この島の時間は大きく見れば静止しているけれど、細かく見ればそうじゃない。海岸に打ち寄せる波が証明しているように、おおむね数秒の間隔で、過去と未来を行ったり来たりしている。
あの十字架が突然落ちたのは、その間隔があの一瞬だけ、偶然に大きくなってしまったのだろう。
ほんの少し先の未来で、彼女は死んだ。
そんな表現が果たして適切かどうか、私にはわからない。
でも、それを否定することは、私にはもうできなくなっていた。
それからしばらくして、また事故が起きた。
冷却装置の調整がうまくいかなくて、気晴らしにと二人で散歩に出かけた先でのことだった。
島の南側にある寸断された海沿いの道路。
二人ならんで歩いていたはずなのに、気がつけば彼女が一人、道路の端に佇んで海を見下ろしていた。
まさか、と思ったときには、もう遅かった。
彼女が立っていた場所が崩れ、その姿は海に消えた。
私が呆然として立ち尽くしているあいだに、崩れた道路は元通りになって、彼女も同じ場所に戻っていた。
「あはは、失敗、失敗」
彼女は、笑う。
冷却装置の調整は、行き詰まっていた。
何度、規定値に収めても、すぐに値が狂ってしまう。これが正常に作動してくれないと、超伝導モーターはまともに動くことができなくなる。
いっそ回路そのものを変えてしまおうか。
そう思って、彼女と一緒に部品探しに出かけた先で、三度目の事故が起こった。
「ねぇ、これ使える?」
そう言って彼女が拾い上げた機器が、その手の中で放電現象を引き起こした。
例の過充電状態だったのだろう。
彼女の手から機器が放り出されたと同時に、彼女自身も背後に向かって大きく跳ね飛び、倒れた。
私は、ちょうど足元に飛んできた機器を拾い上げ、それを調べる。
放電によって回路が完全に焼け焦げていた。これじゃもう、部品としては使えない。
「ミク、気をつけないとダメだよ」
「うん……また、失敗しちゃった」
身を起こして、彼女は笑う。
彼女は、笑う。
島のあちこちに散乱する機器たちが、うっすらと光を放っている。
いつもの過充電に伴う放電現象だ。機器自身の保護のために、その身に溜め込みすぎた電力を光の形に変えて消費している。
それはほとんど熱を持たない、淡い光だ。
強力な熱や電圧は、機器自らをも破壊してしまう。だから、機器を手にしたものを傷つけるような大放電が、本来は起こるはずがなかった。
誰かが、機器にそう命じない限り。
あの時、そう命じたのは、当然だけど私じゃない。
だったら、彼女しかいなかった。
あれは、自殺だった。
私はそう思いながら、教会駅の前で、同じように発光しているイカダを眺めていた。
イカダに組み込まれた機器たちが、まるでイルミネーションのように輝き、船体を彩っている。
そのイカダのそばに、彼女が倒れていた。
しゅうしゅう、と不思議な音があたりに響いている。
イカダの周りを、冷たい蒸気が漂っていた。
白い雪の雲が、冷却装置のバルブから流れ、その下に倒れる彼女を包んでいる。
彼女の顔の半分は凍りつき、氷の結晶が光っている。
わずかに開かれた唇は焼け爛れ、血の泡が、まるでバラの花のように凍っていた。
彼女のすぐ近くに、霜に覆われた木製のコップがあった。
液体窒素だった。
数滴でも体内に入れたら肺を焼き尽くすようなものを、一気に飲んだのか。
まともな死に方じゃなかった。
――失敗しちゃった。
そう言って笑いながら、彼女は、失敗しない方法をずっと考えていたのか。
彼女の周りで流れていた白い雲が、その方向を逆転させた。
冷却装置のバルブが、雲と冷気を吸い込み始め、そして――
「うぇ……っけほ……ぁ」
彼女が呻き、その口から大量の窒素が液体状態で吐き出された。
その液体窒素は彼女を傷つけるどころか修復し、バルブの中へと戻っていく。
「死ねないね………」
倒れたまま、彼女がぼそりと呟いた。
彼女は顔を伏せて、肩を小刻みに震わせる。
「はは……あははは……あはははははは――」
笑い声がかすれ、それは音のない、吐き出すような嗚咽に変わった。
「――ぅぁ……あああああああああああっっ!!!!!」
彼女の慟哭が、島に響き渡った。
彼女は、気を失うまで泣き続けた。
意識は、時間制御装置の影響を受けない。意識が疲れてしまえば、それを癒せるのは眠りだけだ。もしも壊れてしまえば、それを直すことは誰にもできない。
私は眠りに落ちた彼女を背負って、教会駅に運び込んだ。
彼女の身体はぐったりとしていて、重く感じられた。
思えば、こうやって彼女と肌を触れ合わせたのは、あの直接通信のとき以来だった。
私の髪と、背負った彼女の髪がときおり触れ合う。だけど、私は直接通信をする気にはなれなかった。
教会駅の長いベンチに、彼女を横たえる。
閉じられた両のまぶたの済に浮かぶ涙の雫を指でぬぐい、私は、彼女の唇に、そっとキスをした。
「おやすみ、ミク。……さよなら」
教会駅の隅に放置されていた、あの翻訳装置が、
――愛してる。
と、短く歌った。