※次は一月一〇日月曜日です。
「おまえら何してんだ?」
垣根が真守の部屋を訪れると、
そして真守の髪の毛が何故か弓箭のようにツーサイドアップになっていた。
「朝槻さんの気分転換です! ほらほら見てください、わたくしと一緒でツーサイドアップにしてみたんですよっ可愛いですよね、垣根さん!」
垣根の疑問に答えたのは真守の後ろに回って髪の毛を整えていた弓箭で、その手には櫛を持っていた。
「でもでもやっぱり真守ちゃんの髪型は猫耳ヘアがいいなあ」
そんな弓箭の隣に座っていた深城は口を尖らせてそう主張する。
真守が猫耳ヘアにしているのは、深城が似合うからと何度も主張したからだ。
真守も最初、あまり気が乗らないまま髪型を猫耳ヘアにしていたが、今ではすっかりトレードマークである。
「えーこの際だから違うのも試しましょうよぉ。サイドテールもかわいいと思いますよっ!」
弓箭が提案している中、垣根はそこで真守を見た。
「お前はいいのかよ?」
「弓箭が楽しそうにしてるからな。それに髪の毛イジられるくらい別に構わない」
変わらずに懐が広い様子の真守に垣根が安堵していると、
「いい? 女の子らしいのがガーリッシュ。ファッションの流行をいくのがモード系。どう? 気に入りそうなのある?」
どうやら
「これがいい。シックなやつがいい」
林檎は
「あら、ちょっとフォーマルチックがいいの? ……なるほどね、まあいいんじゃない? 彼と同じが良いんでしょ?」
垣根はそんな二人に声を掛けた。
「で、そっちは何やってんだ?」
「この子にファッションのなんたるかを教えているのよ。彼女に触発されてやる気が出たみたい」
そこで
「洋服いっぱいで楽しいよ、垣根」
「……そうかよ。つーか
垣根は林檎が楽しそうなのでまあいいだろ、と投げやりに思ってから
「今日はオフなの。……それに、彼女が少し大変そうだからわざと仕事を減らしているのよ」
真守は手をふりふりと振って、心理定規にありがとう、と示していた。
「弓箭は学校の方はどうなってんだ? 枝垂桜学園っつーお嬢様学校の生徒だろ。真守のそばにいられるのか?」
垣根が気にしているのは、学校や他の仕事によって真守のそばを『スクール』の構成員が離れなければならないことに関してだ。
誉望なんかは最初から人権がないに等しいので真守のそばにいるのは強制的だが、後の二人はやはり誉望と立場が違う。
まあ誉望のことを良いように扱っていると真守が怒るのだが、真守の怒りを気にして真守の周りを手薄にするわけにはいかないので無視である。
そんな誉望と立場が違う少女たち、お嬢様学校所属の弓箭を垣根が見ると、弓箭は元気よく手を挙げて嬉しそうにする。
「はい! わたくしはどうとでもなりますし、朝槻さんのことを守れます!」
「あら。そういうあなたこそ学校どうしているの? クラスメイトから携帯電話に連絡来てなかった?」
弓箭の学校を気にする垣根を見て、
すると垣根は心底嫌そうな顔をした。
「いつ見たんだよ。アレは特別公欠とサボりの区別がつかねえヤツが送ってきたんだ。ほっとけばいい」
「心配してくれているならありがたいと思うけど?」
「うるせえな、分かってる。……そうか。それならローマ正教とのごたごたが終わるまでは今の状況を維持できるな」
垣根はそこで独り言を呟いた後、真守の周りにいる少女たちを見た。
「八乙女にはもう言ってあるが、真守をちょっと外に出そうと思う」
垣根の言葉に少女たちは顔色を変える。
そんな中、弓箭が心配そうに声を上げた。
「大丈夫なんですか?」
「俺を誰だと思ってやがる、問題ねえ。真守、お前は何も言わねえが、それでも外の様子が気になってるだろ?」
「連れてってくれるのか?」
真守がツーサイドアップのまま問いかけると、垣根はいつもと違う髪型の真守を愛おしく思いながら頷く。
「ああ。連れてってやるよ。弓箭、真守の髪の毛解いてやれ。どうせ帽子被るからいつもの髪型できねえし」
「はい! 分かりました!」
そこで弓箭は垣根に言われて、真守の猫っ毛を丁寧に扱ってツーサイドアップを解く。
「そのまま真守の用意頼むぞ」
「分かりました!」「おっけー」「分かったわ」
弓箭、深城、
──────…………。
「帰りは迎えを寄越さなくていい。歩いて帰る」
「はい」
垣根は車を運転してくれた誉望と事務的な会話をして後部座席のドアを開いた。
真守は垣根のエスコートでいそいそと車から出る。
今日の真守はいつもと同じモノクロファッションだが、シックな少女らしいワンピースを着ており、頭には猫耳のついたキャスケット帽子を被っている。
垣根は真守がきちんと出てくると、後部座席の扉を閉めて真守の小さい手をぎゅっと握った。
「行くぞ」
「うん」
真守は垣根に手を握られてふわっと笑った。
真守と垣根は手を繋いで学園都市内を歩く。
真守は緋鷹に人目を避けるためにキャスケット帽子を被せられており、緋鷹の目論見通り人の目を集めていなかった。
どちらかというと、自分の容姿に惹かれて女子たちの目が集まってる、と垣根は周囲を観察しながら心の中で思っていた。
「どこ行きたい?」
「んー……いつもの喫茶店でご飯食べたい」
いつもの喫茶店、というのは垣根と真守が出会った喫茶店のことだ。
チェーン店なので垣根は真守の手を引いて、近くにあったその喫茶店へと向かう。
その途中で真守はきゅっと垣根と繋いでいる手に力を入れる。
垣根が気が付いて真守を見たら、真守は幸せそうに垣根を見上げて笑っていた。
だがその笑みがいつもより控えめなことを気にしながらも、垣根は柔らかく真守に笑いかけた。
──────…………。
真守と垣根は二人が初めて入ったカフェのテーブル席で向かい合って座っており、それぞれメニュー表を見ていた。
メニュー表を見ている真守を見て、垣根は食欲に関してはあまり変わっていないな、と思っていた。
垣根が真守を外に連れ出したのは、これまでの真守と何が違うのかを確認するためだった。
緋鷹は以前の真守のことをあまり知らないので、真守の人間性が変わったのか分からない。
だが垣根は七月初旬からの真守を知っているため、その変化が分かるのだ。
垣根も真守が
そう思って緋鷹に真守を連れ出す許可をわざわざ取って、久しぶりに出かけたのだ。
(今のところ変わってないのを確認できたのは夜の反応だけだからな。……まあ、それを八乙女に言ったところで白い目向けられるだけだしな)
垣根は心の中でそう思いながらも、とりあえずサンドイッチやパンケーキなど、軽食を中心に頼んだ。
「真守、ここ数日ずっと『
「別に問題ないぞ。ヒマなら『眠れば』いいし」
真守の『眠る』とは、体の機能を停止させるという休眠状態のことだ。
緋鷹も言っていたが真守の意志でオンオフができて、機能を停止しても生命的な死が訪れるわけではないらしい。
そこから常時力をもらっている状態だから、真守は個体としての機能を停止しても生き続けられるのだ。
全ての機能を停止することができるため、本当なら息や心臓すらも停めることができる。
だがそれだと他人の心臓に悪いため、緋鷹は心臓や息を止めないで、と指示をしていた。
真守が休眠状態で息も心臓の鼓動も止まっているところに直面したら軽く自分は錯乱していただろうな、と垣根はそれを聞いて思ったので、緋鷹の指示には大変感謝した。
まあ何はともあれ
だが一々傷ついている場合ではない。まだまだ真守について知る必要がある。
そのため垣根は、次に気になっている質問を真守にした。
「内臓器官の方はどうなってんだ? 『
「この前先生に言ったみたいに、内臓器官は
先日、真守は滝壺理后を治療しに行った時、
垣根も真守が薬を飲んでいるところを見たことがなかったからうすうす気が付いていたが、真守から直接聞いたのではっきりさせることができた。
「……お前が食べられるようになったんなら不幸中の幸いってことなんだろうな」
垣根が複雑な気持ちを抱いていると、そこに食事が運ばれてきた。
垣根は店員に並べられた中から思い出深い一口サイズのサンドイッチを手に取って、真守に差し出す。
このサンドイッチは真守に初めて垣根が食べさせたものだ。
真守がとても幸せそうに食べていたのを、垣根は覚えている。
あの時から真守になんとなく惹かれていたのだろう、と垣根が考えていると、真守は食べさせてほしいとあーんと口を開けてきた。
垣根は今の真守が変わらずに自分に甘えてきてくれているので、それが嬉しくてふっと微笑むと、真守にサンドイッチを食べさせる。
相変わらず小さい口で真守はパクッとサンドイッチを口で持つと、顔を戻して両手を添えてもくもくと食べる。
「おいしい」
真守はサンドイッチを飲み込むととろけた笑みを浮かべる。
真守の柔らかい表情に懐かしさを感じて、垣根は胸が詰まる。
「垣根、もっと欲しいな」
「あ? ……ああ、いいぜ」
垣根は真守を見つめて胸が締め付けられる思いをしながらも、真守が甘えてくれるので笑う。
そして垣根が真守にサンドイッチを食べさせると、真守は幸せそうにとろけた微笑を浮かべた。
そんな真守の前で垣根は次にパンケーキを切ってやって真守の前に出す。
真守は垣根からフォークを受け取ると、目の前に出されたパンケーキをちびちびと食べ始める。
真守はここ数日ぼーっとしている様子が多かったので、変わらない真守の姿を見られた垣根は思わず頬が緩まってしまう。
「辛いのとか苦いのはまだ苦手なのか?」
「…………食べようと思えば食べられるぞ」
真守が顔をしかめて呟くので、垣根はふっと軽く噴き出す。
「なら食べなくていい。……そうか、好みはあんま変わらねえのか」
独り言を呟くように垣根が小さく告げると、そんな垣根の様子をじぃっと見つめていた真守は小首を傾げる。
「垣根、楽しい?」
「あ? ……ああ、楽しいぜ」
本当は真守のどこが変わってしまったのか気になっていた。
安堵したり複雑な気持ちになったりするが、垣根はそれでも真守がそばにいることに幸福を感じていた。
「……そう」
真守はそうぽそっと呟いて、ぱくっとパンケーキを食べた。
真守には分かっている。
自分が変わってしまって、それに対して垣根が心を痛めていること。
そして自分と接することが怖いと垣根は思いつつも、愛しい相手なのには変わりないと穏やかな気持ちになっていること。
人の感情を察するのは昔から得意だ。
垣根のことが真守は変わらずに大事で、だいすきで、とても大切にしたい相手だ。
だからこそ自分に対して不安を抱えている垣根に、真守はとても申し訳なかった。
──────…………。
垣根は真守を連れ回して分かったことが幾つかある。
真守はぼーっとしているのが多くなった。
……というと言葉がおかしいかもしれないが、全てのことができる万能な存在となった真守は自然と周りから情報を得ることができるため、情報を得ている様子がぼーっとしているように見えるらしい。
知ろうと思えば全てを知ることができるし、やろうと思えばなんでもできる。
だから行動を起こす必要がないのだ。
だが行動しなくなったと言っても自分の意見が全くなくなっているわけではない。
それでも完璧な存在であるが故に人間の本能である欲求が著しく低下しており、何かを求めるということをするのが限りなく少なくなっている。
しかも真守は
だが垣根は以前の真守とあまり変わっていないように感じていた。
それでも
何故なら真守の端々から異質なものを垣根は感じるからだ。
そんな真守は現在
そこは真守が一人で泣いていて、垣根が告白して真守がそれを受け入れた第七学区の一番高い鉄塔だった。
垣根は真守に持たせていたフライドポテトやホットコーヒーやジュースが載ったお盆を受け取って横に置くと、真守を座らせる。
垣根に座らされた真守はじぃーっと鉄塔から見える景色を見つめていた。
景色を堪能しているわけではない。
少し前を懐かしんでいるのだ。垣根には分かる。
垣根は真守にリンゴジュースを渡してフライドポテトも手に取って口元に近づける。
真守はそれを見て、ぱくっと垣根の手から直接口にした。
そしてもぐもぐとちまちまハムスターのように食べ始める。
差し出せば嬉しそうな顔で迷いなく食べてくれる真守が可愛くて、垣根はついたくさん餌付けするように真守に差し出してしまう。
リンゴジュースを飲んでいる真守を見ながら、垣根は真守に被らせていた猫耳のキャスケット帽子を取ってやる。
垣根が帽子を取ると、真守は猫が体を震わせるようにふるふると首を横に振って帽子でぺたっとなった髪の毛をふんわりとさせる。
その動作で真守の髪の毛から以前と変わらない心地よい上品な花の香りがして、垣根は温かい気持ちになった。
自分を見て微笑んでいる垣根を真守は上目遣いで見つめ、そして垣根の頬にそっと手を寄せた。
「垣根、何か望みがあるか?」
「あ? ……なんで?」
突然の真守の問いかけに垣根が怪訝な顔をすると、真守はふんわりと笑った。
「私にとって大切な垣根のお願い、叶えてあげたいんだ。垣根が私のことで色々と苦心しているのは知ってる。だからお前のために何かできる事をしてやりたい。そう思うのは当然だろ?」
垣根は真守から淡々と告げられた言葉を聞いてそっと目を細める。
本当につらいならば我慢しなくてもいい。
本当につらかったならばそばにいなくても自分は構わない。
大切な垣根がしたいように生きればいい。
そう考えている真守の優しさに触れて、垣根は真守が自分の頬に添える手に自分の手を重ねて笑った。
「何もいらねえ。ただお前がそばにいてくれるだけでいい」
「垣根、少し前と違って無欲になったのか?」
真守が言っている少し前の垣根とは、何もかもを利用して自分が生きたいように自分勝手に生きていくことを信条としていた時のことだろう。
確かに全てを憎んでいた。
あらゆる存在が自分勝手に欲望を満たすなら、自分もそうやって生きていていいと。
それで周りの人間が何かを奪われたってどうでもいい。
ただ自分がやりたいようにやって生きていければそれでよかった。
でも、垣根帝督は朝槻真守に出会った。
真守は色々なことを教えてくれた。あらゆる可能性を見せてくれた。
そして何より、自分のことを誰よりも信じてくれた。
誰が何を言おうとも自分の本質を見抜いてくれて、ありのままの自分を見てくれた。
何があっても信じてくれる存在が、いつまでも自分のそばにいてくれる大切な存在が。
これだけがあれば生きられるというものが、垣根帝督はずっと欲しかった。
「……いいや?」
だからこそ、垣根は真守に笑いかける。
「前よりも
真守はそれを聞いてふふっと小さく笑う。
「夜も満足に眠れないもんな」
「ああ。だからそばにいてくれ。俺の願いはそれだけだ」
垣根が真守にただ一つの願いを口にすると、真守は薄く微笑んだ。
「分かった」
「……お前は、どうしたい?」
「私?」
真守は垣根の問いかけにきょとっと目を見開いた。
「学園都市を、お前のために変えるって約束した。でもお前は
真守は垣根に問いかけられて、そっと目を伏せる。
「…………今のままがいい」
「今?」
垣根がオウム返しすると、真守はぽつぽつと呟く。
「垣根がそばにいる、今の状態が良い。垣根がいないととても困る。垣根がいい」
「真守?」
垣根が様子のおかしい真守の名前を呼ぶと、真守は垣根を上目遣いで見上げて、
「垣根が私の神さまの部分を知って離れていくまででもいいから。ずっと一緒が良い」
「何言ってんだよ」
垣根は真守の不安を聞いてそれを一蹴した。
「離れていくわけねえだろ。お前が
垣根が少し怒った様子で告げると、真守は安心したようにふにゃっと笑った。
「ありがとう、垣根」
そんな真守を見て、垣根は顔をゆがめた。
「お前は俺のモンだ。絶対に離すわけねえだろ。……今更、手放せるかよ」
「垣根」
真守は自分の手を縋るようにぎゅっと握る垣根の手を感じながら垣根の名前を静かに呼んだ。
「ちゅーしてもいい?」
「聞くなよ、そんなこと」
真守はそこで垣根へと自分からキスをする。
そして口を離すと、真守が顔をしかめた。
「……苦い」
真守は垣根とキスをしてから口を離して眉をひそませながら告げる。
垣根の飲んでいたコーヒーが真守にとっては苦すぎるのだ。
「お前は甘ったるい。……やっぱ物足りねえ。もう一回」
真守が飲んでいたリンゴジュースのフルーティーな味を感じて垣根は笑うが、満足できなかったため、今度は深いキスをする。
「ん」
真守は垣根からの深いキスに息が続かずにはふはふ幸せそうに息を荒くしながらキスをする。
そして垣根がそっと口を離すと、真守は熱い吐息を一つ吐く。
「はん。やっぱりお前がキスされた後の顔は変わらねえな」
垣根はそんな真守の顎をくいっと掴んで、その表情に熱い視線を向けながら甘く囁く。
「ん。…………恥ずかしい。みないで」
真守が恥ずかしそうにしているのが可愛くて、垣根は笑った。
「真守」
垣根がくつくつと笑いながら真守の名前を呼ぶと、真守は気まずそうに顔をしかめながらも垣根を上目遣いで見上げる。
「なに?」
垣根は真守の顎から手を離して、その頬を撫でながら告げる。
「お前は何も変わらない。俺が愛してる朝槻真守だ」
「そうか」
真守は垣根の冷たい大きな手に自分の手を重ねて微笑む。
「よかった」
真守のその言葉は、本心だった。
真守はずっと、垣根や深城のことを大切に想えなくなるのが怖かった。
怖くて怖くて、だから
それでも今、神さまに成ってもこうして垣根や深城、そして周りにいる自分のことを心配して守ってくれる人たちの事を大切に想えてよかった。
真守は変わってしまったものと変わらなかったものについて考えながら、垣根に向かってふにゃっと微笑んだ。
暗部抗争篇、奪還後。これにて終了です。
次回、後方のアックア篇。
アックア篇が終わると後はフィアンマ、ロシア篇のみです。
よろしくお願いいたします。