なりきり板より愛を込めて~逆憑依されたので頑張って生きようと思います~   作:アークフィア

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幕間・たまには振り返って

「……そういえば、こうして二人だけで歩くというのも、とても久しぶりのことのような気がしますね、せんぱい」

「あー、うん。大体他の人も一緒ってことが多いからねぇ」

 

 

 唐突に休みになったマシュと一緒に、郷の中を歩くことになった私。

 彼女の言う通り、他に同行者のない状態での移動、というのは久しぶりのような気がする。……まぁ、大体なにかしらの問題に追われてるからなのだけれど。

 

 そう考えてみると、こうしてゆっくりと二人で歩くというのは、中々に乙なものなのかもしれない。

 ……どうにも、マシュには負担を掛けていたようだし。

 

 

「はい?」

「いやだって、今回私なにもしてないじゃん?みんながあれこれ立ち回ってるのに。……迂闊に手を貸すと色々言われそうだなー、ってのは確かだけど、もうちょっとなにか手伝ってもよかったかもなー、くらいには思っても仕方ないかなー、みたいな?」

「……ふふっ、せんぱいらしいですね」

 

 

 そうして掛けた言葉は、彼女に笑みを浮かべさせるだけ。

 ……いやまぁ、別に笑って欲しくて言ったわけじゃないんだけども。

 

 

「まぁ、いいか」

「はい、それでいいのです」

 

 

 そんな会話を交わしながら、私たちは活気溢れる街の中を、時に店を冷やかしながら歩くのであった。

 

 

 

 

──完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや終わらねーから!?」

「せ、せんぱい!?一体どうされたのでしゅか?!」

「い、いや。なんかこう、唐突になにもかも投げっぱなしにされそうになったというか……」

 

 

 なんかこう、いい感じにBGMが流れて、そのままエンディング……みたいな空気が漂ったというか。

 いやもう、確かになんか凄く長くなってきてる感はあるけど、まだ終わらねーから!語るべきとこ語ってねーから!まだクオリアは流すんじゃねぇ!!

 

 

「クオリア、といいますと……感覚質、という意味の言葉でしたか」

「おっ、そこから話を繋げちゃう?よかろうよかろう、幾らでも繋げていけぃ」

「……先ほどからせんぱいはどうしたんですか……?」

 

 

 マシュの言う通り、テンションか変なことになっている私だが……たまにあるやつだから気にしないように。

 ともあれ、話題に登ったのは『クオリア』という言葉の意味について。

 

 心臓にもなくて脳にもない*1けど、確かにそこにはある……という不思議なこの概念は、脳科学的な用語の一つである。

 

 説明としては『感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感』などという風に語られるが……雑に言ってしまえば『美味しい』『痛い』『美しい』のような、個人にしか感じられない主観的なもの、というのが一番近いのではないだろうか。

 まぁ、オタクに『クオリア』って聞くと、その辺りのことを語り始めるか、はたまたさっきの『心臓にも~』云々の話をするか、になるとは思うのだが。

 

 人と人がわかりあえない理由の一つに、相手の感じているモノは自分には理解できない、同様に自身の感じているモノを相手も理解できない、という認識の差というものがある。*2

 

 単純に美味しいと言っても、人によってはいわゆる『旨味』を美味しいものと感じていることもあれば、『苦味』『酸味』などの『自身の美味しいと感じるもの』を美味しいと言っているだけ、という場合もある。

 

 それらの『五味』を元にしているのならば、口にすればまだ違いがわかるが……例えばそれらの組み合わせの妙であるとか、特定の味の中にある特定の刺激を美味しいと言っているだけだとか。

 そういう個人が感じる感覚的なものというのは、他者に説明するのはとても難しいものだ。

 そしてここからさらに深く踏み込んで考えると──他者の感じている『旨味』が、自身の感じる『旨味』とは全く別物、ということもあり得ないことではない。

 

 これは色弱──色覚異常の人の見え方を例にするとわかりやすい。*3

 例えばここに『赤色』があるとして、普通の人はいわゆる『赤』──()()()()()()色が見えていることだろう。

 だが色覚異常の人には、この赤が普通の人で言うところの『灰色』っぽいものに見えている、ということがある。

 

 人の瞳には視細胞というものがあり、それぞれ赤・青・緑の色を別々に捉え、それを脳内で合成して認識しているのだが……色覚異常の人はそれらの色覚のどれか、はたまた全てが正常に機能していない……などの要因によって、特定の色の認識ができなくなっているのである。

 なので、例えば赤色を見ると──赤を認識する機能が異常を起こしているため、『赤色』が()()()()()()、なんてことになるのだ。

 

 だが、例え見え方が違うとしても──『赤色』というもの、それそのものが変化するわけではない。

 あくまでも受け取る側の見え方が違うというだけで、そこにあるのは赤色に違いない。

 それでも、受け取る側にとって、本来『燃えるような』という印象を与えるはずの『赤色』は──人によっては『無機質な』色になっている、ということにも違いはない。

 

 ゆえに、これらの印象をぶつけ合うと、()()()()()()ということに繋がるのである。

 同じものを見ているはずなのに、見え方が違うせいで。*4

 

 先ほどの『旨味』云々の話に戻ると、例えばとある人の『旨味』の感じ方が『酸味』に近いものであり、またとある人の感じ方が『苦味』に近いものであった場合、言葉の上ではお互いに『美味しかった』と述べているのにも関わらず、実際には感じているモノが違う、という状態になるわけで。

 これが『美味しかった』という感想だけに止まるのであれば、大して問題にはならないかも知れないが……細かいことを話し始めた時に、その感覚の違いによっては喧嘩になる……なんてこともあり得ない話ではなくなってくる。*5

 

 この認識の差というものは、言葉で説明できるものであればあるほど、それを是正することができる。

 だが、他者の認識と擦り合わせることができない場合、その認識の差は是正できないものとなってしまう。

 

 色覚異常のように、明確に他の色との判別ができないほどの異常があるのであれば、それがおかしいということに気が付くことはできるだろう。

 だがもし、『全ての色が()()()()赤みがかって見える』というような、些細な差であればどうだろうか。

 見え方という点では普通ではないにも関わらず、色が判別できないわけではない──普通の人との差が外からでは認知できないような状態にあるとして、その人は自分が普通ではない、ということに気が付くことができるだろうか?

 

 

「……難しいでしょうね。仮にサンプルを持って来ていただいたとしても、その人の視界というフィルターを通す限りは、全て正常なのですから」

「そうそう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って形だから、少なくとも軽い異常は認知できないのが普通だよ」

 

 

 答えはノー、認識することはできない。

 これからVR技術が発展して、脳に直接情報を送り込めるようになれば違うかも知れないけど……自分というフィルターを通す限り、それらの異常は認知できない、というのが正解である。

 そしてこれこそが、クオリアというものの触りなのである。

 

 自分にしか認知できないもの、自分というフィルターを通すことでしか理解できないもの。

 そういったものがクオリアであり、それゆえに他者のクオリアを理解することはできない。

 それらは当人の中でのみ成立するものであり、それを外部に説明したとしても、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 だからこそ、人と人との認知の差、というものは基本埋められない。

 自分を自分という体の檻から解き放つことが叶わない以上、自分というものの中にあるものは他者には永遠に理解できないのだ。

 

 

「だから、人類補完計画とかが持ち上がるんだよねー」

「……あ、そこに繋がるんですね」

 

 

 なので、全部融け合ってしまおう、みたいなトンでも理論が飛んできたりするわけである。……話が変なところに行った?そもそも単なる暇潰しの会話みたいなものだから構わへん構わへん()。

 呆れたような視線を向けてくるマシュに笑みを返しつつ、最近再会した人物に関わる話──人類補完計画についての話に移行する私である。

 

 人類補完計画とは、『エヴァンゲリオン』シリーズにて語られる計画の一つであり、それの内容と言うのが『不完全な人という種からの解放』──すなわち全人類の同一化だ。

 人を個の存在として成立させている心の壁──『ATフィールド』を崩壊させ、生き物を原初の生命のスープ・LCLに還すというそれは、小難しいことを抜きにすれば『個を保ったままではわかり合うのは無理なので、余計なしがらみとか全部ぶん投げようぜー』というものである。

 ……まぁ、もうこの時点でわりと無茶苦茶な理論のような気がしてくるが、実際一定の説得力はあるのである。

 

 それが、さっきの『他者のクオリアの不理解』。

 自分と相手が同じものを見て・聞いて・触れていても、全く同じことを認知しているとは限らないそれ。

 それを解消しようとするのであれば、もっとも簡単なのは『相手になる』ことなのである。それも、姿形を真似るのではなく、同一化するということが。

 

 例え完全に相手を模倣したとしても、相手が自分とは別に存在している以上、()()()()のような細かい差異は発生してしかるべきである。

 つまり、認知を歪める可能性のあるものを全て排除しようとすると、完全に同じ場所から同じように見るしかないのだ。

 そしてそれを為そうとすると、どうしても自分と相手、という区切りは邪魔なモノにしかなりえない。

 

 

「結果、単に相手の認知を知ろうとする、ってだけなら、確かに補完計画にも一定の説得力があるってわけ。……まぁ、結果として個を失うんだから、認知の差云々とか小さい話でしかないんだけど」

「……なるほど。ところで、この話のオチは……?」

「そんなの単純でしょ。──今のところ溶け合うつもりなんてないから、これからも迷惑掛けるかもしれないけどよろしくね、ってことよ」

「……そうですね。私も、せんぱいに迷惑をお掛けするかも知れませんし」

 

 

 ……とはいえ。

 わかりあえないことが悪いことなのか、と問われればそういうわけでもない。

 当たり前のことが当たり前に起きたとして、そこに価値は生まれない。

 できないだろうと思われたことを、どうにかして実現した時。そこに生まれる価値というのは、何物にも代えられぬものとなる。

 

 人の生とは、すなわちその価値を求めるもの。

 そういう意味で、わかりあえぬことを悲観するのはつまらない……というのが、今回の話のオチとなるのであった。

 

 ……オチが弱い?

 じゃあクオリア掛けときなさい、なんかいい感じになるから。

 などと嘯きながら、マシュに首根っこを捕まれながら()店に引き摺られる私なのでありました、まる。

 ……ごまかせなかったよ!

 

 

*1
六人組のバンド『UVERworld』の楽曲『クオリア』の歌詞から。この曲をエンディングに流すと、なんかとりあえず全部いい感じに終わった気がしてくる、という『クオリア万能説』というものがある

*2
『機動戦士ガンダム00』本編においても、特殊なフィールド内で虚飾などを取り払って会話をする……みたいなシーンがあったにも関わらず、どうしても判り合えない相手、というものが出てきたりした。なので、『理解できても判り合えるとは限らない』という問題も作中で例示される結果となっている。相互理解というものは字面ほど簡単ではない、ということなのだろう

*3
通常の人に対して、色の認識に違いがある人のこと。『色盲』と呼ばれることもあるが、『盲』の言葉が差別的、ということで使われないことも多い(近年では『色覚多様性』と呼ばれることも)。……が、実際は『色盲』と『色弱』は微妙に対象となる人が違う(『色盲』の場合は特定の色が全く認識できないのに対し、『色弱』の場合は特定の色が認識し辛い、という状態を示すモノであったのだとか。その為、完全に同じというわけではない)ので、纏めてまうのが正解かどうかには疑問が残る。一応、見えていない人に向けての対処によって、見え辛い人も助けになる……ということもあり、彼ら向けの対処は一緒のものでも問題ない、という話ではあったりする(色で認知出来ないので形を変える、など)

*4
なお、クオリアの説明としては『色覚異常』を持ち出すのは不正解だとされる(赤を見た時に『赤いと感じるのは何故か?』という部分が、クオリアの本質である為)

*5
これも微妙に間違い。この場合だと『旨味に感じている酸味』は本来の『酸味』とは別なので、相手から出てくるのは『酸味』についての話ではないので、ほぼ気付けない。ただ、根源的な部分で差異がある為、相手との認知に小さなズレを生じる可能性がある、という点では間違いではない

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