次は六月一二日日曜日です。
第一八話:〈日常回帰〉で再び対話を
真守はゆっくりと目を覚ました。
朝槻真守は身体機能をオンオフする事で、『休眠状態』に入れる。
だが、それで普通に睡眠が取れなくなってしまったわけではない。
(む。もうすぐ一〇時なのに垣根、まだ寝てる)
真守は自分の事を抱きしめて眠っている垣根を見上げる。
ちなみに真守は何回も起きて、垣根が起きてないか確認している。
だがいつ起きても垣根は綺麗な寝顔ですやすや眠っている。
自己中心的で器が小さくて、俺様気質とは思えない程に、安らかで素直な寝顔だ。
(時差ボケかなあ)
流石に暇になったので、真守はごそごそと垣根の胸の中から出ると、体を起こして小さく伸びをする。
つい先日までハワイにいたのだ。
真守は
それに人間として真っ当な感性を持ち合わせているため、まだ眠っていたいのだろう。
(緋鷹に会いに行きたいんだけど……垣根、私がいなくなったら顔真っ青にして探しそう。どうしようかなー)
朝槻真守は垣根帝督の前から姿を消したことがある。
あれは本当にしょうがなかった。あのまま自分が姿を消さなければ学園都市の餌になっていた、と真守は確信している。
だがそのせいで結構なトラウマを垣根に植え付けてしまったと、真守は後ろめたい気持ちがある。
何故なら垣根は真守がどこかへ行くのを酷く嫌がるし、一緒にいるのに時々その時のことを思い出して苦しそうな表情をしているからだ。
真守は自分を求めて手を動かした垣根の手を取ると、恋人繋ぎで握って優しくにぎにぎして微笑む。
(今も私は自分が取るべき最善の手を打ったと思ってる。……でもやっぱり、垣根に悪い事をしたな)
結構なトラウマを垣根に植え付けてしまったが、あれは本当に仕方がなかった。
そうでなければ、いま垣根と一緒に穏やかな日々を過ごす事などできなかっただろう。
真守は寂しそうに微笑みながら、垣根を起こさないように手を離してベッドから降りる。
ベッドから降りて垣根にちゃんと布団をかけてやると、垣根の前髪が少し乱れているのに気が付いた。
真守はふにゃっと笑ってサラサラと触り心地の良い垣根の前髪を整えてやって、ゆっくりと部屋を後にした。
──────…………。
「深城、おはよう」
真守は自分が通っている学校のセーラー服に身を包んで、二階にあるラウンジへと入る。
深城はラウンジの三人掛けソファに杠林檎と一緒に座っており、雑誌のようなものを一緒に読んでいた。だが、真守に声を掛けられて顔を上げた。
「真守ちゃん、おはよぉ! お寝坊さんだねえ」
「朝槻、おはよう」
深城と一緒に真守に朝の挨拶をしたのは、もちろん林檎だ。
「おはよう、林檎。深城と一緒に何を読んでるんだ?」
真守が首を傾げて問いかけると、林檎は冊子の表を真守に見せる。
「一端覧祭の特集の冊子か」
一端覧祭とは、学園都市の全学校で一斉に行われる文化祭のようなものだ。
ただ大覇星祭のように外部からの客を引き入れるのではなく、完全に内部向けであり、オリエンテーションの役割を担っている。
「一日目は朝槻や垣根の学校見るの。それで二日目にね、私が来年から所属する学校を見に行くの」
林檎は嬉しそうに足をパタパタさせながら告げる。
『暗闇の五月計画』の被験者だった林檎は現在学校に通っていない。それでも本来ならば小学校に通っている年齢である。
そして林檎のことを考えて、中学生までは家に『
だが『
形だけの所属だとしても、林檎も自分が所属する興味があるらしい。
……まあ林檎の隣には一度も学校に通った事が無い少女がいるのだが、深城の場合は年齢が一八歳で、義務教育はおろか高校生活も終わっている状態だ。
そもそもAIM拡散力場で作られた体を持っていると、
深城はその事を特に気にしていないが、自分が学校にいけない分、林檎には学校に通えるうちに学校に行って集団生活を学んでほしいと思っている。
「林檎」
「?」
真守が林檎の小さな頭に手を置くと、林檎は不思議そうな顔をした。
「適度にサボることが重要だけど、出会いは大切にするんだぞ」
「うん。朝槻見てれば分かるよ。だって朝槻、とっても楽しそうだから」
林檎は真守に頭を撫でられて、気持ちよさそうに目を細めて微笑を浮かべる。
「ふふ。良かったねえ、林檎ちゃん」
「うん。深城も色々考えてくれてありがとう。……あれ。そういえば垣根は? まだ寝てるの?」
林檎は深城にお礼を言っていたが、同じように世話になった垣根の事を思い出して首を傾げる。
「時差ボケだ。まだすやすや寝てる。……なあ林檎。これから私、緋鷹のところに行きたいんだけど、垣根が起きるまで一緒にいてもらってもいいか? 垣根、起きたら私がいない事に絶対に焦ると思うんだ」
「うん、分かった。垣根は朝槻がいないとだめだもんね」
林檎はソファから立ち上がると、パタパタと垣根のもとへと向かった。
林檎が歩くと、待機していたカブトムシが林檎へ向けてぶーんっと飛んでいった。
どうしようもなく弱いところがあるオリジナルのために、林檎が暇を持て余すのが我慢できないらしい。
「深城、朝ご飯ある?」
「うん! 梅と昆布のおにぎり
真守の問いかけを聞いた深城は、パタパタとキッチンへと走って行く。
(……それにしても、学園都市の高速旅客機使わなくてもすぐに帰って来られるなんて。割と世界って狭いんだなあ)
真守はいつもと変わらない日常に帰ってきたことを実感して一つ頷くと、深城の用意したご飯を食べようとトテトテと歩き出した。
──────…………。
「ナチュラルセレクター、か」
真守は第二学区のとある核シェルターを改造した、『
真守の目の前には、学園都市上層部がこれから学園都市関係二七社に向けて行う作戦の機密情報が紙に書かれて置かれていた。
学園都市から離反した協力機関二七社は、現在『反学園都市サイエンスガーディアン』を名乗って行動している。
サイエンスガーディアンはバゲージシティと呼ばれる東欧の新興都市で、異種格闘大会『ナチュラルセレクター』を開催しようとしており、そこを学園都市は攻撃しようとしているらしい。
その攻撃方法とは、三人の『木原』とFIVE_Over.という技術によってである。
木原とは言うまでもなく、学園都市の癌である。
科学を真っ当な正義のために使っているのに、何故かそのやり方が多くの人を傷つけることになるという、矛盾とも言えない性質を持った一族。それが木原だ。
「……FIVE_Over.について、他の情報は掴んでいるか?」
FIVE_Over.とは、
どうやら学園都市は随分と昔から、FIVE_Over.技術の構築に力を使っていたらしい。
何故なら学園都市トップレベルの能力者の能力を超えるためには、相当な時間と金銭が必要だからだ。
「どうやら研究している部署が散在しているらしくて。真守さんや帝督さんのものについては確認できなかったわ」
答えたのはもちろん、この情報を集めてきた『
緋鷹は真守が資料を置いている机の近くに車椅子で近づいており、真守の様子をじぃっと
「それと上層部からお達しが来たわ。あなたを絶対に学園都市から出させないようにって。もし出ようものなら、あなたの知り合いを人質でも取って止めるって。上層部も真守さんが離反した協力機関に肩入れするとは思わないけれど、一応念のためってところかしら」
「上層部も慎重になってるんだろう。この作戦内容のせいだな」
真守はトントンと資料を指で叩きながら告げる。
『ナチュラルセレクター』が開催されるバゲージシティは、世界でも有数の豪雪地帯であり、摂氏マイナス二〇度以下が当たり前の地域だ。
そのため火力発電所、石油精製施設、ごみ処理場などの熱を使って、都市の暖房設備を維持している。
学園都市は手始めに暖房設備を攻撃して、都市機能を麻痺させようとしているのだ。
朝槻真守はあらゆるエネルギーを操る能力者だ。
そのため真守がバゲージシティへと向かうと、その能力でバゲージシティのエネルギーを賄われてしまい、都市機能を麻痺させられなくなり、
「大体分かった。私も学園都市の甘い汁を啜ろうとしているヤツらを率先して助けようとは思わない。そもそも学園都市外は私の管轄外にしたから」
真守は資料を机の上に置きながら、緋鷹を見た。
緋鷹は真守がバゲージシティの罪のない人間を見捨てると言っても何も言わない。
本人もバゲージシティに肩入れするうまみはないと思っているからだ。
だがうまみはないと思っていても、そこに住む人々が傷つくのは酷く悲しいことだろう。
「緋鷹にもう一度聞いておこうと思って」
だから真守は口を開いた。
緋鷹は顔を上げ、真守を怪訝そうに見つめる。
そんな緋鷹を真守はまっすぐと見た。
「私は緋鷹たちの神さまじゃない。それでもお前たちは私のために動いてくれるって。私に恩があるから、守ってくれるって言ってくれた」
『
朝槻真守が困っているのならば、助けたいと思って集まった人々だ。
「緋鷹たちは私という神さまと一緒に過ごすようになった。私という神さまについて直に触れることになった。私がどんな存在か知ることとなった」
九月三〇日。真守が
もう十分、朝槻真守という神のことを知り尽くした頃合いだ。
だから真守は、問いかけた。
「今でも私のそばにいたいと思う? 等身大の私を感じても、私のことを神さまとして
真守が問いかけると、緋鷹はゆっくりと目を閉じた。
そして胸に手を当てて目を開き、真守に向かって微笑んだ。
「私ね、とても良かったと思っているの」
とても幸せそうな声で。緋鷹は自らが『
「あなたが神さまになっても、あなたの人間性が変わらなくて良かったと思ってる。あなたは神さまになっても、私たちが信じていた朝槻真守よ」
真守はじぃっと緋鷹を見つめていた。そして、その言葉の続きを待っていた。
「きっと神さまとして行動しなければならない時が来たら、あなたは私たちを見捨てるのでしょう。でもそんな時が来ないように、あなたは努力してくれる。私たちが見捨てられることにならないように、動いてくれる。そうでしょう?」
「……違うかもしれないよ?」
真守が意地悪く笑って問いかけると、緋鷹は笑った。
「私たちの信じる朝槻真守はそうするわ、必ずね。……最初はあなたに恩が返せればそれでよかった。それ以上は要らなかったの」
緋鷹は柔らかく、真守を愛おしそうに見つめて気持ちを吐露する。
「無下に扱われても、殺されても。だってあなたは闇に
緋鷹はゆっくりと車椅子を動かして、真守にもっと近づいた。
そして真守の小さな手を握って、真守に微笑みかけた。
「あなたが私たちの気持ちをもう一度聞いてくれて本当にうれしいわ。それだけであなたが何も変わっていないって分かる。だからあなたは変わらずに私たちを使って。私たちはあなたに想われているだけで、幸せだから」
真守は自分の手を握って幸せそうに微笑む緋鷹を見た。
そして緋鷹が握っている自分の手に力を込めて、柔らかく微笑んだ。
「良かった」
真守が緋鷹たちの幸せを喜ぶと、緋鷹は真守に想われているのが嬉しくて笑みがこぼれる。
真守は緋鷹の手に自分のもう一つの手を重ねて、微笑んだ。
「これからも一緒に生きていこうな、緋鷹」
「ええ。私たちの
緋鷹がゆっくりと真守の手を握ってキスをすると、真守はくすぐったそうに笑った。