次は六月三○日木曜日です。
上条当麻の右手に宿る、全ての異能を打ち消す
上条当麻はその正体を知らない。左方のテッラが言うには知っていたらしいのだが、記憶を失った今の上条当麻は
「その右手に宿っている力は学園都市製の能力開発技術によって生み出されたものではない。それぐらいは分かっているだろう?」
上条当麻は不幸体質だった。周りからずっとうとまれ続けていた。
それを父親である上条刀夜が悔やんで、不幸などという不確かなオカルトが一切排除された学園都市へと上条を送った。
だから今の上条当麻も、自分の不幸体質とその不幸体質を招いている
「『原石』という人間たちがいる。生まれ持った異能を持ち合わせている人間だ。でもキミがその一因であるという根拠は特にない。学園都市の外で生じた『異能の力』を持った何かとは明確に違う。キミの立ち位置はかなりグレーなところにあるとは思わないかな?」
上条当麻は答えられない。なんとなく自分の立ち位置が曖昧であることを理解しているからだ。
「キミという存在を見つけて受け入れたのが、たまたま科学サイドに属する学園都市だった。だからキミ自身も科学的な解釈で自分自身を説明できると思った。でももし、キミが幼少期にイギリス清教に拾われていたら、キミは自分を魔術サイドの一員であると思い込んだだろうね」
「結局、これは何なんだ? 俺は一体何なんだ?」
「それはキミ自身が結論付けるべきものだよ。でも神人はなんとなく分かってるんじゃないのかい?」
オッレルスの問いかけに、上条は真守を見た。垣根も
「祈りと願い」
真守は食後のミルクティーにふぅふぅ息を吹きかけていたが、オッレルスに問いかけられてそう答えた。
「上条の右手に宿った
真守はミルクティーをちょびっと飲んで顔をしかめる。
思ったよりも甘くなかったのだ。
真守が顔をしかめていると、シュガーポットに手を伸ばした垣根が適量、真守のティーカップに砂糖を入れる。
上条は仲睦まじい様子の真守と垣根に気が回っておらず、自分の右手を見た後に、隣に座っているオッレルスへと目を向けた。
「正しくは異能を扱う者というより、魔術師たちの願いだろうね。だって『原石』は自分の力を当然として受け止めるし、超能力者たちは最近生まれた存在だから、
「怯えと願い……?」
上条がその言葉を繰り返すと、オッレルスは上条の右手を見る。
「世界を良いように捻じ曲げた結果、もしかしたら何らかの弊害が生まれてしまうかもしれない。そして元に戻そうとしても、元の形を上手く思い出せずに上手く復元できないかもしれない。……
魔術を極めた人間は魔神となる。
それでも、根本的なところを言うと魔神はどこまでいっても人間なのだ。
根本的なところで人間であれば、大きな力を持てば誰でも『この力は世界を壊してしまうかもしれない』と、恐怖する。それが当たり前なのだ。
「それでも例外はいるけどね」
オッレルスは笑いながら真守を見る。
朝槻真守は神さまとして必要とされて生まれ落ち、そしてその性質を科学の枠組みに嵌められて調整された人間だ。
あえて言うならば『原石』を加工した『宝石』といったところだろう。
最初から神さまになるべく生み出された個体。
そのため力を振るうことに対して全くと言っていいほど恐怖心がない。
そして自分は完全な存在ゆえに完全な力をコントロールできると信じているし、実際にコントロールできている。
自分がやるべきことをするべきで、そのためならば障害を排除する。
朝槻真守を見ていると、オッレルスは実感する。
不完全な人間から進化した完璧な存在とは、感情や本能を残しながらも完璧なコントロールができて、迷いなく一貫した意志を持つ事ができる人間なのだろう。
それこそが人間の正しくあるべき形なのだと分かる。
(でも、そんな存在へと至ることに恐怖心を覚えるのが人間だから、きっと以前の彼女も変わる事に恐怖していただろうね)
オッレルスは完璧な人間になる前の真守を思いながら、本題に意識を向ける。
「魔神は世界を思った通りに歪めることができる。でももし間違った歪みを発生させてしまったとしても、元の世界がどんなものだったか歪んでしまった状態からは読み取れない」
オッレルスは言葉を切って上条当麻の右手を指差しながら告げる。
「要は魔神とか魔術師の類にとって、
垣根は真守が甘くなったミルクティーを美味しそうに飲んでいる様子を見ながらもきちんと聞いており、そのためオッレルスに問いかけた。
「世界が歪んで本当の形が分からなくなっても、その歪みを打ち消せる力があれば世界を元に戻せる。つまりその右手は『保険』ってことだな?」
「うん。かつて
「世界の基準点……か」
上条は自身の右手に宿っている
「魔神オティヌスからすれば、そんなバックアップは最大の邪魔ものだろうね。修正するための材料は願いではなく恐怖に変わる。だから魔神オティヌスは
(そうだろうか)
真守はオッレルスの推測を聞いて、ミルクティーを飲みながら心の中で呟く。
(私が
魔神オティヌスは、神の領域へと至った人間である。
だからこそ、自分の野望がある。目的がある。絶対に叶えたい願いがある。
そのために、彼女は成功一〇〇%を手にしたいのだろう。
(多分、オティヌスは自分の確率を調整して成功一〇〇%を引き起こすことができるようになっても、それを完全に心の底から信じることはできないんだろう)
一〇〇%という確率をはじき出したとしても、人間は『もしかしたら間違っているかもしれない』と万が一を疑う生き物だ。
朝槻真守が垣根帝督と永遠に一緒にいると言って、それが決まっていたとしても。
垣根帝督は時折、いつか朝槻真守が自分の前から消えてしまうのではないかという不安に駆られている。
真守はそんなことが絶対にないと知っている。でも垣根帝督は『無限の創造性』を持っていると言っても、真守のように完璧な存在ではない。
だからこそ少しでも自分から真守が離れていくのではないか、という可能性を考えて、不安になってしまう。
何度も強調しているが、魔神は完全ではない人間の延長線上だ。
真守のように全ての迷いを断ち切った存在ではない。
きっと、そこに恐れがある。絶対に、確実に。
だからオティヌスは
間違った時に、戻れるように。
だから自分の確率を調整するために、
(……まあこんなことを言っても魔神の成りそこないのこの男は信じられないだろう。オティヌスに魔神の座を奪われたんだから、当然憎しみがある)
真守はコーヒーを優雅に飲んでいるオッレルスを視界に入れた後、目を伏せる。
その様子を見ていた垣根は目を細めたが、オッレルスの言葉に適当に相槌を打ちながらお茶をしていた。
──────…………。
真守は垣根と共に、オッレルスを連れて第七学区内を歩いていた。
オッレルスが良いレストランを紹介してほしいと言ったからだ。
学園都市内の食事情は科学が発展しているため、色々と複雑だ。
学生の中では食材を何の
そのため、真守はとりあえず食通が好む第七学区の少しハイグレードの店が立ち並ぶ一角へと、オッレルスを案内しようと歩いていた。
上条はここにいない。真守と垣根と謎の青年とお茶をしているところを吹寄に見られて、連行されていった。
真守が垣根と並んでオッレルスを案内していると、オッレルスがとある人物の名前を口にした。
「フロイライン=クロイトゥーネ?」
真守はその人物の名前を口にして、首を傾げる。
「ただの人間じゃないんだ。聖職者の手によって何度も魔女狩りにかけられたけど、何をしても殺すことができなかった。人間の姿を取っているだけの全く別の存在だ」
「……人間ではないけど、明確に人間と意思疎通ができるのか」
真守がぽそっと呟くと、垣根が顔をしかめた。
「そんなモンがアレイスターの居城だっていう『窓のないビル』に本当にいるのか?」
オッレルスが言うフロイライン=クロイトゥーネは、『窓のないビル』に幽閉されている。
その事をオッレルスは先程から口にしていたのだ。
そしてオッレルスは垣根の疑問に答える。
「アレイスターが進めるプロジェクトの邪魔になるからだよ。どうやらそこまで危険な存在らしい」
垣根がオッレルスの説明に警戒心を表情に出す。
真守はそんな垣根の隣から、前を歩くオッレルスを見上げた。
「そのフロイライン=クロイトゥーネをオティヌスは槍の素材として求めている。お前はそれを阻止するためにフロイライン=クロイトゥーネを確保したい。……でも『窓のないビル』はそう簡単に破れるものではないぞ。それはお前も分かっているだろう?」
「ああ。なんて言う名前だったかな。かりゅきゅれいとなんとかだっけ?」
「『
垣根がオッレルスを睨みつけていると、オッレルスは軽い調子で何度も頷く。
「そうそう。超能力者の能力を再現して応用してるんだろ?」
「正確には私や
「そんな感じだったね。まあでもいくらでもやりようはあるだろ?」
オッレルスは思わせぶりな口調で告げる。
垣根はそれが気に食わなくて不機嫌になる。
真守はそんな垣根の服の
「学園都市製のスパコンでも『
「それはもうないのかい?」
「
真守が素っ気なく告げると、オッレルスは知っていたかのように頷いて真守を見た。
「そうかい。でさ、神人」
「やだ」
「まだ何も言ってないじゃないか。即答かい」
オッレルスが苦笑する。
朝槻真守は『
それに真守の能力で『窓のないビル』の壁なんて一撃だ。それがオッレルスは分かっている。
だが真守から協力の良い返事を貰えない事を、オッレルスはなんとなく察していた。
それでも即答で拒否られるとは思わなかったのだ。
そんなオッレルスを見て、真守は不愉快そうに目を細める。
「やり方が気に食わないから嫌だ。どうせお前たちは私が助けたフロイライン=クロイトゥーネを餌に使ってオティヌスを誘い出すとか、殺して望みを絶たせるとか、クロイトゥーネの事を何も考えずに使い潰すつもりなんだろ」
「やっぱり分かるかい?」
ビシィ!! っと、鋭い地割れの音が響く。
オッレルスが軽い調子で告げたので、真守が憤りのままにAIM拡散力場を操り、オッレルスを中心としてアスファルトに亀裂を入れてめくれさせたのだ。
もちろん脅しなのでオッレルスは無傷だ。真守はそんなオッレルスへと冷たい視線を向ける。
「私を誰だと思っている。そしてここは誰の庭だ」
オッレルスは一歩たりとも動けなくなって、肩をすくめる。
「アレイスター……と言いたいところだけど、色々と事情があるんだろう。『
オッレルスの推測は間違っていない。
この学園都市をアレイスターは真守に明け渡そうとしている。
真守という存在が無視できないからこそ、アレイスターは学園都市の実質的な権限を真守に明け渡さなければならないと考えているのだ。
何故ならこれから先、あらゆる人々が朝槻真守を追って神へと至ろうとするだろう。
それを操作するためには、自らが手を加えて作り上げた真守をトップに
朝槻真守は神として既に、この信仰の地に学園都市に根付きつつある。
だからこそ朝槻真守は、この学園都市において最強だった。
学園都市の神として、朝槻真守は忠告する。
「あまりおイタをすると、お前の伴侶とバードウェイと、聖人とワルキューレの掛け合わせを学園都市から外に弾き出す。弾き出された瞬間にうっかり背骨が折れて半身不随になるかもしれないけど、私の知ったことじゃない」
真守が冷酷に告げる中、垣根は真守のことをじぃっと見ていた。
真守は垣根に優しく手を握られながら、鋭く目を細める。
「お前たちの
真守はオッレルスを冷酷な瞳で睨みつけて、残酷な言葉を口にする。
「でも私にはそれが必要ない。もっとも言えばお前たちの抵抗なんて児戯に等しい」
魔術を極めた人間。そして完璧な存在へと至った人間。
そんな両者にとって、不完全な人間の抵抗なんてほとんど意味がないものだ。
「……では聞こうか、神人。キミはオティヌスをどうするつもりだい?」
オッレルスは神さまへと問いかける。
人間として真っ当な進化を遂げて、完全な存在へと至った真守に、正しい抗い方を訊ねる。
「私はオティヌスに一度たりとも会ったことがない。だから会った時に考える」
「オティヌスが完成されてしまった時には手遅れだよ」
「それはお前たちにとっての手遅れだ。私にとっての手遅れじゃない。むしろそこからが私とオティヌスの始まりだ」
オッレルスは沈黙する。
朝槻真守と魔神オティヌス。彼女たちは同じステージに立っている。
いやむしろ、神の性質的に確率五〇%に固定されている魔神オティヌスの方が分が悪い。
人間として完成された形になっている朝槻真守には隙が無いからだ。
そしておそらく、精神的な強さの意味を込めて、魔術を極めた人間が完全な精神を手に入れた人間に勝てる事はない。
神さまとして真守は自身よりも不完全な人間を見つめて告げる。
黒い艶やかな髪をはらって、あからさまに挑発して見せる。
「安心しろ。全部救ってやる。でもその救済を待って、口を開けて餌を待つひな鳥に成り下がるのは許さない」
真守は垣根の手を引いて歩き出す。既にレストランへの案内は済んでいるからだ。
「最後まで抗え、ニンゲン。そうすれば神の慈悲でもくれてやる」
真守は垣根を引っ張って、その場から去る。
垣根は怒って自分の手を引く真守に声を掛けた。
「お前は間違ってない。実際問題、俺もヤツらのやり方にはムカつくところがあるからな」
真守は垣根に声を掛けられてピタッと止まった。
そして申し訳なさそうに垣根を見上げた。
「怒った?」
「なんで俺が怒るんだよ。怒ってんのはお前だろ?」
垣根は
「神さまなんか騙りたくねえのに、わざわざ騙ったのが証拠だろ」
朝槻真守は自分が神さまだとふんぞり返ることなどしたくない。
何故なら自分はただの完成された人間なのだ。人々よりも先に完成へと至っただけの人間だと、真守は自負している。
そして不完全だとしても周りの人々をけなしたくない。
だから周りにいる人たちに神さまらしい
だがそれをオッレルスに見せたという事は、真守が神さまらしいところを見せなければならないと思った証である。
垣根は真守の柔らかい猫っ毛の黒髪に触れながら笑う。
「どうせお前が全てを救える良い方法を教えたって、抜け道探して自分たちに都合の良いように利用する連中だ。あれくらい脅した方が丁度良いだろ」
垣根が真守の小さな口に優しくキスをすると、真守はふにゃっと微笑んだ。
「垣根、だいすき」
「当たり前だろ。こんなに理解してやってるんだから」
「でも外でちゅーしないでほしい」
「俺はやりたいようにやる。お前もやりたいようにやりゃあいい」
真守がムーッと口を尖らせる中、垣根はそんな真守を抱き寄せる。
真守は不満そうにしていたが、どこまでも自分の味方になって理解してくれる垣根に愛されているのが嬉しくて、ぎゅっと抱き着く。
垣根はそんな真守の背中を優しく撫でた。
小さいのに、神さまとしての重荷を背負っているその背中を。
垣根はそれに思うところがあったが、その考えを振り払うようにニヤッと笑った。
「よし。俺はやりたいようにする。だからいっちょあいつら殺すか」
「それはヤメテ」
「冗談だ」
「……垣根のは冗談に聞こえない」
ふくれっ面の真守が愛おしくて、垣根はくつくつと笑う。
真守は不機嫌になりながらも、垣根が楽しそうなのでまあいいか、と考える。
そして、一端覧祭の準備に戻った。