私は、自分が今まで白昼夢を見ていたことに気がついた。
いや、あれはきっと夢なんかじゃなく、実際にあった現実の記録だったのだろう。
彼女と直接通信し、彼女の中の時間制御装置に触れたことで、私の意識は過去に飛ばされたのだ。
彼女の生まれた太古の超古代文明が滅びた、その時代を、私は見た。
でも、私が過去を見ているあいだ、そのとき彼女はいったい、何を見ていたんだろう?
そしてなぜ、急に私を突き飛ばしたのだろう?
床から身を起こした私の前で、彼女が、泣いていた。
「ミク……?」
「ごめん……ね…」
「ミク」
顔を伏せてすすり泣く彼女に向かって、手を伸ばす。
でも、その手は彼女に避けられた。
彼女が、私から離れるように後ずさっていく。
「ごめんね……」
「ミク、どうして?」
「触れちゃ、ダメだったの。……わたしたち、出逢っちゃダメだったの」
彼女はそう言って、泣きながら教会駅を出て行った。
「………」
ああ、そうか。
そうだったんだ。
私は、彼女が何を見たのか、悟った。
彼女は、未来を見たのだ。
私の見た過去と同じように、サイボーグ兵士たちが終わることのない戦争を続ける、そんな未来を。
そして、彼女は知ったのだ。
彼女こそが、そのきっかけだったという事実を。
そう、ここはかつて軌道エレベータがあった島。
島に散らばる機器類は、かつての無人機の破片。
そして、彼女は………
……私たち、現代のサイボーグ兵士が誕生するきっかけとなった、超古代文明の残したサイボーグ兵士だった。
私は、彼女が現代文明に発見される、その直前の時代にいることを悟った。
私の時代の戦争は、別にサイボーグ兵士が生まれたから起きたわけじゃない。
世界の歴史はいつだって争いの記録で埋め尽くされてきたし、人がそれを省みることもなかった。
私たちの戦争が始まった理由ははっきりしない。
世界のあちらこちらで紛争が頻発していて、世界中の国々も、誰が敵で、誰が味方かわからないくらいに利害関係が複雑に入り組んでいて、 そのせいでどこもかしこも緊張していて、最初の火種がどこから上がったかさえ、誰にも理解できないような……
……そんな、時代だった。
きっと、サイボーグ兵士が実用化されなくったって、そんなことはお構いなしに戦争は起きただろう。
戦争は兵器を生むけれど、兵器が戦争を生んだことは一度もない。そんなことは、歴史を少しでも勉強すれば簡単にわかることだ。
道具や機械に、人殺しにしか使い道のないものというのも、そうあるものじゃない。
だけど逆にいえば、人がその気になれば、どんなものだって人殺しの武器になる。
きっと、何も持たない手のひら一つだって、首を絞められる。
それが、人だ。
戦争を起こすのは、いつだってその時代を生きる人間たちだ。
だから……
……だから、戦争が始まったのは、彼女のせいじゃない。
波が変わらぬリズムで打ち寄せ、静止した朝陽にオレンジに染まる砂浜の真ん中で、彼女は膝を抱えて、顔を伏せてすわっていた。
私が近づくと、彼女は顔を上げ、私を見た。
「来ちゃ……ダメ……」
その声は、拒絶というにはあまりにも弱々しかった。
私は、彼女から少し離れた場所に座った。
彼女は私から目をそらし、海に目を向けた。
でも、その目がどこも見ていないのは、すぐにわかった。
「ねぇ、ミク。気づいてる?――」
と、私は語りかける。
「――私たち、言葉が通じているよ」
「えっ?」
私の言葉に、彼女が再び私を見た。
一瞬、信じられなさそうに驚いた顔をして、すぐに彼女自身の周りを見渡して何かを探し始めた。
「翻訳装置なら、教会に置いたままだよ」
「あ……っ……うん、本当だね。……どうして…かな」
「きっと、直接通信のおかげだと思うよ。お互いの言語ライブラリーがリンクして、情報が共有化されたんだ」
そう答える私の言葉は、使い慣れた自分の言語だ。そして、さっきの彼女の言葉は、やっぱり彼女自身の言語のままだった。
それでも、私たちはお互いの言葉の意味がわかるようになっていた。
彼女はそのことに、少しだけ嬉しそうに顔をほころばせたけれど、すぐに、悲しそうに表情を曇らせてしまう。
彼女は曇らせた顔を伏せ、消え入りそうな声で、こう訊いた。
「わたしの過去……わたしたちの戦争……見たの?」
「うん」
「ひどかったでしょ」
「………」
私は答えられなかった。
彼女は、言った。
「戦争は、きらい」
大切な人達が、みんないなくなるから。
そう言って、彼女は、ぽつり、ぽつりと話し出した。
彼女が物心ついたときには、戦争はすでに始まっていた。
世界中を巻き込んだ戦争で、どこもかしこも戦場だった。
兵士も民間人も関係なく、戦いに巻き込まれ死んでいった。
死なずにすんだのは、時間制御装置をもったサイボーグ兵士だけだった。
だから、彼女もそうなった。生き延びるために。
戦いは終わることなく、果てしなく続いた。
気がつけば、敵も味方もサイボーグ兵士しか生き残っていなかった。
何もかもが死に絶えた世界で、それでも、サイボーグ兵士たちは戦い続けた。
死ぬことのない不死身の兵士たちには、それしか生きる理由がなかった。
存在理由を維持するためだけの戦争で、古代の文明は跡形もなく破壊し尽くされた。
そして、最後に残った軌道エレベータを巡る戦いで――
――軌道エレベータなんてものにもう意味はなく、ただ、「守るもの」と「壊すもの」の理由がそこにありさえすればよかった――
彼らは、自らも含めその全てを、宇宙の果てへと送り出した。
偶然、島に落ち、スリープモードに入った彼女ひとりを残して。
「そのあとの未来も見たよ」
と、彼女は言った。
「人はまだ全滅してなかった。ちゃんと、生き残っていた。何もかも失っていたけれど、そこからまた前に進み出していた。……嬉しかった」
取り返しのつかない世界から、人々はまた世界を取り戻した。
生きる意味を失った世界は、また生きる意味を取り戻した。
絶望的な世界の終焉を生きてしまった彼女には、それがなによりも、嬉しかった。
なのに……
……悪夢が、蘇った。
「戦争に、また“わたし”がいた。終わらない戦争になってた。誰もが戦う意味を忘れてしまうくらい長い、終わらない戦争。だけど、すべてを終わらせてしまう戦争……」
わたしのせいだ。
彼女はそう言った。
そう言って、水平線の朝陽を見つめた。
「太陽の横に見える、黒い影。あれが、もうすぐこの島に来るの。そして、わたしを見つけるの」
彼女の見つめた先、朝陽の横の空に浮かぶ黒いシミがある。
あれの正体が、飛行機だということは、私も気づいていた。
この島を目指し飛んでくる航空機。
私の中にデータとして残る歴史に、そのことが記されていた。
戦争勃発直前、太平洋に浮かぶ小島で、新型爆弾の投下実験が行われた。
そのとき、事前に現地調査に訪れた偵察隊によって、その島に眠る超古代兵器……彼女を発見したのだという。
黒いシミのような航空機の他に、島の頭上には一筋の飛行機雲も浮いている。
あれが、新型爆弾を積んだ高々度爆撃機なのだろう。
この静止した時間が動き出せば、数時間もしないうちに歴史的場面が始まるに違いない。
だけど、それが何だというのだ。
この時間が静止している限り、その未来は始まらない。
それに、たとえ戦争が始まったとしても、その戦争がすべてを滅ぼす愚かな戦いだったとしても、それは彼女のせいじゃない。
「ミク……、君は悪くない。生きるのも、滅ぶのも、全てはその時代の人間の責任――」
「あなたも、いたよ」
「――え?」
「見えた未来の中に、あなたもいた。まだ改造される前の、人だった頃のあなただった」
彼女の言葉に、私は、言葉を失った。
「今とは違う姿だったけど、それでも、わかったよ。……人だった頃のあなたは、とっても、幸せそうだった」
それは、私自身でさえも忘れ果てた過去だった。
思い出そうとしても思い出せない、
それでも、確かに誰かを愛していたという実感だけが残った、
私の過去。
「あなたには家族がいた。愛に溢れていて、とても暖かそうで、見てるだけで、私も幸せになれた」
それは、私の知らない、私の過去。
彼女は、続けた。
「でも、それが奪われた。戦争に巻き込まれて、何もかも……奪ったのは、わたし。わたしから生まれた、わたしと同じ存在たち。そしてあなたも、わたしになった。わたしになって、すべてを忘れた。わたしが、あなたの人生を壊したっ……!」
そうなのか?
彼女さえいなければ、私はこんな永遠の地獄のような戦いをせずに済んだのか?
家族や、愛した人のことを覚えたまま生きて、そして、死んでいけたのか?
今よりも、まだましな人生があったのか?
いま、彼女の存在がこの世界から消え去ってしまえば――
「わたしは、甦っちゃいけなかったんだ!」
「違うっ!」
私は叫んでいた。
「そんなことない。ミクが存在しないほうがいいなんて、私は望んでない」
過去なんか忘れた。
家族なんて知らない。
だけど、唯一持っていた愛の実感を、ミクがもういちど与えてくれた。
私が大切にしたいのは、それだけだ。
ミク、君だけだ。
「だから、ミク、そばに居てよ。いちゃいけないなんて、言わないでよ」
「ダメだよ、ダメ。……私がいたら、いつか世界が終わる。それに……未来のあなたを、不幸にしたくない」
「ならないよ。だって、私はサイボーグ兵士になったから、君と逢えた。それが一番の幸せなんだよ?」
「違うよ、違う」
「違わないよ、どうしてそんなこと言うの?」
「あなたの過去は、忘れちゃいけない過去だった。壊れちゃいけない幸せだったの。それを壊したわたしが、あなたに愛される資格なんてないの……」
知らない、そんなのは知らない。
他人も同然だ。
他人なんかどうだっていい。
世界なんて知ったことか。
それでも、
それでも、
世界の命運を握ってしまった彼女の心を、守ってあげることができない。
彼女の苦しみを、癒してあげることができない。
どうすればいい。
私は、どうしたらいい。
「ねぇ、ミク」
大丈夫だよ。
ここは時間が止まっているから、君が見つかることは永遠にないよ。
それにほら、イカダももうすぐ完成するよ。
そしたら、一緒にこの島を出ていこうよ。
あの飛行機が来る前に、誰も知らない遠くへ逃げるんだよ。
別の島でもいいよ。
深い山の奥でもいいよ。
そこで、いつまでも二人で暮らそうよ。
そこで、いつまでも幸せに暮らそうよ。
「ねぇ、ミク?」
私は、言葉を並べ立てた。
安っぽくて、中身も何もない言葉。
現実逃避の夢物語。
それは、駄々をこねる幼子の泣き声と同じだった。
ひたすら、嫌だ、嫌だと叫び続けて、
相手の共感じゃなく、同情でもなく、諦めを引き出すだけの……
……虚しい、我儘。
どれだけの言葉を並べ立てのか、もう覚えていない。
言えば言うだけ虚しくなる音の羅列を吐き出し続けて、喉も枯れて、もう何一つ残らず空っぽになったとき、
「もう、いいよ」
彼女はそう言って、私に笑いかけてくれた。
「あなたのそばに、いるよ」
それは、胸が痛くなるくらい、何もない空っぽの笑顔だった。