次は一月二七日木曜日です。
ベツレヘムの星。
宗教的にも魔術的にも深い意味が込められている空中要塞。
その要塞は半径数十キロにも及ぶ巨大な出で立ちをしており、高度三〇〇〇メートルもの上空に浮かんでいた。
三〇〇〇メートルも突然上昇すれば人体に影響が出るはずだが、垣根が辺りを解析したところ、気圧や気温は地上と同等になっていた。
どうやら要塞には魔術的な結界が張られているらしい。
『天使の媒体サーシャ=クロイツェフ。一〇万三〇〇〇冊の遠隔制御霊装。儀式場のベツレヘムの星。そして俺様の力を振るうにふさわしい右腕。必要な物は全て手に入ったことだし、そろそろ脇役にはご退場願おうか』
垣根が辺りを警戒しながらも状況を分析していると、右方のフィアンマは立て続けにスピーカーから声を発した。
『出撃だ、大天使「
フィアンマが言い放った瞬間、世界が夜へと切り替わり、天上に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「!?」
一瞬にして夜となった風景に垣根は驚愕以外の感情を持つことができない。
地球と月と太陽の位置がまるきり変わってしまったら誰でもそうなる。
こんな世界の法則を捻じ曲げるようなことが果たして魔術の域に存在するのだろうか。
魔術に
フィアンマは巨大な魔法陣を展開し、夜を作り上げてしまう前に確かに『
『
四大天使の一角を担う熾天使にして七大天使の一人。
水の象徴である青を司り、月の守護者にして後方を加護する者。
純潔の証である百合の花を持ち、最後の審判ではラッパを鳴らして死者を蘇らせる役を果たす。
受胎告知をした天使でもあり、それ以外でも人間の前に数度現れていることから人間にとって非常に身近な天使と位置づけられている。
それでも過去には悪逆の都へ天の罰を下したことがあるなど、人間の味方であるわけではない。
そんな神の忠実なるしもべである『
『いいや、この場合はミーシャ=クロイツェフと呼んだ方が良いのかな?』
垣根はフィアンマがわざわざそう呼称したことに眉をひそめた。
この世界に降ろされた『
それに気が付いたと同時に、垣根は漆黒の空に青い光点が浮かんでいるのを見た。
『
体の大きさそのもの二メートル前後。
神話の中で唯一女性型の天使として描かれているからだろうか、シルエットは女性だ。
その体表面はすべすべとした白い布のようなもので
肘とふくらはぎからは魚のひれのような
そして、後頭部は花のように広がっている。
そのためミーシャの貌はタイツを被って押し付けて凹凸だけを表現しているようになっていた。
白と金でできた荘厳な天使。
その体は
そんなミーシャ=クロイツェフは巨大な氷の翼を広げ、見渡す限りの天空を翼で引き裂いた。
爆音が遅れてやってくるのを確認した時には、もう何もかもが遅かった。
無人戦闘機による数十機の編隊がまとめて破壊された後だったからだ。
そしてミーシャの巨大な翼は不安定なのか、暴利を
その吹き飛んだ翼が落ちた場所は山だったが、翼が落ちた瞬間その山は消し飛んでしまった。
『ま、
多少の問題で済まされて良いことではなかった。
何故なら不安定で折れてしまった翼が落ちただけで山一つが消し飛ぶからだ。
ミーシャ=クロイツェフは不完全過ぎる。
不完全過ぎて世界がまだ形を保っていられるのに違和感を覚えるほどに、不安定さを見せていた。
あれを野放しになんてしておけない。
だが垣根帝督は世界の滅亡の危機よりも大切な存在を取り戻さなければならないことのほうが大事だった。
『
「来たか、
垣根は背後から声がかかって振り返る。
そこには大群のカブトムシが宙を飛んでいた。
若干不揃いだが、外見の完成度よりも数を望んだ結果であるから仕方ない。
「何体くらいいる?」
『せいぜい二〇〇体が限度でした』
「よし。じゃあ五〇体ずつ、四方向の外周から中心にかけて
『オーダーを受諾しました。これより行動を開始します』
カブトムシは命令を受け取ると、そのまま四方八方へと散っていく。
垣根はそれを確認してから自身も
カブトムシたちが最後に集まる場所だ。
突っ立ってるより自分も先回りしてそこから周りを見ていった方が効率的である。
そのため垣根は翼を羽ばたかせて飛び、自らも行動に出た。
──────…………。
深城は何十本、何百本もの孔雀の羽のように広がるAIM拡散力場の翼をはばたかせて、眼下に広がった空中要塞を睨みつけていた。
「いた!!」
深城は氷の翼を広げている『
深城は目を閉じて意識を集中させた。
そして、赤い閃光が
深城の能力であるAIM拡散力場を圧縮、物質化して装甲として
「要は力技でいけばいいんでしょぉ……っ!」
深城はミーシャを睨みつけながら接近する。
ミーシャ=クロイツェフはモノレールに速度を合わせて進んでおり、モノレールを狙っている様子だった。
「! 上条くん!!」
深城はモノレール内で割と過激的な赤い修道服を身に
(上条くんを狙おうとしているのねっ……させないから!!)
「はぁあああああ────!」
深城はモノレールに注意を向けているミーシャに近づくと、雄たけびを上げて手を振りかぶる。
雄たけびだけで空気をビリビリと震わせながら、深城はミーシャへとラリアットを食らわせた。
岩と岩をぶつけるようなゴンッ! という鈍い音が響き、ミーシャは不意の攻撃によりベツレヘムの星の街並みを一直線に倒壊させながら盛大に吹き飛んだ。
深城はミーシャを吹き飛ばした後、モノレールの中で驚きの表情を浮かべている上条へと視線を移し、上条を安心させるために柔らかく笑った。
そして
深城は再び空へと飛翔しようとしていたミーシャの花が咲いたような頭をアイアンクローの要領で右手で掴み上げる。
ミーシャの頭をミシミシと言わせるほどに深城は右手に力を込めると、そのままミーシャの体をぶんっと一回転するように振りまわして要塞へと叩きつけた。
ベツレヘムの星はミーシャ=クロイツェフが叩きつけられた場所から真っ二つになるように深い亀裂が入る。
だがその亀裂から噴き出した瓦礫が亀裂を塞ぐように修復させて、ベツレヘムの星は何事もなかったかのように元の形へと修復された。
「この空中要塞、壊しても壊しても元に戻るならぶち壊してもいいよねっ!!」
深城がそう叫ぶと、視界に白いものが映った。
「帝兵さんだ!?」
深城は視界の端に映った人造生命体が
『源白、どうやってここに!?』
カブトムシは深城に名前を呼ばれてぶーんと飛んできて深城に声を掛ける。
「ミサカちゃんたちにAIM拡散力場を帯状に伸ばしてもらってここに来たの! 垣根さんは?!」
『真守が右方のフィアンマに連れ去られ、この空中要塞のどこかに放置されている可能性がありますので、現在捜索中です』
カブトムシが簡潔に状況を説明すると、ミーシャがふっと浮き上がって深城に視線を向けた。
そしてミーシャはその手に氷でできた剣を生み出し、剣の感触を確かめるかのように振った。
完全な敵対行動を取っているミーシャを見て、深城は頭の上にカブトムシを乗っけた。
「帝兵さんちゃんとしがみついててね!?」
深城がそう叫んだ瞬間、ミーシャは深城へと仕掛けてきた。
深城はミーシャが振りかぶった氷の剣を
その瞬間、音速で余波が吹き荒れ、辺り一帯の建物が消し飛んだ。
深城はガゴン! と鈍い音を立てながらミーシャの剣を弾き飛ばし、隙を見せたミーシャの腹に飛び蹴りをお見舞いした。
金属板に固い鉄球がぶつかったかのような鈍く甲高い音が響き、ミーシャは鋭い速度で吹き飛ばされ、そのまま家屋に激突し沈黙する。
カブトムシが凄まじい力技で戦う深城の頭に必死にしがみついていると、深城はカブトムシに気を向けた。
「帝兵さん大丈夫!?」
『は、はい。問題ありません』
カブトムシが肯定していると、そこにミーシャが氷の翼を伸ばして攻撃してきた。
「うわ!!」
深城は声を上げながらも余裕そうに、AIM拡散力場の
氷の翼に紅電の翼を叩きつけた瞬間、
その霧散によって再び鋭い余波が辺りに吹き荒れる。
深城は何度も氷の剣を振ってくるミーシャの攻撃を
そんな中、ミーシャは突然止まってぶつぶつと何かを呟き始めた。
この世界の言葉ではない。人間が聞き取れる言葉でもない。
それでも人からかけ離れ、『天使』へと至った深城には分かった。
だが深城もミーシャの言葉が全て理解できるわけではない。
それでもなんとなく、深城はミーシャが言っていることが理解できた。
「hbo…………帰……fbyuo」
ミーシャは虚空に
「帰る。Fr位置。正しい。座。uj。天界。元の。あるべき。qe場所」
深城はぶつぶつ呟くミーシャを見つめて驚愕の表情を浮かべる。
「フォーマットが違う二つの力が混ざってるの……?」
深城の呟きの通り、ミーシャ=クロイツェフは二種類の力を混ぜ込んで形を保っていた。
その二種類の力は絶対に混ざらないものだ。
だがミーシャはその二種類の力を強引に混ぜ合わせている。
そのため時間が経過すると、その二種類の力が分離してしまうのだ。
ミーシャの動きが突然止まったのは、分離してしまったその二種類の力を再び混ぜ合わせる必要があったからだ。
二種類の力はせめぎ合いを常時続けており、そのせいでミーシャ=クロイツェフは極めて不安定となっていた。
歪んでいるのにきちんと成り立っている。
だがそれでも、やはり歪みでその成り立ちに不安定さが見られる。
そんな状態を深城に指摘されたことを冒涜と受け止めたミーシャ=クロイツェフは怒りを深城に向けた。
「戻る。必要。作業t。行う。フィアンマ。利用。利害。接点。Y計画。協力」
「それでみんなを傷つけるっていうなら絶対にあなたを止めるから!!」
深城が叫ぶとミーシャはそれに呼応するようにぶつぶつと呟く。
「被害。無視。優先。帰る。正しい。位置。必要。邪魔。悪。同義。判断。全て」
そこでミーシャは深城へとありったけの力を込めて剣を振り下ろしてきた。
深城は頭の上で両手をクロスさせてガード態勢に入った。
深城が攻撃を受け止めても凄まじい圧力によってびりびりと空気が軋む。
その空間の軋みで、カブトムシが深城の頭から吹き飛びそうになる。
「帝兵さん、頑張って耐え────!?」
深城が口を開いた瞬間、ミーシャがぴくッと動いたので深城は言葉を止めた。
ミーシャは眉をひそめる深城の前で、深城から
「捕捉」
ミーシャは一言呟き、己の今するべきことを認識して呟く。
「必要。情報。羊皮紙。入手」
その瞬間、ミーシャは深城に目もくれずに移動し始めた。
「帝兵さん、さっきよりちゃんとしがみついててね!!」
深城はそこでカブトムシを掴んできちんと頭に乗せると、音速でミーシャを追う。
(あの
深城はミーシャを追ってベツレヘムの星から離れていく。
「垣根さん、真守ちゃんのことよろしくねえ!!」
深城は大声を出してベツレヘムの星のどこかにいる垣根に話しかけながら、ミーシャに接敵してその拳を振るう。
水を象徴する青い天使と人工的な紅い輝きを持つ天使は何度も切り結ぶ。
そして着実に、羊皮紙を持っている『彼』へと近づきつつあった。