次は八月一六日月曜日投稿です。
真守は第七学区の廃ビルの最上階に身を隠していた。
(周りに人はいない。衛星と学園都市内に設置されたカメラから辿れない経路を使ったから流石に大丈夫か)
真守は身だしなみチェック用の鏡で辺りを確認してから廃ビル内に引っ込んで、柱の一つに寄り掛かってずるずるとうずくまる。
(問題は垣根だ。深城が
『真守ちゃん』
真守がこれからどうしようかと対策を練っていると、ふわっと目の前のガラスが砕かれて吹き抜けになっている窓の向こうから深城がやってきて心配そうに自分を見下ろしていた。
『大丈夫?』
「問題ない。少し考えたいから周り見といてくれる? 顔が分からなくても誰か来るくらいは分かるだろ?」
『うん、分かったよぉ』
深城は素直に頷くとビルの向こうからふわっと浮かんで降りていった。
(問題が多すぎる。垣根の事もそうだけど、どうして今回のゲームで襲ってくる不良たちはみんな強いんだ? まるで
真守は口に手を当てて熟考する。
(何かの装置を使っている? そんな代物があったらこの学園都市の
真守はPDAを取り出してから辺りを見回す。
この廃ビルは電気が生きているのでどこかに電話線があれば良いと思って探すと、目的の電話線があった。
ウェストバッグからルーターを取り出して電話線に取り付けると、真守はPDAを起動させる。
そして、
「検索ワードは、そうだな。『
真守は簡易的な言葉を並べてそれを条件にしてネットを探る。
検索エンジンでもそうだが、何かを調べたい時は言葉を簡潔にした方がヒットしやすい。
この場合は『
真守がネットを探っていると、気になる言葉が出てきた。
「
(すごい騒がれてるな。取引されているみたいだがどんな代物かどこにも書いてない。頒布している人間が意図的に隠しているのか。とりあえず、今のうちに情報収集を──)
真守がPDAを続けて操作しようとすると異変を感じ取って天井を見た。
(人の気配がする)
真守はPDAと簡易ルーターをとっさにしまって立ち上がり、柱に背を預けながら辺りを探る。
(いきなり屋上に現れたって事は空間移動系能力者? 手加減が面倒なんだよな、連中……!)
真守は息を殺して屋上の人物を警戒する。その人物は移動して屋上からビルの中へ入ろうとしていた。
真守は階段から見えない死角へと移動して警戒する。
(床に散らばったガラスの破片が踏み砕かれる音からして一人。歩幅的に身長が高い。随分と早足だ。……なんか焦ってる?)
真守は嫌な予感がして鏡を取り出して階段の方を映すと、そこにはクラレット色のスーツにワイシャツの前を開けて中にワインレッドのセーターを着こんでいる垣根帝督がいた。
真守のいるフロアにやってきて辺りを見回している姿が見えて、真守は息を止めた。
(垣根……? ここまで追ってくるなんて情報収集能力が高い証拠だ。それにスーツ? ……病院に来た深城の古い友人を騙った二人組はスーツとドレスだった。片方が垣根。あの二人組はナースの精神を操作してた。垣根の背後には精神系能力者がいる。なら、監視カメラや衛星から逃れたって意味がない。ここにいるのがバレるに決まってる……!)
「……真守、そこにいんのか?」
真守は突然垣根に声をかけられて目を見開いた。ふと、鏡を見ると垣根が鏡を見つめていた。
どうやら太陽光の反射で光る鏡に垣根は気が付いたらしい。
(こういう手に気づくって事は垣根はやっぱり暗部の人間!)
真守はハッと息を呑んで、思考が鈍った頭をフル回転させる。
(どうにかしてこの場を切り抜けなきゃ!! ……垣根は私の事、常識人だと思ってる。闇から逃れられた幸運なヤツだって。だから追い詰められてる可哀想な私の事を助けに来た。……もしかしたら私が垣根と同じ『闇』にどっぷり浸かってるって知ったら、なんとか追い返せるかも……っ)
真守は高速で思考すると、柱の影から垣根の前に姿を現した。
「垣根」
真守が垣根の名前を呼ぶと彼はあからさまに安堵の表情を浮かべて近づいてきた。
だが、途中で真守の様子を見て立ち止まった。
真守が訝しんでいる前で、垣根は思わず呆然としてしまった。
真守があからさまに疲弊していたからだ。
寝ていないのか顔色が悪いし、いつも綺麗に結い上げてある猫耳ヘアは乱れており、汗によって前髪が張り付いている。
羽織っているパーカーは綺麗だが、その中に着ている白い袖なしのブラウスが汗によって体に張り付いているし、ウェッジソールの白いパンプスは薄汚れている。
長時間逃げ続けた結果が真守の外見に現れていた。
「びっくりした。どうして来たの?」
真守が過酷な環境に置かれているのだと気づいて愕然としている垣根に、真守はいつものようにぶっきらぼうな口調で訊ねた。
「……どうしてって、お前が心配だからに決まってんだろ?! あんな風に電話切りやがってそのまま連絡つかねえし……今までずっと逃げてたのかよ!」
「そう。逃げてた」
「逃げてたって……とにかく、まともに休める場所を俺はいくつか知ってる。こんなクソみてえな場所から早く移動しようぜ」
垣根が真守を連れていくために一歩近づくと、真守は一歩下がった。
「真守?」
「垣根。私は別に大丈夫。垣根が助けなくちゃならない程弱くない」
「……お前、そんな格好してそんなに疲れ切った顔して何強がってんだよ!!」
「私は垣根が思っているような人間じゃない。だから助けなくていい」
「俺がお前をどう思っていようが、お前が助けを拒む理由にはなんねえだろうが!?」
垣根が怒鳴るので真守はキッと垣根を睨み上げて拒絶の意志を示して冷たく言い放った。
「お前は私の事を人格者だと思ってるんだろう。……そんなワケない。お前は勘違いしている。私は、お前が助けなくちゃいけないって思うような人間じゃない!」
「だから、俺がお前をどう見てるかなんてなんで関係あるんだよ!!」
「私は、人を殺したことがある!!」
真守の突然の告白に垣根は呆然として思考が真っ白になる。
「な……ん、……それ、どういう……」
「私は人を殺せる側の人間だ。そんな人間をお前は助けなくていい。助けるべきじゃない」
「なに突然嘘ついてんだよ! お前は絶対に人を殺さないようにしてるじゃねえ────……!!」
垣根は自分の言い分におかしなところがある事に気が付いて言葉を詰まらせた。
人を殺さないようにしている。
それは以前に人を殺したことがあるからこそ、殺さないように手加減できるという事だ。
真守の告白が真実ならば。
真守は人を殺した事を悔やんでこれ以上殺さないように心掛けているだけの事だった。
「私は、まちがえた」
真守は過去を思い返して呟く。
「大切な人を傷つけられて、何もかもが憎かった。良い人も悪い人も区別なく、たくさん殺して、その人たちの全てを奪った。その人たちは何も悪いことしてない。ただそこにいたからっていう理由で私に殺された。その人たちの命だってかけがえのない命で、替えのない人生で。……そんな人たちを私は平等に殺した」
垣根はその告白を聞いて真守の身の上を思い出した。
朝槻真守は、重傷を負って昏睡状態となった源白深城を連れて研究所から逃げ出した。
恐らく、その時に殺人を犯したのだ。
真守が源白深城と共に研究所を逃げ出したのは約五年前と推測できる。
真守があの病院に入院したのが五年前からだからだ。
五年前。つまり、一〇歳という幼さで真守は既に人を殺す事ができたのだ。
そんな自分を異常だと認識しているからこそ、真守は垣根に助けなんて要らないとかたくなに拒絶してきたのだ。
助ける価値なんてないと。殺人ができる人間を助ける意味なんてないと。
真守はたった一五歳で。
一人で。
罪を背負いながらも、強く自分を律して陽の光の下で懸命に生きてきたのだ。
垣根は勘違いしていたと知った。
真守は陽の光の下で楽しく暮らしていたのではない。
『闇』に囚われないように懸命に戦いながら陽の光の下にいたのだ。
真守は垣根の考えている事なんて気にも留めずに、自分の気持ちを吐露する。
自分がそうやって生きていかなければならないという固い決意を口にする。
「……確かに、大切なものを傷つけられて守るために、戦うのはいい。でも、何があっても人の命を奪っちゃだめだ。どんなに憎くて苦しくて、何もかもめちゃくちゃにしたくても。……何も知らないで幸せに暮らしている人を殺しちゃいけない。人の幸せを奪っていい人間なんてこの世にいない」
真守はぎゅっと胸の前で手を握って、垣根を見上げる。
「私はそれを
真守の固い決意の言葉が垣根の胸に深く突き刺さった。
どんなに汚い手を使ってでも、この学園都市を都合のいいように利用し尽くす。
誰を犠牲にしても、何が犠牲になったとしてもこの憎い学園都市を必ず支配する。
支配して、壊して作り替えて。骨の髄まで利用し倒す。
利用される側であった自分が、今度は学園都市を利用するのだ。
それを信条として垣根はここまで生きてきた。
学園都市を良いように利用するためには、一度壊さなければならない。
だからこそ垣根帝督は統括理事長、アレイスター=クロウリーが進めている『
その朝槻真守は垣根帝督のようにこの学園都市のありふれた悲劇に遭遇していた。
そして学園都市を壊すために復讐を決意して、そしてその復讐の最中誰かにそれがいけないことだと教えてもらった。
朝槻真守は、既に垣根帝督が進もうとしていた道の先へと到達していたのだ。
真守は今、新たな可能性を模索している最中なのだ。
復讐で背負ってしまった罪を償いながら、何が本当に良いことなのか考えながら手探りで前へ前へと進み続けている。
この少女の後を追うように自分がこのまま道を突き進めば、きっと朝槻真守が今背負っている罪が待っており、朝槻真守のように新たな可能性を苦しみながら模索しなければならなくなるだろう。
自分の望むとおりに全てを壊したら、そこで幸せに暮らしていた人間を不幸にする。
それでも垣根帝督は良かったのに。
朝槻真守がそれを酷く後悔しているから。
自分も後悔してしまうのだろうか、とそう考えてしまった。
全てを壊した先には何が待っているだろうか。
達成感なんてなくて、全てを壊したという虚無だけが残り、罪悪感に呑まれるのだろうか。
もしかしたら、虚無と罪悪感の中、苦しんで死に絶えるかもしれない。
朝槻真守はそんな結末に行きつきたくないから、自分ができる事を必死に探して日々を懸命に生きている。
垣根帝督の未来のカタチが、朝槻真守という一人の少女として、目の前に存在している。
存在しているからこそ、垣根帝督は自分の行きつく未来を想像する事ができた。
垣根帝督はこれまで自分がやろうとしていたことや、信条としてきたものがボロボロと崩されていくのを感じた。
真守は呆然としている垣根を睨み上げるように見つめていた。
垣根帝督は確実に暗部組織の人間だ。
暗部。
それは学園都市で表沙汰にできない後ろ暗い裏方の仕事を秘密裏に処理する組織だ。
所謂、学園都市の『闇』。
真守がいた研究所も学園都市の『闇』の一部で、研究所では人体実験が横行していた。
使い潰される命。それをどうとも思わない研究者。
それを許容する『闇』。
人を殺さないで自分の大切な存在を守れればいいと思っている真守は、自分や深城に伸びる『闇』の魔の手から逃れればそれでいいと考えている。
それに、学園都市が存続してく中で必要な『闇』を消すことは、何の地位もない消えた八人目の
真守は垣根が自分のことを無害な人間だと認識している、と感じていた。
助けるべき人間だと。おそらく『闇』から守るべき人間だと垣根帝督は心の底から思っている。
優しい人だ。
朝槻真守は、垣根帝督が優しすぎるが故に傷ついて自暴自棄になっているとずっと感じていた。
そうと言っても、垣根帝督が自分や深城を利用しようと近づいてきたのは事実だ。
垣根が『闇』として深城に手を伸ばしてくるならば容赦しない。
だから、垣根にはここで引いてほしかった。
自分と同じ『闇』であると落胆して、助けるべき人間ではないと知って欲しくて、このまま立ち去って欲しかった。
だから人を殺したと、そんな人間を助けることなんてしなくていいと、真守は再三にわたって垣根に伝えたのだ。
場に沈黙がもたらされて、真守は目を細めて垣根を見ていた。
垣根が黙って動かないのを疑問に思いながら、真守は口を開いた。
「分かった? 私はお前が助けるべき人間じゃない。だからこのまま帰って」
真守は、そこで言葉を切ってぐっと力を込めてから言い放った。
「それでもう、きっと。二度と会う事はない」
垣根帝督は
それが明確に理解できた今、もう一緒にいられない。
一緒にいるには何か対策を講じなければならない。
その時間も余裕も、今の朝槻真守にはない。
真守が決別の言葉を吐くと、その言葉に垣根は呆然として真守の顔を見た。
真守もそんな垣根の表情を見て息を呑んだ。
垣根が酷く傷ついた顔をしていたからだ。
一緒にいられなくなる事が認められない、そんな事になってしまうのが信じられない。
そんな現実は受け入れられない、と。
「ど……どうしてそんな顔するんだ?」
真守は思わず一歩後ろに下がりながら、震える声で訊ねた。
打算で自分と一緒にいたハズだ。
その内に垣根は自分の事を人格者だと信じるようになって、気に入っていたのではなかったのか。
人格者じゃないと分かったら。
垣根自身と同じ『闇』に手を染めていたと分かったら。
落胆して離れていくと思ったのに。
どうして縋りつくような目で自分の事を見てくるのか、真守には分からなかった。
「………………お前は、それでこれからどうするんだ?」
自分と真守が共にいられない未来が待っている。
真守はそんな未来で、自分から離れて。
これからどこに向かうのだろうと、垣根は純粋に疑問に思って訊ねた。
酷く冷静だった。
関係がここで断ち切られると分かっているのに、酷く心がかき乱されているのに。
何故か、いつもよりも穏やかな声が出た。
真守は垣根の様子に困惑しながらもこれからの方針を簡潔に告げた。
「……とりあえず逃げる。いつもの事だから二、三日で収束するハズだし」
「いつも?」
「そう。いつもの事だ。こうやって時々ゲームが再燃する。私は連中にとって珍しい存在だから。ただ、それだけの話だ」
「……お前が本当は
「……、」
真守は垣根の問いかけに思わず口を噤む。
口を噤んだのが、まずかった。
真守が後悔したと同時に、垣根が真守の沈黙を読み取って訊ねてきた。
「……お前、本当は消えた八人目なんだな?」
真守は覚悟を決めた。
垣根と戦う事になったとしてもしょうがない、と。
「そうだ。私の本当の能力名は
真守は明確な敵意を持って垣根に宣言した。
自分が
真守は周りに電気エネルギーを迸らせて火花を散らす。
そして、その外側に運動エネルギーを生み出して垣根へとけん制するように風を巻き起こした。
真守の演算能力の特徴は並列処理にある。
エネルギーを数種類、同時に生成して操る事なんて真守には簡単な事だ。
真守のけん制に垣根は怒りも敵意も覚える事もなく、穏やかな声のまま、真守に訊ねた。
「俺が消えた八人目を探してるって知ってたんだな?」
「……途中から。垣根がどんな人か分からなかったし、目的も何も分からなかったから、黙ってた。……だから。だからな、」
真守は垣根の言葉にしっかりと頷いた後、顔を歪ませて悲痛な声で叫んだ。
「人を殺した事があるって言えば、私の事を人格者だと思ってるお前は引き下がると思った! だからそんな顔させたくて言ったんじゃない! 優しいお前を傷つけるために言ったんじゃない! こんなっ……っ
垣根帝督は暗部組織『スクール』のリーダーで、アレイスターの『
だが、その朝槻真守は人をきちんと見極める確かな目を持っていた。
その朝槻真守が自分を優しいと言えば、自分の本質はそういうものなのかもしれないと思う事だって、
いつからか、垣根帝督は朝槻真守を信じるに値する人間だと思っていたのだ。
人の事を見る確かな目を持ち、自分の進むべき道をきちんと見極めている朝槻真守。
消えた八人目という明確に地位が存在しない彼女は、誰の力も借りられない。
『闇』に囚われないように学園都市と真っ向から戦う道を選んだ真守は、これからもその道を孤独に突き進んでいくだろう。
確かに真守の傍らには源白深城がいる。
でも源白深城は昏睡状態で。真守にとって彼女こそがかけがえのない存在で、真守が何としてでも守っていかなければならない少女だ。
朝槻真守の傍には事実上、誰もいないのだ。
何処まで行っても一人ぼっち。
誰も真守の抱えているものを知らないから、誰も力になる事ができない。
ならば。
全てを知った自分がすることは決まっていた。
「助ける」
「え」
「俺が助ける。俺が傍にいる。だから、もう二度と会えないなんて言うな」
真守は必死で懇願してくる垣根の姿を見て、思わず能力を発動し続けるのをやめてしまった。
電気エネルギーは散って、運動エネルギーによる風も起こらなくなった。
真守の起こした風によってなびいていた垣根の長い髪の毛が元の位置である肩に降りた。
真守は眉を八の字にして悲痛な表情をしながら思わず訊ねた。
「……私の事、許せるの?」
垣根は
真守はそれを知りながらも
それらを許せるのか、真守は問いかけていた。
「そんな事はもうどうでもいい。……どうでもいいんだ」
本当にもう、どうでも良かった。
人を殺した事があるとか。
消えた八人目であることを隠していた事とか。
自分の信条を折られた事とか。
自分が似合わない言葉を言っているとか。
「……じゃあ、助けてくれるの?」
「ああ」
真守が訊ねると垣根はしっかりと頷いた。
真守は恐る恐る垣根へ近づくために一歩踏み出した。
垣根は真守が近寄ってきてくれる事を望んで動かなかった。
真守は垣根の傍まで歩いてきて自分よりも身長が二〇㎝以上も高い垣根を見上げた。
そして真守は切なそうに顔を歪めてから口を開いた。
「助けて、垣根。助けてほしい」
「ああ。絶対にお前を救ってやる」
真守は垣根の決意の言葉を聞いてふにゃっと安心して微笑んだ。
そして、垣根の右手へ手を伸ばして両手で柔らかく包み込むと、自身の顔の前まで移動させて頬をそっとすり寄せて微笑んだ。
「ありがとう、垣根」
心からの安堵とお礼と共に、柔らかな笑顔が自分に向けられる。
垣根はそんな真守の様子に、これまでの自分の行いに、罪悪感が
それでも。
真守がこれからも自分の傍にいてくれる事に──心の底から安堵した。