学校ともなれば制服もある。私立の中では私服での登校ができる学校もあるが、残念ながら慧の通う学校は制服での通学だ。冬服ではブレザーとネクタイを着用するが、夏服はそんなもの使わない。今みたいな絶妙な期間では、ブレザーなし、ネクタイなし、けれど長袖。そんな着方が許されている。
「アッシーくん早く行こう!」
「今から行ったって仕方ないだろ……。教室の鍵を取りに行くのも面倒だし」
「いいじゃん! 今から行けば教室を2人で独占できるし! なんかそういうの、良くない?」
「俺には分からんけど……まぁいいや」
「やった!」
制服に着替え終わっているアルトリアが、笑顔を浮かべて鞄を手に持ち玄関へ。慧にとって、学校にいる時間は退屈だ。繰り返しという印象が強いし、箱庭だし。学校行事で授業が潰れれば万々歳な、そういうタイプである。
けれどアルトリアは違う。彼女にとって学校は初めてだ。そんなもの経験したことがなく、ひとつひとつのことが新鮮で輝いて見える。
「小学校に入学したての慧を思い出すわね~」
「俺は覚えてないよ」
「そう? いつも飛び出して行ってたのに」
「早く行けばその分遊ぶ時間があったから」
「覚えてるじゃない」
「……行ってきます」
慧も鞄を持ってリビングから出る。玄関では、まだかまだかと待っていたアルトリアがいた。
「お義母さん行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
「お義母さん言うなよ……」
何回言っても直らないし、言うだけ無駄な気もするのだが、言わないわけにもいかない。なんか認めた感じになるから。
学校までは自転車で10分ほど。そう遠くない位置にあるという理由で絞り、あとは評判とか学校行事とかで決めた。
自転車通学なわけだが、アルトリアがいるので2人乗りである。大変よろしくない。よろしくないのだが、徒歩で行くには遠い距離なのだ。そしてアルトリアが自転車に乗れない。そうなると、もはや選択肢がこれだけになる。なお不思議なことに補導されない。
「制服かわいいけど、スカートがひらひらしちゃうのはなー」
「スカートの下に体操服着とけばいいじゃん。ほぼみんなそうしてるだろ」
「そうだけど、それはちょっとかわいくない気がして。難しいところなんだよね」
「ズボン履いてくれてたほうが安心するけどな」
「……ふーん?」
含みのある笑みを浮かべながら、アルトリアは自転車の後ろに乗る。今ではその自転車の後ろには、2人乗りでの通学のためにクッションが用意されている。厚みはないというか、薄いクッションなのだが、衝撃の吸収力は高い。どこから仕入れたのか不明だが、用意したのは母親だ。
アルトリアはそこに座り、台を掴んで体を安定させる。このやり方を身に着けたことで、慧と密着することはない。
(あれは好きなんだけど、恥ずかしいんだよね)
思い出すだけでも、頬が熱くなる。それを振り払って、アルトリアは慧に仕掛けた。
「なんでわたしが下に体操服着てるほうが安心するの?」
にやにやしながらそれを言うアルトリアに、慧はため息をついた。
「痴女と一緒にいるとか思われたくないからな」
「ちっ……!? わたしのことそんな風に思ってたの!?」
「ああいや、大げさに言っただけ。ごめん」
"視えなく"なったことの弊害はある。今まで視えていた嘘も冗談も、何もわからなくなるのだから。それは俗に言う『普通』なのだが、アルトリアにとっては今が異常だ。16年間。望まなくても勝手に視えていたのだから。彼女にとっては、それが『普通』。
そのために、まだ慣れない。何が本当で何が嘘か分からない。それはそれで恐怖だ。不安に苛まれたら、何が信じられるものかが分からなくなる。
それへの配慮が、慧にはまだ欠けていた。友達と冗談を言う。多少話を盛る。そういうことは日常茶飯事だったから。けれどそれではいけない。アルトリア相手には特に。
「男の性ってのを言うとな。普段見えないものが見えそうになると、目を奪われるんだよ」
「変態だね」
「そういう生き物なの」
「変態なんだね」
「もしかして俺に言ってる?」
振り返ったら顔を逸らされた。そういう事らしい。
慧は前に向き直り、ペダルを漕いで自転車を進ませる。電動の自転車が欲しいなと最近少し思っていたりする。
「あのな。俺が変態だったら夜に襲ってるから」
「? 夜に襲うって何すること?」
「えぇお前まじか……。やだ。説明したくない」
「じゃあいいもん。学校でクラスの子に聞くもん」
「おいやめろ! それは恥をかくことになるからやめろまじで!」
「なら帰ってからお義母さんに聞く」
「くそかな」
ろくな事にならない。特に自分が。それを確信した慧は、うだうだ考えてから決断した。周りに人がいないことも確認して、前方にもいないことを確認。被害を最小限に済ませるべく口を開く。
「あれだ……あー。押し倒すとか、そっち系のやつ」
「おしたおす。……うーん? ぁ、そういう」
「そ。んでそれをやらないから俺は変態じゃない。わかった?」
「……うん。そっかぁ。キスってえっちなことだったんだー」
ぼそぼそアルトリアが呟いているものは慧に聞こえず、慧は自分が説明し切れていないことに気づいてない。だが掘り下げたくもない。大っぴらにそういうことを語る人間ではないから。
他の話題が欲しいなと思考する慧だが、どうにもうまく切り替えられない。やっぱり思春期真っ盛り。無意識だろうとそっちに向いてしまうものだ。
「タイツでもよくないか? あれ嫌いってわけじゃないだろ?」
初めて会った夜だって着用していた。
「あー。嫌いじゃないよ。でも、しばらくはいいかなーなんて」
「女子の感覚は俺には分からんから、なんだっていいけど」
「アッシーくんは、履いてほしい?」
「え、なに? フェチの話でもしてる?」
「ふぇち?」
「いや……。履いてほしいとかは別にないけど。……話を戻すことにもなるけどな、スカートがひらひらしてお前が恥ずかしい思いするのは、嫌だ」
「へ?」
パッと慧の方を見ても、見えるのは彼の背中だけ。表情は見えない。どういう表情をして、どういう思いで、それを言ってくれているのかが分からない。そこは憶測で補完するしかなくて、アルトリアは数秒考えてから彼の背中に寄りかかった。
「……」
背中にかかった重さを感じ取り、何か言おうかと口を開いて。別にいいかとそのまま閉じた。
彼女と出会ってからの数日で、わりと頑固な女の子だということはよく分かっていた。学校での過ごし方は、周りに合わせてばかりだというのに。
そこにある彼女の感情や考えを慧は知らない。踏み入ろうとすると目を逸らしながら困ったように曖昧に笑うから。それなら聞かないでいいやと思うし、自発的なことをすれば可能な範囲で協力しようと思っている。だから今も、何も言わずにそれを受け入れている。
(……落ちなきゃいいけど)
その心配事は無事で終わり、西門から入って駐輪場へ。正門が東側にあるので、こちらの門は裏門と呼ばれたりしている。統一はされていない。
駐輪場の手前でアルトリアを降ろし、鞄を2人分持ってもらう。少しの間待ってもらったら、その間に決められている場所に停めた。1台ごとに固定されるため、鍵もそれ用に1人1個ずつ貸与される。誤って違う場所に停めたら大変なことになる面倒な仕様だ。
「荷物ありがとう」
「どういたしまして」
慧は基本的に教科書類を学校に置いている。その分鞄は軽く、水筒と弁当。あとは雑多な荷物ぐらい。反対にアルトリアは主要科目分は持って帰るため、いつも荷物が重たい。
それを持とうかと慧が声をかけたこともあるのだが、アルトリアは頑なに拒んだ。自分で持ちたいらしい。でも重たいものは重たいので、いつも鞄を両手持ちである。
「教室の鍵取りに職員室寄るぞ」
「任せました!」
「あのな……」
「いやー、なんかあそこの空気慣れないというか……。重たい感じするから」
「わかるけども。この時間なら教頭と、あとは早く来る一部の先生くらいしかいないんじゃね? 早く来たことあるけど、その時は教頭からお菓子貰えたな」
「え!? いーなー! わたしも貰いたい!」
「なら自分で鍵取ってくるんだな」
下駄箱で靴を履き替えながらそんなやり取りをして、お菓子を貰えるかもという甘い狙いでアルトリアは足早に進んだ。その足取りは軽く、鼻唄まで聴こえてくる。その上で、スキップに近い足運びまでするものだから、スカートが大きく上下に揺れている。慧は壁に貼られている掲示物を見ながら歩いた。
職員室まで来たら、慧に荷物を預けながら入る時に言うことを確認。
「クラスと名前を言えばいいんだよね。あと用件」
「合ってるぞ。中にいる誰かしらに聞こえりゃそれでいいから」
「うん。……すぅー、はぁぁ。よーっし! いっくぞー!」
「そんな気合い入れるものじゃないんだが……」
むんっと両手を握って気合を入れたアルトリアは、ドアを静かに、それでいて遅くないペースで開ける。
「失礼します──」
「ごめん今会議中だから待ってて」
開いた口はそのままに。ドアだけすーっと閉めたアルトリアが、顔を真っ赤にしながら振り返る。
「そういや毎週月曜は職員会議なんだっけ」
「~~~っ!! 知ってたなら言えよアッシー! すっごい恥ずかしかったんだけど!!」
「いやこんな時間にいつも来ないから忘れてただけで……。というか、職員会議の時間前倒しになったのかな。もう少し遅かったような……」
「いつもなんてわたしは知らないし! っていうかそれならそれで扉にでも『会議中』とか貼ってほし……貼って……」
「貼ってるな」
「……!!」
涙目になったアルトリアが無言で慧の胸をぽかぽか叩く。これも慧の責任ではないのだが、気づかなかったのは同じだなと認めてそれを受けることにした。
しかしそうなると、早い時間に学校に来た意味がなくなる。アルトリアは他に誰もいない教室を楽しみにして、早めに家を出たのだから。どうすればいいかしばらく慧は考え、1つの可能性に賭けることに。
「教室行くぞ」
「え? だって鍵は職員室の中じゃ……」
「そうなんだけどな。もしかしたら入れるかもしれないから」
「?」
首を傾げたアルトリアを連れて教室へ。階段を上がって2つ上の階。そこに並んでいる教室の1つが、慧とアルトリアが所属しているクラスだ。アルトリアが同じクラスになれたのは、母親の働きかけと学校側の配慮だろう。席も隣になっている。
教室のドアを確認するも当然そこは閉まっていて、「どうするの」と聞くアルトリアの声を慧は聞き流す。今見ているのは、ドアの上の小窓だ。グラウンド側に面している窓と同じように、留具を使って戸締まりするタイプ。クラスの男子たちはいつもそこをわざと開けていて、体育の授業の後に早く教室に入れるようにしている。手段はもちろんよじ登って、である。
そこを確認してみたら、やっぱり留具は外れているようで、慧は小窓を動かしてスペースを作る。
「えーっと、アッシーくんまさか」
「そういうこと」
思春期少年なのだ。こういう"ちょっとした悪いこと"を楽しむ感性がある。慧はニヤリと笑ってよじ登り、開けたスペースに体を潜り込ませて教室側へ。頭から突っ込むのだから、そのまま行くと真っ逆さまで落下になる。そうはならないように体の向きを変え、なんとか片足をねじ込む。
あとは残った足──というところで転落した。
「いってぇー。ははっ、最後にドジッたな」
「アッシーくん大丈夫!?」
軽い調子で笑いながら教室のドアを内側から開けると、外にいたアルトリアが駆け寄る。落ちたときの音が酷かったのだろう。心配そうで、それでいて悲しそうな顔だ。
「どこも問題なし。いやー、お前ぐらい小さかったらもっとスムーズにいけたかもなぁ」
「小さっ……!? デリカシーない! そういうのよくないぞー!!」
「ごめんごめん」
「もう! ……でも、怪我してないならよかった」
なんで慧がこんな手段を取ったのかは分かっている。彼はそういう人だということも。だからこそ、本当に怪我がなくて良かったとアルトリアは安堵するし、それ以上に慧も安心した。怪我なんてしたら、アルトリアがどれだけ気に病むか想像がつくから。
「着いてそうそう何を見せつけられてるのかしら私」
アルトリアの後ろ、廊下から2人の様子を見てやれやれと首を振った少女がいた。慧やアルトリアと同じクラスの少女である。アルトリア越しに彼女を見て、慧は意外そうに目を丸めた。
「あれ、こんな時間にどうした」
「それはこっちのセリフなんだけど?」
ピンクに近い赤い髪の少女。男子から一定の人気を誇る彼女。その名は、バーヴァン・シー。