「総員に告ぐ。作業中の兵士は中断せよ」
旗艦『ファルメル』艦内にドズル中将の声が放送されていた。
慌ただしかった艦内の兵士達は一斉にスピーカーを向き、気をつけの姿勢をとる。
「各員とも、ルウムでの働きは見事だった。指揮官として、心から感謝している。この戦いに散った全ての兵士と、これまでの戦いで失われた民間人の尊い命に敬意を表し、黙祷を捧げる。総員、黙祷!」
その言葉と共に、兵士達はその場で黙祷を捧げた。
その兵士達の中に、リチャード・ケインハルト曹長はいた。
短い銀髪と細い目つき、薄い口髭が特徴的な彼もまた、ランベルト隊の元エースパイロットであった。
心に傷を負わされてジオンへの加担を決意したメレッソとは異なり、開戦前の彼はより明確にジオン公国の、即ちギレン・ザビの信奉者だった。
彼の心にはほとんどと言って良いほど迷いがなく、かつての仲間と戦場で殺し合うことも覚悟の上だった。
全ては宇宙民族の自由と平等のため、そのために未曾有の大戦に身を投げるつもりでいた。
しかし、実際に彼が請け負わされた任務は、無慈悲なるコロニーへの打撃。
ジオン公国を公に批判し、連邦への加担を図ったサイド1、2、4への攻撃が彼の最初の任務であった。
この任務は兵士の精神を研ぐものであるため、一部の選抜兵だけに負わされていた。
ケインハルトはその一人だったのである。
彼は自らの手で、100以上のコロニーに毒ガスを投下した。
人々は彼らの突然の襲撃に驚き、避難する間もなく次々に毒に倒れていった。
コクピットの中からは倒れゆく人の苦悶の表情を正確に窺い知ることはできなかったが、恐怖と怨嗟の悲鳴は十分すぎるほどに彼の脳裏に焼き付けられた。
一体なぜ、宇宙民族同士で殺し合わねばならないのだろうか?
この住民達が我々に対して何をしたというのか?
本当に討つべきは、連邦政府の堕落した高官達ではなかったのか?
コロニーの中で自分の娘にどことなく似た少女の遺体を目にした彼は、自分が犯した罪の大きさを知った。
だが、知ったところで何も変わりはしない。
驚くべきことに、破壊作業に従事していない兵士達もコロニー破壊の事実は知っているはずなのに、誰もそのことに言及しようとしないのだ。
同じジオン軍人が数十億の人間を手にかけたというのに、誰もそこに目を向けようとはしない。
無論、多くの罪なき人を殺したという点で破壊作業の事実はジオン軍の人徳的汚点となるから、自然とタブーと化しているのかもしれない。
しかし、実際は作業を行っていない兵士達はその作業を”汚れ仕事”ぐらいにしか認識していない。
連邦兵もまた然りであろう。
肉親を殺されたものはその限りではないにしろ、自らの手で虐殺に手を染めていない兵達は所詮虐殺も自身に関係のないことのように処理してしまうのだ。
大きな戦いに出る以上、自分の生死の方が心配になるのは当然といえば当然なのかもしれない。
だがそんな状況にケインハルトはどうしようもないやるせなさを感じずにはいられなかった。
結局、そういった意識が連邦の腐敗を生み出しているのではないのか?
過剰な虐殺で心を壊す同僚も数多くいた。
彼が一生忘れないであろうほどの衝撃を受けたのは、彼がジオン軍に入隊して最初に知り合ったとある兵士に関する出来事だった。
彼は気だてがよく、生粋のエリートであるケインハルトでも遠慮せずアドバイスをくれるよき友であった。
そんな彼も不幸にしてコロニー破壊部隊に選抜され、ケインハルトと同じ部隊で作業に従事した。
最初に彼が精神を害し始めたのは、彼らの部隊がサイド2にて5つのコロニーを破壊した後。
彼はケインハルトに「サイド2に弟家族が住んでいたらしく、自分の手で殺してしまったかもしれない」と告げた。
その時の彼は本人であるかどうかも分からないぐらいどうしようもなく落胆していた。
そんな彼にケインハルトが行えたことは、なけなしの言葉で慰めてやることと、弟家族の無事を祈ってやることだけだった。
その後も数十というコロニーで虐殺を行った。
いよいよ彼の精神は限界を迎え、言葉もまともに発せなくなっていた。
ケインハルト自身もかなりの疲労と罪悪感に耐えながら上官に彼を任務から外すよう訴えたが、「この任務は少数精鋭で行う以上、他の者を回すわけにはいかない。一度使った奴は使えなくなるまで使う」という冷酷な判断には従わざるを得なかった。
そして、サイド4の破壊作業中。
ケインハルトと共に作業に当たっていた彼は突如任務を放棄し、乗機の足で逃げ惑う住民を踏み潰し始めたのである。
隊員は酷く驚き、彼に呼びかけたが、狂ったような笑い声や啜り泣く声しか返ってはこない。
そのまま彼の機はヒートホークの刃を人に押し当てて焼き殺したり、両手で十数人を一気に挟み殺すなどの常軌を逸した虐殺を始めたのである。
結局、部隊の全員で彼の機の四肢を抑え、コクピットをこじ開けて彼を拘束する他手だてはなかった。
彼は独房に入れられて間もなく、舌を噛み切って死んだ。
その様を見ていたためか、部隊の若年兵も一人、精神を病んで軍を退役し、本国に戻ってしまった。
それが現実だった。
開戦から未だに半月しか経っていないことがケインハルトにとって衝撃的だった。
半月という短い時間で、彼はあまりにも多くのことを経験してしまった。
誰もがルウムの死闘を地獄の如きと形容するが、あんな戦いは彼にとっては地獄でもなんでもない。
相手にも自分にも等しく死の条件が与えられている分、戦場はまだ易しい。
殺す側殺される側が明確に分かれ、安全な場所から自分の手で死を発現させる状況の方が何倍も辛いのだ。
一体誰があんなことを望んだ?
あんな行為のどこが宇宙民族の自由に寄与するのだ?
これはギレン総帥が望まれたことなのか?
半月という時間は、自分自身の罪を問うにはあまりにも短いものであったが、ある一つの事実を学ぶには十分だった。
それは、彼が望んだ道徳的な理想はもうどこにも存在しないということ。
連邦にもジオンにも正義などないのだということ。
約一分の長い黙祷が終わった。
兵員休憩室はにわかに慌ただしさを取り戻し、ケインハルトの周りの時間だけがうごめき始めた。
「なんで俺らが殺した奴らへの黙祷をしなけりゃいけないんだ?」
ケインハルトの同僚であるダニエル・クロンプトン曹長が横で呟く。
「ドズル閣下も分かってらっしゃらねえ。黙祷なんて手を汚してない奴の自己満足だよ」
「そう言ってやるなよ。閣下は単に死者に敬意を払っているだけだ」
ケインハルトは素っ気なく言った。
「へっ、戦いを後ろから見守ってるだけの連中に何が分かる。俺達が背負った苦しみなんざ一生理解なんてされないさ」
クロンプトンは煙草を取り出して吸いつつ憎まれ口を放つ。
「よう、ここにいたか」
と二人に声をかけたのは、二人が所属するMS中隊の隊長であるジョナサン・ベルトワーズ中尉である。
太い眉と口元を覆う濃い髭が特徴的な彼は43歳のベテランパイロットであり、部隊内の求心力も高い頼れる隊長である。
もちろん、コロニー破壊という地獄も隊員達と共に経験している。
「ケインハルト、やっぱりてめえは流石だよ! 一体何十機落としたよ?」
ベルトワーズは上機嫌に問いかける。
「さあ、数えてはいませんが…すぐに機体の映像から撃墜数が判明するでしょう」
「ガハハ、ジオン十字勲章は間違いねえな!!」
「隊長、随分機嫌いいっすね」
ぶっきらぼうな表情のままクロンプトンがぼやく。
「当たり前だ! うちの隊は死者なし、そんでもってジオンは前代未聞の大勝利とくりゃあ機嫌がよくならない訳ねえだろ!」
勢い良くそう叫ぶ彼の息からは酒が臭う。
この人は果たしてちゃんと黙祷を捧げていたのだろうか?とケインハルトは思った。
しかし、ケインハルトもクロンプトンも知っていた。
虐殺任務の際に最も苦しみ、苦渋を背負わされたのは他ならぬ隊長の彼であるということを。
上官から伝えられた任務を隊員達に告げることすら、相当の精神的な苦痛であったのだ。
彼は任務が終わる度に意気消沈し、家族の写真を眺めては涙に暮れていた。
隊員から発狂者が出たときは、誰も想像できないほどの苦しみを味わったことだろう。
だが、だからこそ彼は隊員の誰よりも強い。
あれだけの苦しみを背負わされながらも今は平然と笑っていることが、その強さの他ならぬ証明である。
今にこやかに酒をあおっている彼の姿は、軍人としては正解なのかもしれない。
いつまでも絶望にひたっているケインハルトやクロンプトンは未熟なだけなのかもしれない。
それが分かってもなお、二人は素直に戦勝を祝う気分には到底なれなかった。
「やはり隊長は強いな」
他の隊の隊員にまで陽気に話しかける隊長の背中を見ながら、ケインハルトは呟いた。
「ああ、強いさ。俺達はこのフネに乗ってる誰よりも過酷な地獄をくぐり抜けてきたんだぜ…。その部隊の隊長なら強くて当たり前だ」
クロンプトンも同調し、そう呟く。
「でもな、ケインハルト。本当に強いのはお前だよ」
「なんだよ、急に」
「俺はお前の戦いを間近で見ていたからよく分かった。うちの隊から死者が出なかったのはお前のおかげだってな。隊長じゃないけど、俺もお前はとんでもなく強いと思う。なんて言ったってあのランベルト隊の元サブリーダーなんだからな」
「…褒めても何も出ないぞ」
「へっ、本心ってやつだよ。お前はこの戦いで、そしてその後の戦いでもあっという間に昇進して、すぐに俺なんかとは違う次元に行っちまうだろ。だからお前が俺の同僚であるうちに言えることは言っちまいたいんだが、如何せんこの一週間が強烈すぎて……なんて言うか…言葉が出てこなくてな……」
「…お前の言いたいことは大体分かるさ。俺達がやらされたことの意義、それを上の人間に問うてほしいんだろ? だが少しばかり昇進したところで、自分の意見を上層部にぶつけることなんてできやしないさ」
「…だろうな。結局、俺達が背負った苦しみは俺達以外の誰にも理解はされないってことか」
「我々は何のために戦っているのか不思議に思えてしまうな。スペースノイドの独立と言っておきながらスペースノイドにあんなことをして、あげくそのスペースノイドに黙祷を捧げている。何がしたいのかさっぱりだ」
「そうは言うけどよ、そもそも連邦の馬鹿共が俺達を苦しめるようなことをしなけりゃあ、こんな戦争は起きなかった。俺は連邦を倒すことが先決だと思うよ」
「まあ、俺達はジオン軍人だからな…。泣いても笑っても、連邦を倒す以外の道なんて初めから残されていないんだ」
気晴らしにとでも思ったのか、クロンプトンは懐から携帯型ラジオを取り出し、スイッチを入れた。
『今ここに、宇宙世紀の新たなる歴史が刻まれた! 我ら宇宙民族が、連邦の艦隊にかつて類を見ない大打撃を与えたのだ!』
ラジオからは聞き慣れた声が流れ始めた。
「総帥の演説か。勝ち戦なだけに盛大に祝い文句でも喋るんだろうなあ」
クロンプトンはラジオをテーブルに置き、もう一本煙草を吸いながらぼやいた。
『最早堕落しきった連邦の者共に、我々に抗する力も気概も残されてはいない。ここに我々は、一つの正当な国家として連邦より独立する権利を勝ち取った!!』
「確かに総帥は俺達なんかとは比べ物にならないぐらい思慮深いお方だから、俺達なんかでは想像もできないお考えがあるのかもしれない。けどよ…、へへっ、なんで俺達が総帥の命令一つでこんなに苦しまなきゃいけないのかねえ」
クロンプトンは頭を抱えてふて腐れたようにように笑いながらそう呟いた。
「…もうやめよう、クロンプトン。考えていたってしょうがない。俺達は軍人だ。ただの軍人だ。過去も、名誉も、心も、疑問も、なんにも必要のないただの軍人なんだ。無心になろう。無心になって、機械のように任務をこなせればいい」
『私はジオン国総帥として、諸君らの努力と健闘に心から感謝の意を述べたい』
「そんな風に割り切れたら苦労しねえよ。俺だってそう思いたいよ……」
「顔上げな」
クロンプトンの肩に手を置いてそう慰めたのはケインハルトではなく、いつの間にか戻ってきていたベルトワーズ隊長だった。
「大丈夫、辛いのはこの部隊みんなで背負ってる。お前が一人で背負ってるわけじゃないだろ?」
『あと一歩!! もうあと一息で我らの悲願は達成される! 政治処理はこの私に任せてもらいたい! 一月経たぬうちに我らは地球連邦政府に勝利したただ一つの国家となるのだ!!』
「隊長……すいません…すいません……」
目に涙を浮かべて呟き続けるクロンプトンの背中を、満面の笑みを浮かべながらベルトワーズは何度も叩いた。
「俺達はもう元には戻れねえ。死んだらみんな仲良くほんとの地獄に堕ちようぜ」
『その栄光を讃えて!! ジーク・ジオン!!』
総帥が言うのに続いて、ラジオからは「ジーク・ジオン」の斉唱が響き始めた。
「ジーク・ジオン!!」
突然隊長は立ち上がり、ラジオの斉唱に合わせて叫び始めた。
それにつられて周囲の兵士達も斉唱を開始する。
クロンプトンも目元を拭い、立ち上がって斉唱を始めた。
「ジーク・ジオン!! ジーク・ジオン!!」
俺にこの言葉を唱える資格はあるのか、とケインハルトは思った。
ジオンにも、連邦にも、俺の求めた正義はない。
地球圏に俺の安住の地など存在しないのだ。
それを知るのが遅すぎた。
それを知った時には、既に俺は大きすぎる罪を背負ってしまった。
果たしてこの先戦い続けて、何が得られるのだろうか?
”隊長”はどう思っているのだろうか?
それでもケインハルトは立ち上がった。
軍人として、考えてならない、無心であらねばならないという義務の元に。
そして力一杯唱えた。
「ジーク・ジオン!! ジーク・ジオン!! ジーク・ジオン……」
戦士達の悲痛な叫びが、血染めの