なりきり板より愛を込めて~逆憑依されたので頑張って生きようと思います~ 作:アークフィア
始まりなんて大体似たようなもの
「…………は?」
その日は自分にしては珍しく、随分と寝坊をしてしまったため、慌てて身支度を整えようとしていたのだが。
洗面台に立った自身の目に写ったのは、どう考えても自分ではない何者かの姿だった。
「……え、は?誰これ?……あ、声が
鏡の中には、若干涙目になった金髪幼女*1が、自分の顔やら髪やらを触りつつテンパっている姿が写し出されている。
……え、なにこれは?
最近よくネット小説*2とかでよく見る女体化*3ものとか、そういうやつなのかこれ?というかバイトは!?バイトはどうすりゃいいんだこれ!?
思考がパニックに陥って、全く正常に動いていない中。慌てたせいで足が縺れて、つるりと滑って宙に浮く俺。
あ、やべ。という感想を抱きつつ、次に来るはずの衝撃に備えて、思わず目を閉じて。
──何時まで待ってもやってこないダメージに疑問を感じ、恐る恐る閉じていた目蓋を開けてみると。
……なんか俺、浮いてね?
うわあ。ふわふわぷかぷか、おみずのうえにういてるみたーい(思考放棄)
「……って待てぇいっ!?なんで浮いてんの俺!?……うわ、しかも進もうとした方向に移動できるぞこれ!?なんだこれ舞空術*4!?」
人生初体験の
……そうしてはしゃぎ回る姿が、幼女*5にしか見えないことに、視界の端に写った鏡を覗いたことで気が付いて。
結果、宙に浮いたまま正座をして*6反省する、というよくわからん状況を引き起こし、ようやく思考がクリアになったのだった。……クリアになったので、気付いたことが一つある。
「……これ、うちの子*7ですね……」
容姿やらなにやらを改めて確認した結果、脳裏に思い浮かぶとある少女の姿。
……これ、自分がなりきり板*8で演じていたオリキャラ*9の姿だわ。……なして?
なりきり、と言う文化についてご存知だろうか?
簡単に言えば、版権物のキャラクターやオリジナルのキャラクターになりきって、会話を楽しむ
なりきる対象は様々で、利用する場所にも左右されるが……巷で人気のゲームやアニメのキャラクター、みたいなものから、実在する芸人*10や政治家、はたまた動物や植物みたいな人以外のものまで。各々が望むものならば、まさになんでもあり──みたいな、結構な無法空間*11が黙認される遊びでもあった。
行う場所は、専用の掲示板やツブヤイターなどのSNS。
行われる形式は──チャットみたいになりきりキャラ同士で話をするもの*12から、キャラクターと質問者を交えての、会話のキャッチボールを主軸にする掲示板形式*13のもの。はたまた、そのどちらも含むようなもの*14などなど……といった形が基本。
自分ではない、別のキャラクターを演じるという性質上、中の人を感じさせるような発言や行動は厳禁。……なんだけど、質問者側はわりと好き勝手に質問をぶつけてくる*15ため、無秩序ですらあるそれらを、どうやって返したりいなしたりするのかがなりきりをしている人間の腕の見せ所*16……なんて部分もあったりなかったり。
上手い人になると「なんでこの人、なりきりなんて場末の遊びをやっているんだろう……」みたいなレベルの人*17もいたりするんだけど、「飛影はそんなこと言わない」*18では済まないような、名前だけ借りてるレベル*19の人も多数存在したので、正直やってる人のレベルがピンキリ過ぎて、万人が楽しめるタイプの趣味ではない*20、と言うのも確かな話だったりする。
そんな感じなものだから、最盛期である平成くらいの時はまだしも、娯楽の飽和した令和の時代には、最早絶滅危惧種レベルで居場所を失っている趣味*21──なんて風に言えなくもない感じだった。
……というか誰かと会話をする、という部分を重視しないのであれば、普通に二次創作でも作ってた方が遥かにウケもいい*22ので、全体数が減るのは当たり前の話だと言えなくもないのだが。
とはいえそれらは版権キャラ*23においての話。オリキャラを使ったなりきりは、令和であろうとも普通に元気な様子で、細々とではあっても続いている場所が多い印象だったりする。
適当ななりきり掲示板*24を探して、ちょっと
下手をすると原作ありと書いてあるにも関わらず、スレッドの立て主がオリキャラだったりすることもある*26というのだから、もううわぁ……ってちょっと引きそうになるくらい、オリキャラというのはなりきりにおいて強いジャンルなのだ。……たぶんこの『原作ありきの場所にオリキャラをぶちこむ』系の思考が二次創作を作る方向に傾くと、最強オリ主*27が作られる土壌になるんだろうなぁ……と、ちょっと遠い目になったりもするわけで。
まぁ、オリ主擬きについての話は、とりあえず置いておいて。
単にオリジナル系と言っても、そのジャンルもまた多くの分類にわけることができる。
例を上げるならば定番となる学園モノやファンタジー、恋愛系ならば参加者みんなメイド*28キャラのみの指定だったり、更には掲示板上で架空の百合とか薔薇とかを咲かせているような場所もあったりする。……凄いなホントなんて感想と共に、ちょっと気圧されることもあった。
それとは別に、掲示板そのものにも、ちょっとでは済まない個性差があるようで。
自分が入り浸っていた場所はわりと場末の方だったので、雰囲気もそこまで悪いものではなかった*29けれど、場所によっては口に出すのも憚られるくらいにヤバい(小並)、みたいなことになっている場所もあったとかなかったとか聞く*30。……興味本位で最初に覗いた場所があそこでよかったな、あの時の俺。
まぁ、長々と語ったけど。
要するになりきりと言うのは、他の人に見せることを前提としたごっこ遊び……だと思って貰えれば、そう間違いではないと思う。……チャット系はちょっとややこしい*31んでパス。
さて、なりきり云々の話はここまでにして、いい加減に俺の話に移るとしよう。
俺はまぁ……普通の大学生だと思う。
趣味がなりきりであることくらいしか、特筆するようなモノも特にない、至ってふつーの一般人だ。
主にやっていたのは、オリジナルのなりきり。
ファンタジー系に区分されるやつで、なんやかんやで結構長くやっていたと思う。……時々飽きて離れたり、はたまた興味が再燃して戻ったり……を繰り返していたんで、あまり褒められた楽しみ方ではないかもしれないけども。
そんなキャラクターの名前は『キルフィッシュ・アーティレイヤー』。略してキーア、なんて風に呼ばれてたっけか。
……オリジナル系のなりきりの問題の一つに、強さ議論が頻発しやすい*32というものがある。
版権なりきりと違い、オリジナルのなりきりってのは、ある意味自分の分身を参加させることに近いため、なりきり歴の浅い奴は自分のキャラが一番、なんて気分で参加することが多いからなのだが*33。……そういうのは素直に個人でスレを立てればいいと思う*34のだが、なりきりが会話を重視する遊びである以上、なかなかうまくいかないこともあったり*35。
そんな理由もあり、スレ立てもそれなりにしてた俺は、半ば必然的にチートキャラみたいなキャラクターのなりきりをすることになっていた。……単純に言うと自治のためである。
要するに、俺が立てたスレでは俺が最強なので、そこら辺騒がずに普通に名無し(なりきっていない普通の参加者をこう呼ぶ)からの話を優先しようね、というか。
……あ、もう一つ説明忘れてた。
チャット形式でないなりきりは、基本的にはキャラハン*36が名無しから出された質問に答える、という形式になっていることがほとんどだ。
名無しをほっといて他のキャラハンと話してばかりいる*37と、スレをめっちゃ荒らされるので注意が必要である。……というか、そういうことしたいなら素直にチャット行け、と言われるのはある種の様式美だったり*38もしたり。
とまぁ、そんな感じで。
なりきりというのは、わりとスレ主が良識を持って独裁した方が上手く回る*39という、ちょっと変な遊びでもあるので、そこで遊んでいた俺もそこに則って独裁してたわけである*40。
……独裁という呼び方がよくないな、これは全うな管理なのだよ、みたいなことを言えば、管理局に抗う弓兵乙*41、みたいな返事が来る程度にはゆるーい独裁だけども。
まぁ、くわしく語るともうそれだけで長くなりそうなんでこの辺にして、今の俺の現状に話を戻す。
金髪幼女になっている俺なわけなのだが。その姿に、凄まじく見覚えがある。
……うん、キーアちゃんだよねこれ?うちの子だよねこれ!?
容姿の質問が来た時に設定したまんまだよこれ!?
金と銀の
「うわぁぁあぁこんなん黒歴史*43やんけぇえぇ……」
空中で体を捻りながら頭を抱えて悶えるその姿は、まさに風に晒される鯉のぼりの如し。……いや別にうまくはないなこれ?
「というか
問題はまだ続く。
……どう考えても浮いてるんですが、どうなってんですかこれは?
運営ー!!?運営ーっ!!?てめぇいつの間にVR機能*44なんぞくっつけやがったてめぇー!?
「……うん、現実逃避止めよう」
深くため息を吐いて、改めて鏡に向き直る。
……なりきりが行きすぎて、キャラそのものになってしまいました*45。……どうしろと?
「せんぱい!せんぱーい!!」
「どわらっしゃぁ!?なななな何ですか一体ぃっ!?」
鏡の前で自身の顔を眺め、わりと真面目にどうしたものかと思案すること暫し。
玄関をドンドンと叩く音と、こちらを呼ぶ声に驚かされた俺。
……俺を先輩呼びする奴なんて早々いないのだが、どうにも玄関口から聞こえる声と、想定しているそいつの声とが違う気がする。
なので戸を開けていいものか一瞬迷ったのだが、開けなきゃ開けないでぶち破って入ってきそうなくらいの音に変わってきていたので、仕方なく戸を開けて。
「せんぱーいっ!!!」
「げふぁっ!?!?」
突っ込んできたそいつと共に吹っ飛んで、壁にぶつかって息が詰まる。
……めさくさタックルじゃないすか、殺人タックルはダメだぞぅ?みたいな気分で眩む頭を左右に振って、懐に飛び込んできた人物に視線を巡らせる。
──薄紫の綺麗なショートヘアーをした彼女は、こちらに潤んだ瞳を向けていて。
右側が隠れているその髪型は、どこぞのメカクレスキー*46を狂乱させる儚さを持ち。
本来の彼女らしからぬへにゃ、とした口元だけが、彼女を彼女であると認めないようでいて。
服装は、現代日本ではお目にかかることのないような黒い鎧姿。……腰布があるところから、いわゆる第三再臨状態*47、なのだろうか?
それらの服装は俺の前で光となって消え失せ、恐らくは一番馴染み深い──スマホの画面でミッションメニューに移った時に見ることができる*48、いつものパーカーとワンピース姿に戻って?いた。
……うん、ぶっちゃけてしまうとこれ、マシュ・キリエライトさんですよね?
「せせせせせんぱぁいぃ、私、私はぁ……」
「えっと、一応聞いておきたいのだけど、貴女の名前は?」
現代日本になんでマシュが居るんだとか、リアルになっても美少女*50やなとか、色々言いたいことはあったのだが。
自分の現状が脳裏にちらつくせいで、嫌な予感が頭から抜けない。
思わず顔を顰めてしまう俺に、彼女は涙目になったまま答えを告げてくる。
「わた、私は、マシュ……
「……あー」
……マジでかー。
告げられた答えに視界を手で覆う。悪い予感ジャストヒット、そのまま綺麗にホームランである。
俺の後輩であり、
……少なくとも、マシュによく似た美少女ではない。
だが同時に、彼女が我が後輩であるということも、なんとなく察せられていた。
「……マシュのなりきりスレ立ててたよね、確か」
「彼女に、成りたくて、立てた、わけじゃない……うぅ……っ!」
彼はとある掲示板で、マシュになりきりをするスレ*51を立てていたスレ主でもある。
細かい設定までしっかり読み込んだ上でのそのなりきりは、一日に数百以上の質問が殺到する、かなりの人気スレッドだった。
俺も何度か書き込みを見たことがあるが、かなりの上級者とすぐさま理解できるその腕に、感服しきりだったものだ。
……ところで、頭を抱えてめっちゃ苦しんでらっしゃるんですが、これは一体?
「わた、私はっ、マシュじゃないっ!!なのに、私、俺っ、
「え、ちょっ!?」
彼女から立ち上る謎の湯気のような何か。
……魔力*52か何かだろうか?それと、明らかに正気ではないその様子。
え、これヤバいのでは?ほっとくと酷いことになる奴では?
え、え、どうしたらいいんだこれ!?
突然の事態に思考がパニックになりそうになるが、悲鳴染みた声を上げて苦しむ後輩を見ることで、どうにか正気を保つ。
……正気?はっ、もしかして?
理屈も理由もわからないが、現在のこの体はキーアのもの。
ならば、その設定通りのスペックを発揮することができるかもしれない!
──ならば、そこに賭ける!
「ごめんよ後輩、ちょっと失礼!」
謝罪の言葉を投げ掛けつつ、意識を集中する。
──やり方は、なんとなくわかる。空を掴み、念じ、作り出す。
明らかに現実的ではない感覚を引きずりだし、それを現実に結び形と成す!
「正気に、戻れぇいっ!!」
右手に握った白いそれを、彼女の頭に振り下ろす。
──小気味良い音と共に振り抜かれたそれは、彼女に纏わりついていた湯気のような何かを一蹴し、部屋の空気を塗り替えた。
「──あ、れ?私、一体……?」
「う、上手くいった!良かった楯!!大丈夫かっ、頭痛くないかっ!?」
頭を抱えて踞っていた彼女は、先までの苦しみようが嘘のようなキョトンとした表情を浮かべ、辺りを見回していた。
よ、良かった上手くいった!正直賭け以外の何者でも無かったけどホント良かった!
そんな感じで喜びを抑えつつ、後輩に声を掛ける。
「え、あ、はい。ありがとうございます、せんぱい。……はい、問題なく行動できるのではないかとっ」
「お、おう?え、いや、大丈夫ならいいんだけど……」
……大丈夫という割に、後輩の言葉遣いがマシュのままなんだけど。あれ、こういうのって元に戻るものなのでは?
「そのことなのですが……せんぱい、お時間はあるでしょうか?」
「え?いやまぁ、このまま出掛けるとか無理だから、時間はあると思うけど」
「そうですか。では、単刀直入にお答えします。──今の私は、
「──なんですと?」
困惑する俺に返ってきた言葉に、その困惑はさらに深まっていくのだった───。