それは、突然のことだった。
「ただいまー……うん?」
違和感を覚えたのは、帰宅して靴を脱ごうとした時のこと。
玄関には、慎也とモルガンが使っている靴以外に、見たことのないハイヒールが一つ置かれていた。
湖畔の新居で生活を始めて、早一か月。エルメロイの面々がやってきてバーベキューをしたりなどもあった。
なのでこの家に二人以外の人間が足を踏み入れる機会も何度かあったわけだが、そういう時は必ず一言あるはずである。
思い返してみるも、そんな記憶はない。
「おかえりなさい、慎也」
「おかえりなさーい」
「……?」
やはり気のせいではなく、この家には慎也含めて三人いるらしい。
モルガンの知り合いだろうか。最近は時計塔で、
悩んでも答えは出ないし、モルガンが入室を許可した以上、滅多なことはないだろう。
廊下の角を曲がり、リビングへ足を踏み入れる。
「ふーん……アンタがお母様の」
聞こえてきた声に顔を上げれば、一人の少女がソファーに足を組んで座っていた。
目にも鮮やかな紅の髪に鋼色の瞳。血を固めたような深紅のドレスを纏った、美しい少女。
勝気そうな表情の少女が、じろじろと慎也を観察するようにねめつけていた。
「えーっと……君は?」
「あん? お母様から聞いてねーのか?」
「お母様……?」
少女の言葉に、脳裏に過ぎる記憶。
――マスターは、サーヴァントの生前の記憶を夢に見ることがある。
それは慎也とモルガンも例外ではなく、生前のモルガン――楽園の妖精ヴィヴィアン、救世主トネリコ、妖精女王モルガンと連綿と続く彼女の長い旅路を、慎也は垣間見ている。
多くが失意と絶望の汚泥に沈む中で、彼女の心に刻まれた光。
悪意の渦の中で、救世主たる彼女に小さな妖精が告げた、ちっぽけな感謝の言葉。
数千年の理想と引き換えにしてもいいと思えるほどに、強く、深く愛した、一人の心優しい下級妖精。
名を――
「私は妖精騎士トリスタン。妖精國の円卓の騎士の一人にして、モルガン陛下の娘、女王の後継者。本名は……ま、知らないならそれでいっか。お母様と深い関係のくせに何も聞いてないなんてかわいそ――」
「知ってるよ。赤いカカトのバーヴァン・シー。そうだろう?」
「……んだよ。ちっ、つまんねーの」
楽しそうな表情から一転して唇を尖らせる少女――バーヴァン・シー。
コロコロと表情を変える少女に、思わず目を奪われる。
「ま、どうでもいいや。んで、アンタがお母様と結婚したって言う慎也?」
「まぁ、そうだね」
「ふぅーーーん」
ジロジロと、色んな角度から見つめてきて。
「なんつーか、お母様が選んだにしては冴えねー
「ぐぅ……っ!」
心臓に杭をぶっ刺されたような衝撃。自覚があるだけに尚痛い。
いろいろと努力してはいるが、釣り合いが取れていないのは常々痛感していることだ。
他人から改めて言われるとやはり辛いものがある。
「顔はフツー、身長もフツー、ファッションセンスもフツー、魔力量は多少多いみたいだけどお母様を従えられるほど強くもない、お母様が住んでるのにこんな家しか買えない」
「ぐぬぬっ」
「ざーこ♡ かいしょーなし♡ 好き放題言われてるのに言い返せないよわむ……ふぎゅっ⁉」
突如、スコーンと音がしてバーヴァン・シーの頭が下がった。
見れば、いつの間にか現れていたモルガンが、手に持っている銀のお盆を振り下ろした状態で佇んでいた。
「お、お母様……」
「言い過ぎですよ、バーヴァン・シー。そこまでにしておきなさい」
「でもぉ」
モルガンは取り合わず、さっさとソファーに座ってしまう。
渋々とバーヴァン・シーもその隣に座り、慎也も二人に向かい合うように腰を下ろす。
自分で入れた紅茶を一口。モルガンは語り始めた。
「まずは紹介を。あなたも知っての通り、この子はバーヴァン・シー。妖精國における私の騎士であり、私のただ一人の娘。そして今は、私が召喚したサーヴァントです」
「サーヴァント……?」
「英霊の召喚、つまり
差し伸べられたモルガンの手の中に光が生まれ、やがてその光は黄金の杯となった。
それはかつて、彼らが参戦した聖杯戦争の発端とした亜種聖杯。
モルガンの人間としての受肉という願いを叶え、蓄えた魔力を使い果たした、空の小聖杯。
「でもそれには、もう魔力は残ってないはずだよ」
「えぇ、確かに。ですがこれは、確かに聖杯の器なのです。なので、私はこれを徹底的に解析しました。私は英霊召喚という儀式の真実とその方法を得ました。
大前提として、英霊を召喚するためには聖杯が必要です。では聖杯とは何か。端的に言えば、魔力を貯蔵する器です。
私の目的は、バーヴァン・シー一騎の召喚のみ。かつての聖杯戦争ほどの魔力は必要ない」
「必要な魔力が七分の一で済む、ということかな」
「もちろんそう単純なものでもありませんが……私はその目的を達成するために、あの湖を利用しました」
モルガンが目を向ける先を辿れば、陽光を反射してキラキラと輝く美しい湖面が見える。
よく目を凝らしてみると、うっすらとモルガンのものと酷似した魔力が漂っているのがうかがえた。
何故今まで気付かなかったのかと考えて……ずっと近くにいた慎也にすら変化に気付かないほど、ゆっくりと湖を彼女の領域に変えていったのだと思い至る。
「これは……」
「
こともなげにそう口にするモルガンだが、それは並大抵のことではない。
というか、彼女以外にできることではない。
彼女が数千年間積み上げてきた経験と知識、神域にまで達する超絶級の魔術。そして、何としても、あらゆる障害を打破してみせるという強い意思なくしては不可能なことだった。
もしこの場にロード・エルメロイ二世やライネスがいれば、彼女が口にしたことの意味を理解して、硬直してしまったことだろう。
しかし幸か不幸か、ここのメンツにその凄まじさを本当の意味で理解できるものはいなかった。
バーヴァン・シーはそもそも興味がなかったし、慎也はその深淵を理解するには知識が足りない。モルガンもことさら自分の魔術を誇るつもりもない。
重要なのは、確かに彼女の目論見は成功し、バーヴァン・シーはこうして現世に姿を現すことができたという事実だけだ。
「という経緯で、バーヴァン・シーがここにいる、というわけです」
「そういうことよ。お母様の魔術の深遠さに慄くといいわ」
「口を慎みなさい。慎也は私の伴侶、つまりお前の父となるのですから」
「はぁっ⁉」
「へぇっ⁉」
同時に素っ頓狂な声を上げる慎也とバーヴァン・シー。
いや確かに、言われてみればその通りで、バーヴァン・シーにとって慎也は義父、慎也にとってバーヴァン・シーは義娘となるというのは理屈が通るのだが。
混乱しつつも、いつかのモルガンの「家族が増える」発言はそういうことかと納得を覚える慎也。
しかしバーヴァン・シーにとっては到底受け入れられないことのようで。
「こ、こいつが私のお父様、ですって⁉」
「何か問題でも?」
「問題っていうか、い、いきなりそんなこと言われても……」
「お前もこれからここで住むことになるのです。ゆっくりと慣れていけばいいでしょう」
「で、でも、ぅ、うぅぅ~~……」
ゆっくりと諭すような言葉に、何も言えず唸り声を上げるしかないバーヴァン・シー。
慎也としても心情的にはバーヴァン・シーに寄っているのだが、モルガンがどれほどバーヴァン・シーのことを想っているかということを知っているために、口を挟みにくい。
バーヴァン・シーも敬愛するお母様に強くは言えないのか困り果てた様子で、迷った挙句、慎也をキッと睨みつけてきた。
そんな目で見られてもどうしようもない。
「大丈夫です、バーヴァン・シー」
「お母様……」
「これからは、私がずっとお前と共に在ります。――今度こそ、ずっと」
「おかあ、さま」
そっと優しく抱きしめるモルガンの胸元に額をこすりつけ、バーヴァン・シーは小さく肩を震わせる。
彼女たちの妖精國での結末を知る身としては、その様子に感慨深いものがあった。
彼女たち母娘の小さな幸せを守るためならば、どんなことでも為してみせる覚悟はある。
あるの、だが……この年で父親になるとは、思ってもみなかった。
ふと、
「そう言えば、バーヴァン・シー」
「なぁに? お母様」
「先ほどの慎也への発言、知らぬこととはいえ、父親になる相手に対してあれは言い過ぎです。……そのように教育した私の責任もありますが」
「うっ」
「それに、お前は“こんな家”と言いましたが、ここには私の愛する人がいて、これからはお前がいるのです。私にとって、キャメロットの冷たい玉座よりもずっと暖かい、大切な城なのです。それを嘲ることは、例えお前であっても許せることではありません」
「うぅ……ごめんなさい、お母様」
「私だけではなく。謝るべき人はもう一人いるでしょう」
「うぐぅ」
モルガンに促され、こちらを振り向く彼女の顔は、これ以上なく複雑なものだった。
お母様と親密に接することができて嬉しい気持ちと、叱られてしまいちょっと怯えた気持ち。そして慎也に対する対抗心のようなものと、少しの申し訳なさ。
そんな、実に味わい深い表情で、
「ご、ごめん……なさい。さっきは、言いすぎた、わ……」
「お父様」
「う、うぅ……! ごめんなさい、お父様ぁ!」
自棄になったように叫ぶバーヴァン・シー。
その瞳に煌めくものがあったことを、慎也は見て見ぬふりをすることにした。
「いや、いいさ。大体は図星だったし……。お父様、はともかくとして、モルガンの隣に立つのに相応しい男だと君に認めてもらえるように、僕も頑張るよ」
「……ふん、当然でしょ」
「こら」
「……アリガトウ、オトウサマ」
とんでもない片言の礼を聞いて、慎也は苦笑し、モルガンは溜め息を吐いた。
モルガンは「お茶菓子を用意します」と言ってリビングへ向かい、その場には微妙な雰囲気の二人だけが残される。
「えーっと、バーヴァン・シーって呼んでも?」
「……好きに呼べよ、オトウサマ」
「じゃあ遠慮なく。君の方も、無理に僕をそう呼ぶ必要はないよ。僕の方もちょっと困るしね……」
「お母様の言いつけだもの。このままいくわ」
「……本当にモルガン……お母様が好きなんだね、君は」
そう言うと、バーヴァン・シーは途端に目を輝かせて、
「当然よ! 私はこの世の誰よりも、何よりも、お母様を愛しているの!」
「言ったね? なら僕も、君と同じぐらい彼女のことを愛しているよ」
「私の方が上よ!」
「いや、どっちが上とかじゃなくて……」
「ダメよ! お母様への想いに関して、例え同列でも譲る気はないわ!」
胸を張って言い切るバーヴァン・シーに、慎也の心にも対抗心の火が付いた。
「そこまで言うなら仕方ない、決着をつけようじゃないか。もちろん僕の方が上だけどね」
「いいわよ、白黒はっきりさせようじゃない! 言うまでもなく、私の圧倒的勝利だけどな!」
「じゃあこうしよう、お互いにモルガンの好きなところ、愛しているところを一つずつ挙げていく、先に答えが出せなくなったら負けだ、これでどうだい?」
「わかりやすくていいな、受けて立つぜ! 被りはなしだからな、まずは私から――」
「……二人とも、その辺りで」
少し顔を赤くしたモルガンが割って入ったことで、二人の不毛な争いは中断されることになった。
しかし二人の『
リビングは和やかなお茶の場所から、本人を前にしての、『どれだけモルガンが魅力的であるか』を討論し合う場へと移り変わっていった。
結局その討論は、あまりの恥ずかしさにモルガンが顔を覆ってしまうまで続けられたのだった。
そんなこんなで、三人の賑やかな、けれど暖かい日常が、始まったのである。
途中の聖杯理論はほぼほぼ捏造です、細かい部分はスルーしてください(懇願)
Wordからコピペするときに毎度この一文忘れる。
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