次は一月一四日金曜日です。
五〇人近い天草式十字凄教は呆然としていた。
爆音、爆風、地を揺らす衝撃は余波なのにすさまじく、それら全てを近くにいるカブトムシが守ってくれていた。
このカブトムシたちはあそこで戦っている
カブトムシが言うには、垣根帝督は後方のアックアがターゲットにしたもう一人の少女、朝槻真守を守るために戦っているのだという。
本来ならばあの少年を助けなければならないのだろう。
だが自分たちが行っても邪魔にしかならない。
自分たちが入り込む隙がないのだ。
それほど少年の戦いは寸分狂わず計算し尽くされており、そして美しかった。
それに少年の戦い方にも問題があった。
少年の戦い方は空間を支配しているようで、それを後方のアックアは無理やり力技で突破している様だった。
そこに入っていけば自分たちも彼の能力の餌食になり、足を引っ張るどころか一緒に倒されてしまうかもしれない。
だがそれは言い訳だ。
実際、このカブトムシがいなければ自分たちはこの怪我だけでは済まなかった。
自分たちは助けてもらった側で。彼を助ける側にはなれない。
明らかな戦闘能力の差。
それに打ちのめされている天草式十字凄教に近づく人物があった。
それに一同は驚愕する。
かつて自分たち天草式十字凄教のトップに立っていた
聖人、神裂火織。
この世で最も大切な存在が自分たちの前に現れた。
きっと、上条当麻を守りに来たのだろう。
そんな彼女が何故自分たちのもとに来たのか。
……そしてなんで、まるで緊張したように顔が強張っているのか。
疑問を持つ天草式十字凄教の前で神裂は一つ息を吐いてからギンッと目を開くと、震えた声で告げた。
「あなたたちの力が必要です」
その言葉に天草式十字凄教は雷で打たれたような衝撃が体に駆け抜けた。
神裂は後ろめたさを感じたまま、それでも淡々と胸の内を晒す。
「あなたたちは別に弱くありませんでした。私があなたたちを弱いと決めつけ、心のどこかで見下していた。背中を預けられないと、それに値しない人間だと思っていた。……私が弱かったのです」
神裂の言葉に天草式十字凄教は固まる。
自分たちは神裂が悪いと思ってなかった。
ただ自分たちが弱いのが悪いと思っていたからだ。
神裂も自分が未熟だから天草式十字凄教の面々を危険にさらしてしまい、天草式十字凄教から離れるべきだとして離れていった。
天草式十字凄教はそんな神裂を止めることすらできる力がなかった。
だから力を求めて『聖人崩し』を作りだしたのだ。
天草式十字凄教は神裂が悪いと思ってなかった。神裂自身も気づかなかった。
きっと、神裂は誰かに
『聖人』に面と向かってお前が悪いと言えるなんて相当な人だ。
そして神裂もそれを受けて自分が悪かったのだと悟った。
聖人にも分からない事実を、その人間は見据えていた。
一体どこまで物事を正確に理解しているのだろう、と天草式十字凄教は思った。
そんな天草式十字凄教の前で、神裂は口を開く。
「こんなこと、私が今更頼める義理ではないのですが」
神裂はそう告げるとギュッと拳を握り、渾身の力を込めて口を開いた。
「もう一度あなたたちと共に戦いたいのです。あなたたちを信じ、あなたたちに背中を預け、そしてあなたたちに背中を預けてほしいのです」
そして神裂は頭をゆっくりと下げた。
「ですから力を貸してください、あなたたちの力を!」
あの『聖人』、神裂火織が頭を下げている。
ごくごく普通の天草式十字凄教に。特別な才能を持った『聖人』が。
自分たちの力こそ借りたいのだと。
自分たちの力が必要な局面に立たされているのだと。
自分たちの力で後方のアックアを撃破することができると、神裂は確信しているのだ。
だからこそ、無理を承知で神裂は自分たちに頼んできた。
「
そこで教皇代理、建宮斎字は神裂へと近づいて、敬意を持って神裂をそう呼んだ。
「頭を上げてくださいなのよ」
神裂は建宮にそう告げられて頭を上げた。
そこには自分の『仲間』である天草式十字凄教が柔らかな目で、そして決意を固くして神裂を見つめていた。
神裂の力に再びなるのだと、自分たちはなれるのだと。
そう、安堵しながらも必ず力になってみせると気合を入れて。
「
建宮はしみじみとしながら、一つの事実を告げる。
教皇『代理』の重い荷が下りることを感じながら。
ただ思いやりだけでできた言葉を自らの主に優しく掛ける。
「ですが。
建宮はそう前置きしてから、神裂にそっと手を差し伸べる。
「我ら天草式十字凄教の、あるべき姿へ!」
「…………っはい!」
神裂はその手を確かに、しっかりと握った。
ここに。再び団結し、前へと進み始めた新生天草式十字凄教が誕生した。
──────…………。
(チッ。コイツ、どこまで力上げられるんだ?)
垣根は後方のアックアと戦いながら心の中で舌打ちをする。
後方のアックアは垣根が
垣根の領分である面で攻撃しても点で突破してくる。
そのため垣根は
「大したものである、能力者。だがこれくらいで私を止められるとは思わないで欲しいである」
垣根が自分の不利を感じ取った時、後方のアックアは垣根にそう告げてきた。
垣根が苛立ちを込めて
垣根は即座に辺りに散らばらせていたカブトムシによってアックアの居場所を探らせる。
するとアックアはプラネタリウムのスクリーンにまるでコウモリのように逆さに張り付いていた。
アックアから威圧感が噴き出し、逆さになって張り付いていたスクリーンに映し出されていた夜空に変化が起きる。
そして複数の火花がまき散らされて、スクリーンに巨大な月が映し出された。
どうやらプラネタリウムのスクリーンに映し出される映像がアックアの魔術によって干渉を受け、その絵を捻じ曲げられて月として映し出されているらしい。
大覇星祭の時、垣根帝督は上条たちと共に『
あの霊装は発動するために夜空の星が重要だった。
だがナイトパレードの人工の光で夜空が塗り替えられてしまい、リドヴィア=ロレンツェッティを『
人工の光が魔術を邪魔することもあれば、人工の光を魔術に応用することもできる。
後方のアックアはスクリーンに映し出された偽物の月から力を得て、鋭い一撃を放とうしているのだ。
「
アックアが呟くと同時に、辺りに爆発的な力が満ちる。
(来る……っ!)
垣根は詠唱によって力を集め始めたアックアを見上げて防御行動を取る。
あの高さでは自分がアックアに辿り着く前にアックアの攻撃が放たれる。
それならば防御姿勢を取った方が良いに決まっているのだ。
「
垣根が防御姿勢を取る中、アックアは月の青白い閃光を受けた鋼鉄のメイスを構え、スクリーンを蹴散らしながら勢いよく垣根へと攻撃を繰り出してきた。
その特大のメイスから放たれたのは、斬撃や刺突、粉砕などではなかった。
圧倒的な破壊力。ただその一点のみの攻撃だった。
垣根は翼とカブトムシによって防御行動を取るが、それを全て砕かれ、強い一撃を叩きこまれる。
「……ぐっ…………ガッァァァあああああ!」
第二二学区の全てが揺らぐ。
アックアが垣根に放った一撃は、第四階層の地面を半径一〇〇メートルほど円形状に切り崩した。
その円形状にくりぬかれた大地は、垣根もろとも第五階層へ落ちていく。
垣根は空気を求めてあえぐことさえできずに、鋭く突き刺さるかのようなスピードでアスファルトを叩き割りながら第五階層の地面に激突した。
攻撃を受けた垣根は体が散り散りになっていない方がおかしかった。
だが垣根は天使に肉体が限りなく近付いて頑丈になっている。
そのため体は散り散りにならず、五体満足で無事だった。
だが無傷ではない。
翼はアックアの攻撃で吹き飛ばされてしまって三対六枚の内一枚しか残っていないし、全身はボロボロで高級スーツは見るも無残な姿になっていた。
(……アックアの、野郎は…………っ?)
垣根が激痛に苦しむ中、辺りに舞った粉塵に一つの影が見えた。
アックアではない。姿が小柄過ぎる。
「……………………ま、もり…………?」
垣根はそこで、粉塵のカーテンの中から出てきたのが真守だと気が付いた。
真守は全てを見ていたのだ。
おそらく垣根が攻撃を受けてボロボロになるのも見越していた。
それなのに、何もしなかった。
以前の真守だったら、何が何でも傷つけられる人がいれば傷つく前に助けていたはずだ。
だが、今の真守は動かなかった。
垣根が呆然とする中、真守はそっと腰を下ろした。
「垣根」
真守は無機質な声音で垣根の名前を呼びながら、垣根を上から覗き込むようにして垣根の両頬にそっと手を添えた。
「私は必要ならばこういう事をするぞ。それでもそばにいたい?」
こういう事というのは、垣根が傷つくのを必要ならば容認するという事だ。
人であった頃の真守は、他人が傷つくのがとても嫌だった。
誰も彼もが傷つかない未来を望んでいて、被害を最小限に抑えようとしていた。
だが
必要であれば誰かが傷つくことも死ぬことも
必要な犠牲を良しとしなった人であった頃の自分とは、神と
神と
これから朝槻真守はその必要性があれば人を見捨てる。
大切な人だろうと関係ない。
人としての感情よりも、神としてやらなければならないことを優先すると。
真守は実害を持って、垣根にそう明確に示したのだ。
「……………………変わらねえ、よ」
垣根は自分を見下ろす真守へと手を伸ばした。
「お前がどれだけ違う存在に
垣根はそっと真守の柔らかな頬に触れながら切ない声を上げた。
「あの時約束した」
どこまでも尊い
自分のことをどこまでも考えてくれる真守を一人にしたくない。
人のことを想えなくなってしまうことが怖いと泣いていた少女を一人にしたくない。
だから約束した。
何があっても一緒にいると。どれだけ真守が残酷になっても共にいると。
自分のことを殺したくないと泣いた真守のために、生き続けると。
「お前が俺のこと不必要に思ったとしても、俺はお前のそばにいる。だからお前はしたいようにすりゃあいい。
垣根は心底辛そうに顔を歪めて真守を見上げた。
「頼むから、一緒にいさせてくれ」
真守はそれを聞いて、無表情だった顔を悲痛で歪めた。
「……私はお前に守られるほど、弱くないぞ」
「知ってる。お前、俺がアックアにやられるの知ってたんだろ」
垣根は力なく笑う。
垣根の推測通り、真守は垣根がアックアと拮抗はできるが勝てないことを知っており、既に神裂とも話をしていた。
垣根もアックアと戦って自分が決定的な一撃を放てないと思い知らされたのだ。
アックアは垣根がどれだけ力を出そうともそれに拮抗し、そして詠唱による鋭い一撃を放つ。
普通ならば体が壊れてしまう力を二つ合わせることにより、力を安定させて十全に扱うことができるのだ。
しかも聖母の慈悲であらゆる厳罰が効かず、人間用の魔術も使える。
自分が別格の
それでも後方のアックアに真守が対抗できないことはない。
神である真守に聖人如きが敵うはずがない。
「私は、垣根が信じる人であった頃の私ではないよ」
「知ってる。だってお前、俺のこと試したもんな」
「お前は私に縛られなくていい。どこへでも行けるんだ」
「じゃあ俺をそばにいさせろよ。たくさん愛させてくれ」
垣根はそこで、ふにっと真守の唇に触れた。
そして垣根は真守のことをただ一心に想って、柔らかく笑う。
真守は垣根がふにふにと自分の唇の感触を楽しんで手を離すのを待ってから、口を開いた。
「……それでも、必要なら私はこういう手段を取る」
「お前、必要だっつっても悲しいんだろ? だったらその
真守はコクッと頷いた。
真守は垣根が傷つくのが嫌だった。
でもこれから先、垣根がもっと傷つく未来が待っている。
だからここで垣根が自分に傷つけられてそれが嫌で自分のそばから離れるならば、傷が最小限で抑えられると思ったのだ。
「俺が傷つくのが嫌だって思うのに俺のこと傷つけるんじゃねえよ。本末転倒じゃねえか」
「………………ごめん」
真守は垣根の頬を優しく撫でながら謝る。
「垣根のこと、本当に大事だから………………本当に、大事なんだ」
真守が涙目になって切ない声を絞り出すので、垣根は笑った。
「何があっても一緒にいる。これが俺の意志だ。分かったか?」
真守はそれを聞いて悲しそうに顔をしかめる。
垣根はその表情の意味を理解できない。
真守が何を考えているのか、どこまで先を見通しているのか分からない。
だから真守が自分が何で傷つくのが嫌なのか考えているのか分からない。
それでも真守が自分のことを考えてくれていることだけは垣根にも分かった。
自分を大切だと思ってくれる心を真守が持っているだけで、垣根帝督は十分幸せだった。
そこで真守は垣根から視線を外して顔を上げた。
「隠れるのはもうやめるのであるか、
真守は起き上がろうとした垣根のことを手伝いながら、アックアを見上げた。
「別に隠れていたつもりはないぞ。ただ
垣根のことを傷つけようとしているのか守ろうとしているのかよく分からない真守の行動に、アックアは顔をしかめながらも問いかける。
「では何故来たのであるか。貴様を守ろうとする人間がいるのであろう?」
「決まってるだろ」
真守は目を鋭く不敵に細めて、宣言する。
「この
真守の言葉に、後方のアックアは一つ頷く。
「正当な理由であるな」
「それと、もう一つある」
そんな後方のアックアに、真守は付け加えるように告げた。
「何だ?」
後方のアックアが反応すると、真守は柔らかい微笑を浮かべた。
「私の友達を殺そうとした報いを受けてもらわなければ気が済まないんだ。だからサンドバッグになってくれないか?」
「……神が私怨で動くのかね?」
アックアが苦々しげに自分を見つめるので、真守は垣根に手を添えながら相対してそして翼を広げた。
五対一〇枚の白と黒、互い違いのものと。
頭の側頭部から生えた純白と漆黒の禍々しくも神々しい翼を。
「お前はいま言ったじゃないか。──私は神人」
そこで真守は艶やかな黒髪を蒼みがかったプラチナブロンドに換えて、頭に六芒星を核とした幾何学模様の転輪する
「神であり人であり、そして真なる者であり。神ならざる身にて天上の意思に辿り着く者である」
真守の宣言を聞いて、後方のアックアは不敵に微笑む。
「いいだろう。相手になるぞ、異教の神よ。その力を見せてもらおうじゃないか」
「あなたの相手は彼女たちだけではありませんよ」
後方のアックアが真守に挑発した途端、外から声がかかった。
「何だと?」
後方のアックアが振り返ると、そこには天草式十字凄教を引きつれた神裂火織がいた。
「我ら天草式十字凄教も共に戦います。よろしいですね、真守」
真守は自分に問いかけてきた神裂を見つめてニッと笑った。
「頼んだ」
真守、垣根。そして神裂率いる天草式十字凄教は後方のアックアを
自分を狙う後方のアックアを打ち倒すために。
そして、彼にターゲットにされてボロボロになった上条当麻を守るために。
『神の右席』へと昇りつめた存在を
今回は特別な回でした。
以前の垣根くんなら試されるようなことがあったら激昂していましたが、自分を試した人が大切な人で、どうしてもそばにいたい人だったから怒りませんでした。それどころか懇願してまでそばにいたいと言った。
なりふり構っていられないほどに真守ちゃんが大切だという、垣根くんの変化が見られる話でした。