写し紙
光透き通るその身を
ファインダーを通して切り取る世界は、自分の眼球が写し取る現実よりもうつくしかったり、あるいは残酷だったり、切り取る瞬間・角度によってあらゆる表情を見せる。主体性をどこに持たせるのか。
光の角度を指示する。服の影が移り変わり、印象が変わっていく。ニットのやわらかな素材感が露わになりそれを切り取っていく。
モデルの肌の色は透けず、生地固有の色。まぁ今は夏だが、冬物の撮影ってのはこういう時期に行われるもんだ。
────インビジブルガール
完全無色彩の人間。物体がある以上、反射した色の波長によって色は生まれる。ガラスだって無彩色とはいかないというのに、胸から背中にかけての厚みがゆうに15cmは超えていようとも緑になるどころか、彼女はすべてを透過する。いや、すべての光は彼女を透過する、と言うべきだろうか。つまるところ、可視という限定的な条件のもとではあるが、地球に届く光・発生させることのできる光では今の人類に彼女を視覚的に捉えることは不可能ということ(個性によっては赤外線も可視光なんだろうが、まだそれはイレギュラーに分類をしてもいいだろう)。
そんな人間が、いまオレの目の前でとあるブランドの新作の服を着てポーズを取っている。最初にこの系統の仕事を打診したやつは最高に頭がいい。透明である彼女は誰にでもなれるが、誰も彼女にはなれず、彼女自体も誰にもなれない。矛盾している。
『服のみを見栄えさせる』という点で、彼女に勝るモデルはいないだろう(もちろん、モデルの方々がそういうったことだけで服を着ているわけじゃないと言うのは、重々承知していることだ)。
「ご機嫌ですねぇ」
床に座って写真を確認していると、よく仕事場がかぶるスタイリストが話しかけて来た。
「彼女を撮ってて楽しくない奴も……まぁいるだろうが、オレは最高に楽しいんですよ」
カメラは捉える。その肉感を。その存在を。透明だと言ったというのに矛盾だろうか。いいや、カメラならそれが出来るってだけだ。あいつは好き勝手動くタイプのモデルだ。じっとしてられんらしい。だが、それが、一瞬を切り取ることのできる機械ならではと言えんこともない。
「なーんの話、ですか!」
どん、と両肩に手をつかれる感覚。もう誰かなんてわかりきってるからカメラのモニターから目線は外さず答える。
「お前さんの写真を撮るのは楽しいって話だよ」
「やったー。いつもありがとうございます!」
おいおいおいおいおい、人の両肩に手をついたまま跳ねるな跳ねるな。
がくがくとぶれる視界の中、デジカメの液晶モニターにうつる写真のそいつは、たしかに笑っていた。
個人的には、インビジブルガールにはその名を脱いでもらい、本名である葉隠透であったり、もしくはまた別の芸名をつけるなりしてこちらの活動へ重きを、いやもっと言うのなら専念して欲しいとさえ考えている。あれほどまでに内から輝く人間を俺は知らない。
これからも撮りたいと思う。とびきりの機材で、とびきりの"表情"を。
とはいえ、ここしばらくは彼女が撮影に姿を見せることは今までの経験則からいって殆どないだろう。二足の草鞋をし、スケジュールが掴みにくい人間というのは、関わり合いが必須となる業界ではかなり忌避される。それでもそれを補って余りあるポテンシャルゆえに今でも仕事を得ているというわけだ。
つまり、ヒーローの動向というのは基本的に箝口令が敷かれる類のものである。いつ、誰が、どこで仕事をしているのか、していないのか。その情報は人によっては億単位で取引されるだろう。だから、インビジブルガールの仕事は一気に撮影をして、小出しにされている。定期的に現れたり現れないことによって、オレ達にもその不在を知らせない。徹底した情報管理。
個性からして、表舞台に立つ人間じゃない。一番誰かに見られているといえば、この仕事関連での話だ。表でなければ仕事に意味がないと、そんなことを言うつもりは毛頭ない。それは自分の仕事の否定でもあるし、そうでなくとも表に出ることを歓迎する人間ばかりでもないことを知っている。けれど、彼女は表舞台に立てる素質がある。それ一本で食っていくことも可能だろう。
「なぁンで、ヒーローなんだろうな」
雑誌に載った服飾モデルとしてのインビジブルガールの写真を見て、オレはそうひとりごちた。
「あ、カメラマンさん」
「お」
ある日、ぷらぷらと当て所もなく歩いていると街中でインビジブルガールに出会ってしまった。隣には男性がいて、明らかに非番中のデート。さすがに執心を自覚しているとはいえモデルの私生活に首を突っ込む趣味はないため、軽い会釈で通り過ぎる予定だったのだが。
「ちょうどよかった! ちょっと話したいことがあるんですけど」
「透、もうすぐ窓口閉まっちゃうよ」
「あっ」
そのやりとりに、あぁもうすぐ15時かとぼんやり理解する。
「すみません、私と10分ほど待っていて貰えませんか」
「あー、その」
面倒ごとは勘弁だと断ろうとして、いや、とそれを否定する。もしかしたら、インビジブルガールがヒーローを続けているのはこの人の助けがあってなんじゃないかと、そう思考する。つまり。
「そうですね、じゃあ待ってます」
インビジブルガールの方へそう言うと、やったー、と相変わらずのテンションで銀行の方へ向かっていった。しかしあの見た目は銀行の人を驚かせてたりしないんだろうか。
「ありがとうございます」
「いえいえ。あ、私は普段彼女を撮らせていただいているカメラマンの、こういうものです」
二人で壁際に移動してから、名刺を取り出し差し出すと受け取られ、相手のも返ってくる。会社員。あぁこれは本当に、そういう関係なのだろう。無防備すぎやしないかとも思うが、ヒーローも人間だ。そういうこともあって然るべきだろう。
「すみません、お時間頂いてしまって」
「いえ」
壁に凭れ掛かり、世間話を始める。 天気のこととか、軽い仕事の話とか、インビジブルガールの話とか。不意に、一瞬だけ沈黙が落ちる。さして珍しくもないそれだけれど、今の自分にとっては逃すまいと掴みたい沈黙だった。
「……あの」
「はい」
「初対面で不躾なことだとは思うので、答えることが難しければその旨をお伝え頂ければいいのですが」
そのオレの言葉に、相手が、どうぞ、と頷いてくれる。どうも慣れている様子だ。透明人間のパートナーということで、何かを聞かれることが多かったりするのかもしれない。
「その、自分のパートナーがああいう職業についているということは、もう受け入れていらっしゃるんですか」
そう、問いかけた。自分よりもずっと近くにいて、もしかしたら結婚すらしているのかもしれない。苗字は違ったけれど、夫婦別姓なんて珍しくもなく、また戸籍上の名前と仕事上の名前を別にしているということもわりとあったりする。何よりヒーローの伴侶とわかる情報が多ければ多いほど狙われやすくなるのだから。
「そう、ですね……」
下唇をすこしだけ噛む仕草が目に入る。職業上、他人のそういうことには目敏くなってしまった。10秒ほどの沈黙ののちに、深い呼吸が一つ。
「彼女は、この世界で善行とされることを為そうとしています」
「はい」
「善行を為そうとしている者を止める、というのはつまりこの話で言えば悪行に加担をしている、と私は考えています」
それは、極論ではないだろうか。たとえその考えが善行であろうとも、出来る力がなければただの理想論であり、それどころか他者の善行の邪魔にもなりうる。理想体現というのは、その内情として力なき者は目障りだろう世界だ。
「しかしですね、善行を為そうとしてもそれに見合った力がなければ他者に止められても仕方のないこと、でしょう」
相手の方は続けてそう仰った。そこまで言語化できている、ということは、見合った力があると認識しているということか。
「けれど彼女はあの、オールマイト崩壊時代の雄英高校生です」
そこまで言われて、ずぁっと記憶が呼び起こされる。あのオールマイトが引退するに至った事件を。ニュースを。人々が走る姿を。そして彼が受け持っていたと言われているクラス。
「────まさか、伝説の、58期A組」
一年でヒーローに至る第一関門の仮免を突破した人々。雄英卒業生だとはしっちゃいたが、まさかピンポイントでその学期生だとは思わなかった。
「えぇ。巷ではその名を冠して卒業をしています。そんな人を、私が止められる権利がありますかね。学校を卒業し、国から公式に免許を発行され、世間からの評判はお墨付きをもらうほどの力を持っているというのに」
力なき者は、他者から止められる。
つまり、それを為すことを可能だと思われる場合は止めることはできない。
止める者が止められる。
「心配かそうでないかであれば、それはもちろん、心配です」
苦笑がこぼされ、それはそうだろうと、頷いた。
「けれどそれは、私の感情であり、彼女がこれから助けられるであろう人たちより優先させて良いものではなく、また、自身としても優先させて欲しくはないと思っています」
それがこの人の信念であり、パートナーがヒーローである者の覚悟なのだろう。正直、浅く見積もっていた。己を恥じるしかない話だ。
「────いえ、誤解を恐れずにいうのであれば、それを優先させる彼女が現れた時、私はヒーローを狙う偽物だと疑い彼女を切ります。そうあってほしいという理想の話ではなく、彼女の身を守るために」
あぁ、この人は、既に覚悟を決め、それをとうに自己決定する範囲外においている。自分自身が揺るがすことすらも許さない。
ヒーローのプライベートなパートナーであること。それがどういったものなのか。それを精査し、対話をし、その上で、飲み込んだ。
「それと同時に、あのまま明るく、気高い心根であって欲しいという私の感情ももちろんありますけどね」
そうか。インビジブルガールは、ヒーローとして矜持を持っているからこそ、レンズ越しに覗いた時、あんなにも輝いている。インビジブルガールではない葉隠透が、同じ舞台であそこまで輝けるかと言ったら、それは、わからない。
彼女は彼女だからこそ今、うつくしい。
壁から背を離し、真っ直ぐに向き直る。
「……不躾なことを聞いてしまい、申し訳ありません。そしてありがとうございました」
オレも心を固めた。
彼女を、もちうる限りの技術で撮ろう。自分の腕が表現に追いつかないこともあるだろう。一瞬を撮り逃すことだって、あるだろう。それでも、世界で一番、インビジブルガールを撮るという場所には、自分が一番近い場所にいるはずだ。
「いや、そんな、謝らないでください。実を言うとこれは……弱音なので」
その言葉で、うっすら理解する。外から見れば、彼女はひっきりなしに仕事を貰ってくる人気モデルだ。その上で、うっかりそのことを知ってしまった人からはやっかまれることもあるだろう。もちろん、ご本人は気を置く必要のない相手以外へは知られることのないよう細心の注意を払われているのだろうが、パートナーが彼女だとこういう事態に陥ったりすることも少なくはないだろう。
「心中、お察しいたします……」
「いえ、私の弱音があなたの役に立てるのなら、嬉しいです。どうか恋人の方と仲良くしてください」
そこで、うん?、となる。これは、もしかして、ヒーローをパートナーに持つ人間からの助言として話して貰っていたのか?ちょっとまってくれ。オレはそんなつもりはなかったんだが。
「お待たせ! しました!」
「おかえり」
ちょうどいいところにインビジブルガールが戻ってきて、すこし空気が弛緩する。
「それで、話したいことって」
「あ、そうなんですよ。この間のことで……あ、時間があればちょっとお茶とかどうですか」
「えっ、いや、デート中の方々にそこまで関与するつもりは」
インビジブルガールの唐突な申し出に、ちらりとパートナーさんに助けを求めるつもりで視線を送ると、こちらの意に反してにこりと笑まれる。
「いやー、実はモデル業の彼女の仕事仲間の方に会ったことがなかったので、その辺の話を聞かせてもらえたら嬉しいですね」
そこまで聞いて、あぁ、なるほど。この人は本当に葉隠透透個人を好いていて、その上でインビジブルガールオタクなのだろうと何となく察する。
そしてお互いがお互いを見ていると信じて疑っていない。
その関係性に、めまいが起きそうだとも思いつつ、悪くないとも、思う。
「……じゃあ、お邪魔させていただきますね」
どうせ誤解は解いておきたい。それなら、早いに越したことはないだろう。
「かっめらまんさん!!!」
「おう、どうしたどうした」
次の現場で、わななくインビジブルガールを見るのが楽しみじゃなかったとは、言うまい。こういう反応を返してくれるからこそこいつは楽しいとも言える。
「どうした?、じゃないですよ! これ!」
びしっと眼前に突きつけられるそれは、雑誌の表紙。この間俺が撮ったやつ。
「何か気にいらねぇヤツでも使われてたか?」
雑誌を受け取って、ぱらりぱらりとめくっていく。表紙は新規だが、中のはインビジブルガール特集で今まで撮ったやつのとびきりいいやつを選んだつもりだったが。
「写真じゃなくて!この!かめらまんさんの!インタビュー内容です!」
オレが持ったままの雑誌から、ドッグイヤーがつけられたページが開かれ指先がとある一文を叩く。『「私が一番、彼女を撮っているでしょうし、その座を誰かに渡すつもりはありませんよ」そう笑う氏は、とても楽しそうだった。』と。
「実際そうだから仕方ないだろ」
「カメラマンさんってほんっとうに、そういうところがー!」
インビジブルガールのそんな叫びがスタジオに響き渡るぐらいには、今日は平和で、ああいい日だなとオレは一人笑うだけだった。