夕暮れの東京競バ場。
最終レースのゴール板に一人のウマ娘が飛び込み、大歓声が上がった。
『一着はゼンノロブロイ!ジャパンカップを制したのは、ゼンノロブロイです!二着争いはウオッカとダイワスカーレットか』
興奮冷めやらぬ実況。
しかしそこに、冷静な解説の声が入る。
『復活を期待されたアグネスタキオンですが……10着、11着あたりでしょうか。前走の天皇賞でも二桁順位でしたし……最盛期の走りを期待するのはもう、酷なのかもしれませんね』
「ふぅ……」
レースを走り終えたアグネスタキオンは、ひときわ大きなため息をついた。
レース後の疲れ、ということはもちろんある。
ただ、それ以上に……
(もう、限界かな)
トントン、と走り終えたばかりのターフをつま先で叩き、そんなことを思う。
考えてみれば自分の競走人生は常に、故障との併走だった。
そもそもデビューしてしばらくは、クラシックシーズンを走り抜けることすら諦めていたのだ。
シニア級で今もターフを走り続けていることは、奇跡に近いとさえ思う。
良きライバルだったマンハッタンカフェも、少し前にターフを去った。
もう自分は充分にやったのではないか。
そんなことを考えながら地下バ道を通り抜け、控室に戻ると。
「お疲れさま、タキオン」
そういいながら冷たいタオルをよこしてくれたのは、一緒にトゥインクルシリーズを駆け抜けてきたトレーナーだった。
アグネスタキオンのトレーナーはまだ年若い女性で、一見するとちょっと……いや、かなり頼りなさそうに見える。
しかしタキオンはこのほとんど新米のトレーナーに、全幅の信頼を預けていた。
「ああ、ありがとう」
タキオンはそういって冷タオルを受け取ると、首筋にそれを当てる。
タオルの冷感が、体温を吸収してゆく。
戦いの予熱が残る体に、それは心地よかった。
「……残念だったね」
悔しそうに、トレーナーはつぶやく。
いや、実際ここのところのタキオンの成績に、自身の至らなさを感じているのだろう。
「なあに、勝負は時の運。長い競走生活、こういう時期もあるものさ」
アグネスタキオンは自嘲気味の笑みを浮かべながらそう言うと、勝負服の白衣に手をかけて着替え始めた。
「ああそうだ、トレーナー君。私の次走は確か、有マ記念だったね?」
「一応、ローテーション上は……」
「それを、私のラストランにしようと思う」
「!」
タキオンのその言葉に、トレーナーは息を詰まらせて驚きの表情を浮かべた。
苦難も栄光も共有してきたそんな彼女を見て、タキオンは思わず苦笑してしまう。
「そんな顔をしないでくれたまえよトレーナー君。どんなウマ娘にも、そのときはやってくる。私はもう、十二分に走ったと思わないかい?」
「…………」
そういうタキオンに、トレーナーはすぐに答えを返すことができなかった。
アグネスタキオンの走りに惚れ込んだ自分からすると、彼女にはいついつまでも走り続けてほしい、輝き続けてほしいなどと思ってしまう。
そしてそんなエゴに近い思いをアグネスタキオンに対して抱いているのは、決してトレーナーの自分だけではないはずだ。
しかし、ウマ娘もアスリート。
その輝きは、刹那のものといっても過言ではないのかもしれない。
だからこそ、人はウマ娘に大きな声援を送るのだろう。
「……分かったわ。あなたがそれを決めているのなら、私はその決断を尊重するだけ」
「そうか、分かってくれたかね。伊達に長年、私のモルモットをやっていないねえ」
いつもの少し謎めいた笑みを浮かべながら、タキオンはひらひらと手を振った。
「すまないが、少し出ておいてくれないかい?いくら女性同士でも、着替えをじっと観察されるのはゾッとしない。まあ君にそういう趣味があるのなら、私もやぶさかではないがね」
珍しくそんな冗談を言うタキオンに、トレーナーはあわてて控室から飛び出したのだった。
(タキオンが、引退する……)
控室から追い出されたトレーナーの頭の中は、そのことばかりが反芻していた。
アグネスタキオンは、まだまだ新米の自分にG1トレーナーの称号をプレゼントしてくれた。
G1トレーナーの称号は、重い。
10人いる同期のなかで、それを手にしたのは桐生院トレーナーを除けば自分だけだ。
全トレーナーを見渡しても、その称号を持っているのは10%程だろう。
ある男性ベテラントレーナーに言われたことがある。
『お前みたいな未熟者がG1トレーナーになれたのは、アグネスタキオンという幸運に恵まれただけだ。それをわきまえろ』
言われたときは腹が立ったし、それもそのとおりだな……などと落ち込んだりもしたが、逆に言えばいい年した男から年若い女性が妬み嫉みを受けるほど、尊い称号なのだ。
タキオンがプレゼントしてくれたのは、G1トレーナーの称号だけではない。
あれだけ大きな不安を抱えたまま走り抜けたクラシックシリーズで、三冠を獲った。
天皇賞も、春秋連覇してくれた。
今思えばもう彼女の脚は限界に近い状態だっただろうに、今春の大阪杯では力強い走りで勝利をプレゼントしてくれた。
いつもの、飄々とした態度で。
タキオンは、自分の戦友だ。
かけがえのない戦友だ。
その戦友が、ターフを去ろうとしている。
自分の、本当の限界を感じて。
(私にできることは……)
そんな思考に没頭していたせいか、いつの間にか着替えを済ませて控室からでてきたタキオンが自分の顔の前で手を振っていることに、しばらく気づかなかったようだ。
「おーいトレーナー君、なにか考えごとかい?何を考えていたのかは知らないが、そんなことより早く帰って美味しい紅茶を飲みたい。帰ったらすぐに淹れてくれたまえ」
「……はいはい」
トレーニングメニューを考える前に、とにかく今日はタキオンの疲れを癒やす最高の紅茶を淹れてあげようと彼女は気合を入れたのだった。
「トレーナー君。この人達は一体何なんだい?私の記憶に間違いがなければ、おふたりとも高名なお方だったとお見受けするがね」
トレーナーが連れてきた二人の人物を、アグネスタキオンは訝しげに見据える。
タキオンが知る限り、この二人は競バ界最高峰のスポーツドクターとスポーツ栄養学の権威だったはずだ。
「ええ。これから有マ記念まで、タキオンのトレーニングと食事の面倒を見てくださる先生とシェフの方よ」
トレーナーの紹介を受け、二人は
「スポーツドクターです」
「シェフです」
とタキオンに向かって一礼した。
「いや、ちょっと待ってくれ。気持ちはありがたいんだが……」
少し困惑した表情を浮かべながら、タキオンはトレーナーに耳打ちする。
(トレーナー君。一体どうやって、彼らを雇い入れたんだい?有マまでの期間限定とはいえ、それ相応の報酬が必要だったろう?)
(……あなたがそんなこと気にしなくていいの)
タキオンの心配に、トレーナーは苦笑して答える。
彼らを雇うのに、トレーナーデビューしてから今まで稼いで貯金した金全てが必要だったが……。
そんなことはタキオンに有終の美を飾ってもらう可能性を上げることに比べれば、まったく些細なことだった。
この業界最高レベルの実力を持った二人が力を貸してくれるのは、アグネスタキオンという名ウマ娘の名声があってこそのことだったし、お金はまた稼げばいいのだから。
「これであなたの脚のケアと食事面は万全。あとはトレーニングだけど……」
そう言いながら、タキオンに1枚の紙を手渡す。
そこには、今のタキオンには少し厳しいトレーニング内容が記されていた。
「どうかしら?今のあなたには少し……」
「いいんじゃないかい?これでいこう」
最後までトレーナーに言わせず、アグネスタキオンはちょっと人を喰ったようなあの笑みを浮かべながら、力強くそう言い切る。
「そう。あなたの了承を得られてよかったわ。もう、併走パートナーは呼んであるから」
「併走パートナー?」
怪訝な表情をうかべながら、タキオンは改めて手元の紙に視線を落とす。
確かに、多くの併走トレーニングが組み込まれているようだが……。
そうしていると、ガチャリと音がしてトレーナー室の扉が開いた。
「失礼します」
「……カフェ?」
そう、そこにいたのは先日引退を発表したばかりのマンハッタンカフェだった。
「あまり私は気乗りしなかったのだけど。そこのトレーナーさんがあまりにも必死に頼み込んでくるものだから、断りきれなかった。……引退したばかりで、やっとゆっくりできると思っていたのに」
いかにもしぶしぶを装って、マンハッタンカフェはそんなことを言う。
そんなカフェに、タキオンは大きく目を見開きながら。
「はっはっはっ!そうか。私の併走は、君が務めてくれるのかい。それはありがたい。私の走りを一番良く知っているのは、トレーナー君を除けばたしかに君だろうしね!」
快活に笑い、ポンポンとカフェの肩を叩く。
イヤそーな表情を浮かべながらも、マンハッタンカフェはそれを振り払うようなマネはしなかった。
彼女のラストランに向け、整えられるだけの準備はこれで整えた。
あとは、アグネスタキオンを信じるだけだ。
それはラストランということに関わらず、いつもトレーナーがしてきたことだった。
有マ記念当日。
「これで最後かと思うと、なにか感慨深い物があるかと思いきや……別になんてことないもんだねえ」
勝負服に着替えたアグネスタキオンは、何の気負いもなくそんなことを言う。
いつも通りといえばいつも通りのタキオンに、トレーナーも苦笑を隠せない。
ジャパンカップを終えてから昨日までのトレーニング内容は、正直パッとしなかった。
タイムは平凡だったし、アグネスタキオンのやる気もまあ、そこそこといった感じだった。
併走パートナーを務めてくれていたマンハッタンカフェも『正直、最盛期には程遠い出来。でも、あの脚の状態なら仕方ないかも』と言っていた。
それでもやれることは全部やったという自負がトレーナーにはあったし、それはタキオンも同じだろう。
「時間か」
そういってアグネスタキオンは、ソファーから腰を上げる。
「タキオン」
「ああ。なに、することはいつもと変わらないさ。そうだな、今夜の食事は慰労会も兼ねてちょっと豪勢に行こう。もちろん、トレーナー君のおごりだよ」
トレセン学園が、競バ界が誇る名ウマ娘・アグネスタキオンは冗談めかしてそう言うと、もうこちらを振り返ることもせず控室をあとにした。
地下バ道を通り、冬枯れの中山競バ場のターフにアグネスタキオンは足を踏み入れた。
『タキオン!タキオン!タキオン!タキオン!』
英雄の最後の勇姿に、観衆が大歓声を上げる。
(…………)
ある時からタキオンは不思議に思うようになった。
応援とは、声援とは、ようするに人の声帯を伝ってこちらの鼓膜を震わせる、ただの音波のはずである。
それがどうして、こんなに自分に力を与えてくれるのか。
もう自分は、戦うウマ娘としての最盛期を、とっくに過ぎてしまっているのを知っている。
もう、年下の伸び盛りのウマ娘たちにはかなうまい。
理性はそれを分かりきっているのに……その賢い自分の理性に、そのただの音波がどうしてこうも無分別で……熱い熱い闘争心を注ぎ込むのか。
普段は平静そのものの自分の気持ちに、熱いものがこみ上げる。
高揚した気分を抑えきれぬまま、タキオンはゲートに入った。
スタート直前。
世界から、音が消える。
聞こえてくるのは、自分の心臓の音だけだ。
そうして、超光速のプリンセス・アグネスタキオンの最後のレースがスタートした。
スタートは、悪くなかった。
先団に取り付き、周りの様子をうかがう。
一番人気は、天皇賞秋・ジャパンカップと連勝中のゼンノロブロイ。
彼女は自分より少し後ろに位置している。
二番人気、今年のダービーウマ娘・エイシンフラッシュは、さらにその後方だ。
三番人気に押されているダイワスカーレットは自分の隣。
四番人気のウオッカは、ゼンノロブロイと同じような位置取りだろう。
(五番人気か)
その事実に、レース中にも関わらずタキオンは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
まあ、直近の成績を鑑みれば仕方ないことなのかもしれないが、自分の実績からすればあまり誇れた人気であるはずがない。
そしてその評価はおそらく、客観的に見て正しいのだろう。
(でも……!)
科学の世界で、正しいと思われたことはいつもひっくり返されてきた。
そうして人類は方向性はどうあれ、進化してきたわけだ。
いずれ自分も、科学の世界でそういう発見をしたいといつも願っている。
しかしその前に、自分がすべてを賭けて臨んできたトゥインクルで、それを成すことができたのなら。
それはそれで、痛快ではないか。
適度に思考が散っていたおかげで、レース前までわずかに感じていた余計な力みが消えて第三コーナーへ。
大丈夫。
自分はこの最高の舞台で、最高レベルのウマ娘たちについていけている。
レース前に抱えていたそれが霧消してくれたおかげもあるが、これはトレーナーが大枚を叩いて招聘してくれた、スポーツドクターとシェフの力添えも大きいだろう。
彼らの力を借りると聞いた時、わずかな期間付き添ってもらったからといって、それほど大きな変化があるとはタキオンは正直考えていなかった。
しかし、超一流スポーツドクターのリハビリを受け始めてすぐに、右足にあった違和感はほとんど消えてしまったし……。
ジャパンカップ前までトレーニングのときやレース最終盤に感じていたスタミナ不足が、シェフの食事によって大きく改善されたには驚いた。
それは現役中、研究にかまけてばかりいないで(トレーナーも言っていたとおり)もっと食事に気を使っていればよかった、と反省させられる出来事だった。
あ、あとカフェの併走にも感謝しなくては。
……照れくささもあって、トレーニング中に一度も感謝の言葉を述べたことはないが。
このまま第四コーナーまで先団にしっかり取り付いて走り、最後の直線で一気に突き放す……!
それが私の、アグネスタキオンの競バだ!
さあ、レースはいよいよ最後の局面へ。
第四コーナーをカーブして、最後の直線……!
先頭は一番人気のゼンノロブロイ。
そのすぐあとに、ダイワスカーレットが迫る。
後ろからはものすごい脚でウオッカとエイシンフラッシュが追い込んできた。
並ぶまもなく、交わされる。
(あ……)
アグネスタキオンは五番手の位置取りから、彼女たちを必死に追おうとした。
だが、脚が前に進まない。
思ったように、捌けない。
全盛期には光より速いと讃えられ、鬼神も避けよと恐れられたアグネスタキオンの豪脚の面影は……もはやまったく残っていなかった。
もう、自分の脚では超一流のウマ娘たちに、追いつけない。
分かりきっていたことだ。
なのに。
なのに。
闘争心は、まったく衰えない。
本能が、前のウマ娘を追いかけろと訴える。
追いかけて追いかけて、追い抜かしてみせろと、訴える。
前へ。
前へ。
前へ!と、闘争本能が、もうボロボロの脚に鞭を入れる。
「うぉぉおおぉぉおぉ!」
アグネスタキオンは目一杯の気合と根性を脚に込め、必死に四番手のウオッカを追った。
差は、縮まらない。
むしろジリジリと、開いていく。
それでもそれでもそれでも……!
ウマ娘の本能は、稀代の名ウマ娘・アグネスタキオンは全力で走ることを止めなかった。
そして、微塵も前を追うことを諦めなかった。
五番手のまま、アグネスタキオンはゴールイン。
その瞬間。
『うおあぁああぁあぁあぁあぁぁぁ!』
つんざくような大歓声が、中山競バ場を包み込む。
それは勝者が一着でゴールしたときより、大きなものだった。
「タキオン!タキオンっ!……大丈夫!?」
「ん……」
聞き慣れたトレーナーの声で、タキオンは目を覚ました
どうやら自分はゴール直後、気を失っていたらしい。
ひゅー、ひゅー、と自分の肺が苦しそうに呼吸しているのを自覚する。
おそらくレース中に呼吸を忘れ、そのままゴールインして限界を迎えたのだろう。
実はウマ娘はレース中、ほとんど呼吸というものを行わない。
3000M超のレースでさえ、数回しか呼吸を行わないことが知られている。
ウマ娘にとってレースは、人間に当てはめると100M走から400M走の無酸素運動のようなものであり、長距離になればなるほどその過酷度は増してくる。
有マのような2500Mとなれば、相当な負担となるわけだが……。
「今まで普通に走れていたのにな……」
その事実に、タキオンは落胆を隠せなかった。
脚ばかりでなく、内臓の方にも限界が来ていたわけだ。
「お疲れ様、タキオン」
「……ああ、疲れた。今日は本当に疲れたよ。並のお疲れじゃないね」
そんな軽口を叩きながら、アグネスタキオンはトレーナーの肩を借りて立ち上がる。
そんな彼女の耳に……
『タキオン!タキオン!タキオン!タキオン!タキオン!』
鳴り止まぬタキオンコールが響き渡ってくる。
「なあ、トレーナー君」
「なに?」
「今日、私は負けたんだよな?」
掲示板を眺めながら、五着に自分の番号があるのを確認してそんなことをつぶやく。
「……そうだね」
「そうか。それなのに観客は、私の名前を呼び続けている。勝者の名前を置き去りにして」
「そう。あなたはがんばったから。……あなたはみんなの、英雄だから!」
「そうかい」
ぶっきらぼうにそう言って、タキオンは大声で叫んだ。
「ここにいるのは、バカばかりか!仕方ないな、本当に!」
そうしてタキオンはターフの上に仰向けに倒れ、泣き崩れる。
自分は何のために、限界を超えて走ってきたのか。
この大歓声を、大声援を……自分を応援してくれる人たちのために、走り続けてきたのだ。
今までうすらぼんやりとしか自覚できていなかった自分も、やっぱり大バカだ。
でも、この涙はそれだけじゃない。
負けた悔しさ。
やりきった達成感。
そして……たくさんの人に応援してもらって、支えてきてもらってここまでやれたことへの感謝の気持ち。
そんな様々な感情が入り混じった、決して科学で証明できない慟哭であった。
レース後行われた引退式での、タキオンのスピーチ。
『あー……今日は私のためにたくさんの人に集まってもらい、非常に感謝している』
『うんまあ、なんだ。恥ずかしいところを見せてしまった手前、もう何を言っても締まらない気がするな……』
『こほん。君たちの応援のおかげで、私はここまでやってこれた。応援や声援から、こんなに力がもらえるなんて、デビュー当初は思ってもみなかった。だから……陳腐な言葉になってしまうが、君たちに伝えたいことは一言に集約できる』
『ありがとう。ほんとうに、今まで応援ありがとう』
そんな引退式でのスピーチを終えて地下バ道を通り、タキオンはいつも通り控室に戻ってきた。
「おつかれさま。……終わったね」
「ああ、終わった。君にも、お疲れ様だ。トレーナー君」
そういってタキオンは、トレーナーが用意していたスポーツドリンクを一気に飲み干す。
「引退で思い出したのだがね。ある先輩ウマ娘が引退式のときに『私、明日から普通の女の子に戻ります☆』なんて言っていたのを聞いて、一体何を伝えたかったのかさっぱり分からなかったのだが……今なら何となく、彼女が言いたかったことが分かる気がするよ」
「そう」
こんな時までタキオンらしいモノの言い方に、トレーナーは苦笑いを浮かべるばかりだった。
「まあ、これで私もようやく研究三昧の、普通の女の子に戻れるわけだ。確かに寂しい気持ちもあるが、ホッとしたのも事実だよ」
「……ううん。あなたはやっぱり、普通の女の子なんかじゃないわ」
タキオンの言葉に、トレーナーは首を横に振る。
「おやおやトレーナー君。結構君も言うようになったね?レースから退いても、やっぱり私は変わり者だとでも言いたいのかい?」
「それもあるけど」
「あるのかい。一応私も乙女だから、それなりに傷つく心も持っているのだがね?」
トレーナーは傷心のタキオンをまっすぐ見つめて、こう言った。
「タキオン。あなたは、私の特別だから。いつまでも」
そんなことを言う長年連れ添った戦友に、アグネスタキオンは多分初めて、なんのてらいも気負いもない笑顔を浮かべると。
「そうか。ありがとう、トレーナー君」
と、万感の想いを込めて言ったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
つたない文章だったと思いますが……ウマ娘ファンの方に、
アグネスタキオンファンの方に少しでも楽しんでいただけのなら幸いです。
また次回作で、お会いしましょう!