才能無くて首吊ったら美少女に憑依したけどこいつも才能無くて首吊ってた 作:小中高校道徳の成績5でした
肩掛けしてるカバンも、息も、足も荒く、慣れてない帰り道も目まぐるしく景色を変える。
バタン!
玄関を勢いよく開ける。限界まで開ききった反動でひとりでに閉まる。
靴を脱ぎ捨てて階段を駆け上がり突き当りの右にある扉も勢い良く開ける。
真っ先にパソコンの電源ボタンを押すとカバンを下に置きまだ暗い画面に映る自分を見る。
自身の胸に触れる。荒い息遣いに反応して鼓動が早まっているのか、衝動が早めているのか、どちらにしろ原因はおなじだ。
「…………凄い」
久し振りだ。あんなにも驚いたのは。感化されたと言ったほうが正しいのか?
智秋の歌声に一瞬にして呑まれた。一瞬にして見る世界が変わった。聞く音は全て彼女の声の為に集中された。
あれがプロなのか!? 踊りも、歌も、別人なんかじゃない。確かに智秋だった。
でも、あれは歌の世界に立った智秋。まるでその世界の住人かのように自然で、でも周りに魅せるように魅力をばら撒いて。
見惚れた。聴きほれた。
やっと起動した画面に映るソフト。直接打ち込まれる歌詞と楽譜。
もしも一瞬にして空間を奪う程の衝動を落とし込むことができれば。
画面の先にいる誰かを物珍しさではない。言葉をも奪うほどに釘付ける曲を作ることができれば!
だけどどうやって奪う? 歌詞自体は思いつく。問題は楽譜、演奏の方だ。それと歌声。
自論ではあるが言葉が漏れるのは歌詞に惹かれたとき。言葉を失うのは音に惹かれたとき。
先程学校で体験した事を脳内で再生する。
沢山の歌があの場所にあった。なのに声だけであの場を飲み込んだ。違いは硬さ。柔らかい、ではない自然さ。
では自然さ、とは何か?
世界観に従う? 自然じゃない。“曲に合わせた歌“だけ。
なら自然とは何か。どうやって。
【不確定】
これが自然さの正体。
音楽と言うものは楽譜と言うものに縛られている。音階も、強さも、そして言葉も。
なら縛られてないのはどこか?
【感情】
これだけは縛られていないのだ。
感情を乗せる。その力は偉大だ。人というのは感情論に生きる。世論も、法律も、その全てが感情からきているもの。
あのときの智秋は哀と愛の感情を込めていた。本意かどうかわからないがそう感じた。そういう俺の感情。
そうでなければ【感化】と言う言葉は使われない。
それは縛られている言葉や音階には宿らない。
【歌声】に宿る。
これだけは確定していないからだ。だからこそ歌う人によって感じる感情は変わる。
不確定だからこそわからない。だからこそ言葉が出ない。
前の俺なら絶対にありえない歌だった。
だが
どんな感情か。孤独ぼっちの世界に取り残される悲観。ただ電子音にすがって生きてきた。でも孤独ではなかった。合成音声達の声はいつもヘッドフォンを満たしていた。でも今は俺一人の声しか耳に届かない。
好きだった声も、姿も、無くなった。本物の孤独。
乃至を知るものはいても俺を知るものはいない。そう考えると、認めてくれなかった人が沢山いた前の世界にも
少しは寂しい感情も覚える。
自論。