※次は八月三〇日月曜日です。
「手の施しようがないね?」
真守は深夜未明、
冥土帰しは電子カルテを見ながら真守に説明する。
「脳の記憶野、そのエピソード記憶の脳細胞が死滅している。真守くんも知っている通り、神経細胞は中枢神経系を形成した後は細胞分裂しない。だから──」
「日常的な記憶を、失ったと?」
真守は生唾を呑み込んで乾いた喉を潤してから、声を絞り出すようにして訊ねた。
「そうなるね?」
冥土帰しはどんな患者でも生きてさえいれば治してくれる医者だ。
そんな医者でも破壊されてしまった神経細胞とその中に溜め込んであった情報は復元する事はできない。
きっと上条当麻は冥土帰しにとって初めて救えなかった患者だろう。
「分かった。ありがとう、先生」
「僕は彼を救えなかったけれど?」
「いいや、先生がいつも死力を尽くしているのを私は知ってる。だって
朝槻真守という患者に
研究所を壊滅させて脱走して、
「キミに用意しなければならないのは普通の学生としての暮らしだったから、それほど難しくはなかったけれどね?」
「難しい、難しくないの話じゃない。先生の用意してくれたものは本当なら私が手に入れられなかったモノばかりだった。先生はいつでも患者のために頑張っていてくれる。だから上条のために色々と手を尽くしてくれてありがとうって、お礼を言ったんだ」
真守が頭を下げると
上条を救えなかった事が、心にきているらしい。
「キミがそうやって生きられるようになって良かったよ?」
「うん。私が人の好意を受け取ってお礼を言えるようになったのは、やっぱり先生と深城のおかげなんだぞ」
真守はにへらっとはにかむように笑うが、上条を助けられなかった罪悪感からその表情はほんの少し歪んでいた。
──────…………。
翌日。
夏の高い空が広がり、太陽の光がじりじりと照り付けてセミの声が鳴り響く中、真守は自分が入院しているマンモス病院の裏玄関の柱に寄り掛かって立っていた。
「で、イギリス清教はなんだって?」
真守は学園都市を去ろうとしているステイルと神裂と話をしていた。
「上はあの子を連れ戻したがっていたが、キミに教えてもらった事を全て伝えたら現状維持に落ち着いた」
「上条のそばにインデックスを置いておく、という事か。お前たちはそれでいいのか?」
真守が事の経緯を簡潔に言葉で表現すると、神裂が優しい笑みを浮かべて頷いた。
「あの子の幸せが私たちの幸せですから」
「そうか」
真守は神裂とステイルのインデックスを想う気持ちに微笑んで頷く。
「ただ、イギリス清教は様子見をしている状態だ。僕たちはあの子を守るために情報を集める事にする」
「それが賢明だな。お前らは政治が絡んできているから特に動きづらいだろう。……強大な権力と戦うのは辛く険しい道だ。心が折れないように頑張れよ」
ステイルが真剣な表情をして決意を表明すると、真守はイギリスという国の一角を担っているイギリス清教に立ち向かうステイルと神裂の方針を肯定して、激励を飛ばした。
神裂がその激励に頷く隣で、ステイルは真守に向き直った。
「横からあの子をかっさらっていったあの男は正直気に入らない。だがキミには世話になった。ありがとう。……重ねるようで申し訳ないんだが、あの子のために
「勿論だ。……だが私が
真守が上層部の事を思いながら告げると、ステイルは肩を
「キミも上層部に
「お互い様というところだ」
真守はフッと自嘲気味に微笑んでからステイルの言葉に軽口を叩くように応えた。
「じゃあ僕たちはこれで」
「また会いましょう、
別れの挨拶を告げる二人を見て、真守は自分の名前に込められた意味を言葉にされて柔らかく微笑んでから訊ねた。
「インデックスに会わなくていいのか?」
「あの子の頭はあの男でいっぱいだからな」
ステイルはインデックスの事を考えてフッと寂しそうに笑った。
「嫉妬で見てられないのか」
真守がにやにやとしながら
「ぼ、僕はあの子をそんな目で見ていない! 尊敬する女性はエリザベス一世で好みのタイプは聖女マルタだ!!」
「ほーう?」
必死に言い訳するステイルが微笑ましくて、真守はふふっと声を漏らして笑った。
ステイルがぐぬぬ、と顔を歪ませる隣で、神裂はそんなステイルを見て苦笑していた。
「じゃあな二人共。学園都市に来るなら連絡してくれ。また何かあったら力になる」
「心強いよ、
「では、いずれ。──また」
ステイルと神裂は真守に挨拶をするとそのまま去っていく。
真守はヒラッと手を振って二人が見えなくなると、柱に寄り掛かるのをやめて自分で立つと顔を上げた。
夏の、雲一つないいつもと変わらない夏の晴天が広がっている。
「…………よし」
真守は一息つくと、彼に会いに行った。
新しい朝を迎えた上条当麻の下へと。
──────…………。
上条当麻はベッドに座ったまま真守を怪訝そうに見つめていた。
初めて会う少女が何者だろうか、どう対応したら記憶喪失になっているとバレないか考えていたのだ。
「初めまして、は言わないぞ」
真守が先にそう宣言すると、上条は全てを悟った。
少女は自分が記憶を失った事を知っている。
あの白い修道服の少女に記憶喪失を隠すと決めていたのに。
そんな上条の絶望を感じ取り、真守は安心させるように目を細めて微笑んだ。
人の可能性を心の底から信じている意志が瞳に宿っている、と上条当麻は感じた。
そんな彼女を、自分は心のどこかで覚えている気がした。
「朝槻真守。お前の友達だ」
真守は上条のベッドの近くに丸椅子を持ってきて自己紹介した。
上条が『友達』という言葉に顔をしかめる。
友達だったはずなのだ。
ここにいる上条当麻は、彼女の知る上条当麻ではない。
真守は首を横に振ってから微笑んで、上条の思い込みを吹き飛ばした。
「私とお前は友達だった。そして今でも変わらずに友達だ。お前の記憶が消えただけでこの関係が変わる事なんてありえない。私が信じている上条当麻は、記憶がない程度では揺らがない」
上条は息を呑んで真守を見た。
過去の上条当麻の友達だったこの少女は、今の何も覚えていない上条当麻の味方になってくれると言うのだ。
自分の存在が危ぶまれている時に、その言葉は救いの言葉だった。
真守は救いの女神だとでも自分を見つめる上条に向かって、寂しそうに微笑んでから自身の罪悪感を口にする。
「私はお前を助けられなかった。それがとても心苦しい。だからお前のこれからを助けさせてほしい。そう願い出てもいいか?」
真守が悲痛な笑みを浮かべると、上条が言葉を口から零した。
「……そんな顔するなよ。俺、お前にそんな顔してほしくないな」
上条当麻は記憶を失くそうが、やっぱり彼の本質は何も変わらなかった。
真守は上条のその一言に今一度確信して、柔らかく微笑んだ。
「でも、そうだな。色々忘れちまってるから、そこんところはよろしく頼む」
上条が真守に頼むと、真守は力強く頷いた。
「もちろんだ、上条」
真守の反応を見て、上条は安堵して目を細めて微笑んだ。
「──さて、本人の許可を貰ったので今から勉強だ」
「……はい?」
だが真守が言い放った言葉の意味が分からず、上条は間抜けな声を出した。
「お前がこれから日常生活を送る上での一般常識だ。私はお前のクラスメイトだからな。お前の人間関係はもちろん把握している。それと現実を叩きつけるようで悪いが、お前ははっきり言って
「や、病み上がりなんですけど!? 病人! 俺、病人だから! ちょ、ちょっとまだあの、勉強はやりたくないって言うか……!」
真守がまくしたてた真っ当な言い分を聞いて上条は顔を真っ青にする。
そんな上条に真守はにっこりと微笑んだ
その瞳に決意の炎を灯らせて。
「逃げるな上条。お前の望み通りに私が助けてやる」
「い、いやあああああ勉強は嫌だあああああ!!」
叫んで逃げようとする上条だが、病人なので逃げる事ができない。
真守は愉快だと言わんばかりの声で上条に向かって宣言した。
「この夏休みの間にお前の脳みそにできる限りの『記憶』を詰め込む。私はこれでも忙しい身だ。課題を出してやるからきっちりこなせ!」
「スパルタ教師!? 俺が考えてたキャラとなんかちょっと違う!!」
「どうせお前から見た私の印象は気難しいヤツだろう。だが私は面倒見が良いとクラスでも評判だ。分かったら始めるぞ!」
「その違いが嫌なんですが────っ!?」
泣き叫ぶ上条へと、真守は勉強という暴力を持って近づく。
(やっぱり記憶がなくても上条は上条だ)
泣き叫ぶ上条の反応を見て、真守はくすくすと楽しそうな声を出して笑っていた。
神裂の言う真守の名前の意味は自動書記も察しており、前回の話で出てきた〈正しい事を為せ、真の事を言え〉という名称での魔術攻撃はある意味真守に対する皮肉です。
『流動源力』では、神裂は聖人ゆえに人間につけられた名前の本当の意味が分かるように設定されています。ご了承ください。
また活動報告にて『禁書目録篇:下』についてのメタ的な解説と上条くんの記憶の謎について触れています。
よければご覧ください。