とある科学の流動源力-ギアホイール-   作:まるげりーたぴざ

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第一〇四話、投稿します。
次は一一月三〇日火曜日です。


第一〇四話:〈同族嫌悪〉で呆然自失

オリアナ=トムソンは『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が学園都市内で唯一使える『天文台(ベルヴェデーレ)』へと移動しようとしていた。

 

使徒十字(クローチェディピエトロ)』は十字架に星の力を集めることで星座を魔法陣に利用して発動する魔術だ。

星座を利用するという条件なので、当然特定の場所で、しかも特定の時間でしか発動できない。

 

だが『使徒十字(クローチェディピエトロ)』を持つリドヴィア=ロレンツェッティは学園都市内にいない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、別に学園都市で発動する必要はないのだ。

 

そのため、リドヴィア=ロレンツェッティは既に学園都市の外の発動できるポイントにいる。

 

後はオリアナが陽動として学園都市の中にある『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が使えるポイントへと向かえばいい。

 

そのポイントとは、第二三学区。

 

向かえばいいだけ。

 

 

だが何故、自分は学園都市遥か()()()()()()()()()()で空中に十字架で縫い止められるように(はりつけ)にされて学園都市を見下ろしているのだろうか?

 

 

視えない何らかの力が自分を抑えつけているから、体にいくら力を込めても視線だけしか動かせない。

 

その目が動かせる先には学園都市の大覇星祭で沸き立つ街並みしか見えていない。

 

一体何が起こっているのか。

 

「良い眺めだろう? オリアナ=トムソン」

 

オリアナが息が詰まるほどに困惑していると、突然死の宣告を授けるような冷酷な声で囁かれた。

 

何かがいる。

 

でもその何かの声が聞こえるだけで視界に映らない。

 

心臓が跳ね上がる中、その何かは自分の目の前へとスッと現れた。

 

超能力者(レベル5)、第一位。流動源力(ギアホイール)、朝槻真守。

 

その少女は大覇星祭の参加者らしい体操服姿に蒼閃光(そうせんこう)で形作られた六芒星の幾何学模様の天使の輪を浮かばせている。

蝶の(はね)翅脈(しみゃく)のみを伸ばしたような後光、それと三対六枚の純白と漆黒の互い違いの翼。

 

そんな()ちた歪な天使はオリアナの頬へそっと手を添える。

 

「これがお前の壊そうとしていた私の世界だ」

 

「…………──っ!」

 

ぴとっと添えられた小さな手から死が伝わってきた気がして、オリアナは叫びたいのをこらえて息を呑んだ。

もし叫んでしまったならば、この目の前で静かに怒り狂っている天使の機嫌を損ねてしまうかと思ったからだ。

 

怪物。

学園都市が作り上げた怪物を前に、歴戦の運び屋であるオリアナ=トムソンはひりつく喉で必死に息をする。

 

どうすればいいかオリアナ=トムソンは分からない。

これまで多くの追っ手から逃げてきて、捕まらずに運び屋を続けてきた。

だが一体どうすれば、身動き一つ取れない状態で、この落ちたら確実に死ぬ高さで身を隠して逃げることができるのだろうか。

 

「お前は知らないだろうけど、私にはとても心強い味方がいる」

 

この場の主導権を握っている真守はオリアナの頬を優しく撫で、ゆっくり(さと)すように、そして(なぶ)るように告げる。

 

「イギリス出身のお前なら知っているだろう? 大家のマクレーン家だ。実は私はそこの血族なんだ。だから私は伯母さまであるアシュリン=マクレーンから『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の発動方法の推測を聞いた」

 

オリアナはそれに驚愕する。

魔術世界のお偉い方にはマクレーン家から出奔した娘の子供が超能力者(レベル5)第一位であることが通達されている。

だがオリアナはどこの組織にも所属していない人間だ。当然のことながら真守がマクレーン家の血筋を引いていることを知らない。だからこそ驚愕するしかなかった。

 

「まあそれだけでは追えないだろう。だがお前は時々絶対に監視カメラに映っていた。監視カメラに点々と映っていて、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が使えるというポイントを回っていれば、流れを読み取ることのできる超能力者(レベル5)第一位の私には、お前の居場所などお見通しだ」

 

魔術の専門家、とりわけ古典美術に詳しいマクレーン家。

それをバックに持つ、圧倒的な推察力と機動力を持つ超能力者(レベル5) 第一位。

 

そんな怪物からオリアナ=トムソン如きが逃れられることなどできないのだ。

 

これが、学園都市が生み出した科学で造り上げられた怪物。

 

オリアナは先程、垣根帝督という三対六枚の純白の翼を持った少年と戦った。

だがこの少女は、彼とけた違いなほどに恐ろしく、どこまでも怪物だった。

あの少年の翼はどこまでも清純で純白に輝いていた。

 

確かに朝槻真守の翼も純白の翼は真珠のような輝きを持ち、漆黒の翼も黒真珠のように鈍く光り輝いている。

だがその翼が互い違いに展開されている時点で、地獄へと身を()として神に仇を成した堕天使のように醜く禍々(まがまが)しかった。

 

真守はそこでガッとオリアナの金髪で(おお)われた頭を掴み上げた。

その怒りで満ちたエメラルドグリーンの瞳で射抜かれたオリアナ=トムソンは息を止めてその怒りを助長させないようにするしかできない。

 

「科学の申し子を舐めるなよ、ペテン師」

 

その言葉を、オリアナ=トムソンは否定したかった。

 

科学が祈りを込めて創り上げた申し子ではない。

学園都市は悪意を込めて怪物を生み出したのだ。

冷たく人々を呑み込む、全ての悪の根源を。

学園都市は生み出したのだ。

 

その悪の根源を呼び覚ましてしまったのが自分だという考えすら思いつかず、オリアナ=トムソンは震える体を必死に抑える。

真守はそんなオリアナに冷たく問いかけた。

 

「リドヴィア=ロレンツェッティはどこにいる? 『使徒十字(クローチェディピエトロ)』はどこにある?」

 

真守の問いかけにオリアナは恐怖で答えられない。

思考が停止して、どうすればいいか分からない。

 

「恐怖で口が利けないのか? いいだろう」

 

真守はオリアナの頭を掴む手にグッと力を込める。

 

「お前の記憶に直接聞くから」

 

その瞬間、オリアナは頭に走った激痛によって精神に亀裂が入った。

 

真守は能力により生み出した源流エネルギーにとある数値を入力して生み出したエネルギーによって脳に干渉できる。記憶を読み取るなんてお手の物だ。

 

だが外からエネルギーを送り込まれて脳内の記憶をまさぐられるのは精神に激痛が走るので、それを行う場合は同時に電気エネルギーを生成して感覚を麻痺させる必要がある。

 

真守はオリアナに感覚を麻痺させる処置を施さなかった。

だからオリアナ=トムソンは廃人になった。

 

だが次の瞬間、オリアナは精神を強引に呼び起こされて正気に戻させられた。

 

廃人一歩手前まで追い詰めたのも真守だったが、その廃人になるのを救済したのでさえ真守だった。

苦痛を与えられたのにその苦痛がなかったことにされてしまう。

そのあり得なさがオリアナの精神を震えさせた。

 

「確かな基準点、だと?」

 

真守はオリアナの記憶を読み取ってそう呟く。

 

オリアナ=トムソンは絶対的な基準点である主義主張が欲しかった。

その主義主張のもとで、誤解やすれ違いなんて起こらずに、もう二度と悲劇を生まない世界が欲しかった。

誰かの親切が誰かを傷つけることなんてない、絶対的な一つの秩序のもとに成り立つ世界を作り上げたかった。

それをするのは一人では無理だ。だからオリアナ=トムソンはリドヴィア=ロレンツェッティに加担した。

一人では無理なら誰かがやってくれると信じて、その人間を助けるために自分は行動した。

 

「他力本願にも程がある」

 

真守はオリアナ=トムソンが掲げた魔法名『礎を担いし者(Basis104)』という名前を一蹴した。

 

「バカバカしい。人の幸せなんて千差万別。全てを等しくするなんて無理に等しいのに」

 

真守は人の幸せが一律ではないことを知っている。

 

だから守れるならば全ての幸せを守りたくて、自分が枠組みを壊すことで人々の幸せが終わってしまうならば、その枠組みの中に(はま)って戦うと決めた。

 

その真守の生き方を根本から崩すことを、オリアナ=トムソンは魔法名に刻んだ。

 

それを許せる朝槻真守ではなかった。

 

真守の体から怒気が漏れ出して、それは空間を震わせて純白と漆黒の翼から淡い光を噴出させる。

 

「オリアナ=トムソン。お前がやっている事は人間の尊厳を砕く行為だよ。だって人々の尊い価値観を無視して、お前は勝手に決めた基準点を押し付けているんだからな」

 

オリアナは真守の言い分を聞き、その言い分だけは聞き流せないと真守をキッと睨みつけた。

それでもよかった。

偶然なんて言葉で自分の親切心を裏切られるのであれば、その裏切りが自分の隣に立つ人間を傷つけるならば、絶対的な基準点を築き上げた方がいい。

主義主張が束ねられれば誰もが幸せに暮らせるのだから。

 

「なるほど。考えを改める気はないんだな?」

 

真守はオリアナの髪の毛を引っ張って自分にオリアナの顔を近づけた。

 

「だったら私もお前に私の基準点を押し付けることにするよ」

 

「…………ど、うやって?」

 

オリアナは真守の無機質なエメラルドグリーンの瞳に射抜かれながらも嗤って告げる。

真守に何をされようと譲れないものがある。

人々に平等な幸せを与える。

それだけは、オリアナ=トムソンも科学の怪物に譲れない願いだった。

 

「私の基準点。それは、()()()()()()()()()()()()()()、だ」

 

オリアナは真守の言い分に眉をひそめる。

 

「その意味は」

 

真守はそんなオリアナにそっと囁くと、その意味を口にした。

 

 

「──命を取らなければ、何をやっても構わないということだ」

 

 

オリアナはその言葉の意味が分からずに固まる。

そんなオリアナに真守は懇切丁寧に説明する。

 

「人格を歪めようが。死んだ方がマシだという苦痛を与えようが。自分が誰か分からなくなろうが、最後には人間としてまっとうに生きられればそれでいい」

 

真守の言葉がじわじわとオリアナに浸透していって、その意味がリアリティを増していく。

 

「命があれば何でもできる。なあ? その通りだろう?」

 

これからこの堕ちた歪な天使に自分は蹂躙(じゅうりん)される。

死んだ方がマシだと何度も思わされても最後には改心させられたことを泣いて喜ぶようにされる。

 

使徒十字(クローチェディピエトロ)』によって歪んだ幸福を与えられるのと同じように、オリアナ=トムソンは真守の手によって科学的に幸福を押し付けられる。

 

そこにオリアナ=トムソンの尊厳なんてあったもんじゃない。

人の尊厳を踏みにじることを、この堕ちた歪な天使は自分に許さないと言ったのに。自分の尊厳を踏みにじらんとにじり寄ってくる。

 

そこでオリアナははた、と気が付いた。

学生二人を絶対的な基準点の(いしずえ)にするために傷つけて。

そしてこれから学園都市の住人全員の尊厳を踏みにじろうとしている。

先に人々の尊厳を踏みにじってしまったのは自分だから、真守も同じようにオリアナの尊厳を踏みにじっても良いと、彼女はそう考えているのだ。

 

全てに正当性が見られて、彼女の言葉や行動には全て筋が通っている。

 

だがそこまでして突き抜けた一つの行動指針を持っているなんて、あらゆることに影響されて流される本質を持つ人間のできることじゃない。

 

朝槻真守は、普通の人間ではない。

 

全ての定石が通じない、彼女が持っている基準にしか準じない怪物なのだ。

 

オリアナが真守を怪物認定する中、それを知ってか知らずか、あるいはどうでもいいように真守はうっすらと笑った。

 

「お前を更生してやるよ、オリアナ=トムソン。お前は自分の親切心が裏目に出て苦しむ人々を、何度だって助けなければ気が済まないようにしてやる。お前を、私は絶対に諦められない正義の味方(ヒーロー)にしてやるよ」

 

オリアナが硬直する中、真守は本当に救いようのない人間だとオリアナを見つめながら冷酷に告げる。

 

「お前の記憶を頼りにすれば、吹寄は重度の日射病になったそうだな?」

 

真守はオリアナを更生し直す前段階の罰をゆっくりと値踏みしながら甘く囁く。

 

「姫神はお前に上半身を切り裂かれた」

 

これから自分が何の罰を食らわされるのかオリアナが理解できるように、真守は愉快そうに微笑みながら告げる。

 

「その痛みと同じ痛みを疑似的に与えてから、お前を組み直すことにするよ」

 

その言葉と共にうっすらと目を見開いた真守の前で、オリアナの絶叫が学園都市の空に響き渡った。

 

 

 

──────…………。

 

 

 

垣根帝督は焦った様子で夕日に染まる学園都市の空を昇っていた。

大覇星祭の競技に出ていたはずの真守がカブトムシのネットワークに引っかからなくなったからだ。

 

それに気が付いたのは土御門の治療を終えたという連絡を上条とステイルに取った時で、上条に真守がオリアナに致命傷を負わされた姫神の治療をしてくれたと聞かされたすぐ後のことだ。

 

土御門の治療はいつものマンモス病院で行っており、救急車によって運び込まれる姫神秋沙と共に真守もやってくると考え、垣根は土御門を先に上条達に合流させて救急車を待っていた。

 

だが救急車から降りてきたのは真守の担任の名物ミニ教師の小萌先生で、彼女が言うには姫神の命を繋いで救急隊員に託した真守は、忽然(こつぜん)と姿を消してしまったそうだ。

 

慌ててカブトムシで真守の姿を探したが、真守の姿がどこにもない。

 

超能力者(レベル5)第一位である真守が本気で隠れたら、カブトムシの情報網で探しても真守を見つけられないという事実を突きつけられた垣根は愕然(がくぜん)とした。

 

真守が遠くへ行ってしまう。

そんな嫌な予感が(ぬぐ)えずに、垣根は必死に真守を探した。

 

そして突然。爆発的な力の発生を複数のカブトムシが感知した。

それはAIM拡散力場に自分のエネルギーをぶつけて莫大な力を真守が得て、翼を広げようとする時に引き起こされる力だ。

 

真守がこれ以上翼を広げなくていいように、もし真守が翼を広げるなんて事態に(おちい)っていたらすぐに助けに行けるように。

垣根はカブトムシに爆発的な力の発生については優先的に知らせろと命令してあったのだ。

 

垣根がカブトムシで観測すると、真守は翼を広げてオリアナ=トムソンを捕らえて彼女を(さら)うと上空一〇〇〇メートルまで一気に上昇した。

 

おそらくオリアナ=トムソンが逃げられないように逃げ場がない空を選んだのだろう。

 

垣根も必死に真守を追っており、未元物質(ダークマター)の翼を広げて上昇してはいるが、体の構造が未元物質(ダークマター)により強化されていると言っても一〇〇〇メートル上昇するには一定時間かけなければならない。

 

だが真守は体を保全するエネルギーを生成できるので、オリアナのことも、そして自分の体にも負担を掛けずに一気に上空へと昇る事ができる。

 

垣根が必死で空を昇っていると、オリアナの枯れた声での絶叫が聞こえてきた。

 

豆粒ほどにしか見えなかった空中へと十字架で磔にされるように縫い止められているオリアナと怒り狂っている堕天使の姿が大きくなってくる。

 

「真守!!」

 

垣根は怒鳴り声を上げて、堕ちた歪な天使を地上に繋ぎとめるために名前を呼んだ。

 

自分の名前を呼ばれて、真守はオリアナに罰を与えながら見返り美人のように首だけを(ひね)って垣根を見つめた。

 

その表情は化け物のそれだった。

 

地獄の中に落とされたのだとでも言うべき絶叫を続けて、声が枯れたとしてもなお声を上げ続ける人間の前で真守はにこりとも笑っていないし、悲痛で顔を歪ませてもない。

 

全くの興味のなさそうな無表情。

 

いつも柔らかい感情が乗っているのに、そのエメラルドグリーンの瞳は酷く無機質で、そして怒りが込められていた。

 

いつも自分のそばにいて笑っているあの真守はどこに行ったんだろう。

 

人の命のことを尊んで柔らかく微笑む真守は、幸せそうに微笑む真守は。

 

自分の存在に安堵して、心の底からの安らぎを手にしてふにゃっと笑う真守は、一体どこに行ってしまったんだろうか、と垣根は呆然とした。

 

「──やめろ、真守」

 

垣根は思わず声を震わせながら真守に声を掛けた。

 

「なんで止めるんだ?」

 

真守はオリアナに苦痛を与え続けながら、酷く平坦な声で垣根に訊ねる。

 

「お前に、そんなことしてほしくない」

 

「なんで?」

 

真守は弱弱しく告げる垣根に目を細めながら問いかける。

 

「木原相似の時は止めなかったのに」

 

八月三一日。木原相似に真守は襲われた。

その時木原相似の人格を真守はイジっており、彼を真っ当な人間へと更生させていた。

 

確かに木原相似の人格をイジった時に、垣根は何も思わなかった。

だが今の真守の様子はあの時と明確に異なっている。

 

真守は怒り狂っている。

 

怒り狂っているが故に逆に無機質じみており、気に入らないからという理由で必要以上の苦痛をオリアナに与えている。

 

「やめてくれ」

 

垣根はひりつく喉を強引に鳴らしながら真守に懇願(こんがん)する。

見ていたくなかった。

人を怒りで傷つける真守を見ていられなかった。

それと一緒に、垣根は体内を駆け巡る恐ろしい感覚で背筋が凍りそうだった。

 

「お前が、遠くに行っちまいそうな気がする」

 

そう。

いつも人のことを想って行動していた真守が人を傷つける姿を見た垣根は、真守がどこか遠くへ行ってしまうのではないかと感じていた。

だから垣根は、自分から離れていってしまおうとしている真守を繋ぎ留めるために口を開く。

 

「だから、やめてくれ」

 

垣根が(すが)りつくような声を出すと、真守はその瞬間にオリアナ=トムソンに苦痛を与えるのをやめた。

その無機質だったエメラルドグリーンの瞳が動揺で震える。

 

 

真守の脳裏に、はっきりと『あの時』が蘇る。

 

 

五年前。全てを壊すために自らを高次元の存在へと近づけた時。

源白深城を構成するAIM拡散力場を利用しようとした時、深城はAIM拡散力場を媒介にして必死に自分に話しかけてきた。

 

『真守ちゃんそんなことしないで、しなくていいから!』

 

脳裏に響いた自分を繋ぎとめるために縋りつくような深城の声。

 

『お願いだから遠くに行っちゃわないで』

 

必死に自分を引き留めようとした五年前の深城と、垣根の今の姿が真守の中で重なった。

 

(…………私、)

 

真守は突然放心状態になった自分を心配して見上げてくる垣根を視界に入れながら、心の中で呟く。

 

(()()、何かまちがえた?)

 

あの時、真守は深城に人を殺してはならないと教えられた。

深城の命の価値に気が付いていたのに、その他の人間の命も大事なのに。

それを全て踏みにじろうとした自分に深城はそんな事はしていけないと、間違っていると必死に伝えてきた。

 

(人として、しちゃいけないことした?)

 

あの時の自分はどこからどう見ても人でなしで、怪物だった。

その怪物になってはいけないと深城が言ったから、真守は必死に人間として生きてきた。

深城が教えてくれた命の価値を、台無しにしたくなくて。

深城を悲しませたくなくて。

深城が望むような真っ当な人間として生きたいと思って、そうやって生きてきた。

 

(なんで?)

 

自分は確かに人間として歩んできた。

 

(どうして?)

 

人の命を大切にして、大切にできてここまで生きてきた。

人として守るべき最低限の()()である、『人の命を奪ってはならない』というものを必死で守ってきた。

 

(どうしてそんな顔するの、垣根)

 

間違ったことはしていない。

深城に教えてもらったことはちゃんと守っている。

それなのに。

 

(なんで、あの時の深城みたいな顔するの?)

 

何が悪いか、分からない。

自分は何も悪いことをしていないはずだ。

守るべきことは守って、人間として生きられているはずだ。

それなのに、どうして。

 

(私が、人間じゃない怪物になってどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって顔、するの?)

 

何もわからない。

どうすればいいか分からない。

何をすれば垣根がそんな顔をしないでいてくれるのかが分からない。

何もわからない自分ができることはただ一つ。

垣根の言う通りにオリアナに罰を与えないことだけだ。

 

「…………………………わかった」

 

真守が呆然と頷く中、垣根はなんだか心の底から悲しくなって、悲痛で顔を歪ませた。

 

垣根が自分のことを怪物だと感じて、そして深城のように遠くに行ってしまってほしくないとして自分を止めているのは分かる。

 

それでも真守はどう弁明したらいいか分からない。

 

どう垣根に声を掛けて、どう許しを乞えばそんな顔をしないでくれるか、朝槻真守にはどうしても分からなかった。

 


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