『ねえねえ、これ使える~?』
彼女がそう言いながら、拾った木の枝を私に向かって振ってみせる。
私は苦笑して、首を横に振った。
『ちぇーっ』
頬をふくらませて、枝を投げ捨てる彼女。
私は彼女のそばに寄り、投げ捨てられた小枝の近くにあった車両フレームの廃材に手をかけた。
長さ3mほどのパイプだ。質感は金属なのに、恐ろしく軽い。
これなら、イカダの材料にうってつけだろう。
『これにするの?』
私は頷く。
『手伝うね』
二人で、パイプの端と端をもって歩く。
海沿いの赤錆た線路を、私が前、彼女が後ろで、
『がった~ん、ごっと~ん♪』
電車を真似て、装置が歌う。
教会駅前には、すでに同じような長さのパイプや、木の枝がいくつも集めてある。
『いっぱい集まったね~』
私は頷く。
『これでオシマイ?』
私は首を横に振る。
海を渡るイカダを作るには、まだまだ材料が足りない。
『じゃあ、れっつご~』
こうやって、私は今日も島をめぐる。
今日、という概念はどうやって説明すればいいだろう?
時間が止まった世界で、太陽さえも動かないオレンジ色の景色でも、それでも、私の中で一日という時間は過ぎていた。
彼女とともに島を歩き、材料集めに疲れたら、雑木林に実る果実をとって食べながら休む。
装置を使って彼女と語らい、そして、装置を使って様々な感情を歌わせる。
彼女と一歩、歩くたび、
彼女と一言、交わすたび、
彼女と、歌を、歌うたび、
私の中で、時が刻まれていくのを実感する。
時間制御装置を失った私だけど、私の時間は、そんなものに左右されるものなんかじゃなかった。
それが、わかった。
日に日に、教会駅前に積み上がっていくイカダの材料が、満足行くくらい集まった頃。
私は、彼女とともに浜辺に座っていた。
二人のあいだには、雑木林で採れた様々な果実。
雑木林には大量の果実があって、その種類が何かはさっぱりわからなかったけれど、私たちにとって有益なものかどうかは、例の散乱する機器類が教えてくれた。
私はリンゴにも似た果実を一つ取り上げ、それを口元に持っていく。
右手の果実を、左手で指差し、次に自分の口元を指して、ゆっくりと、
「食・べ・る」
と、言って果実を一口かじった。
それを見て、彼女も果実を手に取り、
「ta・bu・ly」
シャクリ、とかじり、数回かんで飲み込む。
そして、私がさっきやったようのと同じように、彼女は手元の果実と口元を交互に指さして、
「sxcfgty」
と、言った。
彼女の言葉で、食べる、という意味だった。
私はデータログに記憶した音を必死に真似て、同じように発音してみる。
「せくすくーてぃ」
『ちがう~』
装置からのダメだし。
彼女はもう一度、ゆっくりと同じ言葉を繰り返す。
私はそれを、何度も、何度も繰り返す。
『う~、惜しいっ』
私の発音では、なかなか彼女の言語を正確に発することができなかった。
彼女の言語というのは、どうやら声調言語の一種らしかった。
声調言語とは、テキスト上では同じ言葉が、音の強弱や高低などのわずかな発音の変化で、言葉の意味がまるで異なってしまうという言語だ。
しかも彼女の言語の場合、その変化というのが、かなり繊細で、しかも複雑なのだ。
私の音感センサーを最大にして、会得した音をマスタリングして数値化してみて、そこでようやく違いがわかるといった程度の変化でも、彼女にとってはまったく違う意味の言葉になってしまうらしい。
それでもサイボーグの性能をフルに発揮すれば、その違いを知覚できるので、私は少しずつ、彼女の言葉を覚えていった。
だけど、私がどうしても発音できない言葉があった。
それは、彼女の本当の名前だった。これだけは未だに、正確に発音できないでいる。なんど発音してみても、彼女にはどうしても違う意味の言葉に聴こえてしまうらしい。
彼女の名前にチャレンジしたとき、最初は苦笑していた彼女だったけれど、私が試行錯誤しながら発音を繰り返していた、何度目かの時――
「――ひゃっ!?」
彼女は上ずった声をあげて、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
『それ……すごいハズカシイ……』
装置の声までも、もじもじしていた。
いったい私はどんな意味の言葉を言ってしまったのだろう?
知りたくもあり、同時に怖くもあった。
その後も何度か練習してみたが、数回に一度は彼女を赤面させてしまったので、それ以来、彼女の名前に関しては呼ぶのを封印してしまっている状態だった。
おかげで今も、彼女のことは、
「ミク」
と呼んでいる。
彼女もそれで気にしていないらしい。むしろホッとしている様子さえある。
すこし、悔しい。
筏の材料集めも、彼女との言語講座にも飽きたら、そしたら私たちはまた島を散歩して時間を潰す。
丘陵の神社跡の麓で、長い石の階段を前にして、彼女がニヤっと笑う。
「Jan―ken si yo!」
手をぐーちょきぱーさせながら、ぴょんぴょん飛び跳ねる彼女に向かって、私も手を差し出す。
「じゃーんけーん……」
「Pon!」
彼女がぐーで、私がちょきで、彼女の勝ち。
装置がファンファーレのような軽やかな明るいメロディを奏でる。
ぐぅ~るぃ~りょ~、と彼女は歌いながら、階段を三つ上がった。本当は「ぐ・り・こ」と言いたいのだろうけど、少し舌足らずみたいな発音になってしまう。
「ja-n ke~n……」
「ぽん。……あいこで」
「syo!」
彼女がぱーで、私がちょきで、私の勝ち。
装置から悔しそうなメロディ。
「ち、よ、こ、れ、い、と」
一気に六段登って、彼女を追い越す。
「ju ryu i~!」
ずるいと言われようがなんだろうが、悔しければ、ちょきかぱーで勝てばいい。勝ち誇ったように見下してやると、彼女は下から装置をぶーぶーと鳴らす。
じゃんけん、じゃんけん、
じゃんけんぽん。
あいこで、しょ。
私が勝って、また差が開く。
「waaaaan oite ika nai deeee」
うわーん、と目元を抑えて泣き出す彼女。
見た目は寂しそうで、可哀想になるけれど、でも、その手元の装置からは一際不満そうなぶーぶー音が流れ出している。
「嘘泣き」
と指摘してやると、彼女は顔を上げて“ばれたか”。そんな表情で、舌をぺろりと出した。
遊びながら時間をかけて、頂上の鳥居をくぐる。
見晴らしのいい社跡から、
島を眺める。
海を眺める。
空を眺める。
いつもと同じ、静かな景色。
いつもと同じ、オレンジ色の景色。
変わることのない時間だけれども、不思議と、飽きることがなかった。
朝焼けから発せられるオレンジは、東の水平線から西にむかって細やかなグラデーションを描いていき、最果ての空にまだ残るわずかな夜の中には、陽の光に溶けそうな星が幽かに輝く。
朝焼けに照らされている島の景色は、思っている以上に色彩豊かで、光に輝く木々の緑と、西側に透ける木漏れ日の格子模様の影の薄暗さにも、緑の濃淡が映え、たとえ時間が止まっていても、私たちの見る角度でその姿は様々な表情を見せてくれた。
島のあちらこちらで、きらり、きらりと光るのは、散乱する機器類たちだ。過充電された電力を、時折ああやって発光させることによって発散している。
私は自分の髪に、軽く静電気を孕ませた。私が発した電子信号を受けて、神社跡に散らばっている手近な機器の一つが、わずかに発光する。
発光した機器は、私の「発光せよ」という信号を、他の機器にも伝え、機器たちのあいだを信号波と同時に光の波がうねって行った。
丘陵から島全体へ、光のイルミネーションが瞬く。
『綺麗……』
彼女の手元で装置がそう呟き、そして、優しい穏やかなメロディを奏で始めた。
落ち着いていて、安らぐようなそのメロディ。
彼女が、私の隣にいて、そして私と同じような気持ちでいてくれることが、それがとても嬉しい。
そう思ったとき、装置のメロデイが、ふと変化した。
今まで流れていたメロディに、別のメロディが加わった。
二つのメロディ、二重奏。
きっとそれは、私の感情だった。
彼女が私に目を向け、そして優しく微笑みながら、そっと口を開いた。
「la la la……」
装置からのメロディに合わせて、彼女が歌う。
一つの音を変化させて、そこに様々な感情を載せて。
彼女の声に、私たちの心のメロディが重なって、そして機器たちが光を瞬く。
幸せだと思った。
私は今、自分が幸せだと気づいた。
誰かと心を重ねることが、こんなにも幸せなことだったと、私は思い出した。
昔、誰かを愛した、もう名前も顔も思い出せないあの時の頃の感情。
戻りたいと願い続けてきたそれが、戻っていた。
サイボーグ兵士として、戦場で色あせていた私の心。
それが、彼女と出会って……
哀切、
喜び、
愛情、
いろいろな感情がひとつに混ざり合って、
言葉にならない想いが溢れ出して、
それが装置によってメロディとなって解き放たれる。
『wsvbnvgth』
不意に、装置が聞き覚えのある単語を囁いた。
『wsvbnvgth』
そう、それは囁くような、優しい発音で、そして、
『wsvbnvgth』
その単語は、彼女の、本当の名前だった。
それを装置に囁かせたのは、私の感情だ。
『wsvbnvgth』
そうだ、そういうことだったのか。と、私は気づく。
彼女の名前に込められていた、彼女が赤面してしまうほどの理由。
それは、言葉にできないこの感情。
それでもあえて言葉にするなら、それはきっと、
――誰よりも君を愛してる。
いつの間にか、彼女の歌が止んでいた。
いつの間にか、彼女が私に寄り添っていた。
いつの間にか、彼女の手が、私に重ねられていた。
いつの間にか、彼女の目が、私の目を見つめていた。
いつの間にか、私たちは互いに目を閉じ、唇を重ね合っていた。
機器たちは祝福するように眩く輝いて、二人のメロディは、いつまでも重りあって、鳴り響いていた。