――――――今ではない何時か、ここではない何処か。
『おやっさんよぉ』
『何じゃ、蒼よ?』
『幾ら何でも、今日のこれはやり過ぎじゃない?』
在りし日の蒼坊主が、まるで蜂にでも刺されたように腫れ上がった顔で、自分を完膚なきまでに叩きのめしてくれた銀髪の男を見上げる。
何れ全てが終わる、あの頃……蒼坊主はまだまだ若造だった。
実力自体は申し分なく、退魔師としてバリバリ働いてはいたものの、目玉おやじと妻の岩子、更には地獄童子の両親までも健在だったので、正直影が薄かった。周りが凄すぎたのである。
だから、彼は努力した。どうしようもない劣等感を拭う為に。親の顔も知らず、天涯孤独の流浪人だった己を養ってくれた、幽霊族の者たちへ親孝行をする事を誓って。
まぁ、今はその親代わりの人からタコ殴りにされた訳だが。手合わせとは言え、これは酷い。将来ぬらりひょんになったらどうする。
『そうは言ってものぉ。“本気で来て欲しい”と頼んだのはお前じゃろうに』
しかし、後に目玉おやじになるイケメンは、バツが悪い顔はしているものの、知らんぷりを決め込むつもりのようだ。本当に加減を知らない親父である。
『いや、でも『流石にやり過ぎですよ、慎吾さん。これ以上蒼が禿げたらどうするんですか!』
もちろん、お嫁さんは黙っていません。もうすぐ臨月だというのに、家事も手当も人の5倍は熟す岩子は、今日も元気にイケメンの夫――――――
ちなみに、蒼は禿げていません。僧侶だから剃ってるだけです。
『はい、仲直りする!』
『うぬぅ……ス、スマンのぅ、蒼や』
『いや、良いって事よ。俺も結構調子に乗ってたからな』
だが、そんな事など知らんよとばかりに、あっという間に仲直りさせられてしまった。人も妖怪も関係なく、肝っ玉お母さんには誰も敵わないらしい。この世の真理ね。
『ウフフ、良く出来ました。それじゃあ、特訓の後はご飯よ! さぁ、いらっしゃい!』
『おお、もうそんな時間か』『おっ、待ってましたぜぇ!』
そして、何時も通りの日常が過ぎていく。
人間に棲み処を追われ、地下に隠れ潜んでから幾星霜。穴倉暮らしは確かに大変だが、それでも慎ましやかに、彼らは幸せを謳歌していた。
『た、大変です、慎吾様!』
そう、空の彼方から凶報が届くまでは。
『ハァ……ハァッ!』
『どうしたんじゃ、黒鴉!? そんなに息も絶え絶えに……』
知らせに来たのは、鴉天狗警察の若きエース「黒鴉」。まだ己の出自を知る由もない頃の彼だ。
『たった今、帝都に「妖怪城」が出現しました! 中国妖怪の侵攻です!』
『何じゃと!?』
「妖怪城」とは水陸両用の“動く城”であり、城の建つ地盤の真下に軟体動物のような足を無数に持つ生命体の事である。主に中国妖怪が運用し、海中や地中を自在に移動して奇襲を仕掛ける、中華驚異のメカニズムだ。
『しかし、何故こんな急に!?』
『先遣隊の報告によれば、城主は白面銀毛九尾の狐との事!』
さらに、今明かされる衝撃の真実ゥ!
『「チー」じゃと!? だが、奴は封じられていた筈……』
『詳細は不明ですが、間違いありません。指揮官は奴です』
『……ならば、目的は「姉」の解放か』
「チー」こと「白面銀毛九尾の狐」は、妲己や玉藻前として知られる「白面金毛九尾の狐」の実弟であり、姉が吉備 真備と共に渡日する手伝いをした後、唐に残り悪さをしていたが、「靖難の変」が起こった際に姉の後を追うように殺生石と化したという。
しかし、アヘン戦争が勃発した頃より石の行方が分からなくなり、戦火による記録の紛失も相俟って、完全に滅んだものとされていた。
だが、実際は長い間ずっとずっと力を蓄え続け、今日の侵攻に至ったのだろう。人界の混乱による弊害が出た結果と言える。
『――――――お願いします、力をお貸しください! 今も大天狗様と鴉天狗警察が奮闘していますが、幾何の時間もありません!』
『分かった。岩子は『もちろん、ご一緒しますよ。戦場に医師は付き物ですよ』仕方の無い奴じゃ。ならば、行くぞ!』
そういう事になった。
『……何でぇい、俺はまた置いてきぼりかよ』
しかし、面白くないのは蒼坊主である。折角の家族団欒を邪魔された上に、お留守番と来れば、年頃の男なら誰でもそうなる。
『いいや、蒼には
だが、それは慎吾も承知している。なので、“別の餌”で釣る事にした。不謹慎だけど。
『何だい、別の方って?』
『最近、巷で謎の気狂いが多く発生しているが、チーが来たとあれば話は変わる。十中八九奴の仕業じゃ。「妖怪反物」じゃよ』
「妖怪反物」。九尾の一族が良く使う、“妖怪を反物に変えてしまう”妖術だ。
しかも、それを着た人間は彼らの意のままに動く奴隷となってしまう。解放するには服を脱がすか、大元を叩くしかない。
『なるほどね。合点承知だ! 呼子と一緒に、ちょちょいと片付けて来るぜ!』
『ウム、任せたぞ(誤魔化せて良かった)!』『気を付けてね(不謹慎ですよ、慎吾さん)!』
『おうよ! おーい、呼子ぉ!』『呼んだー?』『おし、来たな! 行くぜ行くぜ行くぜぇ!』
何だか心ここにあらずと言った感じに送り出され(というか丸め込まれ)、蒼坊主はナビゲーターの呼子と共に、帝都とは正反対の方へ駆け出した。
それが、幽霊族の夫婦と実質的な今生の別れとなるとも知らずに……。
◆蒼坊主
ご存じ名探偵鬼太郎の兄貴分。中の人はマジュニアでありムジナであり、今はねずみ男をやっている。アニメ第5期のオリジナルキャラクターで、モデルはおそらく「青坊主」だろうが、本人は似ても似つかないハンサム野郎である。
流離いの退魔師(もしくは封印師)であり、卓越した棒術と封印の札を使う他、額の第三の眼が開かれた時に相手へ幻術を掛けられるなど、鬼太郎とは別方向で多彩な人。特に身体能力だけなら鬼太郎ファミリーでも1、2を争う高さ。
そんな頼れる兄貴分な蒼坊主だが、超人的な能力を持っている癖に「東西南北が分からない」レベルの方向音痴という、行脚僧として致命的な欠点を持つ。皆と合流するには毎度の如く呼子の力を借りねばならない程の重傷である。急がば回れとよく言うが、流石に「四国を経由して北海道」は空回り過ぎる。
今作では、現役時代の目玉おやじと岩子の養子になっている。目玉おやじは組手の師匠でもあるが、割と負けず嫌いな彼には今まで一度も勝てた事はなく、そして、一生勝つ事が出来なくなった。