次は一月二六日水曜日です。
周囲には何もない雪原が広がっていた。
徹底的に遮蔽物が取り除かれており、その雪原はミサイルを撃ち込むためにわざと平らにされて用意されたものだ。
そんな雪原の近くにある低い丘では、垣根たちが白い雪に埋もれた下方へと繋がる巨大な穴を覗き込んでいた。
「……あるもんだなあ。そこらじゅう、秘密基地だらけじゃないか」
上条が呟くと、その隣に立っていたレッサーは上条を顔をしかめて見上げた。
「何言ってんですか。日本の学園都市なんてこんなもんじゃないでしょう。あの町なら湖が割れて巨大ロボが出てきたって驚きませんよ」
「そんなモンあっても驚かないし確かに作れるかもしれねえが、無駄が多すぎて誰も作ろうなんて思わねえよ」
典型的な『外』の人間が考える適当な想像に垣根は眉をひそめながらも横穴に潜り込むと、レッサーと上条も続いた。
横穴の中を五〇メートルも歩くと、三人は貨物列車用の発着駅に辿り着いた。
物陰に隠れて様子を伺っていたが、人の気配がなくて三人は発着駅の中へと入る。
「……誰もいないな」
「列車もありませんね」
きょろきょろと辺りを見回して会話をする上条とレッサーの横で、垣根は目線を天井に向けて目を細める。
「振動が全然ないな。ディーゼルの排煙の匂いもしない。……近くを走ってるって雰囲気もまったくねえな」
「……ひょっとすると、フィアンマの基地へ最後の資材を運び終えてしまった後なのかもしれません」
上条はレッサーの推察にぎょっと目を見開いた。
嫌な予感がしたからだ。
「ってことは……四〇キロも歩かなくちゃなんねえって事か!?」
「そうか。じゃここでお前らとはお別れだな」
垣根はそこで三対六枚の
だが念のため、垣根は
体に異常がないことから、これなら四〇キロなんて問題なく飛べそうだし、その後の戦闘にも支障は無さそうだ。
垣根がそう確信して行動に移そうとすると、そんな垣根を上条が止めた。
「置いていくな! 相乗り! 相乗りを希望する!!」
上条は垣根の翼をもぎとるかのように左手でむぎゅっと掴む。
左手なのは異能でできた翼に右手で触れると、
流石に失墜することはなかった垣根だが、突然翼を掴まれて垣根は少しバランスを崩す。
そしてマックスに苛立ちを込めて上条をギンッと睨みつけた。
「テメエ上条当麻! 俺の体は能力で補ってるっつっただろうが!! だからテメエが俺の体に不用意に触ると体が崩れるんだよ! 分かったらさっさと放しやがれ!!」
「垣根、冷静になって考えてくれ!! 俺がいたら朝槻に魔術がかけられていても打ち消せる!! だからその、
「うるせえ! お前に言われなくても冷静だよ! 冷静っつってもこちとら怒りが突き抜けて冷静になってるみてえなモンだがな! 逆にここまで冷静になれてんのに自分でも驚きだよ!」
垣根は上条に離れろと言わんばかりに翼を震わして叫ぶ。
「あのフィアンマのクソ野郎のそばに真守がいるってだけで手当たり次第に人間ぶち殺したくなるのに、お前のためにちまちま演算組んでる時間ねえんだよ!! ……言ってたら腹が立ってきた。あの野郎、ただで殺しはしねえ。×××もいでのたうち回らせて永遠に苦痛を味わわせてやる!!」
「ヒィィ!? 怒れる
そこで上条は異変に気が付いて隣にいたレッサーを見た。
垣根と上条が言い合っている間にレッサーは『鋼の手袋』を逆さまに構えて魔女のホウキのように
「……ちょっと待て、レッサー。何ソレ?」
「何って『鋼の手袋』はこういう使い方もできるんですよ。ちょっと色々食い込むのがアレですけど、ベイロープなんかこいつを乗り回してロンドンの地下鉄を駆け巡っ──って、やめてくださいやめてください!! あなたには無理です右手が当たったらバラバラになります我慢して歩いてください一人きりで!!」
上条がレッサーに迫りレッサーが叫んだ瞬間、突然爆音が響いた。
そして魔術的なもので支えられていると分かる分厚い雪の天井が、まるで巨大なシャッターのように崩落する。
そして立て続けに鼓膜を破るような音がさく裂して通路の天井が次々と落ちてきた。
「ヤバい! とにかく出口まで戻ろう!」
「言われなくてもそのつもりです!!」
上条とレッサーが全力疾走する中、垣根は先行して穴の外へと出る。
「ッチ。学園都市の砲撃だ!」
垣根は外で
そして即座に上条とレッサーの襟首を掴み上げると、垣根は横穴の入り口だった丘の斜面へと二人をぶん投げた。
二人が抗議する前に、垣根も即座に回避行動を取ってレッサーと上条の隣に滑り込む。
その直後。
落下砲が垣根、上条、レッサーが先ほどまでいた場所に五〇以上は落ちてきた。
衝撃が辺りに響き渡り、圧倒的すぎる白一色の
垣根がレッサーと上条を放り投げて身を隠した場所はとっさの演算によって安全を確保してあり、そのため三人は五体満足でその攻撃から逃れることができた。
「機甲部隊か。厄介なタイミングで現れやがって……!」
垣根が縦横無尽に走り回る
「チャンスです!」
そんなレッサーの言葉に上条は顔をしかめながらツッコミを入れた。
「どの辺がだ!! ロシア軍の方からも砲撃が始まってるじゃないか。このままじゃ戦車同士の乱戦になるぞ!!」
レッサーの言葉に上条が反論するが、垣根は
「……いいや、確かにチャンスだ」
「なんでだ!?」
垣根は基地から展開してきたロシア軍に親指をビッと向けて、上条に見るように促す。
「見ろ。ロシア軍が出てきたってことは理由は分からないが、フィアンマはどうしたって基地から動きたくねえってことだ。地下が崩落したなら地上から向かうしかない。だから今はチャンスってことだ」
「つってもどうすんだ!? やっぱり俺は置いてけぼりか!?」
上条が先ほどのように自分に移動手段がないと叫ぶと、レッサーはそれを聞きながらしっぽをフリフリと振って学園都市側の装備を見た。
「仕方がありません。
「確かに俺の頭には大体のマニュアルが入ってるし教えてやってもいいが、モノは自分で取ってこい。時間が掛かったらおいていくからな」
垣根が嫌々ながらもここまで上条とレッサーと共に来たのだから面倒を見てやろうと告げると、レッサーがふんふんと頷いた。
「私の『鋼の手袋』ならなんとかできますね」
そこまで告げると、レッサーは人差し指を上条に向けた。
「その代わり! あなたには感謝の印にベッドの中で頭をなでなでしてもらいますよ!!」
垣根はこんな時にまでイギリスの国益になるために動くレッサーを見て額に青筋を立てた。
「マニュアル教えんのダルくなってきた。コイツら置いてった方がいい気さえする」
レッサーの通常運転っぷりに垣根が静かにブチ切れていると、上条は慌ててレッサーに指令を出した。
「垣根様の機嫌を損ねること言うな! 黙って行ってこい、レッサー!」
レッサーがタタタッと走っていくのを見ていた上条はふと気になることがあって呟いた。
「……けど、妙だな。フィアンマの基地にはロシア軍の他にも魔術師がいるはずだ」
「あ? ……そういや、お前の話じゃ二〇〇人近くいたんだったな。学園都市の連中も魔術については知ってるし、フィアンマにここで魔術師を投入しない理由はねえ。……学園都市を迎撃するための大規模魔術でも準備してんのか?」
『残念ながらそれは既に終わっている。投入しなかったのは重要な
「「!?」」
垣根と上条が会話していると、突然フィアンマの声が聞こえて驚愕の表情を浮かべる二人。
フィアンマの声が聞こえてきたのは上条の服の中からで、上条が左手で懐を探ると白い人形のようなモノが出てきた。
『俺様が誘導した大戦とはいえ、その辺の適当な砲撃に巻き込まれて右腕が失われるのは困る。それに俺様が
「テメエ、真守に手を出してねえだろうな」
垣根が白い人形を睨みつけると、右方のフィアンマは相変わらず余裕たっぷりで答える。
『流石のアレも自分を守る
(真守は自分の身を守る術を持ってんのか? よく分からねえが、真守はコイツの手の出せないところにいるってことだ。それならまだ大丈夫だ。十分に間に合う)
垣根が少しだけほっとしている横で、上条は小麦粉でできた人形を見つめて宣言する。
「お前の望み通りに、俺はお前のところに行ってやるよ。右方のフィアンマ!」
宣言した上条はフィアンマが自分の服に仕込んだ通信用の霊装を
その瞬間、垣根と上条の真下から轟音が響いた。
「なん、だ!?」
上条が声を上げると、突然二人の立っていた雪の大地がせり上がる。
あまりの振動に上条は膝を突く。
垣根は踏みとどまりながらも姿勢を低くして警戒していると、レッサーがせり上がった大地によって離れていく二人へと手を伸ばしているのが確認できた。
だが確認できただけだ。
彼女を引っ張り上げることができる位置に、既に垣根と上条はいなかった。
フィアンマがいるであろうロシア基地を中心として、垣根と上条がいる丘もろとも大地が空高く浮上していく。
浮上速度が急激なので、流石の垣根も危険を感じて片膝を突いた。
振動はどんどんと大きくなっていき、地上がどんどん小さくなっていく。
異様な重圧が体に叩きこまれて上条は地面へと押しつぶされ、垣根は
そんな中、石の歯車を嚙み合わせるような低い轟音が次々と鳴り響いた。
垣根は一瞬、真守が能力を行使しているのかと思ったが、歯車の音が響くのは
その
そこで垣根はハッと息を呑む。
隣にいたはずの上条がいない。
「分断されたか!? ……いいや、分断しようと思ってしたわけじゃねえのか……!」
どうやらフィアンマがいたロシア基地を中心にしていた大地は複数に分かれたらしく、そのため大陸浮上の重圧に耐えていた垣根と上条は為す術もなく切り離されてしまったのだ。
無数に分かたれた大地は全世界からかき集めてきた聖堂や教会が肉付けされ、巨大構造物へとその姿を変えつつある。
垣根は振動が収まり安全を確認すると、近くに組み上げられた塔のてっぺんへと翼で上がり、辺りを確認する。
垣根が先ほどまで立っていたのは石を組んで作った巨大な橋のような場所だった。
その橋は城のような『本体』へと伸びており、城から橋が四方に伸びている。
四方に伸びる巨大な長い橋は均一の長さをしているわけではなく、一方だけは二倍以上の長さがあった。
そのことからも分かる通り、どうやら城が中心にあるわけではないらしい。
要塞の進んでいる方向を『前』とすると垣根がいる場所が『後方』であり、一つだけ異様に長いのが『右方』となるのだろう。
文化も時代も違う教会の壁や尖塔などを強引にかき集めているようで、垣根が辺りを確認している今も複雑に形を変えつつあった。
数百年の歴史を感じさせる建造物群の中には鉄骨やパイプ、照明器具など科学的な技術で作られた近代文明を感じさせるものも含まれており、時代背景がよく分からない構成となっていた。
『準備していたのはこいつを組み上げるための空間だ。巨大な霊装や施設なんて蓄えは世界各地にいくらでもあるからな。俺様はその蓄えを切り崩すだけで良い。ただ、構築のためには無菌室のように作業場を整えなくてはならんのでな。そのための聖別に、莫大な費用と時間、人手が必要になった訳だ』
突然聞こえてきた声は当然として右方のフィアンマの声だった。
垣根が辺りを確認すると、右方のフィアンマの声は各場所に設置されたスピーカーから発されていることが確認できた。
『素材の量は問題じゃない。重要なのは、自己膨張するためのサイクルを作ってしまうことだ。そのサイクルを一度完成させてしまえば、後は補給なしに必要な分だけ拡張できる』
右方のフィアンマはそこで言葉を切って、スピーカーからこの場にいる全ての人間たちへ向けて告げる。
『歓迎しようか。ようこそ、俺様の城「ベツレヘムの星」へ』
「ベツレヘムの星、だと……!?」
垣根は空中要塞の名前を聞いて目を見開く。
ベツレヘムの星。
『神の子』の誕生を知らせて『神の子』が誕生したベツレヘムへと東方の三博士を導いた星。
それを魔術的に再現したのがこの空中要塞だった。
垣根はギリ、と歯噛みしてそのベツレヘムの星を見回した。
真守もここに乗せられているはずだ。
フィアンマのもとにいるかもしれないが、フィアンマにとって真守はベツレヘムの星を起動するまで邪魔されないように監視できればいい存在だ。
どこかに放置されている可能性が高い。
フィアンマに上条がターゲットにされている今、上条を囮にすればフィアンマに邪魔されることなく真守のもとへとたどり着ける。
それならば、上条と分断されたことは好機だったかもしれないと垣根は思った。
「真守。……今そばに行く。それでお前の欲しいものを必ず手に入れて学園都市に帰ろう」
垣根は苦しそうな声を上げ、自分の首から下げていた真守とペアで持っている指輪を握り締める。
右方のフィアンマの攻撃を受けて一度弾かれてしまった指輪だったが、無事だったのだ。
そのためきちんと回収して、
真守との繋がりを示す指輪。
それを手の中で感じて、垣根帝督は空中要塞ベツレヘムの星の上で行動を開始した。
物語も佳境に入ってきました。