なりきり板より愛を込めて~逆憑依されたので頑張って生きようと思います~ 作:アークフィア
はてさて、これからグランゾンが暴走するのに対策を練っちゃダメ、という『なにそれ罰ゲーム?』みたいな話を聞いた私たち。
簡単に言い換えると『ぶっつけ本番こそ正義』みたいな感じだが、そんな正義犬にでも食わせておけ*1感満載である。
「でもまぁ、守らないと余計に酷いことになる可能性大なのだけれどね」
「ぐぬぬぬ……可能性論の面倒臭さよ……」
でも、その正義に沿わない方がめんどくさいことになりそうであることを思えば、迂闊な行動もできまい。
……うん、実際に事が起きる……確定するまで観測ができない、もとい観測することが事象の確定と等価である波動関数的性質と、【兆し】としての
なんにせよ、現状暴走するのが
「二次創作のジレンマ?」
「正確には『歴史の修正力』とかそっちの方だね。タイムパラドックスを是正するための働き、というのが原型ってことになるのかな?」
二次創作というのは、基本原作の話を元にして形作られる別の物語である。
だが、二次創作を名乗る以上、原作から完全に掛け離れることは難しい。
いやまぁ、中にはそういう二次創作もあるにはあるが……そういうのは大抵『二次創作である必要がない』とかいう批判を浴びることになるものである。
そう、二次創作はどこまで行っても二次創作。
それゆえ、原作を感じられる要素を残すことを求められる……というわけである。
で、その結果として『原作で起きる事件は、新しいキャラクターや設定の変更を加えても起こりうる』というスタンスが取られる……と。
その過程とでもいうべきものが、SF作品などで語られる『タイムパラドックス』、及びそれを是正する働きである『歴史の修正力』に似ている……というのが、ここでの主題となるだろうか?
タイムマシーンなどを用いて、過去の事象を改変すると必ずぶち当たるのが『タイムパラドックス』である。
時間の矛盾というその名前からわかるように、過去の出来事を覆すことで深刻なエラーを産みかねない……というのが、ここでの問題。
わかりやすいのはいわゆる『親殺しのパラドックス』*2だろうが、それ以外にもそもそも過去になにかを送る、ということ自体がパラドックスの引き金になりかねない。
それは何故かと言えば、送るもの如何によっては
「いわゆるオーパーツだよね。……現在見付かってるオーパーツはあくまで疑惑で済んでるけど、例えば過去の地層からスマートフォンが見付かったりしたらとんでもないことになるよね?」
「そうだな。別の意味で問題になりそうな気もするが」
「おっと、神の手の話は止めようか」*3
その道の権威が周囲を騙し始めるパターンは特殊なあれだから止めよう()
……それはともかく。あからさまに過去の地層だとわかる場所から、明らかに相応の経年劣化を経た現代の器物が現れた場合。
それは、あからさまなパラドックスを引き起こすことになるだろう。
ともすれば、その器物の設計図が何処かに転がっていて、それを参考に今ある器物を作りあげた者がいる……などという、子孫と先祖がイコール……みたいな話にもなりかねない。
これはわかりやすい例だが、そもそも単純に人が過去に戻るだけでも大問題なのである。
現代に戻ってくるのならまだ影響は少ないが、例えば過去の世界でその人物が死んでしまった場合。
そこには『現代人の死体』という、あからさまにおかしなものが残ってしまうことになる。
聞いたことはないだろうか、過去の人間と現代の人間では骨格に差異がある、みたいな話を。
「背丈とか骨の形とか、今の人と昔の人では全然違うらしいからね。なんなら、遺伝子検査で日本人だとわかったのに背丈が高過ぎる、とかでも問題視されるかも」
「元々着ていた服なんかも問題だろうね。ナイロンなんかは自然分解されず、精々が粉々になるだけだから……」
「後にナイロンの切れはし、という形で発掘されるかもしれないと?」
「まぁ、そうなるね」
人間一人分の移動でもこれだけ影響が残る。
そしてそれより小さなものでも、場合によっては無視できない影響が残る。
となれば、過去改変・ないし過去移動によって発生する矛盾というのは、私たちが思う以上に大きなものなのだということになる。
なので、そうした改変が起きても問題ない、とするために用意されたのが『歴史の修正力』だ。
「取り沙汰されるのは大抵大きな変化に対してのそれだけど、細かい変化だって修正力は見逃してないってわけだね。さっきの『当時にしては大きな日本人』も一人だけそうなら目立つけど、突然変異的に当時の一般人の中からも発生していたら目立たなくなるでしょ?」
「……その突然変異を起こしているのが修正力だと?」
「そういうこと」
言ってしまえば、大小様々な帳尻合わせとなるか。
……それをしない方が後々厄介なことを招き寄せることになるのだから、やらない理由がないとも言えるけども。
ともかく、歴史を少しでも変えるとそれを修正・ないし代替する
そういう意味で、『歴史の修正力』という概念は必要だった……というわけだ。
で、話を二次創作云々の部分に戻すと。
二次創作における原作のストーリーと言うのは、本来変化して然るべきものである。
寧ろ、二次創作なのだから変化するのが正解というか。
なにかしらの『原作にない要素』を加えるのが二次創作であり、それゆえにそれらはある種の過去改変などに当たる……みたいな?
だが同時に、真面目にその影響を考え始めるととんでもない労力を必要とする、というのも事実。
例えば面白さを優先し、五人組のキャラクター達に六人目を加えたとして。
原作で後々公式に六人目が増える、なんてことになったら目も当てられないだろう。
その反対に、その五人組に『五人組でなければならない理由』が新たに付与されたりしたら、その六人目はどうするのかという問題が湧いてくる。
これらは原作の方から突然殴られたパターンだが、そうでなくとも原作にない要素を加える、というのにはリスクが伴う。
完全に完結した作品ですら、一つの要素を加えた結果起きる様々な影響を考慮し尽くさなければいけないのだ。
二次創作、というものが本来抱える問題、というのは意外に大きいと言える。
その負担を軽減するものとして、『歴史の修正力』を持ち出すことがあるわけだ。
これは、強力なその概念を二次創作にも持ち込むことにより、多少の追加要素程度ならば大筋に影響を与えることはない、と問題の幾つかを省くことのできる要素である。
これにより、二次創作を書く負担を大幅に減らすことができるわけなのだが……。
「代わりに、多用しすぎると読者に飽きられるのよね」
「まぁ、原作と変わりがないのなら、普通に原作を見ればいいだけの話だからね」
それが抱える問題はまぁ、ライネスの言う通り。
加えた要素が変化をもたらさないのなら、別にわざわざその二次創作を見る必要性が薄れるのである。
……この考え方の発展系が『アニメになった時にオリジナル要素が加わる』なので、ほどほどにしておくべきモノでもあるわけなのだが。
ともあれ、この辺りが二次創作のジレンマ、ということになるだろう。
二次創作であるのだから原作にはない要素を加えるべきではあるが、加えすぎるとその原作である必要性がなくなるか、はたまた加えた要素による影響に悩む羽目になるし。
かといって加えても変化がない、もしくは変化が少ないのであればわざわざ二次創作をする必要性が薄れる。
その辺りの舵取り感覚が上手い人が、いわゆる『面白い二次創作』を書く人、ということになるのだろうが……まぁ、その辺りは今回の話からずれ過ぎてるのでここまでにしておくとして。
ともかく、そういう二次創作のジレンマに近いような状態に、今の私たちは置かれている……というのが、今回話したかったことになるわけである。
「……一ついいか?」
「はいはい、なにかな?」
「話が長い」
「…………」
(私たちが言わなかったことを、ズバッと言いきったな……)
(流石はメイトリックスさんです……)
いやまぁ、うん。
貴方ならそういう反応をするだろうなー、みたいな予測はなくもなかったけどさ。
でもほら、シュウさんの準備が終わるまで手持ち無沙汰であったことも事実。
なら、私がこうして話をすることで時間を潰す、というのは間違いじゃないと思うんだけどなぁ……。
……そんな感じで、思わず