迷える後輩に贈る花束
迷う人を導くのも、ヒーローという人種に課せられた使命の一つなのだと、私は思う。
「それで、この依頼を」
「はい」
雄英高校、応接室にて。事件のあらましが書かれている書類と、要請人員について記載したもの、加えてその契約書を差し出し、私はイレイザーヘッド……いや、ここでは教師としているのだから、相澤さんというべきか。ともかく彼と向かい合っていた。
「なるほど、確かに」
この作戦にはとある"個性"を持つ人間が居る場合はことが運びやすく、尚且つ現在協力を要請できる人間として個性と免許の両方が登録されているのは一人きりだった。協会と警察に個性照会の問い合わせをして調べたから間違いないだろう。
────インビジブルガール。
不可視の存在。世が世なら、畏怖と恐怖の対象であっただろう存在が、今の世の中ではヒーローとなる人間だと認識されそうあろうとしている。それは面白いことだと思うし、正直、自分が救われるところもあると、心の隅で感じる。
「先生、呼びましたか」
「葉隠。来たか」
がらりと扉をあけて入って来たのは、ヒーロー学科の制服を纏った女性。来春、ヒーロー免許を取得することがほぼ決まっている人材の一人だ。そっとソファに近寄ってくるのにタイミングを合わせ、相澤さんと私が立ち上がる。
「こちらのヒーローから、お前に要請があった」
「初めまして、影狼と申します。見た目通り、狼人間です」
「はじめまして、葉隠透、インビジブルガールです」
獣に似た手で握手を求めると、そっと袖が近付き、虚空で握られる感覚。本当に、どう足掻いても見ることが出来ない。加えて一部界隈でしかまだ出回っていない話だけれど、彼女の細胞から作られたスーツが熱を遮断することに成功し、光学的にも、赤外線的にも、全くの透明になることが出来るようになったと。本当に、ごく一部のヒーローしか知らないが、これは知られてはいけない話でもある。
そんなことを考えながら、お互い手を離し、ソファに腰を沈めた。
先程相澤さんとともに確認した書類を整え、インビジブルガールの前へ持っていく。
「まず初めに、貴方には断る権利があります」
「はい」
「次の春まで貴方は学生であり、学業を優先させたとしても誰も責めはしません」
そう、彼女を含め、今ここにいる大半の人間は彼らは学生だ。ヒーローとなるであろうと渇望されているとしても、今しか学べないこともあるだろう。それに断るということは正式にヒーローになったとしても必要なことではあるので、よしんばここで断られたとしても彼女の糧にはなるだろう。
「但し、受けると決めたならば、最後まで関わっていただくことになります。貴方の戦力を込みで戦略を立てます」
一度関わったならば、その責を負うことになる。
それも、ヒーローであるのならば持っていてほしいものだ。
「とはいえ、今すぐここで決めろという訳じゃありません。行動開始にはわずかではありますが余裕があります。そのことを覚えておいてください」
「分かりました」
「それと、わかっているとは思いますが、ここで聞いたことはヒーローが持つ守秘義務に該当します。要請を受ける受けないに関わらず、他言無用でお願いいたしますね」
ここまで一気に喋ってしまい、学生にはキツい言い方だっただろうか、と考えたところで、いやここまで研鑽を重ねて来た相手を『学生だ』とある種侮るのは失礼にあたるのではないだろうか。先程、彼女が来る前に相澤さんも「要請を出して頂けるのであれば、大人として接してほしいと思っています」と言っていた。ならばそう扱おう。
概要書を二人に手渡し、自分のものにも目を落としながら話を続ける。
「本来密偵というのは法に触れる恐れがあるので摘発案件には要請をしませんが、今回は薬物取引の裏を取るためのものです」
説明を進めていくたびに、時折、存在が不安定なようなにおいを覚えた。相澤さんからではなく、たしかにインビジブルガールから漂ってくるもの。不安、迷いに加え、恐怖……とは違うな、これは後悔?焦燥?複雑な精神状況だ。顔が見えない分、そちらの気配は濃厚で、ポーカーフェイスが苦手なんだろうと思った。
もちろん相澤さんは気に留めず、私もまた気にせずレジュメに説明を付け加えていく。これはそういう話だからだ。
「以上です。何か質問はありますか? もしくは後日聴いて頂いても大丈夫です」
「……あの、」
たまにテレビなどで見る彼女とは、すこし大人しい。メディア用にそういうペルソナを被っているのだろうかと考えたところで、あぁいや、と内心でかぶりを振る。卒業間近の三年生と不安を掛け合わせたならば、答えは目の間に出る。というか、答えは出ていた話だ。
「はい」
「すこし、考えさせてください」
「もちろんです。出来れば今週の土曜までにご連絡を。お待ちしております」
頷き、紐付きの書類封筒に紙束を入れて渡す。
願わくは、彼女の道の先がヒーローでありますようにと祈りを込めながら。
そんな会話をした数日後。
街の警邏を終え、事務所の前へ戻ってきた時、夕陽に影を好きにさせ佇んでいる人がいた。街中を歩く人々と似たような衣服の少女。顔を見たことはないけれど、その姿を見れば話したことがある相手だというのは一目瞭然だった。
「こんにちは、インビジブルガール……じゃ、ないみたいですね。今は葉隠さんですか」
「わか、るんですか」
「まぁ、なんというか、引かないで欲しいんですが……においに強いもので」
こつこつ、と自分の獣らしい獣部分である鼻をかるくつつく。
制服を着ておらず、雰囲気がごく個人のものとなっているのでそりゃわかるだろうと思うけれど、たぶん、そんなことに気を配っていられない精神状態なのだろうとも。
「まぁこんなところで立ち話もなんです、寄っていきますか?」
きっと彼女は偶然通りかかった訳じゃないんだろう。だからこそ、偶然を装って事務所へ招く。たぶんその方が入りやすいだろうから。
今日は事務の人は早引けし、自分だけのがらんとした事務所。あ、年下の異性をこういう風に招くのは良くなかったか、と一瞬だけ考えたけれど、あんな風に思いつめた雰囲気の少女をさいならと放り出す方が何倍も大人としてどうかしているだろう。
応接用の対面ソファを勧め、座ってきょろりきょろりとしている間に給湯室へお茶を淹れにいく。そっと静かに、丁寧に。彼女が話せるように、じっくりとぬるくなるお茶を。
「どうぞ」
湯呑みを置き、対面のソファに座る。恐らく頭を下げ、湯呑みに伸ばそうとした手を、すっと引っ込める。じわりと焦燥感が漂う。断るのだろうか。それも、まぁ、仕方のないことだ。断るのならば相澤さん経由でも良かったというのに律儀な人だと思った。
「あの」
「はい」
「なんで、私だったんですか」
それは夕陽に照らされ、客人用ソファに座る透明人間がいる自分の事務所という、すこし現実離れした風景の中で落とされた疑問。
「私なんて、ただ透明なだけで、他に取り柄もないし、ヒーローに、だって」
あぁ、やはり。彼女は悩んでいるのだ。ヒーローになることを。ヒーローという道を歩むことを。この個性社会と言えど、自分の特性を使わずに生きていことだって可能で、彼女はそれが少し人よりも難しいかもしれないけれど、決して不可能などではなくて。だからこそ、迷う。自分がその道を歩めるのかどうか。わからなくなってしまって。
ぎし、とソファに背中を預け、すこしだけ、対外用の口調を緩める。
「────すこし話をズラしますが、俺がなんでヒーローになったかっていうと」
だから、そんな話をしよう。迷う人がいるのなら、私が影になろう。影があるということは、光があるということだから。ゆえに、迷うことなんて何もないと言うために。
「世界を救いたかったんだ」
本当に、あの頃の自分は、徹頭徹尾、世界ってもんを救えるんだと思っていた。馬鹿らしい、子供の戯言だと思う。だいたい世界ってなんだよって言う話なわけで、いわゆる敵だって世界の一部だと言うのに、と。今はそう思う。でも。
「世界を救うために、ヒーローになろうと思った。散々馬鹿にされたし、何ならお前の顔は敵側だろって言われたりして、同級生と喧嘩して、先生からしこたま怒られた」
何の話をしているのだろうと、きょとんとした雰囲気の葉隠さんがこちらを見る。
「でも諦めきれなくて、今こうしてヒーローをやってる」
そこまで喋って、口調を戻す。
「その中で、インビジブルガール、貴方もそうなのではないかと。世界という大きなものを救おうとしている人だって。気のせいかもしれないけれど、見ているものの尺度が近いと」
突拍子も無いほどに大きな目標を掲げて、光であろとする。人々の前ではいつも笑い、活力を分け、爛漫という人物像を保っている。それは、確かなモノだ。
「もちろん、第一として、貴方のその"個性"がとんでもないもので、誰よりも力を貸して欲しいと思ったからというのは前提としてです」
『たかが透明』じゃない。それは、どれだけの人間が欲しいと思った"個性"なのか。とはいえ、数が問題なのではなく、彼女が彼女自身の個性に価値を見出さなければヒーローとして売りに出すことはできない。
己が己の価値を信じる、こう表現すると酷な仕事だと改めて感じる。
「世界……」
ぽつりと、輪郭を確かめるように呟かれる単語。世界。それそのものは形がないものだけれど、そうやって存在を確かめたくなるような、そんな外面だと、私も思う。
「救えると、思いますか」
「わかりません」
咥内にたまっていた唾液を嚥下する音が聴こえてしまう。あぁ、突き放した物言いになってしまったか。
「それは誰にもわからないことです。でも、どうか」
ソファから立ち上がり、極力目線を合わせてから、頭を下げる。
「私と一緒に世界を救ってください」
世界を救えるかどうかはわからない。あのオールマイトにでさえそんなことは出来なかった。それでも、誰も出来ていないからということが諦めることには繋がらない。目標を下ろす理由にはならない。
「────はい」
幾許かの沈黙の後、聞き間違えようのない承諾の言葉。
「私に、世界を救うお手伝いをさせて下さい。影狼さん」
そうハッキリと告げる彼女は、迷いを断ち切り、未来を見ていた。
それから、一ヶ月。
例のでかい案件を終え、事務所が入っている屋上で夜の空を見る。あの日を思い出す。
警察からの協力要請を受けた際、同席していた相澤さんが俺に持ってきた依頼。────この仕事に、インビジブルガールを使ってくれないか、と。
彼女が来る前にしていた書類の確認はそういうことだ。最初は鬼のイレイザーヘッドも丸くなったもんだと思ったが、いやしかし、今回接してわかった。どんな教師であれ、ヒーローであれ、あの"個性"を野に放つ選択はない。あれほどまでに汎用性が高い斥候が今までの歴史全てを込みに込みしたとして、一体何人いるんだか。当時の雄英の入学試験を鑑みれば、彼女が入学できたことさえ奇跡に等しい。だからこそ手放せなかったのだろう。
三年生になりヒーローブルーになりかけている人間なんてごまんといる。とはいえ、それが一時的なものだともわかっていたんだろう。戦意喪失し、戦えなくなった者を前線に放り込むほど人非人じゃない筈。自信を取り戻させたかった。それを他人に頼むのだから、不器用というか何というか。
「まぁ、ともかく、若人が喜んでいたらいいさ」
依頼はこれ以上にないほどにうまくいった。あとは、彼女次第。