次は一月三〇日日曜日です。
自分は無事だったが、先程から自分と一緒に戦った人工天使である源白深城が見当たらない。
だが彼女はきっと大丈夫だ。
何故ならば、今ここに。
彼女の『神』である朝槻真守がいるのだから。
宇宙の煌めきを閉じ込めたような肢体。それを包み込む表面がパール加工されているのか虹色に光る結晶でできた豪奢な純白のドレス。
蝶の
そして六対一二枚の互い違いの純白と漆黒の翼。
あの白と黒の翼。
きっと人々はあの互い違いの翼を美しいが故に醜いものだと思うのだろう。
だが
祈りも悪意も、それら全てを抱いて愛することができる真守にぴったりで綺麗な翼だと、真守の真の姿を見た
真守の
おそらく垣根は真守のことを探して自分と
そして再び真守をその手中に収めたのだ。
そんな真守と垣根の後ろには、一つの車が守られるように停められていた。
その中では
真守は先程の大天使の爆発の余波で吹き飛ばされそうになった乗用車を垣根と共に守っていた。
その証拠に、真守と垣根が立っている後方だけが無事で、壁のような雪崩が真守と垣根を避けている。
大天使の爆発は深城と
出会った時から朝槻真守は、誰かが頑張るのを応援するのが好きだった。
だから頑張っている
「……オマエはいつだってそォだ」
「いつだってオマエは俺の先を行って、そして助けてくれるンだ。俺に進むべき道を見せてくれるンだ」
「お前が頑張っているから、私はお前を助けたいっていつも思うんだ」
そこで真守は
そのエメラルドグリーンの瞳は無機質で誰もが恐ろしく感じるのだろうが、
むしろよく自分を見つめてくれて、よく目を細めて笑いかけてくれたと感謝するほどだった。
真守のことを神聖視している
「真守ちゃん……」
弱弱しく声を上げたのは、体が薄くなって姿が立体映像のようにブレている深城だった。
「深城」
真守が柔らかく両手を広げて深城の名前を呼ぶと、深城はぼろぼろと透明な涙を
「真守ちゃ……ん!!」
深城は空気に今にも解けてそうな体を懸命に動かして真守の胸へと飛び込み、ギューッと抱き着いた。
真守は胸に飛び込んできた深城の頭にそっと頬を寄せてキスをする。
深城の隣ではカブトムシがその
「帝兵さん。少し干渉するぞ」
真守はカブトムシに断りを入れてから干渉する。
真守はカブトムシに干渉し、学園都市に蔓延するAIM拡散力場をカブトムシのネットワークを介してこの場に引き出した。
そしてそれを操って真守は深城を包み込む。
真守がカブトムシから引き出したAIM拡散力場を基に深城の体を補うと、深城のブレて立体映像のように透明になっていた体が質感を取り戻していって、消えかけていた足がきちんと元通りになる。
「帝兵さん。深城はまだ不安定だから、しばらく離れないで頭の上に乗ってあげてくれ」
真守は深城を抱きしめたまま深城に力を供給し続けているカブトムシにそう指示すると、カブトムシは深城の頭にちょんっと乗った。
体が元通りになった深城はぐすぐすと鼻を鳴らして自分の体を作り上げてくれた真守をぐしゃぐしゃの顔で見つめる。
「怖かった~!!」
えっぐえっぐとしゃくりあげて深城が叫ぶので、真守は深城のことを優しく抱きしめる。
「あたっあたし……っ殴ったことも、ケンカしたこともなくてぇ……真守ちゃんに、守られてばっかりだったから……あたし……戦うのがこんなに痛くて怖いことだと知らなかったあ~!!」
「そうだな、深城。初めてなのによく頑張った。偉いぞ」
((初めて殴ったのが天使なのもある意味最強だな))
深城が泣いているのを真守が慰めているのを見ていた垣根と
同じ思考をしていると感じた二人はバチッと目を合わせて、そして同時に何とも言えない気持ちになった。
だが二人共、不快感を覚えたわけではない。
先程全身全霊で力をぶつけ合ったのだ。
だからむしろ、清々しい気持ちで二人はそこに立っていた。
だがいつまでも大天使を打ち破った事に喜んでいる場合ではなかった。
羊皮紙の使い方も分からないし、戦争は激化していく一方だ。
学園都市からの追手も来る。早く
「えっぐ、えっぐ……うぅ……
深城は涙を真守に
「九月三〇日にね。インデックスちゃんが……あたしの友達が、
「!?」
「正確には
「その歌はテメエに分かンのか!?」
「でもアレはあたしの
「なンだ!? 早く言え!」
「アレはあたしに対応している歌なの。エイワスには通用しないと思う。でもそれなら、エイワス用に歌のパラメータを書き換えればいいんだよ。……そのエイワスのパラメータだけど、それは
確かにエイワスには会った。
だが
そこまで考えた時、
エイワスから受けた攻撃を
だが『反射』は効かずに、それどころか対抗策が一つも思い浮かばなかった。
自分は完璧に叩き潰された。
だがエイワスの攻撃に
だが『正体不明の法則』な故に
既に
その『情報』を正体不明と割り切ってはいけない。ブラックボックスにしてはいけない。
違和感を違和感として処理できるならば、
実世界には存在しない、机上の計算を解き明かすためだけの数字を思い浮かべればいい。
この羊皮紙の中身は虚数に似た架空の数字を織り交ぜた、たった一行の『特異な物理公式』を入力すれば浮かび上がるまでは解析ができていた。
その『特異な物理公式』は重要じゃない。
自分のルールで羊皮紙に書かれているパズルが解けることこそが重要だったのだ。
自分の頭の中で
宇宙の始まりを再現するために幾つかの物理的な現象を再現して確認し、ビッグバンが『あったであろう』と確定するために使われた装置。
朝槻真守は
だから真守は
自分の能力名を定めた時から、ずっと自分の能力の本質に気が付いていたのだ。
気付かなかっただけで、答えは最初から
エイワスはロシアへ行けと言ったが、あの化け物はそこに
「
「
夜天が大きく開いた。
人為的に配置された夜空の闇に放射線状の亀裂が走る。
その亀裂は縦横無尽に夜天を裂き、音もなく広がっていく。
そしてその向こうから黄金の光の粒が無数に舞い降りた。
絶えず降り注ぐその黄金の粒は次々とカーテンのように光の
あの黄金の正体は莫大な『
右方のフィアンマは天使を呼び出したのではなく、天使のいる世界をこの世界に呼び出したのだ。
世界の天は変貌した。
後は地の底を組み替えるだけである。
そうすれば世界は右方のフィアンマの望む世界へと変わる。
真守はそこで、遥か天に浮かぶベツレヘムの星を見上げた。
『右方のフィアンマ』
そして、真守は右方のフィアンマにパスを繋げて声を届けた。
一方的な声だ。
それでも真守は右方のフィアンマが吐き出す息と吸い込む息で脳の稼働率を測り、彼が何を考えているか手に取るように理解することができる。
そのため意思疎通は可能だった。
『お前はこの世界を歪んでいるものとして見ているようだが、私はそうは思わない』
『四大属性が歪みを見せているこの世界が歪んでいないだと? ふざけたことを言うな』
真守の言葉に右方のフィアンマは頭の中で思考して応える。
彼は既に右手を完成させている。
世界を救う手立ては自分の手の内にある。
そんな満ち足りた思いで思考が満たされていた。
『ふざけてなんかない。本当に歪んでいないんだ』
真守は即座に否定してフィアンマへと真実を放った。
『世界は十字教の時代を終えて、新たなる世界へと踏み出そうとしているんだ。「変化」しないお前はそれを歪みと受け取るが、私は違う。私は
真守の能力、
真守は『進化』しつつ、そこに
右方のフィアンマは『変化』せずに、ただそこに
そこに両者の考えの違いがあるのだ。
『
真守は古いルールで世界を救おうと躍起になっているフィアンマへと重大なことを伝えた。
『「ソレ」はお前の幻想など容易く食い殺すぞ』
「真守?」
真守が最後に忠告すると、垣根が真守に声を掛けてきた。
真守が垣根を見上げると、垣根は顔をしかめて真守を見つめていた。
「世界が戻ろうとしている。だから私にはやらなければならないことがある」
垣根は真守から放たれた言葉によって、嫌な予感がして途端に苦しくなる。
「またどこかに行くのか?」
「ううん。どこにも行かないぞ」
真守は不安になって苦しくなっている垣根に向けて、微笑を浮かべた。
「ここでできることだから。それに垣根のそばが私の居場所だ。絶対に、絶対に離れない。だって垣根の全部をもらったんだから。私の全部を垣根にあげたんだから」
真守はそこで言葉を切って、垣根にふにゃっとした笑みを向けた。
「これからずぅっと一緒だ」
垣根と永遠を共にすると口にした真守だったが、それでも少し距離を取らなければならないため、真守は音もなく地面から足を離した。
垣根は一瞬たりとも真守が自分から離れるのが許せなかった。
だがそれを理解している真守がそれでも離れなければならないと考えるならばしょうがないか、と拗ねた顔で真守を見上げていた。
真守はそんな垣根を見て小さく笑うと、深城とカブトムシに視線を移した。
深城は柔らかな慈愛の笑みを浮かべていた。
カブトムシは自らに名前を付けてくれた愛しい存在を、ただ一心にそのヘーゼルグリーンの瞳で見つめていた。
真守は一人と一匹に目を向けた後、
そして垣根の両頬にゆっくりと手を添える。
垣根は不機嫌な顔をしていたが、それでも自分を納得させて真守が飛び立つのを待っていた。
垣根の存在を一身に感じた真守は垣根の両頬から手を離し、祈りと悪意を肯定する白と黒の翼で、ゆっくりと空へと飛び立っていく。
身を
そして祈るように手を組み、無機質なエメラルドグリーンの瞳をそっと伏せた。
世界は今、十字教の
変わり果てた天に合わせるように、地の底にある全ての歯車の再調整と、それを円滑に動かすための装置の設置が各地で行われ始めている。
「変わらなものなんてない。そして、世界は混沌で満ちている」
真守はこの世界を全身で感じて、慈愛に満ちた穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「だから多くの可能性を秘めているんだ。そんな世界を『変化』のない世界にする道理はない」
朝槻真守の能力の本質は世界の
だから真守は世界を一つ前の時代に戻そうと浄化を担う天を討ち滅ぼすことができる、唯一の対抗策だ。
真守には世界を一つ前に戻したくないという気持ちがある。
そして。
世界中には、真守と同じ気持ちで世界が変わってしまうことに抗う人々がいた。
それに加え、地上も一つ前の時代に戻ることを拒んでいた。
その結果、天から地上へと凄まじい力が降下して世界を蝕もうとしている。
真守はそこで、強大な力に立ち向かう人間と改変を拒む地上の手助けをした。
真守は
第三次世界大戦でいがみ合っている人間。
科学を崇拝する人間も魔術を崇拝する人間も。
全てに分け隔てなく、真守は全人類へとパスを繋げて人間の活力になる生命力を送り込んだ。
『お前たちの可能性を信じている』
その言葉を添えて、真守は大きく翼を広げた。
それと同時に、歯車が規則的に回り続けることで発される荘厳な音楽が辺りに響き渡る。
ロシアにいた人々は黄金のとばりを打ち破るとある奇蹟を目撃した。
黄金の天を貫く
その最中、
自分の命よりも尊く輝く命を持つ、愛しい者のために。
その大切なものを守り抜けるようになるために。
体中の血管が爆発して血が流れようとも。
内臓が傷つき悲鳴を上げようとも。
ただひたすらに祈って、歌を紡いでいた。
大切な少女を救うために、歌い続けていた。
そんな
善人でも悪人でもなく、人間でも怪物でもなく。科学や魔術にも囚われない。
そんな
世界を一つ前の時代へと戻さないように戦っているこの世で最も大切な少女の代わりに。
ただただ柔らかく、穏やかな慈愛の目を向けて。
やっと分かったのかよ、と呆れながらも安堵した表情で、微笑を浮かべていた。