オレンジ~朝焼けの島~   作:PlusⅨ

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第9話・朝焼けの島

 目を覚ました時にはもう、彼女は、死んでいた。

 

 死因は、時間制御装置の超加速とそれによって生じた過負荷による意識の消失だった。

 

 不死身のサイボーグ兵士が死ぬとしたら、それ以外にはない。

 

 本来なら超加速状態が意識消失まで続くことがないよう、幾重にも安全装置がかけられているのだけど……

 

 ……今の私は、その解除方法を知っていた。

 

 海に溺れ、その時間の中で時間のすべてを悟っていた私は、時間制御装置を自由に操る術を知っていた。

 

 彼女は直接通信でその情報を取得し、そして、それを彼女自身に適用した。

 

 私のそばで横たわる彼女の横顔は、まるで眠っているかのように穏やかだった。

 

 過負荷状態の、のたうちまわるような苦しみを私は知っている。サイボーグ兵士はどうせ死なないとタカをくくり、だから、いい加減に死なないものかと嘯く、そんなメッさえあっさりと剥がれ落ちてしまう、

 

 そんな苦しみの果ての死でさえも、彼女には待ち望んだ終わりだったのだろうか。

 

 それを知るすべは、もう無い。

 

 せめて彼女の亡骸の中に最期の想いが記録として残っていないか、

 

 それを直接通信で探ろうと思っても、私にはそれが不可能になっていた。

 

 彼女の髪に触れても、何も感じ取れない。

 

 私の髪は、ただの髪になっていた。身体の中のコンピュータも、センサーも、ジャイロコンパスも消失していた。

 

 私は、人間に戻っていた。

 

 動かなくなった彼女の身体を抱き上げたとき、その身体の影に、あの翻訳装置が置いてあったのを見つけた。

 

 生前、彼女がここに持ってきたのだろう。

 

 でも、どうして?

 

 疑問に思いながら、装置とともに彼女を教会駅へ運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が昇り始めたことに、私は気づいていた。

 

 オレンジ色の空が青くなり、上空の飛行機雲が空の青に溶けて消えていく。

 

 そして、朝陽のそばにいた航空機が、この島に近づいてきていた。

 

 左右の翼の両端にローターを搭載した垂直離着陸機が、島を周回し、そして教会駅からすこし離れた浜辺に航空機は着陸した。

 二人の兵士たちがその機体から降り立ち、叫びながら駆け寄ってくる。

 

「こんなところで何をやっているんだ。ここは立入禁止区域だぞ!?」

 

「爆弾投下まで時間がない。一緒に来るんだ!」

 

 私はそれを無視して、屋根から落ちていた十字架を、地面に突き立てた。

 

「おい、それはなんだ? ……墓、なのか?」

 

「なんてことだ、こいつ以外にもまだ他にいたのか。いや、そんなことはどうでもいい。早くこっちに来い」

 

 肩に触れた兵士の手を、私は振り払った。

 

「おい!?」

 

 無理やり押さえつけようとするその腕に爪を立て、噛み付き、がむしゃらに抵抗する。

 

「いい加減にしろ、死にたいのか!?」

 

 私は力の限り、抵抗した。

 

 私を扱いあぐねた兵士たちの無線機が音を立て、そこから、何かの指示が入る。

 

 彼らはそれを聞くと、動きを止め、明らかに迷いを見せた表情で私を見たけれど、

 

「了解、撤収します」

 

 そう言って、踵を返して航空機へと戻っていった。

 

 ローター音を響かせ、航空機が島を去っていく。

 

 島には、再び波の音だけが響きわたった。

 

 上空を見上げると、一度通り過ぎた超高々度爆撃機が、再び島を目指して雲を引きながらやってくるのが見えた。

 

 私は十字架のそばに腰を下ろし、彼女の墓に寄り添った。

 

 はるか上空の飛行機雲が、その進路を変えた。

 

 島の真上近くで、進路を北に取り、離れていく。

 

 その飛行機雲の近くに、きらりと、何かが一瞬光り輝いた。

 

 きっと、投下された新型爆弾だ。

 

 着弾まで、あと十数秒といったところだろう。

 

 もうすぐ、すべてが終わる。

 

 私も、彼女も、一緒に残らず消え去るだろう。

 

 何一つ、この未来には残さない。

 

「これが、ミクの望んでいたことなんだよね」

 

 でも、私まで一緒に死んじゃったら、君は怒るかな。

 

 怒られてもいい。

 

 もう一度、君に逢えるなら、それでもいい。

 

 私は膝の上に置いた翻訳装置を、手で撫でた。

 

 彼女が最期にこれを持っていた理由はわからなかったけれど、これは、うわべだけの言葉や直接通信以上に、私と彼女を繋げてくれたものだった。

 

 

『――ま――す――』

 

 

 不意に、その装置が動き出した。

 

 声なのか、言葉なのか、区別のつかない大量の音が、高速で流れ出す。

 

 何だ、これは?

 

「ミク?」

 

 君なのか。

 

 君の心なのか?

 

 

『――――……を――か――』

 

 

 そうだ。

 

 これは彼女の最期の感情だ。

 

 装置に残された、彼女の最期の心だ。

 

 だけど、あぁ、なんてことだ。

 

 彼女の最期の意識は、加速されすぎていて、早すぎて私には聞き取れない。

 

 わかるのはただ、圧倒されそうなくらい高密度に凝縮された、彼女の想いだけだった。

 

 せめて、その意味を知りたい。

 

 最期に、一言だけでもいいから、彼女の言葉を聞きたい。

 

 

 着弾。

 

 

 光がはじけ、島が衝撃に震えた。

 

 島の東側の砂浜に着弾した爆弾が爆発し、島をえぐりとっていく。

 

 その爆炎が間近に迫ってくるのを、私は、はっきりと見すえていた。

 

 

『元気でいますか』

 

 

 私の耳に、彼女の言葉が、聞こえた。

 

 

『笑顔は枯れてませんか』

 

 

 私の周りの世界が、遅くなっていた。

 

 私の時間が、加速していた。

 

 

『これからも、他の誰かを深く深く、愛してくれますか』

 

 

 海街、赤錆びた線路沿いで、

 

 二人、「幸せだ」って嘘をついて、

 

 くしゃくしゃに笑いながら、繋いだ手……

 

 

 もう二人に明日がないことを

 

 ただ、ずっと。

 

 そう、ずっと。

 

 隠してしまおうと思った。

 

 

 残される君に届けたい、最期の言葉を

 

 今でも、探してるの。

 

 

 ねぇ、

 

 

 元気でいますか

 

 笑顔は枯れてませんか

 

 これからも、他の誰かを深く深く、愛してくれますか

 

 

 ずっと来るはずない君との日を願ったこの心に、

 

 鍵をかけて。

 

 

 誰も満たされない未来よりも

 

 望んだ最後だけを温めていたの

 

 怖い夢を見ただけの私に

 

 そうであったように。

 

 

 

 許すだけでも、耐え抜くだけでも

 

 ただ、きっと。

 

 そう、きっと。

 

 誰も変われないこと。

 

 傷付けない弱さが生きられないほど

 

 大きく育ったの。

 

 

 覚えていますか、

 

 初めて会ったことも、

 

 君の嘘も、甘えも、弱さも、流してゆくような、

 

 この朝焼けで あの日のように君はまた、

 

 素敵に変わってゆくよ。

 

 

 

 愛していました。

 

 最後まで、この日まで。

 

 それでも終わりにするのは私なんだよね。

 

 君の幸せな未来を、ただ、願ってる。

 

 

 

 君のいる世界で笑ったこと、

 

 

 君の見る未来を恨んだこと、

 

 

 君の声、温もり、態度、愛のすべてに

 

 

 

 

 さよなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆炎がすべてを飲み込み、焼き尽くした。


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