石に花は象りを
「やっほー!」
その言葉とともにカチリと音が鳴る。たぶん、いつも通り透が灯りをつけたのだろう。とさりと目の前で音がして、両手を中空へ差し出せばそっとその手をやさしく取られる。
「おかえり」
「うん、ただいま」
自分の頬へ私の両の手を持って行き、じゃれつくようにすり寄って来る。ふにふにとしたほっぺたが気持ちいい。
そうして頬から始まり、上へ動かし耳骨、こめかみ、髪の毛の生え際、さらさらの髪の毛に手を通して、頬へ戻り、いつものように断りを入れてから、唇に。すこし乾燥しているみたいだから、あとでリップクリームを勧めよう。そこから鼻の隆起、目元の僅かな窪み、閉じた瞼の暖かさ、眉の凛々しさに、そっと息をつく。
「うん、今日も元気みたいだね」
「元気だよー」
そんな言葉を一言二言交わして、また、両手で頬を包むように輪郭を今度は下へたどる。首の血管を指先で感じながら、学生服のシャツの襟に肌への接触を阻まれ、そのまま肩を撫で、上腕に至ったところで。
「夏服?」
「今日から衣替えだったんだ。絶対じゃないけどね」
透の注釈は、なるほど、あの雄英らしいと納得するしかない。 生徒の思想を尊重し、その在り方を肯定する、それが己が背負う看板に何を齎すのか。それを考えさせる。だから、衣替えというのもある種の区切りでしかなく、肌を晒すことを苦手とする人はそのまま長袖を着ているのだろう。そういうところに透が入って、本当に良かったと思う。
シャツと肌のあわいに到着したところで、そのまま私は手を彼女から離した。
「いつも来てくれてありがとう、透」
「私が来たいから来てるんだよ」
「……うん、そうだった」
くすくすと二人で笑う。
「それで、今日は何を作ってたの?」
「今日は、とある人の彫像。頭から爪先までの大きなやつ」
ここは、私の造形工房。仕事場。盲目の自分が何を出来るのか考えた時、ここに行き着いた。────というのは表向きで、私にとっては、彼女と自分の秘密基地だ。
石で出来た地下アトリエ。空調を入れなければ夏は暑く、冬は寒い。あまりにも人間がいる環境としては適していないのは明白だけれど、私にとってこの素材は命綱なのだ。
「そっかぁ。見たら……いけないね」
「顧客の情報は守らないといけないから」
透は私の作品をとても愛してくれる。
私の"個性"でつくられる石細工たちを。
「あぁ、でもね、この間連れて行ってくれたうさぎパークのうさぎさんの置物なら、出来上がったから」
「見る! 見たい!」
半ば食い気味に言葉を出す透に、私は笑いながら、じゃあちょっと待ってて、と立ち上がる。随分昔は、こうした少しの移動も助けてくれようとした彼女だけど、今はもう手放しで待っていてくれる。それは、彼女が私を理解してくれているからの行い。
そう、たとえ視覚がなくともわかる。
やろうと思えば石で覆われたこの部屋の中なら、誰よりも世界を知覚できる。
棚に触れ、影に置いていたせいかひんやりとつめたい手のひら大のそれを数個手に取り、重みをしっかりと両手で胸に預け、来た道を戻る。
「はい」
実物のうさぎをそのまま作ってしまうととても重いし場所を取るので、サイズを小さく、中は強度を損なわない程度に中空に。そして一匹だと寂しいと思ってしまって、ころころと仲間を作ってしまった。パークにいた彼らは、みんな仲が良さそうだったから。
「わっ、かわいい!」
透の声を聞きながら、片手で椅子の背凭れに触れ、座る。
可愛い声。あたたかい陽差しを思わせる声。素直に想いを伝えてくれる彼女のそれが、私はとても好きだ。
「すごいなぁ。本当に生きてるみたい」
「それが私の個性だからね」
「それは石を操れるってだけで、製作はセンスと努力でしょ!」
────"石模"。
それが、家族が私につけてくれた"個性"の名前。
生まれた時から、私は目が見えないらしい。
らしい、というのは、そもそも『目が見える』という現象がよくわからないからだ。
そんな私を両親は根気よく育ててくれて、そして、こんな素敵な幼馴染に出会わせてくれた世界に、私はとても感謝している。大袈裟だと思われるかもしれないけれど、世界が狭いということは、そういうことでもあると思う。小さなことに感動し、身近なものに依存する。
私は、きっと誰よりも透の姿を知っている。透明という、誰にも見えない概念個性をまとう彼女だとしてもそれは私には元より関係のないこと。そこにいて、温度を持っていて、形がある。ならば、それは私の世界には確かに存在していることが知覚できる。
やわらかな頬を知っている。
風の音のような髪の毛にふれたことがある。
うなじの裏に小さくふっくりとした黒子があることなんて、きっと私しか知らない。
その小さな優越感が大半を占めて、私の世界は構築をされている。
透が学校へ行っている間、私は仕事をする。それは自分の作品であったり、頼まれたものであったり。様々だけれど、石を触っているということに変わりはない。
自分の作品を褒められることは純粋に嬉しい。たまにさわれる個展を開いて、おなじような方からメッセージを頂いたりもする。そういう時、本当に良かったなと思うのだ。
ふ、とため息をついて、実物から1/10スケールの人物立像を作ってくれという依頼に一区切りを入れる。まれに死体を担ぎ込まれることもあるけれど(急死した人物があまりにも忘れがたいという依頼だった)、今回はそんなこともなく、生きている人が工房に姿を現してくれたので大変捗っている。
ヒーロー。そう呼ばれる人だそうで、下着のみの姿で数度全体を触り、その上からスーツを着た状態でもう何度か。そうして、お話をさせていただきどういった方なのか、どのような立像が欲しいのか。
メールで頂いていた内容によると依頼人の方とその来てくださった方は別人で、ヒーローのファンである男の子の保護者の方から頼まれたのだとか(最近は私のように目が見えなくても機械端末を介した文字によるコミュニケーションがとれるのだから、技術の進歩には感謝するばかりだ)。
私と同じように目が見えないその子は、たまたまラジオから聴こえてきた声に、勇気をもらい手術の決断をした。そうして保護者から感謝を伝えられ、いたく感動したヒーローはたまたまテレビで個展のニュースを見て、『依頼で人物像を作る人間』──つまり私を知ったのだと。そうして彼の保護者にコンタクトを取り、ここに至るらしい。あまり得意ではないけれど、メディアには露出してみるものだなとぼんやり思った。
そういうえば、随分前に、(おそらく)重量が変わらないのに話している最中に体積が増減した人がいた。声も心なしか変わっていたけれど、あの人は一体どういう人だったのだろう。そういう"個性"だったのだろうか。バンプアップ的な。
まぁいいか、と緩んだ気を引き締め、再度指先に集中する。まず、素体の動きを作って、その上からヒーロースーツを被せる。風を操る"個性"を持つその人は、外套を翻し空を舞うと聞いた。触らせてもらった軽いマントはしかし生地がしっかりしており、有事の際はそのマントで要救助者をくるんだり、空からの目印としたり、いろいろ使用用途があるらしい。ヒーローのマントというものがどういう意図なのか、恥ずかしながらそこで知った。
とにかく、触って、楽しいものを。格好いいものを。
石という素材の性質上、印象としては冷たいものになりがちだ。しかしそうではいけない。ヒーローは市民に安寧を与える。特に、その男の子にとっては誰よりもどんなものよりも希望の象徴だろう。あるいは……神様かもしれない。
自分の道の先にいるのか、自分が見上げる先にいるのか。
似ているようで随分と違うこの辺りは、もう、保護者の方とヒーローから伝え聞いた人物像と声音から判断し、己で決定するしかない。己と関わったことのない人間の声を聞いて、今まで受け入れていた不安を跳ね除ける。
「────うん」
安定感のある声。語り。聴かせてもらった"個性"の音。
ヒーローであろうとする人間の肉体。安心を伝播させる衣装。
私が受け取った世界の形は。
「……」
「あ、起きた?」
どうやら作業場で眠ってしまっていたようで、意識が浮上した時には傍に透がいた。もうそんな時間らしい。
「起き……た、と、思う。たぶん」
人間一人の像を作るのは、とても疲れることだ。人生を、思想を、在り方を。それはある種、人間をつくる行いなのかもしれないと、たまに思う。もちろん生命を産み出すということではなく。そんな大それたことではなく。
「はい、いつもの」
声をかけられて、手を差し出せばころんと1.5cmぐらいものが掌に。そのまま口に含めば、じわりと頭に響く甘さ。部屋に常備している固形蜂蜜だ。
「仕事に没頭するのもいいけど、自分の体も大切にしないと私、怒るよ」
「……うん、ごめんなさい」
大切にしていないわけではないのだけれど、しかしこれは透にとっては大切にしていないことになる。大切な人が、私を大切にしてくれと私に頼んでくる。それは、幸福というのだろう。
「透、いつもありがとう」
「もー、またそれ! 私が来たいから来てるんだよ」
そう笑ってくれるあなたが、本当に愛おしい。
「ただいまー」
学校帰り、元気な足音が入ってくる。だけど今日は平均より歩幅が小さめだ。趣味の石細工から手を離し、そっとウェットティッシュで拭う。すっと、両手を構えると、いつも通り目の前に座ってくれた透はその手を取りつつも直ぐにはいつものようにしてくれなかった。しかしそれも、コンマ2秒とかその辺りだろう。
「何かあった?」
案の定、触れた肌が、いつもと少し違う。
すこし引きつった筋肉。強張った顔。触れた肌の冷たさ。
そう、透はポーカーフェイスが下手なのだ。
「……お見通しだねぇ」
透のことなら何でもわかる、とは流石に他人である以上言えないけれど(そもそも自分のことも完全にわかっているとは言い難いのが現状だろう)、大概のことはわかりたいと思っている。それが受容できなくとも、理解はしたい。
「ちょっとさ、凹むことがあって」
それを皮切りに、ぽつぽつとゆっくり、透は話し始めてくれた。
曰く、体育祭とやらで活躍ができなかった、と。
「騎馬戦で透明人間が騎手になって存在感を隠すっていうの結構いい案だと思ったんだけど、こすーっと誰かに取られちゃってそのまんま」
ぽすん、と肩に頭らしきものが預けられる。そっと手を伸ばしてみると、さらさらと指通りのいい髪の毛が落ちて行く。落ち込んでいる透。すこし可愛いと思う自分がいる。肩に預けられた頭に、首を傾げて自分のを少し重量をかけてみる。ぐりぐり。
「透はさー、そういうところを伸ばしていけばいいと思うよ」
「そういうー?」
「誰にも知られないことを、ね」
騎馬の人が邪魔だったとは思わない。機動性があって何ぼのものなのだろう。だけどいわゆる目が見える人たちは、『見える』ものに固執する。いや、固執しているわけではないのだろう。私からはそう見えるというだけで。
「だから、どんな体勢かを見破られないように、どんな体勢からでも音なく着地ができるしなかやさを持てるように、どんな地面でも耐えられる分厚い足の裏の皮になるように」
徹底的に己の存在を殺すことに長けたらいい。というより、そうするべきなのだと思う。
「それでも私は透がわかるし、透のことを見つけるから」
「なぁに、それ。遠回しに透明人間失格じゃん……」
脇腹を小突いてくる透は、それでもすこしだけ楽しそうに笑う。
「駄目かなぁ」
見つけられることはアイデンティティの崩壊であり、
見つけられないことは自己の認識の崩壊となる。
二律背反。
ならばそれを私は支えよう。彼女の自己認識を。
元々、彼女の"透明である"という個性は私の前では無意味なのだから、他の人に見つけられないようにとこれからを切磋琢磨していくのであれば、私は必ず彼女を見つけよう。
「ううん、それがいいな」
それでいいよ、ではなく、それがいいな。耳聡く思われるかもしれないけれど、ここには透と私しかいないのだから、まぁそれでもいいだろう。うん。
そうして、すこし月日が経ち、七月も下旬に差し掛かった。
空調をかけ損ねていたせいで汗が滴ってしまった石から指を離す。そのまま両手を絡ませ上にやり、すこし体を伸ばした。どうにもこうにも明らかに肩が凝ってる。自分の携帯端末に話しかければ、時刻とメールの有無を答えてくれた。時刻は夕方。メールはゼロ件。
「透、どうしちゃったのかな」
ぽつり、独り言がこぼれる。
透が林間合宿に行くというのは、もちろん知っている。クラスのみんなとお買い物に行くんだと楽しそうに話してくれて、どんなものを買ったのか私の手を取って触らせてくれたのは二~三週間ほど前の日曜日だ。山に行くからとすこし良い靴を買って、にこにこしていた。
それで、今週、三泊四日の林間合宿に行って、帰ってくる。
その帰宅の予定を超えているのに、お土産話楽しみにしててねと言ったのに、透の足音は未だこの家に鳴りひびかない。電話をかけても留守番電話。この留守番電話の音声が、いつか電源が切れてかからなくなって、果てはそのまま。
その思考にかぶりを振る。それは、今までの日々を疑う行為だ。
私から離れるんだとしても、それが彼女の能動的な行動であるのならば挨拶ぐらいは、きっとしてくれる。そんなことわかってる。じゃあ、それなら、能動的ではない行動ならば?
────たとえば、事故とか。
そっと背筋が寒くなる。そうだ。彼女は透明だ。ヒーローになるための学校。そこで訓練をするというのだから彼女は服を脱いで訓練に勤しんで然るべきで。その状態で崖崩れとかに巻き込まれたら……。誰にも彼女がわからないのでは?
自分の勝手な想像にぞっとするだなんて馬鹿げているけれど、馬鹿馬鹿しいと放り捨てられるほどピースが揃っていないわけじゃない。私は透の家族だけれど、肉親じゃない。連絡は来ない。当たり前だ。
真夏の工房だというのに、末端から徐々に冷えて行く。
そこに、足音が一人分。母屋からこちらへ向かってくる。透じゃない。それは確実。けれど私はこのリズムを知っている。椅子から立ち上がり、階段を昇って玄関へ。該当の人がドアベルを鳴らす前に私は扉を開けた。そこには人らしきものがひとつ。ぽかんと立っている。
「透の、お母さん……ですか?」
「えぇ、そう。よくわかりますね」
「何度か、聴いているので」
違う。そんな世間話をしに来たのではないだろう。
ざわざわと予感が背骨を締め上げる。痛い。
「透が、林間学校で」
りんかんがっこう、で。
「ヴィランの襲撃にやられ、昏睡状態に陥りました」
そこから、なんて返答したのか、どうやって工房へ戻ったのか、記憶が怪しい。
とにかく、作らなければならないと思った。完成させなければと。
10年前からずぅっと、作っては壊しを繰り返し続けた石像を。
だってモデルが成長するんだ。仕方ない。だけど、駄目だ。それじゃ駄目なんだ。
じゃれついてくるようなやわらかな曲線の頬。抵抗のない髪の毛。眼球が向こう側にある閉じた瞼。ほっそりとした首筋に、うなじのほくろ。やさしく名前を呼んでくれるあの子の唇。華奢な肩に、最近筋肉がつき始めた上腕。そうして、そっと、どこか問いかけるような指先。
石へ手を伸ばし、ありったけの素材を使って、ありったけの記憶を辿って、私はそうするしかなかった。そうすることしか出来なかった。
────彼女を、この世に留めておけるのならば、石人形が供物になればいいのにと。
そう
「やっほー……ってあれ、珍しい。おっきなやつが置いてある」
あれから、透は無事に目が覚めて、こうしてまた顔を見せてくれるようになった。けれど八月の中旬、雄英は急遽全寮制となり、彼女は私の隣の家を出て行く。全寮制で雄英に居続けることでご家族と色々あったみたいで、日に何度も話し合いからここに来た透の話を聞いていた。
もちろん、私だって反対だと言いたかったけれど。ヒーローになって、いろんなひとを助けるんだと、自分の夢を語ってくれた日々のことを知っている私がそれをしてはいけないと心に決めていたから。だから、みっともないところを見せないで済んだ。幼馴染の虚勢を張り切れた。
今日は、それまでの猶予期間の一日だ。
「あぁ、それ? ずっと作ってるやつなんだけど、そろそろ表に出してもいいかなって」
10年間作り続けて、完成していなかった石像。この間、一度だけ完成した石像。まぁ結局、どうしてか自壊してしまったから、いま透が気がついたのはそれをまた捏ね直して作ったものだ。何度作っても、飽きることなんてない。
自分とおなじ身長だろう石像に触れ、へぇ、と声が漏れ聞こえる。
「そうなんだ。見たことない人だけど、依頼じゃないんだね」
「うん。私が勝手に作ってるだけのものだから。いつもの趣味のやつ」
「……あ、もしかして、こういう人が好みとか? 空想も作れないわけじゃないし」
透のその言葉に、すこし、胸がじくりと疼く。
好み。そう、そうかもしれない。でもそんなことはお首にも出さず。
「さぁ、どうだろう」
なんて返してみた。
「あ、教えてくれないんだー。ちぇー」
不貞腐れたようなかわいい声を出す透を宥めて、「そうだ今日はすこしいいお菓子をもらったから紅茶でも飲みに食卓へ行こうか」と口に出せば「それほんと?!」と私の手を取って歩き出す。嘘じゃないけど、嘘だっていったらどんな声を出すんだろう。気になって、気にするだけに留めておく。私とても偉い。"
透に引っ張られながら、工房へ残された石像に想いを馳せる。
彼女は知らない。
否、誰にもわからない。
あの石像が誰なのか。誰を象ったものなのか。
世界でただ一人、私を除いて。
「────ねぇ、透」
明暗という概念も知らない私だけれど、きっと透は、光の色をしているのだと、そう思うのだ。
「大好きだよ」
「えっ。なにいきなり! 私も大好きだよ!」