息抜きにオリジナルの短編です。
読んでいただけたなら、よければ感想等頂ければ幸いです。

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無貌

――もしやり直せるとしたら、あなたはいつに戻りたいですか?

 

 その男はにこやかな笑みを浮かべてそう言った。

 その男は不思議な男だった。

 真夏だというのに汗一つ書かず、涼しい顔で真っ黒な喪服を身に着けている。

 雰囲気は何と言うのだろう?セールスマン?営業回りしてるサラリーマンのようだ。

 口調や物腰は爽やかでその顔には絶えず柔和な、それでいてどことなく胡散臭い、そんな笑みを浮かべる男。だが、目の前にいるはずのその男の顔が、何故か俺には見えない。――いや、認識できないという方が正しいかもしれない。

 茜色に染まる空と大きく燃える夕陽を背にしているので顔に影が差している。だが、そんな理由とは別に、目の前の男の顔は見えない。

 今目の前にいて会話を交わしているのに、表情は認識できるのに、瞬きをした瞬間には全くの別人に見える。このまま目の前からこの男が去ったら10秒もあれば顔を思い出せなくなりそうだ。まるで、貌がないようだ。

 そんな不思議な胡散臭い無貌の男の言葉に俺は何と返したものかと悩んでいると

 

――あ、もしかして何かの宗教の勧誘とかだと思ってます?

 

 男は小首を傾げて言う。

 

――ハハハ、仲間内からゲスだとか人格破綻者と称される私ですが、さすがに〝墓地〟で宗教の勧誘なんてしませんよ。

 

 と、男はケラケラと笑う。

 

「いや、宗教とかじゃなく、何が言いたいのかよく分からなくて……」

 

 困惑しながら答えるとふむ、と男は少し考える素振を見せ

 

――そうですね、人生にはいくつもの分岐点があります。なんの仕事につくか、などの大きなものや、今日の晩御飯に何を食べるか、のような些細なものまでいろいろです。そして、人は往々にしてそう言った選択に失敗し、後悔した覚えがあるものです。あなたにも覚えがあるでしょう、福井創さん?

 

「なんで俺の名前を……!?」

 

 男に名前を呼ばれ、俺は驚愕に顔を引きつらせる。しかし、男はニヤリと笑うのみで話を続ける。

 

――あの時この仕事じゃなくこっちの仕事を選んでいれば、とか、あそこでこれを食べてたら、とか、あとは…〝あの時、彼女との待ち合わせに遅れなければ〟とかね?

 

「っ!」

 

 男の言葉に俺は息を飲む。

 

「あんた、なんで……?」

 

――犯人掴まってないそうですね。まだ24歳とお若いのに、可哀そうに……。

 

 言いながら男は俺の目の前の墓石の前に膝を折り手を合わせる。

 

――もしもあの日に戻ることができるとしたらもしかしたら、城嶋愛さんは今もあなたの隣にいるかもしれませんね?

 

 言いながら男は立ち上がり俺の方に向き直る。

 城嶋愛、それは俺の恋人だった人物の名前だ。そう、〝だった〟、過去形だ。今はもういない。一か月前に死んだ。殺されたのだ。惨たらしく、凄惨に、不合理に、非情に。犯人はまだ捕まっていないが、彼女の人間関係を見るに恐らく通り魔。人が良く誰に対しても優しかった彼女を恨む人物なんて思い浮かばない。彼女が死ななければいけない理由なんてなかったはずだった。それなのに、あの日デートの前に少し用事を済ませて待ち合わせ場所に向かった俺が見たのは、数台のパトカーと救急車に乗せられていく彼女の姿。次に彼女とあった時、彼女は冷たいモノ言わぬ抜け殻になっていた。

 

――戻りたくないですか、あの日に?戻して差し上げますよ。無論、相応の対価と引き換えに。

 

「対価?」

 

――ええ。そうですね、あなたの残りの寿命の半分、で如何でしょう?

 

「……………」

 

 不思議と冗談を言っているようには思えなかった。

 目の前の男から感じる異様な雰囲気のせいか、何故か納得できてしまった。

 

「あんた、いったい何者なんだ?悪魔かなんかか?」

 

――似たようなものかもしれませんが、それは捉え方次第です。あなたの努力次第で私は福音を与える神にも、破滅をもたらす悪魔にもなります。

 

「……………」

 

――さしあたっては〝ルラ〟と呼んでください。

 

 そう言って男、ルラは微笑んだ。

 

――さ、どうします?あなたが生きるはずだった時間の半分を使って恋人を取り戻すチャンスに挑戦するか。そのままぽっかりと空いた胸の穴を時間とともに埋めるか……決めるのはあなたです。私から決断を強いることはありません。

 

「……………」

 

 ルラの言葉に俺は考え、そして、答えを出す。そうだ、悩む必要なんて始めから無かった。この男が神だろうと悪魔だろうと関係ない。

 

「やる。愛を取り戻せるなら、俺の寿命くらいくれてやる」

 

 俺の答えを聞いた瞬間、ルラの貌が初めて見えた気がした。

 

 

 ○

 

 

 

――さ、戻れましたよ。

 

 ルラの言葉に俺は閉じていた瞼を上げる。

 そこは先程までの夕暮れの墓地ではなく自分の部屋の中だった。窓の外を見れば青空が広がっている。

 

――現在時刻は14時前。愛さんとの待ち合わせまで二時間、と言ったところですね。

 

 ルラは言いながら俺に部屋の壁に掛けている時計を指さしながら言う。

 

――確かあの日あなたは愛さんとのお約束の前に宅配便へ荷物を出しに行かれたんでしたね?

 

「ああ。あの日…と言うか今日は少し混んでて思ったより時間がかかったんだ。荷物自体もそんなに急いで出さなきゃいけないものじゃなかった」

 

――つまり、今からあなたは……

 

「ああ、荷物を出しに行かずに約束の時間まで愛を側でこっそり護る。側にいれば何かあってもすぐに助けられる」

 

――側で護るだけですか?合流しないのですか?

 

「合流して側にいれば、犯人は俺を警戒して襲ってこないかもしれない。そうなったら犯人は別の日に襲ってくるかもしれない。確実に犯人を止めるためにはできるだけ愛の行動を邪魔しない方がいい」

 

――なるほど、いい判断ですね。

 

 ルラは納得したように頷き

 

――では、最終確認です。

 

 言いながら俺に向き直る。

 

――ここは一か月前、あなたの恋人の亡くなった日です。あなたは取引通り私に寿命の半分を支払いました。その結果、あなたは今ここにいます。

 

 ルラの言葉に頷く。

 

――あなたの身体は一か月前のあなた自身です。今のあなたはこれから先の一か月の記憶を保持したまま中身だけ過去に戻ったわけです。あなたがここで行動したことは一か月後の世界にも反映されます。例えば以前のあなたが買わなかったものを今買えば、一か月後のあなたの手元にもそれが残ります。そして……

 

「ここで愛を助けられれば、一か月後の世界でも愛の死を無かったことにできる」

 

――そういうことですね。

 

 ルラは頷く。

 

――では、これはサービズです。スマホを出していただけますか?

 

「え?あ、ああ……」

 

 ルラの言葉に従って俺はポケットからスマホを出して渡す。

 受け取ったルラはそれを操作し

 

――どうぞ。

 

「一体何を……?」

 

 返されたスマホを見ると、画面には地図が表示され、そこには赤いまち針のようなカーソルが映っていた。

 

――それは愛さんの現在地です。

 

「っ!?」

 

――愛さんを見つける前に襲われたらこうして戻ってきたことがパァになって、創さんはただ寿命を消費して無駄に悲しむことになりますから、そんなことは私の本意ではありません。

 

「ルラ……ありがとう!」

 

――なんのなんの。創さん、あなたの望む未来を掴み取ってください。

 

 では、と言ってルラは手を振ると、現れた時同様にフッと姿を消した。

 ルラに感謝しながら俺は部屋着から着替える。

 万が一に愛に見られても俺だとわからないように野球帽に黒色のフードのある服を選んで着て、フードを帽子の上から被る。

 準備の済んだ俺はそのままルラの用意してくれた地図を片手に愛のもとに向かう。

 地図を確認した時も気付いていたが、やはり愛はまだ家にいたようだ。

愛の家の前に到着して数十分後、時計が15時を示したころ

 

「あ……」

 

 愛が家から出て来た。

 その姿に思わず涙が溢れそうになる。今すぐ駆け出して抱きしめたい。

 だが、一歩踏み出しかけたところで思い留まる。

 ここで彼女に接触すれば犯人を捕まえるのが難しくなる。今ここで俺は彼女の前に姿を現すわけにはいかない。

 俺は唇を噛んで堪えながら帽子を目深に被り顔を隠す。

 俺の目の前を愛が歩いて行く。

 そうだ、彼女に会うのはもっと後だ。

 彼女を取り戻すために、俺は必ず犯人を捕まえなければいけない。

 

「気合い入れろ、福井創」

 

 頬を叩き、愛を見失わないように一定の距離を空けて俺も歩き始める。

 軽い足取りで歩く彼女は電車に乗り、数駅分電車に揺られ、俺との待ち合わせ場所の最寄り駅につく。約束の16時まではまだ40分はある。

 愛はそのまま駅を出て駅周辺のお店をブラブラとウィンドウショッピングする。

 服屋の前を通っては店頭に飾られたマネキンの服を眺め、アクセサリーショップでイヤリングを自身の耳に当ててみたりと楽しんでいる様子だったが、特に何かを買うことは無かった。

 本当に見るだけ、もしかしたら俺と合流してからもっとちゃんと見ようと考えているのかもしれない。

 すべてが解決したら服でもアクセサリーでも好きなモノを買ってやろう。一緒に見て回る自分たちの姿を想像し、俺はより覚悟を深める。

 だが、俺の警戒とは裏腹に一向に犯人は現れない。このままでは俺が待ち合わせている時間になる。そう思っていた時、そいつは現れた。

 黒いフードのあるパーカーに野球帽を被った男。周りを物色するように見まわしていたそいつは、愛を視界にとらえた時、彼女を尾行し始めた。恐らく奴が愛を殺した――殺すことになる犯人だろう。

 もうすぐ俺との待ち合わせの時間になる。愛は待ち合わせの場所へ向かって歩く。そして、この先に待ち合わせ場所の近道になる路地を通るはずだ。

 そこは人通りが少なくあまり知られていない通り道。以前のデート中に二人で試しに通ったことがある。そして、彼女が襲われる場所でもある。

 俺の視界の先で歩いている彼女がついにその路地に入る。そして、その後を追って犯人と思われる男が路地に入る。

 俺はすぐさま駆け出し、路地に飛び込む。

 俺の目の前では歩く彼女の後ろで懐から包丁を取り出したフードの男が愛に向けて駆け出そうとしたところだった。

 俺は迷うことなく駆け出す。

 フードの男の手が愛の肩に伸ばされたところで

 

「愛に触んなぁぁ!!」

 

 俺の方が先にフードの男を掴み振り向かせた男の顔を殴る。

 

「ぐほっ!」

 

「っ!?」

 

 フードの男はそのまま吹き飛ばされる。突然の騒ぎに呆然と愛が振り返る。

 

「愛!俺だ!」

 

「創!?これ一体どういう――」

 

「話は後だ!今はこいつを!」

 

 驚く愛の言葉を遮って俺は背後に彼女を庇いながら身構える。

 俺の目の前でフードの男がゆっくりと立ち上がる。

 俺に殴られたことでフードと帽子が脱げたようでその素顔が現れる。

 ぼさぼさの髪に引きつった口元からはダラダラとよだれをたらし、鼻からは俺に殴られたせいで鼻血が垂れている。そして何より目を引くのは、その瞳だった。

 真っ黒な瞳にはまるで闇が広がるように瞳孔が開いていた。

 その顔には狂気と興奮が浮かんでいる。こいつはマズい。話が通じる雰囲気じゃない。なんなら薬でもやってるんじゃないかと言う顔。

 

「へっ…へへへっ……」

 

 男はよだれをたらしながら笑みを浮かべ

 

「きえぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 奇声を発しながらその手に握る包丁を振るう。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に後ろ手で愛を押しやって距離を取らせながら男の包丁から身を守るように左手で顔を庇う。男の振るった包丁が俺の左腕を掠め、鋭い痛みが走る。が、それに怯んでいる暇はない。そのまま男に体当たりを加え、男の手から包丁を奪おうと手を伸ばすが

 

「がっ!?」

 

 男が頭を振り俺の顔に頭突きをする。

 痛みにたたらを踏んで後退った俺に男が包丁を向けて上から振り下ろすように襲い掛かる。

 

「このっ!」

 

 振り下ろされる寸前に男の手を両手で受け止め抑える。が――

 

「がはっ!?」

 

 男はがら空きになっていた腹に蹴りを入れ、俺はそのまま蹴り飛ばされる。

 地面を転がりながらお腹に走る鈍痛に顔を顰めつつよろけながらも立ち上がろうとする。が、そんな俺の視界に包丁を脇に両手で構えた男がネバつくような笑みを浮かべながら

 

「死ねぇぇぇぇ!!」

 

 絶叫しながら駆けてくる。

 俺は避けようと体に鞭打つが間に合わない。

 包丁を握る男が視界いっぱいになったところで、俺と男の間に何かが飛び込んだ。

 

「あっ……」

 

 飛び込んできた〝誰か〟は吐息を漏らし地面に倒れる。

 

「へっ、へへへっ……」

 

 男は真っ赤に染まった自分の手と包丁を見ながらニタニタと笑みを浮かべ一瞬俺の顔を見た後走り去って行った。

 

「あ……あぁ……」

 

 俺は男を追いかけることも忘れてその場にへたり込む。

 

「あぁ…あぁ……あぁ……!」

 

 目の前で俺の代わりに刺された人物のお腹から赤い鮮血がドクドクと溢れる。

 

「そんな……なんで……なんで……」

 

 俺は倒れる人物の顔に手を添え、体を揺する。しかし、彼女の瞼は固く閉じられピクリとも動かない。

 

「愛……愛…愛…!愛ぃぃ!!」

 

 彼女の名を呼んで揺するが返事はない。

 

「あぁ…あぁぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 愛の身体を抱き寄せ、傷口を手で押さえる。

 

「止まれよ!止まれよ!止まってくれ!」

 

 しかし、俺の手をすぐに真っ赤に染めあふれ出る血はアスファルトを染めていく。

 

「こんな…こんなはずじゃなかった!なんでだ!なんでなんだよぉ!!」

 

 愛の身体を強く抱きしめ傷口を絶えず抑え続ける。そうしなければなんか大事なものがどんどんこぼれていくように気がしたから。しかし、俺の努力もむなしく彼女の身体からは決定的な何かが抜け出ていく。

 

「クソッ!クソクソクソッ!ちくしょうぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 ○

 

 

 

――いやぁ……まさかこうなるとは……。

 

 気付いたとき茜色に染まる墓地で俺は膝をついてへたり込んでいた。

 目の前でルラが頭を掻きながら俺を見下ろしていた。

 

――途中まではうまくいっていたのですが、こんな結末になって私としても非常に残念です。

 

「……………」

 

 ルラの言葉に俺は唇を噛む。

 俺は失敗した。救うはずの彼女に救われた。何も変わっていない。何も変えられなかった。

 

「クソッ!クソがッ!なんで……なんで……!!」

 

 俺は地面を殴る。拳を何度も地面に叩きつける。殴るたびに手に鈍い痛みが走り、殴る地面が少しずつ赤く染まっていく。

 

「なぁ、ルラ……」

 

――なんでしょうか?

 

 どのくらいそうしていたのかわからない。呟くように名前を呼ぶと、ルラが応じる。

 

「もう一度……もう一度だけチャンスをくれ!このままじゃ終われない!頼む!頼むよ!!」

 

――そのお願い、聞いてあげたいのはやまやまですが、あなたにはもう払える対価が……

 

「俺の残りの寿命をくれてやる!だからもう一度――」

 

――それをすると、あなたは過去に戻っても、そのとたんに死んでしまいます。それでは彼女を救えませんよ?

 

「っ!……じゃ、じゃあ他に何か対価になるものは無いのか!?なんでもいい!俺が払えるものは何でも払う!だから!!」

 

 俺の言葉にルラは少し迷う様子を見せ

 

――1つだけ、今のあなたが支払えるものがあります。

 

「っ!?ほ、本当か!?それはいったい……!?」

 

――魂、ですよ。

 

 俺の問いにルラは答える。

 

――人間は死後、二つの場所のどちらかに行きます。善人の魂を救済する場所、人間で言うところの天国と、悪人の魂を裁く場所、人間で言うところの地獄に当たる場所です。人間は死後にそのどちらかに魂だけが行き、その後転生します。

 

「天国と地獄……」

 

――でも、いまここで魂を対価として支払う、と言うことは、あなたは死後に救済も断罪もされないまま永遠に転生の機会もないまま、囚われ続けます。それでもいいですか?

 

「永遠に……」

 

 ルラの言葉に俺は考え込み

 

「それでいい」

 

――二度目のやり直しになるので、先程よりも多少の制限がかかりますが?

 

「構わない。やってくれ」

 

――……そうですか。

 

 俺の答えにルラは頷き

 

――わかりました。あなたの死後の魂を対価にもう一度だけやり直しの機会を与えましょう。

 

 優しく微笑みながら言った。

 

 

 ○

 

 

 

――どうぞ、準備できましたよ。

 

 ルラに言われて俺は瞼を開ける。

 そこは街中、愛との待ち合わせ場所のすぐ近くの路地裏だった。

 

――二度目と言うことで、今度はあなた自身の肉体を使うことができません。全くの別人の身体を間借りしています。

 

「別人の身体を間借り?」

 

――はい。あ、ご心配なく。あなたが乗り移っている間の記憶は残りません。その身体の方は眠っているような状態です。

 

 ルラの言葉を聞きながら俺は両手を見る。確かにそれは見慣れた俺の手とは違うゴツゴツした手、恐らく男性の物だろう。

 頭には野球帽を被っており、黒いパーカーを着ている。

 

――それで、今度はどうするんですか?

 

「俺、考えたんだ。なんでさっきは失敗したのか……たぶん俺には覚悟が足りてなかったんだ」

 

――覚悟?

 

「捕まえる、なんて生易しかったんだ。あの犯人はどうやったって止まらない。向こうが殺す気で来るなら、こっちも同じようにしないと……」

 

――それはつまり……

 

「ああ。俺はあの犯人を――殺す」

 

――ほう?

 

 俺の言葉に感心したようにルラが感嘆の声を漏らす。

 

――まあ、私からはあまり助言はできません。先程のように彼女さんの現在地がわかるように手伝うことも……。

 

「ああ、大丈夫。もう一度機会をくれただけで十分だ。それに、彼女の居場所はさっきの通りなら大体わかる。それほどかからずに見つけられるはずだ」

 

――そうですか……では、今度こそあなたが望む未来を掴めるように応援しています。

 

「ああ。ありがとう、ルラ」

 

 俺の言葉に頷いたルラは再びスッと溶けるように俺の前から消えた。

 俺はまず路地から出て正確な現在位置を確かめる。予想通り待ち合わせのすぐ近くだった。時刻を確認すれば15時過ぎ。先程よりも事件に近い時間なのは恐らく制限の一つだろう。

 俺はとりあえず近場のコンビニに入る。

 コンビニの中をぶらつき武器にできそうなものを探す。あの時犯人の男は包丁を持っていた。できるなら俺も包丁かそれ以上の物を手に入れたいが、時間もあまりない。それに、この身体は俺の物ではない。俺が罪を被るならまだしも見ず知らずの人に罪を着せるのは申し訳ない。できる限り罪が軽くなるように武器は最低限のもので、たまたま殺人未遂の人物に会い、応戦した後に病む終えず手元にあったもので戦い殺してしまった、という正当防衛に見えるものがいいだろう。そうなると――

 

「まあ、ハサミが一番無難か……」

 

 俺はハサミを購入しコンビニを出る。

 パーカーのフードを被りそのまま例の路地付近まで行く。

 目的の場所にたどり着いた俺はテキトーな店の前で壁にもたれ、待ち合わせをしている風を装い周囲にこっそりと視線を巡らせる。

 数分様子を見ていると、ついに彼女が現れた。

 

「っ!」

 

 先程俺の目の前で死なしてしまった最愛の人。

 再びこうして彼女を救う機会を得た以上、これが最後のチャンス。必ずや彼女を救わねばならない。

 そう思っていた俺は彼女の数メートル後方に

 

「いた……!」

 

 そいつを見つけた。

 黒いフードのあるパーカーに野球帽を目深に被った男。顔を隠しコソコソと隠れるように歩いている。

 彼女が目の前を通ると、俺は何気ない風を装って彼女の後方5メートルほど、後方のソイツとの間に入って歩く。

 パーカーのポケットに手を入れ、ハサミの持ち手を握り込んだ俺は前方に視線を向ける。

 目の前を歩く彼女は俺や後ろの〝やつ〟に気付いた様子はなく、もうすぐ会える恋人との待ち合わせ場所に向かって足取り軽く足早に歩いている。

 そして、例の路地に差し掛かる。

 ここだ。

 ここで彼女が路地に曲がりその後を俺も入りすぐにスタンバイ。後からやって来た〝やつ〟を認識される前に殺す。

 

「ふぅ~……」

 

 大きく息を吐き出し、俺は決意を固める。

 そうだ、今から俺は人を殺す。やるしかないんだ。やらなきゃ、愛が殺される。

 ハサミを握り歯を食いしばった俺は視線を前へ向ける。

 俺の視線の先では今まさに愛が路地に入ったところだった。

 俺もその数歩後に路地に足を踏み入れ、数歩歩いたところで身を翻し、駆け出す。

 俺の予想通り後ろから来ていた〝やつ〟は路地に足を踏み入れたところだった。

 その男に向かって俺はポケットからハサミを取り出し

 

「ぐふっ!」

 

 体当たりすると同時に男の腹にハサミを突き立てる。頭の上から苦悶の声が漏れる。が、それで終わるつもりはない。するならば徹底的に排除しなければならない。

 倒れた男に馬乗りになり、ハサミを逆手で両手で握り込み、男の腹に何度も何度も突き刺す。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 大きな悲鳴が上がる。恐らく路地に近いところで刺したので誰かに見られていたのだろう。

 しかし、それで手は止めない。慈悲も情もいらない。ここで殺せなければいつか彼女を殺しに来るかもしれない。確実に息の根を止めるのだ。

 男の顔は見ないように俺はハサミを何度も突き立てる。顔を見てしまうと痛みと苦しみにゆがむ顔に手と止めてしまうかもしれない。覚悟をブレさせないために、俺はただ手元を見つめ続ける。

 

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 

 と、聞き覚えのある声の悲鳴が聞こえた。

 俺はそこで初めて手を止め、悲鳴の聞こえた先に視線を向ける。

 そこには恐怖に顔を歪ませた愛の姿があった。

 それはそうだろう、目の前でこんな凄惨な状態を見てしまったら。だが、安心してほしい。これは君のためなんだ。君はわけがわからないだろうが、きっとそれでいい――

 

「創……創ぅぅぅぅぅぅ!!」

 

「っ!?」

 

 彼女は俺の方を見て俺の名を呼んだ。なんで?まさか、俺だって気付いて――

 

「創を!創を離して!!」

 

 ……え?

 

「やめてぇ!創!創ぅぅ!!」

 

 彼女はボロボロと涙を流しながら叫ぶ。よく見れば彼女の視線は微妙に俺から外れている。彼女の視線を追って行くと、それは俺が馬乗りになっている男に向けられていて

 

「え……?」

 

 そこにあったのは苦痛に歪みもはや虫の息の福井創――俺の顔があった。

 

 

 ○

 

 

 

「はぁ!はぁ!はぁ!」

 

 どこをどう走ったのか思い出せない。

 気付けば俺はどこかの薄暗い路地裏にへたり込んでいた。

 先ほどの光景を思い出し

 

「うっ!うぉえぇぇぇぇぇ!」

 

 虫の息の、まるでスーパーに並ぶ魚のような何の光も灯っていない自分の顔を思い出し俺はこみあげてきたものを吐き出す。

 

「なんで……なんで俺が……?」

 

――いやぁ、よかったですね。

 

 と、呆然と呟く俺の頭上から声がかかる。

 見上げればそこにはニコニコと笑みを浮かべるルラの姿が。

 

「なんでだよ!?なんでこんな――」

 

――いやはや、よかったですね。これで見事彼女を死の運命から救い出すことができましたね!

 

 困惑する俺にルラは楽しげに朗らかに言う。

 

「で、でも!代わりに俺が!俺が俺を!なんで…なんであそこに俺がいんだよ!?」

 

――そりゃぁあなたは先程彼女を影ながら守っていたんですからあの場にいて当然でしょう?

 

「で、でも!」

 

――いいですか?今あなたが過去の自分の身体を使えなかったのは、もう既に一度目のあなたが使っていたからですよ。だからあなたはその身体を使うしかなかった。

 

「っ!」

 

 ルラが俺の脇を通りながら言う。そのルラを追って視線を向ければ、その過程で隣の建物の窓ガラスに映るこの身体の顔が見えた。

 その顔はボサボサの髪に先ほどの嘔吐で吐しゃ物に塗れた口。瞳孔の開いた胡乱な瞳。その顔はまさにあの時の

 

「なんで、なんで俺が愛を殺したやつになってんだよ!?」

 

――丁度良く使えそうな身体が無かったもので。

 

 窓ガラスに駆け寄り叫ぶ俺にルラは何でもないことのように答える。

 

――この方は薬物中毒でもはや正常な判断が下せる状態ではありません。数時間程度記憶に空白が出てもそれを異常と思わない、むしろ記憶の空白にすら気付かないかもしれません。あなたが使うには好都合でしょう?

 

「だからって、なんで――!」

 

 言いながらルラにつかみかかろうとした俺はガクリと膝から力が抜けて倒れ伏す。

 

「なん…で……?」

 

――あぁ、なるほど。時間切れですね。

 

「時間…切れ……?」

 

 ルラの言葉の意味が分からず俺は呆然と呟く。

 

――簡単なことです。もうすぐ死ぬんですよこの時代のあなたが。

 

「っ!?」

 

 ルラの言葉に俺は息を飲む。

 

「で、でも俺は半分しかお前に寿命を支払っていないはず……」

 

――ええ。寿命はね。この場合の寿命とは何も無く病気などを患って死ぬまでの、いわば内的要因での死までの時間の事です。今回のような他者から手を加えられる殺人のようなものは今回の取引で用いた寿命とはまた別の物です。

 

「そん…な……」

 

 ルラの言葉に俺は呆然とする。

 

――まあ、いいじゃないですか。あなたは望み通り彼女の死の運命を回避した。それだけで喜ばしいことじゃないですか。

 

「でも…こんなはずじゃ……こんなの間違ってる……」

 

 笑いながら言うルラに俺はボロボロと涙をこぼす。

 

「お前の…お前のせいで……!」

 

――人聞きの悪い。私は初めにもお伝えした通り、私からあなたに何か決断を強いたことはありません。この結果はあなたが選択し行動した結果です。

 

「でも…でも……!」

 

――あなたは私との取引で寿命の半分と引き換えに一度目のチャンスに行動し、そして、失敗した。そこでやめてもよかったのにさらにあなたは二度目のチャレンジをした。そして、その取引の通りあなたの魂はもうすぐ私のものとなる。

 

「っ!」

 

 ルラの言葉がガツンと俺の頭を打ったように響く。

 

「そんな……そんな……!?」

 

――これはあなたも納得しての事だったはずです。私はあなたの意思を最大限尊重しましたよ。

 

「でも、こんなの……こんなのってまるで、悪魔との取引じゃないか……!」

 

――はぁ……私は福音をもたらす神であり、破滅をもたらす悪魔でもある、それはあなたの努力次第だ、と最初に申し上げたはずですが?まあ、個人的には、私は『邪神』という呼ばれ方が気に入っていますが。

 

 そう言ってルラはニッコリと微笑む。

 

――福井創さん。あなたのあがきはなかなか楽しませてもらいましたよ。これでも上手くいくように応援していたんですが……こんな結果になって本当に残念です。

 

「そんな……俺はこれからどうなるんだ……!?」

 

――申し上げた通りです。あなたはこれから永劫に続く混沌のなかで救済も断罪もなくただただ永遠の無の中に消えるのみです。

 

「嫌だ……嫌だ!助けて!助けてくれ!!」

 

――申し訳ありません。あなたはもはや取引を行える対価がありませんので。

 

「嫌だ!愛!愛ぃぃぃ!!」

 

――永遠に続く無への旅路、存分にお楽しみください、福井創さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最愛の人の眠る墓標の前で私はただただ涙を流す。

 今も目を閉じればあの日の光景が蘇る。

 アスファルトに広がる赤。

 鉄のような鼻をつく臭い。

 そして、最愛の彼、福井創に馬乗りに跨りハサミを突き立てる男の姿。

 

「なんで……なんで……!」

 

 彼の死から一か月が経つが、今だ犯人は捕まっていない。

 彼が何故死ななければいけなかったのか?その答えは犯人が捕まっていない今知る由もない。

 この一か月、私はぽっかりと空いた胸の穴を抱え生きてきた。

 何度も何度も夢ならば醒めてくれと祈り、瞼を閉じればフラッシュバックするあの光景に神経をすり減らせ、これがどうしようもなく現実なのだと知る。

 どうすればよかったのだろ?

 もしもあの日、彼ともっと早く会えていたならば、集合場所を別の場所にしていたなら、考えてもどうしようもない。

 いくらもしもを積み重ねても、彼を取り戻すことは叶わない。

 

――こんにちは。

 

 と、そんなとき、背後から声がかかる。

 ゆっくりと振り返ると、そこには不思議な男が立っていた。

 熱い夏の夕暮れにもかかわらず真っ黒な喪服に身を包み汗一つかかずに涼しい顔で微笑んでいる。しかし、その顔も何故か私には見えない。

 表情はわかるのに、瞬きをした瞬間にまるで別人のように見える。このまま目の前からこの男が去ったら10秒もあれば顔を思い出せなくなりそうだ。まるで、貌がないようだ。

 そんな無貌の男はニッコリと微笑み、私に問いかけた。

 

――もしやり直せるとしたら、あなたはいつに戻りたいですか?

 



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