オレンジ~朝焼けの島~   作:PlusⅨ

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第2話・朝焼けの島

 気づけば、海岸に倒れていた。

 

 規則正しく、定期的に打ち寄せる波の音が聞こえる。

 

 薄く目を開けると、オレンジ色に染まった空が見えた。飛行機雲が一筋、高い空に茜色の線を引いていた。

 

 私は仰向けに倒れていた。

 

 外部ユニットは全て脱落していた。いや、亡失していた、というべきか。

 

 倒れたまま首を巡らして周囲を見渡したけれど、ユニットの一部どころか、破片すら見当たらなかった。

 

 私は素体状態だった。

 

 子供のような小さく細い、頼りない身体を、薄い膜上のスーツで覆っただけの状態。

 

 立ち上がろうとして、ひどい目眩を感じて、倒れ込んだ。

 

 身体がひどく重かった。意思に従って動いてくれない。

 

 頭が痛かった。

 

 目を開けていられず、まぶたを閉じる。

 

 これは、意識が長時間、加速状態に置かれたために生じた副作用だ。

 

 無理やり加速された意識が、まだ正常に戻っていない。だから、既に通常の時間に落ちている身体との整合が取れなくなっている。

 

 体内でセルフモニタリングが始まったのが感じ取れた。身体の各部に損傷はないか、プログラムに異常はないか、自動的にチェックされていく。

 

 身体そのものに損傷はなかった。

 

 けれど、時間制御装置の存在が検出されなかった。

 

 

 

 ……おかしい、明らかに変だ。

 

 

 

 時間制御装置が、異常作動しているとか、動かないとか、そういうレベルじゃない。

 

 時間制御装置そのものが消失している、とセルフモニタリングシステムは、そう言っていた。

 

 私は思わず胸に手を当ててみた。

 

 でも、別に胸にぽっかりと穴があいているとか、そんなことはなかった。いつもどおり、薄っぺらい胸の下で人工心臓が音もなく作動しているだけだ。

 

 だいたい、時間制御装置は胸に搭載されてはいない。

 

 じゃあどこにあるのか――あったのかといえば、正直言ってわからない。知らない。

 

 身体のどこかにあるだろうとは思っていたが、それがどこなのか意識したこともなかった。

 

 そもそも、形あるものなのかさえ知らない。

 

 もしかしたらナノマシンのように小さな機械の集合体で、全身の血流に乗って巡っているのかもしれないし、体内コンピュータのプログラムのひとつなのかもしれない。

 

 物質的存在か、そうでないかさえ知らなかったのだ。存在しないと言われて、初めてその事実に思い至った。

 

 そう思いながら再び目を開ける。

 

 空には変わらない茜色の飛行機雲。……私はまた、おかしいと感じる。

 

 あの飛行機雲は、なぜ消えないんだ。

 

 さっきから一向に乱れもせず、本当に空に線を引いたかのように固定され、そこにあり続けている。

 

 重い身体をよじって、海に目を向けると、水平線に半分だけ姿を覗かせた、赤く巨大な太陽の姿があった。

 

 夕陽か、朝陽か。

 

 私の体内にあるジャイロコンパスが、この方角が東であることを示す。

 

 つまり、朝陽だ。

 

 私はしばらく、その朝陽をじっと眺め続けていたが、太陽は水平線に半分姿を埋めたまま、一向に昇ろうとはしなかった。

 

 静止した景色、まるで絵画のようだ。

 

 だけど、打ち寄せる波は定期的なリズムを刻んでいて、相対的に遅い時間内に居るようには見えない。

 

 一体どうなっているんだ?

 

 その疑問が、さらなる負荷となって私の意識を苛む。

 

 苦しい。

 

 生体脳が危険信号を発している。エネルギー不足だ。加速したままの意識が逆に生体脳を加速駆動させ、そのせいで脳が必要とするグルコースが欠乏しかけている。このまま脳が糖分不足で機能停止してしまえば、意識への過負荷が膨大となり、意識はそれに耐えきれず消失してしまうだろう。

 

 不死身のサイボーグだから、生体脳は再び蘇るはずだが、消失した意識は戻ることは無いだろう。つまり、私という存在の死だ。

 

 生体脳用のグルコース補充用の予備パックが外部ユニットに搭載してあるのだけれど、その肝心の外部ユニットは亡失してしまった。

 

……ダメだ、苦しい。死にそうだ。そう思い、ゾッとした。

 

 今まで、どうせ死なないとタカをくくってきた。だから、いい加減に死なないものかと嘯いたりもした。

 

 だけど、リアルな死の危険を前にして、そんなメッキはあっさりと剥がれ落ちた。

 

 苦しい。

 

 頼む、

 

 誰か助けてくれ……

 

 誰か……

 

 

 

 

 

 フッと、私の上に影がさした。

 

 

 

 

 いつの間に現れたのか、私のそばに膝をつき、見下ろす影がある。

 

 子供だ。少女。

 

 小柄な身体に、細く長い手足。

 

 白いワンピースは朝陽に染まっていて、私を見下ろすその顔は、光の当たる側に長い髪が垂れ下がってしまっていて、影の中にあった。

 

 少女の手が、私に向かっておそるおそる伸ばされ、額をゆっくりと撫でた。

 

 心配してくれるのか。

 

「グルコースを……補充パックを……」

 

 私が発した言葉に、少女は首をかしげた。

 

 それで朝陽のあたる角度が変わり、少女の顔が露わになった。

 

 透けるように白い肌と、大きな瞳。

 

 形は良いけれど低い鼻梁と、控えめな唇。

 

 そして細い顎。

 

 まるで人形のようなその顔に、ひどく見覚えがあった。

 

 当然だ、それは私と同じ顔だったからだ。

 

 そう、サイボーグ兵士共通の、その顔。

 

「頼む……補充パックを分けて……」

 

 私は必死にそう訴えたけれど、少女は――いや、少女の姿をしたそいつは、困ったように眉をひそめただけだった。

 

 言葉が通じないのか。

 

 それとも、私の声が判別不可能なくらい不明瞭なのか。

 

 どちらにしろ、このままでは私の意思が伝わらない。

 

 少女は……いや、サイボーグ兵士だ……苦しむ私にどう対応していいかわからずに、オロオロとしながら、せめてもといった様子で、私をなで続けていた。

 

 ……その仕草は兵士としてのそれじゃなく、少女だ。

 

 素人で、子供。

 

 兵士であり兵器でもあるサイボーグに、そんな個性を持ったものがいるはずもないけれど、過負荷に苦しむ私の意識は、そんな彼女の正体を探ることを放棄していた。

 

 わかっているのは、彼女がサイボーグで、言葉が通じなくて、けれど私のことを心配してくれているということだ。

 

 溺れる者は藁をもすがる。

 

 まさしく藁を掴む気分で、私は彼女の長い髪に手を伸ばした。

 

「――ひゃっ!?」

 

 私の手が髪を軽く包んだ瞬間、少女は電撃に打たれたように身をのけぞらし、飛び上がるようにして立ち上がった。

 

 力を抜いていた私の手から、少女の髪がするりと離れる。

 

 残された私の手の内には、自分自身の長髪の先端があった。この髪の毛は外部ユニット接続用の超極細ワイヤーセンサーだ。

 

 私の手の内で触れ合ったお互いのセンサーによって、一瞬にして情報が交換され、少女はそれに驚いたらしい。

 

 私の突然の行動に驚いたこともあるけれど、それ以前に、彼女は情報の直接通信自体が初めてだった。

 

 今の情報通信で、それがわかった。少女の通信ログは全くの白紙だった。使用されたことがないのだ。

 

 その上、搭載されている言語ライブラリは、まったく未知の言語だった。

 

 もしも彼女がサイボーグではなく、完全な機械知性体であったとしたら、コミュニケーション自体が不可能だっただろう。

 

 けれど幸い、私と彼女の生体脳の構造は同じだった。言葉は伝わらずとも、私の感情は伝わったはずだ。

 

 苦しい、

 

 助けてくれ、

 

 グルコース……甘いものが、欲しい。

 

 少女が私から離れ、どこかへと一目散に走り去ってしまう。

 

 思いが通じて助けを呼びにいてくれたのか……それとも、怯えて逃げ去ったのか。

 

 後者の可能性の方が高いのかもしれない。

 

 しまった、と後悔したけれど、もう遅い。

 

 絶望的な状況の中で、私は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨散霧消しかけた意識が、何かの力によって再び一つにまとめ上げられた。

 

 その力が、私の唇と喉を刺激する。

 

 口を塞がれていた。

 

 同時に、口腔内に液体が流れ込んでくる。

 

 呼吸器官が塞がれているために、その液体を反射的に飲み込んでしまう。

 

 水だった。

 

 唇の拘束が解け、私は大きく息をついた。

 

 目を見開くと、目の前にあの少女の安堵した表情があった。

 

 仰向けの私に、覆いかぶさるような格好だった。

 

 彼女は身を起こして、水の入ったカップを私に差し出す。

 

 私はそれを受け取ろうとしたけれど、手を動かそうとしただけで、また意識が遠のきかけた。

 

 少女は差し出したカップを自分の口に運び、そして再び私に覆いかぶさる。

 

 口移しで飲まされた水が、かろうじて私の意識をつなぎとめた。

 

 彼女はカップを脇に置き、そして、そばにあった小さな赤い実を手にした。

 

 赤い実を口に含み、二~三度噛み潰す。

 

 口移しで飲まされたそれは、とろりと、甘い。

 

 消化器官へと送られたそれは、速やかに分解され、必要な栄養素を生体脳へと運んだ。

 

 四つ目の実を消化し終えたころ、私は、身体を起こせるほどに回復した。

 

 

 

 

 

 

 

『あなたはだぁれ?』

 

 少女の手元にある三十センチ四方の板状の機械から、舌足らずの声でたどたどしい問いかけが発せられた。

 

 音声発生プログラムが組み込まれた、可搬式情報処理装置らしい。

 

 私が彼女に名前を聞いたとき、彼女はしばらく迷った末に、またどこかへと走り去って、そしてこの装置を持ってきたのだった。

 

 彼女はその装置の表面に自分の髪の先端を触れさせ、音声発声プログラムを介してこう言った。

 

『こんにちわぁ、ハツネミクです♪』

 

「……ハツネミク?」

 

 私が彼女を指差し、聞き返すと、彼女は「あれ?」という顔をして、手元の装置を覗き込んだ。

 

 装置が、歌うように言った。

 

『ハツネミクです♪』

 

 彼女は慌てて首を横に振った。

 

 違う、そんな名前じゃない。と、言いたいのだろうか。

 

 彼女は装置を横に置いて、自分を指差し、口を開いた。

 

「wsvbnvgth」

 

 彼女に触れた時に感じた、未知の言語だった。

 

 多分、自分の名を言っているのだろうけれど、何度聞いても発音できそうにない、複雑な音だった。

 

 彼女は諦めたような表情で、再び装置を手にした。

 

『ミクだよ~』

 

 能天気で明るい声がそう名乗る。

 

 ふてくされたような彼女の表情とは、ひどく対照的だった。

 

『あなたはだぁれ?』

 

 装置にそう言わせて、彼女はそれを私に差し出す。

 

 私はそれを受け取り、自分の髪の先端を触れさせた。

 

 装置に入っていたプログラムは、複数の言語ライブラリを搭載した、翻訳装置の一種だった。

 

 彼女に対応した、私にとっては未知の言語ライブラリも登録されていた。

 

 とりあえず「だれ?」と訊かれたのだから、名乗るのが礼儀だろうけれど、言葉での入力機能が無い。

 

 これは、ある言語の単語を、同じ意味を持つ別の言語の単語に翻訳するものではなかった。

 

 どうやら、この装置は、使用者の言語ではなく、感情を読み取る装置らしい。

 

 つまり感情だけで名乗れというのか。なかなか難しい条件だった。

 

「私は―――だ」

 

 とりあえず装置にアクセスしたまま、口に出して言ってみる。

 

 ほとんど同時に装置も言葉を発した。

 

『aefハツネミクwm』

 

 意味不明の音の羅列の中に、ハツネミクという単語だけははっきりと識別できた。

 

 なるほど、そういうことか。

 

 目の前でクスクスと笑い出した彼女を見ながら、私は納得する。

 

 このプログラムには、固有名詞は<ハツネミク>しか登録されていないのだ。

 

 感情に一番近い言葉を選択するというアバウトな性質上、どんな名前であろうとも<ハツネミク>としか翻訳されないのだろう。

 

 名乗るという行為を言語に翻訳しているのだから、これはいわば、気持ちを代弁する装置といってもいい。

 

 随分とアバウトな装置だが、その気になれば言語を持たないモノに対する翻訳も可能だろう。例えば、犬とか、猫とか。

 

 彼女が、私が持ったままの装置に髪で触れた。

 

『私はミク。あなたもミク。同じだね。変だね。楽しいね』

 

 彼女、ミクは、クスクスと笑った。

 

 表情が豊かだ。

 

 表情筋の動かし方さえ忘れたサイボーグ兵士とは、違う。

 

 彼女は一体何者だろう?

 

 と、訊いたところで彼女にも答えられないだろうから、やめた。

 

 感情表現だけで自分が何者かなんて、答えられるはずがない。名前だけならお互いの発音を覚えればなんとかなるが、それ以上の説明は不可能だ。

 

 だから、私は別の質問をしてみた。

 

「これは、どこから持ってきた?」

 

 私の質問を、装置が(おそらくかなりアバウトに)翻訳し、彼女に伝える。

 

 ミクが答えた。

 

『これ、拾ったの。あっちにいっぱい落ちてるよ』

 

 落ちてた?

 

 私が首をひねると、彼女は装置を持って立ち上がり、空いた方の手で、私の手を取った。

 

 彼女に手を引かれて連れていかれたのは、浜辺から陸地へと五分ほど奥へと進んだ場所だった。私が最初に倒れていた場所からは、地形上、影になって見えていなかったが、そんなに離れているわけでもない。

 

 そこに、大量の機械類が散乱していた。

 

 大半が、一見しても何がなんだかわからない機械部品だらけだった。そんなものが、野原のような開けた場所を埋めつくすように散らばっている。

 

 その機器類に混じって、ところどころに車両らしきフレームが、オブジェのように転がっていた。

 

 ガラクタの廃棄場のようにも見えたけれど、少し違うらしい。

 

 私の髪センサーが、散乱する機器類の中で電気信号が走っているのを感知する。恐らく太陽光か、もしくは温度差を利用した自己発電機能が組み込まれているのだろう。

 

 ここにある機器類は、みんな生きていた。

 

 ここの機器類の電気信号は、それぞれデタラメに、ランダムに発せられていたが、

 

『あなたとお話したいと思ったら、この子たちが教えてくれたの』

 

――教えてくれた?

 

 私が目で問うと、彼女はコクリと頷いて、そして自ら電気信号を発し始めた。

 

 彼女の長い髪が、静電気を孕んでわずかに広がる。

 

 周囲の機器類が、それに一斉に反応した。彼女の信号に同調して、同じパターンを繰り返し始める。

 

 それはまるで、彼女を中心に、水面に波紋が立ったようだった。

 

 その波紋が周囲へ同心円状に広がったかと思うと、今度はすぐに収縮し始める。

 

 その波紋はやがて、彼女が持つ装置へと収束した。

 

 今のが、“教えてくれた”という意味だろうか。

 

 彼女が、言う。

 

『あなたが“甘いもの食べたい”って言った時も、この子たちが教えてくれた』

 

 彼女がまた信号を出す。

 

 私には先ほどの信号と区別がつかなかったけれど、散らばる機器類はさっきとは違う反応を見せた。

 

 信号の波は広がり、今度は別の方向へと収縮し始める。

 

『あっち』

 

 信号が収縮する方向へ、彼女に手を引かれて歩き出す。

 

 野原が終わり、今度は背の低い木々が生い茂る林に入った。

 

 機器類はそこかしこに散乱していた。

 

 信号の収縮の終着点は、その林の中の、一本の木の根元に落ちている一枚の基盤だった。

 

 その木を見上げてみると、ちょうど手を伸ばせば届く高さに、赤く小さな実が鈴なりになっていた。

 

 彼女と二人で、ひとつずつ食べる。

 

 さっき食べさせてもらった、あの実だった。

 

 彼女に手を引かれ、散策を続ける。

 

 それで、ここが島だということがわかった。

 

 半径2キロほどの円形の、小さな島。

 

 島の東側には、私が倒れていた砂浜が広がり、そこから島中央に向かって野原、そして緩やかな小高い丘陵となっている。

 

 丘陵には背の低い雑木林が生い茂っていて、そこを抜けると、西側の海岸に出た。

 

 西側は砂浜じゃなく、岩肌がむき出しの切り立った海岸だった。

 

 機器類は、そこにも転がっていた。

 

 岩や崖っぷちだけじゃなく、ときおり海からも信号を感じたから、たぶん海底にも散らばっているんだろう。

 

 西の海岸沿いに南へ下っていくと、突然、舗装道路に出た。

 

 コンクリート舗装された一車線の道路。海沿いを巡るようにゆるくカーブしている。多分、島でいくつか見かけた車両用の道路だろう。

 

 けれど、道路は南側の一部しか残っていないようだった。

 

 私たちは、南側の突端を取り巻くように西から東へと伸びる道路を進むと、それは不意にぷっつりと途切れた。

 

 海に張り出した道路は崩れ落ちていて、その先は、波が繰り返し打ち付ける海の景色。

 

 途切れた道路の端に立って、さてこれからどうしようかと思ったところで、隣にいた彼女の長い髪が、また静電気を孕んで膨らんだ。

 

 相変わらず周りに散らばっていた機器類が、彼女の信号に応える。

 

『こっちにも、道があるって』

 

 彼女がそう言って、道路脇の斜面を指差す。

 

 茂みに隠れるように、細い一本の石段があった。

 

 丘陵の上に向かって緩やかに伸びていくその石段を登ると、そこには色あせた朱色の鳥居と、風化して表面が滑らかになってしまった二匹の狛犬像があった。

 

 どうやら神社らしい。

 

 だけど、肝心の社は残っておらず、雑草の生えた空き地だけが広がっていた。

 

――ここは日本領なのか?

 

 装置を介して彼女にそう訊いてみたけれど、うまく伝わらなかったようだ。“日本”という固有名詞が、この装置では翻訳不可能だったからだろう。

 

 だから、別の質問をしてみた。

 

――ここはどこなんだ?

 

『ここは、島で、丘の上だよ』

 

 そんなものは、見ればわかる。と言いたくなるような返答だったけれど、そう答えた彼女自身、困ったような表情を浮かべていた。

 

 きっと、他に答えようがなかったのだろう。固有名詞が伝わらないこの装置で、感情だけで状況を説明するというのは難しい。どうやら私は、答えようのない質問をしてしまったようだった。

 

 だけど、彼女が返答に窮したのにはもうひとつ理由があったことを、私は知った。

 

『私も、ここのことわからない。目が覚めたら、ここにいた。あちこち歩いてたら、あなたを見つけた』

 

――じゃあ、君はどこから来たんだ?

 

『知らない』

 

 明確な答えだった。彼女は本当に、自分がどこから来たのか知らないのだろう。

 

 そして、それは……

 

『あなたは、どこから来たの?』

 

 ……私も同じだった。

 

 きっと、言葉が通じていたとしても、どう答えていいかわからないだろう。

 

――知らない。

 

 私がそう答えると、彼女は、

 

『私たち、同じだね』

 

 そう言って、笑った。

 

 私たちのいる場所はちょうど丘陵の頂上あたりだった。景色が開けていて、そこから島をほぼ一望することができる。

 

 丘陵は私たちのいる南側を頂点として、北へ緩やかに傾斜していた。

 

 その彼方、北側の端近くのなだらかになった場所に、十字架を立てた三角屋根の建物が見えた。

 

 教会、なのだろうか。

 

 傍らの彼女が、私の視線に気づいて、

 

『行こうよ』

 

 そう言って、私の手を引いた。

 

 丘陵をくだり、島の東側に広がる砂浜を、北に向かって歩く。

 

『変わらないね』

 

 彼女が、水平線に半分だけ姿を覗かせたまま動かない太陽を見て、つぶやいた。

 

――変わるの?

 

 と、私は問う。

 

 彼女は頷いた。

 

『私が目を覚まして、島をウロウロしていた時は、ちゃんと夜になった。朝になって、あなたを見つけてから、変わらなくなった』

 

 どうやら太陽が昇らなくなった原因は、私にあるらしい。いや、私に搭載されていた時間制御装置が原因と言うべきだろうか。

 

 私の内部からその存在が消えたことが、なにか関係しているのかもしれない。

 

 頭上を見上げれば、赤い空にくっきりと残る飛行機雲。

 

 視線を水平線に落とすと、朝陽は相変わらずオレンジ色の光を横から投げかけ、砂浜に二人分の長い影を伸ばしている。

 

 その朝陽から左側へ少し離れた空に、黒いシミのような点が、ぽつんと浮いているのに気がついた。

 

 はじめは鳥か飛行機かなにかだと思ったが、目をこらしてみても、太陽に近すぎて完全に逆光になり、黒い影としか見えなかった。

 

 こちらもその浮いている位置からピクリとも動かない。

 

 なぜだろう?

 

 その疑問をずっと抱いて海を見ながら、砂浜を歩いていた私は、不意に、ある事実に気がついて足を停めた。

 

『どうしたの?』と、彼女。

 

――無い。と、私。

 

 確か、私は最初、このあたりの砂浜に倒れていたはずだった。それなのに、その痕跡がどこにも見当たらない。

 

 私を介抱してくれた彼女の足跡もなかった。

 

 木の実や、装置を取りに行くのに何度もこのあたりを往復していたのにも関わらず、だ。

 

 私は、背後を振り返って、いま歩いてきた方向を見た。

 

 砂浜には、私と彼女の、二人分の足跡がはっきりと残っている。

 

 けれど、しばらく眺めているうちに、不可解な現象が起きた。

 

 その足跡が、遠くの方からひとつひとつ、砂に埋もれるように消え始めたのだ。

 

『びっくり』

 

 彼女が目を丸くし、手元の装置がその感情をそのまま言葉に表した。

 

 私はあることを確かめるために、彼女と手をつないだまま、波打ち際へと向かった。

 

 砂浜には波が、定期的に、リズミカルに打ち寄せている。

 

 私は、波打ち際ギリギリまで近づき、そこに指で一本の線を引いた。

 

 波が一旦引き、そしてまた打ち寄せてくる。

 

 波は、線ギリギリで止まり、引いていった。

 

 そして再び波が来る。

 

 その波も、やはり線ギリギリで止まった。

 

 波はまるで測ったかのように、同じタイミングで打ち寄せ、同じ場所で止まり、同じ速度で引いていった。

 

 それを数度繰り返すうちに、砂浜に引いた線は、波に一度も触れていないのに、足跡と同じようにひとりでに消えていった。

 

『変なの~』

 

 彼女が首をひねる。

 

――ふるえてるんだ。

 

 と、私。

 

 時間が震えているのだ。

 

 ほんの僅かに時間が進んでは、また過去に戻っている。

 

 要するに時間が停止しているのと、ほとんど変わらないということだ。

 

 けれど、

 

『どうして、ふるえてるの?』

 

――わからない。

 

 結局、何が何だかさっぱりだった。

 

 ミサイル爆発の中で時間逆行を引き起こし、そして時間停止。

 

 はっきり言って、自分が今、どこにいて、どの時間にいるのかさえ、わからない。

 

 だけど……

 

 私は、傍らにいる彼女を見た。

 

 彼女は、

 

『へんなの~、へんなの~』

 

 と、歌うように呟きながら、波打ち際に線をひいては、それがひとりでに消えるのを眺めていた。

 

 彼女はこの止まった時間内でも、通常と同じように動いていられる。

 

 私のように、だ。

 

 ということは、やはり彼女も時間制御装置を持っているのだろう。

 

 しかもそれは、私の時間とも同期しているということだ。

 

 それが一体どうして起きたのか、彼女の時間制御装置を調べてみれば、わかるかもしれない。

 

 私は、

 

「ミク」

 

 と、彼女を呼んだ。

 

 こっちを向いた彼女に、私は自分の長髪の先端を持って示してみせる。

 

 彼女は少し首をかしげていたが、やがて、それが意味するところに気がついた。

 

『やだっ!?』

 

 彼女は自分の髪を、両手で左右に束ね持って、慌てて私から離れた。

 

 彼女の足元に、装置が落ちる。

 

 私は装置を拾い上げ、

 

――どうして?

 

 と、訊いた。

 

 彼女はおずおずと髪の一本を装置に触れさせ、こう答えた。

 

『それくっつけるの、ちょっと……ハズカシイ』

 

 彼女の顔が、朝陽の中でもそれとわかるくらい、真っ赤に染まっていた。

 

 私は彼女の反応の理由が、よくわからなかった。

 

 電子通信の、何がそんなに恥ずかしいのだろう。所詮、ただのデータのやりとりに過ぎない。

 

 別に、裸で触れ合おうと言っているわけでもないのに……そこまで思って、ふと、裸で触れ合うなんてイメージをよく思いついたものだ、と自分でも驚いた。

 

 裸になる、ということを意識したのも久しぶりだ。

 

 サイボーグ兵士に改造されてからというもの、自分の身体でさえ道具扱いしていたから、羞恥心という概念そのものを忘れかけていた。

 

 じゃあ、それを覚えている彼女は、やっぱり兵士ではないのだろう。

 

 私はそう思い、そのことに不思議と納得と安心を感じた。

 

 彼女が、人間ではないにしろ、少女であるということに、好ましさを感じていた。

 

 だから私は、直接通信を諦めた。

 

――ごめんね。

 

 私はそう言って、装置を彼女の足元に置いて、そして後ずさって少し離れた。

 

 彼女が髪から手を離し、装置を拾い上げる。

 

『私も、ゴメン。でも、ハズカシかったの』

 

 まだ顔を赤らめながら、それでも彼女は、私に片手を差し出した。

 

 私は、その手を取った。

 

『行こ?』

 

 彼女の言葉に、私は頷く。

 

 そのとき私は、自分がほほ笑みを浮かべていることに気がついた。

 

 それは記憶にある限り、数十年ぶりの笑みだった。

 

 

 島の北側になると、丘陵はもう終わり、そこはほとんど平野のようになっていた。

 

 その教会は、草生した平野部と砂浜の境目の部分に建っていた。

 

 教会はかなり古ぼけていて、色あせたステンドグラスがはめ込まれた窓、空に尖る三角屋根の天辺には今にも朽ちそうな白い十字架、そして壁一面には大量の蔦が這い回っていた。

 

 外見は確かに教会だった。けれど、内部に脚を踏み入れてみると、そこは私の知っている教会とはかなり違っていた。

 

 入るとすぐに待合室のような空間があり、そして、その先には、あるはずの壁がなく、砂浜とオレンジ色の海景色が果てしなく広がっている。

 さらには、教会から出たすぐそこに横たわる二本の鉄のレール。それは線路だった。

 

 そう、ここは教会の形をした駅なんだと、私は気づいた。

 

 赤錆た線路はこの教会駅を起点として、海沿いに島の西側へと伸びていた。私たちが島の西側を、中程から南下したときは線路を見かけなかったから、恐らく南側にあった道路と同じく途中で切れてしまっているんだろう。

 

 しかし、あの道路にしろ、この線路にしろ、いったい何の用途に使われていたんだろう? 私は、駅のホームで線路の先を眺めながら、そのことに思いを馳せる。

 

 その間に、彼女は、

 

『たんけん♪ たんけん♪』

 

 と、装置に呟かせながら、駅の中をウロウロしていた。

 

『ねぇねぇ、みてみて~』

 

 彼女に呼ばれ、駅の中に戻る。

 

 彼女は、駅の一画を見上げていた。

 

『これ』

 

 と、指さされた先にあったのは、壁にかけられた、一枚の大きな世界地図だった。

 

 北を上とした太平洋中心の見慣れた形式で、日本列島から南下した位置に、小さく赤い点が打たれている。

 

 この赤い点は、この島の位置だろうか。小笠原諸島にも近い位置だけど、こんな場所に島があったなんて記憶はない。

 

 だけど、もしこの地図が本物なのだとしたら、なんとかならない距離じゃない。うまくすれば、なんとか――

 

 

『――帰りたい』

 

 

 不意に、彼女の手元で装置がつぶやいた。

 

 私は、驚いて彼女を見る。

 

 彼女も、びっくりしたように手元の装置を見ていた。

 

 彼女は私の視線に気づき、首を横に振った。今の言葉は、彼女のものじゃ無い、ということなんだろう。

 

 じゃあ、誰の言葉だったのか、といえば……

 

 ……やっぱり、私なのか。

 

 私は、自分の髪が、いつの間にか静電気を孕んでわずかに広がっているのを自覚した。無意識のうちに、電気信号を発していた。それも、装置に触れてもいないのに作動させてしまうほど、強い信号を。

 

『帰りたいの?』

 

 と、彼女が問う。

 

 私は頷いた。

 

『どうして?』

 

 任務中だからだ。私は兵士だ。帰還して、報告する義務が――

 

 

『――逢いたい人がいるから』

 

 

 装置が、勝手に答えた。

 

 とても切なく、寂しそうに。

 

 あの人に、逢いたい。と、装置が泣いた。

 

 そう、泣いていた。

 

 装置から漏れ出る言葉は、彼女の使う道の言語だったのに……

 

 ……私にもすぐに理解できてしまうくらい、感情がこもっていた。

 

 彼女がそばによってきて、私の頬に触れた。その細い指先が、こぼれた涙を拭う。そのとき初めて、私は泣いていたんだと自覚した。

 

 なんで、どうして……

 

 訳もわからないまま、胸が苦しくなる。

 

 苦しく切ない想いが、静電気となって私の髪を膨らませ、パチパチと音を立てて爆ぜた。

 

 装置が、ひどく物哀しいメロディを奏でだした。言葉のようで、言葉じゃない、哀しい歌。

 

 あぁ、そうか。

 

 私はようやくこの装置がなんなのかを理解した。

 

 これは、歌うためのものだったんだ。

 

 言葉にならない想いを、歌として表現する装置。

 

 その装置が、私の抑えきれない想いを受け止めて、泣いている。

 逢いたい、帰りたいと、鳴いている。

 

 もう顔も名前も覚えていないけれど、かつて確かに誰かを愛していたあの頃に帰りたいと、その気持ちが歌になって溢れ出していた。

 

 気がつけば、私は彼女に抱きしめられていた。

 

 その胸の中で、私は、何十年かぶりに泣いた。

 

 

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