君が歩んだ物語
幼いころから、"幽霊"が見えた。
と、対外的に人には説明するけれど、実際のところ自分が何を視ているのかなんて正直わかっちゃいない。幽霊、魂の残滓、思念体、場に残ったエネルギー、あるいは強い人間の生命エネルギーによる想いの空間への焼きこみ、いろいろ言い方はあるけれど、"それ"がなんなのかはわからないままだ。だって機械で観測しようがないものを俺は認識して、それを情報源としている。それが、全て正確であったことが俺の個性を確固たるものとして証明をし続けてくれている。
とりあえず、俺はその"何か"と話して、遺体を探す役目を負った、完全後衛サポート系ヒーローだ。
────大規模な災害があった。
人間が時間単位で数百人死んでいく。
災害国家であるゆえにその辺りの整備は遅々としながらも確実に進んでいた。ヒーローの数だって一時は減ったけれど、今は平時であれば休暇が自由に取れる事務所だって増えている。それなのに、人が足りない。足りなさすぎる。ヒーローはもちろん、自衛隊や警察官だってフル稼働している。それでも、掌からこぼれていく命が目の前にあった。
雑然としたぐちゃぐちゃの、生活臭が薙ぎ倒された瓦礫の中、俺は自衛官の部隊とともに走っていく。
『たすけて』
いろんな人が視界の中、聴覚の中、訴えかけてきた。まだ自分が死んでいることに気がついていない人もいれば、自分は死んだが下に女性がいるから助けてほしいまだ息がある、と己がもう死んでいると自覚しながらも、自分の声が届く相手を信じて叫び続ける人もいた。生者の声と死者の声が混濁する。それでももうずっとこの"個性"と付き合って来たからわかる。
死者の声は、本当に申し訳ないけれど、無視せざるを得なかった。選択をしなければならなかった。それが自分の仕事。自分の個性が必要とされているワケ。レイヤーの異なる情報収集。カウンセラーから散々止められた。知り合いの医者からは、黒を置いていく気持ちをずっと味わいたいのかって笑われた。覚悟はしてる。それはもう過去において来たモノだ。いまの俺を揺るがすものじゃない。
いま、この場でどの声が必要なのか。
俺がどうして必要とされているのか。
それだけ分かっていれば、走ることは出来るんだ。
二週間後、あらかたの生者も死者も引きずり出し終わり、黙祷を捧げ、朝焼けで街が一望できる丘の上でベンチに座りながら完全な私服で煙草を吸っていた。もちろん禁煙区域ではないことは確認しているし、携帯灰皿だって持って来ている。普段吸わないそれは喉が痛いし、全然気分は良くならなかった。しかしそれでも、こういうものが必要な時があるっていうのがわかってしまったのは、良いことだったのだろうか。
見える街並みはあまりにも薙ぎ倒され過ぎていて、ここにあれだけの人が住んでいたのかと心臓が軋む。職業上、個性上、人の生き死にには膨大な量で触れて来たけれどどうしても心を麻痺させることだけは未だ成功していない。
人の営みがぽつりぽつりと点在するこの街が、いつか災害があったことが遠くなればいいと思う。
『────ねぇ』
不意に音が聴こえる。この感覚は、死者からのものだ。だけど不用意にそういったことを言って良いわけじゃない。出来ることならば、それは穏やかであってほしいという俺の我儘。
『私の声、聞こえてる?』
辺りを見回しながらその声を聞く。あぁ、ということはあんた、自分がどうなってるのかわかってるのか。極限状態を脱しているだろうこの状態で、受け入れざるを得ない状況でもないのに。
「あぁ、聞こえてる。どんな姿でも驚かない自信はあるから、出て来てくれないか」
周りには倒壊しなかった木立たちだけで、俺以外に人間の姿はない。自分の前に現れる姿はわりと千差万別で、死ぬ直前の姿であったり、死んだ時の姿であったり、年齢が若返っていたり、あるいは逆に、当人よりもずっと老けていることもあった。だから、今回もそういうことなんだろうと、そう。
女性の声はころころと笑う。まるで鈴の音のように、煌めいている。
「……笑うところか、いまの」
どうもペースが掴めない相手だ、と首の後ろを掻いたところで、また言葉が。
『実はね、目の前にいるんだよ』
そう言われて、毒気が抜かれていた感情が瞬間、引き絞られる。
『透明人間なんだ』
透明人間。目に見えない存在。皮膚が光学迷彩である"個性"であるのならば、言ってしまえば体液や内臓がはみ出たら発見はされるはずだ。あるいは、パッシヴだとしても生命エネルギーで維持していたのであれば、やはり生命活動が終わっているいま現在なら姿は認識ができるだろう。それでも、いま彼女がここにいて、わざわざ俺に話しかけて来ているのは。
「要救助者じゃないか」
ベンチから腰を浮かしながら急いで煙草を消して、灰皿を尻のポケットに突っ込む。踵を返し麓までの道へつま先を向けた時、慌てた制止を求める声。訝しんで、見えないけれど振り向けば、あのね、と。
『もう生きてないから、急がなくてもいいよ。疲れてるだろうし。実は遠いんだ、ここから』
そう言った彼女が、笑ったのがどうしてだかわかった。それが、へたくそな笑いだったのも、わかってしまった。
「そ、りゃ……俺が認識できてるなら、そうだろうさ。でも、じゃあこうして話してる貴方が、どうして生きていないって言えるんだ」
俺にとっては、いわゆる生者も死者も大して違いはない。いつか消える。それは、生きていても死んでいても起きることで、俺にとってはみんなのいう死の先に、もう一つ結末が待っている。
『やさしいね』
「いや、俺の、エゴだよ」
せめて誰にも知られないで死んでいく人が、いなくなればいいと。それだけ。死なないほうがいいなんてのはわかってる話だけど。
『ヒーローになる人なんて、みんなエゴばっかりだよ』
あっけらかんと言われたその言葉に思わず吹いて、たしかに、なんて笑ってしまった。自分の中にそう言ったものがなければ、ここまで来ることなんてできなかっただろう。
「で、どっち方面なんだ?」
言いながら地図を広げる。聴きながら歩いても良かったが、まぁきっちり目的地を定めた方がいいには決まってる。作戦用に使っていた地図はたった一週間だというのにぼろぼろになっていて、地図を大事に出来ないヤツは早死にするな、なんて不謹慎にも考えた。
『この地図だと……C-1かな』
現地点がG-9だから、今までの最長距離、直線距離で70km以上。なるほど、慌てるわけだ。それでも、俺はヒーローだから。
「わかった、行こう」
存在が不安定だからか、生物が持ちうる以上の速度のものには乗ることが出来ないというのは経験則でわかってる。だから、徒歩で。それを相手も理解しているのか、むずりとした雰囲気が漂う。
『私だけが歩いて、あとで合流するって手もあるけど……それ考える必要もないって顔だね』
当たり前だ。そんな遠い場所から、俺に助けを求めに来た。俺のことを知っていたのか、途中で知ったとか、あるいは見かけていた可能性すらある。ただ自分は死んでいるからと知らせることを躊躇ったとかも、もしかしたら。きっと彼女はやさしいひとだから。
「それなりに鍛えてるから平気さ。そっちはどうなんだ?」
自分で言ってから、自分が視えている存在にそういったものが存在するのか考えたことがなかった。それほど一緒にいることもなかったというのは、言い訳だ。知る機会なんていくらでもあったろうに。
『大丈夫。素足だけど、痛くもないし』
「……」
つまり、服まで透過するタイプじゃないらしい。ん?ということは?
「わっっっっるい!」
どこに視線を向ければいいのかもわからないけれど、取り敢えず目を瞑る。
『えっ、裸だと思ってなかった? ごめん!』
「いや、最初に思い至るべきだった本当に申し訳ない!」
『いや、いいんだよ。だって手袋も何もつけてないのが私の作戦姿だから』
作戦。日常に似つかわしくない単語。ふと、目線を向ける。不思議と目線が合ったような気がした。
「ヒーローなのか」
『うん。作戦行動中で、巻き込まれて、そのまま即死』
何でもないことのように、そういう。行こう、と声をかけられて、それに促されるまま地図を畳んで、今度こそ麓への道を辿り始めた。
木立が揺れる。砂を踏む。鳥の声は聞こえない。他になんの音もない。
つまり、さっきまであれだけ喋っていた相手が、無言でいるということ。だから、俺は本当に隣に彼女がいるのかとか、彼女は極度の疲労状況の俺の幻覚じゃないのかとか、そんなことを考えてしまった。あぁそうだ。疲れてる。疲れていないはずがない。だからって、目の前の人を、しかも自分から助けてと言ってくれた人を後回しにできる筈もない。
『あのね、聞いてくれる?』
そんなことを考えていたら、窺うように口火を切られる。
「いいよ」
最期の言葉を聴くことができる自分は、いままで出会うこともなかった誰かの話を聴くことが多い。実を言うと、そういうのはわりと、好きだったりする。愛おしい人への言葉を預かったり、人生で誰にも言えなかった愚痴だったり、ダイイングメッセージを預かったり、どうしてという慟哭だったり、様々だ。
『実はさ、私、透明で見えないし、即死だったから自分がしんでるって、自覚するのに時間がかかったんだ』
己にも見えない、完全迷彩。ヒーローにならなくてもきっと生きづらいことも多かっただろう。あらゆる人生を考え、天秤にかけた、これは彼女の選んだ道の結果。だからそれをヒーローである自分が内実を知らずに勝手に悼むことは、侮辱になることだ。
『だってわかるわけないんだよ。自分が潰れてるところも見えないし。こうやって動けちゃうし。でも、一回気が付いちゃえば簡単だった。見える世界が一変してた。どうして不思議に思わなかったのか、おかしいぐらい』
声しか聞こえない彼女は、しかし声色が多彩で、おおよそどんな表情をしているのかわかる。きっと、そうあろうとしてきたんだろう。これは印象の押し付けかもしれないけれどたぶん、努力の人だ。
『それにしてもさ、自分がなってみてわかったけど、幽霊って本当にいるんだね』
「幽霊……なのかは厳密にはわからないけどな」
『そうなの?』
少し近くなった声。それにつられて、俺も隣を見る。空白だとしても存在はする。それは、もしいわゆる生者であれば俺にはどう写ったのだろう。
「そもそも、幽霊って何だと思う?」
『えっ。えーと、生き物の魂?』
「そう、そこなんだよ。実はいま何がどうして、どういった存在とコミュニケーションを取っているのか、定義されていないし、他の人間が定義できるほど情報もないんだ」
イギリスから端を発するSPR──心霊現象研究協会から何度か話を聞かせてくれと言われたことも検査に協力をしたこともあるが、結局のところ俺の脳内で起きて脳内で完結しているから『取得している情報が事実と相違がない』ということから研究は進んでいないと聞いた。
両親が他者感応系だから、その辺が複合した結果なんだろうとは個性研から言われちゃいるが、所詮それも確度の高い推測でしかない。
「だからまー、幽霊かもしれないけど、そもそも幽霊の定義って何だってところから始めないといけないんだよ」
『そっか、今までその辺が学問として進んでないから、そういうところからなんだね』
「そうそう」
理解が早くて助かる。
そんな他愛のない話をしながら、人影がたまにちらほらする街を歩いて行く。この辺りじゃもう俺の顔は知れ渡っているようで(ニュースでも大々的に流れたとか何とか)、傍から見たら盛大な独り言を言っている自分を気にする人は珍しくいない。
ふっと、会話が途切れる。お互い何か失言をしたとかじゃなく、自然な隙間。だからこそ考えてしまう。彼女のこと。彼女にまつわる周りのこと。
────二週間も、放っておかれてしまっていたことについて。
『ねぇ、そろそろ足、やばいことになってない?』
「えっ、あっ、とと」
淀みなく歩いている、つもりだったけれど、だいぶ足にキていたらしい。少しよろけて瓦礫にぶつかりかけた。言われるまで全然気づかんかったぞ。やばい。
『もー、時速5kmぐらいで10時間だよ。夕方だし、休も。ね、それぐらいわかっててあそこまで行ったから』
時速5km。まぁそんなもんだろうなと頷いて、適当にその辺の空き地を見つけて携帯ライトをつける。軽装とはいえ、まぁ野宿したって死なない季節だろうし、建物は倒壊を考えるとおいそれとは近付けない。
『でも、急いでくれてありがとう』
不甲斐ない俺に怒るでもなく、絶望するでもなく、彼女はそういう。
日が傾いていく赤から紫、そうして濃紺へ至る空を見上げながら、ぼんやりと時間を過ごす。人間の気配はない。ライト以外の灯りもない。微かに車の音が遠くから聴こえて、ごろりと寝転べばやけに星が綺麗に見えた。
そういえば、ここのところは起きてる時は救助活動に勤しんでいるか、災害前もトレーニングばっかりで、こんな風に何もしないことなんて殆どなかったなと思い出す。
「ライト、消していいか?」
『いいよ。寝るの?』
「まぁ、早めに寝落ちたらいいなって感じだ」
疲れてるせいか逆に眠くない。それでも灯りがついているよりは、ついていない方がまだ寝付きはいいだろう。
ぱちりとスイッチを切って、また寝っ転がる。微量の機械の稼働音が消えて、風の音だけが鮮明に。暗い中に、人間二人。傍からみたら一人だろうけれど、まぁそんなんは今の同行者を鑑みるとそう大して変わらないのかもしれない。いや、もちろん作戦行動外では服を着ていただろうけれど。……着てたよな。少し怖くなって、いや失礼だなと頭を振る。相手をなんだと思ってるんだ。
────完全な透明人間。他人はおろか自分にも視覚的な知覚をすることが許されない。それはつまり、髪の毛を培養すれば、透明なヒーロースーツを作ることが出来るってことなんだろうかとぼんやり考える。透明であるということは赤外線視覚とかを持つ人間が見れば裸も同然だろうけれど、それができる人間はごく僅かだ。
透明である、というアドバンテージ。
透明である、というデメリット。
それは、彼女が一人でいた時間に内包されている。
「なぁ、こっちから聞いていいか? 答えたくなかったらいいんだけど」
『うん? 答えられることなら、基本答えるよ』
そう言われて、今から自分が投げかける質問が残酷じゃないのかと自問する。そんなことをしたって結局はわからないわけなんだが。
「透明なら、GPSとか、発信機とか、チップとか、マイクとかそういうのは仕込んでなかったのか?」
完全隠密はわかる。
ただ体内埋込なら同化してしまえたりしないんだろうかと。
だって二週間。二週間だ。時間に直せば336時間。寝るのかも知らないけれど、もし寝ないのだとしたら満額だ。それだけの時間を透明であるこの相手は自我を崩壊させずに、一人きりでいた。
人々は見えるのに、自分は見えないどころか、衣服をまとっていない状態では大幅な表現手段だろう声だって届かない。最終手段の接触すら封じられて。それがどんなことなのか。存在に気がつかれないことに慣れているとしたって、そんなのあんまりだろう。
『うん、そうだね。でも今回に限っては、それは駄目だったんだ。生身だけの私が行くしかなかった。追跡用のマイクロチップはわざわざ摘出したぐらい』
そこまでがちがちに警戒して、潜入しなければならなかったところ。おそらくそこも壊滅しているんだろうが、何かの痕跡を探すとかであったならばせめて証拠が残っていればいいと思う。
『関わってる人がすっごい少ない案件だったから、そっちに救助要請出せなかったんだろうね』
笑う。世界を受け入れて笑う。
そんな彼女の表情が、たぶんいまこの世界でいちばん、直視できなかったのが俺だ。
『……て。おーきーてー!』
「?!」
耳元の大声で飛び起きて体勢を整えた瞬間、しぃっ、と音の指図が落とされ、先のと合わせて理解する。異常事態だ。
『声、出さないで』
首の動きだけで了承を伝え、なるべく呼吸をゆっくり、気取られにくい速度へ。
『この付近をちょろちょろ回ってるバンがあるみたいなんだけど、なんかどうもおかしい気がしない?』
腕時計に視線を落とすと、星明かりでうすらと見えるそれは夜中の三時を指している。業者だったとしても、一般人が自分の家をどうにかするにしても、昼の光がないこんな時間にやるべきことじゃないだろう。
『取り敢えず私が偵察してくる。ナンバーと人数伝えるためにおっきな声出すけど、大丈夫……だよね、たぶん』
相手の"個性"も不明な状態で大胆な行動だとは思うが、しかしまぁ、時間効率を考えると他に手はない。首肯をすると、いってくる、と落とされ、ふっと気配が消える。────気配?おかしなことを感じるもんだと、かぶりを振った。背筋にそっと冷たいものが這い寄っている。
取り敢えず寝る前に調べておいた瓦礫に隠れ車へ近付きつつ、光量を最低に落とした携帯端末で近くの警察署あてに現在地と不審者のアラートを投げておく。これで10分後に問題ナシの追加連絡をしない場合、警察車輌が流れてくる。
……警察官とヒーローがここまでスムーズに連携が取れる時代になるなんて、昔は思いもしなかった。
『車のナンバーと!人数ー!いっくよー!』
感慨に耽っているとすこし離れたところから声が聴こえる。ナンバー把握、アラートに追加送信。人数把握、3人。車両に一人、家捜しをしているのが二人。しかしまず本当に火事場泥棒なのかってことだが。
『割れた窓ガラスから中に入って、金目のものがないとかしけてるとか言ってるー!』
アウトじゃねえか真っ黒すぎるわお約束にもほどがある!
息を殺し、足音を消し、ゆっくりと目的地へ。車が見え、運転席にひとり。
『ドアは開いてるはずだよ』
存外近くでそんな声がして、声を噛み切りきった自分を誰か褒めて欲しい。いや、作戦行動中に気を抜くなという話ではあるのだけれど、それでもだ。
『制圧行動、いく?』
得意かどうかじゃなく、行くかどうか。あぁもちろん。後衛に属するヒーローだとしても、ヴィランと対峙する機会がないわけじゃない。誰かと何かと行動をともにするってことは、守らないといけないってことでもある。
落ちた瓦礫一つ、小石一つ、砂利一砂、それが自分がいま行おうとしていることを左右しかねない。けれど不思議と恐怖はなかった。一人でも戦場に赴くことはある。けれど今は一人じゃない。それが心強くないわけが、ないんだ。
「────っし」
最後の一人を投げ飛ばし、地面に押さえつけ意識を強制的に落とす。
作戦行動完了。ちょうど赤色回転灯やサイレンを鳴らさないパトカーも数台到着したみたいで、ぐるりと最後の窃盗犯を縛り上げ瓦礫に腰を下ろす。
ひやりとしたところもあったが、見えないチームアップ相手のお陰で何とか、だ。流石に後ろに目はついてないけど、目みたいなもんだな。あれだけ精度が高く、且つ信頼ができるってのは、今までがなせる技だろう。どっかに潜入したとしたってモノを書くわけにもいくまい。あの目は、そういう実地での奮闘の賜物だろう。
そんなことを考えていると、こっちで何度か顔を合わせた警官が挨拶をしに来てくれた。
「この後は宿までお送りいたしますよ。どうぞ乗ってください」
疲れたところにそんな言葉を言ってくれるとは、信頼関係を築けていたと言ってもいいんだろうか。それでも、それは。
「申し出はありがたいのですが、徒歩で行かないと行けない場所に向かっているので」
そう伝えると、俺の個性を知っている相手はそういうことか、と理解顔で頷き、窃盗犯を乗せたパトカーを引き連れ署へと戻って言った。
『うん、さいごに一仕事って感じ!』
その明るい声に、どうしてだか泣きだしそうになっちまって、ぐっと堪えた。
朝もやの中、道中で伝えられていた外見の建物が見えてきて、二人で足を止める。
「ここか?」
『うん、ここ』
完全に倒壊したビルの下を指差されて、すこし途方に暮れてしまう。あぁそうか。そういうことを考えて然るべきだった。有り得ないミスだ。応援を呼ぶべきか、どうか。
『あ、そんなに困んなくていいよ。そこの赤いラインが見える隙間だから』
隙間。覗いてみようとして、手をついたところに、目に見えない何かがあった。あぁ、ここにいる。目に見えなくたって、ざらついてても極端に乾いていても、確かに人間の皮膚で、上半身があるべき場所は完全に瓦礫に埋もれていた。
「ここにいたんだな」
一旦立ち上がってから周囲の安全確保をし、万が一に備えてまだ設置されている災害対策本部へ応援要請をする。それから、近くの瓦礫をどかして小さな空き地を作ってから長袖の上に着ていた上着を広げておき、よしと軍手をはめた。
隙間の前に膝をついて手を合わせ、ずるりと、思っていたよりもずっと簡単に彼女の体は引きずり出せた。下半身だけ。意外にも内臓は腐っておらず、だからこそ気づかれなかったんだろうと。
そっと遺体を運び、広げていた上着の上に。
『み、見えなくても汚れるよ!』
慌てた声に、いいんだよ、と返してからまた隙間に。出来るだけ拾えるものがないか、探してみよう。
「もうすぐお仲間も来るってさ」
他にもと思って探しては見たが、いかんせん誰にも見えないものを探すのは骨が折れ、相手にも再三諦めるように言われてしまい、今は要請をした応援と、そこからいった連絡で、元々ここで作戦行動を行うために動いていた連中を座って待っているところだ。もちろん、軍手は外して。
『そっか、みんな探してくれてたんだ。こんな"個性"だから、見つからないって言っても仕方ないのに』
"仕方ない"。俺たちは日々それを言わせないように動いていても、その性質上基本は後手に回っちまう。ヒーローだって、救われて然るべきだっていうのに。
「あと、伝言預かった」
『伝言?』
「"最後に伝えてくれた情報のおかげで、助けることができた"って」
部外者の俺を介するからか、そんな短い言葉だった。それでも、誰かが助かった。あの瞬間まで、ここにいた人間がいたからこそ。
それを聞いたのか、聞いていないのか、相手は押し黙って、俺もただ雲の向こうで明るくなっていく空をぼーっと見ているだけで、たまに鳥が鳴いて、それだけの時間がしばらく続いた。
『……あのさ、ありがとう』
その言葉に、阿呆面をしていただろう顔をすこし正して、顔を声の方へ向ける。
『そんなぼろぼろになっても見つけてくれて。体温も体液も殆どなくなった私を、見つけられる人がここに来てて良かった。同時に、君が見つけてくれてよかった』
そうやって、感謝を、屈託なく言える。俺は自分がその立場だったとして、こうして言えるだろうか。言えたらいいと、思う。でも。
「あのさ、すげぇ、見当違いなこと言い出してたら申し訳ないんだけど」
『うん?』
「泣いてもいい場面だと、思う」
どこか引っかかってたいことがようやく言語化される。喉の奥から出てくる。
そう、そうだ。そうなんだ。
彼女は、感情を隠し通すことに長けてしまっているんじゃないだろうか。だって声音さえ騙してしまえれば、泣いていることなんて誰にもバレない。それはどこでも泣き放題ってわけじゃなくて、感情を発露しないよう・己でも気付かないよう生きてきた可能性も、あるわけで。
「ヒーローは泣かないっていうけどさ、ヒーローであっても、俺の前じゃ今、要救助者なんだよ。だから」
だから。
『なん、で、君が泣いてるの』
指摘されて、あぁ、泣いてるなって、自覚する。歪んだ視界に気がつく。でも、泣くだろ。
「悪ぃ」
二の腕のシャツで顔をこすって、ぐっと、鼻に力を入れる。
『泣いて、くれるんだね』
「昔っから妙に涙脆くて。悪い、救けに来たっていうのに」
『ううん、ありがとう』
言って、少しずつ、漏れ聞こえてくる、滲んだ声。泣きたかったわけじゃないかもしれない。俺が泣いちまったから、つられて泣いただけかもしれない。
『い、生きたかった、なぁ』
そう言えたのなら。
『もっと、もっとたくさん、いろんな人に出会いたかった。もっとみんなといたかった。お母さんと、お父さんと、いたかった』
零れていく感情。ヒーローはヒーローであるわけだけれど、それと同時に人間でもある。誰に何と言われようとも、それを否定したら、俺たちはヒトじゃなくなってしまうんだ。
『────だけど』
逆接。
『最期までヒーローでいられて、本当に、よかった』
彼女が、ヒーローであることを心の底から後悔をしていない。それなら、俺もそう思おう。よかった。今回に限らず、彼女がヒーローを志したことで救われた命はたくさんあっただろう。なんせ完全な透明人間。事態を未然に防ぐために諜報活動をしたことは数え切れないはず。
「……お疲れさま、インビジブルガール」
お仲間から伝えられた名前でそう声をかけた時、彼女はすでに向こう側へ行っていた。
雲の切れ間からは太陽が覗き、まるでそこから昇っていったかのように見えたのは、あんまりにも感傷的すぎるだろうか。
あぁ、でもきっと、俺がそんなことを言ったら笑ってくれるんだろう。