『そんな事があったのか……』
鬼太郎は今宵、初めて蒼坊主の隠された過去を知った。世界が終わり掛けた、あの日の真実を。墓場から生まれて来た自分を世話してくれた、あの人間たちが、まさか蒼坊主と関りがあるばかりか、世界最後の日を生き延びていたとは。もう少し胸襟を開いて話すべきだっただろうか。
いや、あの頃はまだまだ赤子だったし、何より幽霊族特有の“幼少時の妖力暴走”に巻き込んでしまったのだから、親密になり過ぎずに済んで良かったのかもしれない。
まぁ、彼らの息子は自分を主人公にした漫画を描いて、大成したようだが。……ちょっと恥ずかしいが悪い気はしなかったから、良いのだけれど。
『――――――そして、今日感じた、鳴女の妖気は「来訪者」の物とそっくりだった。むろん、出力は比べるまでも無い程度が、性質は完全に同じだったよ。脳が直接揺さぶられ、溶けちまいそうだったぜ……』
『なるほど……』
それなら足が竦むのも無理はない。よく膝を折らなかったものだ。
『最悪、あいつが第二の「来訪者」になるかもしれん』
『冗談じゃない所が、また何ともね……』
というか、もうそこまで進化しているのか。地獄童子伝いに聞いた話によれば、鳴女は「来訪者」と似通った存在らしいから、本当に成り上がってしまうのかも。
さらに、バックベアードと何某か話し合うようだし、例え鳴女が「来訪者」に至らずとも、厄介な事に変わりは無かった。まさに最悪の展開である。
『鬼太郎よぉ、どうするつもりだ? このまま修行だけ続けても、鳴女しか倒せねぇぜ?』
と、一緒に聞き入っていた地獄童子が、そんな疑問を口にする。
確かに彼の言う通りだ。鳴女を道連れには出来ても、その後が続かない。修行に集中したいから、なるべく考えないようにして来たが、流石に何の手も打たないのは違うだろう。
そう、後悔は後先に立たないのだから。
――――――ユメコを自ら手に掛けた、あの日のように。
◆◆◆◆◆◆
あれは、もう何年前だったか。
あの日、地獄から日本全土を支配しようとしたぬらりひょんの陰謀を解決し、胎内道で危うくユメコが落盤に巻き込まれそうになった所を地獄童子に助けてもらい、どうにか無事に地上へ生還した。母親の岩子は、しぶとく追い縋るぬらりひょんの魂を延々に封じる為に力を使ったせいで共に来る事は出来なかったが、それでも想いと願いは受け取ったし、何よりようやく平和を取り戻せた事に安堵していた。
『ありがとう、地獄童子。君のおかげで、ユメコちゃんが死なずに済んだよ』
『良いって事よ。……俺も嫌な予感がしてたからな』
『――――――それはユメコちゃんに死相が見えてたって事か?』
『伊達に地獄暮らしは長くない、とだけ言っておく』
鬼太郎の質問に、地獄童子がぶっきら棒に答える。共に戦った仲ではあるが、やはり宿敵と書いて「とも」と読む間柄を崩す気は無いようである。
そこが彼らしいと言えばそれまでだが、せっかく生き延びたのだから、もう少し歩み寄っても良いと思う。自分と同じ、幽霊族の末裔なのだから。
「……ほら、二人共! せっかくのお祝いなんだから、もっと仲良くする!」
そんな鬼太郎の思いを汲み取ったのか、ユメコが二人を台所に引っ張っていく。。
そう、鬼太郎たちは今、天童家にお邪魔している。無事に事件を解決出来た、お祝い会のような物を開いてくれたのだ。相変わらず誰にでも優しい女の子である。
『……仕方ねぇなぁ。幽子もご馳走になってる事だし、付き合ってやるよ』
これには地獄童子も毒気を抜かれ、渋々という感じでされるがままになった。
ちなみに、幽子とは地獄童子がお付き合いしている亡者だ。彼に会う為に地獄までわざわざ来ているだけで、堕獄するような性悪ではないので悪しからず。
そんなこんなで、三人は台所にやって来た。リビングは妖怪大パニック状態で喧しいから、ここで少しコーヒーを飲んでまったりしよう、という考えである。
「それにしても、地獄童子さんも大変よね、これから。地獄の復興、忙しいんでしょ?」
『まぁな。とは言え、お前らのおかげで被害は最小に留められたからな。そこまで時間は掛かるまいよ』
「そうなんだ。なら良かった。……それはそうと、残念だったわね、鬼太郎さん。お母さん、生き返らせてあげられなくて」
『良いんだよ。母さんもそれは覚悟の上だったし、何より君が無事で良かった』
「あらまぁ、鬼太郎さんったら♪」
『おい、人を挟んで惚気るなお前ら』
コーヒーを淹れながらする会話は、思ったよりも弾んだ。そうしている内にコーヒーが出来上がり、皆で乾杯する。
『コーヒーって飲んだ事ねぇんだよな。どれどれ、どんな味なんだか――――――』
一番手は地獄童子。長年地獄に居たからか、現世の飲み物が物珍しいようで、誰よりも先に口を付けようとした。
「……ッ、駄目よ!」
しかし、何かに気付いたらしいユメコが飛び付き、カップを叩き落す。
そう、彼女は見てしまった。地獄童子の後ろにある水道にふと目をやった時に、蛇口の水が生き物のように蠢いていた事を。確実にこの世の者ではないし、そんな物を使ったコーヒーを口にして無事で済む筈がない。ユメコはそう判断し、殆ど反射的に地獄童子の命を救った。
だが、あまりに咄嗟の事だった為、割れたカップで切り傷が出来た上に、そこにコーヒーが掛かってしまった。
「あっ、が……!?」
突如苦しみ出すユメコ。
『えっ、な、何が……!?』『どうなってんだよ、こりゃあ!?』
驚く鬼太郎と地獄童子だったが、事態は彼らの理解が及ぶのを待ってくれなかった。
『グガァッ!』
『うわぁっ!?』
一度苦しむのを止めたかと思うと、鬼のような形相かつ人間ではあり得ない素早さで、ユメコが地獄童子に襲い掛かる。どうにかマフラーで食い止めはしたものの、今にも引き千切って暴れ出しそうだ。
『地獄童子! クソッ、何がどうなって……!』
『どうしたんじゃ、鬼太郎!?』『何じゃ何じゃ!?』『何があった!?』『何事よ!?』『おいおいおい!?』
と、騒ぎを聞きつけた鬼太郎ファミリーの残りが駆け付ける。
『……これは、まさか!?』『どうやら、そのようじゃの……』『何て事じゃ……!』
そして、様変わりしたユメコの姿を見て、目玉おやじ、砂掛け婆、子泣き爺の三人が、何かを察した。
『と、父さん……ユメコちゃんが、コーヒーを浴びたら、こんな事に……これは一体、何がどうなって……!?』
その中でも一番の知恵袋である目玉おやじに、鬼太郎が狼狽えながらも問う。それが地獄への入り口だとも知らずに。
『――――――「来訪者」の眷属じゃ。生き残りがいるとは思わなんだが、まさか以前封じた水神の精神を乗っ取っていたとはの』
『水神!?』
水神とは、水に似た身体を持つ透明な高等生物。水に擬態して近寄る人間を溶かして食べてしまう、恐ろしい妖怪である。鬼太郎はこれまで三度出会っているが、何れも葬り去っている。一番時期が近いのは、地獄の騒動が起きる直前の、有名歌手の大空 つばめが犠牲となった時だ。
『水神は元々凶暴な性格じゃが、自分から大掛かりに事を起こすのは好まん。擬態する意味が無くなるし、何より疲れるからの。余程怒らせたり、誰かに操られでもしない限り、街に出張って来るのはおかしいとは思っていたが……今回もまた、厄介な奴に操られていた訳じゃな』
『――――――って、解説してる暇があるなら助けてくんない!?』『グガアアッ!』
すると、地獄童子からヘルプミーが。そりゃそうか。現在進行形で襲われているからね。マフラーが今にもはち切れそうだし。
『砂掛け、子泣き、絶対に逃がすんじゃないぞ』『分かっとる』『……仕方が無いの』
だが、目玉おやじは助け船ではなく、砂掛け婆と子泣き爺に包囲を命じた。
『と、父さん!? 何をする気なんですか!?』
『……仕留めるんじゃよ。「来訪者」の眷属は生かしておけん』
『なっ!?』
さらに、何時もの彼らしからぬ、非情な決断を下した。ユメコを見捨て、殺そうと言うのである。
『そ、そんな事……出来ないよ……な、何か方法は――――――』
『無い。「来訪者」の眷属は、まず寄生する相手の脳に相当する中枢部を破壊し、自分好みの物に作り変えてしまう。……見た目こそあまり変わらないが、ユメコちゃんはもう、死んだのじゃよ』
鬼太郎の懇願に対しても、冷徹に事実を伝える。
『それでも、僕には……嫌だ! そんな事、やりたくない!』
『いいや、やるんじゃ。器にしていた水神を斃され、地獄童子を乗っ取り損ね、只人に取り憑いてしまった奴には、もう後がない。こうなったら、やけっぱちに同族を増やそうとするじゃろう。儂らや天童家の人間を殺してな』
『………………!』
つまり、もうどうしようもないのだ。
このままでは地獄童子が同族にされ、この場の全員も後を追う事になる。そうならないようにするには、今の内に――――――ユメコの身体を改造し切っていない、初期状態である今の内に、殺すしかない。
『「来訪者」の眷属は、返り血を浴びただけでも乗っ取られてしまう。余程法術に長けた者か、霊毛で守られた者……つまりは、お前にしかやれんのじゃ』
『うぅぅ……っ!』
理屈は分かる。
しかし、納得は出来ない。どうしても、身体が動かない。精神が全力で拒否しているのである。
『……頼む、鬼太郎……!』
『………………ッ!』
だが、最後に目玉おやじが絞り出すように呟いた懇願が、鬼太郎の足から震えを取り除いた。
そう、彼とて本当は自分の息子にそんな事はさせたくないのだ。
しかし、「来訪者」の眷属は、謂わば「病原体」。死を巻き散らす疫病のような物。どんな情けや容赦も通じない、相互理解や共存が不可能な存在なのである。
だから、殺すしかない。その器となる肉体が、ユメコだったとしても。人類と妖怪、双方にとっての癌なのだから。
『グガァッ!』『うわっ!?』
そうこうしている内に、ユメコが地獄童子のマフラーを引き千切り、彼ではなく鬼太郎に襲い掛かって来た。今の会話を聞いて、自分に手出しは出来ないと判断したのだろう。
これが「来訪者」の眷属の恐ろしい所だ。どう見ても血に飢えた獣なのに、非常にズル賢く、心の弱みを的確に突いて襲ってくる。そのせいで鴉天狗警察の半分はノイローゼになり、蒼坊主や黒鴉も深い傷を負った。
そして、今は鬼太郎にその魔の手が迫っている。ユメコに勝とうが負けようが、彼にとって致命傷なのは間違いが無かった。
『ギャオオオオオオオオッ!』
『うわぁあああああああっ!』
鬼太郎は血の涙を流し、泣き叫びながら、霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻き付けて迎撃した。霊毛に編み込まれた記憶なのか、弱点はすぐ分かったのだが、それは何の救いにもならなかった。
何せ、頭を潰すしか無かったのだから。
『うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
自らが叩き潰したせいで頭の無くなってしまった、ユメコだった物を抱き締め、絶叫する鬼太郎。
だが、世界はそんな今の彼にさえ、救いの手を差し伸べる事は無った。
「何だよこれ……何で、姉ちゃんが……うぁぁあああっ! 何で……何で殺したんだぁ! この人殺しぃっ!」
『………………!』
何とか見せまいと猫娘たちに抑えられていた、ユメコの弟:星郎が、とんでもない馬鹿力を発揮して駆け付け、全てが終わってしまった現場を見てしまい、鬼太郎を糾弾したのである。
むろん、本心からでは無い事は、鬼太郎でも分かる。まだ小学生である星郎に、自制を求めるなど酷な話だ。ましてや、自分の姉が死んだとあっては、尚更の事。
『……そうだね。僕は、人殺しだ』
「あっ……」
しかし、その一言は、心が弱り切っていた鬼太郎にとっては止めの一撃だった。星郎も自分が何を言ってしまったのか理解したが、もはや手遅れ。何もかも終わったのだ。
その後、鬼太郎は天童家と関わる事は二度と無かったし、人間とも距離を置くようになった。呆れでも怒りでもなく、唯々恐ろしくなって……。
◆◆◆◆◆◆
だが、鬼太郎は地獄でユメコと再会し、久し振りに話す事が出来た。己の胸の内を明かし、彼女が何故地獄に居座っていたのかも知った。
だから、もう鬼太郎に迷いはない。何でもやれるし、何でも出来る。そう思えた。
『ねずみ男、居るんだろう?』
『呼んだかにゃ~?』
だからこそ、鬼太郎は決断し、我関せずと引っ込んでいたねずみ男に、ある頼み事をした。
『“奴ら”に手紙を届けてくれ。文面は任せる』
『……まったく、人使いが荒い奴だぜ』
その宛先は――――――。
◆天童 ユメコ
ご存じアニメ第3期の“人間側の”ヒロイン(妖怪側は猫娘)。とても優しい性格で、自分を襲った妖怪でも反省すればきちんと許せる大人な女の子。ただ、自分の容姿に結構自信があるのか、普通に色仕掛けをする事もある(実際かなりの美少女ではある)。ついでにやる時はやる女でもあり、とある劇場版では、何とゴルフクラブで火車を殴打して気絶させた。守られているだけのヒロインでは無いのである。
猫娘とは鬼太郎を巡るライバルではあるものの仲は良く、事件の際は大抵行動を共にしている。ねずみ男は……うん、アレだね。
最終回では地獄から脱出する際に一度死んでしまい、鬼太郎の母親が命を与えてくれた事で生き返りはした物の、それまでの記憶や思い出を失ってしまった。ただし、それでも会いたいという想いがあった為か、無事に鬼太郎たちと再会した所で、物語は終わっている。
しかし、今作では地獄で死ぬ事無く生還出来た代わりに「来訪者」の眷属に身体を乗っ取られてしまい、“鬼太郎の手で頭を潰されて殺される”という最悪の末路を辿った。
これにより鬼太郎は一生拭えないトラウマを負い、地獄童子は自分を庇ったせいでユメコを死なせたばかりか鬼太郎に心の傷を負わせてしまった罪悪感により大人しくなっている。
ちなみに、死後は天国ではなく敢て地獄で働く道を選んだ。その真意は――――――。