二人が湖畔の新居に引っ越して数日。
聖杯戦争の勝者になったとはいえ、慎也はまだ18歳、時計塔に所属する学生である。
今日はレポートの返却日であり、一人ひとり生徒が呼ばれて教授の講評を受けている。
噂の愛人候補ですよーなんてのたまって、周囲から強烈なブーイングを受けるイヴェットのいつもの様子に苦笑しながら、慎也も立ち上がって教授の元へ向かった。
ぶっちゃけこういう形式のレポートを書くのは初めてだったので、内心何を言われるかドキドキである。
目の前に立った慎也を、教授はじろりと睨んで、
「お前、このレポートを『
「う」
図星だった。
現代での生活を満喫しているモルガンだが、彼女は神代の魔術を自在に操る魔女である。
身近にそんな存在がいて、頼らない術はないと思ったのだが……
「無論レポートを手伝ってもらうこと自体を咎めはしない。だがこれはあまりにも手が入りすぎだ。お前が魔術の世界に足を踏み入れて日が浅いのは理解している、最初から上手くやれる奴は居ないし、もしそうなら私など必要ない。加えて今回のレポートは初回のものだ。多少は配慮してやるつもりだった」
「すいません……」
「とりあえず再提出。……だが、着眼点は悪くない。理論の構築はまだまだ未熟だが、興味深い視点だ。資料の選出も大したものだ、私が知らない理論すらあった。まぁこれは彼女の手柄だろうが……彼女は少しお前を甘やかしすぎだな。助力を乞うのは構わないしむしろ推奨するところだが、意見を聞く程度にとどめておけ」
突っ返されたレポートを受け取って席に戻ろうとしたところで、教授に呼び止められた。
「あぁ、慎也。後で私の部屋に来るように」
「? はい」
何だろう。首を傾げつつも、おとなしく席に戻る。
それから数人の生徒のレポート返却が続き、スヴィンとフラットの乱闘から大騒ぎに発展したりと騒がしくなりつつも、何とか今日の授業を終えたのだった。
§
……コンコン。
「教授、慎也です」
「入りたまえ」
「失礼します」
授業を終え、教授の指示通りに彼の部屋へと足を運ぶ。
ドアを開けると、微かな葉巻の匂い。
部屋には教授だけでなく、彼の内弟子であるグレイもいた。
無数の本に囲まれた部屋。執務机に腰かけ、葉巻を咥える彼の姿は、傍らのモノクロームの少女の存在も相まって何かの絵画のようですらあった。
ぺこりと頭を下げてきたグレイに会釈を返して、教授に視線を戻す。
「それで、何で呼ばれたんでしょうか。……レポートは、ちゃんと書いて出しますので……」
「期限はしっかりと守るように……そのことじゃない」
ふぅ、と煙を吐き出した彼は、机の上に置いてあった紙袋を手に持って、
「まずは改めて、結婚おめでとう。そして引っ越しもおめでとう。これは結婚祝いと、新居祝いだ。何だかんだ渡していなかったからな」
「え、あぁ……ありがとうございます」
予想外の言葉に硬直するが、しっかりとお礼を言っておく。
結婚については、以前も祝福の言葉をもらっていたが、引っ越しについて言及されるのは初めてだった。と言っても、引っ越しをしたのはつい数日前の話なのだが。
グレイが持ってきた紙袋を受け取って、教授の了解を取って中身を確認する。
中に入っていたのは……
「ゲーム、ですか?」
「あぁ。生活用品なんかはすでにライネス達が渡したと聞いていたからな。もうやらなくなったソフトの中で、二人でも楽しめそうなものを選んでおいた。テレビはあるんだろう?」
「えぇ、一応」
「ならよし。説明書も同封してある。楽しんでもらえればありがたい。さて」
どうやら要件はこれだけではないようだ。
教授は執務机の引き出しから、小さな木箱を取り出した。
「……それは?」
「――『触媒』だ。お前なら、これでわかるだろう」
「……聖杯戦争でサーヴァントを召喚するための、触媒ってことですか」
確認するような慎也の低い声に、教授は重々しく頷いた。
グレイが息を吞み、部屋の空気が張り詰める。
「どうしてそれが、こんなところに?」
「約一か月前、イタリアで亜種聖杯戦争が開催されようとしていた。結局とある事件によってその聖杯戦争は開催されることはなかったんだが、その事件のさなか、時計塔に回収された触媒の一つがこれだ。それが巡り巡って私の元へ流れ着いたんだが、少し前に女王陛下から打診があってな。『その触媒を渡してほしい』と」
「モルガンから……?」
「その様子だと、聞かされていなかったようだな」
頷く。モルガンの口からそんなことを聞いた覚えはなかった。
最近何か考え事をしていたり、書斎に籠もっていたりする様子が見受けられたが、この件と何か関係があるのだろうか。
「彼女からは、お前を通して渡してほしいと頼まれた。お前に秘密にするつもりはないのだろうさ」
「みたいですね……」
「とにかく、確かに引き渡したぞ」
話はこれで終わり、と言うような教授の表情は実に清々しいものだった。
相当に触媒の扱いに悩まされていたのだろう。やっと手放せて清々したとでも言いたげだ。グレイが苦笑している。
精々ゲームのカセット二つ分ほどの重さの木箱が、ずっと重く感じる。
……モルガンの思惑はわからないが、それは直接聞いてみればいい。
彼女のすることだ。少なくとも、慎也と彼女にとって悪い結果にはならないだろう。
「そう言えば、この触媒が何なのか、って聞いても大丈夫ですか?」
「別に構わんぞ。その触媒は――
§
「ただいまー」
「おかえりなさい、慎也」
二人の家の玄関のドアは、モルガンの魔術によって、エルメロイ教室に備え付けられた姿見につなげられている。
某青い猫型ロボットの持つピンク色のドアの形をした秘密道具のように、一瞬で目的地へ行くことができる。
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてリビングへ向かう。
モルガンはソファにゆったりと腰かけて本を読んでいた。
何も言わずにそっと横に移動したモルガンに、短く礼を言ってその隣に腰を下ろす。
「今日は早かったですね」
「レポートの返却がメインだったからね。そう言えばあのレポート、再提出だって」
「残念です」
言いつつも、その表情はちっとも残念そうには見えなかった。
「……わかっててやってた?」
「もちろん。あなたはどうしても楽な方に行こうとするところがありますから。一度痛い目を見ることも必要かと」
「こいつめ」
耳の痛い話だった。
過去の経験故か、慎也には使えるものは全部使って最短で結果を求める傾向があった。
聖杯戦争などの戦いの場ではそれでよかったが、学問とはその過程をこそ重視するものだ。まして魔術の探求であればなおさら。
全くの正論であったが、何となく悔しかったので、つんとした彼女の頬を指で突いてみた。
ふにっ
「……なんです?」
「いや、何となく……柔らかいね」
ぷにぷに、とモルガンの頬で遊んでいると、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、
「おぶっ⁉」
白い頬に触れたはずの指が虚空に消えたと思った次の瞬間、自分の鼻の穴に突き込まれた。
モルガンの魔術で空間を繋げられたのだと理解したが、いきなり鼻腔の奥を突かれた衝撃で激しく咳き込んだ慎也にはそれどころではなかった。
そんな慎也の様子に、モルガンは溜め息一つ。
「お茶でも淹れてきましょう」
「ごほっ、えふっ……ちょっと待って。はいこれ」
そう言って渡したのは、教授から預かった触媒の入った木箱。
一瞬だけ硬直したモルガンは、それを大事そうに受け取って。
「ありがとうございます」
「僕はここに運んだだけだよ」
「……聞かないのですか」
「聞いてほしいの?」
「…………」
聞くと、彼女はしばし沈黙した。
やがて、どこか迷うように口を開いた。
「……ねぇ、慎也」
「なんだい」
「私は今、とても幸せです」
「それは嬉しいな」
「でも、私はとても、わがままな女です。もっと、幸せになりたいと思ってしまう」
「人間ならみんな、そうだと思うよ」
誰もが皆、今よりちょっとだけ幸せになりたいと思って生きている。
楽園の妖精、救世主として、何千年もの時間と命の全てをブリテンに捧げ、その全てを失った女王。
それが第三者の傲慢だとしても、彼女は幸せになるべきだと思う。
頑張った人間が報われないなんて嘘だ。
彼女には、今度こそ自分の幸せを追い求める権利があるはずだ。
「僕は、あなたに幸せになってほしいと願っているし、幸せにしたいと思ってる」
「えぇ……あなたが心の底からそう思っていくれることは知っています。それはとても嬉しい」
けれど、と。
膝の上に置いた木箱をそっと撫ぜて、
「私にも、居るのです。どうか、幸せになってほしいと思う存在が」
そう呟く彼女の目は、優しい慈愛に溢れていた。
「慎也」
「ん?」
「家族が増えることになる――と言ったら、どうしますか?」
「はい?」
§
衝撃の爆弾発言の後。その言葉の意味を問い質そうとしても、彼女は意味深に微笑むばかりで何も言ってはくれなかった。
てっきり責任を取らなければいけない案件かとも思ったが、どうも違うらしい。
顔一杯に疑問符を浮かべる慎也を置いて、「紅茶を淹れてきます」とだけ言ってキッチンに行ってしまうモルガン。
途方に暮れる慎也。
考えても答えは出そうにないので、結局考えないことにした。
そこでふと、教授から受け取った引っ越し祝いを思い出す。
ゲームをするのは子供のころ以来で、少し楽しみにしていたのだ。
紙袋から本体とコード、説明書を取り出す。
説明書は英語だったが、所々教授の手によるものと思しき注釈が入っていた。ありがたい限りである。
それを見ながら、テレビとゲーム機の接続を済ませていく。
コードがしっかり所定の場所に刺さっているのを確認し、ゲーム機とテレビの電源をON。
「おっ、できたできた」
「何です? それは」
紅茶のカップとポットを乗せたお盆を手に戻ってきたモルガン。
慎也は手に持ったコントローラーを見せて、
「テレビゲームだよ。教授から引っ越し祝いにもらってね。興味ある?」
「いえ、特には」
「そう?」
モルガンが注いでくれた紅茶で唇を湿らせて、ソフトをセット。
やるのは世界的に有名な土管工やマスコットたちが各々のマシンに乗り、様々なアイテムを駆使して順位を競うレーシングゲーム。
数年ぶりにやるゲームで、色々と仕様が変わっているようだった。
まずキャラクターを選択。最初なので、一番有名な赤い服を着た土管工を選ぶ。
「ふむふむ」
「…………」
キャラクターを選び、モードを決める。今回は最も基本的なグランプリモード。
4コースのサーキットがある4つのカップから一つを選ぶ。様々な種類があるが、初めてのプレイではどこを選んでもそんなに関係はなさそうなので、ランダムで決めた。
少しの読み込み時間を経て、コースの全景を眺めて、スタート準備。それほど特徴というべきものもない基本的なコースである。
今回のレースに出場するのは、慎也と
カウントダウンの後に、一斉にスタート。
スタートの際に使えるテクニックがあった気もするが、覚えていないので仕方がない。
最初はそこまで他キャラとも差がなく、団子になった状態で最初のアイテムボックスへ到達。出てきたのはスピードUPきのこが3つ。幸先のいいスタートだ。
一気にキノコを消費してトップへ躍り出る。そのまま順位をキープし、1ラップ通過。ちなみにラップ数は3、つまりコースを3周で1レースである。
バナナを設置したり緑の甲羅を後ろに着けて盾にしたり、なつかしさに浸りながら危うげなく3ラップ目。
途中危うくコースアウトしかけたりと一悶着あったが、なんとか1位で1コース目をクリア。
そのまま2コース目へ移行する。
ふと隣を見ると、紅茶のカップを持ったままの体勢で、モルガンがじっと画面を見つめていた。
「興味出てきた?」
「……いいえ」
「そう?」
続けて2コース、3コースと順調に進めていく。
徐々に勘も戻ってきて、4コース目に入る頃には2位以下に半ラップ近く差をつけることもあった。
そうしながら、横目でモルガンの様子を窺う。
興味なさげにしながら、慎也以上に興味津々な様子で画面を見つめるモルガンの様子に、笑い声がこぼれそうになる。
そんな風に気を逸らしてしまったためか、つい操作を誤って、自機がコースアウトしてしまった。
「あっ!」
「ぁ……」
慌てて意識を切り替え、操縦に集中する。
必死の操縦とアイテム運のおかげか、何とか2位でゴールイン。最後こそ1位を逃してしまったが、ぶっちぎりの総合優勝である。
リザルト画面を経由して、スタート画面へと戻り、一息。紅茶で喉を潤して、
「モルガンも、やるかい?」
「…………少しだけ」
というわけで、次はモルガンのチャレンジである。
どこか恥ずかし気ながらも弾んだ様子のモルガンにコントローラーを渡し、モードを変更。まず操作に慣れるために、VSモードを選ぶ。
モルガンが選んだキャラは、慎也の使っていた土管工の弟、細い体に緑色の作業着の土管工だった。
順位を競う相手もなく、タイムを計るわけでもないので、ゆっくりと確実にスタート。
そもそもゲーム機というものに触れたことのないモルガンである。最初はふらふらと動いて、逆走することすらあった。
む、む、と声を漏らして苦戦するモルガンに思わず笑みをこぼしつつ、横でアドバイスしながらゲームを進めていく。
「……大体理解しました」
流石は神代の魔術師というべきか。言葉通り、2回目にはほとんど基本的な操作をマスターしてみせた。
3回目にはロケットスタートやドリフトターボなどの発展技術まで使いこなして、慎也を戦慄させた。
の、だが。
「モルガン……別に、体を動かす必要はないんだよ?」
「…………」
道を曲がる度にその方向に傾いていたモルガンの背筋が、ピシッと伸ばされる。
しかしプレイするほど熱中しているのか、徐々に再び動き始めた。
あまりの可愛らしさにひっそりと笑みをこぼしていると、ずいっともう一つのコントローラーを突き付けられた。
「対戦したいってこと?」
「えぇ。めためたにしてあげます」
彼女らしからぬ言葉遣いに苦笑しながら、コントローラーを受け取る。
コントローラーをゲーム機に接続、二人で対戦するモードに変更。
キャラクターはそのまま、モードはグランプリ。いきなりで大丈夫かと聞いてみたが、問題ないの一点張りだった。
そんなわけで1コース目。結果は慎也1位。モルガン5位。
「…………」
「はは……まぁ、流石にね」
苦笑する慎也だが、モルガンはいたくご不満のようで。
「次です」
「はい……」
2コース目。慎也1位。モルガン4位。
「……次です」
「そんなに気にしなくても」
「次です」
3コース目。慎也3位。モルガン2位。
「手加減は無用です」
「いや、手加減なんて……はいすいません」
4コース目。慎也1位。モルガン2位。
「始めて数時間でこれはすごいと思うよ? 本当に」
「もう一度です」
「え?」
「もう一度です」
というわけでもう一戦。
結果は、
「そ、そんな馬鹿な……!」
「これが2000年妖精國を統治した女王の力です」
絶対違うと思う、とは口には出せない。完膚なきまでの完敗である。
最初は素直に祝福しようと思ったが、何とも自慢げなモルガンの表情を見ていると無性に悔しくなってくるのが人間の不思議なところで。
「……もう一回やろう」
「いいでしょう、何度でも受けて立ちます」
「言ったね……!」
そんなこんなで、二人は夕飯の時間まで、白熱しつつも穏やかな時間を過ごしたのであった。
尚、レポートはちゃんと書いて再提出した。
その際にゲームの礼を言うと、いくつか二人で対戦できるゲームを貸し出してくれたとか。
トネリコとウーサーの物語が見てぇよ……。