[終了]葉隠透オリ主短編集   作:高鹿

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▽男性・"個性"研究者/高校時代/研究者と被験者
透明に触れたるや


透明、とは何か。

まずその定義から始めなければならない。

 

簡単に表現するのであれば、『光がその物質に遮られず、向こう側がよく透き通って見えること』とでも言うのだろうか。それでいうのであれば、光の屈折もなく・本体の影もなく・本体だけであれば何を遮ることもない彼女はたしかに、透明と言うのだろう。

 

────葉隠透。

 

それが、今現在の私の研究対象だ。

 

 

 

 

「こんにちは。今日も透明だね」

「こんにちは、先生」

 

高校の制服を着て、彼女は挨拶をしてくれる。

彼女が通う雄英高校から電車で一本のところにある大学病院。そこで私は"個性"が起因となる治療の困難さをテーマとして研究をしていた。"個性"が原因で適切な治療が受けられない人は、この"個性"社会ではごく当たり前に、何処ででも起きている。つまり主要な社会問題として取り上げられるべきなのだが、今のところそういった気配はない。当たり前だ。その適切な治療をする医者の手が足りておらず、また、そもそも個人の個性がなんであるかという研究さえ遅々として進んでいないのが現状なのだから。

 

"個性"がなんであるのか。それは、炎を出す、風を起こす、六本腕がある、羽根が生えている。そういった言葉で表現される。それは確かに"個性"を表現する言葉ではあるのだろう。否定はしない。しかし結果であるだけで、体内で何が起きているのかは表現をしていないことに着目をしてほしい。

炎を起こすという個性にも種類があり、人間の体内で灼熱を起こすのか、それとも皮膚の表面が原理としては火打ち石となり気化する汗が燃焼源となるのか、様々だ。また、今では前時代で概念的な言葉となった五体満足という単語の本来の意味から逸脱した、それらとは異なる人体を持つ人々(ここではわかりやすさを優先し、以後異形型個性と呼称する)は、当たり前だが人体構造が大多数の人間と異なっている。そうした人々は怪我をした時、筋肉・神経・血管などがおおよそ教科書にある人体とは別の場所にあり、処置が遅れ、結果として命を落としたという話も、少なくはない。

 

その点で言うのであれば、目の前にいる彼女はその最たるものだと、私は思う。

 

「さて、それじゃあ今日はどうするの?」

 

あるニュースで流れた彼女の姿は明らかに他者と異なり、そしてそれは医療従事者に衝撃を走らせた。完全なる透明。それは、一体どのようにして治療をすればいいのか。血液は見えるのか、皮膚をメスで切った時に内臓は見えるのか。もし救急車で自らがいる病院へ運ばれて来た際に、治療を拒んでもよいのか。そういったことを言外に迫る事件だった。

 

「あぁ、今回はね」

 

そうして、私たちの対話は今日も始まる。

 

 

 

 

◆ケース1

 

「先月はありがとう」

「うん」

 

研究室にある冷蔵庫から、一つのシャーレを取り出す。外気温との差で曇ったガラスを開くと、そこには何もなかった。否、何もないように見えた。

 

「これは前に君から提供いただいた血液サンプルから細胞を培養したものだ」

「触っていいの?」

「もちろん」

 

そっとシャーレを渡すと、不思議そうな顔でその中へ指を入れる。シャーレ内の底につく前に指は止まり、そこに"何か"があることを物理的に示している。

いま葉隠さんが持っているシャーレに入っているものは培養したもののの一部であり、それを触っても特に問題はない。透明なものを培養する、それは想像以上に骨の折れる作業だった。そもそも癌細胞に比べ正常細胞は培養自体が難しいものであることは誰もが知っていることだろう。それでも私はやらなければならなかった。

 

「透明だ」

「あぁ。文句のつけようがないほどに透明だね」

 

採取した血液も透明だったことから、おそらく臓器も透明であろうと言う推測が立てられる。そもそも口を開いた時、彼女の口腔内は目に映らない。食べ物を食べる際は、空中で物が噛みちぎられ、恐らく喉と思われる部分で存在が視界から消失する。

 

「これで一つ否定ができるのは、君と言う存在が生命エネルギーを行使して"透明"という状態を維持しているわけではない、ということだね」

「……えっと」

「個性はパッシヴであり、オンオフが出来る類のものではない、と言えばいいのかな」

 

まぁそれは血液を採取した段階である程度わかっていたことではあるのだけれど。

 

「あー、やっぱりそうなんだ」

「個性のスイッチを本人が自覚できていないことも他の事例ではあったからね。君には感覚的にわかっていた話かもしれないけれど」

「ううん、実験での切り分けは大事だよ。私も学校の化学の実験でノートにきっちり分けてるもん」

 

こういう時、この人はやはりあの偏差値79前後を維持する国立雄英高校の生徒だと改めて感じる。一つ一つ丁寧に可能性を潰していく。それを嫌がる人は、まぁわりといたりする。それこそ血液をサンプルとして差し出すというのも、実験動物であるという雰囲気が出てしまい、抵抗感が起きるというのも無理からぬ話ではある。しかしモルモットでない人間などこの世にいるのだろうか。社会に生きているだけで誰も彼も経済学のモルモットだ。

 

「じゃあ、先生が前に言ってた『反射できない物質である』っていう可能性は否定されないんだね」

「うん」

 

そう、葉隠透が見えない理由、ということに大雑把な仮説を三つほど出したことがある。そのうちの一つが、今の発言内容だ。

 

「物質とは光を反射することによって色がつく、というのは小学生か中学生でやっている話だろうけれど、それを考えると『光を反射しないものに色はつかない』というのと同義だ」

「吸収、じゃないよね。私、真っ黒じゃないし」

「その通り。光……厳密に言えば赤外線などで姿を確認できるから可視光、それを吸収するならば君は真っ黒でなければならない。こんな風にね」

 

机の引き出しから文鎮のようなものを引っ張り出し、彼女が持っていたシャーレと交換をした。真っ黒なそれは光を反射しないばかりに立体感は失われ、平面がそこにあるように見える。重さだけが確かなものとなってしまっているのだ。

 

「えっ、な、なに、これ」

 

随分と昔に米国で光を99%以上吸収をする物質が開発をされ、当時はかなり話題にもなったし色々と権利の独占などあったせいで高価であったようだけれど、今はそれなりに容易に手に入るようになっている。

 

「ベンタブラックブロック。面白いよね」

「自分が何を……どんな形のものを持ってるのかすら分からないんだけど」

「光を反射しないからね」

 

そう、光を反射せずに吸収をする。それは眼球に届くものがないということ。

 

「だけど君は真っ黒じゃない。だから、少なくとも吸収はしていない。培養した皮膚だってこの通りだ。研究者によっては、君の身柄に億単位の金をつけるだろうね」

 

月に一回のこの対話には謝礼を出しているとはいえ、それ以上を出して引き抜かれることも一応考慮はしている。義理と人情を大切にしてくれるだろうヒーロー志望がお金だけで先約を切るとは思わないが、一応、心構えはしておくものだ。

 

「……せんせー、ちょっと目が笑ってないよ」

「あぁ、申し訳ない」

 

いけないいけない。まだ存在もしない研究者に敵愾心を燃やしても生産性のないこと。今回の研究内容を考えると、対象者に怯えられてはいけないだろう。

 

「だけど貰ったサンプルからいろいろ分かったことに、君の身体は特に人体構造から逸脱はしていなかった。質感も、細胞の中身も、透明であるということ以外に特異性が見当たらなかった。MRIの撮影結果を見ても、特殊な器官が作られているようには見えない。その辺りを考えないとまだ結論は下せないだろうね」

 

PCに映し出したノートへ所見を書き込んでいく。これまでに何十枚と書いたけれど、未だに彼女の個性がどのようなものなのか。私には分からなかった。

 

「あれ、それなら光学迷彩路線は否定出来たりするの?」

「それもまだ決定づけられない。次はその話をしようか。今日はもう時間だから」

「えー、来月までお預け?」

「学生の時間を月に何度も貰うわけにはいかないからなぁ」

 

学校を通して彼女のご両親にコンタクトを取り、透がいいなら、と承諾をくれた彼らが出した条件は、彼女の意に反することはしない・生命倫理に則る・必要以上に傷をつけない・サンプルを摂取しないなど多岐に渡るけれど、その中でも物理的にこちらの行動を制限してくるのが月に一回という縛りだ。

話を聞くところによると、雄英高校ヒーロー科は他の科とは異なり一日で四十五分授業を七限目まで行なっているらしく、16時までは確実に学校に拘束される。そこから30分ほどかけてこちらに来て、ストレートにことが運んだとしても到着は17時前。ここでいろいろなことを試したり話したりして、軽く1時間。そこから文房具を買うなどで買い物をしたら寮に帰るのは19時を越える日もあるだろう。土曜や日曜は予定を入れることも多いらしく、平日にするとなるとこうなってしまう。私が車で送ろうにも最近はそういうことに煩く、あまりいい顔をされなかったので諦めた。

 

まぁ長々と語ってしまったけれど、とにかく、時間がない。という一言に尽きる話だ。

 

「先生と話すの楽しいけど、宿題もあるししょうがないかぁ」

 

それでも彼女は私との話を楽しみにしてくれている。だからこそ、この2時間に満たないなかで情報の純度を上げつつもわかりやすく説明しようと考えるのだけれど、それは自分の考えをまとめるのにも一役買ってくれている。どこからどう考えても、彼女には感謝しかない。

 

二人で帰り支度をし、研究室を出て、駅まで歩いていく。流石に夜道を女子高生一人で歩かせるわけにはいかないと言った結果、ここがお互いの妥協点だった。

 

「そういえばね、今日は担任の先生にしてやられたんだー」

 

他愛ない話をしながら帰路につく。彼女が語る高校生活は自分がもう遥か昔に置いて来たもの。彼女が通っている雄英高校は尖ったカリキュラムを実施していることも多く、面白い話が多い。とはいえそれはカリキュラムだけの問題だけじゃなく、日常の受け取り方に彩りがあるということの方が重要だと私は思う。無彩色にしようと思えば、いくらでもできるのだから。

 

近づいて来る駅の光。私の路線はまた別のところにあるから、改札の前でお別れだ。

 

「それじゃ、またね、先生」

「夜道を気を付けて」

「はーい」

 

改札に吸い込まれ、雑踏に消えていく透明人間。頭部部分が見えないせいで、他の人よりも飛び抜けて外見上の身長が低く、見失うのも早い。さて、それじゃあ私も帰ろうか。

 

 

 

 

◆ケース2

 

「せんせー、今日は光学迷彩の話とかしてくれるんだよね!」

 

入って来るなりそう切り出して来た彼女に、私は嗜めるよりも前に笑いを零してしまった。入るときにはノックをしなさいとか、そういったことを言うべきなのだろうけれど、それよりも彼女が今日の話を楽しみにしてくれていたのがありありとわかる登場で、それがとても嬉しかったのだ。

 

「えっ、笑うところあった!?」

「いやいや、今日も元気だなと思っただけさ。それじゃ、今日はその線で話を進めてみよう」

 

対面の椅子を手で勧め、私はそう切り出した。

 

「とはいえ、光学迷彩といってもいろいろあってね」

「あ、そうなんだ」

「簡単に言うと二通りあると言われているんだ」

「あ、割と少ない?」

「さて、それじゃあ一つ一つ紐解いていこう」

 

予め待機させていたホワイトボードに近付き、ボードマーカーを手に私は彼女に笑いかける。

 

「まず一つ目、いわゆるカメレオン型」

 

きゅっと丸を描き、周りを斜線で囲う。その後に、丸の中にも斜線を。

 

「周りの色に合わせるって言うやつだね」

「そう、周囲の色を認識し、合わせていく。それにより外敵に捕捉されにくくなり、生命を維持することに長けている。仮にこれならば、恐ろしいほどの演算がなされていると思われる」

 

服の色に左右されず、空間の揺らぎもない、完全なる透明。それを人間の体内で起きていると言うのはあまりに荒唐無稽にすぎるけれど、この"個性"社会でそんなことは言っていられない。けれど、周囲の色と同化する、という意味ではこちらはすこし考えにくい。

 

「二つ目は、光の屈折を操る方法。透過・回折とも言われる方法だ」

 

この説明は図を三つ。

二つの並行した縦線をえがき、そこに斜めに入射し貫通する矢印を添える。

その横に、一つの縦線、斜めの入射する線をその表面で止め、描いた線を辿るように戻る。

またその横に、今度は立方体を描き、その表面をなぞり反対側へ抜けていく入射を描く。

 

「さて、これらは何を意味するだろう」

 

マーカーにキャップをはめ、振り返ると懸命にボードを見ている姿が目に映る。いや、これは彼女は透明で見えないのだから不適切な表現かもしれないが。

 

「えっと、最初のは完全に光を透過してる図で、次のは光が光の方向に返っていってて、最後のが回折ってやつ……?」

「全て正解。じゃあ解説していこう。……あ、そういう冗談ではなく」

 

うっかり駄洒落になってしまってそう注釈を入れたけれど、ぽかんとした一瞬後に笑われてしまい、あぁこれは言い損だったなと反省をする。

 

「ええい、もう喋るよ。笑っていて聞いていなかったとかは言わないでくれ」

「はいはーい」

 

涙を拭う仕草をする彼女が視界に入り、あぁやはり涙も透明で、浮くことなどないのかと頭の中のメモに殴り書いた。

 

「最初の図は先月言っていたこととほぼおなじ。光が反射せず、直接突き抜ける。反射するのはその向こうにある物質だけ。地面で反射した光は阻害されず目に至るってわけだ」

「あ、そっか。だからこの間の話で否定しなかったんだ」

「うん。そして次は光が再帰しているのを表した図だ。一見反射しているけれど、これじゃあ光は目に入らない。それと同時に物質の向こう側にあるものを表面に投影することによって迷彩が維持される」

 

光の入射反射だけではなく、体の表面に景色を映し出す。それが出来てこその光学迷彩と言える方法だ。もしかしたらその表面への投影は、他の物から反射した光を感じ取り映し出しているのかもしれない。結果としては最初の図と同じだけれど、過程が少し異なる。人体部分で止まっているのか否か。

 

「最後に描いたやつは、もう一つ図を追加しよう」

 

そう言ってから描きだしたのは、横は実線、縦は点線の、入射反射を勉強する際のスタンダードな十字線だ。そこから右下斜め方向に入射線を描き、縦と横の交点に触れたところで折り返す。『逆くの字』といえばわかりやすいだろうか。

 

「……先生、その図っておかしくない?」

「そう、指摘通り自然界的にはおかしいものを描いている」

 

光というのは入射した際、基本的に正の方向へ抜ける。図で言えば縦の点線より向こう側へ行くべきだ。

 

「少し前の研究で負の屈折率を持つ人工物が作られたんだけれど、それを、自然界の存在である君の体で起きている可能性がある、ということさ」

 

メタマテリアル。人間の手によって作られた物質。特に、自然界ではあり得ない挙動をするものを指すことが多い。

 

「結構、いろいろあるんだ。びっくりした。二種類って言ってたのに」

「大まかには二種類で間違いはないよ。個人的には屈折系統の後者二つよりも、一つ目が可能性としては高いと思っていた」

「過去形?」

 

襟の僅かなひしゃげ具合から、首を傾げたことがわかる。こうした些細な挙動を見逃さないようにしなければいけない。

 

「うん。例えば、君はご飯を食べた時に、その物質がまだ完全に溶けきっていないのにそれを透過させる。これは細胞自体が光を透過する場合には全て見えて然るべき反応だ」

「……たしかに!」

「けれど、光源再帰は同じことが起きるし、一番最後であれば口より体内へ入ったラインを超えた瞬間に見えなくなる筈だ、とも言える」

「うーん、それならやっぱり光学迷彩の線はないの?」

「とも言い切れない」

 

困ったように肩を竦めると目の前の彼女は、何でー、と抗議をするように自分の膝を叩き始める。

 

「今まで話していたのは、一つの体でこれらが複合せず、一つの現象のみが起きている、と仮定した上での話だからだよ」

「……」

 

そう、何も彼女は人工物じゃない。人間から十月十日で生み出されているのだから人工物だろうという詭弁は捨て置いて、その外見がどうであれ自然の摂理に反した存在ではないことだけは確かだ。だからこそ、一つの性質しか持たない・持てない、ということもないだろう。

 

「細胞というのはすべてのデータが一つに詰まっている、というのは聞いたことがあるだろう?」

「うん。中学校の頃に習ったよ」

「だが結果として皮膚に歯は生えてこないし、筋肉は露出しない。それは他の箇所のデータがロックされていて読み込めないからだ。そのロックを外し、別の箇所に書き換え培養した時、光の屈折に何が起きるのか。それを紐解くまでは、まだ結論としては早いだろうね」

「それって何ヶ月単位の話なんじゃ」

「おまけに君のはそもそもそのロックを外す作業からして恐ろしく成功率が低いんだよ。培養もうまく行くとは限らないし」

「えっ、やばそう」

「これが御察しの通りやばい」

 

そういったことが自分の専門であるわけではないので外注するしかないのだけれど、外注先から何度も「何だこれは」と言われたのは一度や二度じゃない。そうした中で、出所を教えろと言われたのも一度や二度じゃない。

 

「あ、そういえば、光学迷彩って言われて直ぐ思いつく、こう、空間を捻じ曲げたやつは? 私のイメージってそれだったんだけど」

「あぁ、いわゆるSF作品で描かれる空間歪曲も、今は光の回折の一つだと目されているね。物質の特性か、エネルギーを使用するかというだけで、数字的には現象として等しいと言われている」

 

何より空間歪曲の場合、恐ろしいほどのエネルギーを使うだろうから、彼女が生命エネルギーでそれを維持する場合は自然と多くの食物を摂取していているのが妥当だ。よって、回折の中でもこれは可能性として低いと思っていいだろう。

 

「さて、今日の話はここまでだ」

 

時計に目線を滑らせると、すでに18時を回りそうな気配がある。

 

「来月は、荒唐無稽な話をしようか」

 

白衣を脱ぐ代わりに上着に腕を通し、デスクトップの横に出していたノートPCを鞄に入れ、周囲を片付けて行く。

 

 

「……先生がそうまで言うのって珍しいね」

「まぁ、聞いてくれたらわかると思うよ」

 

どうあがいても検証すら出来ないものを、話そうと言うのだからそうと言いたくもなるだろう。それでも検証できないが故に一蹴することも出来ない。そんな話だ。

 

 

 

 

◆ケース3

 

「荒唐無稽な話をしよう」

 

再度、彼女の前で私は笑う。いつもなら葉隠さんが笑っているというのに、今回は全く反対だ。しかしこれが笑わないでいられるだろうか。というより、正気で話せるものなのだろうか。

 

「先月も先生それ言ってたけど、そんなに?」

「うん」

 

疑問を呈するのは大事なことだ。そういうことを言えるようになったからこそ、私もこの可能性を差し出すことができるとも言える。

 

「君の"個性"は、色に於いてのみ空間がズレているのかもしれない」

 

そう言葉を落とした瞬間の君の表情は、どんなものだったのか。

世界の誰も知らないのだろう。

 

「……空間が、ずれてる」

「あるいは、高次元の存在となっているか」

 

混乱していることを理解しつつも、それを横に避けたまま別の可能性を口にすると更に混乱した気配が伝わってくる。見えない頭の上に疑問符が飛んでいそうなほどだ。

 

「すまないすまない。噛み砕いた説明はここから始めよう」

「先生いじわるー」

「かもしれないなぁ」

 

そんな軽口を叩きながら、用意していた二枚の透明フィルムを取り出した。

ひとつは、輪郭線のみの正方形。

もうひとつは、その正方形の大きさで描かれたただの黄色。

重ね合わせると両者はぴたりとハマる。

 

「自分のような人間は、可視光に当たるとこうした形で姿が顕になる。実体としての三次元的な存在と、色という平面的な存在は乖離したりしない。ここまではいいかな」

「えーっと、うん。たぶん。完成したぬり絵みたいな、ってことだよね」

「そう」

 

頷きながら徐々にフィルムをずらしていき、最終的に輪郭線のみのフィルムと黄色が塗られたフィルムは完全に分離する。この説で言えば私たちが平素触れている彼女は、この輪郭線のフィルムのみなのではないか、と。

 

「だが君の体ではこういうことが起きているかもしれないってはなしさ」

「……それが空間のズレ、っていうの?」

「うん。だから、君の色はもしかしたらこの世に存在しているかもしれない、ということだね」

「私の、色が?」

 

また素直に首を傾げてくれるものだから、私も直ぐに応じる。

 

「そう。未だ私たちが認識をしていないだけであって、ずれた位相、あるいは高次元な場所に君の色は投影されているんじゃないか、と」

 

何度か検査のために触れさせてもらい培養などもさせてもらった彼女の肌は、物質の構成としては他の人間となんら変わりはなかった。反射をしない特殊な皮膚というわけでもなく、ただ単に、本当に、色だけがない、といった風情。

だからこそ直ぐに、ならば何故可視光を反射しないのか、ということに思い至る。そこで発想を逆転し、反射をしている光がどこかへ消えてしまっている、と考えることも不可能じゃない。いや、そこまでいうならば当たる光がないことになって結局真っ黒になるか。

 

「有るけど認識ができない、から、無いように見える……」

「あぁ、いま口に出したことを引っ張るけれど、似たような話として、ずらしているのは位相じゃなく、他人の認識って考えもあったけど、これは君のところの担任……イレイザーヘッドさんが止められないって段階で精神介入系ではないと判断をしてる」

 

他者に働きかけるものではなく、空間に働きをかけている。そっちの方が可能性としてはあり得るだろう。

 

「ねぇ、先生」

「うん?」

 

何かを考え込んでいた彼女は、ぱっと顔を上げ、問いかけてくる。

 

「それなら、私の個性は、鍛えれば自分の顔が見えたりするのかな」

「……」

「自分の"個性"なんだから、自分にぐらいはそのズレたものを見られるようになったりとか……は、ない、かなぁ」

 

なるほど。例えば空間1をこの現実と言われる空間とするのならば、空間2にあるものを同時に重ねて見られないこともないだろう。存在すると認識が出来たのなら、それも可能かもしれない。存在しないと確固たる認識をしていたら、見えるものも見えないだろう。

 

「って、どうやって鍛えるのかって話だし。やっぱり今の」

「いや、盲点だった。もしかしたらそういう未来もあるかもしれない」

 

己の"個性"であるのならば、もしかしたら今は個性が制御できていないだけ、ということもあるということだ。聞くところによると彼女のクラスメイトには己のパワーに振り回されている少年がいるらしい。それなら、己と"個性"をチューニングし、合わせていくことによって出会うことも、もしかしたら。

 

「もしそうなったら、君はどうする?」

「えっ?」

「自分に自分が見えるとしたら」

 

何気ない質問として投げかけたそれは、しかし、踏み込み過ぎていたと思う。他人のアイデンティティに土足で上がり込んだようなものだ。

よくよく考えれば当たり前な話に押し黙った彼女を前にして、ようやくそのことに思い至った。

 

「こわい、かも」

 

申し訳ないと口を開こうとしたところで、音が。

 

「だって17年だよ。誰も見たことないし、自分でも見たことないし……3Dとかで凹凸から身体データを作ろうって話もあったけど、何やかんやで断っちゃってたし」

 

彼女の細胞を培養して完全に見えないスーツを作ろうという話になった場合、そのデータは取ることになるだろうし、いずれはそういう話になることは明白だ。第二の皮膚である衣服は、それがただの綿であっても想像以上に人間を保護する。

それでも今はそういったものを作ることなく、身ひとつで学校に通い、ヒーローになろうとしてるというのは、そういうことも関係しているんだろう。何せ思春期だ。思うところがあってもおかしくはない。

 

「でも、もし見られるなら、見てみたい。それぐらいの強さを持ちたい」

 

そうしっかりと自分の言葉で言い切る彼女は、強い人だと思う。きっと学校や家で接してきた大人や友人が彼女の真ん中を支えているんだろう。

 

「うん、そうか」

「でも本当にそれが科学的に証明できたら、私のって身体系個性じゃなく、特殊異空間型個性の扱いになるんだろうし、役所への変更届けも考えないといけないよね」

 

うん、と頷いて両のこぶしをにぎる姿に、あぁこんな日々が続けばいいなと、研究者にあるまじきことを考えてしまった。彼女は巣立つ人間だというのに、愚かな話だ。

 

 

 

 

 

 

 

そうして季節は過ぎていき、ある冬の帰り道。

 

「ねぇ、先生」

「うん?」

 

下り坂の中腹、すこしだけ前へ出た彼女が振り向いた。街灯や家々の光に背後から照らされ、逆光気味で私を見る君は、いったいどんな表情をしているのだろう。

 

「少し前から考えてたんだけど、私が死んだ時は、この身体は先生にあげるね」

 

腕を広げにこやかな声で言われた言葉に反応ができず、立ち止まってしまう。

街灯のノイズがやたらと煩くきこえた。

 

「……なに、を」

「私はヒーローになるから、そういう可能性も他の人より高いもん」

「違う、そういう話ではなく」

「先生にはたくさん貰ったから。お返しだよ」

 

ざぁっと、強い夜風が吹いていき、私たちの間で完全に世界が停止する。

 

────たくさん貰った。

 

それが、金銭の授受についてではないことぐらいわかる。しかし彼女について私が調べ、可能性を切り捨て、一体身体で何が起きているのかを明かそうとして行く。それが、年端もいかない少女にそう言わせてしまうほどのものだったのだろうか。

私は自分の研究のために彼女について調べていたにすぎないと言うのに。

 

「私は生まれた時から透明人間で、いろんな人を困らせた。お母さんや、お父さんや、学校の先生、友だちとか、街にいる知らない人とかにも」

 

見えない手を重ね合わせ、己の胸に当てる。

いけない。これ以上は、いけない。成人に近くとも遠い学生の内面をこんな場所で、こんな人間に吐露するものではないと、そう、大人として声をあげるべきだというのに。どうしてだか喉が張り付いてか細い音すら出てくれない。

 

「でもね、先生は、自分でも知らなかった私の世界に踏み込んで教えてくれたんだ」

 

そんなことが、まるで尊いことのように。

宝物であるかのように。

 

「だから、私が死んで遺体が残った時は先生にあげる。大切にしてね」

 

私は、何か思い違いをしていたのかもしれない。

 

葉隠透は透明で、天真爛漫な少女だとそう錯覚していた。いいや、それは間違いではない。おそらく、彼女の一側面ではあるのだろう。だが、それは。

 

「先生。約束だよ」

 

 

 

 

葉隠透は、生命として、性質として、透明すぎた。

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