昼前。
平日なので、もうとっくに学校が始まっている時刻だ。
その時刻に、真守はやっとすべての事を終えてラウンジへと降りてきた。
「ふむ」
二階のラウンジに現れた真守を見つめて小さく言葉を漏らしたのは、ズボンタイプのセーラー服を着こんだ白い少年だった。
朝槻真守のことを神として必要としている、人間の生きる意志を体現した存在。
真守に生きるという意味を込めてセイと名付けられた少年だ。
「……あ」
白い少年を見て声を上げたのは、真守に抱きかかえられて不安そうにしている黒髪の少年だった。
サンプル=ショゴスとしてこの世界に不正定着し、寄生体として
そこから真守が拾い上げて一度あちらに還し、明確な魂を創り上げてこの世に降ろした存在。
白い少年と違い、黒髪になっているのはサンプル=ショゴスが『黒』だったことに由来しているのだろう。
だが黒髪の少年も白い少年と背丈も身に着けているものは一緒で、ズボンタイプのセーラー服を身にまとっていた。
黒髪の少年はその手に握っているセーラー帽子を、不安そうにぎゅっと握りしめる。
真守はそんな黒髪の少年に、優しく声をかける。
「分かるだろ、お前と同じ子だ」
まるで、真守は幼子に接するかのように優しく語り掛ける。
黒髪の少年は真守に優しく話しかけられても、不安で表情を硬くしたままだ。
おどおどしていて、漠然とした不安をずっと感じているようだった。
真守たちの様子を見守っていた垣根帝督は静かに目を細めた。
(……あからさまに性格が違うんだな)
人間の生きる意志、前に進む意志を体現した白い少年はどちらかというと、達観したような毅然とした態度をとる。
対してサンプル=ショゴスと命名された寄生体として、この世を彷徨っていた一部を持つ黒髪の少年は、どこからどう見ても内向的だ。
これまで真守のことを神として必要としている者が目の前に一人しかおらず、見比べる事は出来なかった。
だがまさか垣根帝督も、これほどまでに性格が違うとは思わなかった。
(……つっても、世界がどんなに造り替えられても人間の変わらなかった一部たちだからな。根本的に人間の異なる部分を体現してりゃ、性格が違うのは当然か)
「真守」
垣根は一人納得しながら、ソファに座ったまま声をかける。
真守が顔を上げるのを見た垣根は、真守のことを逆手でくいっと呼んだ。
真守は垣根に呼ばれてこくりと頷き、白い少年を見る。
「セイ、座って話そう」
真守が促すと、白い少年も頷いた。
黒髪の少年は真守が歩き出すと、不安を覚えてぎゅっと真守にしがみついた。
だが真守の行動に嫌だとは言わなかった。
そのため真守は黒髪の少年を抱き上げたまま、難なく垣根の隣に座る。
そして白い少年は一人掛けのソファに座った。
垣根は自分と同じように状況を見守っていた深城にアイコンタクトでお茶を用意してほしいとお願いしてから、真守を見た。
「その黒いのは一体どんな存在なんだ?」
垣根が問いかけると、真守の腕に抱かれていた黒髪の少年がびくぅッと体を跳ねさせた。
真守はおどおどと震えている黒髪の少年の背中を優しく撫でる。
「怖がらなくて大丈夫だぞ。体を造ってくれたひとだ」
真守が優しく垣根のことを紹介していると、黒髪の少年はヘーゼルグリーンの瞳をおずおずと垣根に向ける。
真守と黒髪の少年は、さりげなく髪と瞳の色がお揃いだ。
なんとなく姉弟みたいだ。
垣根はそう思ってかたくなに親子だとは思わずに待っていると、黒髪の少年がぽそっと呟いた。
「…………怒ってない?」
「? なんで俺が怒るんだ?」
垣根は何故黒髪の少年が怒っているかと問いかけてきたのか、本気で分からない。
すると真守はぷくぷくとした黒髪の少年の頬に触れながら微笑む。
「ロシアで垣根の
真守が問いかけると、少年は目を伏せて俯く。
そして、こくりと頷いた。
元々黒髪の少年は、ロシアの地にて真守の体を基点としてこちらに流れ出した『彼ら』の一部だ。
あの時『彼ら』の一部は器を求めて
それを黒髪の少年は気にしているらしい。
垣根は不安そうにしている黒髪の少年を見て、ふっと笑う。
「問題ねえよ。そもそも怒ってたらお前の体を用意したりしない。気にするな」
垣根はぽんっと、黒髪の少年の頭に手を置いて、優しく撫でる。
すると黒髪の少年は目を大きく見開いてから、ほうっと嬉しそうに一つ息を吐いた。
第三次世界大戦の時に
何故なら『彼ら』は思考などできずに、器として機能する垣根帝督の
それは
しかもあの時
そして真守の願う、垣根帝督が自分の意思でどうしたいか考えるという選択肢を得られたのだ。
だから怒ることなんて何一つない。垣根がそんな気持ちを持っていると知ると、黒髪の少年は口を開いた。
「……ひとは誰かを求める」
黒髪の少年は手に持っているセーラー帽子をぎゅっと握って、続きを口にする。
「ひとは、一人じゃ生きていけない。寂しいとか、孤独とか。誰かと一緒にいたいって思う気持ちが……ボク、なの…………」
黒髪の少年はぽそぽそと呟くように告げる。
「だから、だれかと一緒にいたくて……勝手にこっちに来たの…………」
さびしかった、と呟く少年の言葉を聞いて、垣根は目を見開く。
誰かと共にいたいという、他者を求める気持ち。
それを体現した黒髪の少年は、誰かと一緒にいたくて──自分を生み出した人間たちに触れたくて、あの時こちら側へと飛び出した。
ただあの時こちら側へ飛び出した『彼ら』は黒髪の少年だけではなかった。
それでも何故か、黒髪の少年はサンプル=ショゴスと呼ばれた寄生体としてこの世界に不正定着してしまった。
その時からずっと、この世界を彷徨っていた。
垣根は黒髪の少年がどんな存在か知って、柔らかく目を細める。
そして。黒髪の少年の頭を優しく撫でた。
「真守に降ろしてもらって、俺が器を用意してやったから。もう一人じゃねえな」
垣根が笑って告げると、黒髪の少年はヘーゼルグリーンの瞳を真ん丸に開いた。
そして柔らかく、幸せそうに微笑んだ。
「トモ。というのはどうだろう」
真守はやっと触れられた温かみに笑っている黒髪の少年に笑いかける。
「友達、とか共にとか。そういう名前だ。お前のことをそう呼んでもいいか?」
「トモ」
黒髪の少年は真守の名づけを聞いて、柔らかく微笑んだ。
「うん。朝槻真守、ありがとう」
黒髪の少年──人間が誰かと一緒にいたいと思う気持ちを体現した存在、トモは柔らかく笑って真守に抱き着く。
そんな黒髪の少年を見て、白い少年はソファから降りた。
そしてとてとてと歩いて、真守に抱き上げてもらっている黒髪の少年に近づく。
「……あ。よろしく、セイ」
黒髪の少年がはにかみながら告げると、白い少年は頷いた。
「うむ。よろしく頼むぞ、トモ」
確かな魂を持って、器を持って。そこに存在している彼ら。
そんな彼らを仏壇の上に座って見ていたお人形サイズのネフテュスは目を細めた。
「神人は神さまらしいことを常日頃から本当にやっているのね」
「うむ。あのように自らを必要とする存在がこの世界にいるのであれば、儂らと違って新天地へと向かいたいと思わぬわけじゃな」
ネフテュスの言葉に応えたのは、仏壇でお茶を飲んでいた僧正だった。
二人の魔神が一人の神さまの所業を見守る。
その姿はとても温かい様子だった。
真守は垣根に席をズレてもらって、黒髪の少年にソファに一人で座ってもらう。
真守も流石にいつまでも黒髪の少年を抱き上げるのは大変だからだ。
黒髪の少年はソファにちょこんっと座ると、
そんな彼らのもとに、深城がお茶を持ってやってきた。
「お疲れ様、真守ちゃん」
「深城、心配かけてごめんな」
真守は深城に謝りながら、出された温かい緑茶に手を伸ばす。
そしてお茶を一口飲んで一息つくと、真守は垣根を見た。
「垣根、改めて。体を用意してくれてありがとう」
「俺にしかできないことだからな。それにお前ができねえことを頼ってくれるとすごく嬉しい」
真守は垣根の優しさに触れて、ふにゃっと笑みを浮かべた。
「ところで林檎は?」
真守が問いかけると、キッチンに向かおうとしていた深城が声を上げる。
「クロイトゥーネちゃんとお使いに行ってるよぉ。……そういえば、真守ちゃん。学校はどうするの? というか今日学校ってあるの?」
真守の学校は僧正の一撃によって崩壊している。
学園都市の技術でも、一日で学校を建て直すのは無理だ。
そのため深城が学校はどうなっているのかと問いかけると、真守は携帯電話をポケットから取り出した。
「さっきケータイを見たらメールが来てて、近くの中高一貫校の空き部屋を借りてるらしい。一回行ってみたいから、午後にでも行こうと思ってる」
真守は携帯電話をカコカコイジりながら、くすっと笑う。
「何が関わっているか分からないけど、私たちの学校が間借りする中高一貫校には上里翔流がいるんだ。少し顔を合わせてみたいからな」
「……午後から学校行くって。お前、少し休んだ方がいいんじゃねえの?」
垣根は昨日からずっと起きている真守を見つめて心配する。
真守に睡眠や休息が必要ないことは分かっている。
だが夜通し神さまとしての責務を行っている姿を見ると、流石に不安になるのだ。
真守は心配している垣根を見て、携帯電話を片付けながら思案顔をする。
「んー……あ。じゃあ垣根、肩かして。それで元気になる」
真守は名案だといわんばかりに微笑むと、垣根にすり寄る。
「……それで元気になるの?」
垣根はカブトムシを呼び寄せた真守を見て、目を細める。
真守は垣根が心配している様子を見て、ふにゃっと笑った。
「垣根の横でゆっくりするのが私の何よりの休息だ。……そういえば垣根はちゃんと眠れた?」
「三時間くらい寝た。大丈夫だ」
「そうか。でも心配だから今日は早く寝ような」
真守は微笑むと、垣根にぴとっと寄り添った。
そして幸せそうに目を細めると、垣根の左腕にぎゅっと抱き着いた。
「ふふ。幸せ」
「……安くて小さい幸せだな」
垣根は笑うと、真守の腰に手を添える。そして真守の体重を完全にもらい受けた。
真守は垣根の体温を感じながら、くすっと笑う。
「垣根の肩は安くないぞ。普通なら手に入らないからな」
真守は垣根に体を預けて、膝に載せたカブトムシの頭を撫でる。
「そうだな。大切なお前になら無料でいつでも貸してやる」
「ありがとう」
真守は微笑むと、垣根の体温を感じながら目を細める。
そして抱き上げているカブトムシに触れて、昨日の上条当麻と上里翔流の記録を確認する。
「む」
真守は小さく呟く。そしてカブトムシの昨夜の記録を確認して、眉をひそめた。
上条当麻と上里翔流の激突。
それは
だが上里翔流の勝利で終わらなかった。
上条当麻の奥にある力。それが表に出てきたのだ。
「……垣根。右方のフィアンマがやろうとしていたことを覚えているか?」
「フィアンマ?」
垣根は真守の頭を優しく撫でながら、怪訝な表情をする。
「……あのクソ野郎は本気で世界を救済しようって考えてた。その力は自分の手の中にあると本気で思ってた」
「そう。あの男の手の
真守は垣根の言葉に頷く。
「異形の力で満たされた神殿を用意し、その中で右腕の力を錬成する。そして錬成した力を持って、世界をあるべき形へと戻す。私的には
「……それが、どうしたんだ?」
垣根に問いかけられて、真守は無機質に輝くエメラルドグリーンを細める。
「この学園都市もある意味神殿のようなものだ。もちろん私のものでもあるが、元々私を想定して用意された神殿じゃない」
真守は垣根にすり寄ったままそう告げる。
垣根はそんな真守を見つめながら、真守の言葉の意味を考える。
学園都市は科学の徒の神殿となっている。それはこの街がAIM拡散力場という異能の力で満たされているからだ。
その異能で街が満たされたことで生まれた陽炎の街。虚数学区・五行機関。
その街の天使として、源白深城は真守のそばにいて。真守はその街の神となっている。
そんな半ば神殿と化している学園都市で錬成される、右腕の力。
おそらく真守が指し示す右腕の力とは、
上里翔流との戦いで奥から顔を出した、上条当麻の幻想殺しの奥にある力。
そのことについて、真守は考えている。垣根にはそれが分かった。
そして真守は、上条当麻の奥にある力について口を開く。
「上条の奥にある力は未知数だ。それを学園都市という神殿で育てているアレイスターは、一体何を考えてるんだろうな」
その答えを、垣根帝督は知っている。もちろん真守もだ。
この学園都市を造り上げた稀代の魔術師、アレイスター=クロウリー。
アレイスターは、魔術を憎んでいる。だから魔術の殲滅を目的とし、『
アレイスターの『
だからアレイスターは右方のフィアンマを本気で潰しにかかった。
そして右方のフィアンマは右腕を切り落とされ、弱体化することとなった。
「なあ垣根。魔術とは、位相の法則を魔力によってこの地に降ろして用いる異能の力だ」
垣根は真守の一言が呼び水となり、はっと息を呑む。
魔術とは真守の言葉の通り、位相の法則だ。
その位相の法則を上条当麻の奥にある力を錬成して、殲滅する。
つまり、その意味するところは。
「つまり、ヤツは全ての位相を上条の奥にある力で──」
「垣根、めっ。私が気づかせたが、言葉にしてはだめだ」
真守は垣根の唇に手を当てて、口を塞ぐ。
そして鋭く目を細めて、無機質なエメラルドグリーンの瞳を煌めかせた。
「私が分かってるってあの人間は分かってる。分かってる上で私が不用意に動かないってあの人間は分かってる。だから何もしない。それで均衡が保たれている」
垣根は真守に口を人差し指で塞がれたまま、頷く。
「学園都市を変えるという事は、あの人間と向き合うことだ。そしてあの人間はそれを待っている節がある。それもあって、私は動こうと思ったの」
色々疑問があるから、と真守は呟く。
朝槻真守が学園都市を変えるために動き出そうとしたのは、何も衝動的なことではなかった。
色々と疑問が尽きない。そしてそれらを解消するためにも、動き出す必要があったのだ。
真守は垣根に再び寄り添うと、カブトムシの記録を探る。
「あの人間も
真守が見ている記録では、上里翔流が上条当麻と戦った後、ゴールデンレトリバーと戦っていた。
武装を携えたゴールデンレトリバーだ。その犬の名前は木原脳幹。
どうやら始まりの木原が生まれた時から存在している、寿命を延ばされた犬らしい。
木原脳幹は上里翔流と死闘を繰り広げて撃破された。
木原脳幹はアレイスター=クロウリーの手先だ。
そしてアレイスターはアクシデントを上手く利用して目的を達成する。
「多分、木原脳幹が上里翔流に撃破されることは意味があるのだろう。……その意味は分からないけど、用心しておくに越したことはないようだ」
真守が目を細めている姿を見た深城は、真守に近づく。
そして真守の手を握って、微笑んだ。
「真守ちゃん。おいしいご飯作るからゆっくりしててね」
「ありがとう、深城」
真守は深城が握ってくれた手を握り返して、ふにゃっと微笑んだ。
「お前と垣根がいるから頑張れる」
「ふふ。よかったぁ」
深城がにへらっと微笑む姿を見て、真守も微笑む。
深城がにこにこ笑う前で、真守は気疲れで一つ息を吐いた。
垣根はその様子を見て眉をひそめると、真守の肩を優しく抱いた。
「真守、ちょっと寝ろ。上里翔流とかいうヤツのことは俺に任せておけ」
「ありがとう、垣根」
真守は垣根に膝枕してもらうために体を横にすると、カブトムシを抱き寄せた。
そして大切な人たちに囲まれたまま、真守は少しだけ眠った。
真守に睡眠は必要ない。
それでも大切な人たちに見守られて眠れるなんて、本当に幸せな事だ。
真守はそう思って小さく笑いながら、垣根にすり寄って眠っていた。