アテネちゃんの執事!   作:通行人A'

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Task110:執事はつらいよ

 

「私、生ビール一つで!マリアちゃんは?」

「私はウーロン茶で」

「おっけー!先輩は?」

「……生で」

「はーい」

 

 詩織はけらけらと笑いながら、端末からひょうひょいと注文を済ませる。

 

 ここは都内某所のなんの変哲もない居酒屋。

 その一角のテーブルを囲むのは三人。詩織、マリア、そしてアイル。白皇学院生徒会、元同期の顔ぶれである。

 

「ふふ、また三人で集まれましたね」

 

 マリアが嬉しそうに微笑む。

 

「本当に。ね、先輩!」

「まぁ……私は了解した覚えがありませんが」

 

 アイルはそう言って、コップの水に口をつけた。

 

 数時間前のことを思い返す。詩織からの招集メッセージ「至急集まるべし!!」という文言が携帯に届いたのは、午後の業務の合間だった。既読も付けず、当然のごとく返信はしなかった。未読スルーというやつである。

 ゆえにこのまま無視を貫こうとした矢先、放課後の廊下で詩織と鉢合わせた。

 

 逃げる間もなく腕を掴まれ、気が付けば謎の化学兵器の大群に囲まれ、降参せざるを得ない状況に追い込まれた

 そして気が付けば、ここにいる。

 

「連行の手際の良さ、君は研究員より某国のエージェントにでもなるべきだな」

「だって先輩、絶対無視するじゃないですかー」

「否定はしないよ」

「でしょう!だから直接捕まえた方が早いと思って」

 

 詩織はいかにも得意げに胸を張る。アイルはため息をひとつ。

 

「マリア様も、こういう強引な誘いに乗らなくてもよろしいんですよ」

「あら」

 

 マリアはたおやかに首を傾けた。

 

「でも、牧村さんからご連絡をいただいた時は、素直に嬉しかったですもの」

 

 そう言って微笑む。詩織も「だよね!さっすがマリアちゃん!」と満面の笑みだ。

 本当に嬉しそうなその声に、アイルはそれ以上反論する気が削がれてしまった。

 

「分かりました。マリアお嬢様がそう仰るなら」

「よーし!じゃあ今日は目一杯飲むぞー!!」

 

 詩織がここぞとばかりに便乗する。アイルは半目でそれを一瞥しつつ、観念したように背もたれに身を預けた。

 

「それでさっそくなんですけど」 

 

 運ばれてきた生ビールをひと口あおった詩織が、おもむろに切り出した。

 

「実はですね、この春から白皇学院の担任になりました」

 

 テーブルに、沈黙が落ちた。アイルがジョッキを持ったまま、動きを止めた。マリアは微笑みをたもったまま、瞬きをひとつ。

 

「……今、なんと?」

「担任だよー、2年A組の!」

「教師?」

「イエス!」

 

 にこやかに宣言する詩織をよそに、顔を見合わせるアイルとマリア。

 

「えーと、つまりアレですか、世界中を回ってイエス・キリストの教えを説いていくという聖職者の」

「もー。それ教師じゃなくて宣教師だよマリアちゃん」

「ああ、つまりアレか。顔にお札貼り付けた死人の」

「それキョンシーじゃん!」

 

 珍しくツッコミを担う詩織は、ぐいっとジョッキを傾けると、やや強めにテーブルに置く。

 

「教師!ティーチャー!白皇の高等部、母校の先生になったんですー」

 

また沈黙。

 

「……白皇学院の?」

「そう、白皇学院の」

「牧村さんが?」

「私が」

 

  アイルはゆっくりとジョッキをテーブルに戻した。マリアの方をちらりと見る。

 

「アイル君、至急牧村さんの持ち込み私物の検査と、科学部の活動内容の再チェックを。危険な実験などを既に始めているかもしれません」

「……承知しました。心苦しいですが、部の休止も考えなくては……万が一も考えて先に理事会に根回しをしておきます」

「そうですね。最悪のケースを想定して動かないと」

「ちょっと!?二人してなんの心配してるんですか!?」

 

 詩織が声を上げる。2人は顔を見合わせ、それからほぼ同時に口を開いた。

 

「「学院の平和と安全だ(です)」

「私はどこのテロリストですか!!」

 

 心外だとばかりにぱたぱたと手を振る詩織だが、二人は訝し気な表情を崩さない。

 

「牧村。お前が過去に白皇でどんな非人道的な実験や開発をしてきたか、忘れたわけじゃないだろうな」

「ちょ、そんなマッドサイエンティストみたいに!そもそも、それはアレじゃないですか。高校の時の話というか、若気の至りというか」

「ついこの前お屋敷に来た介護ロボットは一歩間違えれば……いえ、間違えなくても殺りく兵器一歩手前でしたわ」

「ええ!?あの子は本当にいい子なんだよ?誤解だって!」

 

曰く、激しい気性とミサイルを常備している程度の至って平和な介護ロボットだとか。

 

「ともかく!誤解です、私だって進んで教師になったわけじゃないんです」

「国家転覆以外にどんな経緯があるっていうんだ」

「もう聞いてください!それを話すために二人を招集したんですから!」

 

 詩織はグラスをテーブルに置くと、やや神妙な顔を作ってみせた。

 

「異動です、異動。所長命令だったんです。」

「異動?」

 

 

 遡ること数日前。

 都内にある某研究所。

 

 所長室に呼び出された詩織は、机に神妙な顔つきをして腕組みをする所長の男性を前にきょとんと小首を傾げていた。

 

「牧村君、なぜ呼び出されたか分かっていないようだね」

「んー」

 

 詩織は口元に指を添えて視線を左右に彷徨わせていたが、やがて。

 

「分かった!ついに私が所長に昇進ですね」

「ちがーうッ!!」

「ひゃあ!」

 

 ちゃぶ台返しよろしく、机の上に積まれた書類をひっくり返す所長。宙に舞うのは、請求書の紙吹雪。

 

「君が開発したロボット(さつりくへいき)の数々が引き起こした被害についてだ!!」

「えー」

 

 ピンときていない部下に天を仰ぎたくなる気持ちを抑えてため息をつく。

 

「どの機体も暴走や大破、しまいには爆発。人的被害がないのが奇跡だよホント。いいかい、この状況を客観的に、冷静に俯瞰してどう思うかね牧村君」

「えっと……火力が足りない?」

「ちがーうッッ!!星を破壊する気は君は!!」

「ひゃあ!」

 

 所長の怒号に頭を抱えて飛びのくマッドサイエンティスト。

 

「いいかね牧村君!科学者にとって、最も大事なものはなんだ!?」

「もっとも…・・・大事?」

 

 詩織は再び小首を傾げて。

 

「開発費」

「違――わないけど、今は違う!」

「じゃあお金」

「同じだろ!そうではなくて」

 

 あ、と顔を輝かせて手をポンと打つ。

 

「分かりました!ケーキですね、ケーキ!甘いもの、糖分はイマジネーションには必須ですもんね!」

「……」

 

 心だあぁぁぁぁ!!

 

 所長の怒号が響き渡るのだった。

 

 

「で、所長が『お前はあまりにも人の心がわかっていない、しばらく教育現場で人間というものを学んでこい』って言われちゃって」

「……なるほど」

「いきなり開発から外されちゃったんですよ、ひどくないですか!」

「えっと……どちらがですか」

 

 マリアとアイルは顔を見合わせる。この話を冷静に客観的に聞けば聞くほど、どっちに付けばいいのか悩ましい……というか、ほぼもう答えが出ている気がする。

やがて口を開いた。

 

「ちなみに、直近で開発していたものはなんですか?」

「えーとね、対象の思考回路を48時間で完全書き換えできる音波兵器と、半径3キロの電子機器を同時無力化できる電磁パルス装置と、あとは――」

「その所長は世界を救ったな」

「先輩ひどーい!!」

 

 詩織が声を上げる。アイルは言わずもがな、マリアも微笑みを保ちながらも目が若干引きつっていた。

 

 

「ですが……まぁ、経緯等は一旦置いておくとして」

 

 マリアがそっとフォローするように口を開いた。

 

「牧村さんが白皇に来てくれたのは、素直に嬉しいですよ」

「ま、マリアちゃん……!」

 

 詩織が目をうるうるさせて、彼女に抱き着いた。捨てる神いれば、拾う神あり。

 アイルはノーコメントを貫く代わりに、静かにジョッキに口を付けた。

 

 注文した料理が次々と運ばれてきて、テーブルの上も賑やかに。各々料理やドリンクに手を付けながら、時折昔話にも華を咲かせる。

 そんな和やかなやりとりが続いていた、その時だった。居酒屋の入口から、明らかに出来上がった足取りの女性が入ってきた。

 

 

「あーもう最悪、なんで私だけ副担任なのよー……」

 

 ぶつぶつと独り言を言いながら入店してきたのは、水色の髪をほつれさせた桂雪路だった。既にそこそこ出来上がっているのか、足取りがやや覚束ない。

 

「お姉ちゃん、ちゃんと歩いて。もういい加減にしないさいよね」

 

 その後ろから、呆れた顔のヒナギクが続いて入ってくる。

 

「飲まなきゃやってられないでしょ!一杯くらい付き合いなさい!」

「私未成年だから無理に決まってるでしょ!」

「だったらせめて愚痴聞いてお願いヒナえもん!」

「……ったく、ここで最後だからね」

 

 そこで、ヒナギクの視線が店内の奥へと向いた。一瞬、動きが止まる。

 

「あ……」

 

 テーブルの一角に座る三人と、目が合った。アイル、マリア、そして詩織。

 

「あら、ヒナギクさん」

 

 マリアが微笑みながら手を振る。

 

「奇遇ですね」

 

 アイルも意外そうな表情で続く。ヒナギクが慌てて何か返そうとした、その瞬間。

 

「でたわねーー!!秀才ちゃん!!」

 

 雪路が目を滾らせて詩織を指差した。瞳にはみるみると闘志が満ち溢れ始める。出来上がっているのに妙に元気だ。

 

「あ、桂先生」

 

 一方の詩織はきょとんとしつつも、軽やかに手を挙げた。

「良かったら一緒に飲みませんか?」

「望むところ!!こうなったらショット勝負よ、ショット勝負!私に勝てれば新担任の座、譲ってあげる!」

「え!おもしろそう、それ乗ります!」

 

 詩織が即答で乗っかった。雪路が「よし!」と拳を握る。

 気づけば全員が同じテーブルに着いていた。ヒナギクはアイルとマリアに向き直り、深々と頭を下げる。

 

「……本当に申し訳ありません。うちのバカ姉が」

「お気になさらず」

 

 マリアが穏やかに首を振って、胸の前で両手を合わせると優しく微笑んでみせる。

 

「せっかくですから、一緒に食事にしましょう」

 

 その一言がごく自然で、ごく誠実で、ヒナギクは内心「なるほど。この人は女神なんだな」と当然のように納得してしまった。

 

 

「アイル君!貴方がジャッジにしなさい、ちゃーんと公正公平にするのよッ」

 

 雪路がテーブルをバンと叩いて宣言した。

 

「……なぜ私が」

「シャラップ!年長者の言うことは聞くものよ!」

 

 有無を言わせず、雪路はすでに二人の間の椅子をぐいっと引いて、アイルを座らせにかかっている。詩織はといえば、面白そうにその様子を眺めながら「先輩、観念してください」とにこにこしている。マリアはたおやかに微笑んだまま、特に助け船を出す気配がない。

 執事もまた、観念するしかなかった。

 

「えー、では僭越ながらジャッジを務めさせていただきます。」

「やんややんや!」

「お二人とも、まずはショットグラスを手に乾杯(かいかいせんげん)を」

 

 (アイルさん、ごめんなさい……あとでお姉ちゃんは八つ裂きにしますから!)

 

 盛り上がる隣のテーブルを見つめながら、ヒナギクは心の底からの謝意と決意を念じるのだった。

 

 ショット勝負は、予想以上の激戦となった。

 一杯、二杯、三杯。グラスが空になるたびに店員が新しいものを運んでくる。雪路は「まだまだー!」と声を上げ、詩織は「おもしろくなってきた!」と目を輝かせる。どちらも一向に衰える気配がない。

 

 その様子を横目に、マリアとヒナギクは和やかに食事を続けていた。

 

「ヒナギクさん、これおいしいですよ。よかったら」

 

 マリアが手元にあったお皿をそっとヒナギクの方に押し出す。

 

「あ、ありがとうございます。……本当、美味しい」

 

 ヒナギクが目を丸くする。マリアはくすりと笑った。

 ヒナギクはふと、改めてテーブルの上を見回した。居酒屋の定番メニューが所狭しと並んでいる。唐揚げ、枝豆、だし巻き卵。気取らない、ごく普通のラインナップだ。

 

「……あの、マリアさんって、こういうお店に来ることあるんですか?」

 

 思わず聞いてしまってから、ヒナギクはしまったと思った。失礼だっただろうか。

 

「あら、やっぱり変ですか」

「い、いえ!そういうわけじゃないですけど……マリアさんの料理ってプロ級じゃないですか。だから、外食するときも、なんていうか、高級な料亭とかレストランとか……そういうのかって思って」

 

「ふふ、確かによく言われます」

 

 マリアは少し可笑しそうに首を傾けた。

 

「でも私、実はこういう気取らないお店が好きなんですよ。ナギには内緒ですけど」

「意外です」

「人は見かけによらないということですよ。あ、流石にメイド服では来ませんよ?」

 

 2人の笑い声が重なる。テーブルにお通しの小皿が追加され、2人は自然と箸を伸ばした。

 

「ヒナギクさん、生徒会のお仕事はいかがですか。二年目になりますよね」

「そうですね。慣れてきた部分もありますけど、まだまだ至らないことばかりで。マリアさんは一年生で会長だったって牧村先生から聞いて、本当に驚きました」

「あら、そんなことまで話していたんですか」

 

 マリアが苦笑する。

 

「当時は若気の至りというか……今思えば随分と周りに助けていただいて。一人で抱え込みすぎて、たまに怒られちゃったりとか」

「え?マリアさんが怒られる姿なんて、ちょっと想像できないです」

「ふふ、よく言われます。でも本当のことですよ」

 

 マリアはちらりと視線を動かした。その先には、けらけらと笑ってショットグラスを飲み干す詩織、そしてため息をついているアイルの姿がある。

 

「……色々な方に、支えていただきましたから」

 

 そう言って、またヒナギクに視線を戻す。懐かしむような、しかしどこか寂しそうな色がその奥に隠れているような気がして。

 

「ヒナギクさんこそ、生徒会長として大活躍じゃないですか」

「いえいえ!私なんてそんな」

「そんなことないですよ。聞いていれば分かります、皆さん、ヒナギクさんのことが本当に大好きなんだなって。」

 

 ヒナギクは少しだけ目を瞬かせてから、照れたように視線を手元のグラスに落とした。

 

「……そう言っていただけると、励みになります」

「ふふ」

 

 背後では相変わらず雪路と詩織の激戦が続いている。アイルの「……十杯目」という呆れ混じりの声が聞こえてきた。

 

「はぁ……あの二人、本当に大丈夫なんですかね」

「さあ」

 

 マリアはにこやかに微笑みながら、小鉢に箸を伸ばした。

 

「でも、アイル君がついていますから、大丈夫ですよ」

 

 

 1時間後。

 

「あれ」

 

 詩織がボトルを傾けて、きょとんと首を傾げた。

 

「空ですね」

「次のボトル頼めばいいじゃない!」

「すみませーん」

 

 詩織が店員を呼ぶ。やや申し訳なさそうな表情で近づいてきた店員の口から返ってきた言葉は。

 

「申し訳ございません……ウイスキーはこれで切れてしまいまして」

「「え?」」

 

 二人の声が揃うと同時に、アイルはすっと立ち上がり、カウントしていたグラスの数を確認してから呆れた様子で口を開いた。

 

「では、引き分けですね……どれだけ飲む気ですか、あなた方は」

 

 不満の声を上げる二人だったが、アイルはそれ以上取り合わない。会計を済ませ、5人は店の外へと出た。夜風が心地よく、商店街の提灯が橙色の光を落としている。

 

 そこで雪路が詩織の肩をぽんと叩いた。

 

「ねえ詩織ちゃん」

「なんですかユキ先輩!」

「まだ飲み足りなくない?」

「トーゼン!」

 

 いつの間にか名前で呼び合っている。試合をしていたはずの二人が、すっかり意気投合していた。

 

「なら決まりね。二回戦行くわよ」

「いえーい!」

 酔っ払い2人が肩を組みで歩き出す。ふと雪路が振り返ってアイルを指差した。

 

「アイル君、アンタも行くわよ!!」

「そうですよ先輩、一緒に行きましょう!」

 

 詩織も便乗して、2人がかりでアイルの腕を引っ張りにかかる。

 

「ちょっとお姉ちゃん!いい加減に――」

 

 どこまで他人様に迷惑をかけるつもりだこの酔っ払いは。ヒナギクが声を上げようとしたが、アイルの手が彼女を優しく制するようにそっと出される。

 

「お姉さんはちゃんとお送りしますので、ご安心ください。それより、もう八時すぎになりますから」

 

 ヒナギクは時計をちらりと見た。確かに、学生の良識的にも、ましてや生徒会長という立場からしても、これ以上遅くなるわけにはいかない。

 

「はあ……本当にすみません、アイルさん。お姉ちゃんのこと、」

「ええ、お任せください」

「死なない程度にはぼこぼこにしちゃってください、よろしくお願いします」

「……え、ええ」

 

 殊勝な表情でとんでもない暴言を放つ生徒会長。素直に頷くに頷けないアイルだったが、マリアへと視線を移す。

 

「マリア様、申し訳ありませんが帰りをお願いできますか」

「はい。アイルくんも飲みすぎないように気を付けてくださいね」

「ええ、ご心配なく」

 

 酔っ払い2人に肩を掴まれ、なすがままに引きずられていく執事。やんややんやと盛り上がる女教師らの声は夜の街へと消えていく。そんな様子を、マリアはどこかおかしそうに、ヒナギクは呆れと申し訳なさが混ざったような表情で見送るのだった。

 

 

 

夜風が心地よく頬を撫でる中、2人は並んで歩き始めた。

 しばらくは無言だった。遠ざかる賑やかな声を聞きながら、マリアがふとくすりと笑った。

 

「桂先生、相変わらず明るくて楽しい方ですね」

「冗談じゃないですよ」

 

 ヒナギクがすかさず返す。

 

「うるさいし、迷惑ばっかりかけるし、あれで一応大人なんですよ?信じられます?子供ですよ子供、あの人」

「ふふふ」

「もう、笑い事じゃないですって……!」

 

 ヒナギクが半目で睨むが、マリアは笑いを堪えながらも続けた。

 

「けれど、聞いていれば分かりますわ。ヒナギクさんがどれだけお姉さんをお好きなのか」

「な……ッ」

 

 途端に頬を赤らめて視線を逸らすヒナギク。照れくさい話をこうも真正面からぶつけられると、返答に窮するというものだ。そんな彼女の気持ちを知ってか、マリアは穏やかに続ける。

 

「それに、お二人とも少しだけ……なんというか、良い意味で吹っ切れたような印象を受けます」

 

 その言葉に、ヒナギクの足が一瞬だけ緩んだ。

 

「……そう、見えますか」

「ええ」

 

 マリアは静かに頷く。それ以上は何も言わず、ただ穏やかに前を向いて歩いている。

 ヒナギクはしばらく夜空を見上げてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「……そうですね。いつまでも後ろばかり振り返ってもいられませんから」

 

 曖昧なようで、しかし確かな力強さを持った言葉だった。マリアはそれを聞いて、ただ優しく目を細める。

 

しばらく2人の足音だけが続いたが、やがてヒナギクが、少し明るい声で切り出した。

 

「そういえば……ナギは最近、どうですか?」

「ナギ、ですか」

「なんか、以前より笑顔が増えたような気がして。今年になってから、周りとの関わりも増えたみたいですし」

 

 マリアは少し考えてから、頷いた。理由は明白だ。

 

「そうですね。以前より不機嫌そうな顔は、減った気がします。それもこれも、ハヤテ君のおかげですわ」

「そうですね。もちろんマリアさんのこれまでの努力の賜物でもあると思いますけど」

「ふふ、フォローありがとうございます」

「いえ、本心ですって!」

 

 そう言っていただけると嬉しいです。

 マリアはそう言ってから、少しだけ目を細めると、頭上に浮かぶ月を見上げた。

 

 そして、ぽつりと。

 

「もしかしたら、私の役目はもう終わっちゃうのかもしれませんね」

「……え?」

「なーんて」

 

 冗談です。茶目っ気たっぷりに舌を出して、すぐにそう言い繕うマリア。

 安堵したように息をつくヒナギクだったが、彼女の瞳に一瞬だけ滲んだその寂しげな色に、何か得体の知れない心持ちを覚えた気がした。

 

「ひとまず……あの引きこもり癖を治して貰わないと」

「……確かに、今日も学校来てませんでしたね」

「そこはハヤテ君の頑張りに期待しますわ。いつか部活にだって復帰しちゃうかもしれませんよ」

「それは……」

 

 中々に、いや相当に高いハードルだろう。ハヤテですら一朝一夕には難しそうだが、彼ならばもしかしたら……

 

 商店街の灯りが遠ざかり、静かな住宅街へと入っていく。夜風が少しだけ冷たくなった。

 

「今日は楽しかったです。こうしてヒナギクさんとゆっくりお話しできる機会がなかなかなくて」

「私もです。今度また、ゆっくり食事でも。今度はお姉ちゃん抜きで」

「ふふ、ぜひ」

 

 2人の笑い声が、静かな夜道に溶けていった。

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 午前三時を少し回った頃。

 

「オールで飲み続ける!」と豪語する飲んだくれ2人を半ば強引にタクシーで帰し、帰路に着いたアイル。白皇の理事公舎の玄関扉をそっと開けた瞬間、パッと照明が灯った。

 

 エントランスから伸びる螺旋階段では、パジャマ姿のアテネとアリスが腕を組んで並んでいた。限りなく冷たい瞳をそろえて。

 

「……女の匂いがしますわ」

 

 アリスが白い目で一言。

 

「朝帰りなんて、いいご身分ね」

 

 アテネが氷点下の声で追撃する。ふと、リビングのテーブルに目が向く。冷めかけたお茶が、二人分。アテネの膝の上には、読みかけの本が開いたまま置かれていた。

 

アイルはバツが悪そうに視線を逸らし、しばらく間を置いてから静かに口を開いた。

 

「……執事は辛いよ。ということで一つ」

「「オチませんわ」」

 

 深夜の公舎に、二人の声が綺麗に揃った。

 

 

 

物語の終わり方について

  • エンディングは一つのみが好ましい
  • 各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
  • どうでもいい
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