唐突だが自分が何の為に生きているのか、ふとした時に考えることはないだろうか?
この歳で何言ってんだと思われるかもしれないが、自分の生きている意味、価値そんなものを夜遅くになると考える。
昨今の流行り病は社会の在り方を大きく変えた。在宅ワークが推奨され、大学はオンライン形式が主流になった。
そうして家で作業をしていると不意に(自分は何やってるんだ)とやる気が全て削がれてしまう。熱意を持った人たちは私のような奴に対して「それは自分が目的意識を持っていないからだ」とか「何の為に大学に通ってるんだ」とか言うだろう。
だが、あえて言いたい。一体大学に明確な目標を持って、それを大学4年間や2年で維持し続けれる人は何人いるのだろう。
まぁそもそも、中学生の時からなりたいモノなぞついぞ無かった私には無縁なモノであるが。
将来の事を考えた時、自分がなりたいモノが存在しない事に気づいたのは中学生の時だったか。将来の夢にサラリーマンと答えた私は同級生から「夢のない奴」と言われた。
将来の夢なんぞ掲げて何になる...大工、看護師、教師、医者etc、世の中には色んな職業が存在することは勿論知っている。だが、それらには当然デメリットも存在する。それらを考えた時「将来の夢」という言葉の無意味さときたら、「私は将来このような業界の歯車になりたいです!」と宣言してるようなモノだと思っていた。
閑話休題、私が無為に日常を過ごしていた事だけ理解していて欲しい。
中学、高校となんとなく勉強し、具体的な目標もなく、大学受験を受ける年になっても家に帰って勉強はせず、課題はめんどくさい科目だけ出す。こんな底辺みたいな事をしている奴は底辺の大学に入ると大多数は考えるだろうが、実際は努力した奴がやっと入れるような大学に合格するのだから世の中結局そんなもんだと思う。未だに覚えているのは私が今いる大学に合格した事を教師に報告した時「え!?ほんとですか!?」と言われた事だ。教師から見ても私が合格するようには見えなかったのだろうから抱腹ものだ。
さて、そんなクソみたいな高校生活から一念発起した大学生活、1年目は対面授業でやる気を持って授業に出ていた。自分でも高校時代からは考えられない姿勢だった。授業では最前列、積極的に発表したり教授に質問した。私は大学で変わる!そう思っていた。
2年目に入る前の春休み、流行り病で全てが狂った。いや元に戻ったと言うべきか?オンライン授業に変わり私は熱意を失った。未だに熱意を持った人は私を嘲るだろう。誹謗中傷だってするだろう。私だって自嘲している。学費を払ってもらっている身でありながらとんでもない恥知らずだと、なぜやる気を出さない、なぜ怠けるのか、そうわかっているのに行動を起こさないのが私がクズである所以なのだろうか、いつもそうだ、最初の勢いは良いくせに途中で怠けて全てをふいにする。
ただ、どうしても勉強をする気にならない、なんのために学ぶのか、なりたい事もないくせに、じゃあやりたい仕事を決めるか?別に働けるならブラック以外ならどこでもいい。そんな事をいつも考えてしまう。
今になって思うがこういう時のために「将来の夢」とやらは存在するのだろう。なんのために学ぶのか、自分がやるべき事を見失わないように。
長々と話したが、結局自分が生きる意味なんぞ死ぬ時にならんとわからん。考えてても答えは出ない。というのが私の持論であるが、その持論を持つ所為で、私は今をなんとかなるか〜っと楽観視して生きている。
さて、ここまで読んでくださった奇特な皆さん、貴方は今の自分の生活をどのように感じているでしょうか?流行り病でお気に入りのバンドのライブが無くなった。大きな大会で施設が使えなくなった。様々な要因で私と同じように無気力になった人、先が見えず不安な人、現在病床に伏せている人。皆何かしらの不安を抱えて生きていると思います。
たしかに今の情勢はまさしく谷です。谷底といってもいいでしょう、ですが谷底なのでこれ以上落ちようがないと考え方を変えて私と一緒に「自分の人生」という名の山登りでも始めてみましょう、その山を登ると今の自分では見えないモノを別の高さから見ることができます。一見何も無いように見える場所が視点を変えると実は変化に富んだ場所であるように。
大丈夫です。いざとなったら私を思い出してください。こんな底辺のクソみたいな人間がなんだかんだで上手いこと生きていられるのですから、私より努力している皆さんの努力は報われます。そういった方々の役に立てたのならば、それだけで私のクソ寒い独白も少しは役に立ったと報われます。では、皆さん!お元気で。