原作よりも肉体的に強化された藤丸立香。

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リハビリのために書き殴った長文。


強化型藤丸立香

「フォウフォウ」

 

 柔らかい何かが頬を撫でる感触に、藤丸(ふじまる)立香(りつか)は二メートルを超す長躯をビクンと揺らした。

 

「フォウフォウ」

 

 目蓋を開くと、正面にはふさふさとした白い体毛に覆われた動物がいた。立香の大きな片手に容易く乗ってしまえるほど小さな動物は、一見するとリスのようでもあるし、猫のようでもある。見たこともない不思議な存在だった。

 

 立香はその小動物に向かって手を伸ばすが、軽やかな足取りで歩き去ってしまった。

 

 小動物の行く先を視線で辿れば、白く長い通路が伸びていた。

 

 そこで立香はようやく、自分が床にうつ伏せになっていることに気がついた。原因は不明だが、気絶していたらしい。おもむろに巨体を起こしてその場に胡坐を掻くと、改めて周囲を見渡し、低い声を響かせた。

 

「ここは、どこだ……?」

 

 覚えがない。いや、何かを忘れている気がする。

 

 何だろうか。腕を組み、頭を悩ませる。身を包んでいた制服と思しき服が、腕を組んだ際に発生した筋肉の隆起によって内側から圧迫される。少々服の大きさが合っていないようだ。服からミチッと嫌な音が鳴ったことも気にせず、立香は思考を続ける。

 

「うん、わからない!」

 

 立香は明るい笑顔で言い放ち、立ち上がろうとした。

 

「あの、先輩……?」

 

 突然、少女の声が聞こえ、立香は声の方向に目を向けた。

 

 少女が立っていた。髪型は薄紫色のショートヘア。右目を隠すように前髪の片方が長い。眼鏡越しに立香を見つめている。大人しそうな外見に合った華奢な体格をしているようだが、筋肉に詳しい立香は少女が着やせしているのだと一目で見抜いた。体の線が浮き彫りになる格好をすれば、その均整の取れた肉体美がお目に掛かれるはずだ。

 

「どうかされましたか?」

 

「いいや、なんでもないよ」

 

 立香は言いながら今度こそ立ち上がった。

 

「ぇ……」

 

 と少女が声を漏らし、立香を見上げる。思った以上に大きいと感じたのだろう。

 

 筋肉や人体に詳しい立香によると、少女の身長は158センチか。209センチある立香とでは明白な差があった。少々動揺していたようだが、少女はすぐに落ち着きを取り戻し、口を開いた。

 

「それで、先輩……。どうして通路で眠っていたのですか?」

 

「うーん、何でだろうね」

 

 立香自身もわかっていない。改めて腕を組んで考え直す。筋肉が躍動し、膨れ上がったことによって服からビリッと音が鳴った。

 

「ぁ、服が……」

 

 と少女が呟くが、立香は考えるのに夢中だった。

 

 その甲斐もあってか、立香の脳裏に過ぎるものがあった。

 

「確か献血をして――」

 

「そこにいたのか、マシュ。勝手に移動しては駄目だよ」

 

 立香の声を遮るように、今度は男性の声がした。

 

 発言を止めて立香が見遣ると、そこには深緑色のシルクハットとタキシードを着た糸目の男性がいた。赤みがかった黒髪は長く、ふっくらとボリュームがある。全体的に穏やかな雰囲気を醸し出しているが、それでは拭いきれない胡散臭さを立香は獣の本能で敏感に察知していた。

 

 怪しい。実に怪しい。実は悪役でした、なんて言われても信じられるくらい怪しい。

 

 もしも何かされたら、人差し指と中指で真っ先に目潰しをしよう。

 

 立香はそう思い、いざというときに的確に攻撃ができるよう、右手で突きの素振りをした。

 

「え……?」

 

「む……?」

 

 腕の先が消失して見えるほどの目にも止まらぬ速さで放たれた突きは、周囲に衝撃波を発生させた。マシュと呼ばれた少女と、男性は前触れのない風を受けて怪訝そうな顔をしていた。「空調の故障か?」と男性が通路を見上げるが、原因がわからなかったようで、結局視線を戻した。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 素振りを止めて素知らぬ顔で尋ねた立香に、男性はそう返した。

 

 すると、男性は立香の体を眺めた。大木のように太い腕。服の上からでも鮮明に視認できる胴体の筋肉。胸板は鉄板を仕込んだかのように厚く、思わず触りたくなるほどの魅力を有していた。上半身に対して下半身が貧弱すぎる、ということはなく、地面に根を張るかのようなドッシリと安定感のある逞しい下半身を備えている。

 

 続いて、男性の視線が立香の顔に向く。まだ成人を迎えていない年齢ではあるが、よく年上に見られてしまう顔だ。明瞭ハキハキと活力に満ちた低い声もあって、二十代後半か三十代前半くらいのボディビルダーと見なされることも多い。

 

「ええと、その体格。君が、今日配属された新しいマスター候補の、藤丸立香君だね?」

 

 少し圧倒されたような反応を見せた後、男性は立香に向かって右手を差し出してきた。

 

「初めまして。私はレフ・ライノールだ。ようこそカルデアへ」

 

 マスター候補。カルデア。立て続けに謎の単語が飛び出し、立香は太い首を傾げた。

 

「カルデアって、何ですか?」

 

「ん?」

 

 立香の言葉に、レフと名乗った男も同様に小首を傾げた。

 

 

 

 人理(じんり)継続保障機関、カルデア。その役割を端的に述べると、未来の人類の存続を保障するための組織だろうか。レフの説明を簡単にかいつまみ、立香は頭から煙を上げる勢いでようやく飲み込み終えた。

 

 立香はどうやら『霊子(りょうし)ダイブ』とやらが可能な希少な適性者であるらしく、一般人枠としてこのカルデアに連れてこられたようだった。献血を受けた帰りにカルデアの関係者の男に話しかけられ、あれこれと言い包められたのを覚えている。特に「いいトレーニング施設がある」と言われたのは決定打だった。

 

 立香は口車に乗せられてホイホイとついていき、道中で目隠しやら耳栓やらをされ、遠い道のりを経てこのカルデアにやって来た。立香の他にも一般枠として九人。魔術とかいう何やか変わった術の名門から三十八人の、計四十八人のマスター候補が集められているらしい。

 

 立香たちマスター候補が霊子ダイブをすることで何かを成し遂げようという思惑のようだが、具体的な目的までは立香の頭では理解ができなかった。その前に、完全に脳が参って思考が停止してしまった。

 

「細かいことは、所長の説明会に出席すればわかるよ」

 

 所長。このカルデアの責任者であり、これから始まるとある作戦の司令官であるらしい。

 

 あと数分で、その所長が説明会を開くとのことだ。場所は中央管制室。所長は怖い人であるらしく、少しでも遅刻をすれば目をつけられてしまうようだ。

 

「それじゃあ、行くとしようか」

 

 立香はレフとマシュに連れられ、目的の場所へと向かった。

 

「ここが中央管制室です。先輩は最前列のあちらの席ですね」

 

「ありがとう」

 

 中央管制室に通され、マシュが指し示した空いている座席へと向かう。既に他のマスター候補は揃っているようだ。大勢の視線が立香に集中しているのがわかる。特にマスター候補たちの前に立っている銀に近い白髪の気難しそうな女性の視線が突き刺さっていた。

 

「よいしょ……」

 

 椅子に腰掛け、正面を向く。

 

「見えない……」

 

「デカ過ぎる……」

 

 ひそひそと話し声が聞こえたが、睨みつけてくる女性が空咳を打つと、静まり返った。

 

「揃ったようなので説明会を始めます」

 

 口火を切って、その女性は続けた。

 

「特務機関カルデアにようこそ。所長のオルガマリー・アニムスフィアです」

 

 そこから始まったのは、長い長い説明だった。元々、立香は同世代に比べて理解力が高くない。如何なる困難もその強靭な肉体で踏破してきたほどの脳みそ筋肉勢だ。そんな立香が意味の理解できない専門用語を並び立てた説明を延々と聞かせられ、脳みそが耐えられるわけがなかった。

 

 いつの間にか、眼前にオルガマリーが立っていた。信じられない、とでも言うかのように目を見開き、立香に向かって声を荒らげている。怒っているようだ。まずい、と思って立香は失いかけた意識を取り戻そうと努力する。

 

 しかし、意識は沈んでいく。ここに来るまでの旅の疲れもあったのだろう。そうでなければ、気合で起きることはできたはずだ。

 

 非常に申し訳ないという自覚はあった。だが、これ以上起きていることはできそうにもなかった。

 

 オルガマリーの見ている前で、立香は眠りに就いた。それはもう潔いと思えるほどに。

 

 所長、オルガマリーの平手打ちを受け、立香が部屋から追い出されたのは説明会開始三分後のことだった。

 

 

 

「大丈夫ですか、先輩?」

 

「うん」

 

 立香はマシュと共に通路を歩いていた。オルガマリーの本気の一撃を頬に受けてどうにか目を覚ました立香だったが、痛みと呼べる感覚は一切ない。本当に叩かれたのかと疑うくらいには肉体はダメージを吸収し、無効化に成功していた。むしろこの場合、身を案じるべきは立香ではなくオルガマリーのほうだった。

 

『私の手があああぁぁああー!?』

 

 鋼鉄のように硬い立香の頬を叩き、オルガマリーは蹲って悶絶し、服が汚れることも気にせずにゴロゴロと床を転げ回っていた。余程痛かったらしい。どうにか痛みに耐え、目尻に涙を浮かべて改めて睨みつけてきた彼女に『出ていきなさいっ!』と大声でまくし立てられ、立香は返す言葉もなく部屋から退出した。

 

 そして、今に至る。

 

「先輩の部屋に案内しますね」

 

 後を追って来てくれたマシュに、部屋へと案内してもらっている途中だ。

 

 同じような景色の続く長い通路を歩いていると、またしても小動物が現れた。「フォウ!」と勢いよくマシュの顔面に飛び掛かった小動物はそのまま背中に回り込み、細い肩にその身を落ち着けた。マシュの肩の上がお気に入りなようだ。

 

 小動物の名前はフォウ。カルデアを自由に闊歩する謎生物らしい。カルデア唯一の世話係だったマシュにもその正体はわかっていないらしい。ちなみに、立香もフォウに気に入られたらしく、二人目の世話係として勝手に任命されていた。

 

 カルデアは不思議な場所だ。マシュを含め、個性的な人が多い。

 

 おそらく自分が一番まともなのではないか。常識人として、頑張っていかなくてはならない。

 

「着きました。ここが先輩の個室です。では、私は管制室に戻ります」

 

「うん、ありがとう」

 

 なんてことを考えているうちに部屋に着いたらしい。立香は礼を述べ、立ち去るマシュを見送った後、個室の扉へと向かった。

 

「フォウ」

 当たり前のようにマシュから立香の肩に乗り換えたフォウを尻目に、扉を開いた。

 

「え?」

 中には先住民がいた。

 

 薄いオレンジ色の髪を後頭部で束ね、白衣を纏った男性。部屋の中にあるベッドで寛いでいたらしい彼は慌てて立ち上がり、動揺に目を見開いて立香へと詰め寄ってきた。その途中で立香の巨体を認識し、数歩後退った。

 

「で、デカッ!? 誰だ君は!? ここはボクのサボり場だぞ!? 勝手に入ってくるなんて!」

 

 男性はそう言って問い詰めてくるが、立香には訳がわからなかった。

 

「えっと、ここが俺の部屋だと言われたんですけど」

 

「き、君の部屋……? あ……。あー、なるほど。ついに最後の子が来たんだね……」

 

 男性はあからさまに肩を落とした。随分と残念そうだ。サボり場と言っていたくらいだから、重宝していたのだろう。カルデアは広いようだが、一人一人が自由に使える空間は少ないのだろう。何故か自分が悪者のように思えて立香は罪悪感を抱いてしまったが、目の前の男性は拍子抜けするほどあっという間に立ち直ったようだ。

 

 男性は穏やかな微笑みを浮かべ、立香へと手を差し出してきた。

 

「ごめん、挨拶が遅れたね。初めまして、ボクは医療部門のトップ、ロマニ・アーキマンだ」

 

 ロマニという男性の手をじっと見つめていた立香だったが、やや遅れてその手を握り返した。レフのときに感じた怪しい気配はない。この人は人畜無害そうだが、それでも怪しさとは違う妙な感覚はあった。

 

「藤丸立香です」

 

 その正体はわからぬまま、立香は紹介に応じた。

 

 ロマニ・アーキマン。愛称はDr.ロマン。軽い性格で、打ち解けるのも早かった。

 

 立香はロマニから説明を受けていた。

 

 ここカルデアは、標高六千メートルの雪山の中に秘匿された国連承認の施設だそうだ。日本からこれほど遠く離れた場所に連れてこられていたとは思わず、立香は少し唖然としていた。すぐに帰るのは難しそうで少し気分が落ち込む。

 

 しかし、来てしまったのは仕方がない。すぐに帰れないのなら、ここで自分にできることをしてから帰ろう。仮にカルデアが求めることを立香が十分にできなくても、雑用くらいならいくらでもこなせる。それも、十数人分に匹敵する働きだ。

 

 具体的に何をすればよいのか。立香がロマニに聞こうとしたときだった。

 

『ロマニ。あと少しで「レイシフト」開始だ。そろそろこちらに来てくれないか?』

 

 レフと思われる声がロマニの手首に巻かれた通信端末から聞こえてきた。

 

『慣れていない者の何名かに変調が見られるようでね、対処してもらいたい』

 

「やあ、レフ。わかったよ。すぐに麻酔を掛けに行くから」

 

『ああ、できる限り急いでくれ。医務室からなら二分と掛からないはずだ』

 

「うん。それじゃあ、今から向かうから」

 

 そう言って、ロマニは通信を終えたが、立香には気になることがあった。

 

「ここって医務室じゃないですよね?」

 

 もしかすると、医務室が近くにあるのかとも思ったが、ロマニの悪くなった顔色から察するにそうではないらしい。ということは嘘をついたのか。素直に言えばいいのにとも思うが、職務怠慢を同僚に露見したくなかったのかもしれない。

 

「うん、どうしようか……。ここからじゃどれだけ急いでも五分は掛かるよ……!」

 

 ロマニは慌てていた。会話の端々で聞こえてきた単語から察するに、『レイシフト』と呼ばれるものが始まるらしい。麻酔を掛けるとロマニが言っていたからには、そのレイシフトを行うのは生物。おそらくはマスター候補だと思われた。

 

 レイシフトがマスター候補の役割? いったいどんなことなのだろう。

 

 自分にもできることなのだろうか。ふと考えたが、今はそんなことをしている場合ではない。

 

「とりあえず、急いだほうが――」

 

 最悪、立香がロマニを担いで現地に赴くのも手だった。立香は脚力に自信がある。成人男性を数人担いだ状態でも、常人の全力疾走よりも圧倒的に速く駆ける程度には肉体のスペックは高かった。

 

 狼狽していつまでも出立しようとしないロマニをとりあえず部屋から摘まみ出そう。

 

 手を伸ばした瞬間、建物全体を縦揺れの衝撃が襲った。

 

 あまりの激しさに、立香は思わず自身の母親を思い浮かべた。立香の両親が取っ組み合いの喧嘩をした際、母親が放った震脚(しんきゃく)によって自宅が揺れたときを思わせる凄まじい揺れだった。しかし、立香が密かに霊長類最強と思っている肉体派の母も、それに匹敵する父もこの場にはいない。自分が起こしたものでもない。そうなると、別の要因による振動ということになった。

 

「な、なんだ今の揺れはっ!?」

 

 ロマニにとっても想定外の揺れだったようだ。部屋の壁に設置されたモニターへと駆け寄ると、どこかの部屋の様子を映し出した。画面の端には『中央管制室』と表示されていた。先ほど立香がいた場所が映っているようなのはずだが、立香にはその場所と目の前の映像が結びつけられなかった。

 

 中央管制室は崩壊していた。床が、壁が、天井が崩れ、方々で火災が発生している。

 

『緊急事態発生。中央発電所と中央管制室にて火災が発生しました。繰り返します』

 

 警告音とともにアナウンスが響き渡った。

 

 人の心を不安にさせる音。せかされるような気分になるが、立香は心を落ち着かせた。

 

 これは訓練でも、想定された事象でもなく、本当の緊急事態らしい。

 

 原因は不明だが、差し迫った状況に陥った場合、各個人の速やかな行動が望まれる。

 

 であれば、まずやるべきことは気を宥めること。荒立った感情のままでは適切な場面で適切な対応が行えない。

 

 立香は思い出す。両親によって猛吹雪に支配された雪山に放置され、数日間過酷な修行の日々を送ったことを。山を掘った横穴に拠点を構え、火を起こし、野生動物を狩って糧とした。寝て起きて目が覚めることに感謝し、また次の朝を迎えるために懸命に生きる。

 

 あの日々に比べれば、今のところは何ということはない。

 

「藤丸君! 君はすぐに避難するんだ! いいね!?」

 

 ロマニはそう言って部屋を出ていった。

 

 避難しろと言われたが、自分も状況確認のため、中央管制室に向かうべきだろう。それに立香であれば単身どこにいようとも無事でいられる自信があった。瓦礫が降ってくれば拳で打ち砕けばいい。火が迫りくれば、気合で乗り切ればいい。人命を救うには立香のような無理難題を物ともしない存在が適しているはずだ。

 

 何よりも、中央管制室に戻ったマシュのことが心配だった。

 

 部屋を出て、先行していたロマニに一瞬で追いついた立香は、ロマニの首根っこを掴んだ。

 

「おぉぉおぉっ!?」

 

 叫び声を上げるロマニを引きずりながら立香は通路を駆け抜ける。踏みしめた床が軽く陥没する勢いで地面を蹴り、跳躍するような挙動で前進する。別の異常事態に見舞われて動揺するロマニの頭の上にはフォウが堂々と鎮座していた。

 

 一人と一匹を引き連れ、立香は数十秒と掛からずに中央管制室に到着した。

 

 酷い有り様だった。熱気に満ち、崩れ落ちた天井が床に瓦礫となって重なっていた。

 

 生きている人間はいないように思える荒れ具合だ。

 

 唯一無傷と思われたのは、中央管制室にて異彩を放っていた宙に浮かぶ謎の物体。惑星に似た球体状の物体を幾つもの輪っかが囲っている。「無事なのはカルデアスだけか……」というロマニの呟きから、あれの名前が『カルデアス』だとわかった。

 

 原因はあれなのか? と咄嗟に思ったが、惨状を目にしたロマニがそれを否定した。

 

「これは事故じゃない……。人為的に引き起こされたものだ……!」

 

 誰かが意図的に起こした人災。それを知って、立香は真っ先にレフを連想した。

 

 レフからは強い不信感と違和感を覚えたが、まさか本当に彼が――。

 

「カルデアの火を絶やすわけにはいかない。ボクは発電所に向かう。キミはすぐにでも避難するんだ。わかったね。外に出て救助を待つんだ!」

 

 背を向け、ロマニは走り出した。それを目で追いながら立香は黙考する。

 

 どうするか。ロマニを追うか。生存者をギリギリまで探すか。

 

 一瞬で判断をし、立香は瓦礫の山へと走った。

 

 積み重なった瓦礫に指で穴を開けて掴み、何もない場所へと投げる。

 

 そうして何度か繰り返していると、山となった瓦礫がなくなり、少女が現れた。

 

「先、輩……?」

 

 マシュだった。力なく横たわった全身からは大量に出血していた。流れ出る血の量から察するに、もう助からない。しかし、それは立香の目から見ればだ。このカルデアの設備であれば、この傷も治るのかもしれない。

 

 立香は、息も絶え絶えで荒い呼吸を繰り返すマシュへと近づく。

 

「私はもう、助かりません……。早く逃げて……」

 

「逃げないよ。今助けるから」

 

「駄目です……。早く、逃げ……」

 

「俺は逃げない」

 

 倒れるマシュの傍らで膝を突いて座り、その小さな体を抱き寄せる。体はもう冷たくなっていた。死が近い。助かると思っているのは立香の理想であって、もう生存の可能性がないというのが現実なのだろう。抱きかかえて助けを求めるよりも、安静にしてあげるべきだと思い直した。

 

 もう助けられない。来るのがあまりにも遅かった。事件が起こるときに、傍にいてあげていればどうにかなったのかもしれないというのに。

 

 せめて最期の瞬間まで、マシュの傍にいてあげようと思い、立香は手を握った。

 

 そのとき、カルデアスに火が灯った。球体が赤熱に染まる。

 

『カルデアスの状態が変化しました』

 

『「シバ」による近未来観測データの書き換えを行います』

 

 

『近未来百年までの地球に、人類の痕跡は確認できません』

 

 無機質なアナウンスが響く。何かまたよくわからない状態になりつつあるようだ。

 

『人類の生存および人類の未来は保証できません』

 

 何のことを言っているのか理解ができない。この場で理解したところで、意味はないだろう。

 

 立香はマシュの手を優しく握った。マシュは言葉もなく、その手を握り返した。

 

 そのとき、背後で障壁が閉まる音が聞こえた。気がついたマシュが悲嘆の声を上げる。

 

「障壁が……。私、のせいで……。ごめんなさい……」

 

「謝らないで。マシュ」

 

「え……?」

 

「名前。マシュ、で合ってるよね」

 

「はい……」

 

「俺は藤丸立香。改めてよろしく」

 

「はい、先輩……」

 

『コフィン内にいるマスターのバイタルが基準に達していません』

 

「何かしてほしいことはない?」

 

『レイシフトの定員に達していません』

 

「してほしいこと……。なんでも、いいんですか……?」

 

『該当するマスターを検索中。発見しました』

 

「うん」

 

『適応番号四十八。藤丸立香をマスターに設定します』

 

「それじゃあ……。抱き締めて、もらってもいいですか……?」

 

『アンサモンプログラムスタート。霊子変換を開始します』

 

「勿論」

 

『全工程クリア。これより、ファーストオーダー実証を開始します』

 

 マシュの小さな体を抱き締めた直後、景色が一変した。

 

 

 

 視界が暗転する。意識が遠のく。寸前で正気を保ち、変貌した大地を踏みしめた。

 

 倒壊した民家。中央管制室とは比べ物にならないほどの火に呑まれ、街が燃えていく。

 

 民家だった家は日本家屋のようだった。電柱に張ってある住所には『冬木(ふゆき)』と書かれていた。他の民家や商業施設の看板に書かれていた言葉も日本語だ。どうやら日本のようなのだが、なぜここに。たった今まで標高六千メートルのカルデアにいたはずだ。

 

「マシュ……?」

 

 立ち上がり、周囲に呼び掛ける。

 

 マシュからの返事はない。

 

 その代わりに、周囲を囲んでいたローブ姿の何かが声を放った。数は三体。ローブに包まれた体は黒い。ただ肌が浅黒いだけとは違うようだ。人型を保ってはいるが、この世の物とは思えない淀んだ気を放っている。

 

「ァ――」

 

 嫌に耳に残る不快な声だ。おおよそ人間の口から搾り出たものとは思えない。

 

「ァァアアアア」

 

 怪物は立香と敵対するつもりのようだ。

 

 立香を包囲し、じりじりと距離を詰めてくる。逃がしてはくれないらしい。

 

 立香はため息を吐いた。

 

 立香にはやらなくてはならないことがある。おそらく、一緒にこの場所に飛ばされたと思われるマシュを見つけることだ。生きていてほしいと願うが、もう息があるのかどうかはわからない。しかし、必ずマシュの下に駆けつける。こんなところで足止めを食らっている暇はない。

 

「さっさと来い」

 

 立香は拳を構え、怪物を睨み据えた。

 

 立香の全身を覆うように何かが広がる。それは気と呼ばれる不可視のオーラ。余りある生命エネルギーが体内を循環し、全身を覆い尽くして保護している。素の状態でも獰猛な肉食動物の頭部を粉砕するほどの拳に気が宿り、力を強化していく。

 

 無論、強化されるのは拳だけではない。指先一本一本に至るまで、強度が底上げされる。

 

 立香は肺からゆっくりと息を吐き出し、立ち尽くす怪物に言い放った。

 

「来ないならこっちから行く」

 

 そして、地面を抉るように吹き飛ばし、立香は瞬きする間も置かずに怪物へと詰め寄った。

 

 怪物の顔面に拳がめり込み、頭蓋を割り砕く。少しの温情もなく振り被った拳の衝撃に負け、怪物の体が大きく吹き飛んだ。風を切って向かったのは数百メートル先にある壊れたビル。ヒビの入った壁に叩きつけられ、崩れたビルと共に地に落ちた。再起する様子はなく、一撃で息絶えたようだった。

 

「俺の邪魔をするな」

 

 表情は読み取れないが、怪物が警戒を強めたように見えた。

 

 立香の脅威を肌で感じ取ったのだろう。体勢を立て直そうとするが、それはあまりにも遅かった。

 

 瞬間移動と見紛う速度で怪物に接敵し、立香は渾身の右ストレートをお見舞いする。立香本人からすれば、ただ近づいて殴っただけに過ぎない単純な戦闘。しかし、人間が生身で辿り着ける極限まで肉体を研ぎ澄ませ、常人を越えるための技法を完璧に習得した立香が行えば、それは必殺の技まで昇華される。

 

 両親譲りの恵まれた肉体を持ち、幼少期から詰んだ過酷な修行。

 

 その修行の目的は、守りたい人を守る力を得ることにあった。

 

 当時の立香にはそれがよくわからなかった。目的を達成することに執着はなかったが、「いずれ必要になるときが来る」という両親の教えに素直に従い、乗り越えた。そして、この力を身に着けた意味が、今になってようやくわかった。

 

「マシュ」

 

 自分を頼ってくれたか弱い存在。自分を先輩と呼んだあの少女を助ける。

 

 倒しきった怪物に似た別の個体たちがどこからともなく現れた。まるで虫だ。

 

 対する立香は象だろうか。立香の前に脆弱な存在がいくら徒党を組もうとも意味はない。

 

 圧倒的な力の差を理解させようと、立香は咆哮した。

 

「おぉぉおおぉおおおッ!」

 

 気を含んだ声が大気を震わせ、波動となって周囲に拡散し、壁となって怪物に迫った。

 

 何をされたのかもわからない様子で、怪物たちの体はボロボロと崩壊した。

 

 後に残ったものは何もない。立香の行く道が開けた。

 

 誰の邪魔もない。立香の歩みを止める者は何もない。

 

「待っていてくれ」

 

 立香はマシュを探しに、重たい一歩を歩み出した。

 


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