次は八月二日火曜日です。
垣根はキッチンで、自分のコーヒーと真守のために砂糖たっぷりのミルクコーヒーを作っていた。
だがカブトムシのネットワークにアクセスがあったので、胡乱げな瞳でカブトムシを呼んだ。
「弓箭か。どうした?」
『実は不可解な事が起こりまして……』
垣根は目を細めて、カブトムシから語られる弓箭の話に耳を傾ける。
もちろんその内容は、学舎の園で弓箭猟虎が上条当麻と共闘した話だった。
「で。上条はどうしてる?」
『食蜂操祈に手助けされて、学舎の園から出ようとしている最中です。わたくしは別口で正面から堂々と出て、今こうして垣根さんと連絡を取っています』
「分かった。俺も真守も何もされてねえから安心しろ。それに土御門の事は把握してる。お前はとりあえず待機してろ。情報が整理できたらまた
垣根がそう告げると、弓箭は即座に頷いた。
(土御門のヤツ……上条当麻をどうにかするっつってたが、『学舎の園』に送ったのか)
実は垣根帝督、カブトムシを学舎の園内にも秘密裏に配置しているため、上条当麻が怒れる女子に追いかけられているのを高みの見物していた。
それでも手を出さなかったのは弓箭に言った通り、既に土御門元春と話をつけていたからだ。
土御門にとって、垣根帝督は同類である。
何故なら土御門元春にとって、義妹である土御門舞夏はかけがえのない存在だ。
それは垣根帝督にとっての朝槻真守と同じなのだ。
大切な存在のためならば、全てを台無しにしてもどうでもいいという共通認識がある。
だからこそ二人は同類であり、垣根はそれが気に食わないのだ。
土御門は垣根に全てを話しても、自分と同類故に上条当麻のように自分を止める事はないと確信していた。
確かに全てを包み隠さず話した理由には、垣根がカブトムシで独自の情報網を構築して学園都市を監視している、という理由もある。
だが、やはり同類だからという信頼を寄せている意味合いが強い。
ある意味絶対的な信頼から、土御門は垣根に全てを話したのだ。
これから、自分は土御門舞夏のために復讐を始める、と。
現在学園都市上空に位置する飛行船では『土御門舞夏が火事で死亡した』というニュースが表示されている。
だが実際には土御門舞夏は死んでいない。
土御門元春が彼女の死を偽装しただけであり、彼女は今頃自身の所属する学校に不可解な命令をされて建物の清掃でも行っているのだと言う。
だが土御門元春が妹の死を偽装しなければ、土御門舞夏は殺されていた。
その原因となったのは、『
結果的に、土御門元春は土御門舞夏の死を偽装することで、本当に失う危機を回避できた。
だがそれで済む話ではない。
愛する存在の命が狙われるだけで、はらわたが煮えくり返る。
大切な存在の命が狙われた時点で、復讐する権利は当然として生まれるのだ。
実質的に誰にも穢すことができなくても、全ての脅威から朝槻真守を守ると誓っている垣根帝督にも、土御門の気持ちは痛いほど分かる。
土御門元春は、もう止まらない。止まりたくない。
だから善意を持って自分の存在を救ってくれる上条当麻が、土御門元春は邪魔だった。
そのため土御門は上条を学舎の園に送り込んだのだ。
(話してきたのがついさっき。アイツは以前から事を進めてたようだし、終わるのは時間の問題だろ)
垣根は一応カブトムシのネットワークから土御門元春の動向を探りながら、自宅内を歩く。
垣根は真守にこの事態を知らせていない。
真守も真守で土御門のことを想って動くからだ。
垣根帝督が説得すれば真守は止まるが、できれば余計な心配を掛けさせたくない。
全てが終わった後に伝えればいい。そう思っている。
本当に心底ムカつく人間だが、あれでも真守にとって大事な存在である。
それに土御門元春は過去、朝槻真守に大切なことを教えてくれたのだ。
あれは真守が
いきなり現れた家族というものに、真守は困惑していた。
そんな真守に、家族というものがどういうものか教えたのが土御門元春だった。
(死にそうになったら助けてやる。まあアイツは死なねえと思うけどな)
本当に大切な存在なら、生き抜いて守るべきなのだ。
だから死ぬなんてありえない。道半ばで息絶えるなんて許されない。
(……俺も随分と丸くなったもんだ)
垣根は自嘲気味に笑いながら、真守と自分の飲み物と軽くつまめるものをお盆に載せて、真守のもとへと行く。
(しかし雲川芹亜か。なんで真守の学校に統括理事会のメンバーのブレインがいるんだよ)
垣根はチッと舌打ちをしながらも、この際入手できた新事実にどう対処するか考えながら、真守がいる部屋へと入る。
垣根がノックをして入った部屋には、大量の機材が所狭しと並んでいた。
それらは全て、純白によって彩られていた。
当然だ。何故なら全てを垣根帝督が
そんな部屋の中でも
その中には六、七歳程度の中性的な人間が培養液に浮かんでいた。
「真守」
垣根が呼ぶと、培養槽の前でぺたんと座り、愛おしそうに人造人間を見ていた真守が振り返った。
「垣根」
真守が立ち上がろうとすると垣根は手で制し、真守の横に
この部屋は
そのため垣根の意思一つであらゆるものが生み出せるのだ。
垣根はテーブルの上にお盆を載せると、真守の隣にクッションを造り上げてその上に座り、真守にミルクコーヒーを差し出した。
「ありがとう、垣根」
真守は垣根からミルクコーヒーを受け取り、熱をふぅふぅ息で冷ましてから、ゆっくりと飲む。
「あまい。おいしいっ」
真守がふにゃっと笑う姿を見て垣根は目を細め、自分も淹れたてのコーヒーを飲む。
「垣根は甘いコーヒーを作るのが本当に上手いな。コーヒーなんて苦くて飲めなかったのに、垣根のはすごくおいしく飲める」
真守はこくこくとコーヒーを飲んで、そして不思議そうに微笑む。
「深城だって同じレシピで作ってくれてるのに、何故か垣根の方がおいしく感じるんだよな」
「源白には源白の癖があるんだろ。紅茶と同じで、コーヒーも淹れ方の好みが出るからな」
「確かに機械が淹れてるわけじゃないからな。そこら辺がきっと真心というものなんだな、きっと」
真守は垣根と話をしながら、視線を培養槽の中で眠っている人造人間へと目を向ける。
この人造人間には、明確に魂と呼ばれる生命エネルギーの塊が宿っていない。
そうしてもらうために、真守は垣根にちょっと頑張ってもらったのだ。
この体は真守のことを神として必要とし、この世界へと生まれ落ちることを望んでいる『彼ら』のために垣根に造ってもらった試作品だ。
朝槻真守は神さまとなるべく生まれた。
それをアレイスターが
だが加工されたとしても、朝槻真守の事を神として必要とする存在が真守を必要としているのは変わりない。
真守も神さまとして、彼らを放っておくことはできない。
だから
普段の垣根帝督ならば、誰かに利用されることなどまっぴらごめんだ。
だが朝槻真守であれば話が違う。
この愛しい存在が神さまとしても人としても、自分の全てを欲しているのがたまらなく嬉しい。
真守が神さまとして必要とする誰かが、自分で良かった。
だってそうなればこの少女はどうしたって自分から離れることができないのだ。
一つでも繋ぎ留める要素が自分にあって良かったと、垣根帝督は思って小さく笑った。
「そういえばクロイトゥーネのコトなんだが」
真守がそう切り出したので、垣根はコーヒーに口を付ける前に声を上げた。
「あ? あいつには専用の
「うん。私も帝兵さんに確認したからそれは知ってる。垣根はやっぱり優しいなって言いたかったんだ」
垣根は真守の柔らかな言葉に顔をしかめて、コーヒーを飲む。
フロイライン=クロイトゥーネは学園都市中を
真守は彼女に必要な情報を入力したが、学園都市の情報を全て入力したわけではないため、クロイトゥーネは様々な事に興味津々なのだ。
だからこそクロイトゥーネは学園都市中をうろうろしていて、帰ってこない事が多い。
真守が良く心配してカブトムシに確認しているので、垣根はクロイトゥーネが前から欲しがっていた専用の抱き枕式のカブトムシをくれてやったのだ。
それを知った真守は垣根が本当に優しいと今一度実感した。だから口を開いたのだ。
「
「うるせえ。最初から小さくねえって言ってるだろ」
垣根はじろっと真守を睨む。
ほっぺでも摘まもうと思ったが、その時タイミング良く垣根の携帯電話が鳴った。
相手は誉望万化。垣根は怪訝な表情をして電話に出る。
〈垣根さん。大丈夫ですか?!〉
垣根は妙に焦っている誉望の言葉に顔をしかめる。
「あ? 何も問題ねえよ。どうした?」
〈『
垣根は誉望がそこまで告げた瞬間、異変に気が付いた。
カブトムシのネットワークが、断裂している。
先程まで繋がっていたのに、ふっつりと途切れているのだ。
そんな中、異変がもう一つ起きた。
垣根を見上げていた真守の瞳からふっと光が消えて、ぐらっと大きく揺れたのだ。
「真守!?」
垣根が大声を上げた時には、真守は既にその手からマグカップを取り落とし、培養槽へとなだれ込むように倒れた。
垣根は慌てて真守の顔を見るが、ゾッと怖気だった。
真守の目は見開かれたまま、機械のように停止しているのだ。
そこに、確かな生が感じられない。
ただただ白い
垣根の脳裏に、ロシアでの出来事が蘇った。
右方のフィアンマに心臓を貫かれた真守。あの時、真守は機械のように停止した。
その時のように、真守が機能を停止している。
何が起こっているか分からない。どうすればいいか分からない。
もう動かないからだ。
もう笑いかけてくれないかお。
そして、もう動かないくち。
古いトラウマさえ刺激された垣根は上手く息ができない。
そこにドタドタと走る音が聞こえてきた。
そしてばたーんと勢いよく扉が開かれる。
「垣根。深城が突然倒れた。帝兵さんもガギガギ言った後ヘンなの。……垣根?」
林檎は垣根が呆然としているのに気が付いて、目を見開く。
「垣根。落ち着いて」
林檎はカブトムシを握っていたが、柔らかく宙へと放って垣根を抱きしめた。
カブトムシは林檎の手から離れて宙で翅を振るわせて、停止している。
「大丈夫。大丈夫だよ、垣根」
林檎に抱きしめられて、垣根はひりつく喉を動かした。
「……
『AIM拡散力場経由でハッキングを受け、一部のカブトムシの制御権を奪取された模様。現在ネットワークを切断。全ての個体をスタンドアローン状態へと移行。搭載済みの思考ルーチンに基づいて原因究明中』
垣根は防衛のためにネットワークの接続を切った事で、人工知能じみた言葉を発するカブトムシの現状報告を聞く。
「……AIM拡散力場か」
垣根はゆっくりと息をして、自分の事を抱きしめている林檎の小さい腕に触れる。
AIM拡散力場経由でハッキングを受けた。
それは『敵』がAIM拡散力場を自在に操れるという事だ。
源白深城はAIM拡散力場を自身の体だと認識している。
AIM拡散力場を操られて最初に不調が出るのは源白深城だ。
だから彼女は林檎の前で気絶したのだろう。
そして真守は、源白深城と密接に繋がりを持っている。
しかも真守はアレイスターにその万能性を危険視されて、あらゆる『枷』が嵌められている。
『
そして以前に緋鷹が言っていたが、真守は学生たちの間で広まっている都市伝説でAIM拡散力場の方向性を操り、その力を意図的に抑えられている。
おそらく、今回『敵』は真守の万能性を危惧して、AIM拡散力場の枷を応用したのだろう。
だから真守は『敵』の思惑通りに無力化されて、機能停止に
そう推測できる。
垣根は鈍い頭を振って、思考を巡らせる。
「学園都市の統括理事会のメンバーなら、真守の枷の存在を知ってる。……つーことは土御門の野郎が追ってる『
垣根は誉望からの携帯電話を放っておいた事に気が付いて、声を上げた。
「誉望、カブトムシがハッキング受けてるのはこっちでも確認した。すぐにお前が調べてた『
〈分かりました。……その、垣根さん〉
「なんだ?」
垣根が息を吐きながら答えると、誉望は心配そうな声を出した。
〈あまり無理しないでくださいね。垣根さんは万能ですけど、一人じゃないんですから。弓箭にも
誉望は言い辛そうにしながらも自分の気持ちを告げて、逃げるようにピッと電話を切る。
垣根は自分のことをなんだかんだ言って、自分を支えようとしてくれている誉望の存在に目を細める。
「垣根、よかったね」
林檎が優しく垣根の頭を撫でる。垣根はそれで肩の力がやっと抜けた。
「
垣根が問いかけると、新たな個体が開け放たれた扉から数体やってきた。
『すみません。安全を期して第二学区の「
中心にいるカブトムシは、先程林檎が連れてきたカブトムシとは違い、確かな意思──心が感じられた。
『この個体がいまの私です。ですから私が消失すれば、私は私を保てなくなります』
垣根が造り上げた人造生命体であるカブトムシは、全ての個体が一つの意志によって統率されており、各個体は人工知能程度の思考ルーチンしか持たない。
それはつまり、カブトムシの個体には自我と唯一性が与えられていないのだ。
一つずつに個性を持たせなかったのは、唯一無二を大事とする真守がカブトムシの一体を破壊されても心を痛めないためと、いつでも個体のアップデートや破棄をしやすくするためだ。
だからカブトムシのネットワークは、ミサカネットワークとは似て非なるネットワークを形成していると言える。
カブトムシ一体も
だがカブトムシは替えの利く脳細胞で、妹達は替えの利かない存在という事だ。
替えの利かない存在と言っても、
そしてそれはカブトムシも一緒だ。最後の一体が消失するまでそこに在り続けることができるが、その最後の一体が消失すれば終わりである。
現在、カブトムシはハッキングを受けたため、自己判断でネットワークを断絶させた。だから垣根との繋がりがふっつりと突然切れたのだ。
そして脳細胞の一つ一つをバラバラにした時、そこに宿っていた『意思』を宿す個体が必要となる。
その避難先がいま垣根と話しているカブトムシであり、このカブトムシがいなくなれば本当にカブトムシは死んだことになる。
「林檎。そのカブトムシが帝兵さんだ。分かったか?」
垣根が林檎の目を見て告げると、林檎はこくっと頷いた。
そして守れるように、カブトムシのそばにぴっとりと寄り添った。
『林檎、安心してください。簡単にはやられませんし、壊される前に避難先はきちんと造ります』
「でもそしたら帝兵さんが痛いでしょ。私が守ってあげる。私にもその力はある。誉望にたくさん教わってるんだから」
林檎がぎゅっとカブトムシを抱きしめながら決意すると、帝兵さんは林檎の腕の中に収まる。
『スクール』の面々の力を借りて、事態収拾に動かなければ。
そうでなければ真守がいつまでも動けないままだ。
垣根がそう思った時、ごぼごぼとくぐもった声が聞こえてきた。
『むぐう。わたしの体がじゃまで培養槽のふたが開かない……』
垣根は突然、培養槽の中から聞こえてきたくぐもった声に硬直する。
そしてゆっくりと培養槽内の人造人間へと目を向けると、命が宿っていない空っぽなはずの人造人間が動いていた。
そしてその小さな手のひらで培養槽の蓋を開こうとドンドン押すが、真守が培養槽の蓋にもたれかかっているので、どう頑張ったって蓋が開かない。
『かきね。わたしの体をどけてくれー』
垣根は慌てて機能停止をしたように動かない真守の体を優しく退けて、培養槽の蓋を開ける。
すると中から人造人間の試作品が真守のようにちょこちょこと動き、培養槽から出ようとする。
「うわっ」
だが足が上手く動かずに、人造人間は床に足を付けた瞬間、つるっと滑ってしまう。
垣根がその人造人間を片手で受け止めると、人造人間はふにゃっと笑った。
「かきね、ありがとう」
その笑みは、朝槻真守そのものだ。
どこからどう見ても。だから垣根は驚愕していたが、ゆっくりと口を動かして確認を取った。
「…………お前、……真守か…………?」
垣根が何が起こっているか理解できないが、ぐったりして機能停止している真守の体を見てから、目の前の人造人間を見つめた。
垣根の視線を受けて、
「信じられないかもしれないけど、わたしは
魂が入っていない空っぽの人造人間。
それなのに人造人間が朝槻真守として動くという事は、たった一つの事実を指し示していた。
垣根は普通ならありえないその事実に目を見開く。
そんな中、真守は証明だと言わんばかりに能力を解放した。
ぴょこっと
自分は紛れもなく、本物である事を垣根に示すために。
「わたしにかせは認識できないようになってたから、こんなふうにつかわれるとは考えられなかった。対策がひつようだけど、なにはともあれこのからだで動けるのがさいわいだ。……でもやっぱり不安はのこる。それでもこのからだで動くしかないぞ、かきね!」
何がどうしてこうなったのか、垣根はいまいち分からない。
だがそれでも一つだけわかるのは。
チビ真守が誕生したことだけだった。
お気づきの方もいるかもしれませんが、ロシア篇でもちらっと出てきたことを真守ちゃんは再びやりました。