次は六月一日木曜日です。
魔術師結社史上における、最大の天才集団──『黄金』。
『黄金』の創始者は三人だった。
だが一人が老衰で引退したため、組織運営は創始者のうちの二人であるウェストコットとメイザースに任されていた。
つまり端的に言えば、『黄金』はウェストコット派閥とメイザース派閥に分かれていたのだ。
メイザース派閥の長であるメイザースは、その勢力図をひっくり返したかった。
そのため、とある女性が目を掛けていた新参者──アレイスター=クロウリーを『黄金』に迎え入れた。
この頃、魔術界隈では命を奪う染料は禁忌とされていた。
だがメイザースに見出されたアレイスターはそれらを惜しげもなく使った。
アレイスター=クロウリーは革新的だった。
そのため魔術において面倒な工程も省いていた。
例えば、フリーハンドで魔法陣の円を描けるようになるには時間がかかる。
フリーハンドを会得する暇が惜しい。だからアレイスターは丸いテーブルに布を被せ、その外周を指でなぞる事で円を描いてみせた。
禁忌でさえ、必要であれば侵す。古めかしい意味のない面倒な工程は省くに限る。
革新的過ぎて、大抵の者たちには受け入れられないアレイスター=クロウリー。そんな彼は、失敗を成功にすら変えてしまった。
この世には世界の縮図である、二つの樹がある。
その名称はセフィロトとクリフォト。セフィロトは一〇の球体に見えない領域であるダアトを加えた、二二の
ウェストコットはセフィロトの樹のみを使い、世界を見ていた。
成功だけを見つめて、自分の望む結果を手にしていた。
だがアレイスターは違った。
彼はセフィロトとクリフォトを用いて世界を見渡した。そして失敗を軸にして成功を引き寄せ、自分の望む結果を手にしていた。
セフィロトだけに囚われる。
成功だけにしか目を向けず、失敗すらも糧にして前に進むことをしない。
それは既に古いのだと。新参者であるアレイスターを迎え入れたメイザースは笑った。
アレイスター=クロウリーを受け入れたメイザース。
彼は『黄金』として、仲間と共に一つの目標を掲げていた。
魔導書の『原典』による毒を受けずに、誰もが簡単に扱える魔術を普及させる事だ。
つまり『黄金』自体が、近代西洋魔術の祖になることを目標としていた。そのために動いていた。
メイザースは近代西洋魔術を打ち立てた偉業が『黄金』の手柄ではなく、自分だけの手柄にしたかった。
メイザースは近代西洋魔術の祖になりたかったのだ。
魔術を一つの体系としてまとめあげた功労者になりたかった。
だがそれはメイザース一人では成し得ない偉業だ。
だからメイザースはアレイスターを利用し、『黄金』の成果を自分の色で染め上げて偉業を成し遂げようとしていた。
誰もが扱える魔術。そんな魔術は、これまで狭い分野の魔術を扱ってきた人間には決して受け入れがたいものだろう。誰もが異を唱えるだろう。
だがそれでも、やがて世界はインスタントに使える魔術の利便性に気が付く。
その時に讃えられる名前が『黄金』ではなくメイザースが良い。
メイザースはそういう魂胆だった。
アレイスター=クロウリーを利用しようとするメイザース。
アレイスターはもちろん、メイザースの意図に気が付いていた。だがアレイスターは魔術を極めることに執心しており、権力争いなどどうでも良かった。
だがアレイスター=クロウリーはある時、その権力争いに火種を投下した。
そして、『黄金』を破滅へと至らしめた。
それが一九〇〇年に起きた、ブライスロードでの抗争だ。
何故、そんなことをしたのか。
アレイスター=クロウリーは何故『黄金』を破滅に導いたのか。
そのきっかけが、朝槻真守の目の前で展開されていた。
『浮かない顔だなお嬢さん。星空でも招けば気が晴れるだろうか』
そのきっかけはアレイスター=クロウリーが一人の男として幸福を得た時だった。
最初の妻ローズと出会ったことだった。
エルダー=マクレーンは面白そうに笑って、かしこまっているアレイスターを見つめる。
『稀代の魔術師と謳われたアイツも懸想はする。オマエが垣根帝督を愛するようにな』
真守を見て、にやっと笑うエルダー=マクレーン。
真守はそんなご先祖様を見上げて、むぅっと顔をしかめた。
「エルダーさま。いきなり現実に引き戻さないでくれるか?」
真守はじとっとエルダー=マクレーンを睨む。するとエルダーは気になったことがあったのか、猫耳をぴょこんッと震わせた。
『そういえば気になっていたんだが。オマエ、最近は垣根帝督とどんなえっちしてるんだ?』
「セクハラ! ご先祖さまに直球でセクハラされてる!!」
瞬時にぼふんっと顔を真っ赤にして、真守は叫ぶ。
だがとある事実に気が付いて、慌てるのをぴたっと止めた。
「……
最近とはどういうことか。昔を知っているのか。
真守は嫌な予感がして、ゆっくりとエルダーを見る。
するとエルダーは神妙な顔つきで、可愛らしく小首を傾げた。
『いやなに。初夜は「
真守、絶句。
この学園都市にはアレイスター=クロウリーの情報網である『
アレイスターは学園都市で何が起きているか、簡単に網羅することができる。そしてこの学園都市の要である上条当麻や真守のことを監視している。
つまり日常生活を覗く事ができるというわけだ。それを真守はすっかり失念していた。
真守が目をかっぴらいて固まっていると、エルダー=マクレーンは尻尾をゆらゆら揺らす。
『オーイ、真守。そこら辺どうなんだ? 垣根帝督とアブノーマルなコトしてるのか?』
「してるわけないだろ!! エルダーさま、変な妄想広げないで!!」
真守は涙目になって、ぶんぶんと首を横に振る。
そんな真守を見て、エルダーはにやにや笑った。
『でもオマエ、垣根帝督に初めてを捧げただろう? 普通を知らないんじゃないのか?』
その一言に、真守の血の気がサーッと引いていく。
垣根帝督はつくづく言っている。
『俺に常識は通じねえ』──と。
以前、朝槻真守はこの世で最も大切な女の子──源白深城に『あぶのーまるな恋をしている』と指摘されたことがある。
恋人になる前に永遠を誓い。恋人になる前から恋人みたいに愛でられて。
そしてついに恋人となった翌日には致す。
しかも朝槻真守は
もしかしたら。これまで致した内容はおかしかったのかもしれない。
確かにちょっと回数は多いなとは思っていた。
でも、まさか。変なことはないはずだと。朝槻真守は思っていた。
「ひっぐ」
真守はいっぱいいっぱいになって、一つしゃくりあげる。
それを見たエルダー=マクレーンは驚愕で尻尾の毛を逆立てた。
『しまったガチ泣きだ!!』
エルダー=マクレーンはみゃっと声を上げると、ぽろぽろ涙を零す真守を慌てて慰めに掛かる。
『悪かった悪かった。そうだよな。オマエは永遠を我が物にしたって普通の女の子だもんな。ヘンタイたちとは違うよな。な? ……よ、ヨーシ。ワタシが垣根帝督にガツンと言ってやる。だから泣き止め。な?』
真守はえっぐえっぐとしゃくりあげながらエルダー=マクレーンを見上げる。
「ど、どうしてそんな話になったんだぁ……っ!!」
エルダー=マクレーンは自らの子孫の背中を優しく撫でながら、ばつが悪そうに目を逸らす。
『……いやなに。アレイスターは元来の中性的な美貌と変人特有のカリスマで人を惹き付けるため相手には事欠かず、変態行為に走るクソ野郎だったんだ。だから変人特有のカリスマ性を持つオマエと垣根帝督はどーかなー? ……って、チョット気になって』
エルダーの純粋な疑問を聞いて、真守は目を拭いながら呟く。
「……うぅ。ヘンタイと一緒にされるなんて困る……っ私は健全なはずだ……ッ!」
真守は頑張って涙をぬぐいながら声を上げる。
もしかしたら自分と垣根が男女関係を築き上げる場面を見て、アレイスターが脳内ハッスルしていたかもしれないなんて考えたくない。背筋がゾッとする。
「最悪……人のひめゴト見るあのクソ人間ヤバすぎる……正真正銘の変態だ……っ!」
真守はぐすぐすと喚く。
そんな真守から視線を外して、エルダー=マクレーンは遠い目をする。
『いま目の前で展開されているモノも、ある意味アレイスターの変態行為の一部だがな』
真守はエルダーのボヤキを聞いて、眉をひそめる。
目の前には地下室が映し出されていた。
得体のしれない匂いのするお香。
その部屋の中心の椅子に座って、がっくんがっくん飛び跳ねてトランス状態になっているアレイスターの最愛のローズ。
「……あれも、変態行為なのか? 科学薬品の力を借りて限界突破して、まだ見ぬ先を盗み見ようとするのとかと一緒じゃなくて、本格的にヤバイことか?」
真守がエルダーの腕の中で疑問の声を上げると、エルダーはぴこんっと耳を震わせる。
『んーそうだな。アレは太古の魔女がホウキに特殊な軟膏を塗ってノーパンで跨って魔術(笑)を使って空を飛ぶのと一緒なのだが、オマエは深く知らなくていい』
「………………自分の妻にそんなことやるなんて変態すぎる。この時代の魔術師はみんな変態なのか? 黄金って変態集団なのか?」
真守が魔術師たちに軽蔑を向けていると、エルダーは死んだような目をする。
『まあある意味変態集団だろうな。ある意味であるがな』
エルダーは一応『黄金』のことをフォローすると、ぼそぼそと呟く。
『ある意味変態集団の「黄金」だが、あの人間は生粋のド変態だったな。男性器の表現方法で軽く三ケタは超える超大作の官能小説を場末の出版社に投げ入れたり、多くの魔術師が集まる儀式場でしれっと自分の精子持ち込んで変態実験開始したり』
「ヤメテ!! そんな具体的な稀代の魔術師の変態実情聞きたくない!」
『あとアイツは裸の銅像の大事な部分を隠すための蝶飾りを盗んで自分のズボンに締めてパーティーに出席したり、素晴らしい韻を踏んで最悪なジョークを誰彼構わず飛ばしていたりしていたな、ハハハハハ』
おそらく後の二つの逸話は生前のエルダー=マクレーンも被害に遭ったのだろう。
なんでエルダーがそんな最低野郎の友人をやっていたか気になるところだが、おそらくアレイスターがなんだかんだ言っても自分と絶対に結ばれない相手で気楽だったからだろう。
真守が遠い目をする中、とある場面が映し出された。
トランス状態にいるローズが何かを喋り、それをアレイスターが書き留めている場面だ。
その異様さに、真守は目を見開く。
するとエルダーは持っていた扇子でローズを指し示した。
正確には、ローズに宿っているモノを。
『エイワスだ』
真守はその言葉にピクンッと反応した。
『テレマと同じく九三の数字を内包するモノ。コロンゾンと並んでアレイスター=クロウリーの人生を大きく切り替えた分岐点となる名前。エジプト旅行中に、アイツは聖守護天使と出会っているんだ』
「……あそこにいるのが、エイワスなんだな」
『ああ、オマエも知っているエイワスだ。ソイツにほからなぬ』
エルダーはぼそぼそと喋っているローズを見つめて、鋭く目を細める。
『クロウリーの理論の集大成はエイワスからもたらされたものだ。それはウェストコットたち先人が生み出した「黄金」の基礎理論、そしてその乗っ取りを画策していたメイザースの新理論さえ綿埃のように吹き飛ばしてしまうほどにセンセーショナルなものだった』
「……アレイスターがエイワスと出会ったから、全てが始まったんだな」
真守がゆっくりと目を細めると、エルダー=マクレーンは頷いた。
『当時の魔導書は箔をつけるために大半が高次存在からもたらされた知識だとされていた。だからクロウリーを蹴落としたい連中はことあるごとに難癖をつけていたぞ。まあウェストコットが偽造した魔術結社開設許可の書簡に比べればマシなものだ』
「偽造? 偽造してたのか?」
真守が問いかけると、エルダーは憤慨した様子を見せる。
『ウェストコットは古い人間であったからな。だから「究極の高次存在であるアンナ=シュプレンゲルから結社設立の許可を受けた唯一の人間」を自称していたのだ』
ウェストコットが受け取った書簡の真実とは、イギリス人がドイツ人の筆跡を偽って作成したペテンだった。
そのことを鼻で笑ったエルダー=マクレーンは続ける。
『あの古い考えに凝り固まって箔付けに奔走してた老人と、ずる賢い演劇演出好きの
(…………私のご先祖さま最強じゃない……?)
おおよそ人格者としてエルダー=マクレーンは最高の女性である。
貴族で地位も名誉も金もあって精神性もばっちり。そしておまけに見る目もある。
エルダーならばマクレーン家の権力全てを使って国を支配しても、問題なく統治できそうだ。
たぶん、この様子では興味ないと豪語するだろうケド。と、真守は密かに思う。
『ちなみにワタシの体には確かな血統を持っていないヤツが触ると、性器が爆散する術が掛けられていたからな。誰も手出しができなかった』
「……私、触っちゃってるけど……ッ!!」
真守には完璧に東洋の血が入っている。血が混じっている自覚がある。
そのため真守が戦々恐々としていると、エルダー=マクレーンはニヤッと笑う。
エルダーは真守に近づくと、真守の小さな肩に手を回す。そして手に持っていた扇子で真守の頬をふにふにつつく。
『ふふ。今のワタシは魔導書の「原典」であり人工知能だからな。触れても大丈夫だ』
「そうじゃなかったら私は爆散してたってコト!?」
混ざっているのが悪いとは言え、血統がきちんとしていないという理由で身内の血族の魔術に引っかかるのは悲しい。
真守が少し落ち込んでいると、目の前でアレイスター=クロウリーは妻が産んだ赤子に手を伸ばしていた。
『クロウリーの一人目の娘だ。ヤツが悩みに悩んだ結果、意味を付与しすぎてじゅげむじゅげむぐらいに正式名称が長くなったが、魔術研究家の間ではリリスと呼ばれている』
「親バカだ」
『ワタシもそう思う』
エルダー=マクレーンは自らの子孫と共に、子煩悩になっているアレイスターを見て笑う。
そして、寂しそうに目を細めた。
「……エルダーさま?」
『分かるか、我が血族よ。ここが最も温かい時期だ。それが意味するところが、オマエに分からないわけがないハズだ』
真守は幸せそうなアレイスター=クロウリーを見つめて眉をひそめる。
幸福で満ちた世界。
ここが一番の幸福の場所であると言うならば、つまりアレイスターはここから苦難の道を強いられたということだ。
友人の血族が数代を重ねた今でさえ、彼はもがき苦しみ続けている。
誰にも理解されずに。ただただ多くの失敗を踏み台にして、『
『出産を手伝い、不安定な母子へ全身全霊の加護を与えるために、アレイスターは一時的に魔術研究の手を止めていた』
真理への探究。それを幼いながらに決意したアレイスター=クロウリーが研究の手を止めるほど、ローズとリリスはアレイスターにとって大切だった。
『その遅れを取り戻すべく、アイツは容態の安定した母子を残して巨大な山を求め、旅に出かけた。……そこには「ある目的」もあった。だが間に合わなかった』
真守は黙ってエルダー=マクレーンの話を聞く。
目の前で幸せな家族が生きている様子。
それが、遠い日。生まれたばかりの自分にもあったのだと考えながら。
朝槻真守は、ご先祖様の言葉を待った。
『ああ。クロウリー。ワタシのかけがえがない「永遠」の友よ』
エルダー=マクレーンは寂しそうに、本当に悲しそうに声を出す。
『世界の誰よりも愛し、一度呼ぶのでさえ面倒な長ったらしい名前を愛しそうに呼ぶオマエを、ワタシは覚えている』
そんな愛する娘の不自然なくらいの唐突な病死。
『その死に目に間に合うことができなかったオマエに、ワタシは憐み以外の感情を向けるコトができなかった』
最愛の娘の死。それによりアレイスターの『運命』の歯車は、少しずつ狂い始めた。
世界は、小さな出来事で簡単に狂ってしまう。
その事実を前にして。一人の人間が『運命』を呪い尽くす事になるのは、当然のことだった。