それから数々の友人と知り合い、戦車道を歩み始めて、いつの間にやらアンツィオ戦車隊の参謀として今日も明るく元気よく生き抜けていた。
その女の子の名前はひな、ソウルネームはカルパッチョという。
全国大会の二回戦目を控えた夏ごろ、カルパッチョは街中にて一人うつむいた女の子と出会う。
人を怒らせるのが怖いという女の子は、変わることができたカルパッチョの人生を羨み、憧れ、自分のものにしたいと思うようになっていた。
緊急避難
命の危機に直面した際、相手を見捨てたとしても法には罰せられない。
――
私は昔から、ケンカというものが嫌だった。
時おり起こる父と母との言い合い、ざっくばらんな失言による子供同士の殴り合い、テレビドラマを盛り上げる奪い合い。それらを見ると、つい耳までふさぎ込んでしまう。
無関係な争いですらコレなのに、いざ当事者となってしまったら私は一体どうなってしまうのだろう。気に障る言葉なんて口にしてしまったら、私は死ぬまで謝罪の言葉を投げかけるはずだ。
誰かを傷つけるなんて、絶対にしたくなかった。
だから私は、まじめに生きる事を心がけてきた。
与えられた宿題はきちんとこなす、クラスメートから話しかけられた時は何とか笑う、口数は最低限で。山なし谷なし。
そんな私だったけれど、心まで死ななかったのは、ひとえに幼馴染の存在が大きい。
名前は鈴木貴子。隣の家に住んでいて、私とはまるで正反対の性格をした女の子だ。
「放課後だー! ったー!」
「元気だね」
「元気ですよー。あ、そだ、家に帰ったら公園で野球でもしてみない? 友人に誘われてさー……」
「ご、ごめんね。今日は宿題があるから……本当にごめんっ」
「ああっ、そんな顔しないでひなちゃん! ……そっかー宿題なー、やんないとなー……」
私の幼馴染である鈴木貴子は、こんな私の事を「真面目な人」とか「頭がいい」とか「見習いたい」と言ってくれるが、実際はこんな生き方しかできていないだけだ。
私からすれば、ハキハキしていてニコニコ笑えてガンガン遊べる貴子の方がよっぽど羨ましい。私の事をよく知っているからか、遊びにも誘ってくれる優しさもあるし。
だからか、小学生の頃は貴子さえ居てくれればそれで良いと思っていた。
中学生になっても、私は貴子の背中ばかりを追い続けていた。
そして中学三年生になったある日、私は己が人生について脈絡なく疑問を抱き始める。
貴子に依存したままでは、いつか貴子の重荷になってしまうのでは。臆病者のまま、一生を生き続けるハメになるのかも。
――良くも悪くも、大人の意識というものが芽生えつつあった。
この自覚しきっていた悩みから、いつまでも逃げるわけにはいかない。ほかでもない貴子のお荷物なんて、なりたくはない。
だから私は、よく笑いよく笑わせられるような人間になろうと、教師や親に相談してみた。
すると教師から、こんな答えが返ってきた。
――アンツィオ高校に進学してみるのはどうでしょう。あそこに行くと、誰もが明るい性格になれるとか。学生人気も高いみたいですね
教師の言葉に、私は悩むことなくうなずいた。
――たかちゃん。私、アンツィオに進学する。変わりたいの
――わかった! 応援するよ、ひなちゃん!
私の決意に対して、貴子はサムズアップで応えてくれた。
最近、ローマ帝国にハマっているらしい。
私も、たかちゃんに対して親指を立ててみせた。
――
無事にアンツィオ高校に入学して、数日ほどが経った。
まだ学園艦全体を歩き回ったわけではないが、校風は十二分に理解できたと思う。一に笑顔、二にノリ、三に勢いで四と五と六が料理、これがアンツィオのすべてだ。
料理に対する情熱は本物であるようで、高校の前には屋台広間なる名物スポットが存在する。昼休みとなればどこもかしこも安い安いと叫びはじめ、だれもかれもが匂いにつられて料理にかぶりつく。学生はもちろん、観光客らしい親子連れもそこそこ見かける。
それを見て私は、ため息がこぼれ落ちた。
羨ましい。
アンツィオに馴染みたい。
けれども私は、面白いことなんて言えやしない。力み過ぎて失言なんて漏らしてしまったらどうしよう。
はあ。
アンツィオにいると、ほんとうに明るくなれるんですか、先せ、
――おーい! そこの、そこのべっぴんさーん!
瞬間。ひと際、耳に響く声が広場に反響した。
誰だろうと左右を顔を動かしてみれば――いた。屋台を構えながら、手をぶんぶんと振り回しているコック姿の女の子が。
――おーい! こっち来て話でもしないかー! あと食べないかー!?
顔色が優れない私に、声をかけてくれたのだろうか。
首を、左右に振るう。
何を馬鹿な、都合の良い解釈はやめろ。何も行動に移せていない私に、何かが返ってくるはずなんて、
「そこの金髪の美人さーん! 安くするから食べていきなよーッ!」
足を止める。私は店主に視線を傾け、おそるおそる己が人差し指を自分の顔に差してみた。
「そーそー!」
そうなれば、次に取るべき行動は、行動は。
「い、いただき、ます」
「おっけーッ!!!」
そうして私は、鉄板ナポリタンなる料理を店長から受け取る。出来立てだからか湯気が空へ伸びていて、ソースの香りが私の食欲をそそりはじめる。
私はまったくもって我慢ならないまま、ナポリタンを口の中に吸い込ませていく。口の中がじわりと熱くなって、ナポリタンの程よい弾力が胃を刺激し、ソースの甘みが舌にたっぷり染み込んでいく。
それだけで、私は笑えていた。
「どうだ?」
「おいしいです」
「っかー! ……で、姉さん姉さん、何かあったのかい? さっきからほっとけない顔してたからさー」
「うえっ!?」
あまりに遠慮のない物言いに、変な声が出た。
「私でよかったら、相談ぐらいは乗るよ。あんま頭よくないけどさ」
店長が、苦笑いでそう言ってみせる。
――この店長は、おそらくはいい人なのだろう。料理という手間をかけてまで、ほっとけない顔をしていた私に声をかけてくれたのだから。
周囲を見る。
どの屋台も大声で客を捕まえてみせては、まるで友人感覚で雑談に興じてばかり。
それを見て、私はアンツィオの何たるかを改めて思い知れた。
店長と目が合う。にこりと笑い返される。
ここまで気を遣われておいて、臆病ぶるのは「マジメ」じゃないだろう。
パスタの味に免じて、すべてを話してしまえ。
「ええと――」
私は全てを話した。ケンカが苦手、誰かを傷つけるのが恐ろしい、明るく元気に変わるためにアンツィオへ来た。
パスタが冷めてしまうほど、長い話をした。けれども店長は、真顔でずっと聞き込んでくれた。
やがて話し終えると、店長は「そうかー」と告げて、
「あんた、凄いな!」
「えっ」
「変わりたいと思って、このアンツィオにまで来たんだろう? いやすげーよ、ちゃんと考えてて!」
「そ、そうかな?」
「ああ! 私はさー、私のオツムでも入れるような場所がアンツィオだったからさー」
店長がにかっと笑いながら、人差し指で自分のこめかみを叩き始める。
「でもまあ、ここって楽しい場所だからさ、後悔なんてしない。むしろ、アンツィオが呼んでくれたのだー! って思ってる」
「まあまあ」
「だから、あんたは凄い。自分の判断で、ここを選んだんだから」
「そうかなあ……」
「すごいって!」
店長が、皿をくれと指を曲げる。
「いい話だった……よし! 今日からあんたとは友達だ!」
間。
「……え!? いいんですか!? え!?」
「ったり前だろ!」
「で、でも私、面白いこととか言えませんよ」
「友人の言うことは全部面白く聞こえるもんだよ!」
「そ、そうかな……」
貴子のことを思い出す。
いつも自信満々で、けれども言葉の言い間違えとかあったりして、くすりと笑ってしまったこともあったっけ。
「……そうね、そう思う」
「だろー! へへ、今日からよろしくな! はい追加!」
「え、ええっ!? た、食べられるかな……」
「残した分は私が食うッ!」
「ええ……」
そして、いまさら気づいた。
私はいま、笑えている。
「……完食するまでがんばる!」
「お! いいねー! がんばれー!」
店長の鉄板ナポリタンは本当にうまい、だから完食できる。
ずっと笑顔の店長をちらりと見て、私の口から声が出た。
「あの」
「なに?」
「あなたの名前は、なんていうのかな?」
「ああ、名前!? んー、周りからはペパロニって呼ばれてるんだけれど……なんでかな?」
「ペパロニ……赤……熱血のイメージ」
「おー! そうかそうか! クラスの連中、見る目があるな!」
そうなんだろうか。
そういうことにしておこう。
「で、あんたは?」
「私はひな」
「ひなか! で、ソウルネームは?」
ソウルネームと聞かれて、首をこてんと傾ける。
そんな私を見て、ペパロニは「あーとな」と前置きし、
「あだ名ってやつだな、あだ名。このアンツィオでは、食べ物関係のあだ名がよくつけられるんだ」
「なんで?」
「さあーノリじゃない?」
「なるほど」
ノリならばしょうがない。
「そういうことだから、あんたにもあだ名が必要になるわけだ!」
「え、そうなの? 義務なの?」
「んー、あだ名があった方が親しみやすくなるだろ?」
「たしかに」
「んじゃあ、ひなのソウルネームだが……」
ペパロニは、かなり真剣な顔でうんうん考えはじめ、
「カルパッチョ!」
「えっ?」
まったく脈絡のないカタカナが出てきて、思わずフォークの動きが止まる。
「な、なんで?」
「なんだかこう、静かだから! ほら、カルパッチョもしっとりした料理だろ?」
「ま、まあ」
響きとしては、もうちょっと女の子らしさが欲しいような気もする。
――けれど、まあ、
「いいかも、カルパッチョ」
「だろー! うし! 今日からあんたはカルパッチョだッ!」
友人がつけてくれたあだ名だ、そんなの嬉しいに決まっている。
ペパロニはわははと笑い、私はくすりと微笑んで、やがて鉄板ナポリタンを食べ終えた後――ペパロニは、私と下校しようと提案してくれた。
私はもちろん、首を縦に振った。
□
放課後。
ホームルームを終えた私は、半ば急ぎ足で教室から出ていって、
「あ」
「おっ」
隣の教室から、ペパロニがダッシュで飛び出してきた。
ほんとうにアンツィオの申し子みたいな人だなあと、私はくすりと笑ってしまう。ペパロニも、「なんだよー」とけらけら。
そして私とペパロニは、アンツィオで起こった面白い話とか、これからやってみたいことを口にしながら、人で賑わっている廊下を歩んでいく。そんな光景すら、今は愛おしい。
――いつのまにか玄関まで辿り着いたが、未だペパロニとの話は尽きない。一見すると正反対のように思える私とペパロニだけれど、ペパロニは何を話しても笑ってくれるし、ペパロニだって大袈裟な言い回しをしては私を吹かせてくれる。これがもう、たまらない。
「……でさー、友人がさ、一日に何人と腕相撲できるかどうか試したらしいんだよ」
「なんで」
「握力が強いから、あと機嫌が良かったから、らしい」
「ええ……」
「結果は130勝21敗」
「よくみんな戦ってくれたね」
「集まってきたらしい」
「そうなんだ……でも、後半はきつかったんじゃない?」
「らしい。次の日はシャーペンすら握れなくなって、教師から注意されたとか」
「そうなんだ」
「程々に戦いなさいって言われたんだって」
「そうなんだ……」
言葉はこうだが、実際はおもしろおかしくて破顔してしまっている。そんな私を見て、ペパロニも楽しげに経験談を語ってくれていた。
一応突っ込み側に回っている自分だが、これといった不快な言葉などはこぼしたりしていないと思う。ペパロニは感情豊かなタイプだから、嫌と思えばすぐにでも意思表示してくれるはずだ。
――なんだ、話せるじゃない。自分。
なんだか嬉しくなって、胸を撫で下ろす。
「どしたー?」
「アンツィオ、楽しいなって思ったの」
「お、そだろー?」
ペパロニも入学したばかりだというのに、まるでアンツィオ名人のような立ち振る舞いをする。
それでも、ペパロニの人柄を見てみれば納得だ。元よりノリと勢いで生き抜いてきたフシが感じられるから、アンツィオの校風とは空気のように溶け込んでしまえるのだろう。
そんな人だからこそ、この人は私に声をかけてくれた。
そんな人だからこそ、私の選択を賞賛までしてくれた。
「ペパロニ」
「なんだー?」
校門まで歩みながら、
「私、たくさん友達を作るよ。ペパロニのように、楽しく生きてみたいから」
「お! そっかー……ま、カルパッチョならできるって! 頭いいし!」
「そうかなあ?」
また、私は笑えている。
――春風が温かい。耳を澄ませてみれば、どこからでも面白い話が聞こえてくる。屋台広間は未だ元気いっぱいなのか、良い匂いが学校にまで伝わってきた。
――おねがいしまーす! 戦車道はじめませんか!? 良妻賢母になれる、度胸もつく、大砲も撃てる! そんな戦車道を歩んでみませんかー!?
聞いたことはある単語が校門から響いてき、
私とペパロニの首が、真顔で向き合った。
声のする方、校門へ目を向けてみれば、
――戦車道どうですかー! 今なら無料体験! タダでどっかん撃てますよ! リーダーシップとか協調性とか、そういったものも育めますよー!
ツインテールの髪型が目立つ女の子が、通りがかる生徒にチラシをくばっていた。
その反応は様々で、立ち止まってチラシを注目する者、受け取ってそのまま通り過ぎる者、
――あの
――はい! なんでしょう!
――戦車道って、楽しいんですか?
――はい! 楽しいですよ! ちょっと覚えることは多いですけど
――どれくらいですか?
――えっ、えーっと……いち、に、さん、し、ご……
――片手で足りないんですね……ごめんなさい、この話はなかったことに
――ま、待って!
質問をして、そのまま帰ってしまう者。
私とペパロニの目が、もう一度重なり合う。
「……ほうっておけない、ね」
「ああ、ほうっておけないな」
だから私とペパロニは、ツインテールの少女に歩み寄った。何も迷うことなどなく。
まずはペパロニから声をかける。
「あのー」
「! はい! 戦車道にご興味が!?」
「うん。いま、初めて知ったけど」
「本当ですか!?」
ツインテールの女の子が、それはもう両目を輝かせる。
続けざまにチラシを手渡され、私とペパロニはどれどれと内容を覗った。
青空の下、強そうな戦車の前で、若々しい女子生徒が横一列で敬礼をしている爽やかな写真。大きなフォントで書かれた、初心者歓迎!の文字。ほかには、戦車道にまつわる簡単な歴史が書かれている。
「良いですよ、戦車道!」
「戦車道って、その、戦車に乗って打ち合う競技ですよね? 不勉強なもので、名前ぐらいしか知らないのですが」
「いえ、戦車道はマイナーな競技ですし仕方がないです」
ペパロニが、へーと声を出す。
「戦車道って、『勉強』の一種ですよね? 具体的には、何を学ぶんでしょうか」
「はい!」
よくぞ聞いてくれました、とばかりにツインテールが揺れた。
「戦車道とは、女性が礼節を学ぶためにあるものです」
「礼節」
「古くは、良妻賢母となるための道筋、みたいなものだったらしいですね。協調性を育む喜びを学んだり、折れない忍耐強さを身に着けたり、判断力を養ったり……今も、そのコンセプトは変わっていません」
それらの言葉を聞いて、私は唸りながら思考を走らせる。
「あの」
「はいっ」
「その、戦車道には、人を変える力がありますか?」
ツインテールの少女から、笑みが消えた。
「私は臆病で、傷つくのがすごく怖いんです。でも、変わりたくてアンツィオに来たんです」
私の言葉を、ツインテールの少女とペパロニが無言で聞き届けている。
「戦車道は、勇気を与えてくれますか?」
「――はい」
ツインテールの少女は、私の目を見て、肯定の返事を口にした。
それを聞くことができたから、私は、
「やります、戦車道。歩ませてください」
ツインテールの少女の口元が、かすかに緩んだと思う。
「じゃあ、私もやるよ」
ペパロニの言葉に、ツインテールの女の子が目を丸くした。
「戦車道をやると、強い女性になれるんだろ?」
ツインテールの女の子は、迷うことなく頷く。
「じゃ、やるよ」
ペパロニは、白い歯を見せながらで笑ってみせる。
「強い精神力と体力をもらって、世界一の料理人になりたいからさ!」
「えっ、そんな立派な夢を抱いてたの? えらい」
「だろー!? そんなわけで、私も戦車道やる! どっかんどっかん撃つのも楽しそうだしな!」
わははははは。
――私と、ペパロニの決意表明を目の当たりにしたツインテールの女の子は、最初はちいさくため息、やがてにっこりと微笑んで、
「ありがとうございます。この道を歩んでくれて」
「いえ。このような機会を与えてくれて、私もありがたいと思っています」
「私からもありがとう! グラッツェ!」
ペパロニがお礼を言う、ツインテールの女の子も満足げな顔をにじませる。
「ところで」
「はい?」
「あんたの名前は? 見たことがない顔だけれども」
そういえば。ツインテールの女の子が、「失礼」とつぶやき、
「私は安斎千代美、二年生です。みんなからはアンチョビって呼ばれています!」
一つ上の先輩だったのか。道理で、ペパロニとも面識がないわけだ。
「学校からの依頼で、アンツィオ戦車道を復活させる特待生として呼ばれてきました」
「特待生? まあ、すごいじゃないですか!」
「いえ……まだ、何も成せていませんから」
納得した。
アンチョビという女の子は、アンツィオに報いるために必死で戦車道履修者を集めようとしていたのだ。
――厳しい状況だったんだな、と思う。
アンツィオといえば、先ず料理人を目指す者が多い。歌手、建築家、絵といった芸術部門もかなり強いポジションにある。
その中でいきなり戦車道とは、あまりになじみが無さ過ぎるだろう。興味はおろか、初めて戦車道のことを見知った生徒も多かったはず。
だからこそアンチョビは、興味を持ってもらおうとチラシまで手作りし、諦めずに勧誘活動を行っていた。特待生という責務もあるからか、それは決して気軽なものではなかっただろう。
「アンチョビ先輩」
「は、はい」
「協力します、アンツィオ戦車道の復興を」
「ほ、ほんとうですか!?」
「私も協力する! やってくれる奴が沢山いてくれた方が、面白くなるしな!」
私とペパロニの言葉に、アンチョビの表情がぱあっと明るくなっていく。
――私の言葉で、はじめて誰かを笑顔にできた気がする。
「アンチョビ先輩」
「はい」
「私は、戦車道について何も知りません。その上、臆病です。ですから最初は、失敗を数多く犯してしまうでしょうし、足手まといになってしまうかもしれません。それでも、どうか、「迷惑なんかじゃないですッ!」
言葉を割り込まれ、私は思わず一歩引いてしまった。
「最初はみんなそうです、私もそうでした。だから、そんなことはまったく気にしないでください」
「は、はい」
「それにあなたは、ペパロニさんは、私の手をとってくれた人なんです。そんなことを言う必要はありません、絶対に」
笑顔の生徒達が、校門前を通り抜けていく。真剣そのものの目つきをしたアンチョビから、真っすぐにこんなことを告げられた。
――私は、アンチョビの前で一息つく。
己が失言を、今ここで払拭できる返事といえば、
「わかりました。私なりに、戦車道をはじめてみます」
「――はい!」
笑ってみせる。
これだけで、十分だった。
今日のところは一同で帰路につき始めたのだが、その間にも私とペパロニは、アンチョビから語られる戦車道のイロハに耳を傾ける。
これから先、嬉しいこととか大変な出来事だとか、そういったものに私は巻き込まれていくのだろう。誰かと触れあうというのは、そういうことだ。
けれど、いまの私は笑えていた。
―――
戦車道を歩み始めて、一年ほどが経過した。
最初こそ戦車の振動にすら怯えていたが、今となっては撃たれれば撃たれるほど対抗心が芽生えるくらいにはなった。三人しかいなかった戦車道履修者も、私があれこれ企画を立てたり、ペパロニが隊のつなぎ役を果たしてくれたり、アンチョビからは料理が振る舞われたりして、気づけば四十名ほどがアンツィオ戦車道を歩んできてくれていた。
時には失敗したり、やっぱり失敗してしまったこともあったけれど、履修者達は決して折れなかった。文化に対する向上心が溢れているのがアンツィオの特徴であり、何か食べれば心機一転できるのもアンツィオの強みであったから。
□
休日がやってきた。
今日も戦車に乗って鍛錬を積もうと考えていたのだが、アンチョビ曰く「張り切りすぎて今月の燃料費がやばいから、授業以外では乗り回さないで欲しい」とのこと。
仕方がないか、と思う。
何をするにしても、金はかかるものだ。
そういうわけなので、ペパロニと一緒に遊ぼうと電話をかけてみて『赤点やべーから勉強してるわ!』
そういうわけなので、アンチョビと遊ぼうとして電話をかけてみて『こむら返りが……こ゛めん……』
そういうことになったので、私は目的もなく学園艦を歩き回ってみることにした。
本日は天候にも恵まれていて、春風が実に心地良い。わずか数分歩いただけでも、楽しそうな顔をして歩いている女子グループとすれ違えた。アンツィオは今日も平和であるらしい。
そうして住宅地を通り抜けてみれば、いつのまにかイタリア風味の街中へ足を踏み入れていた。
先ず目につくのは建物の色だ。赤や白、黄に緑に桃と実に変幻自在だが、こうして並んでしまえば芸術として成立しているからすごい。
次に建物のつくりだが、日本と違ってレンガで作られた建築物も多い、色あせた建物を見てみると、ここは中世ヨーロッパなのだろうかと錯覚できるからすごい。
そんな街中だが、通行人も店主も日本語をしゃべる日本人ばかりが目につく。学園艦では特に珍しいシチュエーションでもないのがものすごい。
当初は世界の違いに戸惑ったが、今となってはここがホームグラウンドだ。
休日ということで、街中には私服を着た生徒がそこかしこに見受けられる。時には観光客らしい家族連れの姿もあって、なんだか機嫌が良くなってくる。
そうして何事もなく、ほんとうに平穏のまま散歩をして、一時間くらいが経過した瞬間、
――私の趣味って、なんだっけ
戦車道。
今まで模範的に生きてきたせいか、これといった遊びを知らない。流行りの歌とか、センスのあるおしゃれとか、世間で盛り上がっているドラマとか、それらが本気でわからない。
割と本気でため息が漏れる。
戦車道と授業がなければ、私は眠ることしかできないのか。
間違った生き方ではないだろうが、いち女の子としてあまりにも寂しくはないだろうか。
まずいなあ。
何がまずいかはわからないけれど、まずいなあ。
眉をへこませながら、とぼとぼとした足取りで街の中を歩いていく。何か気分転換になるようなものはないかなあと、左右に首を振るう。
料理店、お腹は空いていない。本屋、小説でも買おうかなあ。四人組のグループ、幸せに生きて欲しい。料理店、お腹は空いていない。ブティック、たまにはお洒落してみようかなあ。料理店、お腹は空いていない。スポーツクライミングジム、
スポーツジムか。
体を動かすのは好きになってきたし、ちょっとやってみようかな。でも、クライミングジムってなんだろう。
入店して、受け付けのお姉さんに「こんにちは。クライミングジムって、どんなことが出来るんですか?」と質問してみる――こうした行動が出来るようになったあたり、私は本当に変われたんだなあ。
私の言葉に対し、お姉さんは嬉しそうな顔をして、
「ロッククライミングって知っていますか? ここでは、それを安全に楽しむことができるんです。正式に言うと、ボルダリングって言うんですけれどね」
お姉さんに連れられ、ジムの屋内にまで案内される。一体何が待ち受けているのだろうと、緊張した面持ちのまま足を進めていって、
「ここで、ボルダリングを体験することが出来ます。壁にかけてある色とりどりの岩を掴んで、上へ上へと登っていくんですよ」
あまりに、広い空間だった。
本当にそうとしか言えない。部屋の面積が広いだけでなく、天井もはるかに高かったから。
続いて、壁に注目する。
壁には色とりどりの突起が埋め込まれていて、それを足場にしながらでクライマー達が上へ上へと逞しく登っていっている。命綱をつけているので、落ちても安全であるようだ。
歳がそう変わらなさそうな、女性のクライマーを見る。
小さな岩の上に両足をしっかりと置いて、危なげに腕を伸ばしては上部にある赤岩をわし掴みし、身体能力と胆力を以てそのまま赤岩の上へとよじ登ってみせた。
めちゃくちゃかっこいい。小さく拍手してしまった。私もやってみようかなあ、
「お客様」
不意に声をかけられ、心臓まで震えた。
「やってみますか? ボルダリング」
お姉さんはにこりと微笑んでいた、それはもう嬉しそうに。
「――い、いいんですか?」
「初心者大歓迎です、色々教えますよ」
「で、では……お願いしますっ!」
受付のお姉さんが、こくりと頷いた。
クライマーの女性も、私めがけ親指を立ててくれた。
――
てんやわんやとした学生生活を過ごしていれば、いつの間にやら高校戦車道全国大会が開催されようとしていた。
アンチョビは常日頃から「せめてベスト5に入りたい」と言っていて、私とペパロニはもちろんその願いに応えようと腹を決めていた。ほかの隊員たちも、アンチョビが目指す目標は自分の目標といわんばかりに張り切っている。
いまのアンツィオ戦車隊は、ノリと勢いに乗っていた。
やがて暑い夏が訪れてきて、全国大会の幕が切られた。
第一回戦目の相手はマジノ高校。強豪ではないようだが、それは私たちアンツィオも同じ。驕らず、本気で、そしてノリと勢いを失わずに戦うつもりだ。
□
晴天の下、猛暑に煽られながらで、マジノ高校との試合が始まる。
私は作戦の立案を、ペパロニは隊の引導を、アンチョビは隊長としての責務を全うしようと、マジノ高校と全力でぶつかりあった。
砲撃音が幾度もなくつんざき、地面のあちこちに履帯の痕がしみついて、やがて白旗が上がり始める。この時ばかりは、誰も笑う者なんていなかった。
――決着まで、一時間はかからなかったと思う。
「フラッグ車、大破! 勝者、アンツィオ高校ッ!」
今日になって、初めていい顔が出来ていると思う。
無線機ごしから、隊員たちのどんちゃん騒ぎが無遠慮に鳴り響く。戦車の中は相変わらず暑いはずなのに、なんだか心地よい。
□
未だ太陽が照り返す青空の下、アンツィオとマジノの戦車群が粛々と撤収されていく中で、アンチョビは隊員一同を横一列に整列させる。
アンチョビの真面目な無表情を前に、私たちはどう言えばいいのか分からずじまい。無言の動揺が、周りから伝わってくる。
何が原因だ。
私のせいか。
そんなことはない、と思う。私は、私たちは間違いなく、戦車道を正しく歩めたはずだ。
「みんな、今日は本当によくやってくれた」
アンチョビから労われ、私たちはやっぱり無言で驚く。
「最高に格好良かった、アンツィオ魂が遺憾なく発揮されていた」
アンチョビが、ペパロニの方を見る。
「ペパロニ」
「は、はい!」
「よく、みんなを先導してくれた。お前の勇気ある前進があったからこそ、みんな怯まず撃ち続けることが出来た」
「は、はい! ありがとうございます!」
普段は砕けた口調であるペパロニも、アンチョビの前では真剣になるしかない。
「他のみんなも、歩むべき道をしっかり歩めていた。特待生として、誇らしく思う」
隊員たちが顔を見合わせる、ほっとしたように表情が緩む者もいた。
「カルパッチョ」
名前を呼ばれた瞬間、私の姿勢が真っすぐに硬直した。
「お前の立てた作戦や指示は、間違いなくアンツィオを強くしてくれた」
「ありがとうございます」
「ノリと勢いは重要だが、それを最大にまで活かすには知恵も必要となる。お前は、その大切なものを担ってくれた」
「はい」
「それだけでも十分なのに、お前はマジノの戦車と勇敢に戦ってみせた。格好良かったぞ、タイマン勝負」
「きょ、恐縮です……」
――アンチョビは、すっと息を吸って、
「この試合のMVPは、間違いなくカルパッチョのものだッ!」
高らかに叫び、朗らかに笑ってみせた。
そっかあ、MVPかあ、よかったよかった、
「え!? えむびーぴー!?」
アンチョビが、大きくうなずいてみせた。
瞬間、私めがけ視線が殺到する。
私が何かを言う前に、ペパロニから、隊員から、頭をもみくちゃに撫でられ肩をばしばし叩かれ「流石っすーカルパッチョ姉さん!」「さすがアンツィオの頭脳!」「テストの成績二位でしたっけーすっげー!」「作戦めっちゃわかりやすかったー!」「お疲れ様っす! あとで何か作るっす!」
――大感激をその身に受け、私の身はへろへろ。
「カルパッチョ」
にこりと微笑んだままのアンチョビが、私に歩み寄ってきて、
「お前が間違いなく、強くなった」
声が出た。
「全部、本当のことしか言ってないからな」
「……はい」
「だから、自信を持って笑え、笑ってくれ」
私はいま、どんな顔をしているのだろう。
アンチョビの笑顔が、だんだんとぼやけて見えてきて――腕で、顔をぬぐう。
「……はいッ!」
私は、笑えていると思う。
「っしゃ―――! MVPになった記念に宴会だ―――ッ!!!」
「あいよ―――ッ!」
ペパロニと出会えて、アンチョビと歩めて、みんなと交じり合うことができて、心の底から本当に嬉しく思う。
「マジノのみんなも誘おうぜ―――ッ!!」
「いいね―――ッ!」
間もなく、遠くから強い悲鳴が聞こえてきた。恐らくは、マジノ高校の生徒達がアンツィオに捕まったのだろう。
心の中で、十字を切る。
どうか広い心を以て許して欲しい。試合が終わるたびにどんちゃん騒ぎをするのが、アンツィオ戦車隊の恒例行事だから。
「乱暴はするなよー」
私の隣に居るアンチョビが、楽しそうに苦笑いする。
ふだんは冷静に振る舞うアンチョビだが、アンツィオのノリそのものは決して否定しない。いざとなれば歌ったり踊ったり食べたりする事から、アンチョビもまた立派なアンツィオの住人だった。
そんなアンチョビのことが、私は、大好きだった。
「隊長」
「うん?」
「楽しいです、戦車道」
「そうか、それは良かった」
「あなたには、感謝してもしきれません。あなたは、偉大なお方です」
「大袈裟だぞ」
「そんなことはありません」
「……そっか」
そして私は、ついノリと勢いで、こんなことを言ってしまうのだ。
「これからもよろしくお願いします。偉大なる
いきなりの呼び名を与えられて、アンチョビの目が大きく見開かれる。私は、照れ隠しとばかりに笑ってしまう。それからアンチョビは、気恥ずかしそうに顔を赤くしながらツインテールを指先でいじって、うーあーと唸る。
それからしばらくは目を逸らされていたけれど、まんざらでもなさそうに口元は曲がっていて、それを見て私もついクスリと笑ってしまう。
――そして、アンチョビと視線が重なり合った。
「……悪くないな!」
「でしょう?」
向こう側から、マジノの生徒を引き連れたペパロニたちが猛ダッシュでやってくる。その忙しない光景を目にして、私とアンチョビはしょうがないなあと苦笑い。
腕まくりをする。
真剣勝負が終わったあとは、飲めや歌えやの宴会と相場で決まっている。マジノのみんなもお疲れだろうから、ここは元気が出るアンツィオ料理を振る舞おうじゃないか。
だから私は、あのペパロニの元へ向かおうとして、
「カルパッチョ」
アンチョビからの、真剣な声。
「次の試合も、頼りにさせてもらうからな」
「――はいっ」
――
試合の後は遊びと相場で決まっている。だから私は、ボルダリングに勤しもうと休日の街並みを歩んでいた。
今日も清々しい晴天に恵まれていて、そのせいかずいぶんと暑い。少し歩けば数多くの料理店に出迎えられ、いい匂いが私の食欲をそそり始める。街中を行き交う人々は、誰もがいい笑顔を浮かばせていて、
トレヴィーノの泉(風味)の縁の上で、無表情にうつむいている女の子がいた。
私の足は、ぴたりと止まっていた。視線が、その子へ釘付けとなる。
私の顔から笑顔すら消え、ふらりとその子のもとへ歩み寄りはじめる。
私はなぜだか、その子のことを見過ごせずにいた。
その子の前に立ち、ゆっくり姿勢を下ろして、
「あの」
うつむいたままの、黒髪のショートヘアの子がびくりと震えた。
おそるおそる顔を上げていって、やがて目が合う。声をかけられたことが予想外だったのか、驚いたように目を丸くしている。
夏に見合った白いワンピースを着ていて、年はそう変わらないように思える。よく見てみれば、肌もずいぶんと白い。
アンツィオに通う生徒なのだろうか、それにしては落ち着いているが。
――私は、笑ってみせる。
「どうしたの? 何か、あった?」
私の言葉に、女の子は「えと」と目を逸らす。
私は「あ」と手をあたふた動かし、
「ああ、ごめんなさい。私はアンツィオ高校二年生の、カルパッチョっていうの。……その、気になって声をかけちゃったんだけれど、迷惑だったかな?」
「い、いえっ、そんなことないですっ」
気を遣ってくれているのかもしれない。けれど、そう言ってくれて内心ほっとしている。
「え、えと、私は
「え、中学生?」
アンツィオには中等部は存在しない。ということは、
「その……アンツィオに入学したくて、見学しにきました」
「まあ!」
思わず、歓喜の言葉が溢れてしまった。
はしゃぎすぎて恥ずかしくなってしまって、私はひとまずざーとらしい咳をついてから、
「どうしてアンツィオを選んでくれたの?」
「それは……」
「うん」
「それは……」
「うん」
「……変わりたかったんです」
鳩からの答えに、私は心底驚いてしまった。きっと、顔にも出てしまっていると思う。
「私は、人付き合いが苦手というか、何か余計な事を言って誰かを怒らせてしまうのが怖いんです。その、バカなことを言ってしまって、母に怒られた経験があって……それで……」
鳩はぎこちなく、けれども私の目を確かに見つめながら、すべてを話してくれた。
私の中から、同情心が湧いて出てくる。デジャブすら覚えた。この子を放っておくことなど出来ない、私は強く強くそう思う。
「大丈夫」
「え?」
「私も、あなたと同じような悩みを持っていたの。でも、アンツィオに来てからは明るく元気に暮らせるようになった」
「そう、なんですか」
「うん。あとは……あとは、変わりたいという気持ちを忘れないことが大事」
私は、いまいちど鳩のことをじっと見て、
「変わりたい?」
「……はい」
十分だった。
私はにこりと微笑んで、小さくうなずいてみせる。
「あなたのこと、是非とも応援させてほしいわ」
「ほ、ほんとうですか? いいんですか?」
「もちろん。お邪魔でなければ、だけど」
「い、いえっ、うれしいです本当にっ。ありがとうございます、カルパッチョ先輩」
「うん」
そして私は、なけなしの勇気をかけ集め、言った。
「友達として付き合ってくれたら、私は嬉しいな」
「えっ」
「だめ、かな?」
鳩のことを、私はまるで他人とは思えない。
人と触れあい、楽しみたいはずなのに、臆病であるが故に自分を主張することが出来ないだなんて、昔の私そのものだ。
そんなの、あんまりだ。
未来の後輩のために、何とかしたかった。
私個人としても、何とかしてあげたかった。
そんな私のお節介に対して、鳩は――
「――ありがとうございます、先輩」
笑って、応えてくれた。
心の底から、満足感に満たされたと思う。
「こちらこそ、お友達になってくれてありがとう」
「はいっ」
「ふふ。……じゃあさっそく、どこか見学しに行ってみる?」
「はいっ」
快く返事してくれた、うれしいなあ。
――さて。
頭の中でアンツィオガイドマップを開きながら、近場に良いところはないかとあたりを見回して、
「パンテオンなんてどうかしら」
「ぱんておん?」
「神殿みたいな場所なんだけれど、そこでは大声を出してもいいルールがあるの、なぜか」
「な、なぜかっ?」
「一応、オペラもやるんだけれどね」
アンツィオにおけるパンテオンとは何をする場所か、十人中十人は「イライラしたら叫ぶところ」と答えるような場所だ。
話はウン年前にさかのぼる。
元々は劇場として、または観光地用に建築された場所なのだが、上演シーズン以外はあまり人が寄り付くような箇所ではない。良くも悪くも雰囲気が荘厳であるため、派手さを好むアンツィオ住人からはあまり関心を持たれていなかった。
その人気のなさを察したどこかのアンツィオ生徒が、人がいないのをいい事に、わざわざパンテオンの中心部に突っ立っては「パンテオンは私のものだ――――ッ!! だ――はっはっはっはッ!!!」と叫び、翌日学校で「パンテオンで叫んですっごい気持ちよかった」と自慢したのが事の始まりだそうだ。
アンツィオの伝統とは、そんなふうに生まれる。
「何か不満とか、言いたいことがあったら、ぜひパンテオンで叫んでみましょう。聞かれたくなかったら、離れたところにいるから」
私の提案に対して、鳩は考え込むようにうつむく。
「……あの」
「うん」
「いまの時間帯には、人がいますか?」
「うーん、そうねえ……いまは少ないかな? 夕暮れが近くなると、人が混む傾向にあるの」
朝から叫ぶ気分には浸りにくいし、ストレスが溜まるにも要因だの時間だのは必要になってくる。それに夜中の方が解放感に満たされる気もするから、必然的そんな仕組みとなっているのだろう。
――いま一度、鳩は顎に手を当てて考え込んでから、
「じゃあ、行きます。人がいなかったら、叫びます」
「わかったわ」
パンテオンは絶叫スポットだが、はじめの内はどうしてもテレが生じやすい。ましてや鳩のような繊細な子となると、なおさらだろう。
だから私は、鳩からの申し出に大きく首を傾かせた。
「じゃあ、行きましょう」
「はいっ」
何を叫ぼうか、今は何も溜まっていないんだけどなあ。そう思いながら、私は鳩と一緒にパンテオンに向かって歩いていく。
その合間に何か雑談でもしようと、私なりにアンツィオで起こったアレコレを話してみた。
――すると鳩は、くすりと笑ってくれたんだ。
うん。
この子に声をかけて、ほんとうによかった。
街中の喧騒が、さっきよりも心地よく聞こえてくる。いつの間にか、学園艦が涼しくなっていた。
□
「いい叫びしてたわ、柳さん」
「先輩こそ、いい大声でしたよ」
パンテオンで数発ほど叫んだあと、私と鳩はご満悦に浸りながらで街中に戻っていく。
神殿という非日常的な空間から脱したせいか、青空がすこしだけ懐かしく見えた気がした。
「私の叫びったら、乱暴だったでしょう? それに比べて柳さんは可愛い、『きゃー』とか『わーっ』とか、内容が純真で」
「い、いえっ、単に躊躇してしまっただけで……それよりも、本音をキチンと叫べた先輩の方がよっぽど立派です」
「そうかしら? ……そうね、そうかも」
叫んだ内容なんて『もうビビりたくない』だの『勝ちたい』だの『もっと力を』だの、過去の失敗談だらけだ。
けれど鳩から肯定されたのだから、私は受け入れるようにうなずく。
「内容もそうですけど……その、迫力が凄かったです。圧がありました」
「そ、そうかしら?」
「はい、パンテオンが震えた気がしました。肺活量、すごいんですね」
「肺活量……あ、あー、そうかあ」
合点がいく。鳩は疑問を抱いたのか、まばたきをする。
「たぶん、戦車道で鍛えられたんだと思う」
「戦車道?」
「うん。女性のためにある武芸のようなもので、戦車を通じて礼節や精神を鍛えていくものなの」
鳩は、まばたきを何度か繰り返して、
「じ、事故とかは遭わないんですか? 怪我とかしてしまいそうな……」
「そこは大丈夫。強固なカーボン装甲のおかげで、今のところ怪我はないわ」
「本当なんですか?」
「本当よ」
「ううん」
鳩が慎重になるのも仕方がないと思う。私だって、最初こそは死ぬか死なないかで怯えまくっていたものだし。
「まあ、撃たれたら振動ぐらいはするから、どこかにぶつかっちゃうこともあるけどね」
「う」
「でも、死者とかけが人が出たケースはなし」
「……なんだか凄いですね、戦車道」
「ええ、凄いわ。安全面だけじゃなく、色々教えてくれる教育的な面もね」
鳩が、うつむきながらで小さく唸る。
戦車道に興味はある、けれどおっかないかも、そう悩んでいるのだろう。
――だから私は、あえて言った。
「ねえ、柳さん。戦車道、歩んでみない?」
「え?」
アンツィオの街並みは、今日も賑やかで健やかだ。制服を着た三人組が、スイーツ店のドアを開けた。
「覚えなければいけない事が沢山あるから、最初は戸惑うかもしれない。轟音もすごいから、怖い武芸であることも否定はできない」
「ううん……」
「でも、度胸はついた」
大道芸人らしきアンツィオ生徒が、見事なジャグリングをお披露目していた。
「かけがえのない仲間もできたし、得意な面だって見つけることができた。戦車道は、人生の大切なものを見つけてくれるんだよ」
「そう、なんですか」
「うん」
鳩は考えこむように、その場でうつむき始める。このしぐさは、鳩の癖みたいなものなのだろう。
物事をよく考えるタイプだからこそ、鳩という女の子は臆病で、繊細なのだと思う。
「考えてみます、戦車道のこと」
「まあ、本当に? もし入ってくれたら歓迎するわ」
「そうですか……」
鳩が、気恥ずかしそうに笑ってくれた。
うん。
すごくいい気分だ。今日はボルタリングで新記録を達成できそうな気がす、
「――あ、そうだ」
「なんですか?」
「私はこれからボルタリング……ああ、ジムでやる崖登りみたいなものをやろうと思うんだけれど、どう? やってみない? 無理にとは言わないから」
「が、崖登りですか? 先輩、バイタリティすごいですね」
「ふふ、単に面白いからやっているだけよ」
「へえ……」
興味があるのか、顎に手を当て始める。
これはもしかしたら、ボルタリング仲間が出来るかもしれない。
「運動が出来ると、自己肯定力が身につきやすくなるわ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。身体能力が向上すると、それに伴って自信が増す! ……と思う」
「そ、そうなんですか……」
鳩は、思考とともにうつむきはじめ、
「分かりました」
「おおっ」
「機会があれば、ボルタリングを見ます始めてみます。……今はその、えっと、うん、人目につかれると恥ずかしいので」
「あ、わかる。私も最初は、落ちちゃうたびに顔を赤くしてたなあ」
「そうなんですか」
「そうなのよ」
私と鳩は、くすりと笑う。
「じゃあ、ボルタリングは保留にしておいて……別の場所に行ってみる? 何か買いたいものとかはある?」
「そうですね……いえ、今日はここまでにしておきます。いい感じに、疲れてしまいました」
そう言う鳩は、肩を上下に呼吸しているように見える。体質なのか、汗は流れていない。
「だいぶ歩いたものね、精いっぱい叫んだし」
「ですね……すみません、お時間をいただいて」
私は、きっぱりと首を横に振るう。
「いいのよ、私も可愛い後輩と会えて楽しかった」
「そ、そんな、可愛いなんて……」
「本当よ、ほんとう」
「も、もう……」
鳩は白い頬に手を添え、照れ隠しをするようにうつむいてしまった。
そんな後輩を見て、私はにっこり。
「……あの」
「うん? なに?」
「その、」
鳩は、そっと顔を上げていって、
「また、明日もお話できませんか?」
予想外の言葉に、ほんの少しだけ間が生じた。
それから私は、笑えたと思う。
「ええ、もちろん構わないわ。学校が終わったあと、泉の前で集合でいいかしら?」
「はい」
そこまで言って、ふと提案が思い浮かぶ。
「よかったら、友人も連れてきてもいいかな? とてもいい子なの、友人になれると思う」
「あ……」
私の言葉に、鳩は気まずそうに目線をずらしはじめる。そのしぐさを見て、何か失言でも漏らしたのかと肝が冷える。
「す、すみません、その……まだ、先輩と二人がいいです。は、恥ずかしくて」
「あ、ああ、そうね。そうしましょう、うん」
ここでアンチョビやペパロニを連れてきても、人数の差であたふたしてしまうかもしれない。年も一つ上なのだし、発言も遠慮がちになってしまうかも。
――そのとき、鳩が握りこぶしをつくって、
「私のことは、どうか秘密にして欲しいです。その、やっぱりどうしても恥ずかしいので……」
「そうね……」
鳩のことをアンツィオで話してしまえば、ノリのいいクラスメート達はこぞって未来の後輩と会いたがるだろう。そして、盛大におもてなしするに違いなかった。
人見知りの鳩に、それはまだ早い。
だからこそ、私は鳩の意見に同意した。
「じゃあ、友人たちの紹介はまた今度、ということで」
「はい、すみません」
「いいのいいの」
私はにこりと笑う。鳩も、ぎこちないながらも微笑み返してくれた。
――ふと、鳩の横を観光客らしき家族が通り抜けていく。それを見て、ふと一つの疑問が湧いて出た。
「そういえば、あなたは一人でここに? 親子さんがいるの?」
「あ――そうですね、そうです。ホテルで泊まっています」
「まあ、そうだったのね」
それならば安心だ。私は、ほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、今日はここでお別れね」
「そう、ですね」
「また明日、放課後に会いましょう」
「はい」
そのとき、鳩の視線が鳩の手のひらに移った。
いったいどうしたんだろうと、私は動向を見守る。
「あの」
「うん?」
「そ、その――握手、してくださいっ」
「まあ」
おずおずと手を差し伸べられ、私ははきはきと握りしめた。
ひやっとした感覚が、肌に伝わってくる。若干ながら不思議に思うが、そういう体質なのかもしれない。
そして握手をしてみて、改めて思った。私は明日、かならずこの人に会いに会いに行こう。
「これからもよろしくね、柳さん」
「はいっ」
そうして鳩は、街中の中へ消えていく。まだ昼間だからか、賑やかな声があちこちから飛び交ってくる。
私はクライミングジムへ向かおうと、鳩に背を向けた。
――それにしても、急に暑くなってきたなあ。
―――
翌日の放課後。鳩と落ち合うために、私は席から立ち上がって、
「カルパッチョー、よかったら一緒に屋台やらないかー?」
ペパロニが手を振りながら、私のもとへ歩み寄ってくる。
ノリと勢いの体現者であるペパロニだが、屋台を構えられるくらいには料理が上手い。トークスキルも優れているお陰で客入りも多く、稼いだお金は戦車道へと有難く利用させてもらっているのだった。
――だからこそ、私は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさいっ、今日は用事があって……」
「おお、そうなん? 邪魔したな、わり」
気にするなとばかりに、ペパロニが歯を見せてにかりと笑う。
ペパロニに友人が多いのは、こういう一面があるからなんだろうな。
「また今度、手伝うから」
「あいよ。じゃ、また明日なー」
ペパロニに手を振って、教室を後にする。そして急ぎ足でアンツィオ高校を出ていって、暑い日差しに当てられながらで街並みをかい潜り、何事もなくトレヴィーノの泉まで辿り着いて、
「こんにちは、先輩」
「こんにちは、柳さん」
泉の前で座っていた鳩と目が合い、私は笑顔をつくる。
鳩も、同じ顔をしてくれた。
「今日はどこかへ寄る?」
「そう、ですね……」
鳩は、ううんと唸る。
「今日は、お話が聞きたいです。アンツィオの雰囲気とか」
「まあ、いいわね」
私は、鳩の隣に腰かける。
泉の前だからか、先ほどよりもずいぶん涼しい。
「雰囲気は……やっぱり、ノリと勢い感が強いかしら」
「ぐ、具体的には?」
「とりあえずやってみよう精神が凄いの、ためらいとか一切なし」
「すごい」
「すごいよね……でも、アンツィオにいるとね、それもいいなって思うようになるの」
「そうなんですか」
鳩の瞳が、興味ありげに揺れている。姿勢も前のめりだ。
そりゃあそうだよね、と思う。賑やかさに巻き込まれるのは、実におもしろおかしい。
「中には、一歩引いた視点で眺めようとする子もいるの。でもアンツィオのみんなは、そういうのを察知するのがとんでもなく得意でね……」
「……捕まっちゃうんですか?」
「そう」
「すごい」
「巻き込まれたら最後、友人が数人も増えてる」
「すごい」
「ね、すごいよね」
私の実体験に対し、鳩は陽気そうな顔を浮かばせてくれている。
「私も、先輩になれますか?」
「なれるわ」
私は朗らかに、そう返答した。
「変わりたい、人を愛したい。この気持ちさえあれば、アンツィオがあなたを変えてくれる。私もそうだった」
「そうなんですね」
「そうそう、そうなのよ」
視線を、どこか遠くに移して、
「楽しさに身を任せるだけじゃなくて、静けさに浸れるスポットがあるのもアンツィオのいいところなのよ」
「まあ……」
アンツィオの虜になりかかっているのだろう、鳩の顔はこれまで以上に明るい。
「入りたいです、ここに」
「うん、いいと思う。歓迎するわ」
「入学したら、戦車道も歩もうかなって」
「まあまあ! 歓迎するわ、必ず」
私と鳩は、二人してきゃあきゃあと騒いでいた。
――そのとき、制服姿の女子二人組がこちらを見つめてきて、何やら疑問げに首をかしげている。何か用事でもあるのだろうかと、声をかけようとして、
「先輩」
「ああ、なに?」
鳩から呼び止められ、改めて意識を鳩へ傾ける。
「えっと……えっと……そう、何か面白い話はありませんか?」
「面白い、そうねえ」
二人組は、どこかへ立ち去っていってしまった。
――面白い話と聞かれて、私は心の底から考え始める。ネタが思いつかないのではなく、話したいことが多すぎて何をセレクトすれば良いのやら。
噂話か、戦車道についてか、それとも――あ、
「じゃあ、私の友人について話してみようかな」
「友人っ?」
鳩から、期待の眼差しを向けられる。
それがまぶしくて、少しだけ首を後ずさり。
「友人にペパロニっていう……ああ、これはソウルネームなんだけれども」
「本名は?」
「本名? ほん、みょう……それで、ペパロニっていうんだけれど、とても元気でノリがあって勢いが凄いの」
「あ、はい」
「やってみようと思ったことは、ぜんぶやるタイプ」
「あ、それはすごい」
心から感心したのか、鳩の目が二度三度ほどまたたく。
「料理がほんとうに好きなんだけれども、理由が『おいしいものを食べたかったから』なんですって」
「わ、いいですね」
「でしょう? それで自分の料理を食べさせるのも好きで、屋台を申請して破格の値段で料理を出してあっという間に屋台広間の看板娘」
「ええ……すごい」
「よく笑うし、面白い話も沢山仕入れているから、いつも客入りが絶えないの。これぞ人気者って感じで、私としては羨ましいなあ~って思う」
「で、でも、先輩はペパロニ先輩のお友達なんですよね?」
「うん」
私は、にこりと笑った。
「ペパロニはね、言ってくれるのよ。カルパッチョは私と違って頭がいい、一緒にいると安心できるからこれからも頼む……って」
「……イケメンですね……」
「ね」
口元に手を当てて、私は微笑む。
「無茶もするし、いつも赤点ギリギリだったり、先生からちょくちょく怒られてるけど……でも、私はそんなペパロニも好き。もうちょっと落ち着いて欲しいけど、やっぱり好き」
「そうなんですね……」
うん。
「あなたが入学してきたら、ペパロニのことを紹介しようと思う。いいかな?」
「は、はいっ、ぜひ」
私は快くうなずいて、次に語るべき人のことを頭の中で検索――する前に決まった。
「あと紹介したい人は……私の先輩にして戦車道の隊長、安斎千代美。ソウルネームはアンチョビ」
「安斎先輩、ですか」
「うん。この人はね、そうね……」
「はい」
「――とても、偉大な人なの」
私は語りはじめる、街中の喧騒に交じりながら。
もともとアンチョビ先輩はね、アンツィオ高校からの『アンツィオ戦車道を復活させて欲しい』という依頼を受けてやってきた特待生なの。
それでアンチョビ先輩は、日頃から戦車道の勧誘活動に勤しんでいて、それを見かけた私とペパロニは戦車道に入ってみることにしたわけ。
最初は、それはもう失敗ばかりだった。飛んでくる弾とかが、とにかく怖かった。
でもアンチョビ先輩は、そんな私の事を怒らなかった。とにかく優しく、励ましてくれた。
もちろん、ほかの隊員に対しても同じように接していたわ。
――アンチョビ先輩はね、人のことをよく見てた。
隊員の弱点を見抜くのが上手かった、得意な面を探り当てるのも得意だった。まあ、時には隊長としてやんわりと指摘することはあるけれど、先輩は決して人のことを否定はしなかったの。
褒めて伸ばして、成功すれば肩をたたきあって喜びを分かち合う。そんな時のアンチョビ先輩は、とても嬉しそうな顔をするのよ。
アンチョビ先輩は最高の隊長だし、成績も優秀で、性格も冷静。でも、ノリはいいほう。
勢いで腕相撲大会に参加して一回戦目で負けたり、料理大会に参加して凄くおいしいパスタをごちそうしてくれたり、よせばいいのに戦車道百物語に参加して泣いちゃったりして……ほんとうに、人間が好きなひとなの。
そんなアンチョビ先輩のことを、みんなは尊敬していた。
私なんて、心酔しちゃってるんじゃないかな。
まあ、その、ノリと勢いで
「……そんな人たちに恵まれたから、私は、」
私は、精いっぱいに笑顔を咲かせてみせる。
「自分のことを、好きになれた」
ずっと話を聴いてくれていた鳩は、目をらんらんと輝かせている。
「……素敵ですね」
「でしょう?」
「私、必ずここに入学します」
「うん。……ああ、でも、ドゥーチェは三年だから卒業しちゃうか……」
「そ、そうでした」
「どうする? なんだったら、ドゥーチェだけ紹介しようか?」
私の案に対して、鳩はうつむき思考し始める。
邪魔をしてはならない、そう思いながらで鳩の事を見守った。
「すみません。また、今度の機会ということに……」
「うん、わかったわ」
ふと空を眺めてみれば、いつの間にやら夕暮れが差し掛かってた。けっこう話し込んでいたらしい。
そろそろ帰ろうかと、私はそっと立ち上がる。長い間座り込んでいたせいで、若干ながら腰が痛い。
「あの」
「うん?」
「また、会いに来てくれますか?」
そう言って、私にそっと手を差し伸べてくれた。
私はもちろん、その手を握り返す。
ひんやりとした感触が、どこか心地よい。
うん。
うん。
――明日も必ず、鳩と会おう。
「それでは、また」
「うん。また会おうね、鳩さん」
そうして、鳩は街の奥に消えていく。
小さな背中を見届けたあと、私は寄り道をすることなく寮へ帰ることにした。
気持ちがどこか心地よい。気温も穏やかに涼しい。
―――
夏の日照りが続くなか、私たちは戦車道全国大会の優勝に向けて、今日も戦車道を歩んでいた。
今日の科目は模擬戦で、アンチョビが率いるAチームと、私とペパロニが先導するKチームに分かれて戦うこととなっている。フラッグ車を破壊できれば勝ちだ。
――試合がはじまって数分が経つが、ずいぶんと静かだった。誰も暴れたりはしない。猛暑だから、「あつい」程度のつぶやきは聞こえてくるけれど。
こんな真剣さが出来上がっている原因は、たぶん、私が主張した「大洗大危険説」のせいなのだろう。
相手の出方をうかがいながら、私は頭の隅で、これまでのことを回想しはじめる。
■
二回戦目の相手は、どうやら大洗女子学園になりそうだった。
私が在学していた頃は、戦車道の文字すら存在していなかったはず。それが今年になって、大洗戦車道が唐突に復活したらしい。
そんな出来立てチームだが、第一回戦目にて強豪サンダース大学付属をみごと打ち負かしてしまった。古巣の快挙を目にして、私は半ば興奮気味になりながら大洗戦車隊の隊長について調べ上げ――すぐに、「西住みほ」という答えを得る。
この人はいったい何者なのだろうと、私は鳩と交流を重ねながら調査を続けた。ネット検索で、だけれど。
専用サイトによると、西住みほという女の子は、元は最強校黒森峰女学園にて副隊長を務めていたらしい。黒森峰らしい堅実な立ち回りをしながらも、絶対に勝てる歩みしかしない、そんな侮れないタイプだったとか。
何を食べればそんな風になれるのだろう。私は鳩と触れ合いながらも、みほのあれこれを検索して――みほは、名門西住流の次女らしい。なるほど、それは強い。
確かに、みほは恐ろしい存在だ。
けれど、大洗戦車隊だってまるで油断ならない。だって出来立てほやほやのチームなのに、みほの指示にきちんとついていけるほどの統率力が備わっているのだから。
物凄い素質を持った集団だ、私は心からそう思う。
そして、その中には鈴木貴子も参戦しているらしい。そうか、やっぱりあなたは凄い人だ。
せっかくここまで調べたのだから、現地まで出向いて偵察でもしてみようかと考えた――考えてみて、すぐに案は没となる。
だって放課後に鳩と出会えないなんて、いやだから。
西住みほの存在、大洗戦車隊の恐ろしさをアンチョビにアピールしてみたところ、先ず「確かに大洗は危ないな。ありがとうカルパッチョ、気を引き締めさせてくれて」と労ってくれた。
私としては半ば好奇心から調査したようなものだったから、ぜんぜん苦ではなかった。けれどアンチョビの言葉は、私の心を熱くさせてくれたんだ。
ペパロニも「こりゃあ楽観視できないな、大洗ってのは天才が多いのか?」と評価してくれて、隊員も「もっとがんばらないとやばいっすね」と真剣になってくれた。
私は正しいことをやれた。そう実感できるのは、幸せ以外にほかならない。
でも、これらの反応
――すごい、さすがカルパッチョ先輩です。憧れるなあ
■
そんないきさつもあってか、いまの私は機嫌が良い。体の調子も良いのか、日光を浴びてもなお涼しく思えるし。
「! あの林が揺れたわ、撃ってッ!」
「は、はい!」
私が駆るセモベンテの主砲から火が吹き、爆風とともに林が大きく揺れ動く。
灰色の硝煙が林を覆い隠す、私はハッチを開けて肉眼で結果を確認しようとする。
「――白旗!」
「! マジっすか! マジだ! すげえっす、カルパッチョさん!」
額を、腕でぬぐう。
今日は一段と冴えているらしい。
――そのとき、私の右耳から拍手する音が聞こえてきた。
いったいどうしたのかと、視線を向けてみて、
「まあっ」
セモベンテのすぐ横で、笑顔で手を叩いている鳩の姿があった。
こんなところにまで来て賞賛してくれるだなんて、ほんとうに嬉しい。
ほかでもない鳩が褒めてくれるなんて、死んでもいいくらい喜ばしい。
私は思わず、鳩に向けて手を振った。
「あれ、どうしたんすか? カルパッチョ先輩」
「あっ」
声をかけられ、私はどうしたものかと判断が鈍り、
――私のことは、秘密にしておいてください。
「ううん、なんでもないわ」
「そすかー。それにしても、あついっすねー」
「そうかしら」
「え、マジすか? 心頭滅却でも身に着けたんですか?」
「そうかも」
気づけば、鳩はもういなくなっていた。
誰かに見つかっていないようで、ほっと胸をなでおろす。
「さて、がんばりましょう」
放課後になったら、鳩に戦車道の話をしよう。うん、絶対に。
――
二回戦目まで、あと数週間。
今日の戦車道も歩み終えて、すべての授業も何事もなく終了。ホームルームも済ませ、掃除当番ではないことを確認して、私は鳩に会いにいこうと席から立ち上がり、
「なあっ」
ペパロニから声をかけられた。
いったいなんだろう。
私は、笑顔でそれに応える。
「これからさ、いっしょに屋台広場で食べないか? 今日はおごりでいいからさ」
「ごめんなさい、今日も用事があるから。それじゃあ」
「夏に相応しい怪談も仕入れてきたし、飽きさせないからさ!」
きっとペパロニは、私のために気を遣ってくれたのだろう。
その配慮を無碍にするようで申し訳ないが、私は鳩と会うという義務があるのだ。
「ごめんなさい、用事があるの」
私はそう言って、教室を後にしようと、
「なあ、最近は一緒に遊べてないよな」
「ごめんなさい。いつか、遊べる時が来るから」
「何か重要な用事でもあるのか? よかったら話してくれよ、手伝うし」
「ありがとう、でもいいの。それじゃあ」
「あっ」
半ば急ぎ足で、私は廊下を突き進んでいく。後ろから「明日は一緒に帰ろうなー」と聞こえてきたが、それはできない。
□
晴れ空の中で、私は走っていた。賑やかな屋台広間を潜り抜け、信号機に捕まる前に突破し、なんとか街中に踏み入れたところでゆっくりと歩きはじめる。そうして数分後、トレヴィーノの泉が視界に入り、
「あ、先輩」
鳩が、私の元へゆっくり歩み寄ってきてくれた。
自然と笑みがこぼれる。それもこれも、鳩と出会えたからだ。どうして鳩と出会うことが生きがいにまでなったのか、それは分からないけれど、
「こんにちは」
「こんにちは」
「――聞いてください、先輩。今日もボルダリングの練習をしてきましたっ」
「まあっ、さすが柳さんね。どう、どう? 調子は」
「はい。だいぶ慣れてきて、簡単な移動ならへっちゃらになりました」
「まあまあまあ」
鳩の笑顔を見るため、だと思う。
前までは表情がぎこちなかった鳩だけれども、今となってはボルタリングをこなすほどの元気な女の子になってくれた。鳩もまた、アンツィオに染まれる素質がある。
そんな元気な鳩を見て、私は心の底から嬉しく思う。
臆病だった女の子を、自らの手で明快にできた事がほんとうに喜ばしい。
「先輩の言う通り、運動は自己肯定力がついてきますね」
「でしょう? これは出来る、という確証さえあれば人は明るく元気よく生きていけるわ」
「ですね。みんなに自慢できそうですし!」
鳩が私を親しんでくれるだけじゃなく、趣味にまで同行しようとする気概に、私は幸せを感じざるを得ない。
「先輩」
「うん?」
「私、いつか本物の崖を登ってみたいです」
「まあまあまあ! そんな決意まで……追い越されてしまったわ」
「え、どういうことです?」
「私としては、スポーツジムで登るだけで良かったの。その、本物の崖はおっかないから」
照れ隠し気味に笑うが、言っていることは本心そのものだ。もしかしたら事故にあって大変なことになるのかも、下手すれば死んでしまう、それだけは嫌、
「先輩」
ひんやりとした。
鳩の両手が、私の右手を包み込んでいる。
「登ってみませんか、本物の崖に」
鳩の目が、私のことを射抜く。
「フリークライミングで、道具なしで。私はやってみたいです、先輩と一緒にフリークライミングがしたいです」
フリークライミング、つまりは安全ロープも無しに自力で崖を登ること。
「登ることができれば……その、うん、そう、自己肯定力が強まると思うんです。私は崖を登れる人間なんだぞって」
落ちれば、まちがいなく死ぬ。
「私、先輩と登りたいです。登ることが出来れば、私はきっと、生きている実感をつかめますから」
「――うん」
それでも私は、鳩の提案を断るはずがなかった。
死ぬことよりも、私は鳩の未来を担いたい。それが私の人生にとって、もっとも大事なことだから。
「やりましょう」
「はい。それまで、猛特訓します」
「私も応援するわ。なんだったら、一緒にジムでも」
瞬間、鳩の顔がうつむき始める。
しまった。何か、余計なことを口にしてしまったのか。
「ごめんなさい」
鳩が、ゆっくりと首を上げていく。
「まだ、先輩にお見せできるレベルではないので……」
「あ、そっか……うん、わかった。じゃあその時がきたら、一緒に登りましょう」
「はいっ」
笑顔を見せあい、約束を交わす。
私は早速とばかりに、脳裏でボルダリングに関する特訓メニューを構築し始める。本も買ったほうがいいか。本屋は近くにあったかなあと周囲を見回し、
私と鳩の近くを通り過ぎた二人組の学生が、不思議そうな顔をして私のことを見つめていた。
――まただ。
ここ最近になって、私は周囲から不審げな目で見られるようになった。その対象は実に様々で、学生や大人、または観光客にすら凝視されることがある。犬にいたっては、吠えられることも。
最初こそ疑問を抱いていたが、鳩と付き合ううちに、それも風物詩みたいなものだと思えるようになった。
だから、深くは気にしない。
「あ――そろそろ時間ですね。すみません先輩、そろそろホテルに戻ります」
「うん。それじゃあ、またね」
もっと鳩とお話がしたいけれど、時間制限があるのならば仕方がない。本人曰く、「体力が減ってきたから」という理由もある。
それでもボルダリングに精を出しているあたり、変わりたいという決意は間違いなく本物なのだろう。あと少しもしたら、鳩は、怒られることを恐れない強靭な女の子になれるのだろうか。
そうなってくれれば、私は悔いなく死ねるくらい歓喜するだろう。
鳩が、街の奥へ姿を消していく。
そうなれば、もうここに用はない。帰ろう。
――ひゃー、今日も暑いねー。何か冷たいものでものみたーい
――じゃ、あそこいこう。店ん中に入っちゃえばこっちのもんよ
首をひねる。
ここ最近は涼しい気がするが、どうやら周囲の人間は高い気温に苦しめられているらしい。特に戦車内においては、その声がより一層と高まる。
それでも、私からすれば戦車内の室温も程々にひんやりしているように思える。汗一つかかさず、平然と指示を下しているからか、周囲からは「シントーメッキャクがすごい人」と讃えられていた。
――まあ、それはいい。
それよりも私は、鳩とまた会いたい。
名残惜しさをひきずりながら、私は、特訓のためにスポーツジムに向かった。
―――
朝がやってきた。
今日の天候は曇り空で、気温はやや寒め。そんな環境の中、私は今日も通学路についていく。
歩けど特にトラブルはなく、もちろん鳩の姿も見受けられない。平穏すぎて頭の中が暇になってしまって、ふとなんとなくこれまでのことを思い起こす。
フリークライミングへの猛特訓をはじめて、はやくも数日が経った。
最初は命綱無しのボルダリングから始めたのだが、これが思った以上に怖い。何せ下に落ちてしまえば、掬われることなく命が失われてしまうのだから。
だからか、慣れたはずのコースすら進行がおぼつかない。下に安全マットが敷いてあるにも関わらず。
何とか慎重に進んでいるつもりでも、緊張感だの恐怖心だのが心にしがみついてくるせいで、うかつにも落下してしまうケースが多発した。
こんなこと、鳩がいなければチャレンジすることはなかっただろう。
鳩の期待に応えるために、私は何度も練習を重ねていく。
――何度も練習しているうちに、私は新しい感情を覚えてしまった。
何に頼ることもなく、ただ自分の力だけで上に登っていくたび、私の中で熱い達成感と自尊心が湧いて出てきたのだ。
この快感は、戦車道でフラッグ車を撃破する瞬間に勝るとも劣らない。
本物の崖でフリークライミングを達成できた時なんて、いったいどうなってしまうのだろう。
そうして鳩との約束を果たせたのなら、私は心の底から大はしゃぎするに違いない。
それこそ、死んでもいいくらいに。
だから、今の私に迷いはない。どうしても恐怖心はぬぐえなかったけれど、鳩のことを考えればきっと大丈夫。
気づけば、アンツィオ高校の前に辿り着いていた。はやく放課後にならないものかと、そう思いながら私は校門をくぐっていく。
□
授業を受け、戦車道を歩み、昼休みは机の上で昼寝して、午後の授業を完了させ、放課後になった。
私は席から立ち上がる。鳩と会うために、はやくトレヴィーノの泉へ行かなければ。
「なあ、今日は一緒にどこか遊びに行かないか?」
背後から、ペパロニに呼び止められる。
「カルパッチョの行きたいところでいいからさ。最近寂しいんだよーいいだろー」
「ごめんなさい、今日は用事があるの」
私は振り向きもせず、そのまま廊下に向かおうとして――肩を掴まれた。
「なあ。何かあったのか?」
真剣な声。
「放課後、いつもどこにいってるんだ」
「そのまま寮に帰ってるわ」
「本当か」
「本当よ」
ペパロニは、まだ離してくれない。
「最近のカルパッチョ、なんだか……ぼーっとしてる」
「そんなことないわ」
「表情も、なんだかこう減ってきた。前はよく笑ってくれてたのに」
「笑ってるわ」
「そうは思えない」
「……笑ってるわ」
ペパロニは、まだ離してくれない。
「とにかく、今日は屋台広間に行こう。奢るからさ」
「ごめんなさい。今日は用事があるから、それじゃあ」
「ま、待てよっ」
無理やり先へ進もうとして、ペパロニから手を掴まれ、
「んっ!?」
「どうしたの?」
「つ、冷たい……」
「ああ。今日は、涼しいし」
「え――」
「もう話は済んだ? それじゃあ」
「お、おい! 待ってくれよ!」
また捕まえられる前に、私は廊下を走った。
はやく鳩に会いたい。
□
私はずっと走りっぱなしだった。アンツィオ高校から出て、そのまま街中に突入し、すっかり見慣れた本屋を通り過ぎ、ついにトレヴィーノの泉が見えてきた。
いる。鳩が、泉の前で腰を下ろしている。
私は歩きに移行して、何事もなかったかのように鳩に歩み寄る。鳩も気づいたのか、手を左右に振って挨拶してくれた。
今日もかわいい後輩でいてくれているらしい。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは、柳さん」
私はたまらず笑顔になる。鳩とこうして顔を合わせるだけで、心の中が理由なく幸福に飲まれていく。
「今日はどうでした? 学校は」
「ううん、なにもなかったわ。それよりも、ボルダリングの調子はどう?」
「だいぶ慣れてきましたっ。これなら、先輩を追い越せるかも」
「まあまあ、私もがんばらないと」
あんなに臆病だった子が、こんなにも楽しげな顔をしてくれるなんて。
二十四時間、この子が一緒にいてくれたらなあ。
それが叶えられるのなら、私はなんでも捧げられるというのに。
「先輩」
「なあに?」
「今日は、一緒に散歩でもしませんか」
「ええ、いいわよ」
「そうですか。……えと、えと」
そのとき、鳩から視線を逸らされる。
嫌われた、のではない。どこか気恥ずかしそうな調子で、私と目を合わせられていないような。
いったいどうしたのだろうと、私は鳩の動向を待つ。
「あ、あの」
「うん」
「そ、その」
そして、鳩からゆっくりと手を差し出されて、
「……手を、繋いでくれませんか」
え、
「ま、まあまあ……いいの?」
「は、はいっ」
「もちろんいいわ。ふふ、なんだか妹が出来たみたい……」
「そ、そうですか? そ、それは……うれしい、です」
上目遣いまでされて、私は冗談抜きで成仏しそうになる。してもいい。
私はいま、どんな顔をしているのだろうか。きっと、めちゃくちゃ笑えているに違いない。
――手を繋ぐ。ひんやりとした感覚が、体全体に染み込んでいった。
「ふふ、今日の散歩は任せて。面白い場所に連れていってあげる」
「あ……人気の少ないところがいいです」
「そうだった、あなたは静かな場所が好きだったわね」
「は、はいっ」
「じゃあ、そこを中心に歩き回りましょう。楽しくなれるといいな」
「ふふ、もう楽しいですよ」
こうして私たちは、アンツィオの密かなスポットを回りに回った。
海が見える学園艦の隅っこ、街から離れた森の中、公道沿いに並ぶ崖の前など、どこも人の声が聞こえない場所ばかり。賑やかさには欠けるけれど、鳩の表情を見てみれば、このコースが正解だったと察せる。
言葉は最低限でいい、一緒にいられることが大事なのだ。
それからしばらくして、私と鳩は泉の前で別れていった。
だのに私は、鳩とまた散歩がしたい、今すぐやりたい、そんな欲求にかられてしまう。
その欲望をなんとか心の奥底にまで押し込め、私は半ば急ぎ足で寮に帰っていく。
□
宿題を済ませ、戦車道関連の参考書を一通り読み終えてみれば、いつの間にやら時刻は二十二時近くを差していた。
はやく鳩と会いたいから、今日のところは眠ってしまおう。その前に歯磨きをしなければ。
学習机から離れ、洗面所へ向かう。
聞こえるのは私の足音と、部屋を白く照らす蛍光灯の僅かなノイズだけ。
そうして洗面所の前に立ち、私はいつものように歯磨きをする。
一通り手を動かしながら、私は鳩のことを考えはじめた。また明日も会いたい、次はどんな話をしてみようか、いつフリークライミングに挑んでみよう。
歯磨きを終えて、私は顔を下げてから、洗面ボウルめがけ
そうしてから首を上げてみれば、鏡に笑顔の鳩が映っていて、
「柳さん!」
私はとっさに振り向いたが、そこには誰もいない。
――残念だった。
―――
――カルパッチョ姉さんのことですか? そうっすねー、最近はぼんやりとした顔をしている事が多いような……会話も少なくなっちゃったっすね。
あ、でも、戦車道はキチンと歩んでるっすよね。指示もしっかりしてますし。
でも休み時間になると、いつも昼寝ばかりしていたり、窓の外を眺めてばかりで……どうしたんでしょ、もしかして恋でもしたんすかね。
□
――あー、カルパッチョねー。最近なんかこう……口数が減ったというか、笑顔が消えたというか……。
あ、そだ。
あのね、この前カルパッチョのこと街中で見たんだけどさ、その時のカルパッチョは笑ってたよ。
ただその、一人でね。うん、一人で。
ただね、誰かと話しかけているような感じがしたんだけれど……もしかして見えない誰かとお話してる、とか?
いや、それはないよね、うん。
□
――カルパッチョ姉さんのこと? ああ……最近、雰囲気変わったよね。なんというのか、感情が薄くなった……っていうのかな?
話を振ってみても、淡々とした返事ばかりだし……本当にどうしたんだろうね。悩んでるのかな、何かに
□
戦車道履修者とクラスメートからカルパッチョに関する情報を引き出していって、私は一つの確証を得た、と思う。
だから私は、昼休みになってアンチョビを校舎裏へと誘い出した。ここでなら、カルパッチョに盗み聞きされる心配はないはずだから。
「――何か話したいことがあるんだな。言ってみろ、ペパロニ」
呼び出した「要件」を察しているのか、アンチョビは生真面目な真顔を露わにしている。
もはや前フリなどは必要ない。私は、単刀直入に用事を口にした。
「カルパッチョのことです」
「ああ」
「最近、おかしいですよね。窓のほうをぼうっと見つめていたり、会話もどこか薄味だったりして……」
「だな。戦車道はしっかり歩んでくれるが、
「……ですね」
昼休みに浮かれている声が、壁や窓を伝わってよく聞こえてくる。
「ただ、ですね」
「ああ」
「街中でカルパッチョを見たって子が言ってたんですよ。『一人で笑っているのを見た』って」
「! 本当か?」
うなずく。
「しかも、誰かと話しているような素振りを見せていたって」
「……そうなのか?」
「目撃証言によれば」
アンチョビは両腕を組み、長く長く唸り始める。
そう思考している最中、何度か私の目をちらりと見て、ふたたび考え込んで――
「……これは、まったくもって非科学的な推測だが」
「……もしかして……」
「……幽霊でも見ているのかな、カルパッチョは」
否定、は出来なかった。
だって、
「聞いてください、アンチョビ姐さん」
「なんだ」
「最近のカルパッチョは、冷たいんです。本当の意味で」
「……なに?」
「肩を掴んだことがあったですけど、こう、ひやっとしたんです。まるで氷でした」
「そう、なのか……」
アンチョビは全く疑わない。そんな状況が、私はとても恐ろしい。
「ペパロニ」
「はい」
「確証はないが、このままカルパッチョを放置したら大変なことになる気がする」
「た、大変なことって……」
「幽霊に、取り込まれてしまうかもしれない」
「……そうかも、しれませんね」
アンチョビは、両手で握りこぶしを作る。
「だから、私たちの手でカルパッチョの目を覚まさなければならない」
「同感です」
即答。
「今日だ、今日こそ止めるぞ。止めるといっても説教するとかそんなんじゃない、屋台広場で遊ぶだけだ」
「了解です。カルパッチョのことを、元通りにします」
「大事にはしたくない。私とお前、二人で計画を進めよう。数的に不利だが、やってくれるか?」
「もちろんです」
私は、生真面目に首を縦に振った。
「友達を、救おう」
「はい」
八月だからか、陰が射す校舎裏がぬるく暑い。
夏も本格的にやってきたんだなと、私はふと思って――気づいてしまう。
夏は、幽霊が現れる季節だ。
――
昼休みが終わって、授業が終了して、ホームルームを済ませて、放課後になったので鳩に出会おうと席に立って、
「カルパッチョ!」
ペパロニが、駆けてきた。
「な、な、今日こそ屋台広間で遊ばないか?」
「いい」
「そう言わず」
「いい」
「悩みとかあるなら、聞くから」
「いい」
私は歩もうとして、
「カルパッチョ!」
肩を掴まれる。
「つめたっ……」
「離して」
「だめだっ、今日は一緒に遊ぶんだ!」
「どうして」
「友人だからに決まってるだろう!」
「……ごめんなさい。今日は、いい」
私は無理やりペパロニの手を引きはがし、教室内であるにも関わらず走り込む。
後ろから私の名前を叫ぶペパロニの声が聞こえてくるが、耳に届かなかったことにする。それよりも鳩に会いたい。
私は急ぎ足で階段を下りていく。なんで二年生の教室は二階にあるのだろうかと多少苛立ちながら、もう一度階段を降りて玄関前まで辿り着き、
「カルパッチョ」
その中央で、アンチョビが真剣な顔をして待ち構えていた。
「急いでいるので」
「だめだ、行かせない」
「大事な用事があるので、失礼します」
「それは何だ」
「……秘密です」
「悩みがあるなら聞くぞ」
「大丈夫ですから、それじゃあ」
「カルパッチョ!」
アンチョビの大声が玄関に反響して、あらゆる視線が私たちに殺到し始める。
この状況に、私の呼吸が段々と荒んでいく。
はやく先に進ませてほしい。どうしてペパロニは、アンチョビは、私を引き留めようとするのだろう。私はただ鳩という可愛い後輩と出会って、幸せな時間を送りたいだけなのに。
「なあ、話なら何でも聞く。どこがいい? 静かな場所か? それとも賑やかな場所か? お前の意思を尊重する」
「どうしてそこまで、私にこだわるんですか」
「友達だからだ」
答えが、すぐに返ってきた。
「……とにかく、私は元気ですから」
「いいから、とにかく話をしよう。私の方もな、お前と楽しく語り合いたいんだ」
「ですから――」
見間違え、かと思った。
アンチョビの後ろに、微笑んでいる鳩がふっと現れたのだ。
いつもの白いワンピースではなく、シャツとジーパンを着込んでいた。
「!? どうした、なんで笑って、」
「柳さん!」
瞬間、鳩は外めがけ走り出した。
私は上履きを替えることすら惜しくなって、そのまま玄関口を突っ切っていく。背後から私を呼び止める声が何度も何度も響いてくるが、それよりも鳩のことを追わないと。
□
鳩の背中をずっと追いかけているが、一向に差が縮まらない。腕を伸ばしても、あと寸前というところで置いていかれてしまう。
人でにぎわう屋台広間を目の当たりにして、私の眉は険しく歪む。
走りながら人をかわしていくたびに、鳩との距離が離れていく。どうしてアンツィオはこうも人気が目立つのか、鳩とのふれあいを遮らないでほしい。
次に街中が見えてきたが、ここも人が多い。家族連れも多いせいか、避けていくのがとても大変だ。
鳩にぜんぜん追いつけない。
荒く息を吐く。
アンツィオという世界が、今は好きになれそうにない。
――ようやく街中を抜け出してみれば、私は長い公道に足を踏み入れていた。
街の外れだからか、人の気配がまるで感じられない。時たま車が横を通りがかるが、それだけだ。
私の前で、未だに鳩が駆けている。
いったいいつから、そんな体力を身に着けたのだろう。
理由は気になった。なったが、きっと運動で体力が身に着いたのだろう。それはとても喜ばしいことだ。
私は鳩を追っては、その肩を掴み取ろうと腕を伸ばす。けれども鳩は、そんな私の動きなどお見通しであるかのように、タイミングよくスピードを上げるのだ。
足が速くなってる、すごくいいことだ。
公道で追いかけっこをして、数分ほどが経った。
何の脈絡もなく、鳩は公道に設けられたガードレールを飛び越えていく。私もすかさず乗り越えて、整備がされていない砂地の上に着地し、鳩の追跡を続け――
「……ついた」
「え?」
鳩が、ぴたりと足を止めた。
半ばよろけ気味にブレーキをかけた私は、「なにが?」と口に出かかって、
「あ」
目の前には、高い崖がそびえ立っていた。
黄色い、最初にそう思う。次に、足場になりそうな凹凸はあるのだろうかと本能的に気になって――あった。
「先輩」
鳩が、くるりと反転した。
「登りませんか、崖」
思考する。
いま着込んでいる服は、スカート込みの学生服だ。靴に至っては上履きのまま、滑り止めのチョークすら持ってきていない。とてもでないが、崖を登るには無謀に過ぎる。
次に崖を見上げてみたが、少なくとも校舎よりは遥かに高い。それこそ、頂上が見えないほど。
いきなりこんなコースに挑戦するだなんて、まったくもって無謀にもほどがある。
――でも、
「ええ、登りましょう」
笑顔の鳩からお願いされたら、もちろん挑戦するしかないじゃないか。
私の返答を聞いた鳩が、一歩近づいてきて、
「先輩から、先に登ってくれませんか」
その言葉に、私は快くうなずいた。
□
ぶっつけ本番であるにも関わらず、私は崖を登れてしまっていた。
掴めそうな突起を掴み取り、そのまま次の足場を探し出す。行き止まりにぶつからないように、壁一面をくまなく点検しつつ。三点支持を常に意識して。
手づかみできそうな穴があって、私はそれに手を伸ばし――風が吹いてきて、私はしっかりと両足を踏ん張る。環境が安定してきたら、私は穴めがけ手を動かし始めた。
やれてる。
これもすべては、ジムで何度も練習したお陰だ。緊張感は比べ物にならないが、登り方を知っているおかげでどうにか崖に食らいつけている。
万が一ここで落ちてしまったら、私は間違いなく死ぬだろう。それでもフリークライミングへの意思は少しも揺るがない。肯定力と高揚力が、私を突き動かしている。
そして何より、鳩と登れている事実がとても嬉しいのだ。
ここを登りきることができれば、私は、鳩は、とてつもない自信を身に着けることが出来るだろう。
ふたたび進行を止める。三点支持を忘れない。功を焦るな。
自然を甘く見てはいけない。
恐れつつ、受け入れるんだ。
使えそうな突起を発見して、私はふたたび動く。
「先輩」
声をかけられる。私の後を追っているからか、足元から呼びかけが聞こえてきた。
突起と足場を確保したあと、
「なに?」
「私たち、すごく登れてます」
「ええ、ほんとうにそう」
「その、すごく嬉しいです。私にも、これだけの力があったことが」
「そう、柳さんには自分を変える力があるの」
鳩と登れている、導けている。多大な幸福感を身に感じながら、私は上を目指す。
「先輩」
「なに?」
「先輩は、いま、楽しいですか?」
「ええ、楽しいわ」
すぐに答えられた。
「ここで死んでしまっても、悔いはありませんか?」
「いいえ。私は、あなたとどうしても登りたい。一緒に変わりたい」
「……そうですか」
間――
「先輩」
「うん」
「私は、ほんとうは一年前にアンツィオを見学しようと思っていたんです」
「一年前? ということは、ここに来たのは二度目ということ? ……あれ、それだと今のあなたは、高校一年に……」
「そう、普通ならアンツィオの生徒になっている予定でした」
登る。
「聞いてください」
「うん」
「私は余計なことを言って、つい人を怒らせてしまう傾向にありました。そのたびに私は悔やんで、何を言っていいか分からなくなって、おのずと人見知りになってしまったんです」
「……わかる」
「でも私は、もっと楽しく生きたかった。前のような積極性を取り戻したかった。だから私は、人を変えてくれるというアンツィオを選んだんです」
登る。
「忘れもしません。あれは中学三年の夏、私は停泊していたアンツィオに乗り込み、見学しようと港にまで走っていったんです」
「それで」
「事故に遭いました」
あっさり言った。
私の手足が、ぴたりと止まる。
「でも私は、確かにアンツィオにいるんです。ここに行きたいと願いすぎて、きっと意識だけが飛んでいってしまったんでしょう」
「そう、だったの」
「とはいえども、夏でしかここに来ることはできないんです。なぜでしょう、霊が行き交いやすい季節だからでしょうか」
何も言えない。
「一年前の見学で、私はアンツィオで何度も人と触れ合おうとしました。けれども霊の私じゃあ見えもしないし声も届かない」
「それは、つらいわ」
「そうでしょう」
「ええ」
「……そして今年になって、あなたと出会えた」
「あの、泉の前で」
「そうです。声をかけられた時、私はさぞ驚きました。どうして見えているんだろう、どうしてお話できるんだろう。すこし考えてみて、わかりました」
「それは」
「――あなたと私は、似ているからなんでしょう」
荒唐無稽な話だと思う。
けれど、納得はした。
人気がある場所を避けていたのも、「見えないお友達」とお話している私が不審がられないようにするため。心配した友人たちに保護され、囲まれる可能性だってある。
それに鳩は、いったいどこで寝泊まりしていのか。本人曰く親とホテルで泊まっているとのことだが、親の顔なんて一度も見ていない。そもそも、見学程度で何日も滞在するものだろうか。
――なにより、鳩はとても冷たかった。
その手を握りしめるたびに、私は鳩への想いが膨れ上がった気がする。直接触れあうたびに、波長めいたものが一致していったからなのかも。
「……わかった」
鳩が幽霊だ、それは間違いない。
「でも、だからといって、私はあなたを見捨てない」
「先輩」
「私はこれからも、あなたと共に生きていきたい」
けれど、鳩は可愛い後輩なのだ。
――私の結論を聞いた鳩が、「そうですか」と返して、
「先輩。残念ながら、一緒に生きる事はできそうにありません」
「ど、どうして」
「あと少しで、私の体が死ぬからです」
「! そんな……どうにかならない? ならないのっ?」
「……先輩」
鳩の、これまで以上の真剣な声が、私の聴覚を刺激する。
「先輩の命を、ください」
「え――」
「先輩は、もう十分に幸せですよね?」
「それは、」
私はたくさんの友人に恵まれた、戦車道だってきちんと歩めたと思う。おいしい食べ物も沢山食べられたし、ボルダリングという自慢の技も習得できた。
「うん、生きた」
「じゃあ、あなたの命を私にください。
きっと事故で死ななければ、同じく事故で意識を失った鳩を救うことはできないのだろう。
だから私は、
「うん、いいよ」
私は、もう十分に生き抜けた。
あとは、可愛い後輩にすべてを託そう。
足首を掴まれる、体じゅうが氷のように冷たくなった。
ほかでもない鳩に命を捧げられるのなら、これ以上の幸せはない。
いまの私には、もうやり残したことなど、やり残したことなんて、
「カルパッチョ―――――ッ!!!!!」
稲妻が私を貫いた。
ぼんやりがかった意識が霧散して、私はとっさに上を見る。
「カルパッチョ! どうした! なんで止まってしまってるんだ!? もしかして体力がなくなったのか? ああくそ、助けに入るぞ!」
「落ち着けペパロニ! すぐ落っこちてしまうだろ!」
「じゃあどうすればいいんすか!?」
「励ませ! 声をかけるんだ! かけ続けろ! ああでも、カルパッチョが迷惑がったらやめるんだ!」
「はいっす!」
ペパロニとアンチョビが、頂上で私のことを応援していた。
思わず手足が止まる、体が凍えかけていることすら忘れかけていた。私の視線は、意識は、ふたりに釘付けにされている。
「カルパッチョ! あと少しだ! あと少しでお前は崖を越えられる!」
「そうだー! だから頑張ってくれ! お前がいなかったらさ!」
ペパロニは、すうっと息を吸ったと思う。
「誰がアンツィオの戦車隊を引っ張るんだよぉ―――――ッ!!!!」
その叫びに、第一回戦目の記憶がフラッシュバックする。
作戦通りに動いたアンツィオ戦車隊が、とても勇ましかった。作戦が成功した時、私の内心は盛り上がっていた。私の行いをみんなが褒めてくれて、頭をくしゃくしゃになるまで撫でてくれて、肩をばしばし叩かれたことが、私はとてもうれしかった。
だから私は、二回戦目も勝ってみせたいんだ。
またみんなと一緒に、宴会で騒ぎたいんだ。
――先輩
無表情な声が、下から響く。
見下ろしてみて、私の喉から小さな悲鳴が漏れる。
柳鳩は、日本人形のような真顔で、私の事を睨んでいた。
途端に、掴まれた足首のことを意識し始める。
今は夏であるはずなのに、凍り付いてしまいそうなくらい寒い。命というものが、溶けていくのを感じる。
ぎゅうっと、足首を握りしめられる。
殺される、そう思った。
柳鳩という幽霊のことが、とても恐ろしいものにしか見えなくなる。
崖の下は、何も見えない。嘘みたいに黒く染まっていた。
私は思う。あそこに落ちてしまえば、間違いなく死ぬ。それは間違いなく、
「嫌だ」
まちがいなく、
「死にたくないっ! 死にたくないよっ!」
恐ろしいことだった。
私は足首を振り回し、柳鳩の手を何とか剥ぐ。急いで上に登ろうと焦って手足を動かそうとして――クライマーしての危機管理が、私の感情を冷やしてくれた。
焦るな。
三点支持を心がけろ。
腕じゃなく、足の力で登れ。
死にたくないという本能と、積み重ねてきた練習が、私の感覚を冴えたものにしてくれる。使えそうな足場を見つけ、掴めそうなくぼみを見極め、
――先輩
幽霊の言葉に耳を貸すな。
「いいぞ! 頑張れ!」
「すごいぞ! 絶対登れる! いけ! いけ!」
友達の言葉を信じろ。
私は手早く、けれども冷静に崖を登っていく。柳鳩には悪いけれど、私は試合に出てアンツィオのみんなを奮い立たせなければならないんだ。
死んでいる暇なんて、私にはない。
「お、いいぞ! さすがカルパッチョだ! こっちこっちッ!」
「ペパロニ! 前のめりすぎる! 落ちちゃうぞッ!」
絶対に生きて帰りたい。
私は崖と、ペパロニとアンチョビのことだけを見る。ずいぶんと登ったように思えるが、我ながら大したものだと思う。制服と上履きでクライミングなんて、もう絶対にやりたくはないが。
まだ、呼び声が聞こえてくる。
それでも私は上ばかりを目指す、それを何度も何十回も繰り返す。いつまでも聞こえてくる応援のお陰で、迷いなどは生じなかった。
――ペパロニとアンチョビの顔が、よく見えてきた。
私は、右腕を伸ばしきって、
「キャッチッ!」
「ぬ゛お゛お゛お゛お゛お゛ッ!!!!」
ペパロニとアンチョビが私の腕を掴みとり、そのまま勢いよく引っ張る。あまりに力み過ぎたからか、私の身がアンチョビに覆いかぶさってしまった。
アンチョビの濁った悲鳴が、耳に響く。
「だ、大丈夫……か」
「は……はい」
「お、おお、おお、よかった。怪我は? 骨とか折れてないか?」
「う、うん」
アンチョビとペパロニが、安堵のため息をこぼす。
私も今になって疲れ果ててしまって、寝転がってしまおうかと思った矢先に――
「あっ」
柳鳩はどうなっているんだ。
私は崖の淵にまでゆっくり歩んで、おそるおそる見下ろしてみて、
柳鳩の目が、大きく見開かれていた。全身を、小さく震わせながら。
言葉はなかったが、柳鳩は私のことを恨んでいるのだろう。
これから柳鳩は死にゆくのか、それは私にはわからない。
けれども私には、柳鳩に手を差し伸べる勇気など湧いてはこなかった。だって、死にたくないから。
私と柳鳩は、未だ視線を重ね合わせていた。地表は、真っ黒に染まったまま。
――終わりにしよう。
柳鳩を傷つけることになるけれど、意思ははっきりと伝えなければならない。
可愛かった後輩のために、私は言う。
「柳さん。私は、死ぬのは怖い。だからあなたとは、もう会わない」
息を、吸う。
「ごめんなさい」
そして私は、見た。
歯を食いしばり、恨めしそうに私を射抜きながら、暗闇へと落ちていく柳鳩の姿を。
――夢でも見ていたのだろうか。
崖の頂上から見下ろしてみれば、生い茂る森とか、線のように伸びる公道がはっきりと視認できる。黒く染まっていることなんて、ない。
終わった、のだと思う。
だから私は、力なく尻もちをついてしまった。
「カルパッチョ」
振り向くと、心配そうな顔をしたペパロニとアンチョビがおそるおそる歩み寄り、姿勢を低くしてくれた。
「大丈夫か?」
「ドゥーチェ……」
「痛いところはないか? お腹とか」
「う、ううん、大丈夫よペパロニ、ほんとうに大丈夫」
私の返事を聞いて、二人は安心したように息を吐いた。
だいぶ冷静になってきたからか、私の中で一つの疑問が芽生える。
「あの、どうやって山頂までやってきたんですか? 大変だったはずじゃあ」
「ペパロニのドライビングテクニックと、悪路を突っ切るカルロベローチェの履帯で先回りしたんだ」
ペパロニが「そうそう」とうなずき、
「私はドゥーチェからの連絡を受け取って、
私のために、そこまでしてくれたのか。
おかしくなっていたとはいえ、私は二人の事を無碍にしてしまったというのに。
ほんとうに申し訳がなくて、その場で頭を大きく下げる。
「ごめんなさいっ」
「えっ」
「その、二人のことをないがしろにしてしまって……あの子のことしか、考えられなくなってしまっていて……」
「そうか、ならしょうがないな」
アンチョビのあっさりとした物言いに、私の口から気の抜けた声が漏れる。
「幽霊に、魅入られでもしていたんだろう。そうとしか思えない」
「そーそ、普段のカルパッチョなら誰かをないがしろにしたりしねーもんな。幽霊ならしょうがない」
「え――そんな……知っていたんですか? そのことを」
アンチョビが、小さく首を振るう。
「カルパッチョが街中で一人で笑って、独り言を呟いていたという目撃証言がある」
「それに加えて、おまえ凄く冷たかったからな。ああいや、態度じゃなく物理的に」
「急にぼんやりし始めたことも含めて、カルパッチョは何か超常的な出来事に巻き込まれたんじゃあないかと予想するほかなかった。こんなケース、何でもありな戦車道ですら見聞きしたこともなかったし」
「……お見事です、発想力が柔軟というか……」
ペパロニは、くすりと苦笑いして、
「それに、いまは8月だろ? 幽霊が出てもおかしくないじゃん」
ペパロニの結論に対して、私は納得するしかなかった。
――あの子も、夏にしか現れないと言っていたし。
「まあ、そんなわけで、私たちのことは気にするな。隊員たちにも、フォローは入れておく」
「すみません、ありがとうございます」
そこでペパロニが、腰を下ろしたままの私に一歩近づいてきて、
「なあ、本当に体調とかは大丈夫なのか? 意識ははっきりしてるか? 腹は空いてる?」
ペパロニが心配そうに、けれども安心しきった顔で問うてくる。
その気遣いに、思わず笑みがこぼれ落ちてしまう。
崖を登り切ったせいですっかり疲れ切ってしまっているが、それだけだ。思考もはっきり回っている。
私はもう、とり憑かれてなどいない。あの子の面影など、もうどこにもない――
「あ」
私の思考は、はっきりと回っている。
だからこそ、今更になって自分のしてしまったことを顧みてしまった。
――私は、あの子の未来を奪ってしまったんだ。
呼吸が荒む、心臓が音を立て始める。目なんて合わせられなくて、深くうつむいてしまう。
「ど、どうした!? 具合でも悪くなったのかッ!?」
ペパロニが私の背中をさすり始める。私は「ちがう」と首を左右に振るう。
「わ、わたし、取り返しのつかないことをしてしまって……」
「ど、どういうことだ!?」
「そ、それは、その……えっと……「カルパッチョ」
アンチョビの一声に、私の焦りと、ペパロニの動揺がぴたりと止まった。
「ゆっくりでいい、私に言ってみろ。隊長として、話を聞かせて欲しい」
「ドゥー、チェ」
「ペパロニは離れておくか? 聞かない方がいいかもしれない」
「いえ、聞くっす」
アンチョビとペパロニが、私に対して小さくうなずいた。
話してしまおうか、自分の胸にしまっておこうか、迷いに迷う。
けれども時間が経てば経つほど罪悪感が膨らんでいって、吐き気まで催してきた。
口を手で覆う。ペパロニが背中をさする。アンチョビは真剣な眼差しで、こんな私のことを心配してくれていた。
――言おう。言わないと、どうにかなってしまいそうだ。
二度、三度ほど深く息を吐いて、胸に手を置いて、けれども目を逸らしてしまいながら、私はすべてを話し始めた。
あの子は昔の私と似ていたこと。あの子はアンツィオの生徒になりたかったけど、事故でそれも叶わなくなったこと。アンツィオに入りたいという強い意思があったお陰で、意識だけがアンツィオに飛んでいったこと。波長が合う私の命を、事故という形で奪おうとしたこと。
――そんなあの子を、私はわが身可愛さで見捨てたこと。
「……わかった」
そしてアンチョビは、私の肩をしっかりと掴んで、こう言った。
「お前は何も悪くない」
「え――」
「お前はただ、お前の命を奪おうとする危険な存在から逃げ出しただけだ。そうだろう?」
力なくうなずく。
「誰かに命を差し出す義務なんて、どこの国にも存在しない」
そして、アンチョビは、
「お前には、何の罪もない。あるはずがない。隊長であるこの私が、保証する」
にこりと、微笑んでくれた。
――瞬間、私の目から涙がこぼれ落ちはじめる。アンツィオに帰ることが出来るという安心感が、もうどうしようもなくたまらない。
ペパロニは、そんな私のことを優しくなでてくれた。
――
――カルパッチョは二回戦目に向けての作戦を練っていて、それでぼんやりとした感じになっていたんだ。本人に悪気はない、本当なんだ。
――そうそう。みんなもカルパッチョの集中力の強さは知っているだろ? 真剣に考えているからこそ、あんな風になってただけだ。ホントだぞ?
アンチョビとペパロニの説明に対して、隊員のみんなは「なるほど」と納得してくれた。
ほんとう、アンツィオはいい場所だと思う。
それからしばらくして、二回戦目が始まった。
相手は西住みほ率いる大洗戦車隊で、とにかく作戦の幅が広い。常道から奇策まで何でもあり。
けれども私たちには、ノリと勢いがある。私の立案した作戦にみんなが乗り、ペパロニが先導することで勢いを維持する。その後押しとして、我らがアンチョビが指示なり攻撃なりをぶちかますわけだ。
――結局私たちは負けてしまったけれど、私は貴子――カエサルとのタイマン勝負になんとか勝つことができた。使える地形にしがみついて、結果として三本もの白旗を打ち上げられた。
アンツィオの参謀として、やれることはやったと思う。
アンチョビもペパロニも、隊員のみんなも、私の事をMVPと叫んで胴上げしてくれた。カエサルからは「すごくなったなあ」と賞賛された。
ほんとう、戦車道を歩んでよかったと思う。これ以上の幸せなんてない。
――
それからしばらくして、アンツィオの教会前で集会が開かれた。
一体なんだろうと思っていたところ、アンチョビが、総統の印であるマントを私に授けてくれた。
マントを手にした瞬間、最初は何も考えられなくて、少なくない思い出が脳裏に咲きはじめて、アンチョビとの別れを実感してしまって、私の目から涙が溢れて止まらなくなった。
どうしようもなくなった私に、ペパロニが肩を抱いてくれた。隊員たちからも、拍手が送られる。
私は、心の底から思う。
こんなふうに泣くことができる人生を歩めたことが、言葉にならないくらい喜ばしい。
――
私は晴れて三年生になったが、やることはあまり変わらない。
平日はアンツィオ戦車道を強くして、休日となればフリークライミングに明け暮れる。ここ最近は私の影響で、先ずはボルダリングからはじめてみる隊員も現れ始めた。
そんな事実に、私は嬉しく思う。いつかはフリークライミングに挑戦しようとする者も出てくるのだろうか。
やがて夏が訪れてきて、私はふとトレヴィーノの泉に立ち寄ってみた。
――もう、誰もいない。