なりきり板より愛を込めて~逆憑依されたので頑張って生きようと思います~   作:アークフィア

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幕間・その感謝は音を置き去りにした

 二人の疑問点・問題点になんとなく気が付き始めた私。

 その点をより明らかするため、それなりの数の訓練やら鍛練やらを彼等に施した私はというと。

 

 

(……ああうん、最初の気付きで間違いなかったみたいですね)

 

 

 と一人、内心でそう頷いていたのだった。

 というのも、リムルさんについては攻撃への忌避──もっと言えば、()()()()()()()()()のようなものを感じ取ったし。

 蜘蛛子さんについては、少なくとも()()姿()()()実力は見たまんま、ということを確認しきれたのである。

 

 順を追って説明しよう。

 

 先ずはリムルさんの方の、攻撃の忌避──および、そこから推測される成長への恐れ、という見解。

 今回の訓練などのあれこれは、彼等が成長するためのモノだ……という前置きに関しては、少しばかり忘れて貰うとして。

 訓練内においてリムルさんの動きが良かったのは、主に防御・回避面に関して。反対に攻撃に関することに関しては、露骨なまでにダメダメなのであった。

 

 これだけなら、単に攻撃が苦手だと言うことにしか聞こえないが……それらを点数で表した時、()()()()()()()()()()()()()と聞けば、なんとなくおかしいということがわかるのではないだろうか?

 防御や回避で見せた動きから、彼の現在のレベルを予想した時、それに比べるとあまりにもお粗末な動きだった……という風に言い換えてもいい。

 

 つまり、攻撃の時だけ意図的に・もしくは無意識に加減・ないし動きが緩慢になってしまっていたのである。

 そこまで露骨な差が出ているのだから、『攻撃はしたくない』と考えていると見てもそう間違いではない……とは思わないだろうか?

 

 これに関しては『捕食』を嫌っていることから、その要因をなんとなく読み取ることができる。……端的に言えば、()()()()()()()()()()()のだろう。

 

 リムル=テンペストとは、スライム型の魔物である。……ではあるが、彼の最終到達点とはそこではない。

 これに関しては、現在彼の相方ポジションに収まっている蜘蛛子さんについても言えることだが──彼等の最終的な到達点は『神』である。*1それも形而上的*2それ()ではなく、実体を持つ存在としてのそれ()、だ。

 

 この辺りもまぁ、なろう系ではよくある話ではある。

 強さを追い求め、何者にも侵害されぬ場所を求めていくに従い、人が辿り着く答えなどそう大差ない……ということなのか。

 それなりに連載が続くなろう系において、主人公が神に等しい・ないし神を越える存在となるということは、そう珍しい話でもない。

 

 彼等二人以外にも、例えばハジメ君は肩書きこそ魔王だが、その実『神』を倒しているため先の例に当てはまるし。

 アインズさんに関しても、彼の前の【プレイヤー】が神として崇められているのを見るに、その到達点の一つとして『神』がある……というのはそう見当違いの話でもあるまい。

 

 これは、『神』を語る時に形而上のそれと形而下*3のそれをごっちゃにして語っているから、という理由もあるのだが……まぁ、それは置いておいて。

 この『成長の結果として神になる』というパターン自体は、なにもなろう系だけの特徴と言うわけではない。『まどか☆マギカ』がわかりやすいように、『人の想像できる最大存在』としての神は、至るところにて頻出するモチーフでもある。

 

 ──だが、だからといってそれらが身近な存在であるかと言われれば、それはノーだと言えるだろう。*4

 

 神とは、人とは違う視点を持つ存在である。

 とある書物によれば、悪魔の奪った命よりも神の奪った命の方が多い……なんてことも言われてしまうような存在だ。

 それが何故かと言われれば──彼等のそれは、正しさの上に成り立つモノだから。彼等は人の視点よりも大きな視点で世界を見て、より良い場所を選べる存在だからだ。

 

 例え無意味な虐殺に見えても、それが数年・数十年・数百年数千年……いつかどこかで実を結ぶのであれば、容易く選ぶことのできる存在──それが、彼等『神』と呼ばれる存在である。

 いわば正しさの化身。彼等の為すことは必ず正義となり、誰もが頭を垂れることになるのである。*5

 

 ──というのはまぁ、想像上・物語の中の彼等のお話。

 彼等の『正しさ』を担保するのは、その実作者──より高次の『神』と呼ぶべきモノであり、実際は彼等が『ただそこにあるだけで正しい』ことを示しているわけではない。

 これは現実の宗教でも変わらない。ただその場合は、正しさを担保するのが作者ではなく読者──信者達に変わるというだけのこと。

 

 ……まぁ、その辺りは詳しく語って蛇を出す*6のもあれなので、それなりにして切り上げるけども。

 ともあれ、物語の中の『神』の正しさを証明してくれるのは、結局のところそれを描く『作者』である……ということに関してはそう間違いではない。

 

 では、それを踏まえた上で。──現実に現れた創作の神。

 そんな彼等の()()()()()()()()()()()()()()?ということについて問い掛けたいと思う。

 

 作者がそれを証明する、とは言い辛いだろう。

 そも、現実に現れたのであれば、作者と創作の神は立ち位置が同じ……立っている次元が同じモノになってしまっている。

 被造神の正しさとは、即ち(作者)──目上のモノから与えられた勲章のようなもの。互いに同じ立場の相手が勲章を贈りあっても、それは友愛の証にこそなれ正しさの証明にはなり得まい。

 

 ならば、神である自分自身がそれを証明する、という形にするしかないのだが……それも不可能だと言わざるを得まい。

 現実において、()()()()()()()()()()()()()()()などというモノはありえない。仮にそういうモノに見えたとしても、それはあくまでも()()()()()()()()()()()()()()()だけのこと。万人全てに響く絶対の価値、というわけでは決してない。

 

 つまり、現代に実体を持って現れてしまった神と言うのは、極論を言ってしまえば『単に不思議な力を持っているだけの存在』でしかないのである。

 無論、その力を奮って周囲から畏敬を集める……ということはできるだろうが。

 

 ではこれが、リムルさん達になんの関係があるのかと言うと。

 単純に、原作で彼等のしてきたことが現代でも認められるか、という部分に繋がってくる。

 ここにいる二人は──理由こそあれど、原作において()()()()()()()()()()()。無論、それには前述した通りに様々な理由あってこそのものなわけだが──その理由による虐殺を、現代で同じように繰り返したとして。()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのである。

 

 自らの仲間を虐殺したのだから、こちらも虐殺し返してもいい。自身に命の危険を味合わせたのだから、こちらも同じようにしてもいい……。

 確かに、目には目を・歯には歯をの論理*7で言うのであれば、それらは仕方のないことだと言えるかもしれない。

 ──だがそれは物語の時とは違い、現実では手離しに称賛されるような類いのものでは決してない。*8

 

 生存競争に善悪はない。一方的に責められる謂れなどない。*9

 ゆえにこそ、その争いには必ず()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 生きるためにそれをねじ伏せることは、決して悪ではない。

 だが、人としての感性は時に、その行為を悪だと感じてしまうものだ。──ゆえにこそ、誰かに責められる可能性というものは常に存在する。

 

 現代において、他者を害する難しさとはここにある。

 生きるために・死にたくないからと悪逆非道に手を染めること、それそのものに間違いがあるとは言い辛いだろう。

 どんなに綺麗事を言い募ろうと、そもそもに綺麗事を選べない・端から選択肢にない者だって存在するのだから。

 

 それでもなお、悪逆を犯した者は中傷を受ける。 

 それしか選べるモノが無かったから、弱いからそれしかできないのだ──なんてことを嘯いたノーブルレッドが、それを殊更に非難され続けていたように。*10

 同じように傷付け、相手を屠殺した者であれど──相手が悪人であれば、反対に称賛され受け入れられるように。

 けれどそれすら、時には非難を受けるように。

 

 ……まぁ、言ってしまえば好き嫌いの問題、という面もなくはないのだが、そこはともかくとして。

 

 ともあれ、理由があれど人を殺すのは良くない、というのは間違いではなく。

 同じように、理由があるのだからそうされる方が悪い、という考え方も決して間違いではない。

 それは、人が決して正解だけを選ぶ生き物ではないから起きる齟齬、みたいなものなわけなのだが……それらを踏まえて、改めてリムルさんの考えを読み解いてみよう。

 

 人間であるならば、人殺しを躊躇するというのは普通のこと。

 例え相手が憎い相手であれ、それが殺意にまで発展するかは場合による。

 だが、『捕食』という行為は──それを積極的に使うことを是とする場合、自らの身勝手な理由で相手を殺傷する手段となりうるモノである。

 そしてそれは彼の場合──()()()()()()()、その一点で許されかねないモノでもあると言える。

 

 いつかより多くを救うのだから、今の犠牲は多めに見ろ──。

 そんな傲慢にすら解釈できてしまうそれを、真っ当な感性を持つ人が受け入れられるだろうか?

 

 無論、それに生存競争が関わるのであれば、善悪に関わらず選ばなければならない……ということも起こりうるだろうが。

 今の彼は少なくとも、単に生きるだけならば他者を積極的に害する必要のない状態である。

 ならば、人としての良心に従って、それらを選ばない・選べないでいても、そうおかしな話ではないと言えるだろう。

 

 それらを総合するに──踏ん切りを付けたかったのかもしれないというのが、現時点での私が考える『彼が私に助けを求めた理由』なのであった。

 

 

「……その心は?」

「私は聖女です。それも魔王と対立しているという生粋の。……先の『正しさの担保』云々の話からしてみれば、これほど頼りになる相手もいないでしょう?」

「ああまぁ、確かにねぇ」

 

 

 二人には聞こえないように、ひそひそとキリアと話す私。

 

 今現在の私の肩書きは聖女。言うなれば()()()()()()()()()()()()だ。

 それに、先の黒子ちゃんの一件から、『捕食』以外の別の道を示してくれる可能性のある相手でもある。

 

 それらを総合すると、彼が求めていたのは自身の裁定。

 今の自分が、このままで居ていいのか。原作のようなモノ()にはなるべきではないのか。しかしてその道は本当に選べるのか。自身が転生者であるのならば、そもそもあの道(原作)しか選べないのではないのか……。

 

 そんな、様々な苦悩を告解しに来たというのが、今回彼の姿を見て私が至った彼の理由、というわけである。

 到達する最後の形が、神であるからこその悩み……ということになるか。

 

 

「ふーん。()()()()()だから、なんとも言えないけど……大変ね、こっちはこっちで」

「生真面目なのでしょうね。……いえまぁ、犠牲前提の成長とか、唐突に提示されれば戸惑うのも無理はないですが」

 

 

 特に、その犠牲が後から免除されると言われれば、尚更のこと。

 そんなことを嘯きながら、中々難しい案件だとため息を吐き出す私なのであった……。

 

 

*1
詳しくはそれぞれの原作を読んで貰うとして、彼等の成長先が神に類するモノである、ということに間違いはない。なろう系キャラ同士で戦力の過多を語り始めると、酷いことになる理由の一つ。……え?強さ議論で変なことになるのは別になろう系に限ったことじゃないだろうって?

*2
形のないもの、有形の世界の奥に有るとされる究極的なもののこと。言うなれば想像上の存在。実際に数値として測ることができないモノである以上、神という存在を置くにはとても丁度良い概念

*3
形のあるもの、感覚で理解できるもの。元々は『易経』内の『繋辞上伝』に記されている『形而上者謂之道(形より上なるもの、これを道といい) 形而下者謂之器(形より下なるもの、これを器という)』から生まれた言葉だとされる

*4
日本人的感覚としては『八百万の神』という形で身近に感じるもの、というツッコミはスルーして頂きたい

*5
これは逆に言えば、正しさを前提とすればどれほどの悪逆であれ、許されうる所業となるということでもある。先の『悪魔より神の方が~』云々も、ある意味ではこの論理に近い(今生の生死よりも、いつかの救われる日を重視しているとも言える)

*6
ことわざ『藪をつついて蛇を出す』より。余計なことをして恐ろしい目にあうことの例え

*7
バビロニアにおける『ハンムラビ法典』が由来とされる。……ことが多いが、『旧約聖書』において語られたモノが初、ともされる。やられたらやり返せ、という報復律として扱われることが多いが、本来は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という意味のモノだったとされる。『目を潰されたのであれば目だけを潰しなさい』『歯を折られたのならば歯を折るだけにしなさい』──復讐そのものを否定することはしないが、被害者感情に任せれば必ず必要以上の報復になることも確かなので、それを縛る……そういう意味合いもあるのだとか

*8
復讐譚はすっきりすると言うが、同時にそれがやり過ぎに思える域に至れば、困惑したり嫌ったりする人もいる。誰もが手離しに褒めることなんてありえない、という話

*9
生きることに善悪があるのであれば、悪であれば滅ぼしてもいい、なんて話になる。言うなれば存在罪の肯定のようなものなので、早々認めてはいけないことはわかるはずだ。善悪を誰が決めるのかという点もあわせて、酷いことになる可能性しか想像できないことは言うまでもない

*10
『戦姫絶唱シンフォギアXV』に登場するグループ。敵対者であり、戦力的な脅威度は今までの敵の中でも最弱。──望んでそこに堕ちた訳でもない彼女達は、だからこそ非道に手を染めることを厭わなかった。いわゆる『悲しい過去持ちの敵』。作中で起こしたことも含め、蛇蝎の如く嫌う人も多いが──『誰にだって手を伸ばす』立花響に対してぶつける敵キャラとしては、実はこれ以上ない相手だったりもする


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