして、見せつけてきた。
そこに刻まれた文字は、『YES』。
それは、慎也の欲望を受け入れる、という女の意思表示に外ならず。
女の醸し出す淫蕩な雰囲気と、少しだけ気恥ずかしそうに枕の向こうからこちらを窺う愛らしさ。
女の持つ魅力の波状攻撃とも言うべき怒涛の攻勢に、慎也の脆い理性は敢え無く決壊した。
そうして、二人の夜は更けていく。
アンビバレンスってなんすか?(覚えたての言葉を使いたがる中学生)
いつか必ずバーヴァンシーも登場させます(決定)