次は一二月二四日金曜日です。
第一二六話:〈既知未来〉だから覚悟はできてた
「やはり朝槻さんの足取りは全くといっていいほど掴めません」
誉望は頭に取り付けた土星型のゴーグルからケーブルを伸ばし、手元のタブレット端末に差し込み、それを見ながら告げる。
「昨夜の襲撃により情報網が
そんな誉望の前で
「テレビでも第七学区と学園都市外周部の被害については触れられていないものね。集団昏睡事件という触れ込みも上層部仕込みかしら」
「わたくしは学生寮にいましたので……外の様子はまったく伝わっていませんでした。テレビも寮室内にはありませんし……それでも、寮監さまやラウンジのテレビを見ていた方たちは昏倒していたようですが……」
弓箭は申し訳なさそうに事件当時、いつもと変わらない日常を過ごしていたと告げる。
三人の視線の先には垣根がソファに座っていた。
ソファに
「……ずっと、分かってた」
垣根はぽそっと一人呟く。
あの少女が自分を置いてどこかへ行ってしまうのを。
あの少女が自分のあずかり知らぬ存在へと
あの少女が自分に笑いかけることがなくなるのを。
ずっと分かってた。
それでもそばにいたかった。
誰よりも優しく、誰よりも気高く尊いあの少女を一人にしてはならないと。
一人で孤独に打ち震えて泣くなんて絶対に許せないと。
それだけは我慢ならないと、そう思ったからだ。
垣根はそこで一度ため息を吐いて脱力してから顔を上げた。
そして、決意の言葉を吐いた。
「取り戻す」
その言葉に、三人は決意のまなざしを宿す。
朝槻真守は『スクール』にとって大切な存在になっていた。
だからこそ、取り戻さなければならない。
真守はいつだって人々の幸せを願っていた。
どんなに苦しい閉塞した未来が自分に待っていようとも、何度も執拗に精神的に追い詰められようとも。
それでも全てを憎まずに全てが愛おしいと笑って告げて、学園都市で生きる人々全員の幸せをただひたすらに祈る。
そんな、この世で最も尊い
彼女の輝きを、ささやかながらも壮大な願いを知っているならば、何があってもそばにいなければならない。
どんなにあの少女に力があっても関係ない。
あの尊い魂には、自分たちが寄り添わなければならない。
絶対に孤独にするわけにはいかない。
「俺たちはここ数日、学園都市を揺すれる情報を入手しようと動いていた。……テメエらもその理由は分かってんな?」
垣根が問いかけると『スクール』の面々は頷く。
あの夜。真守と自分が結ばれた夜。
垣根帝督は朝槻真守が笑っていられるような学園都市を作り上げると約束した。
だから学園都市と交渉できるような情報をずっと探していた。
だがそんな情報は当然ながらネット上には転がっていない。
統括理事会のサーバーにも、だ。
全ては学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリーが握っている。
彼が独自に有している『
そこに、その全てが詰まっている。
「真守の居場所はおそらくアレイスターしか知らねえ。学園都市統括理事会のサーバー上にも残されていないとなると、『
事実、真守の痕跡は手の届く範囲にはどこにも残されていない。
統括理事会すら真守の居場所を把握できていないことは確かだ。
何故なら各所で秘密裏に、
だが、アレイスターが知らないはずがない。彼はこの学園都市の統括理事長だし、『
「真守はアレイスターにとって最も重要な存在だ。だったら俺たちがそれを奪ってやれば、
『
その存在をアレイスターが一番重要視するのは当たり前だ。
垣根はこの場の人間全員が分かっていることを今一度告げて、ほくそ笑む。
「俺たちは真守を取り戻せる。そして真守を学園都市との交渉のカードに使えば、真守のために学園都市をよりよくすることができる」
そして垣根は手のひらをギュッと握った。
真守をもう一度、この手の中に取り戻すために、その気合を込めて。
「要は真守をこの手に取り戻せばチェックメイトだ。何もかも俺たちの手に落ちることになる」
垣根は嗤って三人を見た。
「簡単じゃねえか。大切なものを取り戻すだけで全部丸く収まるんだからな」
垣根はソファに座るのをやめて立ち上がり、ポケットに手を入れて宣言する。
「やるぞ。ここが正念場だ」
垣根の言葉に『スクール』の面々は動き出す。
朝槻真守を取り戻すために。
彼女の幸せを、取り戻すために。
──────…………。
源白深城は第八学区のとあるビルの最上階にある『スクール』のアジトの一室にいた。
深城はベッドに座って、膝の上で小さく丸くなっている林檎の頭を撫でる。
林檎はついさっき寝たばかりで少し苦しそうだった。
深城が林檎を見つめていると、部屋の扉が静かに開いて、廊下から垣根が中に入ってきた。
「垣根さん」
「林檎は寝たか?」
垣根は膝枕というか、深城にしがみついている形で眠っている林檎を確認して、近くにあるテーブルに寄り掛かる。
「うん。でも苦しそう。真守ちゃんがいなくなったの、やっぱりショックみたい」
「……そりゃそうだろ」
覚悟していた垣根自身だって呆然としてしまったのだ。
一〇歳の子供がショックを受けないはずがない。
「方針は決まったの?」
真守は林檎の髪の毛を撫でながら、顔を上げて垣根に訊ねる。
「『
「……ごめんね、垣根さん」
垣根が現状、難しいことを報告していると深城は心苦しそうに俯いた。
「なんでだ?」
「真守ちゃんを一人にしちゃって。でもここであたしまでついていったら意味がないと思ったの。だから、」
「お前の選択は間違っちゃいない。お前が真守と一緒に消えたら何が起こったか分からなかったし、俺はもっとどうすればいいか分からなかった」
垣根は謝る深城の言葉を
「……もう一度よく聞かせてくれ。あの日、何があったのか」
「うん」
深城は林檎の背中を優しく撫でながらあの日のことを垣根へともう一度伝える。
深城はあの日、スーパーに行く道すがらで体が強制的に操られた。
アレイスターに用意された体だ。
だから細工がされていると分かっていたから、そこまで怖くはなかった。
異様に静かな街を歩かされて、深城は自身の体と認識しているAIM拡散力場からなんとなく、全てを察した。
学園都市に魔術師が襲撃に来ていて、それによって街は死にかけていると。
食い止めるために、自分を使わなければならないということ。
それと同時に、この機に乗じて真守を安定して
真守は極めて危険な存在だ。
だからこそ慎重にならざるを得ず、誰も彼もが気絶している九月三〇日が都合よかったのだろう。
そして、だからこそ。
朝槻真守は誰にも知られることなく、仲介人の
「ローマ正教の最暗部。『神の右席』、前方のヴェント……か。そいつ一人の『天罰術式』とやらで学園都市は落ちかけた。確かにヤベエな。学園都市が警戒してるのも頷ける」
現在学園都市は
どこかの宗教団体が押しかけてくると学園都市の学生たちは楽観視しているが、そのどこかの宗教団体に所属するたった一人に学園都市は落ちかけたのだ。学園都市が危機感を覚えるのも無理はない。
「真守は学園都市の支配下に入るために自分の意志で仲介人について行った。……アレイスターが真守に課した『
「そうだね。私もそうだと思う。だから真守ちゃんをコントロールできるように、学園都市の第一位にしたり、他にも色々と手を尽くしてきたんだ」
垣根はそこで無言になる。
解剖学的に調べられてバラバラにされて元に戻されても、それでも真守はそこに存在しているだろう。
そんな非道が行われたとしても真守は苦痛を感じる事はなく、必要な行いならば当然として受け入れるだろう。
だがそれが許されていいはずがない。
そもそも真守は
人間らしいことを人間ではなくなって許容してしまうことに、真守は恐怖を覚えていた。
人としての尊厳を失い、それに関して自分がどうも思わなくなってしまうのが怖かった。
そして何より。
今のように大切な人たちから離れて、大切な人を大切だと思えなくなるのが嫌だった。
「まずは真守を取り戻すことだ」
垣根は胸が詰まり、一息吐いてから告げる。
「真守にとって今、何が本当に幸せかは分からねえ。でも俺たちは真守を一人にしないためにずっとそばにいるって言ったんだ。絶対に死なないでそばにいてやるって言った。だから、まずは真守をヤツらから取り戻すしかない」
垣根はこれまで何度も真守に言い聞かせてきたことを今一度呟き、ささやかな願いを口にする。
「俺は……真守を、人として扱ってやりたいから」
「……うん。そうだね。あの女の子は、真守ちゃんが行く場所には人としての幸せはないかもしれないって言ってた」
深城は
「でもさ、それって真守ちゃんに人としての幸せをどうにかすれば与えてあげられるってことだよね。だから真守ちゃんは幸せになれる。あたしたちは真守ちゃんを取り戻して人としての幸せを与えなくちゃ。あの子が一人になっちゃう」
深城が真守の幸せを一心に願っていることを告げると、垣根は薄く頷く。
「……分かってる。だから取り戻す。最小限のダメージで、迅速に。確実に」
「最小限のダメージ?」
深城は垣根の言葉にきょとんとして訊ねた。
「真守が学園都市の枠組みに
「そうだね。学園都市の枠組みを壊しちゃったら、魔術世界が付け込んでくるもんね」
「ああ。だから学園都市に大打撃を与えるのはマズい。……だが今、学園都市はローマ正教と戦う準備をして内からの攻撃に
「……ふふ」
深城は垣根の熱弁を聞いて微笑むと、垣根がムッとした表情で深城を見た。
「何笑ってんだよ」
「ううん、垣根さん。優しいなあって思って。真守ちゃんのためなら他の人の命をどうでもいいって言うかと思った。だからどうしたら止められるかなあって」
垣根は深城の言葉にバツが悪くなって目を
確かに真守に会わなかったら、自分はなりふり構わず全てを壊して思い通りに利用して、いいように操っていただろう。
それでも真守と会って自分は変わった。
真守がなんでもできると教えてくれた。自分の可能性を自分で
できないことなんてないのだと。
しがらみに囚われる必要はないのだと。
『闇』にがんじがらめに囚われなくていいと。
この世界は広く、そして自由なのだから。
本来ならば住み分けなんてないのだから。
自分が行きたいところに行って帰りたいところに帰ればいい。
一緒にいたい人と、一緒にいればいい。
「命があれば、何度だってやり直せる……か」
垣根はそこで、真守が深城から教えてもらって自分の基準点にしている信条を口にする。
「確かにその通りだ。命がある限り、この頭は動き続ける。這いつくばって泥水
垣根は首に下げていたネックレス、正確には銀の細いチェーンに通した真守に渡したペアリングの対となる指輪を手に取りながら呟く。
「そうやって永遠を生きるアイツを、一生救い続けるって。……俺たちは誓ったんだ」
「うん。そうだね」
深城はうっすらと微笑む。
『俺たち』と言ってくれたことが嬉しくて。
「あたしは一目見た時から神さまみたいな子だなって思った。きっと神さまみたいになんでもできて、神さまみたいに冷たくて、神さまみたいに慈悲深いんだって」
深城は白い部屋で能力を解放して
「だからあの子に愛を与えたいって思ったの。誰にも与えられないような無償な愛で、どこまでもあの子を癒してあげたかった。……それに」
深城は寂しそうに微笑む。
自分が死んでしまったことで、真守に悲しみを与えてしまったことを。
酷く、悔やむように。
「あたしは真守ちゃんに背負わせてしまったから。今更真守ちゃんから離れるなんて虫のいいこと、絶対にできないよ」
「ああ。──だから取り戻す。絶対に真守を一人にしない」
「うん。絶対ね?」
深城が笑いかけると、垣根は頷いた。
絶対に取り戻す。
たとえ自分たちが今の彼女にとって不要でも。
人間だった頃に、未来を不安に思って震えていた真守に誓ったのだから。
絶対にそばにいると。絶対に一人にしないと。
それを聞いた真守は、笑っていたから。
本当にほっとして心の底から安堵して、ふにゃっと笑っていたから。
真守が信じたことを嘘にはしない。
だからこそ垣根帝督と源白深城は絶対に約束を守る。
その絶対に破ってはならない約束を守るために。
垣根帝督と源白深城は、そして『スクール』は。
朝槻真守を取り戻すために、立ち上がった。
暗部抗争篇、始まりました。
暗部抗争篇は学園都市の『闇』ががっつり関わってきますし、真守ちゃんがいなくなって全体的に暗めですが、それでもヒーローとして頑張る垣根くんをお楽しみいただけたら幸いです。